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精神科入院者と家族について
精神科入院者と家族の精神障害者の事故に関する諸問題
精神障害者の事故(事件・犯罪)に関する意見


元全国精神障害者家族会連合会事務局長・専務理事
精神科医療・障害者福祉モニター  滝沢武久



元全国精神障害者家族会連合会事務局長・専務理事滝沢武久氏は精神障害者本人及び家族の立場からいわき病院事件裁判で意見陳述して下さいました。精神科医療で精神障害者の人生を尊重した診断と患者処遇、効果ある社会参加に希望を持てる精神科医療、そして治療過程における患者に対するインフォームドコンセントの徹底などが、精神障害者の願いであり、日本の精神科医療に期待されます。精神科開放医療は精神障害者の解放と自立の促進であり、精神科医療機関の怠慢を許す口実であってはなりません。

矢野啓司


はじめに

私は11歳年上の兄の精神神経衰弱診断および非自発入院したことが契機となり精神科ソーシャルワーカーを志し、以来、大学卒業後民間精神科病院半年、4保健所精神保健相談員13年、リハビリセンター2年、全国精神障害者家族会連合会事務局長16年、国会議員(公設・私設)政策秘書12年、大学教員3年と言う履歴の中で、終始一貫してより良い日本の精神科医療・障害者福祉を希求してその確立に向けて活動してきました。

精神科ソーシャルワーカーになった初期の頃は、まず我が兄を如何に社会復帰させるかに腐心をしつつ精神科医から教育を受けながら専門職訓練を受け地域臨床ケアなども体験しました。しかしその後、現実の我が目前に家族から相談のある患者や兄にしても、入院療養しても癒されず、多くは長期療養(繰り返し受療)化し、また多剤・大量・長期服薬を強いられ、精神症状の改善は期待できず、リハビリテーション・社会的治癒・社会復帰は夢のまた夢と言うのが現実でした。また、精神障害者として長期療養(入院)生活を強いられる兄たち及び職業上接した多くの精神障害者達の心や生活状態は、多くの場合精神障害であるがゆえに自己決定権を殆ど認められず、人間として生きる希望や生きる楽しみを持つ可能性の全てを奪われた状況で、家族として兄の悲しみそして兄の心が荒んで行く姿を見ることを辛く感じていました。

結果的に、ほとんどの患者が精神病理状態の改善そして病状に寛解を期待できず、人間としての存在が否定されて行く数々の精神医療現場に何とかその改善と改革を期待できないものかと、悩みの日々でありました。その為、精神科医療先進国の状況を視察したり関係学会に参加したりして、真実の「医療」と呼べる精神科医療、障害者福祉を希求して全国運動(会独自の研究所立ち上げ等)を展開し、また政策提案をするため議員秘書などをも経験をしました。現在は退職後、ボランテイアとして地元で精神障害者が地域で暮らせるグル−プホームや地域作業所(障害者就労支援B型施設)などの設立運営とともに、精神科医療・障害者福祉モニターとして勤しんでいます。

こうした間、本件訴訟裁判が提起されたことを知りその展開について多いに関心を持ってきました。この度、私の公私(精神障害者家族と精神科ソーシャルワーカー)にわたる上記の経験を元にして、控訴人の依頼を受けて、精神障害者本人及び精神障害者家族の立場から、本意見陳述書を提出します。本件、裁判訴訟は、この日本で精神障害者が適切な精神科臨床「医療」を受け、適切な「看護」を受け、社会復帰に期待を持てるリハビリテーションサービスを受け、社会復帰の道を進むことを困難にしている状況の言わば本質部分・精神科医療・看護のあり方そのものに深く関与する事件の裁判であると認識したからです。以下私の意見を申し述べます。


1、精神障害者とその家族の置かれた状況と精神科開放医療について

(1)、精神障害者の家族の苦悩の内容

私は全国精神障害者家族会活動の中で、本当に数多くの精神障害者家族と接してきました。活動の一環として、身内に精神障害者を抱える家族の生の声を聞き、また幾つもの精神障害者家族の生活調査等をしてみて分かったことは、身内が一旦精神科診断を受けると、本人も家族も、やがて「精神病」にまつわる我が国特有な、遺伝・不治・危険等の予断と偏見に基づく不安に苛まれる事実があります。

