殺人事件といわき病院の精神科開放医療
まじめに精神科開放医療を行えば殺人数は減少する!
3、英国で精神障害者殺人数が減少した記録
英国(イングランド、ウエールズ)における精神障害者の殺人に関する50年間の記録
A、英国の精神科医療50年間の経験が持つ意味
英国(イングランドとウエールズ)における50年間の精神障害者による殺人総数と比率の変化に関する研究は示唆に富んでいる。サイモン・デイビース鑑定人の意見は上記「2、のB」に記載してある。ここでは、英国の経験〔Lange M他の英国医学界誌報告(2008 (193:130-133):Homicide due to mental disorder in England and Wales over 50 years〕がわが国の精神科医療に及ぼす影響を考察する。
英国では人口10万人当たりの精神障害者の年間殺人率が1970年代まで増加して1973年には0.245人/年を記録したが、2000年以降は0.07人/年(3分の1)まで低下した。殺人総数では人口5千万人余の英国(イングランドとウエールズ)で1950年の50人/年から1970年代には100人/年まで増加したが、2000年以降は40人/年の程度となった。英国の経験を元にすれば、精神障害者による殺人比率は一定不変ではなく、社会的な努力で削減することが可能であることが判明した。特に、英国全体では移民の受け入れなど社会構造の変化に伴い殺人総数は増加傾向がある中で、精神障害者による殺人数が減少した事実は重要である。
上述を整理すれば、以下の通りとなる。
(1) |
英国では精神障害者による殺人比率が10万人当たり0.245人/年の最高値を1973年に記録した。 |
(2) |
2000年に上記の数値は0.07人/年まで低下した。 |
(3) |
英国では1950年以降は上記の数値は増加して、1970年代中期がピークで、その後低下した。 |
(4) |
社会的背景として一般殺人数は増加のままだった。 |
(5) |
英国で精神障害者による殺人総数(及び比率)が減少した要因として、抗精神病薬の普及と、精神医療施設の拡充、プライマリーケア等の社会復帰施設の整備及び精神医療知識の普及がある。論文報告者のMatthew Large, FRANZCPは、以下の精神医療関係の改善と改革の効果を特筆した。 |
1)、 |
抗精神病薬の開発と普及促進 |
2)、 |
精神科医療でプライマリーケアの拡充と医療関係者の精神医療知識の普及 |
この事実は、精神科開放医療が着実に実行されている場合には、精神科開放医療を促進しても精神障害者による重大犯罪は増加せず、むしろ減少したことを示している。社会の安全確保のためには一律的に精神障害者を精神科病棟に閉じ込める必要があるとする考え方は適切ではないと指摘できる事実である。精神科医療を適切に行い、治療効果を上げて、精神障害者の社会参加を促進することは、全ての市民の生活の向上と安定をもたらすことになる可能性を拡大する。
B、精神科開放医療を行えば殺人数の増加はやむを得ないか?
日本では「精神科開放医療は国際公約として促進しなければならないが、精神科開放医療を促進すれば、精神障害者による犯罪が増加することはやむを得ない」という認識があるのではないだろうか。「精神科開放医療を促進すれば、危険な精神障害者が町に出ることは避けられず、精神障害者犯罪は増加する」という認識が日本には根強くあり、精神障害者の社会参加を困難にしているのではないだろうか。本裁判でも、そのような「誤った認識」にいわき病院代理人は支配されているように観察される。
いわき病院は度重なる主張で、「控訴人(原告)矢野が「精神科解放医療を行ってはならず、精神障害者は精神科病棟に収容すべきである」とあたかも主張したかの如く、またそれが前提であるかの如く、記述した。高松地裁裁判官もそれに同意した判決を下した。しかし、控訴人矢野は一貫して「精神科開放医療を促進して、着実に精神障害者の社会参加を達成する必要がある」と主張してきた。また、精神科開放医療は、無責任で何もしないほったらかしの医療ではなく、正確な医療知識に基づいて、誠実な医療を確実に行うことである、と指摘してきた。精神科開放医療を促進することは、精神障害者による犯罪の増加を必ずしも意味しない。いわき病院代理人と高松地裁裁判官の認識の中に潜む「理由の無い、一般的な懸念」がそもそも間違いであった可能性が高い、と指摘する。精神障害者を危険視する、根拠のない「常識観」は、事実を元にして訂正される必要がある。
