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高松地方裁判所判決の項目別問題点


平成25年5月14日
矢野啓司・矢野千恵


6. 渡邉医師が経過観察を行ったことに関する事実認定

事件当時の野津純一氏はいわき病院に入院治療を受ける患者であり、渡邊朋之医師は主治医であった。医師の論理として、「入院が必要な状態の患者の内服を中断して、外出指示変更や診察回数の増加が無いのは論外」である。(C鑑定人)

判決(P.108、109、110、111、115)は11月23日に行われた大規模な処方変更後に主治医は十分な経過観察を行っており、過失は無いと認定した。しかし、「主治医の十分な経過観察」に関する判決の根拠となる事実と記録は存在しない。

いわき病院推薦のA鑑定人も意見書Ⅰ(乙B15 P.23)で「(生食が無効で、生食筋注に野津純一氏が不信感を口にしたなどの)こうした情報を渡邊医師が把握していたか否かについては診療録にも記載がなく判断することはできない」として、渡邊朋之医師による経過観察と評価を否定した。判決が「渡邊医師は処方中止当時の症状及びその後の症状についても経過観察を行っている」と評価したことはこのA意見I(P.23)をも否定して、渡邊朋之医師の不作為を根拠無く擁護したものである。


(1)、11月23日以後のいわき病院の医療と看護

11月23日以後で、渡邊朋之医師が診察した野津純一氏の病状も記録を残していた日は11月30日のみである。これに加えて、プラセボ筋注に関して生理食塩水20mlアンプルのレセプト請求処理を行った医師は12月2日渡邊医師、看護師不明、3日(16:45)医師不明看護師不明サイン、3日(21:30)M医師、KH看護師、4日M医師、KH看護師、5日NY医師、AR看護師である。そして12月5日に風邪薬の処方でM医師とKH看護師が押印した記録がある。

野津純一氏は11月23日(水)から12月1日までの期間は作業療法などのリハビリテーション・プログラムに参加していたが、12月1日(木)の21時20分にプラセボ筋注をOZ看護師から受けた以後は、参加した事実は無い。従って、2剤同時中断に加えてプラセボテストが開始されて以後、野津純一を観察した可能性があるのは看護師と渡邊、M、NYの三医師に限られるが、いずれも処方変更とプラセボテストに関連した経過観察に関連した記述を残していない。また、プラセボに関しては3医師とも12月2日のMS看護師による「プラセボ効果あり」の報告の後でレセプト署名(押印)を行っているが、何れも意見を何も記述していない。更に、M医師とNY医師は12月4日の野津純一氏が『表情硬く「アキネトンや、ろー」と確かめる』動作をした後のレセプト押印であるが、経過観察(プラセボ)に関連した観察を記録していない。また、プラセボと風邪薬のレセプト処理を(渡邊、M、NY)の三医師が野津純一氏を観察して行ったという証拠もない。

ア、いわき病院の診療録と看護記録等医療記録
  野津純一氏は処方変更を実行した11月23日から30日までの間は比較的安定していた。11月30日に一時帰宅から帰院した野津純一氏を渡邊朋之医師は夜間の診察を行いプラセボ筋注の指示を行ったが、その夜から野津純一氏のムズムズ訴えが強くなり、12月1日の夜間(21:20)に最初のプラセボ筋注を行った。野津純一氏は12月2日の12時に「プラセボ効果あり」と看護師が記述した発言があったが、15時30分にはアカシジア症状を発現していた。その後12月3日にはアカシジアが強く「イライラ時」頓服とアキネトンを要求した。更に、12月4日は明らかに病状悪化の状態で、「イライラ時」を求めると共にプラセボ筋注を疑っていた。12月5日は風邪気味で依然アカシジア症状に苦しみ続けた。そして、12月6日には渡邊朋之医師に対する強い不満が看護師によって記録された。

平成17年11月23日(水)
  19時 渡邊医師カルテ記載(旧日付:11月30日)

  渡邊:なかなかとれないね、薬の整理を   純一:はい
次回処方 1)、 レキソタン(5)6T、ヒベルナ(25)3T
2)、 カマグ2g
3)、 レンデム1T、インスミン1T、ノーマルン(10)1T
 (レキソタンだけを増やしましよう)
(P)方針 不穏時には右記注射を行う 振るえた時 アキネトン1A
不安焦燥時 セルシン(5)1A
幻覚強いとき トロペロン1A
アキネトン1A
(A)アセスメント 本人のムズムズの訴えに対して行う
薬の副作用の可能性高い

