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高松地方裁判所判決の項目別問題点


平成25年5月14日
矢野啓司・矢野千恵


9. 根性焼の認定と過小評価の問題

(1)、入院患者が根性焼きを行う精神状態を放置したいわき病院

判決(P.114−115)の根性焼き箇所を検討したMF鑑定団(E医師)から「いわき病院が入院中の患者野津純一氏が根性焼きのような自傷行為を行う精神状態だったにもかかわらず、それを見過ごしたことが問題」とコメントをいただいた。

自傷行為は、自分に対して切り傷や火傷や殴打を与えること、過食や拒食、繰り返して自分を危険な状況にさらすことなどが含まれます。また、薬物やアルコールの濫用、処方薬の過量摂取などもこれに含まれます。根性焼きは、自傷行為(self-injury)の一種ですが、「事件の予兆としての根性焼き」以前に、入院場面においてこうした自傷行為に及ぶ精神状態を見過ごしていることが問題だと思います。

MFの鑑定意見書では、複数の者が、医療従事者の野津氏に対する無視ないし無関心を指摘しています。それは、カルテに記載された個々の事実としてあったことを踏まえたパースペクティブでもあれば、生活者としてごく自然に起きてくる感覚です。(これは、いわき病院に対して批判的な元職員であっても、また裁判官であっても、さらに言うなら被告であっても、生活者の立場に立てば、起きてくる人としての当然の感覚でしょう)こうしたパースペクティブを可能にしうる無視あるいは無関心という事実が、野津氏自身や家族にとっては、「体験としての事実」であったかどうかを明らかにすることが本件のカギであるように考えます。


(2)、矢野の意見ねつ造

判決(P.18)は、「野津純一氏の左頬に入院当初から根性焼きが存在していたことは、野津純一氏の左頬の写真に関する甲A37号証の2の(3)〜(6)、(8)の写真に新旧の根性焼き瘢痕が存在することから明らかである。」と記述した。

甲A37号証は甲原告(矢野)がTV朝日の放送番組の録画をデジタルカメラで撮影したものであるが、提出した写真からは新旧の根性焼き瘢痕が確認できることだけであり、判決が断定した「入院当初からあった証拠」にはならない。

いわき病院は第13準備書面(P.8)で「野津純一氏が12月7日に外出して犯行現場に赴く直前に、自分の顔を変装するために顔面の何カ所かにタバコの火を押し当てて顔を変えようとしたのではないかと強く推認される」及び「原告らから提出された写真等(甲A37号)も、本件事件前に根性焼きが行われたとの特定はできず、むしろ、犯行後翌日出かける前にはじめて顔面にタバコの火を押しつけた証拠というのが正しい」と記述した。更に、いわき病院は「顔面に生々しく爛れて水ぶくれした大火傷でなければ筋が通らない(第4準備書面、P.7)」と主張した事実がある。矢野が提出したTV録画から撮影した写真(甲A37号)に見られる瘢痕は「入院当初からあったものではない」。

判決(P.18)は「甲原告らの主張」として記載されてものであるが、矢野はTV局が12月7日午後14時30分頃に警察が野津純一氏の身柄拘束をする際に撮影したTV映像から判断して「事件前に根性焼きがあった証拠」と主張したが「入院当初からあった証拠」と主張した事実は一切ない。これは、裁判所による原告意見のねつ造である。


(3)、半年で消失する根性焼き

平成22年1月25日に野津純一氏の人証を行ったが、その際に現れた野津純一氏は顔面左頬には左頬の鈎状の瘢痕を含めていかなる瘢痕も存在しなかった事実がある。これに先立ち、刑事裁判が平成18年4月に開始された第一回法廷では、野津純一氏の左頬に微かに古い瘢痕が認められたが、2ヶ月後の6月の判決時点では瘢痕は完全に消失していた。野津純一氏の根性焼きを、渡邊朋之医師医師は「10年たっても残っているもの」(渡邉人証P.23)と主張した事実がある。しかし、根性焼きは半年程度で消滅する火傷キズであった。

根性焼きが半年で消失した事実は、重大である。判決(P.18)は裁判所の認識(甲原告の主張ではない)として「根性焼きが入院当初からあった証拠」としたが、野津純一氏は平成16年10月にいわき病院で14ヶ月余の入院生活を行った。すなわち、「左頬の鈎状の古い瘢痕が入院当初にあった(答弁書、P.5)」のであれば(そしていわき病院に入院中に新たに自傷していなければ)」、遅くとも平成17年4月末までは観察できた事になる。その後、いわき病院の医療が、患者が自傷行為の必要がないほどに精神科医療の一般的な水準を満たすものであったならば、瘢痕は事件までには速やかに消失していなければならない事になる。平成17年12月7日に警察により野津純一氏の顔面に生々しい根性焼き瘢痕が確認された事実から、野津純一氏は渡邊朋之医師の治療で事件直前の数日間は確実にタバコの火で自傷行為を行い、黒化した瘡蓋が生じるほどの時間が経過していたのである。その顔面の異常をいわき病院の医師も看護師も誰も確認していないことが現実である。


