WEB連載

出版物の案内

会社案内

いわき病院控訴審答弁書に対する反論
精神障害の治療と人道及び人権
次期公開法廷(平成26年1月23日)を控えて


平成25年12月6日(矢野真木人9回忌)
矢野啓司・矢野千恵


第7、いわき病院と渡邊医師の過失責任


4、精神科医療と人道及び人権


(1)、国際公約は精神障害者の人権を守ること
  いわき病院は「精神科開放医療は日本の国際公約であり、その推進を阻害してはならない」と主張したが、控訴人(原告)矢野は「精神科開放医療を日本で定着させるには、日本の精神医療と法手続は如何にあるべきか?」を自問しつつ本件裁判に臨んできた。

控訴人矢野は「日本の国際公約の精神科開放医療の推進」とは「日本の国際公約として、あらゆる場面において精神障害者であるなしに拘わらず、人道に徹し人権を守り尊重すること」であると言い換える。


(2)、精神障害者に無為な人生を強いることは非人道的
  日本では、精神障害者の多くが、精神障害と診断された後は精神科病棟に閉じ込められて、無為な人生を強いられた歴史がある。このことは、精神障害が軽く、市民生活が可能な人でも、精神科病棟に閉じ込められて社会から隔離された可能性、また、甚だしい場合には、医師に精神障害者と誤診されて、人生を無為に過ごすことを強いられた人間がいた可能性を示す。精神科病棟では自殺が極めて多い。仮に、精神障害が軽い人や場合によって精神障害でない人間が、人生を精神科病棟に閉じ込められて、自由で独立した生活を永遠に回復できないとなれば、また救済を期待できないとしたら、その立場に置かれたことを知った人間の落胆の程がいかばかりか、はかり知れない。この様な可能性があることが問題である。日本では「救済を期待できないような、不幸な可能性などあり得ない」と確信できる、人権を尊重した責任ある精神科医療制度が必要である。


(3)、地裁判決手続きに潜む非人道性
  高松地方裁判所で、控訴人が敗訴した理由の一つに、「精神科病院が敗訴したら、影響が大きすぎる」といういわき病院の主張に、裁判所が同調したと推察されるところがある。これは実に恐ろしいことであり、私たちが間違って精神科病棟の患者になった状況で、不幸な事態や経過に置かれた場合に、法的に救済される手段が限られることを示す。

特に高松地方裁判所がいわき病院が推薦したIG鑑定人の国立千葉大学医学部教授としての権威におもねった判決を行ったと推察できることは深刻である。IG鑑定人は精神科医師として専門家意見を求められたものであるが、向精神薬の薬効に関する鑑定意見は薬理学的に定見を欠いていた。特に、パキシルについて「突然中断」と「継続投与」に関して、「精神科医師として非誠実で、いわき病院弁護を目的として、添付文書違反を容認して、意図的な混同を画策したと理解されても仕方が無い、精神医学専門家として資質が疑われる見解を述べた」ことは、重大である。また、平成17年12月の事件当時と平成23年7月の鑑定時点のわずか5年半で精神医療水準が異なるという鑑定意見には根拠が無い。香川大学病院精神科外来担当医師である渡邊医師を、一般病院の一般の医師であるから大学病院で適切でない医療を行っても構わないと鑑定したが、不誠実な二重基準である。更に、地裁結審前日に法廷に提出した鑑定意見書(III)は、控訴人(原告)側の鑑定意見書の全てに答えた内容とは言えず、問題と論点の的を外しかつ、精神医学的見解とは言えない内容であった。この学問的見識を欠く見解を安易に容認した法廷審査手続きは、本件が精神障害者と市民の人権に拘わる裁判であるだけに、重大な瑕疵があると指摘する。事実確認と証明を欠く鑑定意見を、執筆者が大学教授であるという権威だけで他の鑑定意見に優先して採用する裁判手続きは、事実に基づかない人道の抑圧になり得る事であり、その上で、法的救済が期待できない悲劇を生む可能性がある。


(4)、いわき病院と渡邊医師の精神医療がもたらした純一氏の塗炭の苦しみ
  渡邊医師が純一氏に行った精神科医療には、精神医学の診断に関する理論と実践に理解不足や知識不足、精神薬理学の確認不足と錯誤、患者の病状の変化を経過観察と診察をしない怠慢と不作為、更には患者から診察要請を受けても拒否した患者無視があった。その上で、いわき病院は精神科看護の基本である患者の表情や病状を患者の正面から顔面観察をして行うことが無い、怠慢と不誠実な看護実態であった。この様な状況でいわき病院は、純一氏のアカシジア(イライラ、ムズムズ、手足の振戦)による堪えきれないほどの激しい苦しみに気付くことなく放置した。この純一氏が塗炭の苦しみ状態で、いわき病院側に気付かれることなく放置されていた問題は、矢野真木人殺人事件を引き起こす結果となった。矢野真木人殺人事件が発生するままに放置したいわき病院の精神科医療は極めて深刻である。しかし、問題はこれに終わらない。


(5)、更なる人権侵害の予見可能性
  渡邊医師は、精神科診断理論の学習と理解に不足があり、かつ向精神薬の処方で錯誤や添付文書の危険情報を確認せず、また医師自らが患者に病状変化を誘引した原因者でありながら、患者の病状の変化を経過観察せず、患者から依頼があっても診察せず要請を拒否した精神科臨床医療は、更なる人権侵害を導く可能性があると予見する。

