高松高等裁判所平成25年(ネ)第175号損害賠償請求事件
いわき病院の精神科医療の過失
2、精神医学に関する鑑定論争
5. デイビース医師団鑑定意見
1)、デイビース医師団はSSRI抗うつ薬研究では国際的最先端研究グループ
デイビース医師団鑑定人は精神薬理学特に本件裁判で問題となっているSSRI抗うつ薬及び抗精神病薬の研究では国際的最先端研究グループとして実績を上げてきた、またデイビース医師団の各鑑定人は各々が権威ある国際研究誌の編集者である。その上で、今回はNS鑑定人(精神科臨床医師、医学博士、精神薬理学)が、日本側のパートを分担して、日本の臨床薬理学研究及び臨床医療との整合性を確保した鑑定意見を提出した。
デイビース医師団はUD鑑定人が証拠や文献を提出せずに「英国の事例」とした主張を、根拠と論理を明確にして否定した。いわき病院が推薦したUD鑑定人は精神医学及び精神薬理学の専門家ではなく、デイビース医師団鑑定人及びNS鑑定人と対抗し得る精神医学的見識を有していない。いわき病院が推薦したUD鑑定人は地裁のIG鑑定人の精神薬理学的意見を否定して、プロピタンに関するIG鑑定意見を無効とした。そのUD鑑定人の鑑定意見はSSRI抗うつ薬パキシルの三環系抗うつ薬アミトリプチリンとの Cross tapering の論理及び抗精神病薬プロピタンの抗妄想幻覚作用に関する認識は錯誤である。いわき病院は精神薬理学論争で敗退した。
2)、パキシル20mgを三環系抗うつ薬10mgに変更しても鎮静化できない
UD鑑定人は「パキシルは三環系抗うつ薬に変更して鎮静化されており突然の中止ではない」と主張したが、薬理学的に非現実論で、完全な間違いである。パキシルは主としてセロトニン系に影響を及ぼしており、パキシルのセロトニン・トランスポーターとの結合力(セロトニン処理量)はアミトリプチリンと比較すると、3/0.08=37.5倍である。更に世界保健機関(WHO)の日量投薬量換算表(http://www.whocc.no/atc_ddd_index/)に基づけばパキシル20mg/日はアミトリプチリン75mg/日に相当する。それゆえ、パキシル20mg/日に対して用いられたアミトリプチリン10mgは換算量で1/7.5である。これに基づいて計算すれば、7.5×37.5=281となり、パキシル20mgはアミトリプチリン10mgと比して281倍のセロトニン・トランスポーター機能を持つことになる。本件のように、薬剤を他に置換する場合に影響度が0.004しかなければ、アミトリプチリンがパキシル中止の影響度を緩和する効果は無視できる水準であった。アミトリプチリンがわずか1/281のセロトニン・トランスポーター機能しか持たないのであれば、処方変更は中断症候群に抑制効果を持たない。また、国際的に承認・使用されているガイドラインに基づけば、パキシルの突然中止は避けるべきである。
3)、パキシル処方量は少なかったは間違い
デイビース医師団鑑定人は、強迫性障害(OCD)の場合はパキシル投薬量の増加が必要になる状況があると承知するが、パキシル20mgで十分な生物活性があり、薬量を増加しても必ずしも改善するとは限らない。UD教授が主張した「パキシル20mgは、中止時の中断症候群が発生するには至らないほど少ない投与量である」との見解は間違いである。一般的にパキシル20mg/日量はうつ症状に対する最適投薬量として広く認められており、パキシルを用いた治療において一般的な投与量の指標でもあり、十分なパキシル投薬量である。最も重要な点は、パキシル中断症候群はパキシル20mg/日量の突然の中止に関して幅広い報告が行われており、プライスらの報告では、主治医からパキシル中止後に中断症状が報告された患者430人を調査したところ、73%の患者は中止前に20mg/日量を最終投薬量としていた。結果として83%の患者は最終投薬量が20mg/日かそれより少ない量で中断症状を呈していた。これらの事実(エビデンス)はUD教授の「20mg/日量は少ないので中断症状を引き起こすことはない」という鑑定意見に反している。
4)、パキシル中止に係る時間的な問題
UD鑑定人のパキシル中止後の経過に関する意見に間違いが2点ある。
