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12月2日の薬剤管理指導報告はFS薬剤師の最後の野津純一氏に関する薬剤管理指導で、以後、同薬剤師は野津純一氏に関連する資料を残していない。最後の報告で、FS薬剤師は、野津純一氏の発言として、以下を記載している。
特に、「ドプスも初めの2、3日しか効かない」は、10月27日の渡邊朋之医師の「(p)方針 ドプスを増やしてプロピタンを変更する」に意識して反対しており、重要である。FS薬剤師の「アカシジアの症状が落ち着かず、イライラしたり足が動いたりする」は、渡邊医師がアカシジア(パーキンソン症候群)にドプス(パーキンソン病治療薬)を処方したことに関して、「ドプスに効果は無い」と被雇用者として雇用者に婉曲に反対表明をした。「抗ムスカリン剤でも心臓に負担がかかるので難しいでしょうか?」は薬剤師としてはそもそも効果を期待できないドプスよりは抗ムスカリン剤(アキネトンやストブラン)を勧めたいが、野津純一氏の心臓が悪い可能性があると思い、質問形式になったと思われる。FS薬剤師は、アカシジア副作用対策としてドプスを処方することは間違いで、患者も効かないと言い、渡邊朋之医師に注意喚起したが聞き届けられなかった。更に、渡邊朋之医師は慢性統合失調症を強迫障害と主張して抗精神病薬(プロピタン)の中止を指示したために、呆れて、ついて行けなかったと推察される。FS薬剤師は以後の報告を残していない。いわき病院では院長に反意を持った薬剤師はその後の報告を行わない職務放棄を行った。病院機関として統制違反を許し、チーム医療が機能していない。 地裁判決は、このFS薬剤師の離反の重要性を理解していない。むしろ、いわき病院では職員数が基準を満たしていることを根拠にして、チーム医療は機能していたと判決した。地裁は病院機能の実態を見ておらず、判決は錯誤である。 6. いわき病院に過失責任を問うことに対する地裁の迷いいわき病院は地裁第1準備書面で「精神科開放医療者のサボタージュ宣言」(本論4章の2.)で法廷恫喝を行った。地裁判決(p.115)は「渡邊はプラセボ筋注を自ら行う事で、経過観察を行った」と認定したが、渡邊朋之医師はプラセボ筋注をしておらず、地裁はいわき病院が主張しない事まで事実認定した。地裁裁判官は精神科病院に過失責任を課すことを躊躇したのではないかと疑われるところがある。結果的に地裁裁判官はいわき病院の「サボタージュ宣言」の脅しにとらわれていたことになる。 IG鑑定人は意見書(1)(乙B15)(p.21)(平成23年7月29日)で「看護師などの報告を元にして渡邊医師が治療効果を判定するのは何ら問題ではない」と記載した。これはレトリックであり、渡邊朋之医師が看護師の報告を元に効果判定し、自らの診療録の記載に反映させることに問題はない。しかし、渡邊朋之医師自ら患者を診ず、質問せず、患者から聞き取りを一度も行わず、診療録に記載をしておらず、医師の医療記録がないにもかかわらず、医師が効果判定したと認定した地裁判決は、医師法17条【非医師の医業禁止】違反、第19条【診療義務等】違反、第20条【無診察治療等の禁止】違反、第24条【診療録】違反である。地裁はこの鑑定意見に全面的に依存して、渡邊朋之医師の医療放棄を容認した。 いわき病院はこの地裁判決を元にして高裁第1準備書面(p.25)(平成26年5月12日)で、「12月1日21時30分 O:頓服効果なく、本人訴えあり。P :医師指示により、生食1ml筋注にて様子観察」と記述した。これは誤認を誘導する記載変更である。看護記録の記載は「21:30 生食1ml 1A筋注(OZNs) 頓服効果なく、本人訴えあり、Dr指示中左記施薬にて様子見」である。いわき病院が記載した「医師指示により」とOZ看護師が記録した「Dr指示中」では意味が異なる。いわき病院は、あたかも渡邊医師が看護師の横に立ち指示をしているかのような表現であるが、OZ看護師は「Drの前からの指示に基づいて筋注した」となり、プラセボ筋注はOZ看護師の判断で開始した。渡邊朋之医師が翌12月2日にレセプト承認をしたが、筋注に立ち会わなかった証明である。プラセボ筋注は以下の通りである。 いわき病院が野津純一氏に行ったプラセボ筋注 プラセボの生食1ml筋注は、その時の担当看護師が患者野津純一氏の様子を見て、自らの判断で施注していた。また、レセプト承認した医師も、その時の医師が、筋注を実施した看護師ではない看護師の協力を得て行っていた。 仮に地裁判決の通り渡邊朋之医師が自ら筋注を行っていたのであれば、12月2日11時のMY看護師の記載では、{「内服薬が変わってから調子悪いなあ…、院長先生が『薬を整理しましょう』と言って一方的に決めたんや」四肢の不随意運動出現にて、本人希望もあり(アキネトン筋注の代わりに)左記施行する。苦笑しながら上記話す。夜間は良眠できているとのこと。}はおかしいことになる。渡邊朋之医師の面前で患者の野津純一氏が「内服薬が変わってから調子悪いなあ…、院長先生が『薬を整理しましょう』と言って一方的に決めたんや」と不信感をあらわにしたにもかかわらず、主治医は対策を何も答えず、何も対応していない。従って、プラセボ筋注は看護師単独であり、その場にいない渡邊朋之医師はこの時は患者観察をしていない。 野津純一氏に対するいわき病院と渡邊朋之医師統合失調症の治療の基礎を満足に知らない不勉強、精神薬理学の基本を知らず添付文書の記載内容を確認しない怠慢、その上で、患者の病状の変化を観察せず、治療的介入を行わない医療放棄があれば、精神科開放医療は実現しない。地裁はいわき病院に法的過失を認定することにためらいがあったと推察できる。しかしながら精神科医療機関に法的責任を問わないことは、公序良俗の維持に貢献することにはならない。これまで日本では精神科病院に責任を問うことは極めて希であった。このため、精神科医療機関と精神科専門医の間で無責任な医療実態が一般化していたとしたら、法廷の判断が公序良俗を損ねる結果を導いたことになる。精神障害者に良質な精神科開放医医療を提供するには、行った不作為や錯誤には法的責任を問うことが条件となる。国際水準の日本の精神科医療を達成する基礎に法的責任がある。 |
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