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いわき病院控訴審答弁書に対する反論
精神障害の治療と人道及び人権
次期公開法廷(平成26年1月23日)を控えて


平成25年12月6日(矢野真木人9回忌)
矢野啓司・矢野千恵


【結び】 日本の精神医療の発展を願う裁判

平成17年12月6日12時24分に矢野真木人は精神障害者純一氏に高松市香川町のショッピングセンター駐車場で通り魔殺人されて、28年の人生を閉じました。この時から私たちは矢野真木人の両親として「矢野真木人は何故死ななければならならなかったのか?」、また「矢野真木人の人生は何だったのか?」、更に、「矢野真木人に生きた証を造れないか?」、「矢野真木人に社会貢献の道はないのか?」、「矢野真木人が契機となって社会改革が促進されたという結果を達成できないか?」・・と考えを巡らせました。

「矢野真木人が何故死ぬに至ったか?」という事実を探求して、私たちはいわき病院が犯人純一に行った精神医療は人権を尊重せず正義でないと確信しました。真面目で誠実な医療が行われておりません。その状態が日本では放置されています。接触してきた精神医療関係者の態度から、「死んだものは仕方が無い」、「精神科医療機関に責任はありません」という問答無用な圧力を感じました。また、「犯人は心神喪失者で殺人行為を罪に問われることはない。犯人を治療していた病院から説明もなく事実を知る手段もない。矢野真木人の両親として、ただ不幸の悲しみ涙を流しなさい」という日本の現実が突きつけられました。殺人事件の被害者が無視されて、同様の殺人事件の更なる発生を防止する改善の道を探ることを行わない専門分野がある。それは正義ではないと確信しました。

私たちは矢野真木人を殺人した純一氏に対して行われたいわき病院の精神科医療の実態を調査して、「純一氏もいわき病院精神科医療の被害者」と確信しました。事件には「殺人された矢野真木人」と、「殺人者にならされた純一氏」という二人の被害者像が見えました。ところが、その背景にいるいわき病院は、「病院に責任は無い」と我関せずです。その状況から、「いわき病院の医療という精神科病院の問題」と、「いわき病院の不正を許す日本社会の課題」があると確信しました。

裁判審議を通して解ってきたことは、いわき病院と渡邊医師の精神科医療は、錯誤がある上に、入院患者純一氏の立場を尊重せず、また、苦しみを理解せず、本人の病状が悪化しても主治医が診察せず放置していた不作為と怠慢の医療でした。更に、精神科入院患者の自殺は珍しくないとの情報もあります。ただ1回の命を精神科病棟で過ごす患者の状況は人権を否定された状況で、改善される必要があります。それが日本の尊厳です。

日本では精神障害者による殺人事件被害者の人権を守る法的慣行があるとは言えません。個人が理不尽な終末をむかえさせられたとしても、死の原因や過程を遺族が納得できるように究明して情報公開する制度がありません。また、不幸な死を削減するための社会の仕組みがありません。「運が悪かった」として、法律専門家の世界に隠蔽して、放置し続けることは人道と法治主義に基づかない残酷な社会です。日本の名誉を損ないます。

私たちは、日本の社会に全ての国民の人権を等しく尊重する運営を求めます。本件裁判は、いわき病院だけが被告ではありません。日本社会が人権を尊重した精神医療を実現するように変革することが課題です。私たちは公正な日本社会を造ることを問い続けます。



   
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