いわき病院控訴審答弁書に対する反論
精神障害の治療と人道及び人権 次期公開法廷(平成26年1月23日)を控えて
平成25年12月6日(矢野真木人9回忌)
矢野啓司・矢野千恵
第1、いわき病院と渡邊医師の過失
4、刑事裁判と民事裁判の関係
(1)、純一氏の刑事罰と民事責任は別物
平成18年6月の高松地裁刑事裁判判決で純一氏に懲役25年の判決があり、高松高裁に控訴されることが無く確定した。また平成25年3月に高松地裁でいわき病院と渡邊医師を被告とする民事裁判の判決があり、精神医療に関する過失責任は否定され、原告矢野及び原告NZは高松高等裁判所に控訴して、現在係争中である。
一般論として法曹界及び精神医学界の関係者には、平成17年12月6日に発生した純一氏による矢野真木人殺人事件は犯人の精神障害者である純一氏に懲役25年が確定したことで法的解決は十分にはかられた、これ以上争うことはない、と認識されているのではないだろうか。その主張がいわき病院代理人による「犯人に懲役25年が確定したのだから、犯人の完全な自由意志による犯罪であることが確定したのであり、いわき病院と主治医の渡邊医師に過失責任を問うことはお門違いである」という主張になっていると思われる。またこの認識を高松地裁も共有するところがあり、法的責任の取り方に関するバランス感覚のような意識から原告矢野の主張が否定された要素は高いと認識できるころがある。
しかしながら、矢野真木人の死亡に関連して、純一氏の刑事責任と純一氏に精神科医療を施していたいわき病院と渡邊医師の責任は全く別物であり、各々は個別に検討して、個別に法的責任が確定されなければならないものである。渡邊医師には、純一氏がイライラ感を増幅させ自傷他害行為に導かれた原因を作った治療上の過失がある。これは純一氏に対する刑事罰とは独立した問題である。
(2)、矢野真木人殺人事件の基本的原因者はいわき病院と渡邊医師
平成17年12月6日の矢野真木人殺人事件直後から、控訴人矢野は「矢野真木人殺人事件に関連して最も責任が重い者は誰か?」を問い続けてきた。そして、「最も責任を問われるべきは、いわき病院と渡邊医師の錯誤と怠慢と不作為の精神科医療の過失」であると結論するに至った。そして、同様の不慮の殺人事件の発生を抑制して安全な市民生活の形成に寄与する社会的効果を得るには「日本の精神科臨床医療に少なからず内在する人権問題」を社会的に明らかにして、法的責任を確定する必要があると確信した。
精神障害者が原因となる殺人事件等の重大犯罪では、心神喪失者等医療観察法の処分となり刑事手続上は犯人が不起訴無罪となるケースが多い。このため、事件直後に控訴人矢野は「矢野真木人殺人犯人純一が精神障害による心神喪失で殺人犯罪を行ったのであれば、自らの行動に責任を取れない心神喪失者に独りで行動する外出許可を与えた精神科病院に自動的に過失責任が確定する」可能性を考えた。しかしながら、この論理は「心神喪失で無罪扱いとなる人間の医療記録などの個人情報は、例え被害者遺族といえども入手することができない」という司法手続き上の現実があるため、「犯人にもまた病院にも法的責任を問うことができない」という現実的な結末が想定された。控訴人矢野はいわき病院に過失責任を問うためには、第一段階の刑事裁判で純一氏に刑事罰が確定しなければならないと確信した。
(3)、先ずは純一氏そして渡邊医師の責任
控訴人矢野は矢野真木人殺人事件を担当した検察官に「いわき病院と渡邊医師の刑事責任を追及してもらいたい」と要請したが「証拠不十分で起訴はむずかしい」と回答された。刑事裁判当時には、純一氏の医療記録や警察・検察調書を控訴人矢野は見ることはできず、(民事裁判が始まっていわき病院の医療記録を手に入れたが清書なしでは渡邊医師の悪筆でカルテが十分に読めなかったが、この状況は検察官も同じであり純一氏の病状と治療の経過と問題点を正確かつ詳細に把握することは困難だったと推察される)、またいわき病院は純一氏に対する向精神薬(抗精神病薬プロピタン、及び抗うつ薬パキシル)を純一氏が殺人事件を引き起こした事件当日(12月6日)まで継続投与していたと民事法廷が開廷された後でも自己申告していた。従って検察官は渡邊医師の精神科医療に錯誤と怠慢と不作為があった事実は確認できなかった筈で、私たちは検察官の「証拠不十分」の当時の説明を受け入れざるを得ないところがあった。民事裁判の過程で判明したことは、平成17年11月23日以降に抗精神病薬(プロピタン)維持療法の中止(統合失調症治療ガイドライン違反)を含む複数の向精神薬の処方変更があり、その後主治医の渡邊医師も他の精神科医師も重大な時期にある患者の病状変化を経過観察しない診察の怠慢という過失があったことである。
