高松高等裁判所平成25年(ネ)第175号損害賠償請求事件
いわき病院の精神科医療の過失
■ はじめに
1. いわき病院の相当因果関係の論理と狙い
いわき病院は相当因果関係の関連で、「AならばB」又は「AなければBなし」(地裁第1準備書面、p.5)の論理で、容易にいわき病院に過失認定されない戦略である。
【Aならば=1対1対応で=B】又は【Aならば=高度の蓋然性で=B】
【Aなければ=1対1対応で=Bなし】又は【Aなければ=高度の蓋然性で=Bなし】
本件裁判の鑑定論争を図式化すれば「高度の蓋然性」又は「1対1対応」で以下となる。
【SSRI抗うつ薬パキシルを突然中止したら=高度の蓋然性で=2週間後に殺人する】
【抗精神病薬プロピタンを中止したら=高度の蓋然性で=2週間後に殺人する】
この論理はいわき病院が提出する最初の前提に操作があり「Aならば」の「Aの設定に」作為がある。論理の帰結が決定的ではない想定問を持ち出して、あたかも自明の論理的な結論であるように見せるごまかしのレトリックである。
いわき病院は鑑定論争で「SSRI抗うつ薬パキシルの突然中止」ではなく、三環系抗うつ薬アミトリプチリンで Cross tapering した。また、「抗精神病薬プロピタンを中止した」が、プロピタンはそもそも薬効(抗幻覚抗妄想作用)が弱い。従って中止後2週間で殺人することはない。すなわち、殺人事件が発生する条件に達しておらず、そもそも2週間後の殺人など想定できない。従っていわき病院に最初から過失はないという論理である。しかし、治療薬承認の前提となる治験(臨床試験)では「2週間後に殺人する」という条件はないし、危険な治療薬は承認されるはずがない。向精神薬を投与や中止した後の病状の変化は詳細に観察して記録され、患者の病状が悪化する場合には、記録すると同時に治療的介入が行われ、殺人を行うまで観察を続けることはない。臨床医が向精神薬を添付文書等の指示に従わずに中止や変更する場合には、慎重な経過観察が必須であり、病状悪化があれば速やかに治療的介入を行う事が前提である。経過観察を問題にせず、あり得ない結論である「2週間後の殺人」を持ち出して、【架空の「AならばB」の論理】としたことが間違いである。いわき病院の過失は経過観察と必要な治療的介入を全く行わないところにある。Aならばの条件設定で言及せず隠した部分が重要である。
小さな異変を放置すればある時点で急激に大事故に発展する。それ故、主治医には診察義務がある。「殺人という大事故の予見可能性が80〜90%以上ではない」という理由で、患者の病状の変化を観察して確認せずに放置する論理は間違いである。経過観察と治療的介入を行えば、統計的に極めて希な殺人に至り得る極端な病状の悪化がある場合でも、経過観察に基づいた未然の対処が可能である。それが今日の精神科医療の水準であり、【A(薬事処方を変更した)ならば=高度の蓋然性で=B(2週間後に殺人する)】という展開は最初からない。あり得ない仮定と非常識な結論を持ち出して、あたかも真っ当に因果関係の議論をして、控訴人の意見を否定しているかのような偽装である。いわき病院は架空の議論で「控訴人(原告)は因果関係を証明できていない」と主張し続けてきた。
いわき病院は勝訴した地裁判決が有効であって欲しいと願っている、そのため、触って欲しくない論点(根性焼きを見逃した看護、10人中7人以下の比率で殺人を容認する高度の蓋然性の論理、経過観察を行わない医療放棄、薬理論争で根拠を提出できない、渡邊朋之医師の統合失調症ガイドライン無視と添付文書に無知等)がある。いわき病院は高裁審議では、論点隠しと、回答を避けた「しらばくれ戦術」等を行なっている。地裁は「プラセボ筋注を医師が行った経過観察の事実とした」が、実際には看護師が単独でプラセボ筋注を行い、医師は患者に問診・診察・記録をしておらず、誤判決である。いわき病院は患者を「見かけただけで診察した」と医師法違反の主張を行った。診療録に記載が無くても、地裁はいわき病院の主張を「診察があった事実」として容認した。いわき病院は自らの不始末に言及しないことで、裁判官が好意的に解釈して判決することを狙っている。
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