いわき病院事件(高松高等裁判所結審)
いわき病院事件裁判は平成27年10月6日(火)に高松高等裁判所で結審し、裁判長は、判決の期日を平成28年1月29日(13時15分)と宣言しました。矢野真木人は、平成17年12月6日の正午過ぎに、高松市香川町のショッピングセンターの駐車場で、精神障害者で病院から許可外出中の野津純一に出会い頭に、突然、刺殺されました。私たち矢野真木人の両親は、本件の責任の所在を明らかにするため、民事裁判を提訴して医療法人以和貴会いわき病院の責任を追及しております。
事件から10年を経て、やっと、平成28年1月29日に高裁判決が下ることになりました。私たちは、精神障害者の社会参加の拡充や拡大、また、治療過程における精神障害者の社会参加訓練の実施に反対するものではありません。日本における精神障害者の社会参加の拡大と充実、そして、健常者と精神障害者の共生の促進を目指して、裁判に臨んでおります。
1,市民社会と精神科開放医療の促進
今日の日本では、精神障害を罹患した人間であっても、良き隣人として、また社会の一員として社会が受け入れる道が拡大されることが期待されます。精神科医療機関は、精神障害者を問答無用に閉じ込め自由を奪うものであってはなりません。同時に、他害の行動を行う危険性を持つ病状の患者が、犯罪者になるままに放置されて、社会が無責任であることは許されません。精神科医療機関は、精神障害の既往歴がある人についても、健全な市民の一員として社会復帰を促進する機能を発揮することが期待されます。
矢野真木人は、10年前の平成17年12月6日に、精神障害者の野津純一と初めての出会い頭に、突然刺殺されました。本人には命に関わる攻撃が行われるなど想像もできないことでした。犯人の野津純一は、統合失調症の患者ですが、患者本人に対する事前の説明と同意がないままで、主治医の単独の判断で統合失調症治療薬(抗精神病薬:プロピタン)と抗うつ薬(パキシル)を突然断薬されておりました。いわき病院の主治医は、抗精神病薬(プロピタン)の処方を中断することに関して、患者にも看護師にも事前の説明を行わず、本人から同意も得ておらず、病状の悪化で苦しむ患者の診察拒否をしました。矢野真木人殺人は、野津純一も自ら置かれた状況を正確に理解できない、統合失調症者による突然の殺人行為でした。また、いわき病院長でもある主治医は、患者の病状の変化や、行動履歴に対応した病状管理や、行動の制限などを検討しておりません。「任意入院患者であるから」として、患者の病状管理に無責任なままでいて、病状の悪化で苦しむ患者を漫然と放置している中で発生した、入院患者が病院外で行った殺人事件でした。精神科開放医療は促進される必要があります。しかし、患者の病状の悪化に主治医が無関心で適切な治療を行わずにいて、「精神科開放医療の促進」を免責理由の大義名分とすることは無責任です。主治医は、抗精神病薬(プロピタン)と抗うつ薬(パキシル)を患者の同意もなく中断して、患者に攻撃性を高進する可能性が極めて高い処方変更を実行した上に、その後、患者の病状確認を怠り、患者の異常行動の発生に対応しませんでした。病院長の主治医が、患者の保護をないがしろにし、更に、市民生活に危険性を高進させた結果を導いたことは、病院管理者として極めて重大な義務違反です。
矢野真木人の殺人事件は、精神科病院と主治医が、治療で行うべきことを行わず、患者の保護をないがしろにして、一般市民の命を奪う結果になった事件でした。この状況は、「精神障害者の社会参加を拡大する目的の下では、やむを得ない犠牲」として、目をつむることではありません。市民の命の犠牲を容認し、不作為であることは許されません。精神科医療の発展に基づいて、精神障害者の社会参加を拡大すると共に、同時に、一般市民の犠牲を無くすることが求められます。それは、健全な社会の課題です。
本件裁判の目的は、普通市民と精神障害者の共存を可能にする社会に貢献する精神科医療のあり方を求めたものです。それは、精神科医療の社会的役割の確認でもあります。矢野真木人の不慮の死は、やむを得ないものでも、致し方ないものでもありません。
2,結審の当日に提出されたいわき病院側の最終文書
