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いわき病院控訴審答弁書に対する反論
精神障害の治療と人道及び人権
次期公開法廷(平成26年1月23日)を控えて


平成25年12月6日(矢野真木人9回忌)
矢野啓司・矢野千恵


第4、いわき病院と渡邊医師の過失の本質


4、パキシル突然中止は添付文書違反


(1)、パキシル・インタビューフォーム(平成17年当時)
  いわき病院はパキシル・インタビューフォームを証拠提出していわき病院と渡邊医師の純一氏に対するパキシル治療、並びに「パキシル中止理由」には問題がなかったと主張した。しかしながら証拠として提出したインタビューフォームは2011年(平成23年)8月刊行で、同文献が根拠としたパキシル添付文書は2011年(平成23年)3月である。

いわき病院がパキシル・インタビューフォームを引用するのであれば、事件当時に使用されていた版(2003年8月 改訂第7版)を使用するべきであり、その「VIII.安全性(使用上の注意等)に関する項目」の「6. 重要な基本的注意とその理由及び処置方法」(P.23)に以下の記述がある。

(4) 減量又は投与中止後に耐えられない症状が発現した場合には、減量又は中止前の用量にて投与を再開し、より穏やかに減量することを検討すること。

本剤の投与中止(特に突然の中止)により発現する症状については、「その他の注意」の項に記載し、本剤の投与を中止する際には徐々に減量するよう、注意喚起をおこなってきたが、今回、「重要な基本的注意」の項に移動し、注意喚起を強化した。

これまでも留意していた点であるが、改めて本剤の投与を中止する場合には、これら症状の発現の危険性を軽減するため、突然中止することなく徐々に減量する。

また、本剤減量中あるいは投与中止後に耐えられない症状が発現した場合の対処法について、追記した。この様な症状が発現した場合には、減量あるいは中止前の用量にて投与を再開することを検討する。症状が軽快した後、再度減量する場合には、前回の減量時よりは緩やかに減量(隔日投与も考慮する等)する。

いわき病院は事件の前に本剤(パキシル)に関係して重大な記載変更があった事実を承知せず、薬剤を患者に投与して、中止する際にも注意事項を確認していない。更に「突然の中止」が問題であったと指摘されると、「突然ではない、準備段階があった」と弁明したが、「薬を中止するまでの準備期間」があったと主張するのであれば、「突然中止」ではなく「緩やかに減量」の意味を忘失することはあり得ないことである。


(2)、パキシル添付文書(平成17年当時)
    いわき病院は矢野真木人事件が発生した平成17年当時パキシル添付文書を法廷に提出できていない。控訴人(原告)が入手した2003年(平成15年8月改訂、第5版)、2004年(平成16年8月改訂、第6版)及び、2005年(平成17年6月改訂、第7版)における、「重要な基本的注意」に関する記述と変更箇所は主として「パキシルの投与中止」に関する問題であり、該当箇所の変更前と変更後を以下に抜粋する。〔以下で、第6版から第7版への記述内容の変更箇所は下線部分である。〕重要なポイントは、「突然の投与中止は避けること。投与中止をする際は、徐々に減量すること。」の記述が継続して記述されているところである。この記述形式からは、「理由ある中止は突然の中止ではない」という解釈は発生しない。パキシル添付文書に記述された「突然の中止」とは、いきなり投薬をやめることであり、「時間をかけて徐々に減量することとは逆」の危険な中止方法に外ならない。

2.重要な基本的注意(2003年8月改訂、第5版)(2004年8月改訂、第6版)
(3) 投与中止(特に突然の中止)により、めまい、知覚障害(錯感覚、電気ショック様感覚等)、睡眠障害、激越、不安、嘔気、発汗等があらわれることがあるので、突然の投与中止は避けること。投与中止をする際は、徐々に減量すること。

2.重要な基本的注意(2005年6月改訂、第7版)
(3) 投与中止(特に突然の中止)又は減量により、めまい、知覚障害(錯感覚、電気ショック様感覚等)、睡眠障害(悪夢を含む)、不安、焦燥、興奮、嘔気、振戦、錯乱、発汗、頭痛、下痢等があらわれることがある。症状の多くは投与中止後数日以内にあらわれ、軽症から中等症であり、2週間ほどで軽快するが、患者によっては重篤であったり、また、回復までに2、3ヶ月以上かかる場合もある。これまでに得られた情報からはこれらの症状は薬物依存によるものではないと考えられている。
本剤の減量又は投与中止に際しては、以下の点に注意すること。
  1) 突然の投与中止を避けること。投与を中止する際は、患者の状態を見ながら数週間又は数ヶ月かけて徐々に減量すること。
  2) 減量又は投与中止後に耐えられない症状が発現した場合には、減量又は中止前の用量にて投与を再開し、より穏やかに減量することを検討すること。
  3) 患者の判断で本剤の服用を中止することのないよう十分な服薬指導をすること。また、飲み忘れにより上記のめまい、知覚障害等の症状が発現することがあるため、患者に必ず指示されたとおりに服用するように指導すること。

