WEB連載

出版物の案内

会社案内

いわき病院控訴審答弁書に対する反論
精神障害の治療と人道及び人権
次期公開法廷(平成26年1月23日)を控えて


平成25年12月6日(矢野真木人9回忌)
矢野啓司・矢野千恵


第1、いわき病院と渡邊医師の過失

1、矢野真木人は99%生きていた


(1)、高松地裁裁判官が創作した矢野真木人の生存困難性
  高松地裁判決(P.46〜47)は地裁裁判官の修正で「甲事件原告ら及び乙事件原告らは、その主張する過失がなければ亡真木人に発生した死亡結果を回避できたことを80〜90%以上の確率を持って具体的に想定できておらず、甲事件原告ら及び乙事件原告らの主張が高度の蓋然性のレベルで立証されたとは到底言えない。」といわき病院の主張を改変した。

これは、いわき病院代理人が主張しない、裁判官の創作であるが、逆読みすれば10%から20%の確率で他害殺人事故が確実に発生する精神科医療を前提としており、極めて非人道的である。また裁判官としての社会的責務に対する認識と常識を疑うべき修文である。

矢野真木人はいわき病院の入院患者ではない。従っていわき病院の精神科開放医療が矢野真木人個人に対して直接的に及ぼした危険度が問題になるのではない。「80〜90%以上の確率」が該当するのは不特定の市民に対する危害であり、たまたまその不特定多数の市民の一人が矢野真木人であったのである。平成17年12月6日に純一氏は「誰でも良いから人を殺す」という確定意思を持っていたのであるから、市民中の一人の生命を奪うことは100%の確率で純一氏の心の中では確定していた。純一氏は100%の意思を実行したのである。それが矢野真木人に該当したのは、平成17年12月6日にショッピングセンター内及び周辺にいた数十人、また数百人の一人であり、矢野真木人が純一氏のターゲットになる確率は事件直前までわずか数%未満であった。そして刺殺されたことで100%となったのである。この様な発生した現象の本質とメカニズムを理解せず、文章力だけで修文してみせる行為は、極めて不誠実である。

本件の本質的な問題は「日本の国際公約である精神科開放医療を促進する過程では、市民の誰かが確実に殺人犠牲者になる可能性が70%の高度な確率であっても、病院に過失責任を問うべきでなく、社会は殺人事件の発生を受認することが正しい」という判決論理にある。


(2)、人口統計と若者の強い生存可能性
  総務省統計局人口統計(国立社会保障・人口問題研修所)に基づけば、矢野真木人が生存していた西暦2004年の矢野真木人と同年齢(27才)の人口総数は1725千人(内男性878千人)であるが、6年後の2010年には矢野真木人の年齢(33才)の人口総数は1712千人:99.2%、(内男性866千人:98.6%)であった。6年間における人口減少率は男性でも1.4%であった。この人口減少数には疾病や自殺が原因であるなど特定の高率の死亡数を発生するセクターを含んでおり、矢野真木人のような健常者が不慮の事故に巻き込まれて死亡する可能性は極めて低い。その上で、男性の死亡率を参考にしても、矢野真木人の世代が平成17年(2005年)から地裁判決時点の平成25年(2013年)までの8年間で死亡する確率は2%にも満たない数字である。即ち、矢野真木人は「いわき病院が行った純一氏に対する精神医療の過失による殺人事件がなければ、平成25年3月の地裁判決時点では98%以上の確率で生存している」と想定される。高松地方裁判所が行った修文(判決、P.46)は非常識である。

 矢野真木人の世代の経年人口移動 (単位:千人)
統計年 年齢 総数 男(比率) 女(比率)
2004 27 1,725(100) 878(100) 846(100)
2010 33 1,712(99.2) 866(98.6) 846(99.9)
国立社会保障・人口問題研修所、人口統計資料集(2006年版、2012年版)

そもそも、平成17年11月〜12月にいわき病院と渡邊医師が純一氏に対して適切な向精神薬の投薬を行い、適切に診察や看護を行うなどの病状管理をしておれば、また、主治医が患者の要請に適切に応えていたならば、純一氏が、根性焼きをしても消えないイライラ解消のために「誰でもよいから人を殺す」として外出許可を受けてわずか14分後に殺人事件を引き起こすこともなかった。平成17年12月6日に適切で怠慢や不作為のない精神科医療を享受していたら、純一氏がいわき病院の外出許可の下に外出して矢野真木人とすれ違っていたとしても、矢野真木人は純一氏とすれ違った事実すら認識することなく、平成25年12月6日の現在でも100%確実に生存して、社会的責務を全うしていたであろう。