去る、平成27年10月6日は、高松高等裁判所から、控訴人矢野が最終準備書面を提出して「結審とする日」として指定された日であり、控訴人矢野は、控訴人の最終準備書面を提出期限に指定された9月25日に提出してありました。ところが、被控訴人いわき病院側は、自らの最終準備書面を、高松高等裁判所の結審当日に法廷に提出しました。被控訴人いわき病院側の最終準備書面(FAX)は、いわき病院代理人弁護士事務所発(2015年10月5日23時26分)で、高知市内の弁護士事務所から私たち控訴人に伝達されたのは裁判当日(10月6日)の朝9時30分でした。私たちは、その直後の10時に高知の自宅を出発して、高松の高裁法廷に出向きました。
いわき病院が提出した文書量は103頁と膨大です。当日の午前中に高松に移動した控訴人矢野、及び控訴人代理人の高知在住の弁護人2名(M弁護士及びK弁護士)は移動の車中で、更に東京在住で講演先の長崎から鉄道で高松に移動中の控訴人代理人H弁護士は列車内で気づき、いわき病院側からの最終書面を読み始めました。控訴人の関係者の全員は、高松市の高等裁判所まで長距離移動を行い、その移動中の車内でいわき病院が提出した膨大な文書をともかくも読む、という状況でした。控訴人側は、高松高等裁判所に到着した後で15時の開廷までの間、急遽、控え室で法廷対応を協議しました。そして、「控訴人側の都合でこれ以上結審を先送りすることは難しいであろうから、10月6日を結審とすることに同意する」、その上で、「H弁護士が口頭で、控訴人側を代表していわき病院側から提出された文書の問題点の要点を指摘する」と、方針を決めて、法廷に臨みました。
ところが、高松高等裁判所の裁判長も、明らかに「裁判当日に初めて接したいわき病院側の文書」に当惑と困惑した様子で、次の通り宣言しました。
- 本件訴訟は、予定通り本日(平成27年10月6日)を結審日とする。
- 本件の判決法廷は、平成28年1月29日の13時15分に開廷する。
- 控訴人側は、本日提出された被控訴人側の最終文書を読み終えていないと承知する。反論の猶予期間を1ヶ月与えるので、意見があれば、11月6日までに文書で提出すること。
- 控訴人の反論は被控訴人が提出した意見の範囲内で行うものとする。
なお、控訴人の意見がその範囲を超える場合には、本法廷は結審したことにはならず、改めて審議を継続することとする。
上記により、控訴人矢野側は、H弁護士が代表して行おうとした「被控訴人側書面の問題点の指摘」を10月6日の法廷では行わず、11月6日までに「被控訴人意見書に対する反論書面を提出する」こととして、同日までに最終書面を提出しました。高松高等裁判所が結審を法廷で宣言した後で、控訴人に反論書面の提出を認めたことは、極めて異例です。
3,いわき病院側意見の問題点
【1】いわき病院側の鑑定意見
いわき病院側が推薦した鑑定人は、「国立千葉大学医学部I教授」及び「国立琉球大学医学部U教授」です。I教授は主として地裁段階で鑑定意見を述べ、U教授は高裁段階から登場して鑑定意見を述べました。なお、I教授とU教授が提出した意見書では「抗精神病薬(プロピタン)の残存薬効」に関して相互に矛盾した見解が表明されておりましたが、いわき病院側は、両者の意見の矛盾点の調整などを行っておりませんでした。従って、両鑑定人の意見を根拠にして高松高等裁判所が判決を行う事は、間違いとなり得ます。
【2】千葉大学教授I鑑定人意見の問題点
千葉大学教授I鑑定人は、野津純一の犯行前にいわき病院が作成した「診療録」や「看護記録」を「一次資料」と呼び、「一次資料が重要」として、主にそれらの一次資料に基づいて鑑定意見を述べました。重要な問題点は、主治医が平成17年11月23日から患者野津純一の処方から統合失調症治療薬(プロピタン)と抗うつ薬(パキシル)を突然中断しましたが、いわき病院代理人の鑑定依頼では、統合失調症治療薬(プロピタン)の中断(被控訴人の主張に基づけば「突然ではない」)のみに関して鑑定依頼をしており、I鑑定人は依頼に基づいて、抗精神病薬(プロピタン)のみの中断に関連して、同日に抗うつ薬(パキシル)を同時に突然中断した事実に触れずに、鑑定意見書を提出しました。従ってI鑑定人の鑑定意見は、野津純一に関連した重大な処方変更の事実を正しく評価して行われたものではありません。抗うつ薬(パキシル)の突然中断を鑑定依頼事項から外したことは、いわき病院代理人弁護士の意図です。しかしながら、パキシルの薬剤添付文書で「避けること」と指示されている、抗うつ薬(パキシル)の突然中断をいわき病院が行ったことは、極めて重大です。抗うつ薬(パキシル)の突然中断を無視して述べられたI鑑定意見を、判決の根拠とすることは、適切ではありません。
