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高松高等裁判所平成25年(ネ)第175号損害賠償請求事件
いわき病院の精神科医療の過失


平成27年3月2日
控訴人:矢野啓司・矢野千恵
inglecalder@gmail.com


2、精神医学に関する鑑定論争

いわき病院は鑑定論争に日本の大学教授を持ち出せば有利に展開する、また医師の裁量権は大きいので、論理の自由度が高いと考えていると思われる。地裁でも高裁でも鑑定人論争はいわき病院側の提案により行われた。この鑑定論争では、地裁IG鑑定人は「英国の精神科開放医療の先例」を持ち出して、精神科開放医療を行っていたいわき病院に過失はないと主張した。またUD鑑定人は英国の研究や調査報告に言及して証拠文献を提出せずに、精神薬理学論争を切り抜けることを目指していた。英国の事例を持ち出せば、控訴人(原告)は知識を持たないので簡単に鑑定論争に勝てるという戦略である。その上で、いわき病院側の鑑定人は医学部教授であり、教授としての権威に基づいて、控訴人(原告)が推薦した鑑定人より権威がある鑑定意見であるという立場である。

そもそも、日本の大学教授が英国に言及したからとしても、その意見が根拠もなく正しいとして判決根拠とされることは間違いである。現実に、IG鑑定人は原告側のデイビース医師団から矛盾を指摘されて、苦し紛れに「ここは日本である」と回答したが、それは自らの鑑定意見に根拠が無いと主張したに等しい。しかしながら、地裁では日本の大学教授の権威に基づいて判決が行われたが、日本の裁判所としては、きわめて不合理な判決根拠の認定であった。本件裁判には、英国、カナダ、オーストラリア及びスペインの精神医学者が鑑定人として参加しており、国際的に通用する論理が求められる。


1. 地裁IG鑑定人の事実誤認

IG鑑定人が地裁に提出した最初の鑑定意見書(平成23年7月29日付)は基本的に英国の精神科開放医療に関連した論文に主張の根拠を依存していた。ところが控訴人(原告)が推薦したデイビース医師団鑑定人からのリスクアセスメント(結果予見性)とリスクマネージメント(結果回避可能性)に関連した反論にあうと、「ここは日本である」と逃げた。日本の特殊性を論じるのであれば、最初から英国の事例を鑑定意見で例示して主張したことは間違いである。学者として何を正しいと信じて論じるかという普遍性を持たない、逃げの姿勢が前面に出た鑑定意見であった。

いわき病院が推薦した地裁IG鑑定人は、前提として「根性焼きのような、原告と病院側の間で事実認定に相違がある問題は鑑定しない」と宣言した。鑑定は12月5日にMO医師の診察があったとしたが、診療録記載はプラセボ1ml筋注ではなく生食20mlのレセプト承認であり、野津純一氏を治療した記録ではない。地裁判決は、100円ショップレジ係の目撃などから「根性焼きが事件前に有った」と認定した。しかし地裁判決は「鑑定人が生食20mlとプラセボ1mlを(わざと?)錯誤したこと」を根拠にして、「いわき病院は根性焼きを見逃したわけではない」と結論したが、この判決文は「MO医師は12月5日に野津に根性焼を見つけたが言わなかっただけ」と同義である。もし判決通りであるならいわき病院は本件訴訟直後からMO医師に根性焼が12月5日にあったか否かを証言させたはずであるが、過去9年間の訴訟中に尋ねた痕跡はない。そもそも、IG鑑定人が鑑定意見を提出する前提として「根性焼きは鑑定しない」とした根性焼きに関連して、IG鑑定意見を根性焼き見逃しに関するいわき病院の免責根拠としたことは、地裁判決の論理的な逸脱である。地裁判決はIG鑑定意見の事実誤認を上塗りした。