英国の経験で上記Aの(1)、から(4)、は、発生した事実で、(5)はその事実に対する報告者の解釈である。そもそも、「精神科薬物療法」と「プライマリーケア等の社会的精神医療」は「精神障害の治療」及び「脱施設化による精神障害者の社会参加の拡大と促進」が目的であり、英国が経験したデータは「その効果が社会現象として確認できた」という意味となり、貴重である。その上で、精神科医療が改善され普及したことで「精神障害者が原因となる殺人数が減少した」、しかしながら、同じ時期の「一般人の殺人数(比率)は増加していた」。精神障害者による殺人は、社会的要因と精神医療的要因が重なりあっていると考えられるが、英国では、精神科医療が向精神薬の開発と知識と理解の促進及び精神医療技術の進歩、更にはリハビリテーションや社会参加訓練や施設などの整備による改善効果が大きく、一般的な殺人数の増加という社会的要因がある中で、精神障害者による殺人数の減少という大きな効果をもたらしたのである。
精神科医療の本来の目的は精神障害者による犯罪の防止ではない。精神科医療の目的は精神障害の軽減と治療の促進、また精神科開放医療の促進は精神障害者の社会参加の拡大である。英国でも「精神障害者の犯罪防止を精神科開放医療導入の目的とせず、良質な精神科医療に基づいて、精神障害者の社会参加を促進し、精神科開放医療に社会の信頼と支持を得る事」が目的だった。英国の経験と事実は、直ちに日本に転化することはできない可能性がある。日本は英国と比較すればそもそも殺人数が少ない国であり、社会的背景が異なり、同じ結果が得られるとは限らない可能性はあり得る。しかし、英国では事実として日本より低い殺人比率を達成した。英国の50年間の経験は「精神科開放医療の促進は精神障害者による犯罪の増加には繋がらない」という事例である。英国では「精神障害者を犯罪者予備軍と認識する論理は間違っている」ことが証明されたのである。「精神科開放医療を推進すれば、精神障害者による殺人事件の発生は避けられないという無為な認識論」は訂正を迫られているのである。精神科開放医療は、善良な市民として精神障害者が社会参加できる、明るい未来の可能性を指し示している。
なお、英国における精神科開放医療は、いわき病院が野津純一氏に対して行っていた、「単なる病院・病室のドアを開けて自由に外出させる」無責任と放任ではない。きちんと体系立った精神科医療、看護及びリハビリテーションを誠実に実行し、更に社会の受け入れ体制を整備することである。
C、ほったらかしのいわき病院の精神科開放医療
控訴人矢野が指摘している問題は、「いわき病院と渡邊医師の精神科開放医療・精神科臨床医療」である。法廷の議論の目的は「野津純一氏は、犯罪を行うことを防ぐために治療を受けていたか、否か」ではない、あくまでも「野津純一氏に対するいわき病院と渡邊医師の精神科医療は適切であったか、錯誤はなかったか、怠慢や不作為はなかったか」が課題である。
法廷で証明されるべきは「矢野真木人殺人という結果に至った危険な他害衝動を野津純一氏に生じさせた原因の解明」である。また「渡邊医師が行った、患者の放火暴行他害履歴を考慮しない精神科開放医療には問題があった」と指摘している。控訴人矢野は、「当時の野津純一氏に精神科開放医療を行ったことは間違いだった」という主張や指摘を行っていない。精神科開放医療の実施に関する、医師の判断と患者の希望は尊重する。しかしながら、いわき病院が行った精神科開放医療は、「患者を病状に関係なく病院の外に出すだけの、無責任と放任=ほったらかし」であり、「渡邊医師が行った、錯誤と怠慢と不作為の精神科医療では治療目的は達成されない」、その本質は「精神科開放医療とは言えない」と指摘している。
いわき病院と渡邊医師が野津純一氏に行った精神科薬物療法には、薬剤添付文書すらきちんと読まない怠慢、それに伴う抗精神病薬(プロピタン)とパキシルを同時に突然中断した錯誤、及び重大な処方変更した後で患者の経過観察を行わない不作為があった。また、いわき病院の看護は患者の顔面の異常すら発見できておらず、適切であったとは決して言えない。そのような医療が改善されていたならば、矢野真木人は今日でも100%生存しているはずである。控訴人矢野は矢野真木人の遺族として、何故、矢野真木人が死ぬに至ったか、その理由とメカニズムを明らかにすることを問い続ける義務がある。
