高松高等裁判所(平成25年(ネ)第175号)損害賠償請求事件
いわき病院事件裁判(平成26年8月1日法廷)の案内
平成26年7月16日
控訴人(原告)矢野啓司・矢野千恵
いわき病院事件裁判の高松高等裁判所法廷は争点整理を名目にして非公開で行われてきましたが、控訴人側の申し出により、平成26年8月1日(14時30分開廷)から公開で行われることになりました。いわき病院事件裁判では精神障害者の治療と社会参加を促進する精神科臨床医療、および、健常者と精神障害者に平等な法的権利を尊重する日本社会のあり方が問われており、より多くの皆様の傍聴をお願いします。精神科医療に関連する事件は、事件の社会的背景を社会が理解することで、より良い社会が実現できることになります。
通常の場合、法廷で参観しても法廷審議の内容を理解することは容易ではありません。このため、来る8月1日の審議内容を予想して、以下の通り解説します。
1、精神薬理学大学教授の鑑定意見書の提出
被控訴人(地裁被告)医療法人社団以和貴会(いわき病院)は平成26年5月20日の法廷で「一ヶ月を目処に精神薬理学大学教授の鑑定意見書を提出する」旨の表明がありましたが、7月16日の時点で鑑定意見書の提出はなく、現在でも作成段階にあると想定されます。
ちなみに、高松地方裁判所における審議でも、最初に予定された鑑定者の意見書提出は予定日の直前に「執筆者が病気になった」として提出されず、鑑定者が変更され、提出が大幅に遅れたことがありました。いわき病院が野津純一氏に対して行った精神科臨床医療は医学的また学問的常識からの逸脱と間違いが多くあります。それを弁護することは学者としての業績と良心に抵触し、学問的な名声を損なう可能性があると予想されるところです。
他方、いわき病院には大きな団体の協力があり、鑑定人として推薦される医学部精神科大学教授等の権威者に対する圧力も相当なものがあると想定されます。法廷では鑑定書を提出する精神薬理学大学教授のお名前が非常に重要であり、そのお名前だけでも裁判官に対する影響力は甚大でしょう。しかしながら私たち控訴人は精神医学的な真実と学者良心を問います。控訴人には日本側と英国側で多数の精神医学者おり、権威の横暴に対しては、学問的誠実性の観点から反論を行います。地裁鑑定人の千葉大学教授の場合は、地裁判決に大きな影響力はありましたが、英国側から「White Wash:ごまかし論」と指摘されるなど「英国の精神科開放医療を日本に紹介してきた学者としての信頼」を大きく傷つけました。法廷の義理で、自らの業績に傷がつく結果になった可能性があることは残念でした。引き続き、控訴人矢野は「精神薬理学大学教授」の学者としての誠実性を問題にするでしょう。
現時点では「精神薬理学大学教授(氏名不詳)」の鑑定意見書が本当に提出されるか否かは重要なポイントです。仮に次期法廷までに提出が無い場合でも、いわき病院側が鑑定意見書の提出を主張する限り、控訴人(原告)側は待たされ続けることになります。
2、控訴人側の鑑定意見書の準備と反論
いわき病院側から新しい鑑定意見書が提出された場合、控訴人(原告)側は「鑑定意見書の内容を精査した上で、その内容に対応する控訴人側の鑑定人を模索して改めて鑑定を依頼するので、そのための時間が必要である。次回法廷で新鑑定人に対する依頼状況を報告することになる」と回答するでしょう。
控訴人(原告)側の英国側鑑定人に変更はありません。しかしながら、日本人鑑定人の場合は、いわき病院側が推薦した「精神薬理学大学教授」のお名前が確定した時点で、大きな動揺が予想されます。学者としてのつきあいや名誉を尊重する心、また学問的良識の問題等が錯綜すると予想します。日本国内で、控訴人(原告)側の依頼を受ける精神科医が出現するか、大きな困難があるでしょう。どのような反論形態になるにせよ、控訴人矢野は精神医学の素人ですが、いわき病院が推薦した「精神薬理学大学教授」の意見に誠実に対応します。内容を分析して、いわき病院が野津純一氏に対して行った精神科臨床医療の事実に照らし合わせて、提出される鑑定意見書の本質と学問的な問題点を浮き彫りにします。
3、鑑定意見と裁判の争点
いわき病院事件裁判の争点はいわき病院と控訴人(原告)側が推薦する鑑定人の鑑定論争だけではありません。いわき病院代理人が「控訴審答弁書(平成25年9月30日付)」と「いわき病院控訴審第2準備書面(平成26年5月12日付)」内容の審議が本筋です。いわき病院は、野津純一氏に対して行った、精神医学的知識を逸脱した非常識な医療と治療的怠慢から目を背け、論争の本質を不明瞭にすることを狙っております。
