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高松地方裁判所判決の項目別問題点


平成25年5月14日
矢野啓司・矢野千恵


2、判決の論理と野津純一氏の他害と殺人の危険性

判決は争点整理案(平成22年7月9日付)に基づいて、野津純一氏に関する渡邊朋之医師の診断の各項目を個別に検討して、各項目の各々が単独では過失と断定するまでに至らない故にいわき病院に過失責任を問えないと判決した。しかしながら、そもそもその論理は間違っている。いわき病院の診断と医療から野津純一氏の病状の悪化及び心神の不安定化及び大規模な処方変更後の経過観察の不在による危険性が亢進した状況を見逃し、野津純一氏に異常行動が発生する可能性を抑制することがなかった精神科医療が事件の発生に繋がったのである。このため、いわき病院に過失責任を問わないことは、患者の病状悪化を放置する、医療とは言えない医療を黙認することに繋がり、日本の精神医療が破壊されることになり、極めて重大な悪影響がある。


1. 事件発生を導いた要因とメカニズム

いわき病院の医療から矢野真木人が殺人された事件に至る一連の過程に内在する、極めて重大ないわき病院の過失を構成する要因は以下の通りである。

  (1)、 いわき病院が野津純一氏の放火暴力過去履歴の概要を知っていながら調査解析せず、病状悪化時の予測に活用しなかったこと。
  (2)、 11月23日から大規模な処方変更を実行したこと。特に、統合失調症治療には欠かせない抗精神病薬(プロピタン)中断及び抗うつ薬(パキシル)を添付文書の注意事項に従わず突然中断したことが、重大な問題を引き起こす主要因となったこと。
  (3)、 上記の(1)と(2)の相互作用で野津純一氏の精神状態が混乱して理論的危険度が高まった。理論的危険度とは、未だ現実の行動になって表れていないが、野津純一氏の行動の過去履歴と大規模な処方薬の変更により想定できる可能性がある現実的な危険性である。(野津純一氏の場合は、病状悪化予測が可能であったのであり、理論的危険度を認識することで、治療的介入などの対応が可能であった。)

これらの前提の上で、

  (4)、 主治医の経過観察の不在及びいわき病院のチーム医療の破綻があり、理論的であった危険度が現実の危険性に転換しつつあった。しかし、いわき病院は危機的状況の発生に気付くことがなく、危機的な行動の発現を未然に抑止できなかった。その上で、野津純一氏が顔面に自傷した根性焼きは、理論的な危険性が現実の危険行動に転換する状況を確認することができる主治医の経過観察の不在と不適切な看護の実態を証明する要素である。
  (5)、 渡邊医師は平成17年2月14日に主治医を交代したが、交代直後にも抗精神病薬をリスパダールからトロペロンに変更して野津純一氏の病状が急変した。この時は渡邊医師が頻繁に診察した事及びSZ医師など精神科医師の助力があり野津純一氏は危機を脱した。しかし、11月23日以後の大規模な処方変更により発生した危機では、渡邊医師の熱意が低下していた上に、他の精神科医師の助力もなく、事件の発生を未然に防ぐことがなく、本来病院に備わっている筈の安全弁の機能が働かなかった。渡邊朋之医師が患者の病状の変化に真面目に取り組んでおれば、野津純一氏は事件を発生させることなく、入院生活を継続できたはずである。
また、矢野真木人は100%今でも元気でいるはずである。

2. 野津純一氏の放火暴行履歴

野津純一氏には放火暴行履歴があり、これに関連して下記の情報をいわき病院は承知していた。これは事件発生時の主治医であった渡邊朋之医師は本人が直接聴取してなくても、いわき病院の記録であるため主治医として当然知っておくべき情報である。渡邊医師は「患者との人間関係を悪化させないため、直接質問しなかった」という見解を持つとしても、いわき病院が既に所持していた記録に基づいて患者野津純一氏の過去履歴を承知して、野津純一氏の行動予測の参考とする義務を持つ精神医学的情報であった。これらの情報は、渡邊朋之医師に対しても、野津純一氏の両親及び本人からも断片的であったが、過去の異常行動履歴として伝えられていた。主治医は断片情報を再構築して、野津純一氏の放火暴行に関連した過去の行動の事実として承知して精神科臨床医療を行う義務と責任を有していた。

  1. 16歳時の自宅放火事件(自宅両隣3軒を全焼した大火災で警察沙汰となった)
  2. 25歳時の一大事(香川医大における包丁を持った主治医攻撃未遂事件)
  3. 平成13年にいわき病院に入院した際の「攻撃性の発散」の治療課題
  4. 野津純一氏の自宅周辺における妄想から怒鳴り込んだ異常行動
  5. 野津純一氏の自宅内における暴行(家具の破壊や親に対する強要)
  6. 平成17年10月にいわき病院に入院する前に治療を受けていたYM医院前の通行人襲撃暴行事件
  7. 平成17年10月の被告病院内における看護師に対する暴行の事実
  8. いわき病院歯科は野津純一氏が暴れる可能性に対処した治療体制を取っていた

いわき病院が把握していた上記の野津純一氏の過去履歴に基づけば、野津純一氏は心神の状態が悪化した際には、他人の身体に対する暴行を行う可能性があり、時には包丁等の他害危険性が高い一般の民生器具を使用して攻撃する事もある。本人も、他害行為履歴を「再発時の一大事」と表現するほど、異常な行動が発現する可能性を自己認識していた。いわき病院は患者野津純一氏の治療に責任を持つ病院として、本人が怖れる断薬の危険性に不用意に晒すことがないように留意した精神科臨床医療を行う義務を有していた。

いわき病院は精神科病院であり、また主治医の渡邊朋之医師は精神保健指定医である。当然のこととして、担当する患者の過去履歴を掌握して精神障害の治療を行う義務がある。各種の弁解を行って、「承知していなかったから責任が無い」という主張を行うことは、そもそも不誠実かつ無責任であり、社会的機能を担う上で、許されない弁明である。


3. 野津純一氏に行った大規模な処方変更と他害衝動の亢進

主治医渡邊朋之医師は平成17年11月23日から、抗精神病薬(プロピタン)、抗うつ薬(パキシル)、アカシジア治療薬(アキネトン)及びパーキンソン病治療薬(ドプス)の4薬を同時に中断した大規模な処方変更を実行した。このうち、抗精神病薬(プロピタン)と抗うつ薬(パキシル)の中断は極めて重大である。


