いわき病院控訴審答弁書に対する反論
精神障害の治療と人道及び人権 次期公開法廷(平成26年1月23日)を控えて
平成25年12月6日(矢野真木人9回忌)
矢野啓司・矢野千恵
第2、控訴審答弁書に対する反論
7、事件当時と現在の医療水準の違い
いわき病院が推薦したIG千葉大学医学部教授は事件当時(平成17年12月)とIG鑑定意見書(I)が提出された時(平成23年7月)では医療水準が異なるため、いわき病院と渡邊医師が純一氏に実施した精神科開放医療に過失責任を問えないと鑑定報告した。また高松地裁も医療水準の経時変化に関してその内容を何も検討することなく、判決の前提として「純一の異常行動予測は当時は困難であった」(判決P.113)と認めたが、事実確認が行われておらず、極めて安易な判決手続きである。
(1)、精神科開放医療制度に変更はない
純一氏は平成17年12月6日にいわき病院の精神科開放医療で外出許可を受けて外出中に見ず知らずの矢野真木人を刺殺した。いわき病院が準拠すべき制度は「精神保健福祉法第37条第1項の規定に基づき厚生労働大臣が定める処遇の基準」(昭和63年4月9日厚生省告示第130号、最終改正、平成12年3月28日、厚生省告示第97号)で定められていた。本制度には事件当時から地裁判決時まで制度変更は行われていない。従って、制度要件で地裁判決が左右されることはなかった。
(2)、向精神薬の効能書(添付文書)の記載変更はない
渡邊医師は純一氏に対して平成17年11月23日から複数の向精神薬(プロピタン、パキシル、ドプス、及びアキネトン)の処方変更を行ったが、これらの薬剤の効能(添付書面に記載された事項)及び厚生労働省の承認事項には変更はない。
向精神薬の処方では、当時と地裁判決時に変化はない。いわき病院は事件後に作成された「インタビューフォーム」(2011年8月)と「重篤副作用疾患別対応マニュアル(アカシジア)」(平成22年2月)を提出したが、医療水準の変更を示す証拠とはならない。また、いわき病院代理人の主張は両方の文献の読み誤りである。なお、パキシルインタビューフォーム(2003年(平成13年)8月第7版)と、パキシル中断に関する危険性に関して記載内容の変更はない。
(3)、統合失調症治療ガイドラインの記載変更はない
純一氏は重度の強迫性障害を伴う慢性統合失調症患者である。いわき病院は純一氏に行った統合失調症の治療指針として「統合失調症治療ガイドライン」(2004年1月1日発行、医学書院)を提出した。その後「統合失調症治療ガイドライン」は(第2版、2008年9月1日発行、以後版が重ねられている)、事件後に純一氏の治療内容に関連した記載の変更はない。
渡邊医師が平成17年11月23日から行った複数の向精神薬の中止は抗精神病薬(プロピタン)維持療法の中止を含んでいた。これは、統合失調症の薬物療法の中止であるが「統合失調症治療ガイドライン」(第1版、P.104)(第2版、P.112)には「自殺企画や危険な暴力行為、攻撃行動の既往がある患者の場合には期間を限定しないで維持療法を続けることを推奨している」、「また2回以上の精神病エピソードを繰り返した患者では長期的な薬物療法の継続が必要である」と記載されている。
純一氏のような複数の放火暴行履歴を有し、20年以上にわたり入退院を繰り返した患者は上記に該当しており、上記の注意事項が平成17年から平成25年3月の判決時点までに変更された事実は無い。なお、渡邊医師は「任意入院の純一の過去履歴を調査して知る必要は無い」との主張であるが、精神科医師として精神保健指定医として知るべき義務があったのであり、本人の主張の問題では無い。また患者に対する薬物療法の選択は主治医の裁量権の問題であるとしても、「統合失調症治療ガイドライン」等の治療指針に逸脱して治療中止を選択する場合には主治医は極めて慎重に経過観察を行う義務が付随するのにしなかった(統合失調症治療ガイドライン違反)。