パキシル添付文書(平成17年6月改訂、第7版)では、「突然の投与中止を避ける」、「患者の状態を見ながら週間又は数ヶ月かけて徐々に減量する」、また「患者の判断で本剤の服用を中止することのないよう十分な服薬指導をする」等が具体的に注意書きされている。これらの諸点は何れも、いわき病院控訴審答弁書で否定された事項であり、いわき病院と渡邊医師がパキシル添付文書を無視した精神科臨床医療を行っていた事実が浮かび上がる。特に、渡邊医師はパキシル中止後に「患者の状態を見ながら数週間又は数ヶ月かける」経過観察と診察を行っておおらず、怠慢と不作為の精神科臨床医療は許されない。


(3)、本質的な問題は「パキシル突然中止」と「抗精神病薬維持療法中止」を同時に行ったこと
  いわき病院代理人は渡邊医師が平成17年11月23日から処方変更した複数の向精神薬を個別に検討し、各薬剤のインタビューフォームの記述を極めて限定的に解釈し、かつ記載の本来の目的を歪めて解釈して「問題は無い」と主張した。加えるにいわき病院に推薦されたIG鑑定人の鑑定意見書(II)、(III)は原告側鑑定人から結果予見可能性に関する重要項目と指摘されたにも拘わらずプロピタン・パキシル同時中断には全く触れず、精神科医師の鑑定書とは言い難い、法律家の代筆でないかと疑われる記述内容であり、精神科医師の薬理学的な記述からかけ離れたものである。高松地裁判決はこれらに安易に乗せられたものであり、精神医学的な事実認定を間違えている。

そもそも抗精神病薬維持療法の中止とパキシル(抗うつ薬)の突然中止を同時に行うことは極めて危険であり、そのような無謀な処方変更をする医師は渡邊医師以外にはいない。従ってデータとして危険性を証明する先例は存在しない。また殺人事件の発生は極めて希少事例であり、国際的にも個別の治療(薬事処方)と殺人事件の発生を統計解析したデータが存在することも疑われる。それでも精神科医療に関連した殺人事件は発生しているが、わが国では心神喪失者の事故とされるため、この様な事例を収集してデータ解析を行っていない。従って「殺人を行う80〜90%という高度の蓋然性」の証明を、統計データを基にして法廷に提出することは不可能である。

しかしながら、渡邊医師が行った「抗精神病薬維持療法の中止とパキシル(抗うつ薬)の突然中止を同時に行い、かつ、アキネトン(カシジア緩和薬)を中止し生理食塩水に置き換えたプラセボテストを同時に行い、その上で詳細な経過観察を行わない精神科医療」は非常識中の非常識である。そもそもこの様な無能な精神科医療を行った医師は、世界中を探してもただ一人であろう。従って参考となる先例が存在する筈がない。この様な無責任かつ無能な医療が、先例がないことを以て、高度の蓋然性という統計的データの不足により責任回避されることがあってはならない。

判決は社会の記録として歴史に残るものである。精神医療という科学に基づいた行為の事実認定で、法廷テクニックや、言葉によるごまかし、および科学的判断を行わない鑑定意見書により歪曲されたものであってはならない。そのようなことがあれば、事後の歴史的評価で、判決者の適格性が問われることになるであろう。

上記を整理すれば、次の通りとなる。

  1. いわき病院代理人の論理であるパキシルとプロピタンの薬剤添付文書の記載を個別に議論することでは、いわき病院代理人の作戦に乗せられる。また、いわき病院の解釈論は添付文書の記載の主旨と目的を逸脱しており、逆の意味で、いわき病院の解釈論そのものがいわき病院の薬事療法に過失があった証明である。
  2. いわき病院代理人(控訴審答弁書P.21)は、最高裁が過失推定の要件した「(3)、添付文書に従わない特段の合理的理由がないこと」と主張するが、「パキシル突然中止」は添付文書の記述に従うべきであり、更に「抗精神病薬維持療法の中止」との同時中止は、重要な過失構成要素である。
  3. そもそも、『「パキシル突然中止」と「抗精神病薬維持療法の中止」を同時に行う』非常識(極めて無能)な医師は渡邊医師以外にはおらず、「参考となる先例」は存在しない可能性が高い。
  4. そもそも殺人に至るデータは希少事例中の希少事例であり、発掘できない可能性がある。これが、本件裁判の本質であり、治療が破廉恥すぎて、先例がない現実があっても、責任が回避されることは、避けるべきである。