控訴人矢野は民事裁判を展開する大前提として、刑事裁判で純一氏に実行刑が確定する事を望み、幸い現実のものとなった。求刑で減刑、判決で減刑と心神耗弱による減刑が2度あった上ではあるが、「精神障害者の純一氏に懲役25年の刑期は重すぎる、長すぎる」という意見があることは承知している。しかし、純一氏に責任ある精神科医療を確実に行うという意味では、いわき病院及び渡邊医師の精神科医療が「日本の一般的な精神科医療機関の一般的な精神科医師の水準には至らないひどく劣ったものであった」という現実を踏まえれば、純一氏が収監されている医療刑務所の精神科医療は適切なものであると現時点では認識している。更に、事件直後の純一氏は「誰かを殺人して、6〜7年別荘に行く」程度の軽い気持ちであったと伝え聞いたが、仮に「6〜7年の刑期」であったならば、既に釈放されて香川県内の精神科医療機関で治療を継続していることになる。しかし民事裁判が長期化している現実では、その状況は純一氏の病状管理に望ましくない要素が多いと考えている。現時点では純一氏は民事裁判の重要な証拠人であり、その人物がいわき病院またはいわき病院に同調する精神科医療機関の手で治療を受けることになれば、適切な精神科医療が約束されかつ純一氏の人権を保全する、という観点から課題が発生する可能性がある。
控訴人矢野は、犯人純一氏の量刑の多寡の問題とは全く異なる性質の問題として、いわき病院と渡邊医師が精神障害者純一氏に対して行った精神科臨床医療に錯誤と怠慢と不作為があったと認識して、その法的責任を果たさせる事を民事法廷で追求してきた。控訴人矢野は事件直後に「本来いわき病院と渡邊医師の法的責任は刑事事件法廷でも追求されてしかるべき」と考えた。矢野真木人の両親として、精神障害者の保護を放棄した可能性が高い医療上の怠慢と不作為があり、主治医は重大な結果を予想できたにもかかわらず結果回避を行っておらず、刑事罰の対象となると考えていた。現在は法的手続き論の問題として民事法廷で損害賠償責任を追及しているのである。いわき病院と渡邊医師には独立した責任問題が存在する。
(4)、渡邊医師が引き起こした精神医療過誤
純一氏の主治医として渡邊医師の精神医療に平成17年2月14日の主治医交代から平成17年11月22日までの間に問題が無かったわけではなく、渡邊医師には「一般の精神科病院の一般の精神科医師としては専門医としての能力が低すぎる」という問題があった。しかしながら、いわき病院と渡邊医師の過失は、平成17年11月23日の処方変更から、純一氏の12月6日の矢野真木人刺殺及び12月7日午後の警察による身柄拘束までの期間に存在した。
重度の強迫性障害を持つ20年以上経過した慢性統合失調症の患者純一氏に抗精神病薬の投与(維持療法)を中止することは医師の裁量権としても、統合失調症治療ガイドラインから逸脱し、「再発時の一大事発生」が予想され大変危険なことであり、渡邊医師はプロピタンを中止しても他の抗精神病薬(例えば非定型抗精神病薬等)の処方は可能であった。またどうしても抗精神病薬維持療法を中止しなければならなかったのであれば、極めて慎重かつ頻繁に経過観察の診察を行う義務があった。病状の経過観察を行う診察を行わないことは医師の裁量権逸脱である(統合失調症治療ガイドライン違反)。更に、抗精神病薬維持療法の中止と同時にパキシル(抗うつ薬)の突然中止(急激な減量により短時間で行う投薬中止であり、「パキシル中止」と「パキシル突然中止」は全く意味が異なり、添付文書違反)を行ったことは、避けるべき「二薬同時中止」と「パキシル突然中止」という二重の意味で重大な過失である。更に渡邊医師は12月1日からアカシジア緩和薬のアキネトンを生理食塩水に代えるプラセボテストを導入したが、純一氏の病状変化に関する経過観察と診察を行っていない。この様な複数の向精神薬を中止する処方変更を行ったにもかかわらず渡邊医師は任意入院患者純一氏の外出許可をきめ細かく変更して運営をすることがなく、ほったらかしにされた純一氏は統合失調症の離脱、再燃及びパキシル突然中止による激越などの異常な状態で殺人事件を引き起こしたのである。純一氏の刑事罰とは関係なく、いわき病院と渡邊医師の精神科医療の過失責任と法的責任は問われなければならない。