(1)、抗精神病薬(プロピタン)の中断


1)、抗精神病薬の頓服を容認した判決の錯誤
  渡邊医師はコントミンなどの薬剤を頓服としてあったので、抗精神病薬の中断ではないと主張して、判決(P.107)もこれを容認した。そもそも頓服のみでは与薬していたとしても薬用量が不足して抗幻覚・抗妄想作用を発揮できないことは精神科領域では常識中の常識である上に、「間欠的な維持療法は持続的な維持療法に比べ再発が多く、しかも遅発性ジスキネジアの頻度も高いとされている(判決P.55)」ので、当然正しい対処ではない。判決が容認したことは、精神薬理学的には重大な錯誤であり、不適切な判決である。

2)、プロピタンの薬効持続期間に関する誤認
  更に判決(P.98)は「プロピタンが中止されて2週間が経過した本件犯行時点においてもその薬効が残存していた可能性は十分ある」として過失責任は無いと認定した。この点をデイビース医師団に確認したところ次の通りである。

ア、 プロピタンは中断後2週間では危険が無いのではなく、中断後の2週間が最も危険である。またC意見書Iは「早ければ1週間で病状悪化する」と述べた。
イ、 プロピタン錠剤の体内半減期は30時間であり、5日で体内残留は消滅し、その後は精神状態が急速に悪化する。
ウ、 主治医は、中断後の2週間は毎日診察して状況の変化を確認する必要があり、看護師は常時観察する体制を取る必要があるが、いわき病院では行われなかった。
エ、 プロピタンの効力は人種による差はない、データは全世界共通である。

野津純一氏はプロピタンの中断で統合失調症を治療されていない状況に置かれていた。この状況では精神症状が安定した状態で維持されることはあり得ない。抗精神病薬(プロピタン)の中断は野津純一氏が異常行動を発現する極めて重大なきっかけとなったのである。主治医は中断後の異変発生に備えた慎重な診察を随時行う義務を有していた。

3)、再発のサインを見落とした渡邊朋之医師
  野津純一氏の手足振戦は外見的にも分かるが、妄想発現など内面的なことを聞き取るのは患者との人間関係ができているか、聞き出せるだけの能力と環境作りが必要である。抗精神病薬中断の状況では医療者側から積極的に患者に聞き取りをしなければならない。(デイビース医師団)。従って、患者にイライラしていないか聞きもせず「患者が言葉で言わないから妄想は無かった」「イライラしていると純一が言葉で看護に訴えなかったからイライラは無かった」と断定できない。野津純一が「再発のサインはイライラ」と述べたのが診療録にあるのだから、患者から告げる前に尋ねるのが医療というものである。処方変更の中止の仕方と中止後管理に問題があったし、診察に応じるべきだった(B鑑定人)。

(2)、抗うつ薬(パキシル)中断リスクは平成15年8月に確立


1)、「パキシル中断の危険性」と「全ての抗うつ薬投与継続中の危険性」を混同
  判決(P.98)はA意見書IIの「パキシル中断の危険性」と「全ての抗うつ薬投与継続中の危険性」を混同したA鑑定意見を採用していわき病院の過失を否定したが、これはA鑑定人の精神医学者としての鑑定意見の信頼性を損なう、重大な事実認定の誤りである。平成15年8月以降は薬剤添付文書に記載があった「パキシル中断」の危険性に関する知識は、世界中の精神科専門医の常識であった。(デイビース医師団)

2)、パキシルを突然中断した問題
  判決(P.98)はA意見I(P.20)「12月3日以降の処方自体は過誤でない」に基づくが、この文の前にはカッコ付きで「(中断に至る過程には問題があっても)12月3日以降の処方自体は過誤でない」が含まれている。そもそもパキシルの「中断」そのものは病状の変化で起こりえる主治医の判断であり間違いの判断ではない。しかしながらここで問題となるのは「突然の中断」である。パキシルは中断を行う際には、患者の状況の変化を慎重に見極めながら薬用量を徐々に削減して断薬に至ることが条件である。渡邊朋之医師はパキシル錠20mgを11月23日から突然中断したが、そのことが問題である。平成17年11月当時にはパキシル10mg錠(現在では5mg錠)製造流通されており、段階を踏んだパキシル投与削減を行うことが求められていた。A意見書I、II、IIIは精神医学、特に薬物療法に疎い裁判官が読み誤るように書かれている点に注意すべきである。鑑定意見書の記述のレトリックで、「突然の中断(過失)」が「徐々に減量され、最終的にその処方になる(裁量の範囲内)」と理解するように仕組まれている。原告鑑定人(B、C、デイビース)の指摘通り、本件発生のメカニズムには「中断の仕方」が深く関与している。

以下に、C意見書II、E鑑定人とデイビース医師団の指摘を記述する。

ア、 パキシル中断の危険情報は2001年から明白になっていた。
イ、 危険情報は、欧米諸国では、政府公報で周知されていた。日本でも、製薬会社のMRが自主的に周知活動を行っていた。更に厚生労働省の医薬品安全対策情報にも記載されていた。そのような状況で、「パキシル中断の危険性を知らない」は、精神科専門医としては通用しない弁明である。
ウ、 A鑑定人が「継続中の危険性」と「中断の危険性」の問題を混同した鑑定意見書を提出した事実は、精神医学者として名誉失墜である。

3)、渡邊朋之医師の過失責任
  渡邊医師は抗うつ薬(パキシル)を突然中断した後では、放火暴行履歴があり、包丁で傷害未遂事件を引き起こした経験がある野津純一氏に他害衝動が亢進して発現する可能性に至る症状の変化が認められないか、慎重に見極めて診断する責任を有していた。

判決(P.98)が引用したA意見は、渡邊朋之医師が「平成17年12月6日当時に、最先端の医療知識に接する機会の多い大学病院の医師でもない」とパキシル中断の危険性に関する知識を持たなくても過失責任は問われないと認定したが、渡邊朋之医師は香川大学医学部付属病院精神科外来担当医師を兼任しており、事実誤認である。


(3)、添付文書「使用上の注意の基本」を守らない医療は医師の裁量権の逸脱

平成17年12月当時の市販本にも載っていたパキシル使用上の注意の「基本」には以下の記述がある。

突然の中断により患者によっては重症であったり回復まで2、3か月要する場合があり、
  1. 突然の中止回避、数週間から数ヶ月にかけて徐々に減量
  2. 減量または中止後に耐えられない症状が発生した場合は、中止前の用量にて投与を開始し、より穏やかに減量
  3. 患者の判断で服用中止をしないように服薬指導、飲み忘れが無いよう指導

