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高松地方裁判所判決の項目別問題点


平成25年5月14日
矢野啓司・矢野千恵


3. いわき病院と渡邉医師の野津純一氏の過去履歴調査


(1)、渡邊医師の基本姿勢


1)、渡邊医師は治療患者関係を理由にして生育歴を聞かない主義
  渡邊朋之供述書(乙A第8号証)(平成22年4月16日付)(P.4)「主治医である私から特定の攻撃的行為を積極的に尋ねることは、精神科臨床上良好な治療患者関係を築く上ではあり得ず、不可能に近いと言っても良いでしょう。」また、第6準備書面(P.3)渡邊医師「このような条件下で、主治医である渡邊医師から積極的に尋ねることは精神科臨床上およそ一般的でなく不可能と言っても良い。」と述べていた。更に争点整理案(平成22年7月9日付け)(P.24)でも「野津純一氏の反社会的な過去の行為を主治医は知る立場になく」と記載されている。そもそも、患者の過去履歴を承知して精神科開放医療を行うという認識を持たないでいた。

精神科開放医療は社会保安を目的として患者を病棟・病室に閉じ込めて患者の社会性を封じてきた1960年代以降の日本の精神科医療に改革を迫り、患者を解放して市民生活を送ることを可能にする精神科医療改革である。この医療が可能になった背景には向精神薬の開発と普及があり、適切に薬剤を処方されることで患者が寛解に近い精神状態を維持できる精神科医療技術が基礎にある。このため、精神科開放医療を行うに当たっては、患者に対して継続的で持続的な良質な精神科医療を維持することが条件となる。また、患者には個性があり、主治医は患者の市民生活への適用などを確認するため、患者の過去履歴を承知して精神科開放医療を行う義務がある。


2)、精神科開放医療と患者の生育歴の必要性
  精神科の診断はDSM-IV及びICD-10準拠で、発病の経緯とは関係なく、患者の症状がどの項目に当てはまるかと特定する作業である。その意味では、カルテを作成して、処方薬を決定して、保険申請をする上では、必ずしも患者の生育歴に触れる必要は無いシステムになっている。

しかし、本件裁判で焦点となるのは、精神科開放医療の促進である。精神障害者に適切な処方を行い、病状が寛解に近い状態を維持して、社会生活を開始するためにリハビリテーションを行い、最終的に安定した市民生活に至ることが目的となる。

いわき病院と渡邊朋之医師が野津純一氏に精神科開放医療を行い、精神科リハビリテーションを推進するのであれば、野津純一氏の「生育歴・過去歴」を把握することは当然過ぎる要件である。いわき病院は病床数248の精神科病院であり、精神科医師や看護師の他多数の専門職を雇用して運営に当たっている。主治医が患者やその家族から直接詳細にわたる聞き取り調査をすることが時間の制約などで困難である場合、臨床心理士(CP)や社会保険福祉士(PSW)などの職種の者が行い、患者一人一人に関する生育履歴及び社会生活を開始する上での課題や問題点を確認する事は、当然の精神科医療機関としての義務である。

主治医が、「治療者−患者関係の構築のため」に生育歴や過去の状況を問わない、知らなくても構わないというのは、明らかに飛躍した論理であり、主治医としての責任放棄」である。いわき病院は病院であり、チーム医療を行うことが当然の要件で、主治医が聴取しない場合でも、臨床心理士(CP)が聴取しているはずである。父親は平成16年9月21日にHR医師に、母親は平成16年10月1日にMT・PSWに野津純一氏の放火他害履歴について申告した。いわき病院が「主治医は聞いていない、知らない」また「生育履歴の調査報告は存在しない、報告は必要ない」というのであれば、いわき病院では「チーム医療は機能していない」と豪語しているのと同じである。


(2)、判決の論理と渡邊朋之医師が問題行動歴を聴取できなかった事実

判決(P.78)は「野津純一氏には前科はなく、被告病院入院中に多数回外出しているが、その際にも、本件犯行を除き、トラブルを起こしたことはなく、自宅での外泊時でも同様にトラブルの報告はなかった。」と判断した。