平成17年11月24日(木)渡邊医師診察無し、歯科通院
5:20 イライラ時 1包 Nsコールあり
10:00 表情良し、話しかけに笑顔、OT活動に参加できている
9:30〜11:30 作業療法(集団) 活動種目:ソフトテニス 記録者 KR
12:20 疼痛時   純一:「歯が痛いから痛み止め下さい」
歯科通院 「統合失調症による暴力行動等」の記載無し

平成17年11月25日(金)渡邊医師診察無し
7:20 疼痛時   歯痛のため与薬
純一:「カマグは調整して飲んでいる。他のはきちんと飲んでいます。薬が変わって、手が動かなくなって、ムズムズが無くなった。幻聴は続いている。」表情良く売店で購入したマシュマロを食べている。四肢不随意運動無し、幻聴の内容は言わない。幻聴続いているが、支配されている様子なし。
13:00〜15:00 作業療法(集団) 活動種目:買い物 記録者 FH

平成17年11月26日(土)渡邊医師診察無し
6:00 幻聴無くティールームで喫煙
10:00 純一:表情おだやかに、「もう全然イライラしなくなったんです」と話す
21:30 疼痛時   Nsコールあり、歯痛の訴え

平成17年11月27日(日)渡邊医師診察無し
0:00 不眠時   本人訴え

平成17年11月28日(月)渡邊医師診察無し
0:30 不眠時   本人訴え
10:00 身体的、精神的訴え無し、四肢不随意運動無く自室で経過
14:00 嘔吐時薬屯用 純一:「車に酔ったみたいに、気分が悪いんです」
時間不明 金銭管理トレーニング実施記録 記録者 PSW・MT
15:15 外泊許可 母親と共に

平成17年11月29日(火)外泊中 渡邊医師診察無し

平成17年11月30日(水)
15:15 帰院   表情よく帰院す
19時 カルテ(旧日付:12月3日)渡邊医師記載
患者 ムズムズ訴えが強い
退院し、1人で生活には注射ができないと困難である
心気的訴えも考えられるため ムズムズ時 生食1ml 1×筋注とする
クーラー等への本人なりの異常体験(人の声、歌)等の症状はいつもと同じである
21:00 特に変わりないです」臥床し表情に硬さはないが、変化なく話す

平成17年12月1日(木)渡邊医師診察無し
2:40 イライラ時 1包 純一:「手足が動く、イライラ時下さい」
10:00 純一:「夕の薬の切れたら、下肢がムズムズしてたまらんかった、まあ、寝たは寝たんやけど、朝になって朝の薬飲んだら、すぐよくなって、日中はどうもないんや〜」表情よく返答する。頓服の要求無し
9:30〜11:30 作業療法(集団) 活動種目:フリースロー 記録者 FH
20:10 イライラ時 1包 純一:「手足が動くんです」
21:20 生食1ml 1A筋注
(NsOZ)
頓服効果なく、本人訴えあり、
Dr指示中左記施注にて様子見
診療録:医師とNsの記載無し

平成17年12月1日(金)渡邊医師診察無し
10:00 定時の記録がない
11:00 生食1ml 1A筋注 NsMS「左記施注する」
純一:「内服薬が変わってから調子悪いなあ…、院長先生が、薬を『整理しましょう』と言って一方的に決めたんや」四肢の不随意運動出現にて、本人希望もあり(アキネトン筋注の代わりに)左記施行する。苦笑しながら上記話す。夜間は良眠できているとのこと。
診療録:Dr渡邊 生食20ml 1A(1ml使用) Ns不明サイン
12:00 純一:「ああ、めちゃくちゃ良く効きました」筋注の効果あったと表情よく話す。プラセボ効果あり。
15:30 イライラ時 1包 純一:「手と足が動くんです」
23:30 イライラ時 1包 本人希望にて与薬