(4)、いわき病院の根性焼きの記録

いわき病院の診療録や看護記録その他全ての医療記録には「左頬の鈎状の瘢痕」を含めて「野津純一氏の顔面にある火傷(根性焼き)の記録」は存在しない。また、いわき病院は「平成17年12月7日に野津純一氏が外出する姿を正面間近から目撃した外来看護師は発見しなかった」と(答弁書(P.16)、第4準備書面(P.6)、渡邉人証(P.44〜45))で断言した事実がある。そもそも、いわき病院は矢野が「甲A37号証」を提出する前は、「根性焼きは野津純一氏の妄想や幻覚でしかない」(第6準備書面、P.3)とまで主張した事実がある。

警察が野津純一の身柄拘束直後に撮影した根性焼き写真(甲A52)はいわき病院外来看護師が「正面間近」で精神科看護の専門家として観察して確認した筈の「存在しない」という証言と矛盾する。この根性焼きについてもいわき病院は「外出以後に自傷したもの」と主張したが、1時間半で、瘡蓋ができるはずは無いのである。


(5)、根性焼きを自傷した時期の範囲の認定

野津純一氏が根性焼きを自傷した時期に関して、いわき病院(判決P.34)は12月3日の渡邊医師面接では「そのような身体的変化・異常は認められていない」と主張した。その上で判決(P.114)は「野津純一氏は、渡邊朋之医師による平成17年12月3日の診察後、本件犯行当日に包丁を購入するまでの間に根性焼きをしたものと認められる。」と野津純一氏が顔面に根性焼きを自傷していた事実を認定した。

判決の記述は「渡邊朋之医師による平成17年12月3日の診察後」としているが、12月3日の診察は渡邊朋之医師自身により11月30日夜の診察の記載間違いとして訂正されている。また帰宅時に母親が息子の顔を見たはずであり、根性焼きを自傷した時期は「12月1日(木)から12月6日(水)の包丁を購入するまでの間」となる。

判決は根性焼きを自傷した「具体的な時期が不明」であること、及び「根性焼きの程度が不明」であることを以て、「被告病院の看護師等がこれを見落としたとまでは言えない」と認定した。そもそも、野津純一氏の根性焼きは12月1日以降に自傷されたはずであるがいわき病院の職員は誰も野津純一氏の顔面の異常を何も記録していない。この場合、記録が存在しないことを以て「見落としたとまでは言えない」と結論づけることは「見逃しの可能性」を最初から否定しており論理の逸脱である。判決の結論は甲A52号証と矛盾する。この結論は裁判の透明性、公平性を損なうものである。

野津純一氏の根性焼きは、瘢痕の状況及び病巣の治癒状況から、事件以前から存在したことは医学的見地からも明らかである。いわき病院がこれを「知らない」というのは、「全職員が、野津純一氏の顔、表情を観察していない」という、精神科基本ができていない証拠であり、いわき病院ではチーム医療が全く機能していないことを示す。任意入院患者の野津純一氏は、第2病棟アネックス病棟内で放任されていたのが実態であった。野津純一氏の病状の変化を観察して、積極的な治療が推進されていた事実はない。いわき病院の看護は顔面に自傷した火傷(根性焼き)の瘢痕を見逃すほど杜撰であった可能性を原告側鑑定人(C、D、デイビース)は指摘していた。


(6)、いわき病院は根性焼き完全否定


1)、いわき病院は事件の前にも後にも根性焼きを発見していない
  いわき病院は答弁書で12月6日の午後及び7日の午前中にいわき病院の精神医療専門の看護師が発見してないことを以て、根性焼きがいわき病院内で既に自傷されていたことを否定した。特に、12月7日に野津純一氏がいわき病院から外出する直前の姿を真正面から目撃した看護師が顔面の瘢痕を発見してないことを答弁書(P.16)及び(第4準備書面P.6、判決P.34)を以て根性焼きはいわき病院内で自傷されたものではないと強く主張した。

いわき病院は「根性焼きは12月7日にいわき病院から外出した後で身柄が拘束されるまでの約30分程度(答弁書では数時間となっている)の間に自傷したもの」と推測で主張を行った事実(答弁書、P.16)(判決、P.34)がある。いわき病院が12月7日に既に顔面に複数の根性焼きの瘢痕が存在していた野津純一氏の外出直前の看護師の正面からの観察記録をもって、完全否定した事実は重大である。これを元にすれば、12月5日のM医師が根性焼きを視認してなかったこと、及び、病棟看護師が誰も根性焼きを発見しなかったことは、M医師の治療が行われておらず、更に看護師の観察が顔面の異常を発見しない程度に疎かであった事実を確認するものである。