更に、判決(P.105)は、「野津純一氏はもとより乙事件原告らがこの事情を渡邊朋之医師に十分伝えていなかったこと(本件訴訟において野津純一氏の過去の問題行動に焦点があたられた現在においても、その行動の詳細、動機については不明な部分がある。)、渡邊朋之医師は、平成17年2月14日及び同月15日の2日にわたり、野津純一氏の生育歴に従って過去の出来事を比較的詳細に質問していたと認められること、野津純一氏は渡邊朋之医師の突っ込んだ質問に対して回答を拒否する傾向があったこと(乙A8)からすると、渡邊朋之医師が野津純一氏の過去の既往歴に無関心であったとは言えず、野津純一氏の過去の問題行動を聴取できなかった事に過失があるとまでは認められない。」と認定した。

上述の判決(P.105)の論理は野津純一氏の生育歴と問題行動履歴を承知しなかったことを「渡邊朋之医師個人の問題としてできないこともあると免責」した。しかし問題の本質はいわき病院が精神科病院として体系的な情報収集と解析をせず、機関義務の怠りである。「精神科医師が受け持ち患者の過去の既往歴に無関心であったとは言えない程度にしか関心がない」のでは、患者にとって精神科病院に入院している意味がない。

A意見書I(乙B15)(P.5)に基づけば、「患者の過去の他害行為に関する情報は、その患者の将来の他害行為リスクを評価するための最も重要な情報」である。いわき病院推薦の鑑定人が「最も重要な情報」であるとしたが、判決が(P.105)が「無関心であったとはいえない程度のもの」では判決論理の逸脱である。渡邊朋之医師は「精神科医としての本分放棄」をしていた。A意見書I(乙B15)の「病状予測に最も重要な情報」を無視した不適切な判決である。


1)、野津純一氏の前科
  野津純一氏は刑事罰を受けたという意味では前科はない。しかし、16歳時に自宅及び両隣3軒を全焼した大火災の(放火)原因者であった。25歳時には香川大学医学部付属病院に包丁を持ち込んで取り押さえられ、傷害未遂事件を引き起こした。更にYM医院に通院中に通行人に襲いかかり父親が示談金を支払った事実がある。これらの事件は「精神障害者」、「未成年者」でなければ確実に前科になった事件であり、野津純一氏に前科がなかったとしても、前科に相当する問題行動が無かったと結論づけることはできない。

2)、外出中のトラブル
  いわき病院が提出した別紙3「外出外泊記録」(P.129−130)は両親が付き添って外出・外泊した記録であり、事件に関連する単独外出の記録ではない。単独外出の記録が記載された外出管理簿(乙A11)は野津純一氏が外出する際に自主的に記述するもので、毎回の外出の度に看護師が外出と帰院を確認したものではない。野津純一氏は院内自由の処遇が与えられ、またエレベータの暗証番号を教えられており、開放医療に名を借りた放任の状態で、外出簿に記載せずに第2病棟の外に出て、そのまま外出したとしても、誰も確認する手段がなかった。事件当日には帰院時間の記載漏れがあったほどであり、いわき病院が提出した証拠を以て外出時にトラブルがなかったと結論づけられない。また外出時にトラブルを引き起こしていたとしても、相手が、野津純一氏を精神障害者と悟り問題にしなかったことも考えられるのである。野津純一氏が外出中にトラブルがなかったとしたいわき病院の主張は未確認情報でしかない。

3)、外泊時の問題
  野津夫妻にとって外泊時の我が息子の自宅内トラブルをその都度報告することは身を切られるほど辛いことである。そもそも渡邊朋之医師は「患者に特定の攻撃的行為を積極的に尋ねることはない」と主張した精神科臨床医であり、入院中に報告が無かったことをもって、いわき病院に入院中の一時帰宅で、自宅内トラブルがなかったと結論づけるのは早計である。誰でも、報告を聞かれないことが続けば、報告すること自体を止めるものである。その上で、野津母親は平成16年10月1日のMT・PSWに対する説明で「本人と一緒に生活すると緊迫感が強く負担大きい」「イライラ感も強く、気に入らないことがあると自宅の物を壊すことがある」、及び「親に対してひどく暴れ自宅内の物はほとんど壊すということがあった」と説明しており、外泊時の自宅内における野津純一氏に問題行動が無かったと結論づけられない。