第1点は、UD鑑定人は半減期を5回過ぎれば(製薬会社のデータに基づけば3日後から5日後となる)中断症候群の発現はないとしている点である。内科のUD教授が日常的に取り扱う薬剤に関してはこの意見は正しいであろうが、エビデンスに基づけばパキシルには該当しない。プライスらの161例での調査では、4日後の時点で14%が、更に1週間後でも7%でパキシル中断症候群が始まっていなかった。
第2点は、パキシル中断症状は平均持続期間が8日であり、多くの場合さらに長期間持続する。パキシルの突然中止は中断症状が発現するための必要条件である。しかし、一旦中断症状が起きた場合には、パキシルが3〜4日間で体内から排泄されることと中断症状の発現時期との関連性は限定的である。中断症状の持続期間は、パキシルの体外排泄に要する期間と関連性はない。
野津純一の事例に関連して、デイビース医師団鑑定人がプライスの報告の後の1996件のデータに基づいて推計したところ、パキシル中断症状は中止後2日から5日後(11月25日〜28日)に発現する可能性が最も高く、12月6日(8〜12日後)の殺人事件日はプライスが報告した中断症状の継続中期に相当する。それ故、本件の殺人事件の発生に蓋然性がある。また、野津氏が失望した状況は必ずしも殺人事件の当日が最初であったと考える必然性もない。11月23日の処方変更後から12月6日までの間の医療的接触が少なかった事実があるため、デイビース医師団鑑定人はこの期間にどのように野津氏の状況変化があったかについて具体的に知ることができない。しかしながら、極めて強い水準のパキシル中断症状が12月6日に先だって発症していたことは確実であり、直前の状況が野津氏の精神症状の悪化を招いていたはずである。
パキシル突然中止に伴う問題は、抗精神病薬の中止と同時であった。パキシルと抗精神病薬の同時中止は患者に対して累積的な影響を及ぼし、この影響は以下の通りとなる。
パキシル中止による中断症候群
+パキシル治療中断による再燃症状
+抗精神病薬の中止による統合失調症の再燃
5)、UD教授の「(プロピタンの)中断症状の報告はない」は間違い
抗精神病薬中止に関して、野津純一氏に「治療の中断による精神症状の悪化による再燃(リバウンド)があった」。UD教授の「(プロピタンの)中断症状の報告はない」の見解は間違いである。精神症状歴がある患者に抗精神病薬を中止すれば治療効果が失われ、精神症状が悪化する。また、UD鑑定意見のプロピタン150mg/日量は極めて少量の投薬量であるとする意見に同意しない(WHO世界保健機関に基づけば、プロピタン150mg/日量はハロペリドール6mg/日に相当し、薬理学的に重要な投薬量であり、抗ドーパミンD2受容体占有率に基づく適正な生物学的効果を達成するに十分な量である)。
6)、パキシル中止による「中断症状」と「反跳・再燃症状」
UD鑑定人の決定的な問題はパキシルを中止することにより、「中断症状」と「反跳・再燃症状」の2つの機序により、治療中であった病状が悪化するという点にある。パキシル中止と殺人事件の発生までの13日間は、この2つの機序が野津氏の精神症状に変化を起こすには十分な時間である。これらの機序が作用している時に、時を同じくして抗精神病薬も中止されると、患者が誰であっても、治療目的とは逆に精神状態の悪化が引き起こされる危険が高くなる。野津氏が暴力的な手段で見知らぬ人を含む他者への危害行為を行った幅広い行為履歴を有している事実を同時に考慮すれば、野津氏が13日間にわたり治療的介入を受けず、病院を出て自分の意のままに市民と関わることが出来る状況をいわき病院が許したことについて妥当性ある理由はない。
7)、Cross taperingに関する理解間違い
UD鑑定人の「Cross tapering は適切に行われた」という見解は間違いである。Cross tapering 手法を導入するには、最初の薬剤は緩徐か漸次的に中止されなければならない(それにより、一時的に1回以上の最初の20mg/日量より少ない中間的な段階がある)。モーズレー精神医学ガイドライン(英語圏諸国の権威ある臨床薬理学教科書)に基づけば、「抗うつ薬を6週間以上の期間投薬された患者には特段の重大な有害事象が発生しない限り突然中止してはならない。抗うつ薬を変更する場合は、突然の中止を避けなければならない。Cross tapering を行う場合には、効果が低いか薬剤耐性が低い薬剤量を徐々に削減して、同時に代替え薬をゆるやかに増量する。」と説明がある。
