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「凶刃レポート」最終報告
ごめんね、真木人。おまえは礎にすらなれなかった。


令和元年7月16日
矢野千恵

「こんなこと絶対に嘘」
「現実であるはずが無い」
「悪夢なら早く覚めてほしい」

真木人が右胸を刺され失血死したと告げられ、遺体と対面したとき、涙は一滴も出ず、嘘だ、 嘘だと否定する気持ちに翻弄されました。現実を受け入れられませんでした。

あの日からもう14年近い歳月が流れました。真木人を溺愛していた姑が事件の2年半後に亡くなり、夫の啓司は、もともとの酒好きが、病的と言えるほどの深酒になり毎日午後3時4時から大酒を飲むようになり、注意すると「酒ぐらい飲ませろ」と怖い顔で言うのです。 そして脳出血で3年前帰らぬ人となりました。

「僕たちは息子が殺されたという十字架を死ぬまで背負っているんだよ」と啓司は、時折天井を見上げ言いました。これを思い出すと、早く死んだほうが勝ちという気持ちになります。 重い人生です。

結婚生活の42年間、「山あり谷あり谷あり」でも、ずっと愛し合って過ごしてきたと信じていた私でしたが、ある日啓司からの質間が……。「息子が殺されると分かっていたら結婚しなかったんだろうね」としみじみ言うので返事に困りました。

息子が殺されると分かっていて結婚するのは子どもである真木人の死を前提にし、それを容認しているようで真木人に申し訳ないと思うし、啓司のことは42年経っても愛していたのでどちらの返事もできませんでした。

啓司は、「ころべえ(千恵の愛称)のことは新婚のときより (40 年後の)今のほうが好きだよ」と言ってくれていたのですが……。啓司自身はこの質問に本音でどう思っているのか怖くて聞くことができませんでした。

秋莱原無差別殺傷事件、相模原障害者施設殺傷事件、登戸スクールバス殺傷事件、計画的に犯行しながら自分は精神障害者手帳2級を持っているからと罪に問われないような口ぶりの犯人、家庭内暴力暴言から他人を殺める前にと息子を殺した元エリート官僚。

次々と事件が起きる日本の今。ああまた私たちと同じように人生を台無しにされる人たちが生まれる。客槻的に見れば犯人がいて、自分の落ち度ではないのに、あの日あの時あの場所に家族が居合わせた不幸は私自身が招いたものかもしれないと罪責感にさいなまれる辛い人生です。これを考え出すときりが無く自分を責め、奈落の底に沈んでしまいます。

精神障害者による殺人や放火はすぐに報道自主規制がかかります。そのため世間の人が事件の詳細を知ることもなく、当事者以外の世間と言うものは事件を忘れてしまいます。そればかりでなく、犯人が精神障害者だという理由で、被害者遺族のほうが非難される場面までありました。

真木人を失って間もない頃、
「あなたたち夫婦は精神障害者に罪をつけようとしましたね」
目を吊り上げそう言ったのは有能な弁護士と評判の女性。通り魔殺人の犯人に罪が無い? 息子を、ただそこにいたと言うだけで殺されてしまったばかりの両親に対して何と非情な言葉でしょうか。私たちが非難されるなんて!

西側先進国ではどの国でも 「全ての殺人事件犯人は法廷にかけられる」ということは後から知りました。日本は先進国ではないんですね!日本の弁護士さん、おかしいです!!

私たちは、精神障害者による殺人事件は、市民の生命の安全がないがしろにされている不条理を感じるし、殺人者となった障害者自身の人生も幸福とは言えず、台無しにされる被害者遺族の人生と加害者家族、双方の人生は、どうしようもないやりきれなさをどちらもが生涯持ち続けるという、あちらもこちらも悲劇で埋め尽くされていると感じます。

入院中の統合失調症患者による殺傷事件を減らそうと言うと、短絡的に「あなたは精神障害者を閉じ込めようとしている」「拘束しようとしているのか」などとこちらが考えてもいない方向に先回りして非難してくる人たちがいます。でも私どもが主張しているのはそうではありません。