4)、野津純一氏はもとより、
乙事件原告らがこの事情を渡邊朋之医師に十分伝えていなかった

  渡邊朋之医師は「主治医である私から特定の攻撃的行為を積極的に尋ねることは、精神科臨床上良好な治療患者関係を築く上ではあり得ず、不可能に近いと言っても良いでしょう。」、また「このような条件下で、主治医である渡邊医師から積極的に尋ねることは精神科臨床上およそ一般的でなく不可能と言っても良い。」と述べており、精神科医師の確定意思として「特定の攻撃的行為を積極的に尋ねない」方針である。

平成17年2月14日の最初の診察で野津純一氏が申告した「25歳時の一大事」の裏付けを取るための積極的な質問をしなかったのは渡邊朋之医師である。野津純一氏が説明を拒んだものではない。野津純一氏は4月27日にも退院に向けての教室で「再発時に突然一大事が起こった」と話しており、病状が悪化した際の「一大事」に至らないように保護してもらいたいという強い心を持っていると考えるべきである。その要請に、渡邊朋之医師は患者と医師の人間関係を理由にして応えていないのである。それは、渡邊朋之医師の、「医師の職責」を全うしない私的な考えである。

野津父親は平成16年9月21日のHR医師に対する入院前問診で野津純一氏の過去の暴行履歴を説明した。また野津母親も10月1日のMT・PSWに対する説明で野津純一氏の暴力・問題行動を申告した事実がある。従って、いわき病院が裁判が提訴された後付けの弁明として、「野津夫妻が渡邊朋之医師に十分伝えていなかった」と主張したことは誤りであり、その誤りを判決が事実認定することは間違いである。

渡邊朋之医師は精神保健指定医であり自らの主張や理念とは関係なく、精神科医師として職務を遂行する義務がある。いわき病院の他の医師やSWおよびPSWなどの職員に伝えられた情報は全て、主治医に伝えられる事が正しい情報伝達である。いわき病院はチーム医療を行っているという建前であり、主治医が「自分は聞いていない」と主張することは職務義務から外れた不正義である。

5)、本件訴訟において、野津純一氏の過去の問題行動に
焦点があてられた現在においても、その行動の詳細、動機については不明な部分がある

  これは乙原告(野津夫妻)と野津純一氏の責任ではない。本来主治医がいわき病院の病院機構を使って調査を貫徹するべき業務である。渡邊朋之医師が調査義務を怠った証左である。この判決文の重要なところは、「いわき病院の調査が不十分で、野津純一氏の過去の問題行動履歴分析が不十分であった」と認めたに等しいことである。

6)、渡邊朋之医師は、平成17年2月14日及び同月15日の2日にわたり、野津純一氏の生育歴に従って過去の出来事を比較的詳細に質問していたと認められること、野津純一氏は渡邊朋之医師の突っ込んだ質問に対して回答を拒否する傾向があった
  事件後、野津純一氏は「検事さんが若くて優しそうだったので、何もかもお話ししました」と供述した事実がある。野津純一氏から聞き出せる力がある人とない人がいるのは確かである。いわき病院は多数の医療スタッフを抱えている病床数248の病院であり、小さなクリニックと違って、患者から上手に聞き出す職員や聞き取り技術があるはずで、野津純一氏からの聞き取りで、人的資源が活用されていないというべきである。

渡邊朋之医師は、野津純一氏に対して2月16日に抗精神病薬をリスパダールからトロペロンに変更した初期の時点からインフォームドコンセントを行わない治療を行った。「野津純一氏は渡邊朋之医師の突っ込んだ質問に対して回答を拒否する傾向があった」は患者に対して強い立場にいて、患者に説明責任を果たさない主治医としては無責任な主張である。更に、過去履歴の調査は、「医師と患者の個人的な関係」だけで判断するべきではなく、いわき病院の病院機構が果たすべき機能の問題である。

7)、渡邊朋之医師が野津純一氏の過去の既往歴に無関心であったとは言えず、野津純一氏の過去の問題行動を聴取できなかった事に過失があるとまでは認められない
  渡邊朋之医師は精神科専門医であり「野津純一氏の過去の既往歴に無関心」という言葉で表現される水準の生育歴や過去履歴に関する関心では極めて不十分である。判決は「過去の問題行動を聴取できなかった」と認定したが、その認定が行われた事そのものが、渡邊朋之医師に過失責任があることを証明する。患者の過去歴を知っていて病状予測に反映しないのは犯罪である。A意見書I(乙B15、P.5)「患者の過去の他害行為に関する情報は、その患者の将来の他害行為のリスクを評価するための最も重要な情報である」を完全に無視した判決である。