本件裁判を通して、「(裁判の成果は)殺人事件被害者(また、被害者になる可能性がある人間)と、精神科開放医療の受益者(=精神障害者)の双方の利益になる」と確信する。わが国は精神障害者による殺人数は年間120人〜140人であり、わが国の人口と比較すれば人口10万人当たり概ね0.1人/年となる。英国は0.07人/年であり、英国並みの成果を期待するならば、約30%の改善の余地があり、年間40人以上の殺人被害者が削減可能となる事が期待できる。
精神科開放医療の推進に当たって、不作為や無力感を持ってはならない。精神科開放医療を直実に推進することで、精神障害者の社会参加は促進し、精神障害者による殺人被害も減少する。これは、空論ではなく、英国で実現された経験である。
(HO鑑定人の意見)
精神科開放医療にとどまらず、不必要な入院を解消し、精神科病床の削減によって生じた人的資源と医療費を生活者の視点に立ったプライマリーケアと地域医療に振り向けるという「費用対効果」という視点が必要である。
また、イタリアでも精神医療改革によって、時間をかけて精神病院を閉鎖し、地域ケアが推進されたが、病院閉鎖により精神障害者の犯罪が増えたというデータはないと聞く。イタリアの精神医療改革も、もちろん犯罪予防を目的としたものではないが、(裁判の)関係者に、個別性を離れた原告(矢野)の基本的考え方に対する理解を深めてもらうために、「脱施設化政策」の意義について強調しておいても良いと考える。
参考:英国医学会誌(the British Medical Journal 2008 (193:130-133) (要約)
概括
【背景】
精神障害者の殺人(数、比率)は一定であると言われてきた。
【目的】
精神障害者の殺人に経時変化があるか、また他の殺人の経時変化と関連性があるか。
【手法】
1946年から2004年にかけての英国殺人統計の解析に基づく。
結論
【精神障害者殺人の経時的変化】
精神障害者による年間殺人数は1950年の50人から1970年代には100人まで増加した。最高値は1973年の人口10万人当たり0.245人/年であり、実数の最高値は1979年である。この時期(1957−1980年)殺人総数と精神障害殺人には強い相関があった(Kendall's tau=0.747, two-tailed significance P50.0001)。
その後の24年間(1981−2004年)で精神障害者殺人数は減少し、精神障害でない者による殺人者数と反対相関であった(Kendall's tau=-0.829, two-tailed significance P<0.0001)。精神障害者殺人数は1950年初頭以来で最低となり、2000年以降は人口10万人当たり0.07人/年と、歴史的に最低の数値となった。
精神障害者殺人の数値が増加した理由のほとんどは、限定責任能力の裁定数が増加したことによる。更に、未成年殺人と心神喪失無罪特に法廷対応能力不能による無責任能力が1960年代から1970年代の初頭にかけてピーク値を示した。
【精神障害者殺人と他の殺人の比率と相関】
精神障害者殺人比率は1957−2004年の間に互いに関連しない2要素により低下した。初期の24年間(1957−1980年)は精神障害者殺人と他の殺人比率の間に強い相関があった(r=0.898, r2=0.806, t=6.877, P<0.0001)。しかしながら、この時期にあっても、全体の殺人数が増加していたため、精神障害者殺人の比率は低下していた。第2期(1981−2004年)には、精神障害者殺人と他の殺人率に負の相関(r=-0.920,r2=0.846, t=-11.00, P<0.0001)があり、精神障害者殺人比率及び年間殺人実数は減少したが、他の殺人数は増加し続けた。
【殺人した後の自殺】