いわき病院長が主治医として治療していた野津純一は、「統合失調症」です。平成16年10月1日にいわき病院に入院する以前に、野津純一は治療機関や入院先の医療機関をしばしば変更しており、そして、抗精神病薬の処方(薬種)は変更され続けました。しかしながら、過去20年以上の期間に渡り、抗精神病薬の投与は継続されており、患者である野津とその両親は、抗精神病薬を飲み続ける意義及び重要性を認識して、抗精神病薬の中断を望んでおりませんでした。また、主治医は、抗精神病薬(プロピタン)の断薬を患者とその両親に予め説明せず、同意を得ておりません。更に、断薬したことを看護師にも周知しておりませんでした。いわき病院長の主治医が、平成17年11月23日から実行した抗精神病薬(プロピタン)と抗うつ薬(パキシル)の突然中断は、患者に説明して同意を得ること無しに行われ、その上で、看護師の観察眼を無視して行われた、極めて重大な処方変更でした。
主治医が平成17年11月23日に独断で実行した処方変更に関連して、I鑑定人が薬剤添付文書に「突然の中断を避けること」と明記されている抗うつ薬(パキシル)が同時に突然中断されていた事実に、「鑑定依頼事項ではない」として触れることなく、欠陥がある鑑定書を提出したことは、本件裁判の鑑定の在り方としては重大な問題です。I鑑定人は、鑑定依頼事項に記載がないため、抗うつ薬(パキシル)の突然中断には触れておりません。しかしながら、「抗うつ薬(パキシル)の突然中断を避けるべき」とする薬剤添付文書の記載を無視した鑑定報告書では、事件前に純一が置かれていた状況を正しく認識して、鑑定したことにはなりません。I鑑定人は抗うつ薬(パキシル)の突然中断に関して鑑定意見を述べることをいわき病院代理人から依頼されておらず、その意味では、I鑑定人は、鑑定依頼事項に忠実に報告をしました。しかし、「突然の断薬を避けること」と添付文書に注意書きがあるパキシルを、文字通り突然中断したことで、野津純一の病状は極めて悪化しました。その状況を導いたことは、主治医の過失責任が問われ得る理由です。I鑑定報告は、薬剤添付文書違反である「パキシルの突然中断」による影響等を検討しておらず、本件裁判で判決の根拠として使用することは不適切です。
I鑑定人は、他人の意見や操作が関与しないとして「一次資料」を重要視しました。しかし、主治医は、「抗精神病薬(プロピタン)と抗うつ薬(パキシル)の突然の中断」を行った事実をいわき病院第2病棟の看護師に周知しておらず、いわき病院の看護記録は、治療経過やその背景を正確に理解しない看護師(多くは准看護師である)が記録したものです。また、看護師は、統合失調症の治療中断症状もパキシル離脱症状も予期しておらず、看護記録が正確であるとは言えません。主治医は、12月3日に自らが診察した証拠として、自分が書いた記録が存在しないために、看護師が残した記録を引用しましたが、その看護記録は、抗精神病薬(プロピタン)と抗うつ薬(パキシル)の突然中断した事実を認識しないままで書かれた観察記録です。これは、抗精神病薬(プロピタン)と抗うつ薬(パキシル)を突然中断した事実を認識している主治医とは根本的に異なる立場の違いです。その上で、主治医は、自ら診療したことを証明する医療記録を提示できておらず、「診察したことが事実である」と証明する証拠がありません。また、仮に主治医の診察が事実であれば、12月3日に純一は「調子が悪いです」と訴え、イライラ時の頓服やアキネトン筋注(看護師は、生食筋注を行った)を2回要求した事実が看護記録に記載されているのですから、主治医は患者純一の病状が悪化していた事実を見逃したことになり、責任は極めて重大です。また、野津純一は、犯行動機を「根性焼(注:タバコの火を自分の手や頬に押し付けて火傷を作ること)をしても消えない、イライラを解消するため」と証言しました。しかしながら、いわき病院は、野津純一がいわき病院内で根性焼をしていた事実を認めようとしません。いわき病院が主張する事実確認には、重大な疑問があります。