矢野真木人は死を回避することが困難な疾病に罹患していたのではない。危険な行為を行う人間でもなかった。健全な社会生活を営み、良好な社会貢献をしていた。その矢野真木人の生存率が80〜90%という低い数字ではあり得ない。日本は若者の10%〜20%が10年で生命を断たれるような危険な社会ではない。常識と良識を持ち健全な人生を歩み、充実した社会生活を行っている28才の男性は簡単に死ぬものではない。しかしながら、現実には本年12月6日は矢野真木人の9回忌であり、極めて残念である。


(3)、いわき病院が主張した「高度の蓋然性」
  高松地裁で被告いわき病院が矢野真木人殺人に関連して「80〜90%以上の確率」と「高度の蓋然性」に最初に言及したのは平成22年12月17日付け第11準備書面であり、〔論点1〜4〕の通り主張した。なお、その前提として、いわき病院代理人が整理した原告(矢野及び純一)が主張したとする過失項目は以下の通りである。

  1. 統合失調症を的確に診断できなかった過失
  2. 反社会的人格障害を診断できなかった過失
  3. 統合失調症患者に抗精神病薬(プロピタン)を中止した過失
  4. レキソタン(ベンゾジアゼピン系抗不安薬)を大量連続投与した過失
  5. 処方変更の効果判をしなかった過失
  6. 効果がない社会復帰訓練を行った過失
  7. 本件犯行当日に純一の診察をしなかった過失
  8. 患者管理の過失
  9. 本件犯行日純一に単独外出を許可した過失
論点1、(第11準備書面、P.2):ところで、本件当日、純一に対して仮に外出を禁じておれば、すなわち純一が病院外に出ていなければ、純一が本件犯行時刻に犯行現場に所在することもなかったであろうから、レトロスペクティブに見て本件事件が発生しなかったであろうことは明らかである。したがって、この点については因果関係の存否を論じることは余り意味がない。したがって上記の9.の主張が単に「外出させてはならない」と言うことであれば、専ら、純一の事件当時の症状および過去の経過に照らして、純一に外出を認めたことに法的過失、違法性があるか否かを論ずれば足りると考えられる。しかしながら、単独でなければ「高度の蓋然性」をもって本件犯行を回避できたかは議論の余地があり、少なくともこの点について原告からは具体的主張立証はなされていない。〕

論点2、(第11準備書面、P.9):因みに鑑定人は、「適切な救急治療が行われていたならば、確率は20%以下ではあるが、救命できた可能性は残る」と意見を述べたが、20%以下では「高度の蓋然性」という因果関係肯定の要件を充足しないことは明らかである。およそ救命可能性が50%程度にとどまる場合には、救命できた「高度の蓋然性」が評価できない。医学的に80〜90%程度以上(いわゆる「十中八九」)の救命可能性が存在する事を要すると言うべきである。〕

論点3、(第11準備書面、P.14):少なくとも、原告が主張する前記1.ないし9.の過失によって、本件犯行が発生し、亡矢野真木人が死亡したとの可能性が、80〜90%程度以上の確率を持って証明できなければ、先例に照らし、およそ「高度の蓋然性」という因果関係認定の要件を充足するに足りないことは明らかである。・・中略・・既に被告が述べたとおり、本件における純一による亡矢野真木人殺害の要因を特定することは困難であるが、統合失調症の増悪ではなく、純一自身の気質によるところが大きいと考えられるところ、「原告が主張する前記1.ないしは8.による結果」という機序を80〜90%程度以上の確率をもって具体的に想定することはできず、原告の主張が高度の蓋然性のレベルで立証されたとは到底言い得ない事になる。〕

論点4、(第11準備書面、P.27):3.の「統合失調症患者に抗精神病薬(プロピタン)を中止した過失」についても、抗精神病薬中止によって80〜90%の確率で(つまり10人中8ないし9人の患者が)本件のような殺人行為に至るという客観的かつ科学的根拠が存在しない以上、これを本件犯行と「高度の蓋然性」をもって結びつけることは到底不可能である。〕