改めて記載するが、重度の統合失調症患者に対する治療指針及び抗精神病薬中止のやり方は平成17年から平成25年3月の判決時点まで継続して一定不変であり、普遍性があったのである。これは、IG鑑定人が主張したような、大学病院とか一般の病院とか、医療水準の違いの問題では無い。大学病院の医師であれ、一般の精神科医師であれ、およそ精神科医師であれば基本中の基本である。
(4)、医師の経過観察と治療義務は医療水準の変化に関係しない
そもそも、渡邊医師の過失は、複数の向精神薬の処方変更後、特に抗精神病薬の中止(維持療法の中止が問題であり、プロピタンの中止は可能である)と同時に行ったパキシル(抗うつ薬)の「突然の断薬(中止)(パキシル投薬量を徐々に注意深く削減して中止に至る薬事処方は問題では無い)」が重大な問題であり過失要件を構成した、その上で、主治医の渡邊医師は処方変更後に行うべき経過観察を2週間で一回しかも純一氏が眠剤を服用後しか行っておらず、著しい怠慢と不作為があった。
この重大な時期にある患者の病状の変化を診察と治療的介入を行わない医療は、医療水準の発展や変化の問題では無い。診察と治療はいかなる医療水準であっても、医師として必ず行わなければならない義務である。渡邊医師は、主治医としての基本的な義務に懈怠があったのである。
医薬品安全対策情報(厚生労働省医薬食品局監修:平成15年8月)は、パキシルに関して「投与を中止する際は、徐々に減量すること。減量又は投与中止後に耐えられない症状が発現した場合には、減量又は中止前の用量にて投与を再開し、より緩やかに減量することを検討すること。」と記述した。厚生労働省の医薬品安全対策情報は平成17年12月の矢野真木人殺人事件発生の2年4ヶ月前である。精神科医師は全員国の指導に従う義務がある。精神保健指定医の渡邊医師が、危険情報を承知しなかった問題を医療水準の違いとして、欺瞞の弁明をすることこそ、医師としての資質が問われる。更に、事件当時は上述の通り、パキシル・インタビューフォーム2003年(平成13年)8月第7版、及びパキシル添付文書2005年(平成17年)6月改訂第7版(及び2003年(平成15年)8月改訂第5版、2004年8月改訂第6版)が存在し、パキシル突然中断の危険性に関する問題を指摘していた(パキシル添付文書違反)のであり、経時的医療水準の違いはない。
8、IG鑑定意見書の問題点
いわき病院側が推薦したIG鑑定人(千葉大学医学部教授)はIG鑑定意見書(I)(平成23年7月29日)、IG鑑定意見書(II)(平成24年8月7日)、及びIG鑑定意見書(III)(平成24年12月21日)を提出した。IG鑑定人はパキシル突然中断と継続投与を混同したが、明白な添付文書違反の鑑定意見であり、不適切である。
(1)、IG鑑定意見書(I)
1)、立証趣旨(いわき病院代理人の要約)
原告矢野が指摘した、平成17年11月23日からの処方変更に関連して、IG鑑定人は的を外して鑑定意見を述べて、原告矢野が重要な問題と指摘したパキシルを突然中止した問題を無視した。また、生理食塩水筋肉注射の問題はプラセボテストの効果判定を行わない問題を逸らした。原告矢野は処方変更後の経過観察と看護に怠慢と不作為があったと指摘してきた。いわき病院代理人は「いわき病院における患者管理の落ち度を医療記録から窺うことはできない」と逃げたが、「12月3日(11月30日の誤り)に行われた純一の問診以降については診療録にも記載がなく判断できない」及び「(純一の不信感などの情報を)渡邊医師が把握していたか否かについては診療録にも記載は無く判断することはできない」を歪曲し、あたかも「いわき病院に落ち度はなかった」と言い換えたものである。そもそも複数の向精神薬を中止後に精神科医が医療記録を残してない事自体が重大な過失の証明である。