いわき病院の診療録では、活字プリントで、11月15日に記載があるプロピタンとパキシル、タスモリン及びドプスの処方が、11月23日(悪筆の手書き診療録の記載で、日付記載は11月30日ですが、いわき病院は、誤記であるとして、手書きの診療録を「11月30日」から「11月23日」に法廷で訂正しました)に断薬されました。また、主治医は、「慢性統合失調症患者の野津純一から、11月23日に抗精神病薬(プロピタン)と抗うつ薬(パキシル)他の治療薬の断薬を行った」と法廷で確定証言を行いました。
しかしながら、主治医は、この慢性統合失調症の患者に対する統合失調症治療薬(プロピタン)と抗うつ薬(パキシル)を突然中断した事実を看護師に周知せず、患者野津純一の病状の変化に関して、観察して記録を取るべき着目点等を、何も具体的に指示していません。いわき病院の第2病棟の看護師は殆どが准看護師であり、なおかつ、第2病棟の主たる目的と機能は、痴呆老人の介護であり、野津のような統合失調症患者等の精神障害者の看護ではありません。いわき病院が、痴呆老人の医療を主目的とする第2病棟に、早期の退院を目的として精神科開放医療を実践するアネックス棟を併設したことは、病院機能上の問題がありました。このため、第2病棟では、看護師の精神科チーム医療が機能しておりません。現実の問題として、第2病棟では、統合失調症患者の野津純一に統合失調症治療薬(プロピタン)と抗うつ薬(パキシル)が突然断薬された事実が看護師の間で周知されず、また、患者の状況に関する留意点に関する認識も、看護師は共有しておりませんでした、11月23日から12月6日までの野津純一の看護記録は、野津純一が置かれていた治療薬の中断という正確な状況を認識せずに記載した、継続して着目するべき重大なポイントを認識していない記録であり、信頼性が乏しいものでした。
I鑑定人の鑑定意見は、野津純一の看護記録が上述の状況で作成されたものであることを認識せず、更には、抗うつ薬(パキシル)が突然中断されていた事実を無視して、意見提出されたものです。このため、I鑑定意見に基づいて患者野津純一の病状の変化を法廷が確定することは、適切ではありません。
【3】琉球大学教授U鑑定人意見の問題点
琉球大学U鑑定人は国立大学医学部教授ですが、本人の専門は内科薬理学であり、精神科医療・薬理学ではありません。この点に関連して、被控訴人側が提出したU鑑定人の経歴でも、1980年代に医師国家試験に合格した後で、複数の科を巡る研修がU鑑定人の精神科医療体験の全てであることが判明しました。しかし、このような医師としては初期の精神科研修体験は、高度な専門家として法廷で証言するに値する、精神科医療の専門家であることを証明しません。また、研修経験を元にして、法廷でその道の専門家として鑑定意見を述べることは、適切ではありません。更に、U鑑定人は福岡県の民間精神科病院の院長の子息であることが明らかになりました。しかしながら、父親の経歴はU鑑定人の精神科医療に関する鑑定者としての資質や能力を証明することにはなりません。また、内科薬理学教授であることは、精神科薬理学者としての資質と権威を証明する事にもなりません。
U鑑定人が国立大学医学部教授であり、控訴人が本人の専門医療分野における権威者であることに異を唱えるつもりは全くありません。しかしながら、本件が問題とする精神科医療の分野で、U鑑定人が高度な専門家として、判決を左右する見解を述べて、その見解を判決の根拠とすることは、適切ではありません。U鑑定人の鑑定意見を高裁判決の根拠とすることは間違いです。大学教授として鑑定意見を提出する資格は、高度な専門性に基づく、信頼性の裏付けが必要です。大学教授であるとしても、自らの専門外の分野にまで、法廷で見解を表明することは間違いです。
4,いわき病院の過失と錯誤
【1】、いわき病院が問われるべき責任