いわき病院渡邊朋之医師はパキシル20mgを11月23日に突然中断したのであり、「数週間から数ヶ月にかけて徐々に減量」する配慮を全く行っておらず、しかも中断後に患者野津純一氏を診察したのは中断7日後の一回だけで、その後も事件発生までの6日間本人を直接診察した記録を残していない。そもそも、主治医は「減量または中止後に耐えられない症状が発生した場合」の確認を行っていない。


(4)、野津純一氏の理論的危険性の顕在化

野津純一氏は抗精神病薬(プロピタン)の中断とパキシルの中断を同時に行われたことで、心神の状態が安定性を欠いた上に、攻撃性が亢進した状態になり、他人に危害を与える可能性が極めて高くなっていた。野津純一氏は主治医交代時に「25歳時の一大事」、「再発時一大事が起こった」を自己申告するなど、「中断時の危険性」を主治医に知らせようとした事実があり、渡邊朋之医師が無視したことは極めて遺憾であると共に、精神科専門医としては過失である。

判決(P.97−98)(A意見書)はプロピタン単独の中断後の2週間以内では殺人の危険性が高くなったとまでは言えないと判断したが、その根拠は間違いである。更に、「パキシル中断」による危険情報の認識が問題であるにもかかわらず、「パキシル継続」の危険情報の薬剤添付情報記載が平成18年6月なので、渡邊医師が知らなくても過失責任は問えないと、論理を混同した不適切な判断を行った。しかし、パキシル継続投与中の自殺企画に関する注意は平成15年8月に薬剤添付文書に追加記載されていたのである。

現実の野津純一氏はプロピタンを中断したことで、統合失調症を治療されない状況に陥り、心神の状態が不安定化していた事に加えて、パキシルを突然中断されて激越と不安感が高まっていた。これは、危険な状態が重なり、その相乗効果で、更に飛躍的に深刻な他害行為を発現する危険性がある状況であった。判決(P.108)は「経過観察を行っている中のものであったことからすると、医師の裁量を逸脱したとまでは言い難い」としたが、渡邊朋之医師は経過観察をしておらず、判決の間違いである。また判決は、危険要因の相乗効果を認定するべきであった。野津純一氏の病状悪化予測は簡単にできたのである。

野津純一氏は他害行為の危険性を高める抗精神病薬(プロピタン)と抗うつ薬(パキシル)に合わせて、アカシジア治療薬を中断するプラセボテストを受けていた。このため、イライラムズムズなどのパーキンソン症候群の治療が行われない状況で、その苦しみに耐えかねて根性焼きの自傷行為を行っていたのである。根性焼きは顔面に自傷した異常であり、看護師が最初に発見するべきであり、更に主治医の渡邊医師が慎重に診察さえしていたら、野津純一氏の病状が悪化していた兆候として診断することが可能であった。

野津純一氏は過去に包丁を以て主治医を襲おうとしたり、通行人に突然襲いかかった事実がある。野津純一氏の心神の状態が不安定な時にはそのような他害行動が再び発現する可能性があったのである。いわき病院は野津純一氏に危険衝動が発現する可能性を全く想定せずに、抗精神病薬(プロピタン)と抗うつ薬(パキシル)の中断を行い、更に病状が悪化していた兆候を見逃したことは、精神科病院として事故の発生を未然に防ぐ安全機能が作動せず、重大な過失を導いた要素である。この事実は、いわき病院を信じて入院治療を受けていた野津純一氏にとって、極めて不本意な事である。


4. 渡邊医師の経過観察無視と危険性の亢進

(1)、医療常識から導かれる「病状予測」ができていなかった(注意義務違反)

いわき病院は「純一には平成17年10月21日の暴行行動しかなかった」と主張するが、他害暴行行動が発現する要因や条件またその程度や深刻さを解明していない。そもそもいわき病院では歯科が野津純一氏に暴力行動が発生する可能性を予見して対策を講じた上で治療に当たっていた。同一病院内において暴力行動の発現を予見した事実があるにもかかわらず、いわき病院は本人が暴れたり暴言を吐いていなければ他害の危険性は予見できないと主張し、判決もそれを過失責任を問わない免責の要件とした。しかし、野津純一氏の過去履歴では、他害行動を行う前に暴れたり暴言を吐いていた事実は記録されていない。またそもそも、暴れたり暴言を吐くまで、患者の異常に気か付かないことが許されるとしたら、精神科病院は日常の患者の病状の変化を詳細に観察する義務がないと主張している事になる。いわき病院は精神科医療機関として野津純一氏の病状の変化に関連した兆候を認識して、他害行動が発現する可能性を見極める義務があった。

いわき病院は野津純一氏が異常行動を引き起こす引き金になりかねない抗精神病薬(プロピタン)と抗うつ薬(パキシル)の同時中断を行っていた。このため精神科治療の一環として処方変更を実行したいわき病院と主治医の渡邊朋之医師には、野津純一氏に発生していた深刻な他害行動を引き起こしかねない状況を判別して認識する義務があった。野津純一氏には過去履歴から理論的に推察可能な、他人に対する深刻な暴行を行う危険性があることは明白であった。

デイビース医師団が「抗うつ薬(パキシル)と抗精神病薬(プロピタン)の同時中断は精神科医ならば絶対行ってはならない」と指摘したが、A鑑定人は意見書I、II、IIIで「プロピタンとパキシルの同時中断に関する見解」を述べておらず、極めて重大な問題であるにもかかわらず回避した。A教授が真正面から返答できないような大問題に判決(P.107)は「理想とは言えない」として判決した。これは判決が「理想」という言葉でごまかした、専門的事実に関して判決は医師の裁量逸脱を容認した極めて重大な事実誤認である。そもそも、「抗精神病薬の中断は精神症状の悪化を招く」は常識中の常識である。さらに、「パキシル中断時の添付文書注意書き」は平成17年当時には精神科医師ならだれでも当然知っているべき知識である。これらの重要な2項目を同時に無視する非常識を「医師の裁量の範囲内」とした判決は間違いである。二つのリスクを同時に無視すれば、リスクが2倍になるのではなく、何倍にも跳ね上がるのである。(デイビース医師団)