上述に関して原告矢野は慢性統合失調症の患者純一氏に抗精神病薬維持療法を中止と同時にパキシルを突然中止して、その後経過観察が適切に行われなかった事実を過失(過誤)と指摘していた。また控訴人矢野の指摘は「プロピタンを中止」ではなく「抗精神病薬維持療法の中止」である。渡邊医師がプロピタン中止しても他の抗精神病薬を維持投薬しておれば過誤にはならない、従っていわき病院の反論は的を逸らせたものである。また、この様な反論を行うことは、渡邊医師の薬物療法に関する知識と常識に、精神科専門医としては不適格な、医療知識の錯誤があったことを証明する。
2)、証拠資料の考え方と事実確認に不備がある鑑定意見
IG鑑定人はいわき病院の医療記録(診療録や看護記録)を一次資料として重要視した。同時に、原告側がこれらの一次資料を分析して、記録の矛盾や不備を指摘した資料、及び事件後に発掘・発見した資料は、二次資料として無視した。このため、裁判開始後に判明した事実などの法廷に提示された証拠を意図的に無視して検討しない、客観性に欠ける鑑定意見書である。IG鑑定意見書は断片的な証拠をつまみ食いした、不十分な根拠に基づいた専断である。
いわき病院代理人はIG鑑定人が国立千葉大学医学部教授である表面的な権威を前面に押し出して、原告側が推薦した専門家の意見に超越した崇高な鑑定意見であるから正しいとの主張である。しかしながら、IG鑑定意見書はいわき病院と渡邊医師の医療事実、特に裁判過程で判明した「事後に確認された事実」を「読む必要は無い」と無視した鑑定意見書であり、事実確認の不備があった。IG鑑定意見書は、一次資料に頼ると宣言したことで、証拠資料の取扱で自らに不足あるところを認めていた。
3)、欧米諸国(英国)の精神障害者の危険性予測に関する文献
IG鑑定人は、いわき病院側に立って反論する前提として、欧米諸国の論文を引用して危険性(dangerousness)概念とリスク(risk)概念という哲学論争を持ち込み、原告および裁判官を煙に巻こうと意図した。また、純一氏の危険性予測可能性を、いわき病院が行わなかった過去の行動履歴調査から切り離して抽象論で反論した。しかしながら、原告側が推薦したSD鑑定医師団から反論にあうと、「イギリスで行われた場合において始めて理解可能なもの」と反論して、正々堂々と論理的な反論を行わず、逃げたのである。IG鑑定人は学問的見解が、その時の状況や事情に流されており、精神医学者として精神医学に関する論理で普遍性に関する学問的確信及び学者信念に欠けるところがある。
4)、平成17年11月22日以前の医療に過失は無いとの鑑定意見
IG鑑定人は平成17年11月22日以前のいわき病院の医療を主として指摘して、過失には当たらないと主張したが、そもそも原告矢野はこの期間の医療は渡邊医師の資質の低さを示す証拠であるが、過失に至るまでの証拠と指摘していない。従って、この期間におけるIG鑑定人の鑑定意見は無効である。
5)、複数の向精神薬の中止
IG鑑定人はプロピタン、レキソタン、及びアキネトンの問題を個別に検討して過失は無いと鑑定意見を述べた。薬剤の相互作用を考慮に入れないIG鑑定人の論理は精神病理の実態からかけ離れた意図的な矮小化である。渡邊医師の過失を回避することだけを目的にして、精神薬理学を断片的に論じた議論を展開したものである。IG鑑定人が、抗精神病薬維持療法の中止と同時に行ったパキシルの突然中止から論理を逸らせたことは、統合失調症治療ガイドライン違反と添付文書違反であり、精神医学者としての信頼性を損なうものである。
6)、処方変更の効果判定
IG鑑定人は「12月3日(11月30日の間違い)以降に渡邊医師が診察した医療記録がない」と認めたが、診察内容を自らの想像で記述して(例:「看護師によって評価されたことが念頭にあったと思われる」)鑑定意見を述べており、不適切である。また原告矢野が精神科医による経過観察が無かったことを指摘したが、看護記録の記述を列記して、あたかも医師の診察があったかのような鑑定意見を述べて事実を創作しており、鑑定人として不誠実である。「12月3日(11月30日)以降は、渡邊医師は処方変更の効果判定を行った」と鑑定していない。