我が日本における、精神障害者と家族(両親・兄弟姉妹)は、「治癒」と言う概念の無い精神医学・医療の暗闇の中に次々と導かれます。多くの精神科医及び専門関係者の医療保護(父権)主義(パターナリスム)によりインフオームドコンセント少なき状態におかれ、その下で呻吟し、患者の治療に家族の希望を言う機会すら少ない。あるいは家庭内での人間関係の葛藤がより生じ、殆ど医療関係者に隷属状態となります。しかし実際多くの精神障害者および家族が切実に良質な精神医学と精神科医療や看護を期待しても、多くの精神障害は治療効果を上げて軽減されることを期待できない現実でした。OECDの中でも、何故か長期入院者数及び期間(退院不能)世界一、精神科ベッド数が人口比世界一、多剤・大量・長期投与世界一などの状態を示しています。それを多くの民間精神科病院は企業経営上の理由等により、「医療の質」をさほど検討することなく運営してきたと思われます。

その中で、精神障害者本人と家族は、例外なくほとんどが、長期入院の結果、物心両面で次第に孤立した状態に置かれ、近隣との付き合いも減り、親戚・友人の誰にも相談できず、加えて日本の法律による不可能に近い家族の保護義務を背負わされて悩み続けている状態です(昨年の法改正で削除)。両親は徐々に高齢化して疲弊し、多くの兄弟姉妹も自分の職業生活や家族形成で精一杯な状態に喘いでいます。誰もが、相談先も少なく適当な病気治療に役立つ知識習得、情報も得にくく、精神科医療現場でも癒されず、リハビリテーション施設も少なく文字通り八方塞の状態に置かれています。

時たま起こる重大な社会的事故などで、加害者の精神科受療歴などがセンセーショナルにメディアで報道されると、影響は精神障害者の家族に甚大な形で及びます。我々家族すら、身内の精神障害者本人に対して疑心暗鬼状態となり、不安が益々増幅され、それが家族内の人間関係に亀裂を生じさせ、そして家族の治療協力的関係は悪化した状態を呈し、精神障害の治療や社会生活サービスも萎縮してしまうのです。

その上、長期間にわたる療養には公的保険や障害者年金などがあるとは言え医療費の自己負担も少なくありません。病気の本人は無職状態となり収入が途絶え、その両親の多くは生活費に必要な程度の高齢者年金等から医療費自己負担をまかない、その上で患者の日常の小遣い費用負担を長期的に強いられ、生活状況も益々追い込まれていく状態が現実です。私自身も長期間そうした状態に置かれました。


(2)、当事者本人と家族・友人・市民との人間関係障害(摩擦)が深まるプロセスについて

精神疾患は、圧倒的に思春期・青年期(16〜17歳から24〜25歳頃)に発病することが多く、実際その頃(二十歳過ぎ)に多くの精神科医も確定診断名を明らかにします。それまでは本人の将来を慮って精神・神経衰弱、心因反応・自律神経失調症などの世間的に無難な診断名を本人や家族に告げる医者もいます。「あるいは様子を見ましょう。」と言って服薬の継続治療をします。しかし、実際には社会保険診療報酬(レセプト)の請求をする際に、統合失調症などの診断名を使うのが精神科医療機関の慣わしです。

青年期を過ぎて確定診断が告知される場合でも、日本の精神科医療は伝統的に、インフオームドコンセントや病気の理解向上に対する配慮が無く患者と家族を困惑させたままにしてきました。わけても病気の初発当時は家族である市民に精神の病気に関する知識がほとんどない。(とりわけ昔は精神分裂病などの呼称であった)、多くの場合、潜在的(意識・無意識)に遺伝論、不治論、危険論などに影響されることが多い状態でした。また、家族の場合、何故可愛いわが子が発病したのかと嘆きや悲しみに沈み状況を客観的に考えることが不可能で、また病気(問題状態)を理解・受容できず、否定や逃避を考えることも多い状態だと思われます。まして精神障害は他の病気と違ってそもそも不可視的現象(状態)であり、外面的にはわかりにくいのです。諸検査などによる具体的病状検索技術(生化学的・生理学的検査や画像診断等)が殆どなく、少し説明されても本人・家族にも理解しにくい病気なのです。