(2)、チ−ム医療で患者の異常を見守る義務があるのにできなかった

渡邊朋之医師は大規模な処方変更を行った後で、直ちに、看護師を含む病棟職員を招集してカンファレンスを行い、抗精神病薬(プロピタン)と抗うつ薬(パキシル)の同時中断を行った事実を全職員の共通認識とすると共に、患者観察と看護上の留意事項を全員に周知する必要があった。

その上で、渡邊医師は11月23日以降には毎日患者野津純一氏を診察して、病状の変化を詳細に観察する義務があった。更に、看護師は、野津純一氏の状況の変化を常時観察できる体制や配置をするべきであった。これに関連して、いわき病院は精神科特例の下で、基準に適合する職員配置を行っていたので過失責任は問われないとの論理であり、判決もそれを根拠に過失責任を免責した。しかしながら、MF意見書「鑑定意見3」に次の指摘がある。

医師や看護者当たり入院患者数が一般科よりも多いいわゆる「精神科特例」は,精神科入院医療が,一般医療と比べて質的に劣るものであってよいことが,法的,制度的に容認されたものではなく,精神科特例を取り入れるかどうかは,基本的には経営者の判断の問題であり,また,精神科特例下においても,医療従事者の病棟機能別傾斜配置やトリアージュ(負傷程度に応じて治療優先を決めること)など,柔軟な判断と対応が求められることは,一般医療と同様である。基本情報を踏まえ,さらなる緻密な観察に基づく情報の収集と適切な対応が行われないこと,そのための面接の回数を増やせないこと,タイムリーな危機介入が行われないこと,患者の要望に適切に対応できないことなどを精神科特例という制度のせいにすることはできない。

そもそも、病院設置基準に適合しているから、過失責任を問われないという論理は存在しないはずである。また病院設置基準で必要としている専門職の数をそろえておれば、チーム医療が機能していると判断される論理はない。精神障害者野津純一氏が入院していたアネックス棟は高齢認知症者の治療を専門とするいわき病院第2病棟の一部であり、そもそも看護の目的と手段が異なる。現実の医療で、必要な看護と医療が患者野津純一氏に行われていたか否かが問題である。いわき病院にはチーム医療が機能していたと証明する証拠や記録は存在しない。


(3)、適切に行われなかった経過観察

抗精神病薬(プロピタン)と抗うつ薬(パキシル)の同時中断という重大な処方変更後に行われた主治医渡邊朋之医師の患者診察は11月30日(水)の夜7時以降の一回だけである。渡邊朋之医師は12月3日(土)にも外来診察の日であったが夜診たと主張し、A鑑定人は午前中の外来診察時で11時10分より前に行われたと鑑定意見で述べたが診察した事実を証明する医療記録は存在しない。特に、A鑑定人は12月3日(11月30日の間違い)の渡邊医師診察までに関する薬剤効果判定は「おおむね適切、しかし12月3日(11月30日の間違い)以降は判断できない」としているが、渡邊医師のプラセボ効果に関する医療記録は一切存在しない。その上で、12月6日には野津純一氏が診察要請したが外来診察中であることを理由にして診察拒否をした。渡邊朋之医師は抗精神病薬(プロピタン)と抗うつ薬(パキシル)の同時中断という重大な処方変更を行った後では「慎重な診察を行わなければならない」という認識を持たなかったのである。

判決は渡邊医師の経過観察は適切に行われたと判定したが、看護記録を元にして医師による医療的事実として認定したのであれば、医師法17条(非医師の医業禁止)違反の疑いとなる。さらに、判決の根拠となった看護記録は抗精神病薬(プロピタン)と抗うつ薬(パキシル)の同時中断という重大な処方変更と関連する留意事項を周知されていない看護師が記述したものであり、そもそも、医療的価値が認められないものである。(C意見書I、P.4)

渡邊朋之医師は大規模な処方変更を行った後で、野津純一氏の診察が疎かであり、11月30日の夜間に一回限りの診察しか行なわなかった事実は、主治医として経過観察を行う意思を持たなかった事実を証明する。そのような医療を、適切に行われていたと判決することは、医療的怠慢を容認する判決となり、精神科医療の破壊を促進する事になる。


(4)、渡邊朋之医師の熱意の低下

渡邊医師は平成17年2月14日に主治医を交代したが、交代時の野津純一氏の病状は安定していたことが、前医のNG医師が記述した医療記録及び渡邊朋之医師の証言からも確認された。しかし、渡邊朋之医師は交代2日後の2月16日から野津純一氏が服用する抗精神病薬をリスパダールからトロペロンに変更して、野津純一氏の病状は急激に悪化した。この時にも渡邊朋之医師はトロペロンの薬剤添付文書を読まず、トロペロンの副作用症状に苦しむ野津純一氏の治療に失敗した。それでも、渡邊医師が頻繁に診察した事及びSZ医師が抗精神病薬をトロペロンからリスパダールに戻すなど、他の精神科医師の助力があり野津純一氏は危機を脱した。この時点ではいわき病院は未熟な病院長を補佐する精神科病院としての安全弁の機能が働いていた。

11月23日以後の大規模な処方変更により発生した危機では、渡邊医師の熱意が低下しており、その明白な事実は処方変更後の重大な時期に2週間で一回しか患者を診察しなかったことに現れている。その上で、他の精神科医師の助力もなく、事件の発生を未然に防ぐことができなかった。しかし2月の時点では野津純一氏の危機は渡邊医師の熱意と他の精神科医師の協力で危機的状況から事故が発生することなく未然に回復していたのである。渡邊医師の野津純一氏の治療に対する熱意が低下していたことも、事件の背景にある重大な要素である。(デイビース医師団)


5. 殺人事件の発生

(1)、高度の蓋然性を要求したいわき病院が発生させた殺人事件

殺人事件は極めて希な事象であり、必ず発生すると予見できるものではない。本件事件では野津純一氏に対する治療の過程で抗精神病薬(プロピタン)と抗うつ薬(パキシル)の同時中断を行ったことが重大なきっかけとなったと言える。

しかしいわき病院が第11準備書面(P.14)で高度の因果関係を証明する請求で主張したが、抗精神病薬(プロピタン)を中断すれば全ての人間が80%から90%の確率で殺人を行うと予見できるものではない。また抗うつ薬(パキシル)の中断を行えば同様に全ての人間が80%から90%の確率で殺人を行うというものでもない。更に、抗精神病薬(プロピタン)と抗うつ薬(パキシル)の同時中断を行えば全ての人間が80%から90%の確率で殺人を行うというものでもない。その上で、アカシジア緩和薬(アキネトン)を中断すれば全ての人間が80%から90%の確率で殺人を行うというものでもない。

