いわき病院控訴審答弁書に対する反論
精神障害の治療と人道及び人権 次期公開法廷(平成26年1月23日)を控えて
平成25年12月6日(矢野真木人9回忌)
矢野啓司・矢野千恵
第1、いわき病院と渡邊医師の過失
2、いわき病院の医療と矢野真木人の死を結ぶ直接因果関係
(1)、説明と同意のない治療中止は治療説明義務違反
純一氏は平成16年10月1日にいわき病院に任意入院して重度の強迫性障害を伴う慢性統合失調症で治療を受けていた。入院後4ヶ月半後の平成17年2月14日には前医が「Stable」とカルテに記載したほど病状は改善していた。しかしながら同日主治医を交代した病院長の渡邊医師は、統合失調症の病状が安定(Stable)していたことを自ら確認したにもかかわらず、前医の抗精神病薬の処方を変更して、以後純一氏は病状が悪化すると共にアカシジア症状も悪化し続けたが、平成17年11月22日までは大過なく入院生活を継続していた。しかしこの事実をもって渡邊医師の純一氏に対する精神科開放医療が適切であったとは言えない。渡邊医師は統合失調症とアカシジアの治療で失敗しており、その結果として無謀な複数の向精神薬の突然中止を平成17年11月23日から、患者と家族の同意を得ず、病院スタッフにも説明と指示をせずに実行したのである。
純一氏には「20年以上にわたり継続した放火暴行履歴」があり、本人と家族もいわき病院に申告・説明していた。しかしながら、主治医で精神保健指定医の渡邊医師は純一氏が任意入院であることを理由にして、精神科臨床医師として基本中の基本であり必須事項の患者の過去履歴を、自ら確認して精神科開放医療を実施する上で参考とすることを怠った。その上で、渡邊医師は平成17年11月23日から純一氏に対する複数の向精神薬の突然中止を実行したが、事前の本人に対するインフォームドコンセントがなく、両親で保護者である控訴人NZに対しても事前説明と同意が無く、処方変更を実行した後では看護師等の医療スタッフに複数の向精神薬の突然中止を行った事実を周知せず、また看護や観察上の重要事項を指示・指揮する事がなかった。
(2)、添付文書違反と治療ガイドライン違反の医療と看護の怠慢
渡邊医師がアカシジア対策として実行し、殺人という重大な結果を引き起こした複数の向精神薬処方変更は、平成17年11月23日に実行した慢性統合失調症の患者である純一氏に対する抗精神病薬(プロピタン)維持療法の中止及び抗うつ薬パキシルの突然中止、及び12月1日から実行されたアカシジア緩和薬のアキネトンを中止し薬効がない生理食塩水に代えたプラセボテストである。
渡邊医師が複数の向精神薬の処方変更を行うに先立って、薬剤師は11月2日に渡邊医師のアカシジア治療に不満を記述した後、純一氏の治療に関連した一切の薬剤師の責務を果たしていない。その状況で、渡邊医師は「重度の強迫性障害を伴う慢性統合失調症患者に抗精神病薬(プロピタン)維持療法を突然中止して、統合失調症の治療を中止した状況」(統合失調症ガイドライン違反)で、「自傷他害行為を伴う離脱症状が発生する危険性」という精神科医師としての基本的な常識を持たず、「パキシルを突然中止する危険性に関する認識を持たず(パキシル添付文書違反:厚生労働省は平成15年8月に注意喚起、パキシルインタビューフォームは2003年(平成13年)8月に掲載、パキシル添付文書は2003年(平成15年)8月回改訂第5版から掲載)」に2薬の同時突然中止を行ったのである。各々の薬剤の突然中止は個別に行うだけでも非常に危険である。ところが、渡邊医師は2薬を同時に突然中止したが、その危険性は加算的ではなく、加乗的かつ桁違いに増加することは精神科臨床医の基本的な常識である。渡邊医師はその上で、純一氏が激しく苦しんでいたアカシジアの緩和薬(アキネトン)を中止するプラセボテストを実行した。
