殺人事件といわき病院の精神科開放医療
まじめに精神科開放医療を行えば殺人数は減少する!
4、いわき病院の精神科医療と患者野津純一氏
(1)、野津純一氏に対する患者放任主義(HO鑑定人の指摘)
英国で精神障害者による殺人事件数が減少したという報告を提出して議論することで、本件裁判の目的が「犯罪防止のための精神医療と薬物療法」と誤解されかねない可能性がある。しかし、精神医療ユーザー(精神科医療で治療をうける精神障害者)の立場は、以下のようなところにある。
- 精神医療は、犯罪予防のためにあるのではない。
- 自分たちは、何か犯罪を犯すことを防ぐために治療を受けているのではない
心の危機におけるリスク管理の目的には、怒りの感情や衝動性のコントロール、自己破壊的な行動の修正などがあげられるが、プライマリケアにおけるメンタルヘルスケアのスキルの向上により、早い段階で心の危機を克服し、犯罪件数が減少するというのも、あくまでもついてくる結果であって、メンタルヘルスケアのスキルの向上の目的ではない。
精神保健福祉法による入院医療では、例外的に、限定的に医療パターナリズム(医療父権主義)を行使してでも、患者の不利益となることを守ることが認められている。医師及び管理者の責任を問う時、医療パターナリズムという視点からも、精神科医療と犯罪抑制の問題を論じておく必要がある。医療パターナリズム(医療主権主義)に対して患者主権主義という概念があり、今日、なにかと患者主権主義こそ大切で、医療パターナリズムは弊害が大きいと見る向きがある。しかし、医療父権主義(医療パターナリズム)と患者主権主義は、決して矛盾するものではなく、医療現場では,患者の保護という観点から、限定的とはいえ、パターナリズム行使の判断を迫られることは少なくない。でなければ、精神科医や医療機関は、医療放棄や放任主義といったそしりを受けかねないことになる。
従って、いわき病院と渡邊医師は、法的に医療パターナリズム行使できる義務と権限を持ちながら、これを適切に行使できたかどうかを問うことができる。
精神保健福祉法には、下記のように、この法律の目的が定められている。
第一条 この法律は、精神障害者の医療及び保護を行い、障害者の日常生活及び社会生活を総合的に支援するための法律(平成十七年法律第百二十三号)と相まってその社会復帰の促進及びその自立と社会経済活動への参加の促進のために必要な援助を行い、並びにその発生の予防その他国民の精神的健康の保持及び増進に努めることによって、精神障害者の福祉の増進及び国民の精神保健の向上を図ることを目的とする。
精神保健福祉法は、任意入院と言えども、入退院の決定について無前提に患者主権主義を認めているわけではない。入院医療の必要があれば、診察医は、その入院の必要性を患者に説得し、そして,その説得が不調に終わったときは、患者の健康の回復と患者の意思の尊重(医療父権主義と患者主権主義の狭間)というぎりぎりのところで、医療保護入院を行なうという判断を迫られることがある。患者主権主義は、放任主義ではない。
「任意入院患者へのお知らせ」の書面には,一般医療には見られない患者の自由を制限する諸条件が記載されている。それだけに非自発的入院医療を行うさいの管理者責任の重さが問われる証拠書面として訴えるものがある。
野津純一氏は、入院患者でありながら、外来患者以上になおざりにされていたといえる。外来患者であれば、医師の診察が必要だと思えば、自らの意思で何度でも外来を受診することができた。野津純一氏の事例は、外来患者であれば、こうは扱われなかったであろうと言える処遇であった。そうした意味では、野津純一氏は、入院精神医療に囲い込まれて、見捨てられたというケースといえる。
無視、無関心、放置。これが、野津氏の心に影を落とした。これは、否定できない事実である。
(2)、基本は患者に対する治療責任を果たす事