薬は本来毒にも薬にもなり、使い方次第である。薬の中でも向精神薬は劇薬で脳に作用するため、使用方法の注意を誤れば簡単に毒になる。そのため用法・用量・使用上の注意が定められており、主治医が遵守することは最低条件である。この薬剤添付文書の注意書きに従わずに医師が裁量権を行使する場合は、医師にそれだけの責任が伴うことになる。処方薬の用量や使用上の注意を守ることで、精神医療は危険性が低く保たれ、幾重にも安全弁が働いて、事件発生の危険性があったことも、関係者に認識されないままで危険性の芽が消滅するものである。判決は、いわき病院が行った判断の間違いを個々に検討して、過失に至るまででの高度の蓋然性は無いと判定したが、これはある意味で当然の帰結である。即ち、抗精神病薬(プロピタン)と抗うつ薬(パキシル)の同時中断及び経過観察の不在などの原告が過失と指摘したどこか一つでも安全側で機能しておれば、野津純一氏は殺人犯人にはならず、矢野真木人は100%の確率で生存していた。それだけに、いわき病院と渡邊朋之医師の医療過失責任は重大である。

いかなる状況に置かれても、ほとんどの人間は殺人を行うことは想像もすることができない極端すぎる行動である。いわき病院の高度の因果関係を原告に証明することを迫った請求は、そもそもいわき病院も渡邊朋之医師も、殺人事件が発生する可能性を抑制することを全く考えない精神科臨床医療を行っていたという証明である。矢野真木人殺人事件の発生は、いわき病院の精神科臨床医療がもたらした必然の結末である。

いわき病院が殺人に至る高度の蓋然性の論理を振り回すことは、市民の生命の安全を犠牲にする事を強要する論理である。


(2)、野津純一氏の放火暴行履歴と殺人行動

野津純一氏が殺人衝動を抑制できなかった鍵は、野津純一氏の放火暴行履歴に隠されている。16歳時の自宅放火に起因した両隣の住宅を焼失させた大火災は他人の生命に危険が発生しても顧みる事がないという、野津純一氏の行動様式を暗示するものである。更に、25歳の時に包丁を以て当時治療を受けていた香川医大に押しかけて主治医を傷害しようとしたことは、他人が重症を負うことに心の抑制が働かない行動が野津純一氏にあることを示唆するものである。その上で、いわき病院に入院する直前には、街頭で見ず知らずの他人に襲いかかったが父親に制止されていた。また、野津純一氏はいわき病院内で看護師を襲撃したが、いわき病院内の医療環境下にあっても、野津純一氏に他害衝動を発動させる状況があることを証明し、いわき病院は平成16年10月21日からの隔離後はより一層慎重な医療と看護を行う注意義務を有していた。

野津純一氏の矢野真木人殺人は、包丁を使用して見ず知らずの他人を突然襲撃したことで殺人にまで至ったが、これらの行動要素は全て事前に確認できていたことである。いわき病院と主治医の渡邊朋之医師が野津純一氏の放火暴行履歴に関して自病院が保有している情報を元にした調査を行い、事実と内容の分析を行っておれば、野津純一氏が危機的な状況に置かれた場合に予想される「理論的な危険性」として認識可能であった。これらは病状が悪化した場合には野津純一氏に発現の可能性が予測できた事であるが、渡邊朋之医師は精神保健指定医であるにもかかわらず、精神科医の常識があれば簡単にできたはずの病状悪化予測を行わなかったことは過失である。


(3)、いわき病院の重大な怠慢

野津純一氏は抗精神病薬(プロピタン)と抗うつ薬(パキシル)の同時中断で、心神の状態が不安定になり、攻撃衝動が沸き上がることを自制できなくなっていた。その上で、アカシジア緩和薬(アキネトン)を中断されて、イライラとムズムズの苦しみは最高潮に達していた。その時期に野津純一氏はいわき病院内で顔面左頬にタバコの火を押しつけて複数の火傷キズ(根性焼き)を自傷したが、イライラを解消できず殺人を考えていた。その異様な状況を、いわき病院は医師も看護師も発見することがなかった。

当時の野津純一氏は抗精神病薬(プロピタン)と抗うつ薬(パキシル)の同時中断という極めて重大な処方変更の治療を受けていた。この時期にあっては、主治医は慎重に病状の変化を確認する義務が生じていた。しかし、主治医は処方変更後の2週間で夜間の一回しか診察をしていない。また、極めて重大な時期であった12月1日にプラセボテストを開始した後の一週間は一回も診察をした医療的事実が存在しない。

その上で、主治医の渡邊朋之医師は抗精神病薬(プロピタン)と抗うつ薬(パキシル)の同時中断という極めて重大な処方変更を看護師他の職員に周知した事実が無い。OK第2病棟看護長すら「カルテを見て知った」また「処方変更に伴う注意観察事項等は主治医から指示がなかった」と人証で答えた。即ち、野津純一氏の看護には目的意識が欠如していた上に、患者が顔面に自傷した複数の火傷キズ(根性焼き)を発見しないほど杜撰きわまりないものであった。このような状況で、野津純一氏に発生しつつあった異常行動の要素をいわき病院は見逃したのである。これは、重大な過失である。


(4)、精神科開放医療の責任


1)、無責任とほったらかしの精神科開放医療
  いわき病院は一度任意入院の患者に外出許可を与えれば、日常の患者の病状の変化を確認する事がなく、患者が外出管理簿に記入するだけで看護師のチェックもなく全く自由の外出させていた。原告からこの問題を指摘されると「措置入院にして閉鎖病棟に転棟させる要求」と過剰な解釈をした。即ち、いわき病院は精神科開放医療に対するポリシーや責任感もなく毎日継続的に行う日常の患者観察という当然の医療と看護が存在しないのである。

2)、市民と共存する精神科開放医療
  精神科開放医療を行うのであれば、患者が市民として他者と協調して社会生活を行うことを可能とする医療条件を確認することが条件となる。統合失調症患者野津純一氏に対しては適切な抗精神病薬の薬種と薬用量を確認して、本人の心神の状態を安定化して、社会参加を促進することが必要条件であった。ところが、いわき病院と渡邊朋之医医師は抗精神病薬(プロピタン)を中断して統合失調症の治療を行わない状況に置いて、その上で、患者観察を行わずに自由外出を行わせていたが、治療放棄で無責任な、名ばかりで実態が伴わない精神科開放医療である。