- 「事件を発生させた本質(向精神薬の無謀な処方変更と経過観察を行わない医療怠慢)を曖昧にして「アカシジア(患者の手足の振戦やイライラの症状)問題に転換して逃げ切る」ことを目的とした。
- 抗うつ薬SSRIの「パキシルに関する薬剤添付文書違反」を「当時のSSRIに関する一般的な知見」でごまかすことを意図した。
- 抗精神病薬維持療法中断の問題をプロピタンの薬効の問題にすり替えた。
- いわき病院の過失の本質である看護体制や治療放棄の問題を避けた。
特に上述の1.と2.の問題が、「精神薬理学大学教授の鑑定意見書」を持ち出す理由であり、大学教授という権威者のお言葉で「いわき病院勝訴」を狙っています。これに対して控訴人(原告)側は「いわき病院の医療怠慢であり薬学論争ではない」と指摘しています。
- 複数の向精神薬を同時に突然中止した11月23日以降、主治医が自ら適切に経過観察をしなかったこと。(非定型の医療を行ったにもかかわらず、主治医は野津純一氏を2週間に1回しか診察していない。)
- 向精神薬の重大な処方変更を行った事実を看護職員に周知せず、観察の重点や、治療上の対応指針を指示しておらず、いわき病院ではチーム医療が機能していなかった。
- 事件直前の自傷行為(根性焼きなど)や妄想や感情の亢進などの異常を、いわき病院の医師も看護師も発見できなかった事実がある。
- 「調子が悪い」と訴える入院患者野津純一氏の診察希望を却下し、患者無視を行った。
控訴人(原告)は「いわき病院は精神障害者に対して、当時の正しい情報に基づいた誠実な医療を行っていなかったことが過失」と指摘しています。これに対して、いわき病院は、「日本の一般的な精神科病院はこのようなものだから、過失責任を負わせることは影響が大きすぎる。普通の病院の普通の医師に過失責任を負わせてはならない」という主張です。
4、いわき病院事件の概要
矢野真木人(やのまきと:享年28才)は、平成17年12月6日(火)の昼食後(12時24分)に高松市香川町のショッピングセンター駐車場の自車に乗り込もうとして、突然見ず知らずの人間に右胸下を万能包丁で突き刺され、出血多量で即死しました。犯人は20年以上継続した放火暴行歴がある慢性統合失調症のいわき病院の任意入院患者で、社会復帰を目的とした許可外出中に殺人事件を引き起こしました。事件直前に野津純一氏に万能包丁を販売したショッピングセンター100円ショップのレジ係は、容疑者の顔面に瘢痕を見ており、その証言が翌7日の14時過ぎに現場に再び現れた犯人を確認する目印でした。瘢痕に関連して、野津純一氏は「いわき病院内でタバコの火で自傷した」と証言し、逮捕時に、赤い瘢痕と瘡蓋ができて黒化した瘢痕が確認されました。いわき病院は「逮捕時に瘢痕が確認されたのであれば、7日に病院から外出した後で自傷したものであり、いわき病院内では自傷してない」と主張した。根性焼きはいわき病院で患者の顔面を正視する観察を行わない杜撰な精神科医療と看護があった事実を物語る証拠です。
野津純一氏は平成16年10月1日にいわき病院に入院した任意入院患者であり、渡邊朋之医師は主治医を平成17年2月14日に交代したが、それまで順調に回復していた野津純一氏の病状が、その後不安定化した。その理由に渡邊朋之医師が統合失調症治療薬の抗精神病薬の変更を安易に繰り返し、同時に複数の向精神薬の投薬を開始し薬用量を増加したことなどが原因として考えられる。野津純一氏は「手足の振戦」と「イライラ」で苦しみアカシジアの症状が顕著であった。しかし渡邊朋之医師は、患者が言い看護師が記録した「イライラ」は、「(本当は)イライラではない、ムズムズの間違い」として野津純一の症状はジスキネジアで、病名をパーキンソン病と診断した。このように精神症状を表現する言葉の定義と理解に、いわき病院の医師と看護師で統一性がないことも驚くべき事実である。
高松高等裁判所の審議で、渡邊朋之医師は過去の主張を変更して平成17年11月当時の野津純一氏の「手足の振戦とイライラ」の錐体外路症状はアカシジアであり病名はパーキンソン症候群と認めた。平成17年11月23日から渡邊朋之医師は野津純一氏が激しく苦しんでいた副作用症状(アカシジア)を治療するため、抗精神病薬(プロピタン)を中止して本来の治療目的であったはずの統合失調症の治療を中断した。その上で、抗うつ薬SSRI