(5)、統合失調症ガイドライン違反
統合失調症治療ガイドライン、医学書院、の「序」に、「ところで、海外のすべての治療ガイドラインがそうであるように、本書も今日の標準的な治療指針を推進し、解説したものとなっている。それはあくまでも治療の参考にするための推奨であって、治療に実践は精神科医である担当医の裁量に委ねられている。したがって、本書に記載されておる推奨をもって訴訟などの法的判断や保険をめぐる紛争解決の基準にすることはできない。」との記述がある。
控訴人矢野はこの文言が「統合失調症治療ガイドライン」に記載されていたため、渡邊医師の治療はガイドライン違反と考えたが、「統合失調症治療ガイドライン」に論拠せずに、いわき病院と渡邊医師の過失を指摘していた。ところが、いわき病院が自らを「統合失調症治療ガイドライン」を持ちだして弁論した。即ち、渡邊医師は「本件裁判では統合失調症治療ガイドラインは法的な判断基準となる」と主張した事になる。原告矢野は「統合失調症治療ガイドライン」が医師を守るための論理や証拠となるが、医師の過失を指摘する際には「使用することはできない」とする二重基準(二枚舌)には同意しない。
その上で、渡邊朋之医師の統合失調症治療ガイドライン違反は、統合失調症の治療の基本から逸脱しており、「治療に実践は精神科医である担当医の裁量に委ねられている」という医師の裁量権の範囲内のガイドライン違反ではない。「統合失調症治療ガイドライン」の序に医師の責任を免責したいと希望する著者の見解と願いがあることを承知した上で、渡邊朋之医師は「統合失調症治療ガイドライン」違反で過失責任を確定されるべき理由がある。そもそも責任感有る精神科医療を行ってこその、統合失調症治療ガイドラインである筈である。
5、控訴人(原告)の証拠提出
いわき病院代理人は、「いわき病院と渡邊医師の精神科医療の直接的な結果として純一氏が矢野真木人を殺人したことを証明するよう」求めた。またIG鑑定意見を覆す証拠を提出する事を求め「控訴人は証拠を提出できていない」として、「いわき病院と渡邊医師の精神科医療に過失責任は無い」とする立場である。
(1)、パキシル突然中断を意図的に混同させたIG鑑定意見(II)(III)
IG鑑定人の鑑定意見が精神科医師の意見として誤謬であることは、「パキシル突然中止の危険性」に関する問題と「パキシル継続投与に関する危険性」の問題を混同していたことからも明らかである。またIG鑑定人は厚生労働省医薬食品局監修・医薬品安全対策情報(平成15年8月12日指示分)を平成17年11月時点で医師が知らないことを全く問題にしていない。更にパキシル突然中断の問題は、パキシルインタビューフォーム2003年(平成15年)8月掲載(甲B23の5)、パキシル添付文書には2003年(平成15年)8月改訂第5版(甲B23の2〜4)から掲載されており、平成17年11月には精神科専門医の常識であった。
大学教授が鑑定意見で述べたから「パキシル突然中断の危険性を知らなくて当然」とされるのではない、大学教授であれば客観的な事実に基づいた意見を述べる義務があり、添付文書違反を容認してはならない。IG鑑定人はイギリスの精神科医療における危険性(risk及びdangerousness)の概念を抽象的に述べることは得意であるが、それを日本の精神科臨床医療に持ち込んで自らの学術的業績にしてきた人物としては学術的な普遍性の認識に一貫性が無く、大学教授として主張が混乱している。従って、控訴審裁判でIG鑑定人の鑑定意見を基にした判決を下すことは間違いである。IG鑑定意見こそ、裁判の判断指針として用いるに相応しくない、まやかしの意見書である。
(2)、不正確ないわき病院の医療記録
いわき病院は平成17年11月23日から複数の向精神薬の処方変更(特に抗精神病薬の中止及びパキシルの突然中止が重要である)を同時に行っていた事実を平成22年8月(事件後4年9ヶ月)の人証で全てを正式に認めた。更に、診療録の平成17年11月30日の記録は11月23日、また12月3日(土曜日)の記録は11月30日の記入間違いであると訂正した。いわき病院の診療録は、薬事処方記載に関しても正確でなく、控訴人(原告)が記載の矛盾カ所を一つ一つ確認したからこそいわき病院側が耐えきれなくなって抗精神病薬維持療法の中止及びパキシルの突然中止を行った事実を渋々認めた。また渡邊医師本人が記載した診察日の診療録記載が間違いであったと、事件から4年9ヶ月後に認めた。よくもそのような「正確な記憶」が4年9ヶ月後に残っていたものだと感心するばかりである。更に、そのような「正確な記憶」を持つ人間が、診療日の当日に、しかも2回も日付を間違って記載したことは驚くばかりである。この顛末は、いわき病院の医療記録に信頼を置けないことを証明する事実である。このような「正確な記録すら持たない精神科医療」を「普通の医療」として黙認・放置してはならない。