3)、患者野津純一氏の願い
  野津純一氏はいわき病院の入院患者であり、いわき病院と渡邊朋之医師は近い将来の野津純一氏の退院を模索していた。その野津純一氏は放火暴行の過去履歴を持つが、主治医が渡邊朋之医師に交代した直後の2月14日に渡邊朋之医師に直接また真っ先に「25歳 一大事がおこった」と述べた。更に、4月27日には「退院に向けての教室」で「再発時に突然一大事が起こった」と自己申告した。この事実は、野津純一氏が「一大事」で表現される「(深刻な)他害行為」を行うことを自らは望んでおらず、「その危険性を踏まえた適切な治療を行ってもらい、健全な社会生活に入りたい」と希望を述べたものと考えられる。いわき病院に求められたのは、野津純一氏が社会参加をすることを可能とする向精神薬の処方やリハビリテーションなどの精神科医療条件を見出すことであった。

4)、親切ごかしで不誠実な医療
  渡邊朋之医師は供述書(乙A第8号証)(平成22年4月16日付)(P.4)で「主治医である私から特定の攻撃的行為を積極的に尋ねることは、精神科臨床上良好な治療患者関係を築く上ではあり得ず、不可能に近いと言っても良いでしょう。」また、第6準備書面(P.3)渡邊医師「このような条件下で、主治医である渡邊医師から積極的に尋ねることは精神科臨床上およそ一般的でなく不可能と言っても良い。」と述べたが、これは、野津純一氏の希望を踏みにじった、親切ごかしであり、精神科専門医師として不誠実な対応である。


(5)、野津純一氏が行った殺人

平成17年12月6日の12時過ぎの野津純一氏は、誰でも良いから人を殺す(不特定の個人を狙う襲撃)として、包丁を購入(25歳時の一大事の再現)して、街頭で矢野真木人を突然襲撃(いわき病院に入院する前のYM医院前の行動)をした。YM医院前の通行人襲撃事件では付き添っていた父親が制止したため重大事には至らなかった。しかし、矢野真木人襲撃では、制止者がおらず、包丁で矢野真木人の胸部大動脈を切断して、死に至らしめた。この結末は、野津純一氏の過去履歴及びいわき病院の抗精神病薬(プロピタン)と抗うつ薬(パキシル)の同時中断という極めて重大な処方変更および、処方変更後の経過観察の不在と診察要請拒否による自尊心の毀損により、必然的に発生した結末である。


6. 刑事罰相当の渡邊朋之医師の不法行為

渡邊朋之医師の診療拒否は刑法上の不作為犯相当(法律上義務づけられていること「作為義務」をなさずに、法が保護している利益「保護法益」侵害の結果を発生させた渡邊朋之医師は不作為犯)である。


(1)、診療義務違反

診療義務違反に関連してE鑑定人より「いわき病院の診療義務違反には違憲性が問われるのではないか」として以下が思考の基本として提示された。

◎、医師の品位
現行法は,診療義務を訓示規定とするが,診療義務違反がいかなる制裁にも服さないとする趣旨ではななく,厚生省の行政解釈では,右違反は『医師としての品位を損するような行為』として医師免許の取消・停止事由に当たるとされていることに注意を要する(昭和30年8月12日医収755号)。しかし,ここで診療義務が医師の品性の問題として処理されているのは,なお,この義務規定の正しい理解を妨げることになろう。(大谷實、医療行為と法、弘文堂法学選書11,P.40〜41)

◎、個人の尊厳と生命・幸福追求の権利
憲法13条は,個人の尊厳と生命・幸福追求の権利を保障し,さらに25条は,生存権保障および公衆衛生の向上・増進を国家に義務づけている。これを受けて医師法は,医療を医師の独占的業務とし,医師の一般的義務として『国民の健康な生活の保障』(1条)」を掲げている。こうして,疾病に対する診療権と能力を医師にのみ公認する法制度のもとでは,国民の健康権を具体的に保障できるのは医師だけであるということになり,ここに診療義務が課される法律上の実質的根拠がある(同旨,金沢・前掲論文39頁)。(大谷實、医療行為と法、弘文堂法学選書11,P.41)

1)、医師と医療の品位
  大谷論文は「医師免許の取消・停止事由に当たる」医師個人の問題として本題を論じているが、本裁判では「医師と医療の品位」が論じられており、医師の個人の課題であると共に社会的背景まで論じられたが、その課題は以下の通りである。

ア、 神科開放医療は日本が国連等で実行を宣言した国策である(いわき病院主張)
イ、 精神科医療は社会保安を目的としたポリスパワーではなくてパレンスパトリエの理念に基づいた医療の理念に基づいた実現が求められる(いわき病院主張)
ウ、 精神科開放医療は英国の主導で発展しており、欧米先進諸国では成果を上げている(A鑑定人、デイビース医師団)
エ、 向精神薬の発展により患者を閉鎖処遇することは最小限にする必要がある(原告・被告双方)
オ、 患者の意思は最大限尊重される必要がある。(原告側)

いわき病院が本件裁判を通して行った弁護の論理は、以下の通りである。

あ、 精神科開放医療の受益者の野津純一氏は任意入院患者であるので、いわき病院は何も行動の制限ができない。また任意入院患者の過去履歴を調査・質問することはプライバシーの侵害と医師患者の人間関係を阻害するるので行わない
い、 パレンスパトリエで医師には治療の主導権があり薬事処方を変更する際には患者の理解と同意を確認する必要はない
う、 英国の一般論は正しいが、日本と英国は異なる文化であり、英国の事例は本件訴訟では参考になら無い
え、 医師が診察しなくても、看護師やその他の医療スタッフが入院患者と接しているので、患者観察は励行されている
お、 開放処遇で患者が外出中に行った事件や事故に病院が責任をもたされることになれば、開放処遇を行えなくなるので、日本の精神科医療は破壊される

さて、いわき病院はパレンスパトリエの理念に基づいて医師の指導で野津純一氏の精神科開放医療を行ったが、慢性統合失調症患者野津純一氏の統合失調症治療の中断を行う抗精神病薬の中断に関してインフォームドコンセントを行わなわず、処方変更後の経過観察を医師自ら行わず看護師等の無資格者医療スタッフの報告に頼ったが、これは医師と医療の品位の問題として、国内のみならず国際社会で通用する医療行為であろうか。いわき病院は精神科開放医療は日本の国際約束という大義名分を持ちだしたが、いわき病院の患者の意思を尊重せず、諸外国の事例を否定した医療に、国際社会に通用する日本の尊厳が守られることはない。いわき病院と渡邊朋之医師の精神科開放医療の実態は、日本の尊厳を踏みにじるものであり、医師と医療の尊厳を破壊する。