控訴人矢野は「精神科医療の目的は『精神障害者による犯罪を削減すること』または『精神障害者による殺人数を削減すること』」と主張していない。控訴人矢野は「精神科医療の目的は『精神障害の軽減と寛解を促進すること』および『精神障害者の社会参加の促進と人間として相応しい人生の享受を可能とすること』」と確信している。
上記の目的を達成することを可能とする精神科医療は、精神科開放医療の名目で患者放任と無責任、また不勉強と不作為の医療に過失責任を問わないことではない。全ての医療がそうであるように、精神科医療にも医療提供側が行ってしまった過失には責任が問われること、及び実質的で内容ある医療を全ての精神障害の患者に実現することが基本である。精神科医療機関は患者に対して治療責任を果たす事が大前提である。
精神科医療の本来の目的は「精神障害者による犯罪防止」ではない。あくまでも「精神科医療の促進による精神障害の症状の軽減と精神障害者の社会参加の拡大」である。英国では、その成果として「精神障害者による殺人数と比率が減少した」のである。この英国の成果を解釈するに当たって「プライマリーケアやリハビリテ−ションの促進などの精神科開放医療と精神科薬物療法は精神障害者による殺人数の削減を社会目的としている」と指摘することは、「論理の逆転」である。日本の精神科開放医療は後発(追随)者であり、英国の経験を知ることができる。その英国で、「殺人数が減少したので、犯罪防止が精神科医療と薬物療法促進の目的となる」と考える向きがあるとすれば、それは行き過ぎ、走りすぎの解釈と対応であると指摘できる。
(3)、野津純一氏に対するいわき病院の過失責任
いわき病院と渡邊医師が野津純一氏に対して適切な精神医療を行わず、薬剤の添付文書に従わず、統合失調症の治療の基本から逸脱した治療を実行したにもかかわらず、病状の経過観察を行わなかったことが過失の基本である。その野津純一氏は放火暴行履歴を有していたが、渡邊医師は複数の向精神薬の処方変更を行うことに関して患者本人の十分な理解と協力(インフォームドコンセント)を求めず、処方変更後は治療的介入を行なわず、重大な危険行為が発現することを抑制することがなかった。結果として、野津純一氏は「誰でも良いから人を殺す」としてたまたま出会った矢野真木人を刺殺した。この様な行為は、いわき病院と渡邊医師が精神科臨床医療を誠実かつ適切に行っておれば抑制可能であった。野津純一氏に適切な精神科医療が行われておれば、殺人事件の加害者となる必然性は無かった。
この背景となる事実は、英国で向精神薬に関する正しい知識の普及と拡大及び、プライマリケアやリハビリテ−ションなどの精神科医療の適正化と拡充により精神科開放医療が促進される中で、精神障害者による重大な犯罪が抑制されたことを示した研究成果からも裏付けられる。いわき病院は精神障害による入院患者野津純一氏が行った殺人行為(異常行動)に対して過失責任が問われなければならない。
(HO鑑定人の意見)
いわき病院の渡邊医師は「(精神科治療の)逸脱ではないにしても、リスクが高く一般には推奨されないやり方を選んだにも関わらず、観察を怠った」と言える可能性がある。問題の要点は「観察を怠った」点である。
参考:一般に薬物を突然断つことをcold turkeyと呼びます。特に習慣性のある薬物を突然断つと鳥肌が立つことから、こう呼ばれるようです。一般にcold turkeyは、医療現場では否定的な意味合いに使われます。自律神経系統がstormy(嵐のような)な状態に陥るからです。特に、アルコール・薬物依存の治療においては、離脱症状が強く出るので勧められないとされますが、detoxification(解毒)の現場では、cold turkeyが圧倒的です。薬物のabrupt discontinuation(突然中止)で大切なのは、successive(持続的)で綿密な観察でしょう。
野津純一氏は体調不良を訴えても取り上げてもらえず、看護師を通した紳士的な診察依頼も却下され、自尊心が毀損されたことが、犯行動機の一つであると、考えられる。
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