アミトリプチリンの導入が本当にCross tapering を目的として行われたのであれば、アミトリプチリンを10mg(パキシルの7分の1の効果であり)から治療効果がある75mg以上に速やかに増量するべきであったが、殺人事件に至るまでアミトリプチリンの増量は試みられた形跡はない。Cross tapering の第1定義(突然中止せず、漸減する)は明らかに無視されていた。アミトリプチリン投与は第2定義(緩やかに開始し、徐々に増量して中止を行う薬剤の治療薬用量に見合う量にまで到達させる)に適合しない。いわき病院が行った手法はCross tapering の定義から逸脱し、パキシルは突然中止されており、野津純一氏に対する治療は Cross tapering と言えない。
8)、抗精神病薬の基本薬用量に関する理解間違い
UD鑑定人はプロピタン(ピパンペロン)(150mg/日量)は、ハロペリドールの最低薬用量3mgの半量であり、極めて少量の投薬量であると主張したが、換算係数を間違えている。WHOデータベースはハロペリドールの経口薬用量DDD(確定日薬量)を8mg、対するプロピタンのDDD(確定日薬量)を200mgと定義しており、プロピタン150mg/日量はハロペリドール6mg/日量と同一である。これは、UD鑑定人が主張したハロペリドール(適用範囲:3mg−6mg/日)の最大量と同量である。
生物学的にハロペリドールの日量4mgはドーパミンD2受容体拮抗作用の最適量を達成する値であり、国際的に承認された基準に基づけば、プロピタン150mg/日は比較的高い投薬量であり、同等の換算値となるハロペリドール6mgはドーパミン受容体拮抗作用最適量よりは過剰な値である。UD鑑定人が11月23日までのプロピタン投薬量150mg/日は極めて少量であると主張したことは、法廷を欺くものである。
9)、野津純一氏の精神状態を不安定化させた要素
UD鑑定意見の「プロピタンの薬理特性および処方量からすれば、本件プロピタンによってパキシルの離脱症状を抑制する効果を期待すること自体がそもそも正しくなく、プロピタン中止がパキシルの離脱症状を増悪させたことを示す臨床薬理学的証拠は全くない。」は間違いである。精神医学が専門ではない薬理学者のUD鑑定人は議論の本質を見失っている。野津氏の精神状態をより不安定化させた要素が問題である。
デイビース医師団鑑定人は、神経症状を不安定にさせる独立した各要素が、暴力的行為が発現する危険性を加算的に増大させたことを指摘する。事件に関連した各要素は、生物学的にも、薬理学的にもお互いに関連性を持たないが、暴力行動が発現する危険性は累積的に亢進し、抗精神病薬の中止により精神病症状を制御できる可能性が低下して危険性が累積的に拡大した。パキシルの中止による中断症候群の危険性、再燃する危険性、強迫症状と不安症状の増大、また、同時にうつ症状が再燃する等の危険性が増大した。プロピタンとパキシルの両方を同時に中止して、双方の危険性が同時に発現した。暴力行動が複合的に発現する危険性は、各要因が薬理学的に重複するしないにかかわらず増大した。野津純一氏の、精神疾患で他者に行った激しい暴力行為の履歴は、今回の事件で本人が暴力行為を行う危険性を増大させた要因である。
野津純一氏に行動の異常を亢進した要因
- パキシルの突然中止(中断症状が発現する危険性を高めた)
- パキシル中止で反跳(再燃)症候群の緩和に失敗した可能性がある
- プロピタン中止で反跳(再燃)症候群の緩和に失敗した可能性がある
- 患者と精神科医の間で顔を見る交流が不足した
- 危険性の増大に連動して患者の外出許可が見直されず、患者は自分が望んだ時にはいつでも病院から外出し、市民と交わることが可能だった
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