いわき病院の事件直前の純一氏の診療録は信用できないものである。「純一氏の診療録は平成17年11月以降改竄されている」という内部情報があったが、控訴人(原告)は具体的に何処が改竄された記述であるなどを確認する証拠を持たない。しかしながら、上記の薬事処方に記載の曖昧さや矛盾があったこと及び渡邊医師の診察日を4年9ヶ月後に渡邊医師が訂正する行為自体が、診療録が事件後警察が押収するまでの間に改竄されたものである証拠であると考える。
(3)、重要で必要な記録の欠落は不作為を証明する
平成17年11月2日を最後にして薬剤師の報告が診療録に記載が無く、いわき病院は本件民事訴訟で薬剤師記録の提出を求められても提出できなかった。11月16日と18日に渡邊医師と純一氏の両親の父母面談が2回も行われているが異常であり、しかもこの時に直後の11月23日から実行予定の複数の向精神薬の処方変更に関して説明が行われていない。純一氏は慢性統合失調症患者であり、抗精神病薬(プロピタン)維持療法の中止及び、当時の症状として顕著であったイライラ・ムズムズ症状に対するアカシジア緩和薬のアキネトンを生理食塩水に代えるプラセボテストの実行に関して主治医は両親に説明義務があった。更に11月23日の処方変更後に処方変更を行った事実に関して病棟職員に周知したカンファレンスの記載が無い。また純一氏の病状の変化に関する観察記録が診療録にない等、いわき病院の純一氏の診療録記録が真正のものではないと疑うに足りる理由は十分にある。しかし、これは残念ながら疑いであり、確固たる証明にはならない。
いわき病院と渡邊医師の純一氏に対する医療過誤は、記述内容を改竄した可能性があるいわき病院が証拠として提出した診療録を基にして、残された記載及び看護記録など他の記録から点と点をつなぐ作業で、過失を証明するしかない。いわき病院は純一氏の病状が変化したことに関して診療録には12月5日に「風邪症状で投薬」以外の記述を残していない。この場合、事実認定可能であることは「11月23日の処方変更から12月7日の身柄拘束までの間に、主治医も他の精神科医師も適切な経過観察を行っていない事実」である。また、法廷人証で主張した主治医渡邊医師の病状観察報告は、渡邊医師本人が患者を観察したものではなく、「処方変更を行ったことを周知されず、患者観察の重点事項を指示されていない看護師等のスタッフの断片的な報告を寄せ集めたもの」である。
いわき病院に残された記録から明らかになった事実は、主治医渡邊医師の錯誤と、怠慢及び不作為である。これらはネガティブ・リストであり、渡邊医師本人は決して「私はパキシル添付文書を読んでおりませんでした」、「私は処方中止後に純一をきめ細かく診察する必要を認識しておりませんでした」、また「プラセボテストは看護師が観察すれば十分だと考えておりました」などと発言するはずがない。唯一、法廷審議中に「看護師が純一は頭痛と咳の痛み、37度発熱と言ったので、私は(診察はしませんでしたが、看護師の意見から)風邪と考えて、(改めて)診察する必要を感じませんでしたので、12月6日朝10時には診察拒否をしました」と不作為の主張をした事実がある。
(4)、真正記録を提出したという弱点
控訴人矢野は「診療録は改竄された可能性が極めて高い」とまでしか主張できない。しかし、提出された診療録からは、渡邊医師が11月23日の複数の向精神薬の処方変更後に経過観察の診察義務を果たさなかった事実が確認された。また、渡邊医師の錯誤と怠慢と不作為が確認された。いわき病院と渡邊医師が「診療録は真正である」と主張するのであれば、その代償として「行うべき精神科臨床医療活動を行わなかった事実」を承認しなければならない。医療行為を行った事実の記載が無いことは、必要とされる医療活動を行わなかった証拠である。いわき病院と渡邊医師が「記録は無いが純一に適切な医療を行った」と主張することは医師法第24条(診療録)違反である。
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