いわき病院は〔論点1〕で、『9.の主張が単に「外出させてはならない」と言うことであれば』と仮定したが、自ら行った仮定に縛られて、『原告矢野は「純一に外出を許可した精神科医療がそもそも間違い」という主張を行った』かの如く誤解して、原告矢野(甲原告)非難を継続したのである。この誤解は、IG鑑定人にも引き継がれ、「原告矢野はあたかも精神科開放医療に反対して本件裁判を行っているかのように誤解した鑑定意見書」を提出した。そして、この「思い込みによる批判」は地裁判決(P.116)の「わが国の今後の精神医療の在り方につき(「国際公約としての精神科開放医療の推進に障害となる」とするいわき病院の主張に従った判決を下す)」の部分に大きな影響を与えたと推察されるところがある。

更に、いわき病院の〔論点2〕は、救急医療の80〜90%程度の救命率という「高度の蓋然性」を本件裁判に持ち込んだ論理(論点3)であり、論理的に飛躍がある。救命は80〜90%程度の救命(成功)率が期待されるのは当然であるが、精神科病院に医療過誤による殺人事件発生頻度を「80〜90%程度以上の確率」で要求した〔論理3〕は極めて反社会的な論理である。即ち、「70%以下の殺人確率(10人中7人以下の患者の殺人行動)であれば、精神科病院にはいかなる責任も存在しない」と主張したと同じである。

上記の〔論点4〕は、いわき病院が個別の薬事処方を捉えて「殺人を行う高度の蓋然性は無い」と主張して、高松地裁判決がその論理に乗せられた問題である。

いわき病院第11準備書面(平成22年12月17日付け)が提出されたのは平成22年8月の渡邊医師人証直後であり、「11月23日からパキシルを中断した」、及び「渡邊医師の診察日を12月3日から11月30日に、また11月30日を11月23日に変更した」とする渡邊医師人証発言の意味を原告矢野が解析していた時期である。従って、その後「複数の向精神薬の同時突然中断」及び「11月23日の処方変更後の重大な14日間に精神科医が11月30日夜1回しか経過観察の診察をしない怠慢と不作為」の過失指摘が行われることになった。控訴人(原告)矢野は、事実を隠蔽してきたいわき病院が残した記録と発言を連携付けて、過失を行った事実を事件後8年の歳月を投じて解明しているのである。


(4)、高松地裁の修文と人権認識
  再度、高松地裁判決「争点(4)(争点(1)の過失(被告病院、被告渡邊による治療上の過失、看護監督義務違反の過失)と(2)(甲事件原告らの損害)及び(3)(乙事件原告らの損害)の各損害との相当因果関係の有無)について」の(被告いわき病院及び被告渡邊の主張(P.46〜47)の結論部分を引用する。

甲事件原告ら及び乙事件原告らは、その主張する過失がなければ亡真木人に発生した死亡結果を回避できたことを80〜90%以上の確率を持って具体的に想定できておらず、甲事件原告ら及び乙事件原告らの主張が高度の蓋然性のレベルで立証されたとは到底言えない。

上記の高松地裁要約に対して、原文の〔論点3〕でいわき病院は『過失によって、本件犯行が発生し、亡矢野真木人が死亡したとの可能性が、80〜90%程度以上の確率を持って証明できなければ、先例に照らし、およそ「高度の蓋然性」という因果関係認定の要件を充足するに足りないことは明らか』と述べており、「甲事件原告ら及び乙事件原告らは、その主張する(いわき病院の)過失がなければ亡真木人に発生した死亡結果を回避できたことを80〜90%以上の確率を持って具体的に想定できておらず」と弁論していないことを、確認する必要がある。そもそも被害者が予め具体的に特定されない殺人事件で、具体的に個人の名前を挙げた死亡確率の予測はあり得ない。

高松地裁判決の論理は、「矢野真木人が生存する確率は10〜20%以下」であったという前提に基づいていたことになる。この認識を敷衍すれば、「精神科医療の事故で第三者の市民が犠牲になる場合、その該当者は80〜90%の確率で事件を回避できることは考えられない」、「それは、現在の制度と、精神科医療水準では致し方ない」となる。控訴人(原告)矢野は裁判官がこの様な認識を持って判決を行った可能性に気付いて、愕然とした。



   
上に戻る