2)、市民は簡単に根性焼きを目視し確認した
  野津純一氏の顔面の根性焼きは12月6日の外出中の事件前に100円ショップ(キョーエイ)のレジ係がレジスターを操作する合間に目撃して確認していた。またショッピングセンターの他の職員も目撃証言を行っている。更に、野津純一氏の野津母親は息子純一に6日午後の面会を断られた際に、野津純一氏を見て顔面の瘢痕(痣)を視認していた。これらは観察を目的とせず、偶然に目に止まったものであり、野津純一氏の顔面を真正面から観察したはずのいわき病院の医師や看護師より、遙かに劣悪な条件下でも根性焼きを目視で発見可能であった事実を示している。

キョーエイ・レジ係の警察目撃証言、野津母親による顔面痣発見証言は12月6日には根性焼きがあった証拠であり、

ア、 あったけれど、いつできたか、どの程度のものかはっきりしないとして問題ない
イ、 他害行為の予兆ではない
ウ、 だから問題にならない

と判決は断定したが、「事件前に左頬に根性焼きができていた」と事実認定された。

大切なことは、街頭で偶然出会った市民が容易に発見できた顔面の異常を、いわき病院の医師も看護師も発見しなかった事実である。そこに抗精神病薬(プロピタン)の中断及び抗うつ薬(パキシル)の突然の中断という大規模な処方変更を行った後におけるいわき病院医師による経過観察が不満足なものであった事実と、看護が顔面の異常を発見しないほど杜撰なものであった事実を証明する。

3)、いわき病院職員の観察眼
  いわき病院職員が根性焼きを発見しなかった事実は、12月5日のM医師の診察が実際には行われておらず、看護師も正面から純一氏の顔面を観察しなかった事実を強く示唆するものである。(また、「12月5日のM医師の診察はなかった」と、野津純一氏は人証で証言した)。

いわき病院では入院患者の風邪症状などに対して看護師が与薬して後から医師が追認する便宜的な対応が行われているという内部情報がある。風邪症状は顔面と喉に現れるが、野津純一氏を正面から観察したはずのM医師が根性焼きを視認していないこともM医師が診察した事実が無いことを追認する証拠である。いわき病院では、看護師は患者が風邪気味と判断すれば医師の診断を待たず看護師の判断で風邪薬を処方することが通常である。M医師の診察は事後に記録形式を整えたものであった蓋然性は極めて高い。

いわき病院は事件後から野津純一氏が7日に身柄を拘束されるまで25時間にわたりいわき病院内の自室にいた野津純一氏を全く観察していない。その上で、7日の野津純一氏外出直前に野津純一氏を正面から観察した外来看護師は根性焼きを発見しなかったと強弁したのである。街頭で市民が容易に発見した野津純一氏の根性焼きをいわき病院職員は25時間にわたり誰も発見しなかったことは重大である。発見できないほどに目立たなかったのではなく、看護師は野津純一氏の顔面を正面から見ていなかったおざなりの実態があったことを証明する。野津純一氏はいわき病院病院内で「ほったらかし」の状態だったという、驚くべき現実があったのである。

4)、警察の根性焼き確認写真(甲A52号証)
 野津純一氏が12月7日に身柄拘束された直後に警察が根性焼きの撮影を行ったが、赤と黒化した瘢痕(3カ所)が写真撮影されていた。これらの瘢痕がいわき病内で存在していたことは明白であり、M医師と看護師が野津純一氏と正面から対面して根性焼きを目視していなかったとすれば、M医師の診察記録が直前の人物の顔面に存在した根性焼を視認しない程度に不満足なものであり、看護師の看護がおざなりであった事実を裏付けるものである。いわき病院の精神科医療が杜撰で「ほったらかし」であった証拠である。

判決(P.114)が「渡邊朋之医師による12月3日の診察後、本件犯行当日に包丁を購入するまでの間に根性焼きをした」は事実確定できない。しかしながら「具体的な時期や程度については不明」であるため、「被告病院の看護師が見落としたとまでは断定できない」は、根性焼きを発見できなかった過失責任を問わないための無理な論理である。いわき病院は7日に野津純一の顔面を観察した看護師の証言を持ちだして根性焼きを全面否定した事実があり、「被告病院の看護師が見落としたと断定できる」。