精神障害者の家族は、真っ暗闇で歩くような不安のみが大きく膨らむ状態でした。他の疾患(障害)についての知識を得る機会は、多少とも衛生教育や社会教育、メディア報道等で情報を得られますが、精神障害については皆無に等しい状況で、誰に相談してもなす術を教えてくれる人も無く、最後には追い込まれて、何とかしてほしいと精神科医療機関に相談をする状況です。患者の精神症状に由来する家族内葛藤(衝突)などを解決するため、精神科医が患者を治療してくれること、何とかしてくれることを望んでも、有効な応えは得られにくいのです。精神障害者の家族は、市民や友人・近隣の人に受療のことすら知られまいとします。そして、本人の身柄を引き取ってくれる所として精神科医療機関への入院(収容)を希望することが多いのです。このような状況は一般の身体の病気の医療との大きな違いです。


2、精神障害者の事故と事件(犯罪)について

(1)、精神障害者の家族におおい被さる過剰な責任

精神障害者の両親はだれでも、病状に快復や寛解を期待できずに諦めの状況に至ること多く、加えて自らの心身および物心両面に亘る衰えの中で、なお法律(民法の扶養義務・精神保健福祉法の保護者義務等)による幾多の保護者義務を意識・無意識に強いられながら必死に本人の病状改善のため各種の努力をする状況が多くの家族に見られます。

重大な事件や事故の結果に至った本人と家族との関係を見ると、殆どの事例が何度かの本人と家族との葛藤や諍い(口論を含めた感情的衝突や乱暴行為、自傷他害の可能性、その兆候になる言辞)などの防止に必死に対応して疲れ切った状態の家族であるのが実情です。しかし皮肉なことに、家族と本人の争いで、益々本人と両親との関係悪化に繋がる状態に陥り、その家族は、まるで蟻地獄の如く、コップの中の嵐から抜け出られない常態におかれ、そうして、病歴の長さが次第に何回かの受療体験の中で更に幾つもの葛藤状態を内包してゆき一種諦めの境地に至る人が多いのです。

しかし臨床現場での精神科外来や病院窓口ではこうした家庭内の複雑な詳細の事情などの観察や聞き取り診療をされること少なく、精神障害者の家族の苦しみに、精神科臨床医療の問題として対応することを期待できない状態がいつまで経っても改善されることがないのです。精神科医療機関の殆どは、まず表面的な状態像や本人や家族の訴えの一部を聞き取りますが、必ずしも生理学的検査や生化学的検査・画像診断などがないまま診断・処方され、そして治療薬が出されることが多いのです。今般の、野津純一氏の事例がそれに該当するかどうか不詳ですが、いわき病院ではなかったにしても何回かの受診・入院体験の後に、この病院は比較的自由度が高いから入院すれば比較的に容易に「本人の自発的入院希望だから開放病棟で受け入れましょう」と言う形になる場合等もありました。

(野津純一氏はそう感じて任意入院したのではないか。両親にしても家庭内同居ではどうしても諍いが頻発し、双方に心労甚だしいので入院を依頼したのではないか等など)と推察されます。

この様な入院形態は、家庭内・地域内葛藤(暴力など)で、家庭生活が本人にも家族にも苦痛となるがゆえ逃避と病院依存の意味があったり、また、患者と家族は、相互の心的緊張緩和のため及び3食・掃除洗濯など(日常生活介護)の代行を病院に希望して入院する場合もあります。この様な、「病気がそれほど悪くなくても入院を希望する場合」、それが患者および家族の当面の救済になります。しかしその任意入院(開放病棟治療)希望の根底(背景)に潜む、家庭内葛藤・暴力などの理由がありうることまで想定しなければ、自発的入院希望だから軽症と思われる精神障害を任意入院であるとして、本人の感情興奮や暴力傾向、精神的不安定要素を精神障害の診断・治療の過程で周到に配慮することが精神科医療ではないか。精神科開放医療を行う上では、患者の入院希望の意図に充分精査し医療に必要な配慮とシュミレーション・観察などを経て診断し、院内治療プログラムなどや社会復帰治療ゴールを精細に想定して治療計画が策定されて看護者にも治療方針が共有されて始めて入院治療が開始されることが精神科専門医の診断・治療の要であると考えます。