2)、個人の尊厳と生命・幸福追求の権利
  野津純一氏が平成17年12月6日の朝10時に発した言葉の「先生にあえんのやけど、もう前から言ってるんやけど、咽の痛みと頭痛が続いとんや」に個人の尊厳が尊重された背景は窺えない。いわき病院は「一回限り」の言葉と主張したいが「もう前から言ってるんやけど」に持続的かつ継続的な状況が現れている。そもそも、インフォームドコンセントが無い、統合失調症の治療を中断する重大な処方変更を行った上に、プラセボテストという患者を欺く試験を導入して、その後医師が適切に診察を行っていない。これは患者の尊厳を尊重した医療ではない。パレンスパトリエは医師の横暴を許す論理ではない。

いわき病院は精神科開放医療のお題目の下で、患者の病状の変化を確認することなしに重大な処方変更後で統合失調症の治療を中断した患者を自由外出させたが、これは社会に対する安全配慮義務違反である。野津純一氏の場合には過去の放火暴行履歴から「再発時」に他害行為が容易に発現することは本人が自己申告した情報である。そのような患者を保護しないことは患者に対する生命と幸福追求の権利の侵害であると共に、市民の生命と幸福追求の権利侵害である。

3)、高度の蓋然性の論理がもつ違憲の論理
  いわき病院は外出許可者の80%から90%以上が殺人する確立を証明することを原告に要求したが、これは外出許可者の70%までであれば、殺人することを社会が容認すべきとする市民の生命を軽視する論理で、憲法違反の主張である。

(2)、入院医療契約者への診察応需義務違反

判決(P.115)は、「本件犯行当日の訴えは頭痛、喉の痛みという風邪症状であって、統合失調症やアカシジアの著しい増悪の所見、攻撃性の発現はみられておらず、強迫症状についても、不潔嫌悪を強めていたことを野津純一氏は被告病院関係者に告げていなかったことからすると、外来診察中であった渡邊朋之医師が、直ちに外来診察を中断して野津純一氏を診察しなかった、あるいは、診察予定者の中に野津純一氏を加えて野津純一氏を診察しなかったことに過失があるとは認められない」とした。

野津純一氏は1級の精神障害者で入院しており、渡邊朋之医師も言語表現が苦手なことは知っており、「とてもじゃないですが、この人(純一氏)が言語表出ができれば、それはわかりますが」(人証P.75 )と述べ、野津純一氏が言語表出が上手くできないことを認めた。野津純一氏にセカンドオピニオンを求めて、よその病院に行く選択肢は無く、精神症状悪化や副作用発現が予測される状況では病院として、主治医渡邉医師か勤務医が診察する義務があった。治療契約を結んでいる患者に対する医療契約違反である。

渡邊朋之医師はプロピタンとパキシルの突然の中断により、野津純一氏が病状悪化すれば他害行為が発生することを予見でき、治療的介入をすれば事件を不発生に終わらせる立場・地位にあり、結果回避可能性があった。いわき病院は野津純一氏と医療契約を結んでおり、応需義務があり、診療拒否によって自導感情を毀損し、最高潮に達していた野津純一氏の攻撃性発露実行が予見できたし、予見するべきだった。

11月23日からのプロピタン中断は統合失調症の治療中断であり、精神症状の悪化が予想され、同時に行ったパキシル突然中断は激越不安焦燥感などの退薬症状出現が平成15年8月には確立されていたのであり、平成17年12月6日には病状悪化が予測可能だった。病状悪化が予測できたのにしなかったのは注意義務違反。11月30日夜から診察していない渡邉医師は、12月1日以降の処方変更後の評価と方針(アセスメント)を診療録に記載していない。他職種の評価を聞いても自身で診療録に書かなければ処方変更の評価、方針ではない。12月1日から6日の時点で医師として病状の悪化を防止する義務すなわち作為義務を負う立場にあり、そのための病状経過観察の仕事を行っておらず、野津純一氏はずっと診察要請をしていたと主張した(12月6日10時の看護記録及び人証)が、遅くとも12月6日の診察要請には応じる義務があった。診療応需義務違反。


(3)、保護責任者遺棄罪相当の不作為


1)、精神科医療と保護責任者遺棄
  刑法第218条「老年者、幼年者、身体障害者または病者を保護する責任のある者がこれらの者を遺棄し、又はその生存に必要な保護をしなかったときは、3ヶ月以上5年以下の懲役に処する」。同219条「218条によって死の結果が発生したときは同致死罪として処罰される。

遺棄罪は生命身体に対する危険犯であり、具体的に危険が発生したかどうかを問わず、遺棄行為によって生命への危険が通常発生する状態に達すれば遺棄罪が成立する。診療拒否の事例では、遺棄の対象となる「病者」はひろく肉体的・精神的に疾患のある者を意味し、その原因のいかん、治療の可能性の有無、疾病期間の長短を問わないが、少なくとも「扶助を必要とする状態」に達していなければならない。ここで「扶助を必要とする状態」とは、他人の助けがなければ自ら日常生活を営むべき自力作をなすことができない場合をいう。従って診療拒否に遺棄罪を適用するためには診療を求める患者が右の状態に達していることが必要となる。

問題の核心は、診療を求められた医師が保護責任者といえるか否かにある。保護責任の発生原因は法令、契約、事務管理条理に求められる。医師については医師法上の診療義務規定が根拠である。具体的状況のもとでは法令上の義務者が対象者の生命・身体の危険を自ら支配できる立場にあったかどうかが判断基準となる。従って、医師の場合、法令上の作為(診療)義務を前提としつつ、具体的状況から判断して他に救助を求めることが現実に不可能で、しかも急を要する場合には保護責任があり、患者が扶助を要すべき状態にあることを認識しながら、遺棄の故意、すなわち自らが診療する立場にあるということを知りつつ診療を拒否した場合には保護責任者遺棄罪が成立する。(大谷實、医療行為と法、弘文堂法学選書11,P.48〜50)


