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いわき病院控訴審答弁書に対する反論
精神障害の治療と人道及び人権
次期公開法廷(平成26年1月23日)を控えて


平成25年12月6日(矢野真木人9回忌)
矢野啓司・矢野千恵


第3、いわき病院の意図と狙い


1、裁判官の認識を混乱させる戦略

いわき病院代理人は、薬物療法に関して「ごちゃごちゃ」書くことで、高松高裁裁判官が理解できなくなり、高松地裁裁判官が行ったような「とりあえず、精神科病院に過失責任を問わない無難な判断をする」ことを狙っている。

いわき病院代理人は高松地裁審議中に準備書面等の文書提出で約束期限を守らないことが頻回であったが、地裁裁判官は裁判審議の遅延に及んだ提出延滞を咎めることはなかった。平成24年12月の高松地裁結審の法廷では、結審日の一週間前までに被告側の文書を提出することを地裁裁判長は申し渡して、いわき病院代理人もこれに合意していた。しかしながら約束日には上申書を提出して遅延することを申し立てた。結果的に弁護士作成の最終準備書面は結審日の前々日に提出され、IG鑑定書(III)及び参考文献の提出は結審前日の午後(地裁結審法廷開催まで24時間以内)であった。明らかに、時間不足により原告側が読了して検討して対応する時間的余裕を与えないものであった。また記載された内容は、地裁裁判官が精神医学に素人であることを念頭に置いて、いわき病院及び渡邊医師の過失に関連して原告側が提出していた論議を混ぜ返し、ともかくにも、地裁裁判官が過失を認定する確信をはぐらかせる目的意識で作成されたものであった。

更に、IG鑑定意見書(III)は精神科医師が精神医療専門家として作成執筆したものとしては専門家の矜持が疑われる、精神医学的専門性に乏しい法律家が書いた意見書とおぼしき内容であった。特に、抗うつ薬パキシルの突然中止の問題と継続投与の問題を殊更に混同した文章を記述して法的過失責任論を持ちだして、論理的な意味不明のまま、裁判官を判定不能に陥らせる内容であった。IG鑑定人が精神医学専門家として発言の信頼を損なう鑑定意見書に署名押印した事実は重大である。

いわき病院代理人の戦略は、最終段階で原告側に反論の余地を与えず、自信不安に陥った地裁裁判官が、「ともかくも精神医療の責任回避」という誤解した理念と単視眼的視点で、判決期限までに判決文を作成しなければならない状況を作り出すことを目的としたものであった。結果として、過失責任を問うことに自信と確信を失った地裁裁判官は、事実認定の論理が混乱した判決文を起草するに至ったと推察される。裁判官は法律家として今日の科学技術社会の中で法治社会と社会の良識を体現した判断を下すことが期待されていると確信する。本件裁判は判決まで提訴から6年9ヶ月を要し、長期間の精神医学的議論を行った経緯からすれば、基礎的な知識すら持たずに判定を下したことになり、裁判官の勉強不足である。

平成25年10月1日の高松高裁法廷では、いわき病院代理人は前日に控訴審答弁書(平成25年10月1日付け)を裁判関係人に電送し、副本(乙B22号〜29号)は裁判当日の法廷開会直前に手交したが、これでは裁判関係人がいわき病院及び渡邊医師の主張内容といわき病院代理人の隠された意図を推理して法廷に臨むことも不可能であった。しかしながら、高松地裁裁判官が精神医学に関する大局観を持っておれば、本件問題の本質を見逃す事が無かったであろう。

いわき病院代理人は高松地裁で行った「結審直前の滑り込み戦略」を再び高松高裁法廷で行い、審議未了のまま結審することを想定して、プロピタンとパキシルの添付文書の解釈問題で高裁裁判官が混迷して判断不能になる展開を期待したものと推察される。いわき病院代理人は平成25年10月1日が高松高裁最終法廷審議日(結審日)であることを想定していた筈である。いわき病院側の控訴審答弁書に対抗する控訴人矢野側及び控訴人NZ側からの反論を時間不足で封じた上で、高裁裁判官が「パキシルの突然中止」と「パキシルの中止」の差異を見失い、かつ慢性統合失調症患者純一氏に対して「抗精神病薬維持療法を中止した問題」と「重篤副作用疾患別対応マニュアルの記載事項」を混同することを誘導して、判断不能に至ることを目指していたと考えられる。