2. いわき病院は自ら地裁判決を否定した

高裁でいわき病院が推薦したUD鑑定人は、【鑑定意見】の「(2) プロピタンの中止は本件における殺人事件と関連しない」の項で、「本件において野津純一に処方されていたプロピタンは、中止から1、2日で体内から消失したと考えるのが妥当」と鑑定した。地裁でIG鑑定(1)(乙B第15、P.18)は「プロピタンが中止されて2週間が経過した本件殺人事件の時点においても、その薬効が残存していた可能性は十分ある」と鑑定した。が、両鑑定人の鑑定意見は矛盾している。この場合、IG鑑定意見の後からUD鑑定意見を提出した事実に基づいて、いわき病院はIG鑑定意見を否定・訂正したことになる。双方の鑑定意見に矛盾がある場合、先に提出されたIG鑑定意見が、法廷参考鑑定意見として棄却される。従って、IG鑑定意見を根拠にしてプロピタンの薬効が持続していたとした地裁判決は根拠を失った。

いわき病院が、高裁第2準備書面(P.10〜13、2 プロピタンの中止について、平成26年5月12日付)、及びUD鑑定意見で繰り返してIG鑑定意見を否定した。いわき病院は確定意思として、高裁第2準備書面とUD鑑定意見書で、地裁判決を否定した。その上で、UD鑑定人はプロピタンのハロペリドール換算値を誤認(WHOデータベースから逸脱)して、プロピタンの有効量を間違えた。投与したプロピタンは有効量で、野津純一氏はプロピタンが突然中止されて薬効が失われ、統合失調症の治療が中断した状況で、アカシジアが再発して、根性焼をしても激しいイライラや手足の振戦は治まらず、通り魔殺人を行った。UD鑑定人は医学部大学教授であるが、精神薬理学に関して基本的な理解不足と錯誤があり、UD鑑定意見を基礎にした判決を行う事は事実誤認になる。


3. UD鑑定意見

UD鑑定人は自らの主張の根拠となる論文を提出できていない(下記の1)〜3))。仮に、UD鑑定人がこれから根拠論文を提出する場合には、NS鑑定人とデイビース医師団により、内容確認を行う事が必須の要件である。論文を提出すればそれで本件の議論は終わりとはならない。控訴人側は鑑定人も含めて、そもそもUD鑑定意見は錯誤であると指摘してあり、改めてUD鑑定人の論理を再検討する必要がある。間違いの論理を根拠にして渡邊朋之医師は医師の裁量権を主張することはできない。


1)、UD鑑定人は Cross tapering に関して文献や資料を提出できない

いわき病院が推薦したUD鑑定人はSSRI抗うつ薬パキシルの突然中止に関連して、「三環系抗うつ薬のアミトリプチリンで Cross tapering したので問題がない」、また「突然中止は英国の調査で問題がないと報告されている」との鑑定意見であるが、根拠の文献や資料を提出できない。従って、Cross tapering に関連して以下の論点が確定した。

i)、 UD鑑定人が鑑定意見とした“Cross tapering”手法には根拠が無い。
ii)、 UD鑑定人の“Cross tapering”手法に関する鑑定意見は間違いである。

2)、UD鑑定人はパキシル離脱症候群に関する文献や資料を提出できない

UD鑑定人は、「英国の調査では,パキシルの離脱症候群と思われる症状は平均して2日で出現し,ほぼ10日で消失すると報告されている。」と言及したが、「英国の調査」を報告できない。従って、パキシル離脱症候群に関連して以下の論点が確定した。

iii)、 UD鑑定人の「パキシルの離脱症候群と思われる症状は、平均して2日で出現し、ほぼ10日で消失する」に関する鑑定意見には根拠が無い。
iv)、 UD鑑定人の「パキシルの離脱症候群と思われる症状は平均して2日で出現し,ほぼ10日で消失する」に関する鑑定意見は間違いである。

3)、UD鑑定人はパキシル20mg/日量に関する文献や資料を提出できない

UD鑑定人は「パキシルの中止に関しては離脱症候群の発症が警告されているが、本件では、投与量が20mgで強迫性障害では承認用量の半量という低用量で、中止に際しては“Cross tapering”の手法を用いていること等から、離脱症候群が発生した可能性は低いと考えるのが相当である」また引き続いて「本件では離脱症候群が生じたとしても低用量であることを考慮すれば、11月23日から同月25日の間であり、むしろ殺人事件が発生した12月6日の時点では離脱症状は消失していた可能性が高い」と主張した。

