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高松高等裁判所平成25年(ネ)第175号損害賠償請求事件
いわき病院の精神科医療の過失


平成27年3月2日
控訴人:矢野啓司・矢野千恵
inglecalder@gmail.com


4、いわき病院の法的過失責任


4. 著しく不適切な以和貴会の精神医療行為

いわき病院は第11準備書面(平成22年12月17日P.20)で、最高裁判例(最一判平成17年12月8日)を提出して、東京拘置所に勾留されていたXが脳梗塞を発症し、重大な後遺症が残った事案について、原審(東京高裁平成17年1月18日)が転送義務を否定し相当程度の可能性すら認めなかった判決を最高裁が認めた判例を引用した。同最高裁判決で島田裁判官は「保護利益が侵害されたと言うためには、単に不適切不十分な点があったと言うだけでは足りず、それが果たして法的に見て不法行為として過失損益を問われねばならないほどに著しく不適切不十分なものであったというべきかどうかについて、個々の事案ごとに十分慎重に判断する必要がある。」と意見を述べた。

  1. 「(医師の医療行為が)著しく不適切不十分な場合」
    (最一判平成17年12月8日の島田裁判官の補足意見):島田意見
  2. 「医師の検査、治療等が医療行為の名に値しないような例外的な場合」
    (同判決の才口裁判官の補足意見):才口意見

いわき病院は過失責任が否定される根拠として、最高裁判例を法廷に提出したが、以下の理由で、同判例はいわき病院の重過失を証明する根拠となる。

いわき病院及び主治医被告渡邊朋之医師が野津純一氏に行った精神科医療は「当該医療行為が著しく不適切不十分なものである事案」及び「医師の検査、治療等が医療行為の名に値しないような例外的な場合」に該当する。いわき病院は入院患者である野津純一氏に対して入院医療契約の債務不履行を行ったものであり、過失賠償責任が厳しく問われなければならない。


1)、医療知識の欠如と錯誤

統合失調症治療ガイドラインをまともに理解せず、抗精神病薬プロピタンを突然中止した後で、病状管理を行わず、抗精神病薬を再開するスケジュールを検討しなかった。同時にSSRI抗うつ薬パキシルの添付文書を読まずに禁止事項である突然中止を行い、断薬症状にも無知なままであった。:島田意見


2)、患者無視(インフォームドコンセント不在)

渡邊朋之医師は平成17年11月23日から抗精神病薬プロピタンとSSRI抗うつ薬パキシルを同時に突然中止するに先立って、患者本人及び患者の両親に処方変更の計画を説明せず、理解と同意を得ておらず、野津純一氏は自らに生じた異常な状態を理解せず、混乱に陥り、自傷行為を繰り返した。そのような状況で、激しいイライラを鎮めるために誰かを殺人するしかないと考えて通り魔殺人を実行した。いわき病院は患者の野津純一氏が激しく苦しむ状況を医療者も看護者も観察して認識する事がなかった。:島田意見


3)、処方変更の事実をスタッフ周知せず、看護指示を与えなかった

渡邊朋之医師は重大な処方変更を行った事実を病院スタッフに周知せず、看護上の重点注意事項や要観察事項を看護師に指示することがなかった。このため、看護師の観察は目的意識を欠いた散漫なものであったが。いわき病院は看護師の定数が足りていると弁明したが、実態が無い弁明である。:島田意見


4)、経過観察を行わず、治療的介入も行わなかった

複数の向精神薬を同時に突然中止した後で、主治医は患者を連続的かつ慎重に経過観察する義務がある。渡邊朋之医師は重点要観察事項を指示されていない看護師の一般的かつ表面的な報告だけで、自ら経過観察を行わなかった。看護師は患者の重大な変化に気付かず、漫然とした報告を繰り返したが、医師は看護師の不正確な報告に頼り、自ら行うべき病状確認を行わなかった。このため、患者の病状の変化に対応した治療的介入を行う事もなかった。:才口意見


5)、プラセボ効果判定を行わず漫然と継続した

渡邊朋之医師は12月1日にアキネトン1ml筋注を生食1ml筋注に代えるプラセボ試験を実行したが、一度も患者の状況を確認せず、1回限りのMY看護師の「プラセボ効果あり」という報告を信じて、漫然とプラセボ試験を続行し、試験を終了する時期を判断することもなかった。:才口意見


6)、診察拒否と医療放棄

複数の向精神薬を同時に突然中止し、同時にプラセボ試験(ニセ薬投与)を行っておれば主治医は患者の病状の変化を頻繁に診察する義務があるが、経過観察を行わないばかりか、患者からの診察要請に応えず、あろうことか診察拒否を行った。看護師は誰も患者の顔面を正視した看護記録を残しておらず、いわき病院は野津純一氏に対して医療放棄の状態であった。:才口意見


