いわき病院事件報告
判決の予定は1月29日(金)でした。ところが、判決予定日の2週間前の1月15日(金)の午後に、判決日時が2月26日(金)に変更されました。高等裁判所が行った、判決日の直前に行った判決期日の変更は、大きな驚きです。
1、いわき病院事件:高裁判決期日の変更
いわき病院事件裁判の高松高等裁判所の判決は平成28年1月29日(金)13時15分から高松高等裁判所で行われる予定でしたが、1月15日(金)に高松高等裁判所から通知があり、期日が変更されました。新しい期日は、平成28年2月26日(金)11時です。
これは予定していた判決期日の2週間前という、裁判所が判決宣告の直前に行った、なんとも慌ただしい、期日変更です。本当に、愕きました。こんなことが、あり得るのだ! と?
2、裁判の争点
矢野真木人(当時28才)が高松市の医療法人社団以和貴会(いわき病院)に入院中の統合失調症患者の野津純一(当時36才)に、高松市内のショッピングセンター駐車場で突然刺殺されたのは、既に10年以上も昔の平成17年12月6日(火)でした。刑事裁判では、慢性統合失調症で入院治療を受けていた犯人の野津純一には、殺意が認定されて、高松地方裁判所刑事法廷で懲役25年が確定しました。野津純一は、現在では医療刑務所に収監されて、統合失調症の治療が継続して行われております。
私たち被害者矢野真木人の両親が提訴している民事裁判では、高松高等裁判所で犯人の野津純一の責任と、放火暴行歴のある野津純一を治療していた医療法人以和貴会(いわき病院)と主治医で病院長の渡辺朋之医師の過失責任を問題にしております。野津純一は高松地方裁判の判決で過失責任を認めましたが、いわき病院と渡邊朋之医師は責任を否定し、地裁判決でも、病院と主治医の医療責任は認められませんでした。このため、矢野真木人の両親で、民事裁判の原告の矢野啓司と矢野千惠は、引き続いて高松高等裁判所でいわき病院と主治医の医療の怠慢と不作為を問い、その法的責任を確定するように求めて、争ってきました。なお、現時点では野津純一の法的責任は確定しておりますが、私たちは野津純一には確定した金的賠償支払いを実行する請求を行っておりません。あくまでもいわき病院と主治医が行った法的な過失責任を確定して、矢野真木人の死に対する法的賠償義務を全うすることを求めております。医療法人以和貴会(いわき病院)と主治医渡邊朋之医師の精神科医療の過失が無ければ、矢野真木人は命を奪われることはありませんでした。第一原因者の責任を不問にすることは、間違いです。
矢野真木人殺人事件が発生する前の2週間の期間(11月24日から12月6日)の、いわき病院長渡辺医朋之医師の野津純一に対する統合失調症の治療で、特に重要な問題は「SSRI抗うつ薬パキシルの突然中断」と「抗精神病薬プロピタンの処方中断」です。いわき病院長渡辺朋之医師は、巧みにこれらの不作為を焦点から外した対応をして「責任は無い!」と主張し続けております。医師としての責任を否定する責任回避を許してはなりません。統合失調症の患者には安定した治療方針を継続して行う事が極めて重要です。病院と主治医の怠慢と無責任を許してはなりません。精神科臨床医療では、本来の当事者であり、治療を受ける精神障害者である患者には、病院側の法的責任を客観的かつ論理的に指摘する能力と資質に限りがあります。また、矢野真木人のような命を奪われた第三者の被害者には、未来の予測は不可能であり、また既に命を失っており、自ら発言することもかないません。入院治療を行っていた病院と主治医の過失と法的責任を不問にし続けることは、社会的責任の存在を無視し続けることです。明らかな法的義務違反がある時に、医療側の責任を問わないでは、公正な社会を実現することにはなりません。
3、病院と治療者の責任は自覚されていた