平成17年12月3日(土)渡邊医師診察無し
10:00 純一:「調子が悪いです。横になったらムズムズするんです」
Ns:立って話していると、四肢不随意運動無し、表情まずまず「横になると不随意運動出現する」
11:10 イライラ時 1包 純一:「ムズムズするんです、薬下さい」
16:45 生食1ml 1A筋注 NsAR「左記施注する」
純一:「体が動くんです。筋注したら五分ぐらいで効く」
診療録:Dr不明 Nsサイン
21:30 生食1ml 1A筋注 NsTK「左記施注する」
純一:「手足が動くんです、注射して下さい」
診療録:DrM 生食20ml 1A NsKH

平成17年12月4日(日)渡邊医師診察無し
0:10 イライラ時 1包 純一:「又、手足が動くんです、注射はいいです、何か薬下さい」
12:00 生食1ml 1A筋注 NsAM
純一:「アキネトン打って下さい、調子が悪いんです」
表情硬く「アキネトンや、ろー」と確かめる
診療録:DrM 生食20ml 1A NsKH
18:55 疼痛時   歯痛訴えあり、左記与薬する
23:45 イライラ時 1包 本人希望により、左記与薬する

平成17年12月5日(月)渡邊医師診察無し
10:00 純一:「少ししんどいです。足と手も動くんです。」四肢の不随意運動の訴えあり、自床にて経過、他患との交流無く、時々ホールでタバコを吸っている。本人風邪との訴えあり、薬出しの要求あり。
時間不明 カルテ
M医師記載
昨日より風邪症状(本人訴えあり)薬処方
耳鼻科通院中 体温37.4度
15:00 純一:「だいぶ良くなった。薬飲んだけんかいの。少しまだ、だるいな。」表情良く上記話す。軽度倦怠感の訴えあり。時々咳嗽ある。自床にて静かに経過。四肢の不随意運動無く、不安感の訴えなどない。
21:00 生食1ml 1A筋注 NsAM「左記行う」
純一:「アキネトンして下さい」
(Ns今日は先に服用しますか)
純一:「今日は注射していないのでして下さい。」
表情やや硬く、他患とも交流会話はないが、話しかけには、はっきり返答する。安定している状態か。
診療録:DrNY 生食20ml 1A NsAR

平成17年12月6日(火)渡邊医師診察無し
10:00 カルテ 渡邊医師記載
咽の痛みがあるが、前回と同じ症状なので様子を見る(看護師より)
10:00 「先生にあえんのやけど、もう前から言ってるんやけど、咽の痛みと頭痛が続いとんや」両足の不随意運動あるが、頓服、点滴の要求なし。
12:10 野津純一許可による外出
12時すぎ 100円ショップのレジ係根性焼を目撃
警察はレジ係の証言を元にして、頬に傷がある男を手配
12:25 矢野真木人刺殺
13:00頃 野津純一氏帰院 病室でふて寝
16:00頃 母親を面会せずに追い返した
18:00頃 職員が、夕食を取るように促すが「警察が来たんか?」と応答
20:00 T=36.9度 p=90 夕食摂取しない、咳嗽なし。
21:00 イライラ時 1包  イライラ訴えあり与薬する

平成17年12月7日(水)渡邊医師診察無し
8:00 朝食摂取せず
10:00 「朝ご飯いらん食べん」T=35.6度、p=72、
食事摂取促すがやはり「欲しくない」と言う
14時前 野津純一氏許可による外出
いわき病院は「頬に根性焼きがあったのであれば、病院から外出してから拘束されるまでの間に本人が自傷したもの」と主張
14時頃 ショッピングセンター内の大判焼き屋夫婦他多数が目撃
「頬の傷は、いくつもあった、新しいものも古いものもあった」
14時30分頃 外出中の野津純一氏の身柄を警察が拘束
「ほっぺに小豆大の傷がある男…」
午後 カルテ 渡邊医師記載
午後 14時頃
昨日の事件の件で警察来院(話をしている最中に本人逮捕(14時30分頃)のため途中で記載を止めている)
15時40分頃 警察、根性焼き写真撮影 比較的新しい瘢痕と黒い瘡蓋あり
23時頃 警察、野津純一氏逮捕

