いろいろの涙
ある『凶刃』読者への返事
お手紙ありがとうございます。矢野真木人も、命を失って丸8年も経過して、若くて魅力ある女性から優しいお心配りと、暖かい涙をいただき、さぞ嬉しいことでしょう。
「凶刃」を執筆したのは事件直後で、刑事裁判が始まる前で、刑事裁判に影響を与えることを目的としたものでした。刑事裁判で犯人の野津純一氏に有罪判決を確定して、その後民事裁判でいわき病院の医療実態を解明して過失責任を追及する道を拓くために、当時の課題として、世論形成を目的としました。
「凶刃」が果たした役割は大きく、刑事裁判では野津純一氏に懲役25年の有期刑が確定しました。現在、野津純一氏は北九州医療刑務所に収監されて、統合失調症の治療を受けております。私たちは平成22年1月に北九州医療刑務所を訪問して90分の間、本人と面会して直接に質問と観察をする機会を持ちました。事件から4年経過して、野津純一氏はいわき病院に入院していた当時には治療が困難で苦しめられて、殺人をする動機になったアカシジア(激しいイライラとムズムズ、自分では止められない手足の震え)で苦しんでおりませんでした。いわき病院では主治医の向精神薬の処方と治療ミスで、治療可能だったにも拘わらず治療できなかった障害でした。
いわき病院の治療責任を問題としている民事裁判は平成18年6月に提訴してから未だに継続しております。ただ、本年(平成25年)3月に高松地裁判決があり、いわき病院側の過失を認めませんでしたので、現在は高松高等裁判所で控訴審が行われています。これまで、個人が精神科病院を提訴して精神科病院の責任を認めた判例はありません。このため、来たる高等裁判所の判決にも厳しいものが予想されます。しかし、敗訴が続いても私どもはくじけるつもりはなく、必ず最高裁判所に上告します。最終的には民事裁判の結果の如何にかかわらず、日本の精神医療制度の改革に繋げる所存です。
私どもが提訴した民事裁判が特異的であるのは、矢野真木人を殺害した野津純一氏の両親と私ども夫婦が協力関係を8年間保ち、共同原告として精神科病院側の責任を追及しているところです。この様な事例は、日本中いや世界中探しても唯一の事例であるはずです。世界でも珍しい「殺人者側と被害者側の協力関係」という、ある意味双方にとって極めて残酷な関係を保たなければ、法廷で有効に戦えないという、日本の精神科医療に関係する裁判の特殊事情をご理解いただければと、希望します。
精神科医療裁判で、原告が勝訴するには、いや勝訴しないまでも有意義に法廷での闘いを行い、裁判後に社会にインパクトを与えることを目的として、人間的価値の普遍性を考えて、覚悟を決めて私どもは矢野真木人殺人者の家族と手を結んでいます。そして、野津純一氏の両親が、よくぞ私たちとの協力関係を長期間に渡って維持して下さっていると、心から感謝しています。
日本では、精神障害者のほとんどが、精神障害と診断された後は精神科病棟に閉じ込められて、無為な人生を強いられてきた歴史があります。このことは、精神障害が軽く、市民生活が可能な人でも、精神科病棟に閉じ込められて社会から隔離された可能性、また、甚だしい場合には、医師の誤診で精神障害者と診断されて、人生を無為に過ごすことを強いられた人間がいた可能性を示します。精神科病棟では自殺が極めて多いのです。人生を精神科病棟に閉じ込められて、自由で独立した生活を永遠に回復できないとなれば、また救済の道がないとしたら、その立場に置かれたことを知った人間の落胆の程はいかばかりでしょう。この様な可能性があることが問題であり、不幸すぎる可能性などあり得ない責任ある精神科医療制度が必要です。
野津純一氏がいわき病院で経験した精神科医療は、医師の不勉強と怠慢で、患者の病状が悪化しても診察も治療も行わない酷い不作為の状況でした。そして、看護師は患者が顔面にケガをしていても気付かない、そのような無視された状況に野津純一氏は置かれていました。その状況は、日本の精神科病棟では一般的・普通である可能性があります。人権に配慮が乏しい精神科医療は、精神障害者の治療でも改善される必要性があります。
高松地方裁判所で、私たちが敗訴した理由の一つに、「精神科病院が敗訴したら、影響が大きすぎる」といういわき病院の主張に裁判所が同調したと推察されるところがあります。これは実に恐ろしいことであり、私たちが間違って精神科病棟の患者になった状況で、不幸な事態や経過に置かれた場合に、法的に救済される可能性が限られることになります。
矢野真木人は28才で命を絶たれました。矢野真木人の命を奪った背景には、日本の人権認識と、人権の保全と保障に関する社会運用と手続きの中に正義でないものがあると私たちは感じております。それは今日の地球社会では是正される必要があり、改善して行くことが日本の名誉と尊厳であると確信します。
私たち夫婦は社会運動家ではありません。社会に対する不満や不服を背景にして大衆運動を行う人間ではありありません。たまたま、矢野真木人が命を失った理由が、今日の社会では許されない筈の人道問題の本質と人権侵害に関係していたため、自らやらざるを得ないのです。しかし、あくまでも社会の正当な手続きの下で私たちは行動します。
私たちの裁判には、日本の多数の精神科医師や、各種の社会的経験を蓄積された方たちが沢山協力して下さっています。さらに、英国人精神科医師も3人が協力しています。今日の普遍性がある社会と医療の課題として、矢野真木人の死を端緒として、社会に「これは人道問題です。このまま放置してはいけません、改善の必要があります、これは日本の名誉にかかわる人権問題です」という問いかけを行っています。
これは、矢野真木人に対する両親としての最後のプレゼントです。矢野真木人の命が日本の人権問題・人道問題に捧げたものであったとしたら、それはそれで、彼の死を両親として納得するしかありません。
矢野真木人はあの時、消えゆく意識の中で、涙を流したことでしょう。親として残念でなりません。
精神障害者の多くは、精神科病棟の中で、意識が清明なときに、不幸に終わった自分の人生を認識して涙を流していることでしょう。精神科開放医療とは精神科解放医療です。
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