7)、いわき病院の開放医療体制
原告(控訴人)矢野は「病院設置基準を満たしていたか否かという形式論」で指摘したものではなく、いわき病院が純一氏に対して行った事実を基にして、医療記録や看護記録の記述からいわき病院と渡邊医師の問題点を具体的に指摘した。IG鑑定人は医師でもない原告(控訴人)矢野が指摘した事項は読む必要は無いという尊大な思い上がりがあると思われる。自らの論理に都合が悪い議論に真面目に応えない態度は、患者の苦しみや病状の悪化に真面目に対応しない渡邊医師の精神科臨床医療と相通じる、相応の理由無く相手を見下して無視する姿勢である。この様な精神科医療が本件事件を引き起こした背景にある。鑑定人は精神医学の良心を体現するものとして、法廷の議論には誠実に対応することが求められる。
8)、平成17年12月当時の一般精神科医療の水準にある精神科医
IG鑑定人の指摘には全く具体性がない。「大学教授という権威が鑑定意見を述べたので正しい」という鑑定意見を基にして判決を行うような裁判手続きは、何時までもこの日本で継続してはならない。日本の法廷の品位と尊厳にかかわることである。
この裁判では、英国側のSD鑑定医師団(SD医師、現カナダ・トロント大学;DC医師、現、英・ケンブリッジ大学;MI医師、西ロンドン、司法精神科医)が参加しており、精神医学的に合理性が無い判決を下すことは、日本の司法に対する国際評価を損なう懸念がある。
9)、純一を完全な閉鎖処遇に置いておけば確実に事件を防止することができた
原告(控訴人)矢野はこの様なIG鑑定人が曲解したような主張をした事実は無い。この論理は、いわき病院と渡邊医師が現実的に持つ論理であるからこそ、思い込みで控訴人矢野を中傷したものである。更に、いわき病院代理人は事実を確認すること無く、法廷で控訴人(原告)矢野を非難し続けたことは、本人の法曹資格にもとる行為である。IG鑑定人は事実確認をすることなく、いわき病院代理人から吹き込まれた情報を基にした安易な姿勢で鑑定意見を展開したことは明らかである。IG鑑定人の鑑定姿勢は極めて不誠実である。
控訴人矢野は原告(控訴人)NZに双方に共通する問題を理解していただいて、裁判を通して日本の精神医療の発展と精神障害者の社会参加の促進に貢献することを期待して、法廷に臨んできた。
(2)、IG鑑定意見書(II)
1)、「平成17年12月当時の一般的な精神科医療の水準」という詭弁
IG鑑定人(P.5)は、【わが国における医療過誤訴訟の基本的な考え方—IG意見書の前提について】で、「本件で問われている問題の本質は、一般の精神科病院であるいわき病院における精神科医療が、事件当時、すなわち平成17年12月の一般的な精神科医療の水準からみて適切であったかという点に集約できる。」と大前提を述べた。
IG鑑定人は精神科医師として専門家鑑定意見を提出したのであるから、自ら述べた「平成17年12月の一般的な精神科医療の水準からみて適切であったかという点」を精神科医師として具体的に述べなければならない道理である。しかし引き続いて述べた議論は、「医療過誤訴訟における過失認定論」と、「結果予見義務」違反と「結果回避義務」違反の過去の判例に基づく法廷論理である。そして「危険性の法的概念としてのdangerousnessと医学概念としてのrisk」といういわき病院の医療の事実を誠実な検討をしない抽象的な議論を持ちだして、議論を煙に巻いたつもりであったと推察される。
IG鑑定人は自ら議論の前提として提示した「平成17年12月の一般的な精神科医療の水準」に関して何も述べていない。IG教授は法律家として意見を求められたのではない。IG鑑定人に期待されたのは精神科医師としての医学的見解であることを認識するべきである。また、高松地裁はこの様なIG鑑定人の論理の作為と飛躍に易々と乗せられたものであるが、事実を認識する努力を放棄した判決姿勢である。