当裁判の争点の一つと思われる、「野津純一氏はいわき病院に入院する直前に、街頭における通行人暴行事件を引き起こしており、また初回のいわき病院入院に当たって初診時に両親(どちらか)は家庭内暴力等があったことも説明していた。」とされます。とすればいわき病院のような、野津純一氏の放火・暴行履歴等を精細に考慮せず、純一氏に精神科開放医療(医師の診療および看護を推進する際に慎重に考慮しないで)を行うことは、患者本人及び患者家族のことを考えた適切に行われた精神科臨床医療・看護であったとは言えないと思います。

また、精神障害者が起こす重大な事件の被害者の大多数は精神障害者の肉親・家族であり、精神科開放医療を促進することは精神障害者自身および家族の双方を守ることでもあり、精神科医療には家族の理解促進と同意を促進する治療方針に関するインフォームドコンセントと家族の精神障害に関する認識を深める家族教育が重要ですが、残念ながら実際には一部の保健所や病院などで行われているだけです。また少し治療協力者として熱心に面会に通いすぎると「過保護な家族(あるいはモンスター家族)」と言われ病院医師やスタッフに忌避されたり、年に一度くらいの面会しか行かない・できない家族は「冷たい家族だ」と批判されます。確かにこうしたことを良く聞きました。


(2)、精神障害者の事件・犯罪の特徴について


1)、肉親・親族(家族)に犠牲が多い
  精神障害者の重大事件(死傷事故)でその犠牲者は、実に70%が家族や近親者に向けられてきたという法務省の統計があります。完全なる第三者への死傷事故は15%です。「家族だから仕方がないじゃないか」とは言えない筈です。人間(患者)の精神的葛藤の捌け口として家族に向けられることが多いことは精神科医療界でなくとも良く知られています。当事者が入院を希望する場合、その精神科医療機関では専門家として手厚く居心地の良い入院時における医療(診療)・看護(観察ケア)が施されなくては入院した本人に孤立と不満を生じさせます。野津純一氏は、自己の内面(精神内界)の不全感やイライラ、衝動気分・感情興奮などを自分自身では制御できないからと言う自覚があったればこそ自発的(任意)入院をしたと思われます。それを適切に治療・ケアするのが専門精神科医療ではないでしょうか。専門精神科医療機関は開放病棟と言う物的(環境)提供でこと済まされる問題ではない筈です。家族としても家族(内)では出来ないから医療やケアを期待して診察、入院治療を希望します。こうした契約があるから家族・当事者もそれが故医療費を負担するのです。

2)、服用する薬の過剰や中止による副作用などが妄想や自殺・攻撃性の引き金になる
  現行の精神科医療の主とした治療技術に薬剤投与が行われていますが、患者の立場からは、多剤・大量・長期投与などによる副作用に苦しむことが多いのは事実であります。本人の心身に大いなる影響があり死に至る危険もあります。その一つの結果として、心筋梗塞が起きて私の兄は死亡(突然死)しました。兄の場合、断続的とは言え20数年間の長期服薬(勿論処方の変更はしばしばありましたが)は心身の衰弱を齎したのでしょう。それと違って、本件野津純一氏の場合には、抗精神病薬(プロピタン)の中断及びパキシル(抗うつ薬)の突然中断を同時に行った結果、副作用のアカシジア(イライラ・ムズムズ、手足の振戦など)に対して、主治医や看護者達の非受容的、拒否的、無関心的な対応にこらえきれなくなり感情興奮が昂進して、病院を出て市内で出会った矢野真木人氏に暴発と言う形で向けられたものと考えられます。

3)、精神障害者の自殺について
  世間では、精神障害者による死傷事故が多いなどと報道されますが、実際にはむしろ一般の犯罪率より低くまた精神障害者の場合には自殺率が高く、1997年の警察庁統計で自殺総数33,000人のうち精神障害者は5,500人でした。私の社会復帰医療センターSW経験でも、「かなりの程度社会復帰できつつある時に、それでも精神障害と診断ラベリングされた自分の人生(将来)を悲観して自暴自棄的に自殺した。」と思われる事例がありました。自殺も他人への死傷行為もその動機は一種の衝動行為や悲観的観念(絶望等)に陥った後になされます。その原因として、治療にゴールが無いゆえの自暴自棄や諦めなどからくる(施設症や病人病。あるいは精神科医は陰性症状と表現)状態になることが考えられます。従って、精神科開放医療を行うべきことは、精神障害者に生きる希望を与える精神科医療・看護(精神科専門の良質な医療・看護)が行わなければなりません。果たして如何でしょうか?