矢野真木人を包丁で直接刺殺した犯人は、いわき病院で統合失調症と診断されて入院治療を受けていた野津純一です。野津純一は多数の病院で統合失調症と診断されて治療が継続された患者です。ところが、いわき病院は「治療していたいわき病院と主治医のいわき病院長渡辺朋之医師には法的責任は存在しない」と主張していますが、渡辺朋之医師は患者の治療で重大な義務違反を行っておりました。本件裁判で問われるべき課題は、精神科医療の現場で主治医が自らの責任を自覚して、治療責任を全うすることです。
入院患者野津純一氏は平成17年11月23日(水)から主治医の渡辺朋之医師から抗精神病薬プロピタンの処方を中断されておりました。この統合失調症の治療を中断した処方変更は、主治医が患者に事前の説明を行わず、また同意を得たものではありませんでした。更に、主治医の渡邊医師は、いわき病院の第2病棟の看護師にも、抗精神病薬を統合失調症で治療を受けている患者に治療薬を断薬した事実を告げておりませんでした。慢性統合失調症と診断して治療を行っている患者に、統合失調症治療薬を断薬した医療行為の変更は、主治医のいわき病院長渡辺朋之医師だけが承知して内容を理解していた、医療行為と治療活動の変更でした。主治医の渡辺朋之医師は、治療方針を変更した事実、そして抗精神病薬を慢性統合失調症の患者に断薬した事実を、患者の野津純一や家族に説明しなかっただけでなく、いわき病院第2病棟の看護師にも周知しませんでした。主治医が、いわき病院の医療チームに周知せずに行った、独断専行の医療行為という事実は極めて重大なポイントです。
長期的に抗精神病薬の投薬を受け続けた慢性統合失調症の患者が、治療薬である抗精神病薬の投薬を断薬されることは、極めて重大な治療方針の変更です。主治医は治療方針を受け持ちの患者に十分説明して、理解と同意を得て、患者の協力を確認する必然性がありました。ところが、患者である野津純一とその家族に、説明しておりませんでした。さらに、看護師にも、統合失調症患者に抗精神病薬を投薬していない(断薬している)事実を周知しておりませんでした。看護師は統合失調症の患者に抗精神病薬を断薬した処方で治療看護を行っておりましたが、「抗精神病薬を断薬した」事実の認識が主治医の渡邊朋之医師から周知されておりませんでした。第2病棟で野津純一の看護を担当していた看護師は、長年抗精神病薬の投薬を継続されていた統合失調症の患者に抗精神病薬の投薬が中断されていた事実を踏まえて、患者野津純一の病状の変化に異常が発生していない事実を確認し続ける義務を有しておりました。ところが、いわき病院の第2病棟の看護師は、つんぼ桟敷に置かれ、その義務を果たしておりませんでした。これは、極めて重大な、いわき病院長が行った精神科医療の基本的な情報を周知しない機能不全でした。
慢性統合失調症で入院治療を受けていた、野津純一は主治医の渡辺医朋之医師に、平成17年11月23日(木)から、精神病治療薬の断薬が開始され、更にSSRI抗うつ薬パキシルを突然中断されておりました。また、精神科専門医である渡邊朋之医師は主治医としてこれらの極めて重大な処方変更を実行した後で、野津純一を11月30日の夜間の1回限り(その時の野津純一は、眠剤を投薬された状況でした)しか、診察しておりません。これでは、患者は自らの正確な状況を主治医に説明することもままなりません。更に、法廷で渡邊医師は「12月3日にも診察した」と主張しましたが、「12月3日に診察した」とする事実を確認できる医療記録は存在しません。渡邊医師は、「医療記録が12月3日付けであること」を主張しましたが、同時に本人は、「12月3日付けの医療記録は11月30日の誤記である」と、既に記録を訂正しておりました。一度訂正した後では、同じ記録を再び、12月3日にも使用して「事実である」と主張することはできません。同じ記録から「2回も事実として証言したこと」は、不適切です。また悪質で意図的です。看師が記載した記録を安易に変更して、事実を改変し、しかもその上で、取り消したはずの事実は已然として事実である、と主張することは、間違いです。通用しないはずの論理が、高松高等裁判所の判決で容認されるのでしょうか?