2)、「パキシル突然中止の危険性」を「パキシル継続投与の危険性」と言い換えた詭弁
IG鑑定人は国立千葉大学教授であり、事実認識及び言葉の使用には責任が伴う立場にある。その上で、IG鑑定意見書(II)(P.15)で「パキシル突然中止の危険性」と「パキシル継続投与の危険性」を、裁判官に混同させる目的の鑑定意見書を提出したことは誠実な学者としてあるまじき行為である。またIG鑑定人がパキシルの「継続投与」と「突然中止」の問題を本当に混同していたのであれば、学者としての資質が疑われるべき(SD鑑定団)であり、本裁判の鑑定人としては失格である。
IG鑑定人は「パキシル突然中止の危険性」と「パキシル継続投与の危険性」の違いを原告側鑑定人も混同すると考えて鑑定意見書を提出したとしたら、精神医学者として非常識でありかつ、明白な添付文書違反の鑑定意見であり、不適切である。また、法廷であるので「医学的な詭弁は許される」と考えたとしてら、不誠実である。IG鑑定人は学者としての名誉を大切にするべきである。
(3)、IG鑑定意見書(Ⅲ)
IG鑑定意見書(III)は、IG鑑定人が記したとされる期日は平成24年12月17日であったが、原告側には12月20日(結審法廷の前日)の午後に電送されてきた。その上で、「IG鑑定意見書(III)が精神科専門医師として原告側が推薦した全ての専門家(精神科医師及び元大学医学部教授)の精神医療専門家としての意見に取りまとめて回答した」として高松地裁は判決したが、重大な事実誤認である。また、この様な安易な判決姿勢は日本の法廷の名誉と尊厳を損なう事である。裁判官は自らの器量で事実を誠実に判断しなければならない。
IG鑑定人(P.4)は、【本意見書の前提】で、以下の通り主張した。
ア、 |
「本件訴訟の争点は、平成年17年12月6日までにいわき病院において純一に行われた医療行為に過失があったか否か、すなわち、結果予見義務・結果回避義務があったか否かが、先ず問題となり、過失があった場合には、過失と真木人の死亡・殺害との間に因果関係があったか否かが問題となる。 |
イ、 |
過失の認定は、平成17年12月6日当時の一般の精神科臨床における医療水準に基づいて判断される必要があり、また、判断に当たっては、この当時の一般的な精神科病院であったいわき病院の性格も考慮する必要がある。 |
IG鑑定人(P.5)は「現在の一般の精神科医療では当たり前になっているような臨床的知見であっても、平成17年12月6日の時点においては当たり前となっていないような臨床的知見であれば、それに基づいた医療行為が行われていなくても過失があったとは判断できない」と精神医学的主張のダメ押しを行った。しかしながら、何が「現在の一般の精神科医療では当たり前になっているような臨床的知見」であるか、また何が「平成17年12月6日の時点においては当たり前となっていないような臨床的知見」かに関しては何も述べていない。即ち、臨床精神科医療現場における医療過誤が課題となっているにもかかわらず、IG鑑定人は自ら提起した判断基準に具体性を提示しない抽象論に留まった不完全な意見である。大学教授が言ったから正しいとしておもねった地裁判決(P.116の(8)小括)は間違いである。
IG鑑定人の意見を素直に読めば、「いわき病院が純一氏に対して実行した精神科臨床医療は、現在の精神科臨床医療では当たり前になっていることを、いわき病院の渡邊医師は行わなかった、それは、現在においても、当時においても過失性がある。」となるところに注目しなければならない。渡邊医師の実際の行動をしっかりと検証すれば、平成17年時点でも過失であったことがわかるはずである。
IG鑑定意見書(III)は、精神科医師の鑑定意見ではない。法律家の判断を精神科医師が鑑定人として行ったと誘導するような鑑定意見書である。この鑑定意見書は法廷の公式記録であり、IG鑑定人の名誉を損なう事になる。本件裁判における精神医療の課題を正直に議論した鑑定意見では無い。