抗精神病薬の処方再開(警察の求めにより、拘留中の野津純一氏に処方)
レキソタン(5)5mg 3錠、ヒベルナ25mg 3錠
プロピタン50mg 3×毎食後28日分
酸化マグネシウム2g 2×朝夕28日分
パキシル20mg 1錠 1×朝28日分
タスモリン1mg 1錠
レンデム0.25mg、1錠 1×眠前28日分
インスミン10mg 1カプセル 1×眠前28日分
ドプス200mg 4カプセル 2×朝夕28日分

※注) 斜め字は矢野の加筆である

イ、平成17年11月30日からの野津純一氏発言
  上記から、野津純一氏の発言だけを抜粋した。悪化の様子が一目瞭然に認められるのは12月3日である。A鑑定I及びいわき病院第13準備書面は渡邊朋之医師が11時10分より前に野津純一氏を診察したと主張したが10時に看護記録に記載された「調子が悪いです。横になったらムズムズするんです」に対応した診療録の記録が無い。12月4日は病状が更に悪化したと認められる野津純一氏の発言である。判決は12時の筋注を渡邊朋之医師自らが行ったとするが、診療録に『表情硬く「アキネトンや、ろー」と確かめる』行動をした野津純一氏の病状を主治医が診断した記録は存在しない。12月5日は風邪薬服用で野津純一氏は一見沈静化したように見えるが「この日からイライラを解消するために人を殺すしかないというぼんやりとした思いがあった」と野津純一氏は供述した(検察供述書)。5日21時にアキネトンを要求し翌6日午前10時には特別に診察要請をしたが病状の悪化が急激に亢進していたことが窺える。そして、「はっきりと人を殺そうと決めたのは12月6日に病院を出る直前のこと」(検察供述書)とした。

平成17年11月30日(水)
21:00 特に変わりないです

平成17年12月1日(木)
2:40 手足が動く、イライラ時下さい
10:00 夕の薬の切れたら、下肢がムズムズしてたまらんかった、まあ、寝たは寝たんやけど、朝になって朝の薬飲んだら、すぐよくなって、日中はどうもないんや〜
20:10 手足が動くんです

平成17年12月2日(金)
11:00 内服薬が変わってから調子悪いなあ…、院長先生が、薬を「整理しましょう」と言って一方的に決めたんや
12:00 ああ、めちゃくちゃ良く効きました(Ns:プラセボ効果あり)
15:30 手と足が動くんです

平成17年12月3日(土)
10:00 調子が悪いです。横になったらムズムズするんです
11:10 ムズムズするんです、薬下さい
16:45 体が動くんです。筋注したら五分ぐらいで効く
21:30 手足が動くんです、注射して下さい

平成17年12月4日(日)
0:00 又、手足が動くんです、注射はいいです、何か薬下さい
12:00 アキネトン打って下さい、調子が悪いんです
表情硬く「アキネトンや、ろー」と確かめる

平成17年12月5日(月)
10:00 少ししんどいです。足と手も動くんです。
15:00 だいぶ良くなった。薬飲んだけんかいの。少しまだ、だるいな。
21:00 アキネトンして下さい(Ns今日は先に服用しますか)
「今日は注射していないのでして下さい。」

平成17年12月6日(火)
10:00 先生にあえんのやけど、もう前から言ってるんやけど、咽の痛みと頭痛が続いとんや

(2)、11月30日以後の渡邊朋之医師の医療行為

渡邉医師の野津純一氏に対する最後の診察は11月30日であり、12月1日から事件発生の6日まで渡邉医師自身による処方変更効果判定や経過観察、アセスメントの診療録への記載は全く無い。渡邊朋之医師が行った事件前の野津純一氏に対する診察は11月30日が最後であり、判決(P.73)が12月3日としたことは、事実誤認である。

渡邊朋之医師は平成22年8月9日の人証で11月30日は記載手違いで11月23日に(渡邊朋之本人調書P.11)、また12月3日は11月30日の書き間違い(渡邊朋之本人調書P.13)と証言訂正した。(同様の証言を第10準備書面(P.1)及び第13準備書面(P.3−4)でも行った。)その上で渡邊医師は12月3日にも診た(渡邊朋之本人調書P.14)と証言したが、12月3日に渡邊医師が野津純一氏に対して医療行為を行ったとする医療事実の記載は診療録には存在せず、渡邊医師は12月3日の診察が事実であったと証明をできない。また医療記録を残さずに診察内容を主張することは医師法第20条(無診察治療等の禁止)違反である。


