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高松地方裁判所判決の項目別問題点


平成25年5月14日
矢野啓司・矢野千恵


7. 判決の不誠実な論理と結論の逆転

(1)、判決が事実を誤認した記載

判決(P.111)は「同月3日以降も身体が動くなどの症状を訴えたことが被告病院の診療録や看護記録に記載されている」また渡邊朋之医師がプラセボ筋注を12月4日に行ったとして「渡邊朋之医師による診察も定期的になされていて」と認定した。そして結論(P.115)として「平成17年11月23日の処方変更後も、軽快、悪化の変動はあるものの、その症状の大部分は従前とほぼ大差のないものであり、事後的にみれば異常行動の予兆ということはできても、本件犯行当時、これを異常行動の予兆と捉えることは極めて困難である」と断定した。


(2)、渡邊医師が定期的に診察した事実のねつ造

判決(P.111)が根拠とした「12月3日の診療録記載」は11月30日付けの診療録の記録を事実誤認したものである。またこの記録が12月3日の記録ではなく11月30日の記録であることに関しては原告といわき病院の間で意見の相違はない(第13準備書面、P.3〜4)。また、プラセボ筋注を渡邊朋之医師が12月4日にも行ったという事実認定は、いわき病院も主張してない事実を判決がねつ造したものである。従って、「渡邊朋之医師による診察も定期的になされていて」という判決文には根拠が存在しない。


(3)、事後的に見れば異常行動の予兆

判決(P.115)は矛盾ある文章であり、「その症状の大部分は従前とほぼ大差のない」と記述したと同時に「事後的にみれば異常行動の予兆」として渡邊朋之医師が「異常行動の予兆」を見逃した事実を確認した。判決は渡邊朋之医師に過失責任を問わないことを大前提として作文されたために、無理を重ねた。しかし、判決が根拠とした渡邊医師の12月3日と4日の診察が無かった事実から論理を展開すれば、渡邊朋之医師が判決が認定したとおり両日に診察していたとしたら、渡邊朋之医師は「異常行動の予兆」を「発見可能」であった事になる。

事実、12月3日の朝10時には「調子が悪いです。横になったらムズムズするんです」と訴え、11時10分にはイライラ時を請求し、16時45分と21時30分にはアキネトンの筋注を求めていた。カルテと看護記録を検討した精神科医は「この日が断薬による病状悪化が顕著になる転換点」と指摘した。更に、12月4日には深夜0時にイライラ時、12時にアキネトン筋注を求めて『表情硬く「アキネトンや、ろー」と確かめる』行動をとり、18時55分には疼痛時と、また23時45分にはイライラ時を求めていた。渡邊朋之医師が3日と4日の両日の昼間もしくは睡眠薬服用前の夜間にでも診察しておれば「異常行動の予兆=病状悪化」に気がついたはずである。この看護記録の状況で、判決(P.115)は渡邊朋之医師が「12月4日正午のプラセボ筋注時に野津純一氏の状況を観察した」と認定したが、仮に診察が事実であった場合に、渡邊朋之医師が「異常行動の予兆(病状悪化)」を発見せず何も対応しなかったとしたら、精神科医師として無能のそしりを免れない。

そもそも、渡邊朋之医師は「患者を見ていない、だから、患者に異常の兆候があったとしても、発見しなかったことは、医師渡邊の責任ではない」との論理である。判決は、渡邊朋之医師に優しく、「渡邊医師は診察した、しかし、事後的にみれば異常行動の予兆(病状悪化)を見逃したくらいでは、過失責任を問えない」と判断した。これは、いわき病院の主張にも基づかない、判決の創作である。


(4)、判決が創作した論理と渡邊朋之医師の過失責任

判決(P.111、P.115)は12月3日と4日に渡邊朋之医師が野津純一氏を診察したと認定した。そしてその前提に立って、両日の看護記録及びA意見書I(乙B15、P,20)が指摘した「その後の経過はこのプラセボ効果ありという評価が必ずしも適切ではなかった可能性を示している」といういわき病院側の鑑定意見に基づけば、「渡邊朋之医師が異常行動の予兆(病状悪化)を見逃したことは過失である」と断定しなければならなかった論理となる。

A意見書の論理は「渡邊医師は診察していなかったので、過失責任までは問えない」の論理であった。判決が「渡邊医師は診察した」と認定したのであり、「プラセボ効果」に関連して渡邊朋之医師が主治医として判断をしなかった問題から過失責任を問うべき切り口を広げなければならない論理となる。

また逆に、判決が「12月3日と4日に渡邊朋之医師は野津純一氏を診察していない」と事実認定する場合には、判決が「異常行動の予兆」として認定した、病状が悪化した明白な兆候が看護師から報告されたにもかかわらず、主治医がすぐに対応せず何日も診察を行わなかった「経過観察」と「プラセボ効果確認」の不作為に過失責任を問わなければならない論理となる。判決は、事実に対して、正直にかつ、論理的に対応しなければならない。




   
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