(3)、精神科開放医療を行う責任


1)、野津純一氏入院時の問題行動履歴申告
  野津純一氏は平成16年10月1日にいわき病院に任意入院して精神科開放医療をうける慢性統合失調症の患者であり、これは野津純一氏の希望に添った入院形態であった。これに先立ち、野津父親は9月21日に、野津純一氏の過去の放火暴行履歴をいわき病院勤務医のHR医師に説明した。更に、10月1日の入院時には、野津母親もMT・PSWに市中と家庭内における野津純一氏の問題行動歴を申告した。

2)、野津純一氏の問題行動
  野津純一氏は平成16年10月21日の早朝に看護師を突然襲う問題行動があり、閉鎖病棟(第6病棟)に転棟させられて隔離処遇を受けた。閉鎖病棟処遇は11月9日に解除されて、野津純一氏は再び第2病棟アネックス棟で開放医療を受けることになり、同時に2時間以内の自由外出許可も再開された。この時点で、いわき病院は野津純一氏が自由外出を行うことに問題がないと判断したことになる。

いわき病院は精神科医療機関であり、当然のこととして、看護師に暴行を働いた事実がある野津純一氏の過去の放火暴行履歴を再確認する義務が生じていた。野津純一氏に放火暴行履歴があることは、入院に先立って両親から説明されていたことであり、いわき病院の医師もしくはPSWまたはSWが再確認と詳細な情報提供を両親に求めて提供を受けることは十分可能であった。更に、野津純一氏は過去にいわき病院に通院と入院した記録があり、いわき病院は、他医院や他病院から情報提供を受けなくても、自院の記録と両親の協力で野津純一氏の正確な放火暴行履歴を再構築し、さらに、野津純一氏が暴力行動を開始する条件や状態や暴力行動が行われる際の危険度などを整理することが可能であった。いわき病院は野津純一氏に再度の自由外出許可を与えるに先立って調査を完了しておくべきであった。

3)、いわき病院の無責任な精神科開放医療
  本件裁判の過程で明らかになった事実は、いわき病院は野津純一氏の放火暴行履歴を組織的に調査・分析・整理をしていない事実である。その証拠は渡邊朋之医師が「個人として聞いていない、知らなかった」と頑強に説明を繰り返して、「責任は野津純一氏とその両親にある」と主張し続ける事に現れている。

矢野は慢性統合失調症患者の野津純一氏が精神科開放医療を受けて自由な外出を行うことに反対しない。しかし、それは精神医学的に適切な統合失調症の治療を受けて、適切な看護が行われ、適切なリハビリテーション・プログラムが実行される、責任ある精神科開放医療が実行されると信じるからである。そのような当然あるべき精神科開放医療が行われることで始めて野津純一氏の社会参加が可能となると信じるものである。

矢野は矢野真木人が通り魔殺人された後で医療法人社団いわき病院いわき病院と渡邊朋之医師の実態を調査して驚いた。野津純一氏に対して行われた医療は主治医から見放されたものであり、抗精神病薬が中断されていた状況で自由外出が許されていたなど常識外れであり、更に、本人が顔面に自傷した根性焼きの瘢痕を病院職員が誰も発見しないという異常な状態であった。

4)、精神科開放医療と医療機関の責任
  いわき病院は『「精神科開放医療は日本が国際社会に約束した国策」であるので、精神科開放医療を行っている病院に過失責任を負わせてはならない』という主張である。裁判の過程で判明したことは、「精神科開放医療はいわき病院のお題目であり」、実があり責任感がある精神科開放医療は野津純一氏に対して実現されていなかった事実である。更に驚いたことに、いわき病院の過失責任を問うことは、日本の精神医療を破壊する行為として、A鑑定人から非難を浴びたことである。その主張を演繹すれば、いわき病院で野津純一氏が経験した精神科医療は日本では普通のこととなる。