渡邊朋之医師が慢性統合失調症の患者に抗精神病薬の処方を中断した後で、診察を1回しか行っていない事実(しかも、記録を自ら抹消した12月3日を追加したとしても、2週間の間に、わずか2回です。統合失調症の患者から抗精神病薬を中断した重大な時期としては、)は明らかに診察回数が不足します。渡邊医師は抗精神病薬を断薬した後の病状の変化を主治医として診察と観察して自ら確認しておりません。看護師の報告に頼り、自ら抗精神病薬を断薬した統合失調症の患者のその後の病状の変化を確認しないことは重大な義務違反と怠慢があった事実です。野津純一は12月1日以降に病状の変化(悪化)に関する訴えを繰り返して行いましたが、渡邊医師は、適宜適切な主治医本人の経過観察を行った事実を主張できません。特に、12月6日の朝に、患者野津純一は10時に診察要請を行いました。野津純一は前日から病状の悪化を訴えておりました。野津純一はいわき病院の入院患者です。主治医はいわき病院長の渡邊朋之医師でした。12月6日の朝10時の時点で、渡邊朋之医師が診察できないのであれば、他医師の診察や、応急に患者の外出を制限するなどの、対応が求められておりました。何も治療的介入を行わず、放置して、患者の外出を容認したことは、主治医の怠慢です。
野津純一はいわき病院の入院患者でした。しかも、その時点では、慢性統合失調症の診断があったにも関わらず、主治医である渡邊朋之医師の判断と裁量で、パキシルが突然中断され、同時に抗精神病薬プロピタンの処方が中断されておりました。これは11月23日から主治医が実行した極めて重大な処方変更でした。その上で、この処方変更を行った事実は看護師に周知されず、患者本人と患者の両親にも説明が行われず、同意も求められませんでした。野津純一は通常の病状管理のままで放置されてよい患者ではなく、慎重に経過観察を行うべき重大な時期に当たりました。野津純一は特に慎重に経過観察を行い、病状の変化が確認されるべき状況にありました。渡邊朋之医師が、野津純一の病状の変化を特筆しない、あたかも「通常の経過観察の密度でも良い」とするかのような主張を行う事は間違いです。また義務違反でもあります。慢性統合失調症の患者にそれまで長年投与が継続されていた抗精神病薬を主治医が断薬し、その上で、パキシルを中断した処方変更は極めて重大な事実です。そして、主治医は断薬した事実と、医療的な問題点をスタッフに周知せず、経過観察を行う義務を果たしておりません。これは、いわき病院長の渡邊朋之医師が行った重大な義務違反です。精神科専門医として、過失責任を問われなければなりません。
いわき病院長で、主治医の渡邊医師は「その時に(切迫していたとまでは)判断できない」という主張です。また「患者の要請があったとしても、直ちに対応することまでは、医師の責任ではない」という主張です。渡邊医師は12月6日の朝10時に診察要請に応じず、その日の午後には、母親が面会中であったとして、患者の診察をしておりません。即ち、母親の面会に遠慮して、主治医として患者を診察する必要性が高いとまでは認識していなかったと、自白したようなものです。患者を診察すべき優先度は低かった、と主張しました。主治医として患者の重大な病状の変化が発生していた事実を否定しております。渡邊朋之医師は慢性統合失調症の患者から治療薬の抗精神病薬(プロピタン)の処方を中断していたのです。野津純一は渡辺医朋之医師が慢性統合失調症と診断した患者でした。しかも主治医は統合失調症治療薬の投与を主治医の判断で中断しておりました。これは、極めて重大な事実であり、渡邊朋之医師は過失責任を問われてしかるべきです。
12月7日の午前中にも、渡邊医師は野津純一を診察せず、7日の午後に野津純一は外出して、犯行現場を訪問して、警察から職務質問を受けて、逮捕されました。事実として、渡邊医師は、12月6日の朝から7日の午後まで、野津純一を診察する意思を有しておりませんでした。それは、明白な事実です。患者の日常の病状の変化の重大性を認識して対応することが無い医師としか言えません。渡邊医師は、主治医として患者を診察しなければならない、診察するべきという認識が欠如しておりました。