向精神薬の薬剤使用方法及び処方変更後の経過観察と病状管理がこの裁判の生命線である。いわき病院代理人は「パキシルの中止は、アカシジアの治療のためであり、中止は(突然であっても)大した問題ではない」ということを、添付文書の書き方にまで遡って説明しようとした。「いわき病院代理人は、微に入り細に入る議論をして、医師としての当然の常識などを否定する結果となった」(NM鑑定人)。これは「木を見て森を見ず」の精神医療の本質を見ない本末転倒の弁論である。極めて賢こ過ぎるいわき病院代理人は、錯誤と怠慢及び不作為がある精神科臨床医療を行ったいわき病院と渡邊医師を支えようとして、自ら持てる法廷技能を駆使して、八方破れの構えで高裁裁判官への目くらまし戦術を行ったと推察される。

しかしながら、いわき病院と渡邊医師の過失を証明する事実は簡単であり、いわき病院長で主治医の渡邊医師が精神科臨床医療の基本を全うしていないところである。いわき病院と渡邊医師が、統合失調症に対する薬事療法の基本を見失い、処方薬の注意事項も承知せずに複数の向精神薬の突然中止を行った後の重大な時期に、患者の病状変化を診察しない、無責任な精神科医療を行っていた事実を、「日本の一般的な精神科病院の一般的な精神科医療であるので、過失責任を負わせてはならない」と弁明した、IG鑑定人といわき病院代理人の論理の異常性及び反社会性を認識・確認することである。


2、高裁結審を見据えて

高松高裁の次回期日は平成26年1月23日であるが、控訴人側及びいわき病院側共に高裁審議の結審日となる可能性を想定した対応を取る必要がある。いわき病院代理人の結審日を控えた過去の法廷対応を見れば、文書提出は前日もしくは前々日で、代理人意見は重箱の隅をつつく手法で、渡邊医師の精神医療の過失責任に関しては重大で本質を突くものではないが、意表性を演出したものとなると予想される。裁判官が判断困難に陥り、重要な点を見失って精神科病院側の過失責任を追及しない安易な判決を行うことを誘導することが目的である。

いわき病院代理人は同時に大量の証拠文献を提出する可能性が高い。また提出される証拠資料はいわき病院代理人が下線を付して明示した部分は確かに、一見ではいわき病院及び渡邊医師の立場を証明するかのように見えるであろう。しかしながらこれまでの経験に基づけば、それは論点の部分をねじ曲げて強調して、あたかもいわき病院側に過失責任が無いかのように装う強弁である。提出された証拠文書の全体を見れば、いわき病院と渡邊医師が文書・文献の読解を疎かにした錯誤ある精神科臨床医療を行っていた事実・実態が明らかになるはずである。いわき病院代理人の手法は、法廷手続きの約束事として控訴人側から反論が無い場面における、「猫だまし」情報を確認する新たな証拠を持たない精神医療の専門家ではない裁判官の判断力を削ぐ攻撃であろう。

いわき病院代理人は高裁裁判官に手の内を読まれてしまったと承知するべきである。本件裁判で問われているのは日本の精神科医療の名誉と国際的信頼性である。それは、同時に人権を尊重した精神科開放医療を日本で実現することである。いわき病院代理人の手法では、裁判手続きの結果として日本の精神医療の荒廃は促進され、国際的信用を失うことになる。入院患者である精神障害者の人権を尊重せず、極めて重大な、市民に発生した生命侵害に何も対策が無く悲劇を放置するままで手をこまねく日本は、人権国家としては社会的事実の現実を尊重する国際社会で信用失墜するに至るであろう。