(3)、渡邊医師の経過観察


1)、渡邊医師の経過観察
  判決(P.108)は「渡邊朋之医師は処方中止当時の症状及びその後の症状についても経過観察を行っている」と断定したが、渡邊朋之医師が診察した記録は11月30日以外には存在しない。また、11月30日の診察記録を最後に「12月の診療録には渡邉医師による経過観察記載は無い」。渡邉医師が経過観察を行った医療記録は存在しない。判決がそれでも、「渡邊医師は経過観察をおこなった」と認定するのであれば医師法第20条(無診察治療等の禁止)違反の疑いがある判決である。

判決(P.108)は「既に他の方策を相当試み、かつ、その経過観察を行っている中のものであったことからすると」記述したが、「経過観察を行っている中」に関連した渡邊医師の医療行為は存在せず、判決が看護師による看護記録を公式の経過観察と認めた事になり、医師法17条(非医師の医業禁止)違反の疑いがある。

判決(P.115)は「渡邊朋之医師は、同年12月4日に、野津純一氏からアキネトンの筋肉注射を求められた際に、生理食塩水の筋肉注射しか行っていないが、その2日前にプラセボの効果が見られた事を踏まえ、経過観察を行っている期間内の出来事と言うことができ、処方変更の効果判定を怠っていたとは認められない。」と断定した。看護記録に記載された12月4日(日)の正午に筋肉注射をしたのはAM看護師であり、渡邊朋之医師自身ではなく、事実誤認である。12月3日に渡邊朋之医師が野津純一氏を診察した記録は存在せず、12月4日にはいわき病院すら「渡邊朋之医師自ら生理食塩水の筋注を行った」と主張していない。「渡邊朋之医師は、同年12月4日に、野津純一氏からアキネトンの筋肉注射を求められた際に、生理食塩水の筋肉注射しか行っていない」は、高松地裁による創作である。

2)、レキソタン増量後の病状変化
  判決(P.109)は、レキソタン「増量後についても野津純一氏の病状経過につき比較的詳細な記録が残されていることからして(乙A1)、被告病院が状況把握を怠っていたとも認め難い。」として、「渡邊朋之医師に、レキソタンを大量投与した過失は認められない」と結論した。しかし、12月1日以降は渡邉医師の診療録記載は存在せず、状況把握したという証拠がない。そもそも、判決は診療録(乙A1)を証拠としているが、診療録のどの記述が「レキソタン増量後の野津純一氏の病状経過につき比較的詳細な記録」であるかを特定せずに断定しており、判決の根拠が不明である。

3)、無資格者(看護師)の薬剤効果判定
  判決(P.110)は『12月2日には「めちゃくちゃよく効きました」と、プラセボ効果がある旨判定されている』と断定したが、「プラセボ効果を“判定”したのは誰か」そして「診療録のどこにプラセボ効果判定の記載があるか」を特定していない。判決は「渡邊朋之医師が、経過観察の下に、プラセボ効果や、四肢の不随意運動の原因判定を引き続き実施し」と記載したが、診療録(乙A1)に渡邊朋之医師が「プラセボに関して経過観察」した事実及び「四肢の不随意運動の原因判定を引き続き実施」を決定した事実の記載はない。また判決(P.111)は「12月2日に四肢の不随運動が出現し、プラセボとしての生理食塩水の筋肉注射を受けたところ、その効果を確認できた」と記載した。看護記録にこれに関連した看護師の記録があることは事実であるが、しかし渡邊朋之医師はプラセボ「効果の確認を行った医療記録」も「引き続き実施する方針記録」も残していない。

A意見書I(乙B15 P.20)は「12月3日に行われた純一の問診以降、純一の病状に関して渡邊医師が把握していたか否かについて診療録にも記載が無く判断できない」と記述している。この鑑定意見は診療録の記載日を12月3日から11月30日に変更した事実を踏まえたものではないが、敢えてA意見書Iの日付が正しく、宣誓した通り渡邊朋之医師は12月3日に診察していたと仮定した場合でも、野津純一氏は12月4日に生食1mlを筋注された時に「アキネトンや、ろー」と疑う行動を行っており、プラセボ効果は消滅していた。またA意見書Iの、「その後の経過はこのプラセボ効果ありという評価が必ずしも適切ではなかった可能性を示している。すなわち…」に相当する時期の渡邊朋之医師の観察記録が無いことは、経過観察を怠ったと言うことである。