(4)、極めて重大な問題は、11月23日の処方変更後と12月1日のプラセボテスト開始後に渡邊医師が真面目に経過観察をおこなっていない事実
  いわき病院と渡邊医師の過失の本質は「11月23日の複数の向精神薬の処方変更後とプラセボテスト開始後に渡邊医師が真面目に経過観察と治療的介入をおこなっていない事実」である。いわき病院控訴審答弁書はこの点に関連して具体的な反論を行っていないが、「行えなかった」と認定すべきである。

IG鑑定人は国立千葉大学医学部教授の権威をもって、いわき病院と渡邊医師を「一般的な病院の一般的な医師の一般的な精神科医療」と鑑定して、「日本では、普通の精神科病院の、普通の精神科医師の、普通に行われているどこにでもある精神科医療」と認定した。慢性統合失調症の患者に抗精神病薬維持療法の投与を中止して統合失調症治療を中止した状況で、同時に複数の向精神薬の処方変更する精神科医療が、日本では普通で一般的な処方であるとしたら、事は重大かつ深刻である。また、その後で、主治医が患者の診察頻度を上げず、きめ細かく病状の変化を観察・診察せず、仮に患者の状況を観察したとしても医療記録を残さず、病状の変化に対応した治療的介入も行わない。この様な怠慢と不作為の精神科医療が日本では普通で一般的な医療であるとしたら、事は重大かつ深刻である。更に、患者は病院内で数日間にわたり顔面にタバコの火を当ててやけど傷(根性焼き)を自傷していたが、看護師は誰も発見しておらず、顔面左頬のやけどの記録が存在しない。この様な患者の毎日の顔面の状況を観察しない精神科看護が日本では普通で一般的な看護であるとしたら、事は重大かつ深刻である。

いわき病院は控訴人矢野及び控訴人NZの指摘に回答できないのである。この様な具体的な指摘に、具体的に回答できず反論もしない事実は、回答も反論もできないという意味である。いわき病院と渡邊医師は自らの過失を認めたことになる。

  1. いわき病院控訴審答弁書は「経過観察不在」と「治療的介入不在」には白を切って、過失責任は無いと主張しているが、この点で追及を緩めてはならない。
  2. 入院医療契約の債務不履行の観点から、より明瞭な論旨展開と、渡邊医師の責任追及が求められる。
  3. 怠慢と不作為はいわき病院の医療過誤の本質である。精神病院は、患者の放置や医療不在を行ってもかまわない、と判決した高松地裁の司法判断がもたらし得る状況及び社会展望は極めて深刻である。

5、いわき病院看護の問題点

純一氏はいわき病院内でタバコの火を顔面左頬に当ててやけど傷を自傷する根性焼きの行為を行っていたがいわき病院の看護師は誰も発見していない。純一氏の事件直後の警察における供述では「事件(又は身柄拘束した7日)の2〜3日前(12月3日〜5日)から自傷していた」とされるが、精神障害者の供述であり、日付の確実性に信用がおけないところがある。しかし、根性焼きは6日の事件直前にショッピングセンターのレジ係が純一の顔面に目視し、事件直後に控訴人NYがいわき病院内で顔面の新しい痣を確認していたので、12月6日に純一氏の顔面左頬に根性焼きが存在していたことは確定的である。事件後に純一はいわき病院に6日13時頃から7日14時頃まで25時間いたが、看護師は誰も顔面の異常(根性焼きを含む)を報告していない。いわき病院内の患者観察に関して重大な疑問がある。

以下は、FN鑑定人からいただいた意見である。

(1)看護記録から見た専門性の低さ
  いわき病院の看護記録は、POSによる記述方式を採用している。添付した資料は、1994年2月に医学書院から発行され、看護記述のバイブル的意味を持っている。

この本によれば、主観的データー(S)、客観的データー(O)、判断・評価(A)、計画(P)の流れで記述するのが一般的である。
  これに対して、いわき病院の看護記録は、12月4日の準夜帯から12月7日の朝までにアセスメントとプラン(計画)は、一度だけである。

4日には歯痛を訴え、四肢の不随運動を訴え、薬を要求している。
  5日には、軽度倦怠感、咳嗽がある。午後9時には、アキネトンを希望している。看護師も表情もやや硬いと認識している。

それに対するアセスメントは、「安定している状態か」ととらえているが、アキネトンの注射をせず治療効果の無い生理食塩水を筋注している。計画は、「様子観察」となっている。