3、精神医学の普遍性といわき病院の姑息な薬理学的主張

向精神薬の処方及び中止は重大な問題であり、その処方を行う医師は慎重でなければならず、単独でも重大な結果を引き起こす可能性があるが、複数の薬剤を同時に中止する場合には、極めて慎重な対応が求められている。

本件では、抗精神病薬(プロピタン)維持療法の中止(統合失調症治療ガイドライン違反)、抗うつ薬パキシルの突然中止(添付文書違反)、及び引き続いて行われたアカシジア治療薬(アキネトン)を薬効がない生理食塩水に代えたプラセボ試験が行われたが、引き続く経過観察が適切に行われず(統合失調症治療ガイドライン違反)、看護も極めて不十分不適切で、病状変化に伴う治療的介入が行われなかった。

いわき病院及び渡邊医師は、抗うつ薬パキシルに関連して「薬剤投与や中止による攻撃性出現リスク」と、「中止時の精神症状の悪化や離脱」また「中止のやり方が突然であったか慎重であったか」という基本的事項についての混同が認められるなど、薬理学的根拠に乏しい主張を繰り返してきた経緯がある。またいわき病院代理人は薬剤添付文書の些細な記述内容に拘り、本質を違えた弁論を行った事実がある。その弁明は、裁判官に認識間違いを誘導して、判決不能に至らせることを目的としており、極めて不正直、非誠実である。なお、裁判戦術としても見苦しい主張であるが、渡邊医師の資質を考えれば、本当に薬剤添付文書の記述を混同して理解をしていた可能性があり、その場合には事態は余りにも深刻で、精神科医師として失格であると指摘せざるをえない。

いわき病院側鑑定人は国立千葉大学医学部教授であるが、その論理は極めて非誠実であり、特にパキシルの問題では意図的に「中止」、「突然中止」及び「継続投与」の問題を混同させる論理を展開したが、精神科医師としての責任を放棄した鑑定意見である。また、精神科開放医療の評価及び実行などの問題では、最初に英国の事例を持ちだしておきながら、原告(控訴人)を煙に巻くことができず、原告(控訴人)側の英国人専門家から反論にあうと、「ここは日本である」、「英国においてのみ」などと弁明して逃げた。この行為も学術専門家として矜持に欠けるものであった。IG鑑定人がいわき病院をかばい続けることは取りも直さず「市民の人権を尊重しなくても良い」とか、「患者のケアを十分しなくても日本では構わない」という、およそ人権を尊重しない主張となる。精神科医師を養成する国立大学の教授が主張する内容としては、IG反論は全くふさわしくない。

いわき病院の主張は、SD鑑定医師団等の国際社会から見れば、日本の精神医学会の評判を落とす材料にしかならない。裁判官には海外の医師達の発言にも注目していただきたいところである。認識すべきは、精神薬理学の知見は民族や人種の違いが認められず、普遍性がある点である。IG鑑定人が最初に精神科開放医療に関する英国の知見を持ちだした背景には、民族と人種に超越した普遍性を持つ精神科開放医療の共通性が基礎的な認識としてあったはずである。「いわき病院及び渡邊医師の精神薬理学的治療について、海外の精神医学の専門家からも明らかに医学的評価と対応に疑義を差し挟まれており、その質の低さが事件の発生原因の一つであることを否定することはできない」(NM鑑定人)。


4、刑事事件の判決と本件民事訴訟


(1)、TD代理人の問題に転嫁できない
  いわき病院代理人の論理は、刑事裁判の判決に基づいていわき病院に責任は無いと主張しつつ、また元NZ代理人TD弁護士の論理と問題があったかの如く主張して焦点と論点を逸らす意図が見られる。刑事裁判との混同、及びTD代理人に問題を転嫁することは許されない。

