辞め検・弁護士のあざ笑い
私どもの息子、矢野真木人は平成17年12月6日に、精神科病院から外出訓練中の精神障害者野津順一によって、通り魔殺人にあい、万能包丁で一刺しされて、心臓大動脈を切断されてほぼ即死の状態で死亡しました。犯人の野津純一には平成18年6月23日に懲役25年の判決が下されて、控訴されることなく、罪が確定しました。
息子が殺人されて初めて、私どもは、それまで考えたこともない、刑法第39条の規定による、「心神喪失者」および「心神耗弱者」の取り扱いの問題に突き当たりました。事件直後は犯人の情報は新聞記事以外にはありませんでした。しかもそれは精神障害者であるために、個人情報が守られすぎて、氏名も分からない、病名も分からない、という分からないだらけでした。そのため私どもは記者会見で「私どものことが報道されているので、犯人には私どものことが見えるが、私どもには犯人が見えない。これでは、精神障害者の犯人が簡単に不起訴になり外出できるようになる場合や、短期刑で釈放される場合、犯人に協力者がいる場合には、私たちは身を守る術もない」と発言しました。この言葉が新聞に掲載されて、警察から、犯人の氏名と住所だけが教えられました。
私どもは最初犯人が精神障害者であることも知りませんでした。ただ、ものすごく手練れの殺人マシーンのような人間に殺されたような印象を持っていました。幸い、犯人は翌日も殺害現場に現れた所で、TV局が取材している前で逮捕されましたので、幸運だったと言えます。その理由は、警察が安易に、「精神障害者だから逮捕しない」という措置を執れなくなったからです。
犯人は高松地方検察庁に回されました。私どもは、時を同じくして、精神障害者による殺人事件関連の本を大量に購入して、状況判断に努めました。本の中には「担当検事は、精神障害者を相手にすると、犯人の発言が良く理解できないこともあり、また刑法第39条があるために、公判で無罪になると将来の昇進に響くために、安易に不起訴処分を決定する」と書いた本が沢山ありました。その様な状況が分かった頃には、既に2週間ぐらい経過していましたので、最初の20日間の拘留期限内では、実は私どもの方では、まるで何もできない状況でした。すなわち、この時に、検察官に「不起訴」を決められていたら、何をなすべくもなかったことになります。
私どもは、この経験を元に、検察官には殺人事件である場合には、拘留期間の20日以内に必ず、被害者の両親などの親族と面会するルールにすべきだと考えます。もし、「不起訴」処分になっていたら、物事の状況がまるで分からない段階で、また私たちの意見を言う機会もなく、犯人の処分が決定されることになっていました。
また、「不起訴」処分だと、殺人をしていても、犯人は無罪・無垢とされるために、被害者には犯人の情報がまるで伝わりません。被害者として何の証言をすることもなく、犯人が刑法第39条で「不起訴」となるのは、余りにも被害者の感情をないがしろにしています。また、それでは、被害者としては、心が救済される道もなく、また事後の対策の方途が限られます。
私どもの場合、犯人の精神鑑定をするために、犯人の拘留期限が2ヶ月間延長されました。この間に、沢山の弁護士と面会して、刑事裁判に引き続く民事裁判を引き受けてもらえないか、お願いして回りました。その中で、ある女性弁護士を紹介されました、彼女は元検事でしたが、結婚したために退職して夫の勤務地で弁護士を開業したばかりでした。この辞め検弁護士には「刑法第39条があるのに、犯人に刑罰を望むことも、民事訴訟を準備することも、どちらも、非常識である」とあざ笑われてしまいました。要するに、無罪が当然の事例なので、それに異議を唱える私どもが、社会的に不正義であるというのです。この、若い女性弁護士の発言には私どもは大きく傷つきました。
翻って考えてみれば、検察庁の若手検事の養成で、「精神障害者は必ず刑法第39条が適用される」という教育が行われているのではないかと、疑われる事例です。その時点では、犯人は統合失調症であることが判明していましたので、「統合失調症=心神喪失」という公式が、検事の頭に刻み込まれているのではないか、と疑われました。
私どもが弁護士を捜していた頃に、多くの弁護士が断り口調で言った中には、「定年間近の検事に当たれば、運が悪い」という言葉もありました。要するに、検事は辞めた後で弁護士を開業すれば、顧客獲得が難しいので国選弁護人を引き受けることが多く、その際には、刑法第39条があると、被告人を簡単に無罪もしくは減刑できるので、便利だ。だから、定年間近の検事は、簡単に被告を「不起訴」にするだろう。このように言われました。市中の弁護士の多くも、検事の厳正で公正な裁定など最初から期待していないかのような発言ぶりでした。
精神障害者が犯罪者である場合、刑法第39条による無罪、と言う予断が強すぎるのではないでしょうか。刑法の規定はあるとしても、重い統合失調症=心神喪失ではありません。統合失調症は医学であり、心神喪失は法律です。ある種の精神鑑定医が著書の中で「心神喪失だから無罪」と記述している現実も、法秩序の観点から見て、おかしいのです。また現在医学では、犯人が薬をきちんと飲んでおれば、理事弁識能力は維持されます。むしろ、心神喪失の状態になるのは、犯人が自ら薬を飲まないために、その時点の心の統合能力を失うという、本人の責任もあります。ある意味では、本人が心神喪失になるのは精神障害者といえども、過失の要素があります。
考えてください。刑法第39条が制定された明治40年代には、統合失調症などの重い精神障害になれば精神の快復を期待する事は不可能でした。しかし法が制定されてから100年以上が経過して、医学は飛躍的に進歩しました。今日では、精神障害者は寛解は困難な場合でも、薬をきちんと服用することで、正常に近い心を維持することは可能になっています。また緊急発作のような異常事態にも医学的に対処することが可能な水準です。そのような時代背景の中で、「統合失調症=心神喪失」を予断し続けることで、精神障害者による犯罪が野放しになっている可能性があります。
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