渡邊朋之医師は自ら慢性統合失調症と診断している患者の野津純一から抗精神病薬の投薬を中断し、その上で、病状の変化に関する経過観察を行っておりませんでした。野津純一が病状の悪化を極めて強く訴えた12月6日から7日にかけて、渡邊朋之医師が診察を行うことがありませんでした。そして事件後に、密かに統合失調症治療薬の処方を再開しておりました。これは極めて重大な、密かに行われた処方変更でした。渡邊医師は事件後に処方変更を実行した事実を説明しておりません。いわき病院と主治医の渡邊朋之医師は「義務違反を行ってしまった!」という自覚を有しておりました。そして、中断していた抗精神病薬の処方を再開して密かに元に戻したのです。
4、司法の隙間を許してはならない
12月7日に野津純一が逮捕された後で、いわき病院長の渡邊朋之医師は、警察から「野津純一に処方していた治療薬の提供」を要請されました。この要請を受けた時点で、野津純一の治療薬は「抗精神病薬のプロピタンとSSRI抗うつ薬のパキシルを中断した処方」でした。しかしながら、主治医の渡邊朋之医師は、「プロピタンとパキシルを復活した処方」で処方薬を警察に拘束されている野津純一の治療薬として提供しました。そして、事実として野津純一は、このひそかな処方薬の変更で、統合失調症の病状は回復しました。
野津純一の主治医の渡邊朋之医師は、「それまで処方中断していた野津純一の治療薬」として「抗精神病薬のプロピタンとSSRI抗うつ薬パキシル」を処方しました。そして、野津純一は病状が回復しました。それは、殺人事件後に、主治医の渡邊朋之医師が賢くも見いだした、「司法が許した隙間」としか、言いようがありません。この行為を行った事実を判決は容認してはなりません。
野津純一に中断していた抗精神病薬の処方を再開したことは、事件発生後に実行された重大な処方変更でした。主治医の渡邊医師は、その責任が問われてしかるべきです。
5、風の便り
実は、私たちがいわき病院と渡邊朋之医師の責任を求める裁判を行っている過程で、「風の便り?」とも言えるものがありました。「矢野は、いわき病院を訪問して、渡邊朋之医師に面会を求め、お願いをするべきだ、そうすれば、何がしかの見舞金が支払われるだろう・・・に。どうして矢野は会いに行かないのか?」
このようなご助言をいただいた、その時は、「随分と尊大な話だなあ・・」と思いました。また、被害者が加害者に会いに行くのでは、随分とへりくだりすぎだとも考えました。そして私は、この話とアイデアが「現実に存在する事実」と確認することもしませんでした。その意味もありません。日本の人権認識の現実とは、その様な理不尽なものに強制されるがままで、継続するとは考えません。流されるものではありません。それだけの技量を裁判官は持っているはずと、考えました。
しかし翻って、野津純一が置かれ続けた、生まれて生きて、見ることになった、救いのない現実、救われなかった現実、を考えると、このような理不尽な強制と無視の狭間で彼は苦しめられてきたのであろうとも考えることが可能です。精神科医療の問題としても、野津純一は救われる必要がありました。
また、矢野真木人は、たまたま、巻き込まれてしまい、極めて残念、としか言いようがありません。私たち夫婦は、たまたま、息子の死という理不尽な現実に遭遇しました。身を割かれる想いで、対応しております。そして自分たちができる範囲、可能な範囲で、精一杯の発言をして、私たちが置かれている社会の課題を指摘します。
判決は平成28年2月26日の11時、高松高等裁判所です。これが、私たち夫婦には、新たなる一里塚になる事を期待します。
【高松高等裁判所の判決を受けて:今後の展望に関して報告会】
- 記者会見
2月26日(金)、於:高松高等裁判所隣接の弁護士会館で記者会見
(判決後に直ちに場所を移動して、開催します)
報告者:原告:矢野啓司・矢野千惠
弁護士:平岡秀夫(元法務大臣)、松本隆之、川竹佳子
- いわき病院事件裁判の座談会
2月27日(土:9:00~11:30)、
於:高知市朝倉丙1204番地、矢野宅、矢野真木人祭壇前
参加者:任意(関心を持たれる方)、報道機関の出席をお願いします
話 題:裁判の今後の展望、その他(適宜対応をします)
駐車場:矢野宅前の雑種地(矢野宅前の道路反対側:空き地)
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