そもそも野津純一氏が社会参加をするには、病状が改善されなければならない。しかし、いわき病院では、野津純一氏に抗精神病薬(プロピタン)を中断し、更に抗うつ薬(パキシル)を突然中断する薬事処方変更を行い、患者を統合失調症の治療を行わない状態にしたうえで、危険度が亢進する状況で、主治医は真面目に診察をしていない事実があった。これは、社会的責任感を持つ精神科開放医療ではない。むしろ、精神科医療の社会信用を失墜させる行為である。この不真面目で無責任な医療こそ、日本の精神科医療を破壊すると確信する。

精神科医療機関と精神科医は無責任な医療行為とその結果発生した事故による損失に対して法的・経済的責任を果たす義務があり、いわき病院と渡邊朋之医師はその責任を果たさなければならない。


(4)、いわき病院が持つ野津純一氏の放火暴行履歴

いわき病院は「野津純一氏の放火暴力等の行動履歴は他病院が保有し、いわき病院は知ることができなかった」「本人も両親も主治医に一切話さなかった」と繰り返し主張して、免責を主張した。また判決(P.97)も、(A鑑定人の意見IIを引用して)他の病院に照会して情報を得る事の困難さ、また「P.104:野津純一氏は渡邊朋之医師の突っ込んだ質問に対しては回答を回避する傾向もあった(乙A8)」及び「P.105:野津純一氏は渡邊朋之医師の突っ込んだ質問に対しては回答を拒否する傾向もあった(乙A8)」として野津純一氏から聞き取ることの困難さを理由にして、いわき病院が野津純一氏の放火暴行履歴と他害衝動が発現する可能性を検討しなかったことを容認した。判決は渡邊朋之医師がいつ突っ込んだ質問をして野津純一氏が回避や拒否をしたのかを確認もせず「いわき病院の言うとおり」と(後出しじゃんけん)を認めた。

いわき病院は他の病院に問い合わせするまでもなく、以下の野津純一氏の問題行動に関する情報を所持していた。これらのいわき病院が保有する資料に基づくだけで、渡邊朋之医師が主治医として、野津純一氏の理論的な危険性を予め承知することは可能であった。

1)、外来診察記録(平成13年4月20日)
  野津純一氏は、いわき病院には平成13年4月20日に最初の外来診察を受けており、その時の診察医はYM医師であり、「主訴として落ち着かない、及び幻覚妄想」を記載して、ICD-10のF20精神分裂病と診断した。同時に、身体の障害は「(1+)軽度」、精神・行動上の障害を「(3+)高度」、社会環境的問題を「(2+)中程度」と評価した。注目するべき点は、いわき病院は野津純一氏を最初に診察した時点で、「F20精神分裂病」と診断して、「高度(+3)な精神・行動上の問題」を認識していた。

2)、最初の入院時診察(平成13年6月21日)
  野津純一氏が最初に平成13年6月21日にいわき病院に入院した際の入院診療録はYM医師が記載しており、Sc(統合失調症)と診断されている。YM医師は主訴として落ち着かない、及び不安症状を記載しているが、暫定診断(ICD-10)のチェック項目では、「F20精神分裂病」と診断した。同日YM医師が作成した作業療法(OT)処方箋には(1)社会復帰、(7)攻撃性の発散、及び(14)日常リズムの安定化にチェックが入り、目標は(4)家庭内適応であった。注目すべき点は、野津純一氏がいわき病院に最初に入院した時に、治療の課題として「(7)攻撃性の発散」が記述されていたところにある。

3)、第2回目の入院時診察(平成13年11月2日)
  YM医師が、平成13年11月2日に診察して「F20精神分裂病」と診断するとともに、精神・行動上の障害を「3高度」、社会環境的問題を「2中程度」と評価した。11月5日付の作業療法(OT)処方箋には(6)不安の軽減、(8)病的体験の軽減にチェックが入り、長期目標は家庭内適応であった。注目すべき点は、野津純一氏の診断は「統合失調症」で、精神・行動上の障害を「3高度」としているところにある。