6日は、のどの痛みと頭痛を訴えている。看護師は、両足の不随運動を認識している。

事件発生日(6日)の午後8時看護師は、「夕食摂取しない」と認識しているが、最も大切な不食の理由を記載していない。

事件発生日の翌朝(7日)「朝ご飯いらん 食べん」に対して、「食事摂取促すがやはり欲しくないという」との記録でとどまり、「様子観察」との記述で終わっている。深夜帯勤務者が日勤帯勤務者に引き継ぐべき情報が残されていない。


(2)コメント
  事件発生日前後の記録から見えるのは、両足の不随運動、のど、頭痛の訴え、夕食と朝食の連続不食は看護の専門性から当然の問題である。その問題を判断し、対応(計画)する責務がある。

記録から言えるのは、問題を問題として捉える力に欠け、必要な判断と対応が出来ない低いレベルの看護体制である。

更に、任意入院患者は隔離、拘束が必要な場合は、医師の診察の上で医療保護入院に変更(第22条の3)できる。しかし、歯科診療のレセプト(17/7 .8.9.10.11月)によれば、「日によって暴力行動をするため抑制器具を使用し、看護士介助のもとに治療」とされている。つまり、日によって暴力行動が予測される患者として位置づけられている。

主治医は、入院中の患者の症状や生活態度の情報を看護師から受け取る。その上で医師としての判断と治療を行うが、前述のように看護師の技術レベルが低くまたは、欠損している場合は、壊れた聴診器で肺炎の患者を診察しているに等しい。

渡邊医師の誤診や対応上の問題の背景には、看護師の専門性の低さが強く影響していることを指摘したい。低い医療看護水準のままで病院経営を行った病院長の責任は甚大である。


6、十中八九の殺人危険率という詭弁


(1)、いわき病院第11準備書面の論理
  いわき病院は(第11準備書面(平成22年12月17日)で「いわき病院が治療する患者の十中八九が殺人するのでなければ、直接因果関係は証明されない」と主張したが、「10人中7人までが殺人する程度では、いわき病院に責任は無い」と主張したことになり、極めて反社会的である。

仮に「患者の10人中1人が殺人する確率」であったとしても、特定の病院で殺人事件が頻発する事になる。これが「10人中1人の確率で発生する他害行為」であったとしても同じであり、異様な人身傷害事件が頻発することになり、社会は安全が脅かされて震撼する。人間はそもそも精神障害者であれ、健常者であれ、他害行為を自制するメカニズムが働いており、他害行為を行う人間は精神障害のあるなしにかかわらず、極めて少数、かつ極めて低い発生確率頻度である。そもそも他害行為の発生頻度は10人中という尺度には当てはまらない。その異常な尺度を持ち出すところに、いわき病院及び渡邊医師の「精神障害者と市民の安全向上に貢献する」社会的責務を認識しない非常識な世界観が存在する。


(2)、他害行為の危険率及び殺人事件の発生
  殺人事件の発生は、極めて希な事象であり、「精神科開放医療における80〜90%の確率で殺人」と言う統計的数値は存在する筈がない。また、逆数の「殺人確率10〜20%」でもしかり。この様な認識で精神科開放医療を行えば、何れ、必然的に殺人事件は発生する。しかし、その生起確率を計算しても、仮に対象が非常識な病院であったとしても、1%に至ることはないであろう。殺人の生起確率とはそれ程低く、数値が低くても、社会的には深刻かつ甚大な問題である。「80〜90%の殺人確率」というデータは存在する筈がなく、このような非常識なデータを請求して、原告敗訴に持ちこむ裁判が継続され、それを容認する判決がある限り、非常識かつ非人道的な日本の精神医療は是正されない。

(3)、市民の生存権と精神科開放医療の実現
  本件は市民の生存権に関係し、いわき病院代理人の法曹資格の適性、及び高松地方裁判所裁判官の人権認識が深刻に問われるべきである。生存権の侵害の視点から、論じられなければ、入院患者による70%までの殺人が日本の法廷で容認されることになる。また日本の法廷ではその非人道性を指摘する当事者がいても、法曹資格者の発言でなければ真正面から取り上げず、議論をしないという、非常識が日本で通用することになり、日本の法曹界の人権観の正常性(普遍性)が問われる。入院患者の80〜90%が殺人する高度の蓋然性を証明する事を求めたことに、何も言及しないことは間違いであり、基本的人権を保障する社会を維持する努力を行うことにならない。また、地裁判決(P.46下から3行〜P.47上から2行)の修文を行ったことは、人道上重大な問題である。

   
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