7)、結果予見性と結果回避可能性

精神科医療を行う病院と主治医は治療方針変更に伴う患者の病状の変化に結果予見性を持ち、きめ細かな患者観察に基づいて、自傷他害行為の既往歴などから結果回避可能性を持ち、患者を病状の悪化や異常行動から守らなければならないが、患者観察を行わず、治療的介入も行わなかった。:島田意見、才口意見


8)、いわき病院と主治医の責任

いわき病院には野津純一氏と言葉を交わし何でも話せるスタッフがいなかった。野津純一氏は「薬を整理しましょうと一方的に院長が決めてから調子が悪い」と言っていた。本人は「先生に会いたかった(相談したかった)」が、渡邊朋之医師は病状が悪化するはずがないと思い込んでいた(地裁、第2準備書面p.1 、第4準備書面p.7、第8準備書面p.2)。渡邊朋之医師は主治医であるにもかかわらず、野津純一氏の度重なる診察要請を拒み続けた。更にいわき病院の看護師は、事件後に血だらけで帰院した野津純一氏の様子や行動の異変に気付かず、25時間病院内に居たにもかかわらず顔面の根性焼きを発見しないほど、入院患者に対する関心を持たなかった。いわき病院は、野津純一氏に異変や異常を病院が発見していないことを、野津純一氏に自傷他害行為の危険性が迫っていなかった証拠とするが、本質は医師も看護師も患者観察義務を果たさなかった、医療と看護放棄である。:島田意見、才口意見



5. 過失免責の歴史と渡邊朋之医師の医療水準

日本の精神医療の水準が世界的標準から比較すれば遅れていることは明らかである。本件裁判を通して、日本の精神医療の発展を阻害する医療側及び司法側の課題が浮き上がってきた。いわき病院は英国の事例を多用して自己弁明を行ったが、英国であれば医師失格の人間で、かつ精神医療の水準にも達しない医師が精神保健指定医の資格を与えられ、向精神薬の常識がない医師でも精神科医療を行っていた。

いわき病院長渡辺朋之医師のような錯誤した診療が誰からも批判もされず、その結果何が起こっても責任も問われず、精神病院協会お抱えの弁護士や司法精神医学と精神薬理学の実績がない内科薬理学の権威までにも「無責任に」擁護してもらえる実態がある。自らは適切でない医療を不誠実な態度で行うが、「いわき病院の医療に過失責任を追及することは、日本の精神科開放医療を破壊する事」と主張した姿勢と論理は正義ではない。



6. 「開放医療」は免罪符ではない

いわき病院は素朴にも「精神科開放医療」を免罪符のキーワードにしているが、「開放医療は入院形態や病状に関係なく、患者の好き放題に勝手に行動できる」というものではない。それは無責任な精神科医療である。

野津純一氏は任意入院であっても、入院(治療)している以上は「何らかの(行動)制限」、例えば「院内諸規則を順守すること」を含め、「自宅とは異なる」環境に置かれていたことは明白である。いわき病院が野津純一氏に単独外出を許可したという事実は「それが可能である」、すなわち「自傷他害の恐れがないという予見性」という精神科医療機関・精神医療専門家として判断した合理的な理由が存在していなければならない。その前提を元にすれば「殺人を行うなど予見できなかった」という言葉は出るはずがない。いわき病院の弁明で、いわき病院の「杜撰さ」が浮き彫りになったのであり、精神科医療のアンタッチャブル性を巧みに利用した不誠実な弁明である。

今日では世界の常識として達成された精神科医療では普通に可能なことである。日本国内ではこの様な不誠実な弁明を法廷が無批判に容認してきた事から、日本の精神医療の荒廃が促進されたと言える。精神障害者の自由と精神科開放医療は法秩序の下にあり、無責任な放縦ではない。

いわき病院の渡邊医師は、精神保健及び精神障害者福祉に関する法律(精神保健福祉法)に基づく精神保健指定医である。同法第36条に基づけば、精神科病院の管理者は任意入院者を含めて指定医が開放処遇の制限を行うことができるが、いわき病院と渡邊朋之医師は向精神薬の突然の同時中止という重大な誤りを犯したまま経過観察をせず、患者の診察要請も拒否し、ほったらかしの状態で外出させた。予見可能性があるかどうかを論じる以前に、精神科病院として予見可能性を捨てた恐るべき責任放棄である。



   
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