(4)、平成17年12月6日の時点と現在(平成25年)で差異はない
原告が指摘するいわき病院と渡邊医師の過失は次の通りである。そしてこれらの指摘事項には、「平成17年12月6日の時点と現在(平成25年)で差異はない」。即ち、IG鑑定人の指摘は間違いであり、この様な鑑定意見を述べたことは名誉にかかわる。
- 放火暴行履歴がある慢性統合失調症の純一氏にプロピタンを中止することがあっても、抗精神病薬維持療法を中止することはできない。中止したままで放置すれば精神症状悪化(異常行動、思考の歪曲)や離脱症状が発現して「放火暴行」を行う危険度が亢進する。
- 禁断症状が激しいパキシル(抗うつ薬)を中止するときには、突然の中止(投与薬用量を短時間に急激に減量して中止すること)は行うべきでなく、慎重に状況を観察しながら徐々に薬用量を削減してゆかなければならない。
- 上記の1、と2を同時に行ってはならない。離脱の危険性は加算的ではなく、加乗的・飛躍的に増大する。どうしても同時中止をする場合には、主治医は極めて慎重かつ継続的、持続的に経過観察を行い、病状の変化にいつでも即時に対応できる体制を取り、かつそれを実行しなければならない。
- 上記の1、及び2を行っている最中に、アカシジア緩和薬(アキネトン)を生理食塩水に代えるプラセボテストは行うべきでない。また、行った場合には経過観察と効果判定を適切に励行しなければならない。
- 複数の向精神薬を処方変更した際には、主治医は極めて慎重かつ継続的、持続的に経過観察を行い、病状の変化には即時に対応しなければならない。
- 抗精神病薬維持療法を中止している慢性統合失調症患者に風邪症状訴えなどの何らかの異変が現れた際には、主治医もしくは精神科医師が診察して、再発や離脱症状である可能性を診断しなければならない。
- 抗精神病薬維持療法を中止している慢性統合失調症患者が、主治医の診察を要請した場合には、主治医もしくは主治医に代わる精神科医師が診察しなければならない。
- 放火暴行の既往履歴がある慢性統合失調症の患者に抗精神病薬維持療法を中止すれば、重大な他害行為を誘発する可能性がある。
- パキシル(抗うつ薬)を突然中止すれば重大な他害行為を誘発する可能性がある。
- 8、と9、を同時に実行すれば、当該患者が重大な他害行為を行う可能性が飛躍的に増大する。
- 毎日患者の顔を正面から観察する看護は、精神科臨床医療では当然中の当然のことである。
- 1、から11、により、純一氏が重大な他害行為を行う可能性は予見可能であったし、主治医が適切な経過観察を行いかつ病状の変化に対応した治療的介入を行っておれば、結果回避可能性があり、矢野真木人が殺害されることは100%無かった。
IG鑑定人は、精神医療専門家として精神医療の視点で鑑定意見を述べる立場にあったのであり、法律家としての意見はいわき病院代理人が行うべきである。IG鑑定人は「パキシルの突然中止と継続投与の危険性」の問題を混同し、また「事件当時と現在の一般の精神医療機関おける医療水準の違い」を主張したが具体性を何一つ持たない議論である。またIG鑑定人は精神科開放医療の議論では理論的抽象論がお好みのようであるが、いわき病院の具体的医療の現実からかけ離れていた。その上で、イギリスの事例とイギリスで開発された理論を引用した自らが、日本とイギリスの違いを述べて自ら主張した理論に普遍性と一般的効力がないとして弁明した。IG鑑定人の発言には一貫性と普遍性が無く、少なくとも本件裁判では、いわき病院側に推薦されたという事実に流されており、信用する価値がない鑑定意見である。IG鑑定人は先ず第一に大学教授としての尊厳と名誉を守っていたいただきたかった。また、IG鑑定人の大学教授としての権威におもねった地裁判決は、権威により抑圧された歴史がある精神障害者の人権問題にかかわる本件裁判では、手続きとして正義ではない。
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