4)、両親による放火他害暴行履歴の申告記録
【ア、いわき病院の入院前問診 (平成16年9月21日)】
  野津純一氏の父親が、いわき病院HR医師に、「隣近所のニワトリの鳴き声に異常反応して転居するに至った経緯」、「YM医院通院中の通行人に対する暴力行為の事実」、及び「統合失調症と人格障害」の過去の診断歴をいわき病院に証言していた。野津純一氏の症状として「妄想はないが、強迫が目立ち、不安恐怖があり、母に強要する。また野津純一氏には焦燥感があり、暴言が出る。なお、過去には妄想(3+)で、暴力があり、隣家までどなり込んだ、また「父母が二人で攻めてくる」という攻撃性と過剰防御の様相」があった。また野津父親が申告した過去の医師の診断は、SS医師が統合失調症(Sc)、KN医師が重度の強迫性障害(OCD)、IJ医師が人格障害である。

あ、 平成10年から11年頃に、
(ア) 妄想(3+)の為に、暴力行為があった、
(イ) 隣家のニワトリが自分に対して鳴いてくる、という妄想があって隣家に怒鳴り込んだりして、転居した
(ウ) 両親に対する暴言など攻撃性があった
い、 YM医院に通院中に、香川県庁前の道路で通行人と大げんかをした
う、 過去の病歴として、統合失調症、重度の強迫性障害、人格障害、があった。

野津純一氏の父親のいわき病院訪問に関しては、いわき病院は答弁書(P.4)で、「平成16年9月21日、YM医院から紹介状があり被告野津の父親のみがいわき病院に来院したことがあった」と記載した。渡邊朋之医師は平成16年9月21日の診療録を確認した上で、「被告野津本人及び両親から聞いてない」と証言したことになる。更に、平成17年12月8日の供述調書(丙第5号証)でも、「家族の方から聞いていた」と証言していたのである。


【イ、インテークカード(平成16年10月1日)】
  母親からMT・PSW聞き取り(平成16年10月1日)がある。

あ、 本人と一緒に生活すると緊迫感が強く負担大きい
い、 すれ違った人に殴りかかろうとした事もあるらしい
う、 イライラ感も強く、気に入らないことがあると自宅の物を壊すことがある
え、 親に対してひどく暴れ自宅内の物はほとんど壊すということがあった
お、 16才の時母親と口論で自宅に火事を起こし警察沙汰になり、それ以降症状不安定

【ウ、「両親から聞いていない」は虚偽】
  いわき病院が主張した「両親から聞いていない」は虚偽である。野津純一氏の場合、「家族の方」と「両親」は同一であり、「親からは聞いてないが、家族の方からは聞いていた」は詭弁である。両親は野津純一氏の入院に当たって勤務医とSWに話していたのであり「両親から主治医に一切話されていない」も詭弁である。

入院前問診で注目すべき点は、野津純一氏の両親はいわき病院に対して、野津純一氏の過去の暴力行動や他人に危害を加えた過去の行状について言及していた点である。また「IJ医師が人格障害として診断していた」ことも証言している。すなわち、この時点で、いわき病院と同病院長渡邊朋之医師は、過去の暴力行動及び人格障害の診断があった事に関して承知していたのである。それをもとにして適切な対処をとることが、社会的に責任ある精神科病院の義務であるし、精神科専門医として当然担うべき職責であると指摘できるのである。

5)、いわき病院内で看護師に殴りかかったときの問診(平成16年10月21日)(乙A1)
  野津純一氏は、平成16年10月21日の朝7時頃、男性看護師に殴りかかったが、その直後のNG医師の問診記録で、注目すべき野津純一氏の状況と発言は、「野津純一氏には幻視がありその病識がなかったこと」、「医大のKN先生に野津純一氏が執心していた事実」、及び「看護師に警戒感があることを野津純一氏自身が認識していた事実」である。

なお、野津純一氏は25歳の時に、香川医科大学病院(当時)で主治医であったKN医師のところまで包丁を持っていったという「一大事」を起こしていた事に関しては、平成17年2月14日に野津純一氏自身から主治医である渡邊朋之医師に直接伝えられていた。

平成16年10月21日問診記録の主要点
ア、 幻視の病識なく、暴力の再発の恐れが強い
イ、 「ボクと医大のKN先生と結婚できますか?」と質問した
ウ、 アネックスはボクが行ったら男性看護師が増えるんですか?」と質問した

6)、AZ看護師作成の野津純一氏看護計画(平成17年1月10日)

♯3 「幻聴により自傷他害の恐れがある」

7)、主治医が渡邊朋之医師に変更された時の問診(平成17年2月14日(乙A1)
  平成17年2月14日に、主治医はNG医師から渡邊朋之院長に交代した。交代直前の2月14日付のNG医師の診療録記載では、「幻聴はあるが、表情からして全体に楽そうであり、順調」と記載されていた。