いわき病院代理人は「根性焼きは無かった。できたとしたら12月7日外出後の逮捕直前につけたもの。12月7日に野津を正面から見た看護師も無かったと証言」し、更に第4準備書面(P.7)でも『本件において野津に「根性焼き」をするなどの自傷行為があった事実はなくいわき病院医師らがその症状を見落としたという事実も存在しない』と主張し、警察撮影写真を見た後も「病院内では自傷していない」と最後まで「被告病院の看護師が見落としていないと断定した」のである。いわき病院が「根性焼きは病院内で存在しなかった」と証言を重ねたことは、「根性焼きを否定したいいわき病院の確定意思」である。判決はいわき病院の医療怠慢を容認する愚をおかしてはならない。

5)、判決は論理の歪曲をした
  根性焼きがいつできたかの問題は、11月30日夜の渡邉医師最後の診察時に無かったのであればその後から事件までの間、すなわち12月1日から6日までの間である。逮捕直後の撮影から2日後の写真撮影(甲A53)で瘡蓋としてはがれおちた根性焼きもあり、事件前の数日の間、何回かにわたって繰り返し煙草の火を顔面左頬に押しつけたものと推測されるが、それぞれが12月の何日だったかと原告が特定しなければならない理由があるとは思われない。理由があるならそれを明らかにするべきである。

根性焼きの程度に関しては警察撮影写真(甲A52号証)で見た通りであり、議論するまでもないことである。このような顔面に小豆大の赤色の痣が2カ所あり、更に古く黒化した瘡蓋状の痣まで特定できた。このような火傷傷は撮影前の2時間のキズではありえないことは歴然である。「患者の顔の表情をよく観察するのは精神科看護の基本であるから見落とすはずがない」といういわき病院代理人主張(第5準備書面、P.13)から言っても、いわき病院の看護は基本が出来てない、代理人弁護士すら真実とは信じられないほどレベルが低い、いわき病院の怠慢があった証明である。

6)、根性焼きを発見できなかった医師と看護師の観察力の無さ
  野津純一氏は「イライラを解消するために根性焼きをした」「12月6日は根性焼きをしてもイライラが治まらないので人を殺してイライラを治めるしかないと思った」、「イライラに限界が来て誰でもいいから殺してやろうと思って外出した」、「キョーエイで包丁を買ったときは激情していた」、「右手に包丁を持って南に歩いていたときはすごく逆上していた」と供述している。

野津純一氏にとって根性焼きは事件発生と関係の深い顔面への自傷行為である。本件では根性焼きは事件の予兆であり(自傷行為である根性焼きをしている患者全てが他害行為をする予兆とは言えなくても、野津純一氏の場合は根性焼きをしてもイライラが治まらず他害行為につながってしまったことで事件の予兆となった)、少なくとも看護が患者の顔の表情の観察を怠り「純一が何故根性焼きを顔面に作るのか、何故それでもイライラが治まらなかったかという精神状態の悪化を見逃した」精神科看護の基本の問題が存在する。野津純一氏は退院教室(平成17年8月31日)で「再発のサイン−イライラがひどくなる」と申告しており、その発言は診療録に添付されている。T鑑定(P.6)では本人がこれだけイライラしていたと供述しているのに、「医師も看護師もイライラしているかどうか野津純一氏に質問してもいない」、イライラするかと聞いたこともないのに「イライラはなかった」(人証、P.54、P.76)と渡邊医師が断定したところに無関心さが現れている。判決はいわき病院と渡邊朋之医師の「ほったらかし」の論理を無批判に受け入れたものである。

「被告病院の看護師等が根性焼きを見落としたとまでは断定できない」と断定した判決は根拠がなく、いわき病院の「誰も見なかったから無かった」主張とも整合性が無い。「観察方法によっても左右されるから根性焼き発見ができなかったとしても問題ない」と認定した判決は間違っている。KM代理人が主張(第5準備書面、P.13)した、「患者の顔の表情を観察するのは精神科看護の基本である」を無視した判決である。右側からだけ見たから左頬は知らないという言い訳は精神科看護師として許されない。精神科看護の基本を無視し、怠慢を問題なしとする、極めて不誠実な判決である。そもそも顔の傷と身体の傷では同じ自傷行為でも重みが違う(デイビース医師団)。


(7)、判決は事実認定したが過失責任を否定

判決(P.114)は、「野津純一氏は、渡邊朋之医師による平成17年12月3日の診察後、本件犯行当日に包丁を購入するまでの間に根性焼きをしたものと認められるが、その具体的な時期や程度については甲事件原告らの主張を踏まえて検討しても不明と言わざるを得ず、被告病院の看護師がこれを見落としたとまでは断定できない。」、また「異常行動の予兆と捉えることは困難」(判決P.115)と結論づけて、いわき病院の過失を否定した。判決が根拠とした12月3日の診察は事実でない、また12月5日のM医師の診察や、ありもしない12月4日に渡邊朋之医師がプラセボ筋注を行ったと誤認して判断したことは、重大な事実誤認である。判決は架空の上に想像を重ねたものである。




   
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