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高松高等裁判所平成25年(ネ)第175号損害賠償請求事件
いわき病院の精神科医療の過失


平成27年3月2日
控訴人:矢野啓司・矢野千恵
inglecalder@gmail.com


4、いわき病院の法的過失責任


1. 北陽病院事件裁判

矢野真木人殺人事件は被控訴人いわき病院から外出中の入院患者による第三者殺人事件である。先例は静岡養心荘事件(静岡地裁昭和57年3月30日判決(昭和52年(ワ)第134号)、(判時1049号1頁、判タ471号158頁)、1989年6月、別冊ジュリストNo.102、P.98)、及び岩手北陽病院事件(平成8年9月3日、最高裁判所第3小法廷判決、平成6年(オ)第1130号、平成6年2月24日、東京高等裁判所判決、平成5年(ネ)第2430号、平成4年6月18日、横浜地裁判決、平成1年(ワ)第676号)であり、共に病院側の過失賠償責任が認定された。


1)、北陽病院よりいわき病院の責任は重大である

いわき病院は、本件裁判に望む最初の主張として、地裁第1準備書面(平成19年2月7日)を提出したが、最高裁平六(オ)1130号、平8年9月3日、第三小法廷判決で上告棄却された北陽病院の上告代理人HN、同NM、同HI、同KM、同KTの上告理由と酷似している。

いわき病院代理人は「北陽病院事件は本件の先例とはならない」と主張してきたが、地裁第1準備書面は、いわき病院が北陽病院事件といわき病院事件の事件内容に類似性があると認識していた事実を示す。北陽病院事件最高裁上告理由書は、病院外における入院患者による通り魔殺人事件の発生と病院側の過失責任を結ぶ、法的評価に関する病院の主張を述べたものであり、最高裁(平成8年9月3日、最高裁判所第3小法廷判決、平成6年(オ)第1130号)はこの上告理由を検討した結果「上告棄却」と判決した。

北陽病院事件では措置入院患者が病院から集団外出中に脱走して盛岡から横浜に移動して4日後に通行人の警察官を刺殺した。北陽病院は治療内容の責任は問われていないが、外出中の管理義務に責任を問われて過失責任が確定した。いわき病院は治療内容と治療放棄が問題であり、なおかつ事件発生は病院から外出許可の直後であった。いわき病院は北陽病院より責任重大である。


2)、最高裁判決を密かに欺く行為

本件裁判で、いわき病院側が提出した地裁第1準備書面(平成19年2月7日)は、北陽病院事件で病院側代理人が最高裁上告理由として棄却された殆どの内容を同様に主張した。最高裁判決で論理が否定されていたにも拘わらず、相当因果関係の証明を北陽病院事件判決以上に詳細な条件を付して行うことを要求した。いわき病院代理人は北陽病院の代理人でもあったが、本件裁判で第1準備書面を提出するに当たって、既に最高裁で主張して棄却された論理であることに言及した事実は無い。また、最高裁が棄却した理由に該当しないという説明も行われていない。これは最高裁判決を密かに欺く行為である。

いわき病院が選任した代理人は日本精神病院協会の顧問であり、精神医療裁判をこなす熟練弁護士である。最高裁で棄却された主張を、そのことに言及せず使用して、しかも病院の過失に関する相当因果関係を認定する判断条件を困難な方向に転換することを意図し、最高裁判決を否定した行為である。最高裁判断を、それと言及することなく変更しようとする訴訟姿勢は公正ではない。



2. 法廷恫喝とサボタージュ宣言

いわき病院は地裁第1準備書面で以下の通り主張したが、同じ主張を北陽病院も上告理由書で行っていたが、最高裁は棄却していた。

もし、裁判所が事実の認定および事実に対する法的評価を誤り、精神科医が具体的に予見できないことについてまで、予見が可能であったと公権的に判断してしまうならば、精神科医は、具体的治療行為の過程において、自らの医学的判断に疑心暗鬼となり、精神科医としては仮に重大な結果を全く予見できない場合や、また予見できても具体的にではなく危惧感の程度であるに過ぎない場合であっても、結果に対する責任追及を回避するために、いかに国際的批判の対象となろうとも、また、患者の社会復帰にいかにマイナスであろうとも、患者に対する管理を強化し、閉鎖的な病棟内治療を中心とし、開放療法を控え、精神病院に患者を拘束することが適当であるとの判断に傾かざるを得ない。

この主張は裁判所に対する恫喝である。また、「予見可能性があるとして精神科医師に過失責任を認定する判決が出れば、精神科医師は自信とやる気を無くす。また、精神科開放医療に伴う患者の他害行為を少しでも避けるために、国際批判があっても、患者の社会復帰にマイナスであっても、精神病院に患者を拘束するようになる。それでも良いのか」という精神科医としての責任を放棄するサボタージュ宣言でもある。「医者が言うことには従いなさい」という恫喝である。

精神科病院側が代理人の声を通して裁判官に対して「精神科開放医療者のサボタージュ宣言」を行うことは許されない。健全な精神科医療の発展を期待するならば、真摯な法廷議論を行うべきである。いわき病院の不誠実な精神科医療を恫喝の論理でいわき病院が弁明することでは、日本の精神科医療が改善して、国際的信頼を獲得することにはならない。当然のことであるが、最高裁はこの様なサボタージュ宣言を棄却した。

いわき病院で現実に発生したことは、上述のサボタージュ宣言が実現した状態である。本件裁判では、いわき病院と渡邊朋之医師の、精神科医療を真面目に勉強しない、誠実な態度で精神科臨床医療を行わない、お粗末な現実を指摘している。渡邊朋之医師が野津純一氏に対して行った医療は精神科医療とは名ばかりの不適切な行為である。また、いわき病院の弁論には「開放医療の大義名分があれば、患者が病院の外で殺人することは容認される」という認識がある。この主張は空恐ろしい程の人権侵害である。



   
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