2)、渡邊朋之医師の野津純一氏に対する保護責任者遺棄
  野津純一氏は一級の精神障害で親または病院の扶助なしには日常生活できない状況で入院しており、他に救助を求めることが現実的に不可能で、しかも急を要していた(*1)。主治医には保護責任があり、患者が扶助を要すべき状態(*2)にあると認識するべきであり、12月6日には自らが診察する立場にあるということを知りつつ診療を拒否した結果、野津純一氏は社会的生命を、矢野真木人は命うに至ったのであり保護責任者遺棄罪(刑事罰)に相当する。

(*1)

抗精神病薬中断中で統合失調症病状悪化が予想され、更にパキシルの突然中断で耐えられない症状がいつ出てもおかしくない状態だった。

(*2)

12月4日に野津純一氏にプラセボが効かず治療に対する不信感を口にしており、11月30日以前と異なる病状にあったが治療的介入を行わなかった。

判決(P.115)は12月4日に渡邊朋之医師がプラセボ筋注をしたとして、免罪の認定をした。しかしながら、本当に渡邊朋之医師が直接プラセボ筋注を行っていたのであれば、野津純一氏から直接プラセボ筋注を疑った言葉を聞いて主治医は何も対策をとっていなかったことが確認されることになり、判決は主治医の重大な義務違反を黙認したことになる。

患者の同意が無く、家族への説明責任も果たさず、看護師にも説明なく渡邉医師は医師の裁量でプロピタンとパキシルの突然中止(病状悪化の予見可能性があった)を行い、診察回数が極端に少なかったにもかかわらず、病状悪化はあり得ないとの思い込み(注意義務違反)から診察希望に応じなかった。事件後の野津純一氏に警察、検察取り調べ、及びT鑑定で確認された統合失調症の幻聴や被害・関係妄想、イライラなどの病状悪化を捉える事ができず、事故の発生を回避できなかったことは渡邉朋之医師の過失である。「病状悪化の兆候を捉えること」は「医師の裁量で患者の抗精神病医薬中断中」の精神科主治医の義務であり診察要請に応じる義務があった。


(4)、業務上過失致死傷罪相当


1)、精神科医療と業務以上過失致死罪(刑法第211条)
  不作為による過失犯の場合は、一定の作為義務の存在が前提となる。過失の本質は注意義務違反であるが、通常の過失では、当該の行為に出れば結果が発生できることを予見できるのに、不注意によって予見せず、結果を発生させたとき注意義務違反があるとされる。注意義務の範囲は予見可能性であるということに帰着する。しかしながら不作為による過失にあっては、この予見可能性はただちに注意義務を基礎づけない。その前に作為義務があることを必要とするからである。

過失不作為犯では、予見可能性の前に結果の発生を注意して予見し、不発生に終わらせる立場・地位にあることが確定されなければならない。診療義務には人身に対する保護義務が含まれているのみならず、医業の独占を認める法制下では、疾病による生命身体の危険を予見し結果を回避する一般的注意義務が課されている。具体的状況から判断して診察拒否によって新たに人身に対する危険発生が一般的に見て予見可能な程度に達していたかどうかが基準となる。引き受け後(入院医療契約後)においては、予見可能性は応召段階よりより一層大きくなり、診療拒否と病変の悪化に因果関係が認められる以上、業務上過失致死傷罪が成立する。(大谷實、医療行為と法、弘文堂法学選書11,P.48〜50)

2)、渡邊朋之医師の野津純一氏に対する業務上過失致死傷罪の成立
  渡邊朋之医師は平成17年11月23日以後の野津純一氏の治療で経過観察をせず、病状が悪化しても治療的介入を行っておらず、これは主治医として診療義務(作為義務)に不作為があった。その結果は野津純一氏による矢野真木人通り魔殺人であった。

野津純一氏の立場から見れば、他害行為を誘発する危険性が極めて高い向精神薬2剤同時中断を行った処方変更の結果の他害衝動とそれに基づいた行為である。本人はインフォームドコンセントで理解と同意をしておらず、両親の野津夫妻も事前の説明を受けていない。いわき病院はいつでも自ら退院可能な任意入院患者と主張するが、危険性を予見できる治療変更の情報を与えられない状況では、主治医渡邊朋之医師の不作為を回避できる渡邊医師の保護の外に脱出する可能性は、本人及び両親には存在しなかったことである。11月23日以後の野津純一氏の状況で、いわき病院は「人身に対する保護義務」を回避できない。また、野津純一氏本人は外見上傷を負っていないが、抗精神病薬の中断で病状が悪化(予後を悪くした治療)したこと及びパキシルの突然中断で他害衝動を亢進されて心神に傷害を受けた。その結果、殺人犯人となり、任意入院患者としての権利を全て奪われた事で重大な権利喪失の結果を被った。

いわき病院は野津純一氏が包丁を購入して矢野真木人を殺害する事までは予見できないとの主張である。しかしながら、いわき病院は野津純一氏が第三者の誰かに重大な他害行為を行う可能性は予見することが可能であり、また予見すべきであった。その第三者の誰かがたまたま矢野真木人であり、重大な他害行為が殺人であった。いわき病院の「矢野真木人殺人までは予見できない」との主張は、論理の逸脱である。交通事故では運転者は予め被害者の氏名を知ることはないが、そのことは過失責任を減殺する理由とならないことと、同じである。

渡邊朋之医師は野津純一氏の放火暴行履歴を知らなかった、聞いていないとの主張である。野津純一氏の過去履歴を知らなかったから、2剤同時中断時における野津純一氏の危険性に関した行動予測をすることはできないので、主治医としての責任を免れるとの論理である。この主張は精神科医療を行う精神科医師として「新たに人身に対する危険発生が一般的に見て予見可能な程度に達していたかどうか」を知ることができなかったので、過失責任は無いとする、不誠実な主張である。渡邊朋之医師は、知ることができなかったのではなく、知っていたが、知ることができなかったと、事後の弁明(後出しじゃんけん)を行ったのである。精神科医には「治療中の患者の疾病による(第三者に対する)生命身体の危険を予見し結果を回避する一般的注意義務が課されている」と考えるべきである。

野津純一氏の2剤同時中断という処方変更と渡邊朋之医師による経過観察の不在及び診療拒否と野津純一氏の病変の悪化に因果関係が認められる以上、業務上過失致死傷罪が成立する。また、渡邊朋之医師の不作為により二つの家族が息子を失うに至った発生した結果の重大性から、渡邊朋之医師には業務上過失致死傷罪が相当である。




   
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