いわき病院と野津純一の主治医は、「矢野真木人を殺人した直接犯人は野津純一である。いわき病院も主治医も共に、野津純一が矢野真木人を殺人した後で、その事実を知らされたのであり、矢野真木人の殺人には何も関与していない。従って、いわき病院と主治医が責任を問われるべき理由は何もない。」と主張しています。また、「野津純一は任意入院患者であり、任意入院患者は自由意思で病院外に出て活動を行う権利がある。従って、任意入院患者が病院外で重大な他害行為を行ったとしても、その責任が治療していた精神科病院に及ぶことはない。」と主張しています。
ところで、野津純一は、いわき病院に入院した直後の平成16年10月21日にいわき病院内で、洗面中の看護師に襲いかかったことがあり、強制的に第2病棟から第6病棟に転棟させられて、隔離室で隔離処遇をされた事実があります。即ち、この事実は、野津純一が他害行動を行った事で、いわき病院に任意処遇を停止されて、強制的な処遇を受けた事実です。いわき病院は、任意入院の患者でも、その行動に問題がある時には、任意処遇を停止して、患者に行動の自由の制限を行っておりました。また、そのことは、精神科病院では治療の過程であり得ることで、違法な医療活動とはなりません。任意入院した患者であっても、現実に入院中に病状が一貫して改善の方向性を持つとは限らず、時と状況と場合によっては、病状が悪化することはあり得る事で、その場合には医療上の目的で、「閉鎖処遇」や「高度の行動制限」を行う事は、治療目的に叶うことで、あり得ることです。
いわき病院と主治医は患者野津純一が任意入院であることを金科玉条として「野津純一に行動制限することは許されない」と主張したことは、精神科病院として、責任逃れであり、また、義務違反です。いわき病院に入院して治療を受けている間であっても、野津純一の精神症状が悪化することはあり得る事で、その場合には、患者保護を目的として、隔離などの行動の制限を行う事はあり得ます。また、それは、精神科専門病院や精神保健指定医の主治医にとっては、責任感をもって実行するべき社会的責務でもあります。
いわき病院の精神科医療は、認定された精神科医が、国の基準に基づいて医療保険の助成を得て行われるものです。従って、いわき病院といわき病院に勤務する医師は、精神障害者の治療を促進して、精神障害者が良き市民として社会参加を行う事を可能にする医療を実現することが求められます。更にその上で、病院として、市民社会の安全に貢献し、健全な社会を築くことに、貢献することが求められます。
【2】主治医の治療上の過失
いわき病院は、患者野津純一の病状を安定化して改善することに失敗しました。また、病院長である主治医は、平成17年2月14日に勤務医から主治医を交代した後で、患者野津純一の病状を前の主治医である勤務医が到達していた水準から悪化させました。その主要な原因は、主治医が実行し繰り返した精神疾患の治療薬の変更にあります。患者野津純一の病状は悪化し続けましたが、主治医はその状況に対して有効な治療的介入を行う事ができませんでした。「主治医は、当時考えられる全ての治療的手法を試みたと」する被控訴人の主張は事実と異なります。主治医を交代した際に、前医との確執などで、前医が処方して純一の病状に効果があった非定型抗精神病薬(リスパダール)を、定型抗精神病薬のトロペロンに変更したなど、場当たり的な処方変更を行い、純一の病状が不安定化した事実があります。
患者野津純一は、中学校の時に罹患し、それ以降は慢性統合失調症の患者であり続けました。過去に、主治医に包丁で襲いかかろうとして傷害未遂事件を引き起こし、更には、通行人を突然襲撃した事実があります。また、自宅及び近隣の家屋を焼失した放火や、自宅内で暴れて器物を破壊(破損)し、近隣の家屋に怒鳴り込むなどの、反社会的行動履歴を繰り返した事実が加わります。野津純一が、安定して、善良で、温和しく、無害の統合失調症の患者であり続けることには、困難な状況がありました。それでも、野津純一は、両親の努力により、曲がりなりにも、比較的に安定した生活を維持しておりました。入院中の野津純一が他害行為を行う可能性を全く想定せず、その対応を取らなくても問題ないとする、いわき病院の判断は間違いでした。