主治医交代後の問診の主要なポイントは、「25歳の時の一大事」、その時には「KN医師が主治医であったこと」、また「幻聴・幻覚・妄想など」、更には「プロレスなど格闘技が好きであること」を本人の情報として伝えた。野津純一氏の大きな体格で格闘技を好み、過去の凶状に関する情報が伝えられたならば、精神科医は当然の義務として、万が一、暴力行為に及んだ場合の体力的な圧倒的有利さ、ひいては「他害のおそれ」を慎重に見極めなければならない。

(2月14日問診)
ア、 25歳の時に一大事が起こったと証言した。
その時の主治医はKN医師であると記載されている。
イ、 29歳の時にIJ医師を怒らせてしまったとの記載あり
ウ、 YM医院に通院中に、手足の振るえの記載あり
エ、 幻聴に関して
(ア) 換気扇やエアコンや暖房の音に関連
(イ) 猪木や馬場などプロレスを考えると名前がする
(ウ) 他人の考えがわかる

8)、 バウムテスト報告書
  いわき病院内で野津純一氏に対して行われたバウムテスト検査では、野津純一氏の心理的な特徴として、「自己本位で、他人との情緒を交流する接触は苦手であること」及び「他人に対する、敵意や攻撃性がある可能性」が指摘されている。特に、2月25日の心理検査(乙A第6号証、p.80)で、「敵意と攻撃性」に言及されている事実は重要である。

ア、(平成16年10月7日) ( 乙A第6号証)】
  規範を無視したり、自己本位な対人接触の仕方をとることなども窺われる。本人には、独自なものの見方があるようなので、情緒の交流を要するような深い付き合いは苦手であると思われる。

イ、(平成17年2月25日) (乙A第6号証)
(樹木画) 病的に退行した精神状態で、情緒は未熟で精神的統率力を欠き、情緒に支配されやすい。(中略)些細なことも完全に秩序づけようとする傾向にあり、多少強迫的な傾向も認められる。
(人物画) 髪が強調されており、猜疑心が強く、妄想的傾向が強い人であると思われる。また自己愛や虚栄心もあり、自己を誇示する傾向にある。肩も大きく描かれ、自己顕示欲求、権力への欲求、敵意や攻撃性があるのかもしれない

9)、平成17年4月27日の退院教室
  平成17年4月27日の「退院に向けての教室参加記録」に[再発の予防]として「再発時は突然に一大事が起こった、と話される」と記述されている。このことは、野津純一氏がいわき病院に対して、「再発時には一大事が起こるので、十分な再発予防治療を行って欲しい」と申告したことに等しいのである。しかしながら、この証言を元にした「再発予防」に関した治療内容の検討をしていない。

10)、障害者年金更新用の診断書記載(渡邉医師作成 平成17年7月22日)

(渡邉人証 P.65)
丙6号証 障害の状態の「幻覚」「妄想」「興奮」「昏迷」にチェック入れた
「幻聴、妄想および強迫観念に基づいた行動が見られる」
「忍耐が低下しており衝動的に暴れることもある(死にたい等の発言もみられる)」

(5)、野津純一氏の暴力行動への対応


1)、いわき病院歯科の暴力行動に対する用心(リスク管理)
  いわき病院の歯科レセプトには野津純一氏が歯科治療中に行った数々の暴行行為が記録されている。この公文書見記載された事実に関して、いわき病院は病院収益を確保するための、便宜上の記載であり、身体抑制器具を所有せず、野津純一氏が暴力行動を行った事実は無いと証言した。しかし、いわき病院歯科は野津純一氏を抑制器具でないとしても、タオルのような物を使って拘束した事実はある。いわき病院歯科は、野津純一氏が暴力行動を行う可能性を想定して、未然の対応を行っていた。

2)、野津純一氏の攻撃性に関心を払うべきであった
  野津純一氏が平成13年にいわき病院で外来診療を受け(平成13年4月20日)、また入院した時点(平成13年6月21日、11月2日)では、いわき病院は野津純一氏に「高度な精神・行動上の問題」を認識し、「攻撃性の発散」を治療の課題としていた。野津純一氏の父親がいわき病院でHR医師の問診を受けた時には、父親は、「過去の暴行歴及び人格障害の診断歴があること」、また母親は平成16年10月1日のMT・PSW聞き取りで、「自宅内での暴言や暴力、通行人に対する暴力、及び16才時の放火事件で警察沙汰になったこと」等を話した。