のパキシルの添付文書で「重大な注意事項」として禁止されており、行ってはならない「突然の中止」を実行した。更にアカシジア緩和薬のアキネトンを中止して代わりにプラセボ(疑似薬)として生理食塩水の筋注を行った。これは複数の向精神薬の処方変更を同時に突然実行した通常ではない非定型の医療である。しかし、いかに常識外で呆れた精神科医療であるとしても、ここまでは主治医の裁量権の範囲内である。
渡邊朋之医師は一連の非定常で非常識な複数の向精神薬の同時・突然中止の処方変更を実行した11月23日の後で、12月7日に野津純一氏が警察に身柄を拘束されていわき病院を退院するまでの間に、11月30日の夜間に1回しか野津純一氏を診察した記録を残していない。慢性統合失調症患者に抗精神病薬の投薬を中止して統合失調症の治療を中断する場合には、主治医は毎日でもきめ細かく病状の変化を経過観察することは常識であり義務である。その上で、パキシルの添付文書に「しないこと」と記載がある「突然の中止」を行い、患者に他害行動などの異常行動を誘発する処方変更を重ねていた。主治医はきめ細かな病状管理を行うべき状況であった。野津純一氏は向精神薬の血中濃度が低下したことで、一時的にアカシジア症状が改善した時期があったが、自ら診察して確認していない。渡邊朋之医師は12月1日からアカシジア緩和薬アキネトンを薬効がない生理食塩水に代えたプラセボテストを実行したが、野津純一氏のアカシジア症状が悪化しても患者を自ら直接診察せずに、医師ではない看護師の「プラセボ効果あり」という一時的でわずか1回の観察に頼り、病状の悪化を見逃して、プラセボ効果判定を行わず、複数の向精神薬中止に関する主治医の経過観察と診察と診断を行わず、精神科臨床医療を放棄した状況であった。
いわき病院と渡邊朋之医師の過失の本質は治療放棄である。複数の向精神薬の突然中止後の重大な時期に、主治医が2週間に1回しか診察しなかった事実は、明白な治療的怠慢があった証拠である。渡邊朋之医師が主治医として患者の病状の変化をきめ細かく経過観察して診察と診断をしていたならば、野津純一氏の病状の悪化及び、危険な行動や衝動を誘発しかねない重大な副作用の初期症状や症状を観察して治療的介入を行うことは可能であった。その場合には、野津純一氏が矢野真木人を刺殺することは起こり得ず、矢野真木人は現在でも確実に生存して社会生活を全うしている。このため、いわき病院と渡邊朋之医師は矢野真木人殺人に対して法的過失責任が問われなければならない。
5、いわき病院事件裁判の意味
いわき病院の任意入院患者野津純一氏の現実は「任意入院を理由にして治療放棄された患者」でした。「いわき病院は地方の普通にある一般の病院であり、渡邊朋之医師は一般の医師なので、過失責任が問われてはならない」と主張し、高松地方裁判所はこの主張を容認した。精神障害者は容易に法的責任能力が免除される、しかしそのことを理由にして、精神科病院の主治医が患者を無視して、治療に安易であって良いものではない。いわき病院は野津純一氏の経過観察を励行せず、それを指摘されると「任意入院患者はいつでも退院できる権利があるので患者の自己責任」という無責任な回答をした。いわき病院では精神障害を持った患者が適切な治療を受ける権利をないがしろにされていた。「それが日本の一般的な精神病院の典型であり、過失責任が問われてはならない」とすることは間違いである。
控訴人矢野は8年以上の長期に渡り民事裁判で矢野真木人が殺人された理由の解明を求めてきた。私たちは極めて珍しい事例であり、この日本では健常者が精神障害者に殺人された場合、原因を解明することは極めて困難である。その背景に、安易に認定される心神喪失と心神喪失者「等」の無罪がある。無罪扱いの人間が行った殺人に関して、被害者遺族といえども事実を知り原因を解明することはできない。人間は誰であれ、理不尽に殺害された場合に、その原因を解明して、そのような不幸が発生する原因に有効な対策を行うことが、死せる人間の奪われた権利に対する償いとなる。控訴人矢野は、矢野真木人の生の意味を問うことで、健常者と精神障害者に不変する、基本的人権の実現を希求します。
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