UD鑑定人の主張は「パキシル20㎎/日量は、低用量なので中断症状(離脱症候群)を引き起こすことはない」となる。しかしながらUD鑑定意見が正しいことを臨床的に証明する証拠論文は提出されていない。大学教授が鑑定すれば正しいのではない。


4)、UD鑑定意見は的外れ

UD鑑定人は【鑑定嘱託事項】に基づけば「控訴人が質問しないことを控訴人の質問として、それが非現実的な質問であるとして答えている」にすぎない。UD鑑定人は「具体的には、平成17年11月1日から12月6日(事件当日)までの経過につき、控訴人側の主張は」と前提を置いた。ところが、控訴人は平成17年10月26日(渡邊朋之医師は薬剤師の「野津は統合失調症という認識を、強迫症状が強いとたしなめた」が、同意しない薬剤師が離反した)から平成18年1月10日(レセプト請求でパーキンソン病をパーキンソン症候群に変更して渡邊朋之医師の誤診を訂正して申請した)までの期間を特定して指摘しておりUD鑑定人とは異なる。UD鑑定人が控訴人の意見として特定した期間はいわき病院控訴審第2準備書面(4 本件における薬剤中止(平成17年11月23日)前後の野津の状態、P.15〜27)の記述に基づくことは明白であるが、UD鑑定人は、鑑定報告書の論理的な基礎として、11月23日に実行した薬剤中止が重要な転換点であると認めたことは重要であり双方が一致した。その上で、控訴人側と被控訴人側の相違点は、「(薬剤処方変更が)本件殺人事件を発生させた確定的な原因となり得たか否か」である。

【鑑定嘱託事項】

控訴審で争点となっている本件患者野津純一への処方のうち、11月23日以降のパキシル、プロピタンの中止と本件殺人事件発生の関連について 具体的には、平成17年11月1日から12月6日(事件当日)までの経過につき、控訴人側の主張は、概要、パキシル1日20mg、プロピタン1日150mgの継続処方が、11月23日に全て中止されたことにより、以下の機序により、本件殺人事件が発生したというものである。

  1. パキシルの離脱症状が発現し、イライラ・興奮が亢進して、約2週間後に殺人事件に至った。
  2. プロピタンの中止により定期処方の抗精神病薬がなくなったことにより、患者の幻覚妄想が抑制できなくなり、パキシルの離脱症状としての興奮等も抑制できず、中止から2週間後に殺人事件に至った。

そこで、本件について、主治医である渡邊医師が、患者野津純一に対する処方につき、パキシルとプロピタンを同時に全て中止し、他に定期的な抗精神病薬の処方をしなかったことが、本件殺人に関係したか否かを、臨床薬理学的見地から鑑定するように求められた。

UD鑑定人が特記した下記の2項目は控訴人矢野が主張したことではない。

いわき病院が控訴人の主張とした設問
  1. パキシルの離脱症状が発現し、イライラ・興奮が亢進して、約2週間後に殺人事件に至った。
  2. プロピタンの中止により定期処方の抗精神病薬がなくなったことにより、患者の幻覚妄想が抑制できなくなり、パキシルの離脱症状としての興奮等も抑制できず、中止から2週間後に殺人事件に至った。

いわき病院はパキシルとプロピタンの各々に関して「中止から2週間後に殺人事件に至る」を高度の蓋然性で証明しろと控訴人に請求しているに等しいことである。そもそも高度の蓋然性でも、常識論でも「2週間後に殺人」という必然の論理はない。これらの向精神薬を同時または個別にでも中止された患者は普通病状の悪化が見られるが、必ず殺人行動を引き起こすものではない。過去に暴行歴を有する患者の中に、病状に関連して暴力行動に至る患者はあり得る。それでもほとんどの患者は「中止から2週間後に殺人事件に至る」ことはない。ごく一部に、その衝動的な可能性を持つ患者がおり、野津純一氏に該当した。しかし、そもそも患者の病状をきめ細かく経過観察して、病状の悪化に対応しておれば、患者の暴力行動を未然に防止することは可能であり、殺人事件は発生しない。本件質問はいわき病院と渡邊朋之医師の医療放棄に目隠しをして、論理的に責任を控訴人に押しつけるものである。