4)、重大事件を起こした精神障害者について
  私の経験の中で知るところでは、重大事件を起こした精神障害者の中には、犯行前に単なる入院で過剰な薬物投与のみと受け取られる中途半端で不適切な治療を受けていた場合や、それが嫌で密かに治療や服薬を中断する例などが多く感じられました。

本件では野津純一氏と主治医の患者と家族に、詳しいインフォームドコンセントが少なく、必要な面談等の治療回数も少なく、抗精神病薬(プロピタン)を中止中に外出し衝動行為に及んで重大事件を引き起こしたと見られ、断薬中という意味では共通しているのではないかと考えられます。

5)、適切な医療・福祉的支援が提供されていれば事件に至らない
  「社会的事件を起こす人の研究会」2000年の(YO元法務大臣およびYS衆議院議員他7名の精神科医が参加していたYO私的研究会。法務省刑事局長・厚生労働省精神保健課長・滝沢も出席)では、(精神障害者に起因する事故・事件を予防するための方策)の報告文で「精神障害者の事故や事件は一般の事件に比べて発生率は少ない。とは言え何の罪も無い第三者に重大な被害を与える事例もある。精神障害者が幻聴や妄想などの一時的な症状に支配されて引き起こした事例を分析すると、多くは適切な医療・福祉的支援が提供されていれば事件に至らなかっただろうと認められる」という報告があります。

結果論ではあるが、本件の、野津純一氏が入院中の外出時中に起きたこの種の患者の精神的不安定感による衝動行為などは精神科医療関係者により事前に引き止められるべきでありました。このことは精神科専門の医師や看護者に期待された役割でもあり、仮に、任意入院治療契約に基づく内容であるとしても、この事例に相当すると思われます。すなわち不適切な開放治療であったと言われても止むを得ないと考えます。

私は、日本の多くの精神科医療機関で閉鎖的病棟治療が行われている中、いわき病院が開放的治療をしている努力を評価しますが、かといって家族・市民から医療者に期待されている周到な観察や注意を払わない開放治療であっては成りません。いわき病院では患者単独の外出許可を行う時の患者の状態確認が疎かでした。外出許可のため患者と言葉を交わし、挨拶や外出目的の確認を励行するだけでも、入院患者の自己実現を認めることになり、こうした外出手続き過程の中で当該患者と関わりを持てますし、また当該患者の状態を観察できます。純一氏は入院者なのですから医師・看護者もそうすべきであるのです。


6)、精神障害に起因する重大事件とその背景について上記の報告書により表現すると


ア、患者の日常生活を支える医療・福祉的支援の問題として
  治療は継続中であったが、日常生活を支える福祉的支援に問題があったために症状の悪化を招き引き起こす場合があると述べましたが、上記の報告書では、精神医療の信頼性を高め不幸な事件を防止するためには、「*信頼され、親しまれ、受診しやすい精神医療環境が必要。*手厚く居心地の良い入院医療がかなりの量で確保されていること。*充実した訪問看護やホームヘルプサービスが理性かつ支援センターなどの気軽に相談できる窓口があること。*通院中の患者を孤立しないようにするための地域精神保健福祉サービスがあること。*憩いの家、デイケア、ナイトケア、サロンなど精神的居場所があること。」と報告されています。

本件、野津純一氏は入院中でも診療やケアから除かれた孤立した状態ではなかったかと推察されます。また野津純一氏の場合にあった、自傷行為の結果であるタバコの火を頬に当てたやけど傷(根性焼き)を発見していないという看護者の技量や注意不足こそ不適切な看護・ケア内容であり明らかなミステイクです。入院者の精神的不安定状態を見逃し、外出の確認も出来ず、結果的に感情興奮などによる衝動行為で不幸な事件の発生を防止することができなかった過失だ。と主張する原告側の意見について私は妥当であると考えます。