精神科医療には精神科特例があり、「患者の病状が安定している場合には主治医の患者診察は1週間に1回程度で良い」とされると聞く。これに対してNM鑑定人は、「精神科特例はあくまでも医師・看護者配置基準の特例であり、診療行為上の特例はありません。実質上、週一回程度の診察が慣習化してしまっただけで、それを是とする根拠は過去にも現在にもありません。」と指摘した。更に、この精神科特例は複数の向精神薬を処方変更した後、特に統合失調症患者に抗精神病薬を中止した後で、患者の病状変化を診察して観察しなくても良いとするものではない。現実に平成17年11月23日の処方変更の実行から12月7日の純一氏の身柄拘束までの2週間で、11月30日夜の1回しか渡邊医師も他の精神科医師も純一氏を診察した医療記録を残していない。渡邊医師を含む精神科医は誰も病状が安定した患者に対する頻度以下でしか複数の向精神薬を中止した純一氏の診察を行っていない。渡邊医師は廊下で純一氏を見かけたとか、また12月3日(土)の夕刻7時から30分以上の時間をかけて外来診察室で純一氏を診察したと主張したが、そのような状況で医療記録が存在しないことはあり得ないはずであり、医師法第24条第1項「診療録記載義務」にも違反している。医療記録が無いことは、医療行為を行った事実が存在しないことである。
ところで、経過観察に関する判決には矛盾がある。判決(P.115、P.128)では「被告渡邊は12月3
日(11月30日が正しい)を最後に純一を診察せず…」と渡邊医師が11月30日夜の診察以降診察しなかったことを認めていた。
- (P.108)「被告渡邊は処方中止当時の病状及びその後の症状についても経過観察を行っている」
- (P.110)「(12月2日以降)被告渡邊が経過観察の下にプラセボ効果や四肢の不随意運動の原因判定を引き続き実施し」
- (P.111)「(12月2日以降)被告渡邊による診察も定期的になされていて」
- (P.115)「被告渡邊は、同年12月4日に被告純一からアキネトンの筋肉注射を求められた際に、生理食塩水の筋肉注射しか行っていないが、その2日前にプラセボ効果が見られたことを踏まえ、経過観察を行っている期間中の出来事ということができ、処方変更の効果判定を怠っていたとは認められない。」
渡邊医師も他の精神科医師も複数の向精神薬の処方変更を行った後、純一氏の診察をきめ細かく適切に行っていない。特に12月1日のプラセボテスト開始後は純一氏の病状変化を自らの目で確認していない。渡邊医師は断片的な情報、特に看護師の1回限りの「プラセボ効果有り」という、自らに心地よい情報だけを信じ、かつつまみ食いして、純一氏の病状変化(悪化)を自ら診断して確認することがなかった。純一氏は体調不良と看護師が報告したが、渡邊医師は自ら実際に診察せずに風邪と診断した。この病状悪化があった状況を渡邊医師及び他の精神科医師は誰も純一氏を診察していない。
そもそも、いわき病院第2病棟看護師は、抗精神病薬維持療法の中止及びパキシルの突然中止を行った処方変更を説明されず、その処方変更によりどのような病状変化が予想され、重点的に観察するべきかを指導・指示されていない。このためこの時の看護師の表面的な観察を基にして、主治医が「風邪症状」と決めつけて診断することはできない。その上で、看護師は純一氏が顔面に自傷したタバコのやけど傷(根性焼き)を誰も発見確認していない。事件前はおろか、事件後に純一氏は25時間いわき病院内にいたが、ショッピングセンターのレジ係が簡単に見分けた顔面左頬の瘢痕すら、看護師は誰も発見していない、いわき病院の患者観察には甚だしい怠慢があった。いわき病院では純一氏の病状悪化を医師も看護師も、事件当日の朝10時に異常を報告したYD看護師以外は、誰も確認していない、著しい医療と看護の怠慢と不作為があった。
(3)、患者の診察依頼に長期間応えない上に診察拒否をしたのは応需義務違反
純一氏は事件当日の平成17年12月6日の朝10時に渡邊医師に診察要請をして拒否されたが、この時「先生にあえんのやけど、もう前から言ってるんやけど、咽の痛みと頭痛が続いとんや」と病状の悪化を訴え、看護師は「両足の不随意運動ある」とアカシジアを確認していた。11月23日以降、特に11月30日から12月6日までの間に、渡邊医師又は他の精神科医師が純一氏をきめ細かく診察していたならば、渡邊医師は複数の向精神薬を処方変更した影響を適確に診断して、純一氏に対して治療的介入を行うことが可能であった。その場合には、矢野真木人殺人事件が発生するはずもない。
純一氏は「誰かを殺せば、耐えられないアカシジア(イライラ・ムズムズ)の苦しみを解消できると期待して、外出して、たまたま出会った」矢野真木人を殺人した。