プラセボ効果判定の問題の本質は、抗精神病薬(プロピタン)の中断及び抗うつ薬(パキシル)の突然の中断という大規模な処方変更を行った後で、主治医渡邊朋之医師が適切な診察と経過観察を行うことがなかった事実を証明する。事件は12月6日に発生したのであり、12月1日以降、いわき病院推薦のA鑑定人も主治医が経過観察を行った事実を認定できない事実は重大である。いわき病院は大規模な処方変更を行った後であるにもかかわらず、入院患者野津純一氏の病状の変化を適切に把握していなかったことは確定した事実である。


(4)、いわき病院医師の診察

いわき病院(いわき病院)の診療録によれば、大規模な処方変更後に医師の野津純一氏に対する診察記録(医師法による記述義務)は11月30日と12月3日(各々11月23日、11月30日に変更された)の主治医渡邊医師の診察、及び12月5日のM医師の診察である。

判決(P.78)は「大まかな時期は特定しているが具体的な時期までは断定できておらず、曖昧な点があること、12月5日にM医師が野津純一氏の風邪を診察した際などに新しい根性焼きの存在を指摘していないことからすると(中略)被告病院のM医師や看護師がこれを見落としたかまでは判然としない」と結論づけたが、誤りである。

M医師が診察したとする証拠は12月5日付けの風邪薬(ペレックス)の処方記録であるが、M医師は顔面や喉を診察した記録を残しておらず、診察した事実があったと確認することができない。12月5日10時の看護記録によれば野津純一氏からON看護師に本人カゼとの訴えあり、「薬出しの要求あり」と、診察希望ではなく、薬出し要求をしたとの記載がある。従って、12月5日のM医師の診察はなく、カゼ薬だけ出してもらって野津純一氏は服用したと考えるのが普通である。いわき病院では風邪気味の患者に看護師が医師の指示が無くても薬を処方して、後から医師が追認することが行われているとした内部通報があり、M医師が本当に野津純一氏を診察したかも疑問である。そのことは、M医師が野津純一氏の顔面に根性焼きの瘢痕を観察していないことからも傍証される。

判決(P.78)はM医師が野津純一氏の顔面の根性焼きを発見してないことを根拠にして根性焼きを看護師が見落としたとは言えないと事実認定した。しかし医師が患者の顔面の異常を見逃したことはそもそも観察眼が不在であったことを証明する。「M医師が診察した時に根性焼きはなかった」とも「あった」ともいわき病院が主張したことは一度もない。「主張しなかった」は「主張できなかった」ということで、M医師は事件後に処方サインをしただけであり「M医師の診察はなかった」と考えるべきである。

なお、患者の薬要求に従って看護師が医師の診察無しに風邪薬や胃腸薬等を従前と同じ処方で薬を渡し、事後に医師が処方に追認サインすることは臨床現場では時々ある。勿論トロペロンの投薬やアキネトンの注射は看護師による薬出しの対象外である。

いわき病院が11月23日の大規模な処方変更後に野津純一氏を診察した証拠は11月30日の渡邊医師による診療録記録が最後である。


(5)、判決の暴走した事実認定


1)、情報収集と報告及び定期的な診察
  判決(P.111)では「被告病院においては、処方変更後の患者の状況につき情報収集、報告が継続されており、渡邊朋之医師による診察も定期的になされていて、被告病院に、野津純一氏の処方変更の効果判定をしなかった過失があるとは認められない。」と事実認定した。しかしながらそもそも上記の断定の基本となる「渡邊朋之医師による診察も定期的になされていて」の事実が存在しない。また、渡邉医師が看護師からの情報を収集した証拠及び継続的になされた報告を主治医がどのように取り扱ったか等の記録は存在しない。更に、これに関連して野津純一氏は平成22年1月25日の人証(証拠調べ調書、P.4)で「(事件前の)10日くらい(渡邊医師の)面談もなかった」と証言した。更に、原告啓司の質問(証拠調べ調書、P.8)に答えて、「11月30日と12月3日の診察はなかった」及び「(5日に)M医師に診察を受けた記憶もない」と証言した事実がある。そもそも診療録に記載がない行為は医師が実行した医療行為と主張できない。医療記録がある診察は11月30日が最後である。