野津純一が平成16年10月1日からいわき病院に入院するに先だって、両親は、いわき病院の勤務医とソーシャルワーカーに対して、個別に、野津純一の過去の問題行動履歴を説明しました。野津純一は、入院直後の平成16年10月21日の未明に看護師に襲いかかり、隔離処遇を受けた事実があります。いわき病院長は、平成17年2月14日に、病状が安定していた野津純一の主治医に交代しました。しかしその後、いわき病院長が行った精神科医療で、野津純一の病状は不安定化し、平成17年12月6日に本件殺人事件を引き起こしました。しかし、主治医は、「野津純一の過去の行動履歴や暴行歴は知らなかった、説明を受けていない」と主張しております。いわき病院長として、また主治医として、「野津純一がいわき病院内で行った、暴力行動を承知してなかった」と主張したことは、免責理由にはなりません。いわき病院には、野津純一の過去の放火暴行履歴に関連して、野津純一の両親が申告した記録が存在します。いわき病院長でありながら、患者が繰り返した異常行動に関する認識を持たず、記録の確認を行わず、精神科開放医療を推進していたことは、精神医療の専門家として、精神保健指定医として、重大な過失です。仮にも主治医が、いわき病院のスタッフが収集して記載した医療記録を読むことが面倒であったのであれば、主治医として患者野津純一の両親に説明を求めることも可能で、また簡単でした。いわき病院長の主治医が野津純一の過去の行動履歴を知らなかったと主張したことは、自ら主治医として過失責任を確認することです。
【3】、矢野真木人の殺人
野津純一の主治医は、平成17年11月23日(診療録の日付期日は11月30日と誤記)に「(ムズムズが)なかなか取れない」として「レキソタンだけ増やしましょう」と記述して、処方変更を実行しました。ところが、この時「レキソタンだけ増やす」と記述しながら、主治医は、「プロピタン50mg3錠、パキシル20mg1錠、タスモリン1mg錠1錠、及びドプスカプセル200mg5カプセル」を同時に処方中止しました。そして、抗不安薬の「レキソタンだけ増やす」と言いながら、統合失調症治療薬(プロピタン)や抗うつ薬(パキシル)を同時に中断しました。この時点で、主治医は、処方変更に関して患者に対して説明し、同意を得る必要がありましたが、行っておりません。しかも、その上で診療録に、処方変更を実行した日付を11月23日ではなく、11月30日と誤記しており、11月23日以降の医療記録には正確性の面で大きな問題があります。控訴人側の質問に答えて、主治医は、法廷で「処方変更を11月23日に実行した」と確定証言をしました。
主治医が確認した事実に基づけば、以下の指摘が可能です。いわき病院長が11月23日から実行した慢性統合失調症患者野津純一の処方から、20年以上継続していた抗精神病薬の処方を中断した処方変更は、主治医が患者にも、患者の両親にも説明と同意を得ずに、主治医の独断で行われたものです。その上で、主治医は処方変更を行った事実を、病棟の看護師に周知しておりません。
主治医は、処方変更後に、11月30日の1回しか患者を診察しておりません。更に12月6日には、野津純一の診察要請を拒否して診察を行いませんでした。主治医が11月23日から実行した、抗精神病薬(プロピタン)と抗うつ薬(パキシル)の処方を中断した処方が、慢性統合失調症患者の野津純一による矢野真木人殺人を直接的に誘導しました。いわき病院は、11月23日に実行した処方変更後の期間を、12月6日まで2週間を一括して、「処方変更の前後で病状に変化がなかった」と主張しました。しかし、それは間違いであり、野津純一の病状は、11月30日までの1週間と、12月1日以降の1週間とではまるで異なります。また、主治医は、12月3日にも「診察した」と主張しましたが、診察したとする記録を提示できません。主治医は、11月23日の抗精神病薬(プロピタン)と抗うつ薬(パキシル)の処方を同時に中断した後で、患者の病状の変化を慎重に継続して観察して診察することを行っておりません。
事件の当日の12月6日に、野津純一は、「誰でも良いから、人を殺す」として、いわき病院から外出し、一直線にスーパーマーケットに出向き、万能包丁を購入して、店外で最初に出会った矢野真木人を突然刺殺しました。主治医は、慢性統合失調症患者の野津純一に対して、11月23日から抗精神病薬(プロピタン)と抗うつ薬(パキシル)を突然中断した重大な処方変更を実行しました。にもかかわらず、主治医は、自ら観察頻度を高めた経過観察を行っておりませんでした。