野津純一氏は平成16年10月21日に被告病院内で看護師に襲いかかり、いわき病院は一週間の隔離処置を行った。平成17年2月14日には主治医がNG医師から渡邊朋之院長に交代したが、その際に、野津純一氏は問診で「25歳の時に一大事件があった」と話した。更に、4月27日の退院教室における「再発時には、突然一大事が起こった」という発言は、本人自身が「突発的な、暴力行動もしくは他害行為の可能性など」について話した証言と記録である。また、いわき病院の歯科診療場面では野津純一氏の暴力行動に留意した治療対応を行っていた。ところが、渡邊朋之医師は野津純一氏の他害行為の可能性について検討していない。これは精神医療の専門医かつ精神保健指定医としては基本的で重大な過失である。

野津純一氏のような患者(不登校、職歴無し、軽度知的障害、陰性症状重篤)では、不満を伝えたいと思っても言葉での自己表現が上手にできない。体力的には勝るので、不満の表明に暴力に訴えることがよくある。(デイビース医師団)

3)、「任意入院」者は自傷他害のおそれが無い患者?
  いわき病院は、平成19年2月7日付第1準備書面で「本件の入院形態が、「自傷他害のおそれのある精神障害者」に対する社会防衛的要素の含まれる『措置入院』ではなく、自傷他害のおそれなど認められない患者本人の意思による『任意入院』である点は重要な判断要素とされるべきである」と主張した。いわき病院は、突き詰めれば精神科医療機関として、

ア、野津純一氏は患者本人の意思による任意入院患者である
イ、任意入院患者には自傷他害のおそれなどは認められない

「任意入院(原因)」と「自傷他害(結果)」には一方向性の関係があり、「自由意志による任意入院ゆえに、自傷他害のおそれを考えてはいけない」という因果関係論を主張した。

上記の論理に従えば、患者が本人の意思で任意入院すれば、自傷他害のおそれはあり得ないことになる。すなわち、患者が精神科医療機関に入院する前に、自傷他害のおそれの診断は決していることになる。患者の精神状態を正確かつ的確に診断するのは医師として独立した医療上の権限である。ところが、患者が自らの意思で任意入院すれば自傷他害のおそれはあり得ないとするならば、医師は患者の意思に左右されて診断項目の選択に制限を受けて、更には、診断結果にも患者の意思が持ち込まれることになる。そもそも、精神科医療機関に入院する患者には精神障害が認められるのである。その精神障害がある者の意思に精神科医療の診断が左右されるとするべきであるとするならば、その精神科医療そのものを社会的活動として信用することはできない論理になる。

4)、渡邊朋之医師は野津純一氏の暴行履歴を知っていた
  渡邊朋之医師は平成17年12月8日の供述調書(丙第5号証)で、「(野津純一氏は)過去に当院でも暴力沙汰を起こしそうになったのは事実ですし、家族の方からも『YMクリニックへ通院している途中で、止めてあった自転車を蹴り倒した』という話も聞いていますから、野津さんに暴力的な素養が全くないとは言えないことも事実です。」と証言した事実がある。

いわき病院理事長渡邊朋之医師は「野津純一氏に暴力的な素養がある」ことを認識していたのである。その上で「自傷他害のおそれなどは認められない」と主張して、「任意入院患者であること」を根拠に自らに責任が無いことを主張した。

いわき病院は答弁書(P.3)で「被告野津が16歳時に母親と口論し自宅で火事となったことは、両親から聞いているが、詳細は述べられておらず病気との関係も不明である。」と主張して、野津純一氏に放火履歴を承知していたことを認めた。しかし、両親が詳細を述べなかったとして、事実関係の把握に怠りがあったことを証言した。問題は、「両親が詳細を述べなかった」ではなく、「いわき病院が発言に基づいた確認調査をしないこと」である。いわき病院の論理は、精神科医療機関として自ら行うべき義務を、患者と両親のせいにして怠り、しかも責任転嫁するところにある。




   
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