いい加減な診察と診断で「精神障害」または「精神障害の可能性あり」と診断され、向精神薬を複数しかも大量に処方され、その上で、頻繁に向精神薬を処方変更されれば、純一氏でなくても誰であれ、精神の異常を来たすことはあり得ることである。

渡邊医師が行った純一氏に対する治療経過を冷静に分析すれば、渡邊医師による精神科医療過誤の被害者は純一氏だけでない可能性が極めて高いことが予想可能である。また、不幸な被害者が他に存在しないとは言い切れない。精神障害者であっても、心神は常に異常な状態で継続するのではない。健常な状態を取り戻した時に、自らに救いがない状況に置かれていると知った場合、その落胆の心は極めて甚大であると予想可能である。


(6)、救いの手段としての精神科開放医療
  精神科開放医療を着実に推進することは、上述のような「救いがない落胆に続くであろう、悲劇の結果予見可能性に対する、結果回避可能性の手段でもある」と確信する。人間はこの世に生を受けた以上、心神の状態如何にかかわらず、精神の状態如何にかかわらず、その人間個人として、またその資質に応じて、幸せ感を持ち、幸せを享受する権利があるはずである。精神科医療は人間を抑圧する手段であってはならない。精神科開放医療は精神科解放医療でもある。


(7)、社会防衛機能から精神障害者の解放を促進する精神科医療への転換
  上述に関連して、FN鑑定人からご意見をいただいた。「多くの人は、精神障害者は閉鎖病棟にいるほうが社会は安全と考え、精神科病院職員の中には、病院は社会防衛機能があり、家族の手に負えない人たちを預かっているといった考えを持った人もいます。その点、いわき病院訴訟は、控訴人(原告)が勝訴すれば我が国の精神医療改革に大きく舵を切ります。私が期待するのはそのことです。」

精神障害者の中には病状悪化が進展して「家族の手に負えない人たち」がいることは確かであり、現実に閉鎖病棟処遇を解くことが適切でない患者は存在する。将来的にも向精神薬や治療手法の開発がどのように進んでも、開放処遇の対象にならない精神障害患者は存在するであろう。しかし、その患者数は可能な限り少数であることが望ましく、人間として健全な心神を持てるような精神科医療開発が期待される。

現実に閉鎖処遇を解くことができない患者が存在する事で、精神科開放医療が否定されるものではない。精神障害者が健全な心身を回復し、将来に希望を持つ為にも、精神科開放医療の技術開発は促進される必要がある。精神障害が軽快して、社会参加が可能となる人間が増加することも、今日の世界標準の精神科医療で可能となっているのであり、日本にあってもその利益を享受できることは精神障害者の権利である。

精神科医療機関の社会的役割は社会防衛機能が従となり、精神障害者の解放と社会参加の促進が主となることが今日の趨勢であり、世界標準である。また、精神障害の既往歴がある人間が健全な心身で社会生活を送ることができるようにすることが精神科医療機関の役割でもある。いわき病院は、精神障害の治療が可能であるからこそ、精神科開放医療を行っていたはずである。

なお、社会防衛機能の概念には「公共の福祉」や「公共の利益」を優先する論理が内在しており、場合によっては「個人の尊厳」が二の次にされる状況を容認する論理でもある。そこに、日本の精神科医療が人権の抑圧に関係してきた歴史的背景を指摘できる。精神科医療は先ず治療の医学として脱皮して行くことが、今日の世界的標準の、人間性と人権を尊重する医療である。


(8)、「いわき病院訴訟」で問われる課題
  控訴人矢野は、いわき病院訴訟を通して、精神科医療機関が責任感を持ち、世界標準に基づいて、今日の日本でも普通で一般的な精神医療技術の裏付けがある、誠実な精神科臨床医療を患者に実現する事を求めて、本件訴訟に臨んでいる。

いわき病院長渡邊医師は、「日本の国際公約である」と主張して、「精神科解放医療というお題目を唱えていれば、精神科解放医療という大義名分を主張しておれば、不勉強や、怠慢や不作為があっても、精神科医療機関と精神科医師は過失責任を問われることがあってはならない」という論理である。しかし、それは間違いである。精神科医療は精神障害という病気の治療が目的であり、精神科医療機関と医師は、治療目的を達成するために実質のある医療を推進する義務がある。その義務に不履行がある場合には、大義名分等の主張とは関係なく、法的責任が問われてしかるべきである。

精神科病院に社会防衛的機能があるとしても、精神障害者は生まれながらの犯罪者ではない、また精神障害者は永遠の社会生活不適格者でもない。精神障害者は健全な市民生活を行うことができる人間であり得る。また、精神科病院は心神の異常に関して治療を行う医療機関である。精神科医師、看護師および作業療法士等は精神障害を治療することが主目的の専門職である。精神科開放医療の促進は、それが世界標準の精神科臨床医療で可能であるからこそ、日本の国際公約となるのである。いわき病院はそれを実現する責務を負うのである。

控訴人矢野は「いわき病院と渡邊医師」という実例から、その法的責任を明確にすることを通して、精神科医療に内在する、日本の社会的課題を明らかにすることを求めている。わが国の精神医療改革は促進される必要がある。本件裁判は、その礎を築くことが目的である。




   
上に戻る