刑事裁判で、被告人純一代理人TD弁護士は「いわき病院がきちんと治療しておれば、本件殺人事件は発生しなかった」と主張した。しかし当時は十分な証拠が無く、刑事裁判法廷ではいわき病院の純一氏に対する医療過誤は審議されなかった。純一氏はいわき病院の医療とは関係せずに、本人が行った違法行為に基づいて処罰されたのである。


(2)、本件殺人事件の発生原因・経過
  現実に、民事裁判で始めて判明した事実や、訂正された事実は多数ある。いわき病院の事件後半年で確定した刑事事件時点で判明していた事実認定に限るという主張は、事件後8年以上経過してその後に判明した詳細な事実関係の審議を重ねた民事法廷の事実認定を縛る意図があり、IG鑑定人の「事件直後の一次資料で鑑定する」という、事実解明を否定する姿勢と同一で不適切である。解明された事実は法廷判断の基礎的事実として認定されなければならない。民事裁判で始めて判明した事実や訂正された事実をIG鑑定人は二次資料として無視した鑑定意見を展開したが、裁判審議を行えば新たな事実の発見や論理の修正はあり得ることであり、事実認定を刑事裁判の当時に判明していた事に限定することはできないし、行ってはならない。

いわき病院とIG鑑定人が二次資料を否定し、刑事裁判までに判明していたといわき病院が主張する事実に限定することを求める主張に拘ることは、とりもなおさず、控訴人(原告)が指摘した数々の事実や証拠及び論理は、いわき病院及び渡邊医師にとって、不利であるからにほかならない。

また、刑事裁判で純一氏に懲役25年の実刑が確定したことと、いわき病院と渡邊医師の医療錯誤と怠慢及び不作為による過失責任は別次元の問題である。いわき病院と渡邊医師が純一氏に行った精神科医療の実態を問う民事裁判の議論及び事実認定は、純一氏が犯した殺人犯罪の刑罰を問題とした刑事裁判とは連動せず、目的意識と視点が異なる独自性がある。本件は、民事訴訟として改めて事件発生の原因及び責任を追及しているものである。

刑事事件裁判と民事裁判では論点と視点が異なり、共通性の判断はできない。更に、平成17年12月の矢野真木人殺人事件後半年の平成18年6月に判決があった刑事裁判以後に明らかにされたいわき病院が純一氏に行った医療的事実も存在する。従って、刑事訴訟である高松地裁の懲役25年の裁判結果が、民事裁判におけるいわき病院の精神医療を自動的に免責するものではない。


(3)、事件から8年経過したので医療水準が異なるという地裁判決は間違い
  高松地裁判決(P.116)は「当時の医療水準を前提とした」として、「今日では控訴人(原告)矢野が指摘する問題があったかも知れないが、当時の医療水準では過失責任を問うことができない」という判決を下した。高松地裁の根拠はIG鑑定意見書であるが、IG鑑定人も何が医療水準の違いであるかについて言及しておらず、経時変化で具体的に医療水準の違いが発生していたとする根拠が不明である。また、高松地裁は判決を左右した医療水準に変更(発展)があった事実の確認をしておらず、不適切である。

被告(いわき病院)側の法廷戦術に惑わされ、大学教授の権威におもねっただけで、精神医学的に内容が乏しい結審前日に提出された鑑定意見書を、全ての意見に回答した最終鑑定意見書と認定したことは間違いである。更に、事実によらず根拠の証明がない「経時的発展論」を無批判に容認して判断根拠とすることは間違いである。


(4)、事件の実相を見る高裁判決の必要性
  高松地裁判決は事件の実相を見ず、薬事処方の変更問題等では個別の事象を限定的に検討して過失責任を問えない(問わない)とする論理である。そして、いわき病院で発生した精神医療の錯誤・怠慢及び不作為が許される日本の精神医療の現実を容認する判断である。日本で国民の信頼を得て精神科開放医療を推進する上で、極めて後退した、精神医療の推進に障害が発生することが推定される地裁判決である。地裁裁判官が精神医学および精神科臨床医療の実相を見て真実を理解する努力を怠り、いわき病院の法的判断論に惑わされた判決である。




   
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