控訴人矢野は「パキシルを添付文書の指示に従って徐々に減量して、経過観察と治療的介入を行っていたら、殺人事件の発生を効果的に抑制できた」と主張している。また、「プロピタンの中止で2週間後に自動的に殺人事件が発生することもない」。問題の本質は、いわき病院の医療放棄である。

控訴人の主張を極論と本質ではない内容の鑑定人に対する設問に言い換えて、問題の本質を覆い隠し、木を見て森を見ずの方向に判決を誘導するいわき病院の手段に眩惑されてはならない。「重大な処方変更後に主治医が自ら経過観察を行わない治療放棄」という本質を見誤ってはならない。控訴人の意見を言い換えて控訴人を批判するいわき病院代理人の手法に乗せられたことはUD鑑定人の責任である。この問題設定の非現実性に、UD鑑定人が気付かないところが問題である。


5)、「10人中7人までの殺人を容認する高度の蓋然性」の論理とUD鑑定意見

いわき病院は「十中八九(80〜90%以上の確率で殺人)の高度の蓋然性」という主張を持ち出して、殊更に困難で、現実的でない条件を頭の中で創りあげて「原告は因果関係を証明できていない」との主張を繰り返した。それは上記4)の1.と2.の因果関係を「原告は80〜90%以上の確率(高度の蓋然性)で証明せよ」と言うに等しい。

精神科医療ではそのような高度の確率でも低い確率でも必ず殺人の結果をもたらす向精神薬は承認されない。いわき病院は精神という多様性を相手にする精神科医療では非現実的な高度な確率値(80〜90%以上)を持ち出して、「自動的に発生する患者の病状の変化があり、臨床の観察と医療的介入を行っても行わなくても、高度の蓋然性に基づく因果関係で殺人事件が発生するが、控訴人は証明できない」と主張をしているに等しい。

パキシルの副作用に関連して、いわき病院が提出したパキシル・インタビューフォーム(乙B第22号、2011年8月)のVIII.安全性(使用上の注意等)に関する項目の8.副作用(p.32〜35)によれば、臨床試験の総症例1,424例中で何らかの副作用が報告された事例は975例(68.5%)で、この割合は70%未満であり、いわき病院が主張した「高度の蓋然性の基準」に達していない。更に、重大な副作用に関連して、1)セロトニン症候群(1%未満)、2)悪性症候群(1%未満)、3)錯乱、幻覚、せん妄、痙攣(1%未満)である。パキシルの副作用は高度の蓋然性の水準に達していないから無視して良いのではない。更に、重大な副作用はわずか1%未満なので診察を免除されるのでもない。添付文書に記載されている意味は、極めて低い副作用であっても、慎重に経過観察する必要性を明記しているのであり、従って医療上の重大な事実であり診察義務が課される。また、そもそも「重大な副作用」に「殺人」という非常識な項目は記述されない。


6)、いわき病院が設問した目的

いわき病院が鑑定人に質問したことは実質的に「パキシルを突然中止しても2週間後に殺人事件に至ることはない」また「プロピタンを中止しても2週間後に殺人事件に至ることはない」、そして「控訴人の非常識を指摘して下さい」という論理である。そもそもパキシルとプロピタンは高度の蓋然性で殺人事件を引き起こす危険な薬剤ではないが、使用上の注意を間違えれば、極端な場合には患者に殺人等の行動の異常が発現する事がある。ところが、いわき病院はパキシルを Cross tapering したので突然の中止ではない、プロピタンはそもそも薬効が弱く抗幻覚抗妄想作用が強くないので中断症状は無く2週間後の殺人はあり得ない、だからいわき病院に責任は無いという論理である。デイビース医師団鑑定人によれば『UD鑑定人は「控訴人は投薬管理だけで殺人事件を発生させるだけの力があると考えている」という質問を設定して自ら回答した。』のである。しかし、UD鑑定人に間違いの課題を設問したのはいわき病院である。いわき病院は本設問で経過観察と治療的介入から裁判官の関心を逸らせることを意図した。



   
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