「殺人後の自殺」(日本語の心中や無理心中に相当する)を独立して検討したが精神障害者の殺人とはパターンが異なっていた。1965年の死刑廃止後に「故殺(murder)後の自殺」数は著しく減少した。1952年から1965年の間に殺人は1928件あり、内521件(27%)は「殺人(homicide)後の自殺」であったが、1966年から2004年の間に19236件殺人があったが内「殺人後の自殺」は1357件(7.1%)であった(χ2=865, d.f.=1, P<0.001)。「殺人後の自殺」比率の減少は殺人総数の増加によっても説明可能であるが、しかしながら「殺人後の自殺」比率の減少は死刑廃止前の14年間は年率37.2%(s.d.=3.76)であったが、死刑廃止後の14年間は年率30.9%(s.d.=8.32)であった。T−検定で非対象(t=2.57, d.f.=26, P=0.016)。
検討事項
Gibson & Klein and Morris & Blom-Cooperによれば殺人比率は1900年から1959年の間は比較的一定であり概ね人口10万人当たり0.3人/年であった。その後の45年間で殺人比率は着実に増加して2000年には人口10万人当たり1.5人/年となった。我々の分析によれば、精神障害者殺人率も1950年代中期から上昇し、1973年に最高値に達したが、その後は史上最低レベルまでに減少した。しかしながら殺人を行った後に法的に精神障害と認定された人間数が増減した理由はこれらのデータからは知ることができない。
殺人比率が変化した理由
Fazel & Grannによれば精神障害者殺人比率が増減した理由は最大の該当数を占める限定責任能力者の認定基準が変化したところによる。しかしながら1950年代中盤の定義変更後に、「殺人に対する弁護論理」の定義に変化は無く、限定責任能力の認定基準変更により1965年から1975年の間に最高値を示した後は減少した。未成年殺人、心神喪失無罪及び法廷対応能力不全にまで影響が及ばないはずである。
この他の要因として、精神障害の認定に関する診断手法が過去50年間に変化した可能性が考えられる。Fazel & Grannはスウェーデンで精神障害者殺人比率が高い理由は精神鑑定を詳細に行うことに理由がある、と指摘した。しかしながら、過去50年間に犯罪者の精神障害確認が改善されていたならば、裁判所が精神障害者の犯罪を低く認定する事はあり得ないように思われる。
1970年代に重症・慢性精神病の発生頻度が変化した可能性がある。統合失調症発生頻度はかつて考えられていたほど一定不変でないこと、また精神病と特定の薬物不正使用が精神障害者による殺人が最大値に達した原因である可能性がある。しかしながら、この仮説は経験則として証明されたものではない。
精神障害者の殺人数(比率)が一度上昇しその後減少したことには、別々の理由が考えられる可能性がある。第1の理由として、何らかの社会的要因(例:武器の供給量、不正薬物使用、国内国際間の人口移動)で全殺人数が増加すると共に、異常殺人も増加した。このことは総殺人数が多い地域では精神障害者特に統合失調症者の殺人数が多いという事実とも整合性がある。
殺人比率と治療の関係
その後の殺人数の減少は精神障害治療法が改善したことによる。抗精神病薬の導入と使用量の増加、精神病治療機関から退院後の保健サービス(プライマリーケア)治療担当者の精神療法知識の拡大、人口に見合った地域保健施設の設立などが、1970年代以降の異常殺人数の減少に貢献した。この視点は近年の英国及びオーストラリアにおける研究成果でも認められており、精神疾患の初期治療が殺人危険率を削減することに繋がった。優良な治療により異常殺人が減少したという事実が発見されたことは、近年の若者の自殺数の増減に関する研究成果でも指摘されることである。市中に存在する殺人手段が減少すれば殺人数は減少する。他方、精神病を治療すれば殺人数を減少するとは考えられていなかった。精神疾患の治療方法の改善が示した結果は、殺人手段を制限するよりは合理的と言えよう。
殺人数が変化した理由の如何にかかわらず、本研究の主要成果は、精神障害者の殺人比率は一定不変でないことを発見したところにある。本発見は、精神障害者による殺人に関する既存の考え方に見直しを迫るものであり、精神疾患に基づく殺人の原因を検証する研究を促し、その成果として精神科臨床医療を改善し人命の救済に繋がることになる。
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