イ、主治医が患者の診察(面談など)の希望を受け入れなかった状態で起きた行為の責任について
  入院患者は通院患者以上に診察・診療・看護してもらって当然の筈ですが、精神科医療機関内では医師の裁量権の範囲として患者診察や観察が十分に行われない場合があります。医師等が院内で人材不足にも係らず他の病院の診療まで掛け持ちし、自分の病院の診療などに専念せず影響を与えたりするなど。野津純一氏は「重大な処方変更後の2週間で1回しか主治医診察をしてもらえ ず、この間の何回かの診察希望も「却下」された。」とすれば、いわき病院の医療が、「野津純一氏に他害的衝動興奮の有無やイライラ感などの不安定精神状態を詳細洞察することなく、経過観察をせず、いわば、無診療(低濃度の医療)状態とも言えるままにしておいた」ことは、決して医師の裁量権等の問題ではなく「入院治療(開放病棟治療)と言う医療の義務を行使しなかった過失」と言えるのではないかと考えます。


ウ、暖かく居心地の良い入院医療が整備されなければならない
  いやしくも「医療機関」と名乗る精神科開放病棟であれば、「暖かく居心地の良い心穏やかな入院生活が保障されるべき」が「医療」であると思います。入院中の野津純一氏が何らかの自らの精神内界における衝動感情の昂進状態を、観察、察知できる医療・看護の技術や技量と見識を持った医師・看護者に囲まれている筈であると、市民とりわけ精神障害者家族は精神科医療機関に期待してわざわざ入院治療をお願いすることがこれは過剰な期待なのでしょうか?

日本では過去から現在に至るまで、精神科医(鑑定医・指定医)は何らかの自傷他害の恐れの有無に関する予測の「措置入院の鑑定診察」に対して「自傷他害のおそれ」の予測可能・不可能論争がありました。それでいて、現実には、昭和47年当時の25万精神科病床中に6万7千人の被鑑定診断者が入院していました。この様な強制措置入院ではないその反対の本件の治療過程での事件発生可能性の予測でも、指定医もしくは精神科病院院長であるならばその予測は洞察しなければなりません。果たして野津純一氏の主治医は「指定医」「精神科医」として十分な能力・洞察力の配慮を備えていたと言えるのでしょうか? 多くの医師はその重要な役割を期待されてこそ、その代償として社会的ステータスが保障されているのです。


3、最後に、日本の精神科を含む「医療に関する法的根拠」の内容を確認しておきたいと思います。

以上申し述べた私の私見は、私の個人的な精神障害者家族経験からの見解。また40年に及ぶ精神科ソーシャルワーカー職業体験からの主観的見解であります。しかし同時に我が国における医療法の「医療」に関する法的内容・規定との照合から申し述べたものであります。最後に我が国の精神科医療における根拠となる医療法(法律・規則)には「医療について」「その内容」がどのように書かれていたかを見てみます。

我が国の医療に関する法律では基本的に以下のように規定されています。(アンダーライン部分に注意してください

医療法第一条(法の目的)で、「医療とは医療を受ける者の利益の保護及び良質かつ適切な医療を効果的な医療を効率的に提供する体制の確立を図り」
医療法第二条の2(医療提供の理念)で、医療は単に治療のみならず疾病の予防のための措置及びリハビリテーションを含む良質かつ適切なものでなければならない」。
医療法第一条の4 第2項(医療関係者の責務)で、医師その他の担い手は、医療を提供するに当たり、適切な説明を行い、医療を受ける者の理解を得るよう務めなければならない
医療法第一条の5 第1項(病院の定義)で、「病院は傷病者が科学的でかつ適正な診療を受けることができる便宜を与えることを目的として組織されかつ運営されるものでなければならない」
療養担当規則第2条で「保険医療機関が療養の給付を行う場合には妥当適切であることが必要である」
療養担当規則第20条7 イでは、「入院の指示は療養上必要があると認められた場合に行なう」とし、そしてまた「医療の適切性の判断根拠は、医学的必要性と社会的妥当性を独立に判断、充足すること」とし「医療の必要性(医学的必要性)の判断は、「医師(医療専門家)の裁量権と判断が尊重されること」とし「医学的必要性を認めても状況によって不適切な医療があること。また社会的妥当性については医師(医療専門家)以外による判断が加えられること」とされている。

次いで医学的必要性の判断要素としては「医学的必要性が常に認められる領域及び状況によっては認められたり認められない領域がある」とし「エビデンスと適切な手続き・手順が重視されるが、患者特性その他により個別的判断は医師の裁量権が尊重される」「医学的必要性と医学的無益性、QOLが衝突する場合は社会的妥当性の判断と重複することがある」としている。