適切な薬物療法を継続すること、副作用軽減のためであっても薬物療法の変更や中止など治療方針に変更があったときは病状の変化に細心の注意を払い診察と観察、本人への問診を怠らないこと、病状悪化が予想できるときはそのときだけ外出を控えさせるなり付き添い付きで外出許可するなど、他科ではあたりまえのことをあたりまえにするだけのことです。

統合失調症発病から20年余り、たびたび治療を中断し、再発を繰り返し、人格崩壊にまで病状が進んでいた純ーは強迫性障害も重度の患者でした。その純一の治療薬である、統合失調症薬(プロピタン) 突然中断、同時に抗欝薬パキシル突然中断。英国ブリストール大学、カナダトロント大学、豪州西オーストラリア大学の5人の精神医学者が揃って、純一に暴力行為発現を予測できたと主張しましたが、裁判所は認めてくれませんでした。

野津純ーは16歳で統合失調症発症、「家庭での暴言、命令」「気に入らないと家の中のもの全て壊す」「県庁前で通行人に殴りかかり取っ組み合いになり被害者の服は破れてぼろぼろになった(以上父親入院前問診カルテに記載)」「16歳時、母親と口論になり自宅火事となる (入院前母親聞き取り病院記録に記載)」「入院中看護師に飛び掛り閉鎖病棟に一週間隔離された」等の前歴があり、普段はおとなしく見えても放火暴力履歴のある患者でした。

「両隣3軒が全焼した16歳時の自宅火事」に関して、「純一本人が『放火した』と供述した」と当時の香川医大カルテに記載されている点は被告側も争っていないのに、高裁判決文は「母親供述から失火としか考えられない」としました。16歳時の放火が36歳時の真木人を殺した通り魔事件の最初の伏線と言えるものなのに、なぜこのようなねじまげ判決がまかり通るのか、納得できません。

事件の直前、包丁売り場の店員が気が付いた純一左頬の小豆大の赤い根性焼きに関して、地裁判決は「他にも根性焼きの跡があったのだから本当はいくつあったかわからない」と純ーが事件前にイライラを鎮めるためにやった根性焼きの事実をスルーしました。事件直後に病院を訪れた母親も気づいた純一頬の火傷跡に病院スタッフは誰も気が付かなかったことには蓋をしました。なんてずるいのでしょう! 純一の供述によればいつもは根性焼きで収まるイライラが事件の日は収まらず、激情し、逆上し、人を殺してイライラを収めようと考えたそうです。主治医も看護師も医療上の仕事をしていません。病院でなく単なるホテルです。

12年間、真相解明と再発削減に心血を注いできた私たちには非情な判決でした。高松地裁と高松高裁は敗訴、最高裁は棄却でした。

精神障害者の治療はずさんでもかまわない、市民が路上で命を取られる状況が生じて、原因究明しても無駄、医療者は責任も取らなくてよいという、被告病院と主治医に大廿廿、被害者に一方的に酷い判決です。

私どもは日本の法廷に一縷の望みを抱いていました。真木人の死を以って、一部の貧しい精神科医療者のレベルアップができる、その礎になればということです。病院に事件の責任が問えれば飛躍的に精神科医療が改善する可能性がある、法的措置も変わると言ってくれた方たちもいて、その思いに是非とも応えたいと頑張ったのですが、裁判所は、理性や正義が通るところではありませんでした。被告医師病院長が高松家庭裁判所の顧問精神科医で病院外に出歩き、自分の受け持ち患者をろくに診察せず起きた事件に関して、「お世話になっている先生に“えこ贔屓”しなくてはいけない、有罪にしてはいけない」付度した状況だったのだと今も信じています。

何の落ち度も無く路上で28歳の若さで命を奪われた真木人に、「おまえは礎にすらなれなかった。ごめんね」と報告するしかありませんでした。悔しいです。

現在の私は、真木人が継ぐはずだった啓司が始めたビジネスを真木人の代わりに続けようと従業員の助けを借りながら一人で切り盛りしています。今の私にできることはこれだけです。

合掌。


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