精神障害者であれば誰でも殺人を行うのではない。精神障害者でも、また、抗精神病薬を断薬された統合失調症患者でも殺人事件を引き起こす人間は極めて希である。しかしながら純一氏の場合は、放火暴行履歴があり、自らも「再発時に突然一大事が起こった」(平成17年2月14日、4月27日カルテ)と、再発時の一大事(純一氏の場合は、過去に繰り返された、深刻な他害行為)の危険性を止められなくなることを認識し、かつ、いわき病院と渡邊医師に伝えていた。純一氏は抗精神病薬中止による離脱(離脱性アカシジア)、統合失調症症状の再発、及びパキシル突然中止による深刻な他害衝動が12月6日までに発生し、こらえきれなくなったのである。残念ながら、いわき病院で主治医の渡邊医師は怠慢と不作為により病状変化を観察・診察せず、看護師は患者の状況を理解せず、同時に顔面の変化を観察しない看護を行っていた。
(4)いわき病院と渡邊医師は患者の病状管理を「ほったらかし」
純一氏の「放火暴行履歴」、渡邊医師の「複数の向精神薬の処方変更(抗精神病薬の中止、パキシルの突然中止を含む)」、渡邊医師を含む精神科医師が「経過観察・診察を適切に行わなかったこと」、渡邊医師を含む精神科医師が「純一氏の病状変化に適切に介入しなかったこと」、看護師が「純一氏の看護と観察を適切に行わなかったこと」、そして「純一氏が深刻な離脱状態にあったこと」、更に「主治医の渡邊医師が受け持ち患者純一氏からの診察要請に応えず、あろう事か拒否し他の精神科医師にも要請しなかったこと」、その結果、純一氏は激越状態になり、「激しいアカシジアを解消するには人を殺すしかない」と思い極めて、ショッピングセンターで包丁を購入して矢野真木人殺人するに至った直接因果関係である。この純一氏の他害衝動は、渡邊医師が純一氏の放火暴行履歴概要を承知していたのであるから、精神科医師として最低限期待されるべき技量を持っておれば予見可能であった。
純一氏に深刻な離脱症状を起こす原因を作り、怠慢と不作為により純一氏の病状の変化を診察・観察せず、純一氏が自ら怖れていた「再発時の突然の一大事の発生」を抑止可能であったにもかかわらず抑止せず、漫然と病状の悪化を放置して、純一氏が異常行動を行うに任せたいわき病院と渡邊医師には、矢野真木人殺人事件の発生という結果に対して直接的な過失責任が存在する。
純一氏はいわき病院に任意入院した重度の強迫性障害を伴う慢性統合失調症患者で渡邊医師が主治医として治療していたが、渡邊医師には向精神薬(抗精神病薬プロピタン維持療法を「統合失調症治療ガイドラインに違反」して突然中止、抗うつ薬パキシルを「添付文書違反」して突然中止)、複数の向精神薬の突然中止後に経過観察と診察を行わず怠慢であり、かつ純一氏の病状の変化に何も対応せず不作為で、結果として普通の精神科医療を普通に行っておれば可能で、精神科病院機能として普通に備わっているべき、安全機能を発揮させることなく、純一氏に「再発再燃時の突然の一大事の発生」を抑止せずに殺人事件を引き起こさせたことが過失である。
3、人権を尊重する精神科臨床医療の確立を目指して
(1)、任意入院患者の意向を尊重しない精神科臨床医療
重度の強迫性障害を伴う慢性統合失調症で任意入院して入院治療を受けていた純一氏はインフォームドコンセントの理解と同意も無しに、平成17年11月23日から抗精神病薬(プロピタン)維持療法を中止されて統合失調症の治療を行わない状態で、パキシルを突然中止されるなどの複数の向精神薬の処方変更をされた。純一氏は12月2日には「内服薬が変わってから調子悪いなあ…、院長先生が『薬を整理しましょう』と言って一方的に決めたんや」と不満を述べていた。
いわき病院と渡邊医師には「精神科臨床医療を行っていることは自動的に人道に貢献していることだ」という思い込みがあるようで、高松地裁判決もその大前提を基にして下されたものと考えられる。しかしながらその前提は間違っている。渡邊医師は重度の強迫性障害を伴う慢性統合失調症の任意入院患者である純一氏に、本人の同意と家族への説明無しに統合失調症治療薬の抗精神病薬(プロピタン)維持療法の中止を含む複数の向精神薬の処方変更を平成17年11月23日に行ったが、事後の経過観察を怠り11月24日から12月7日までの2週間で11月30日1回しか医療記録を残した診察を行っていない。その上で、重要な時期にある純一氏の度重なる診察要請に応えることがなかった。純一氏は12月6日の朝10時に診察拒否を受けた際に「先生にあえんのやけど、もう前から言ってるんやけど、咽の痛みと頭痛が続いとんや」と不満を述べたほどである。この様な患者の病状の重大な時期に治療の怠慢と不作為を行う医療は人権無視の精神科医療である。そして、この様な精神科医療で発生した事件に関連して過失責任を認めない判例がこの日本では継続している。そのような判決は、患者無視の精神科医療を行っても構わないという誤った社会的メッセージである。