また重要なのは、社会的妥当性の判断要素について、まず適法であること」「医師の説明義務と患者の自己決定権が尊重されること」「効率的かつ費用効果の高い治療法が選択されること」としている。この医療法の規定が私の意見(疑問も含む)の根拠であります。

以上、果たしてこれら医療の社会的妥当性及び適切性の判断基準の諸条件を、いわき病院における、野津純一氏に対する精神科医療(治療)と精神科看護ケアは適切に果たされたのか? その入院治療を受けたいわき病院の「医療の質」と「内容」を再検討して、如何に医療内容の質・医療密度の多寡、医療濃度の深浅度、そして医師および医療関係者の職業倫理に基づくと言われる営為が真剣に検討されることを医療の対象者家族として心から望むものです。このことが特に「莫大」な「裁量権」を持った精神科医師(指定医等)・精神科病院管理者の義務であり診断責任と治療責任であると信じます。

上記のとおり、本控訴審に際し滝沢武久の意見陳述書といたします。



参考:滝沢武久(精神科医療・障害者福祉モニター)


◎ 略歴(履歴・職歴等)
1942年 群馬県前橋市に生まれる。1952年父の死(本人10歳)
1955年 11歳上の長兄(23歳)が精神神経衰弱と診断され入院(本人12歳)
1960年 商業高校を中退し上京。カバン製造工となり定時制高校卒業。
1961年 日本社会事業大学入学と同時に都立夜間高校事務吏員として勤務。
1965年 大学卒業後夜間高校勤務しつつ全国社会福祉協議会老人クラブ連合会勤務
1966年 退職後いわゆる浪人(夏から秋にかけ4ヶ月間日本縦断単独自転車旅行)
1967年 4ヶ月の民間精神科病院実習勤務後、神奈川県三崎保健所。相模原保健所。小田原保健所。川崎市社会復帰医療センター。中原保健所。川崎市精神衛生相談センター等13年半勤務し精神障害者の医療、社会復帰ケア活動従事。
1979年 イギリス、ベルギー、西ドイツの精神障害者地域ケアの16ミリ映画製作。
1980年 (財)全国精神障害者家族会連合会事務局長、1991年常務理事、1995年専務理事。1996年退職。この間、国際障害者年日本推進協議会(現JD)政策委員長。全国社会福祉協議会心身協予算対策委員長など。また、カナダ、フランス、アメリカ、メキシコ、ニュージーランド、アイルランド、エジプト等の精神障害者医療福祉事情を視察(映画撮影)。世界精神保健会議に出席・報告。
1996年 衆議院議員公設政策秘書。(2001年退職以後私設秘書6年)
2002年 目白大学人間福祉学部教授・客員教授。2005年退職。
(なお1990年から神奈川県内地元社会福祉法人理事長、特定非営利活動法人理事長、サービス管理責任者として地域作業所・グループホーム等を設立運営し現在に至る)

◎ 著作、著書
「家族生活とストレス」共著、垣内出版(1985年)
「精神保健福祉への展開」共著、相川書房(1993年)
「こころの病いと家族のこころ」単著、中央法規出版(1993年)
「Innovation Japanese Mental Health Services」共著、Jossey Bass社(1993年)
「新・社会リハビリテーション」共著、誠信書房(1994年)
「成年後見Q&A(くらしの相談室)」共著、有斐閣(1995年)
「精神障害者の地域福祉」共著、相川書房(1995年)
「精神障害者の事件と犯罪」単著、中央法規出版(2003年)
「家族という視点」単著、 松籟社(2010年)
10 「検証;日本の精神科社会的入院と家族」、筒井書房(2014年)

◎ 論 文
「精神障害者の特色と問題点」ジュリスト総合特集 第24号(1981年)
「精神障害者福祉を推進するために」同上 第41号(1986年)
「精神障害者の生活をめぐる諸問題」障害者問題研究 第44号(1986年)
「患者の責任能力と家族等の保護義務」法学セミナー増刊(1987年)
「保護義務者制度の問題点」作業療法ジャーナル別冊 第26号7巻(1992年)
「宅間容疑者に騙された精神科医・警察・司法」中央公論(2001年)

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