12月に入ってからの野津純一の病状の悪化、病状を訴えても主治医に診察をしてもらえない野津純一の失望感、12月6日の野津純一に対する診察拒否、12月6日の管理不十分のいい加減な外出許可が、野津純一による殺人事件を誘発しました。矢野真木人を被害者として特定した殺人は偶然の結果です。しかし、いわき病院は、犯行当日の午前中は外来診察の業務があった主治医の手が空くまで、野津純一に病室で待機するように指示することがありませんでした。また、他の精神科医師による診察代行も行われませんでした。野津純一は抗精神病薬(プロピタン)を突然中断されたこと、抗うつ薬(パキシル)を突然中断されたことで、精神症状が極端に不安定化していました。ところが、主治医の渡邊朋之医師は、野津純一の心理状態が不安定化している状況を認識せず、診察せず、何の対応も取らず、本人の希望に基づいて外出を許しました。そして、野津純一は、12月6日の昼過ぎに、矢野真木人を通り魔殺人したのです。
【4】抗精神病薬(プロピタン)再投与
殺人事件の後で、野津純一は12月7日の13時過ぎに逮捕されました。警察に収監されている野津純一に対して、警察の求めに応じて、いわき病院は12月7日に処方薬を提供しました。警察の依頼は、投薬中の薬の提供でした。しかしながら、いわき病院長が警察に届けた薬の処方は、11月23日以降の処方ではありませんでした。いわき病院長は、11月23日に処方変更する以前の、抗精神病薬(プロピタン)と抗うつ薬(パキシル)を復活した処方で、28日分の薬を警察に収監されている野津純一に届けました。このことは、「11月23日に行われた、抗精神病薬(プロピタン)と抗うつ薬(パキシル)の突然の中断に問題があった」、即ち、「11月23日から実行した処方変更が、重大な結果を導いた」と主治医が認識した事実、そして「抗精神病薬(プロピタン)と抗うつ薬(パキシル)の突然の中断が野津純一の殺人行動を誘発した原因である」と、主治医が認識した事実を示します。
いわき病院で野津純一の主治医は、平成17年11月23日に、野津純一に対する統合失調症治療薬(プロピタン)と抗うつ薬(パキシル)の処方を中断しました。そして、野津純一は、12月6日に見ず知らずの第三者(矢野真木人)に対する殺人を行いました。主治医が、「抗精神病薬(プロピタン)と抗うつ薬(パキシル)の処方の中断は、殺人事件の発生とは関係しない」と認識していたのであれば、警察に留置されている野津純一に、平成17年11月23日以降の{抗精神病薬(プロピタン)と抗うつ薬(パキシル)を中断した処方で}薬を届けたはずです。殺人事件が発生した後で、主治医が処方を元に戻した事実が、いわき病院長に過失の認識があったことを示します。
いわき病院長の渡邊医師には、自らが11月23日に行った抗精神病薬(プロピタン)と抗うつ薬(パキシル)の中断と、その後の主治医としての経過観察の怠慢が、重大な事件(受け持ち患者による矢野真木人殺人)を引き起こす結果を導いたとする、自覚があったことが、確認できます。
添付資料:写真(野津純一の表情の変化)
- 平成17年12月7日午後3時35分から40分の写真(逮捕直後の撮影)
抗精神病薬が断薬され、顔にしまりがない野津純一の状態
- 平成17年12月9日午後4時00分から4時10分までの写真
抗精神病薬の投薬が再開され、顔にしまりが生じた。逮捕直後の黒化していた瘡蓋が取れて逮捕後2日目には赤化した。根性焼の火傷傷の持続性が確認できる。
(野津純一の根性焼)
いわき病院は、「野津純一はいわき病院内では根性焼の自傷をしていない。自傷したとすれば、12月7日の13時過ぎにいわき病院から外出した後で、変装を目的として顔面を自傷したと考えられる」と主張しました。その主張に基づけば、1.
の写真は自傷して2時間半後の写真となります。しかし、火傷の傷が短時間で急速に黒化することは考えられません。野津純一はいわき病院内で顔面の自傷を繰り返しましたが、いわき病院では、医師も看護師も、患者顔面に生じていた異常に気付くことがありませんでした。患者の顔面を観察する医療を行っていたとは言えません。
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