判決の論理に基づけば、12月1日から6日までの「看護記録」を以て「渡邉医師が経過観察をした」と事実認定したことになるが、看護記録を渡邉医師の経過観察とするのは医師法17条(非医師の医業禁止)、医師法第20条(無診察治療等の禁止)及び医師法24条(診療録:診察したら遅滞なく診療録に記載する義務)違反の疑いがある。

そもそも、いわき病院が「看護記録が渡邉医師の経過観察である」と主張した事実はない。それにもかかわらず判決がいわき病院の主張を拡大解釈して医師法違反を容認した事実認定をすることはあってはならないことである。

2)、渡邊医師の野津純一氏の病状確認
  判決(P.115)は(いわき病院第7準備書面、P3)に基づいて「平成17年11月23日の薬剤処方変更後も、軽快、悪化の変動はあるものの、その症状の大部分は従前とほぼ大差ないものであり」と野津純一氏の症状変化に関して事実認定を行った。しかし、12月3日(土)に何を質問し、何と答えたのか、記録が無く効果判定をしたと主張する内容は不明である。また、野津純一氏の12月4日以降の病状は「根性焼きをしても治まらないほどイライラしてイライラを鎮めるため人を殺すしかない」 (T鑑定P.15)と考えるまで追い込まれていたが、いわき病院の医師も看護師も誰も気がついていなかった。この様な入院患者の病状の変化にいわき病院が気付かない事実は見過ごせない問題である。いわき病院の入院医療の質は、このようなひどい精神状態に患者を追い込むほど劣悪なものであった。(E鑑定人)

そもそも大規模な処方変更後に、渡邉医師の診察は一度しか行われていない。更に、12月にはその診察すら行われたことを証明する医療記録が存在しない。精神医療の素人である裁判官は根拠もなく判決で「症状の大部分は従前と大差無い」と、【警察調書・検察調書・T鑑定と相容れない事実認定】をすることはできない筈である。また、裁判官が医療記録として認定した可能性がある看護記録は、正面から見れば一目瞭然の顔面の根性焼き瘢痕すらも発見できないような、観察力がない看護師たちの報告である。

3)、プラセボで経過観察を行ったという判決の論理
  いわき病院と渡邊朋之医師が行った精神科開放医療の医療錯誤は沢山あるが、放火他害既往歴のある、野津純一氏による矢野真木人殺人という事件の発生を未然に防止することができなかった過失に繋がった問題は以下の通りである。

ア、 抗精神病薬(プロピタン)の中断と抗うつ薬(パキシル)の突然の中断、及び同時に行われたアカシジア治療薬アキネトンを生理食塩水に代えたプラセボテスト
イ、 2剤同時中断とプラセボテスト(大規模な処方変更)を行っている間に、患者野津純一氏の病状変化の経過観察を適宜・適切に行わず治療的介入を行わなかった
ウ、 患者が行った自傷行為の兆候である根性焼きを発見せずに、根性焼きをしても治まらない野津純一氏のイライラを把握できず、精神保健福祉法に定められた患者保護を行わなかった

医師の過失責任を構成する問題として大規模な処方変更を行った判断は重大な問題である。またそれに加えて患者の病状変化を適宜適切に観察しなかった不作為は過失要素として特に重要である。この点で、判決はプラセボテストを行っている間の医療行為(医師による生食筋注)を証拠として、渡邊医師による患者病状の経過観察が行われたと事実認定を行った。いわき病院における生食プラセボ1ml筋注は看護師により行われ、その後に生食20mlアンプルの保険請求を医師が事後承認で行っていたものである(残量の19mlは廃棄されたものと推察される)。また渡邊朋之医師は12月2日のプラセボ筋注の事後承認を行ったが、12月4日分はM医師であり、渡邊医師では無い。判決が、12月4日に渡邊医師がプラセボ筋注を行ったとして、渡邊医師による野津純一氏に対する経過観察が行われた証拠としたことは、いわき病院すら主張していない判決によるねつ造である。




   
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