(2)、偏見と非難する自己防衛手法
いわき病院と渡邊医師及びいわき病院代理人は控訴人矢野に対して「精神障害者を半永久的に病院に閉じ込めるもの」(判決P.37〜38)、また「閉鎖処遇をしてなかったから事件が起きた」(判決P.38〜40)、とか「精神障害者は凶器を購入して通行人を待ち伏せて突然殺人する」(判決P.39〜40)、などと控訴人(原告)矢野が主張したかのごとく歪曲した記述を執拗に行い、高松地裁裁判官もその事実関係を確認することなく、あたかも控訴人(原告)が「精神障害者を閉鎖病棟の厳重な保護の下に置く」ことを要求したかの如き前提の下に判決理由を述べた(判決P.100)。そもそも事実確認をせずに「控訴人矢野に偏見があるはずだから、いわき病院の過失性がある精神科医療に過失責任を負わせない」という思い込みで判断する判決論理はない。過失はいわき病院の医療の事実及び行われた錯誤、怠慢及び不作為を基にして認定されなければならない。控訴人が発言もしないことを、いわき病院側の虚偽の発言を基礎において判決することは間違いである。そこには、精神科病院は本来的に人権を尊重した社会的役割を果たしており過失を負わせてはならない、精神科病院に過失責任を追及する控訴人(原告)は本来的に精神障害者に対する差別認識を持つはず、という誤った前提と思い込みがあると指摘する。本件裁判の争点の本質はあくまでもいわき病院と渡邊医師が純一氏に対して行った精神科医療の内容であり、治療と看護が適切に行われたか否かである。
そもそも、殺人など精神障害者が原因となり発生した重大な人身事故で、精神科医療の責任の有無を問う確認は日本では行われない。これでは重大な人身事故の発生を抑制する精神科医療の改善と向上は個々の医師の良心次第である。控訴人矢野が調査確認したところ、いわき病院と渡邊医師は、任意入院患者であることを理由にして、錯誤と怠慢と不作為の精神科開放医療を純一氏に実行していた。このような事実を確認しない思い込みで行う精神科医療行為は許されてはならない。純一氏に対しても不幸だったし、矢野真木人には不慮の死という結果をもたらした。
(3)、責任感ある精神科臨床医療を期待する裁判
純一氏は十代の頃から20年にわたり放火暴行を繰り返していた。しかしながら本人は「再発時に突然一大事が起こった」と表現するなど「病気を再発せず、一大事を起こさない」病状管理を望んでいたのである。本人は善人であり、善良者として社会参加することを望んでいたのである。いわき病院にはそれを実現する医療が期待されていた。
精神障害者のほとんどは、放火暴行などの行為を行わない善良な人間である。精神障害者の多くは、病院内に閉じ込められるのではなく、良好な精神科薬物療法と精神科開放医療の恩恵により、社会参加の道が拡大され、市民生活を全うする人生を送ることが期待されている。
渡邊医師の無責任な精神科医療は純一氏の人生を台無しにして、矢野真木人の命を奪う結果になった。この様な精神科医療を高松地裁は「一般病院の一般医師の普通の精神科医療だから過失を問わない」と従前通りの判決を下した。これでは日本の精神科医療は改善されない。何を行っても過失責任を問われることがない安心感から、渡邊医師が純一氏に対して行った、錯誤と怠慢と不作為の医療が蔓延することになることが懸念される。
控訴人矢野は、健全な精神科開放医療が促進されて、精神障害者の社会参加と安全な市民生活が共存する社会を望んでいる。この裁判の結果として、精神科医療関係者が責任感を持つことになり、精神科医師の不勉強と怠慢及び不作為で、入院治療を受けていた精神障害者が事件事故の原因者となる状況に置かれてしまうような不誠実で低レベルの精神科臨床医療の改善が条件付けられることを期待している。
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