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高松地方裁判所判決の項目別問題点


平成25年5月14日
矢野啓司・矢野千恵


1、事実認定を誤認した事項

1. 渡邊医師の「最後の診察」の日付は11月30日が正しい

いわき病院渡邊朋之医師の最後の診察日は、平成22年8月9日における渡邊朋之医師の人証発言、第10準備書面及び結審直前のいわき病院第13準備書面(平成24年12月18日)(P.3−4)でも11月30日に変更された。更に、判決(P.128)にも訂正が入っている。矢野は診療録12月3日の診察を11月30日に変更するいわき病院の申し出に異議はなく同意した。それにもかかわらず、判決文(P.73)は渡邊朋之医師の最後の診察日を12月3日と誤解して、これを元にして各種の判断を行ったものである。


(1)、高松地裁判決は資料編を訂正したが、本文は未修正のまま

判決(P.73)は「k 同月3日 渡邊朋之医師と面接(本件犯行前の最後の面接となった)」と記述して、渡邊朋之医師が野津純一氏を事件前の最後に診察した日付を平成17年12月3日と断定した。しかし、渡邉医師最後の診察は11月30日(判決P.128) である。


(2)、いわき病院日付訂正申し出前の野津純一氏診療録(乙A1)

いわき病院(野津純一氏診療録 乙A1)の記述は次の通りである。

1)、11月30日  渡邊医師記載
 (なかなかとれないね、薬の整理を)  はい
  次回処方
1)、 レキソタン(5)6T、ヒベルナ(25)3T
2)、 カマグ2g
3)、 レンデム1T、インスミン1T、ノーマルン(10)1T
(レキソタンだけを増やしましよう)
(P)方針  不穏時には右記注射を行う 振るえた時 アキネトン1A
不安焦燥時 セルシン(5)1A
幻覚強いとき   トロペロン1A
アキネトン1A
(A)アセスメント 本人のムズムズの訴えに対して行う
薬の副作用の可能性高い

2)、12月3日 渡邊医師記載
  患者 ムズムズ訴えが強い
退院し、1人で生活には注射ができないと困難である
心気的訴えも考えられるため ムズムズ時 生食1ml 1×筋注とする
クーラー等への本人なりの異常体験(人の声、歌)等の症状はいつもと同じである

(3)、渡邊朋之医師は人証時に日付訂正した(平成22年8月9日 第6回口頭弁論)

高松地方裁判所作成の速記録(平成22年8月9日 第6回口頭弁論)の「本人氏名 渡邊朋之」の記録に基づけば、渡邊朋之医師は「真実を述べ、何事も隠さず、偽りを述べない」と宣誓した直後に、カルテ(診療録)に記載された日付を変更した(P.11〜P.15)。

診療録の日付記載を行う時には必ずカレンダーを確認する手順である筈であるが、なぜこのような書き間違えが起きるのか、また、なぜそれが後に書き間違えだったと気が付くのか、しかも、正しい日付を覚えていて4年8ヶ月後に思い出せるのか、不可解である(E鑑定人)。この背景として「野津純一氏の診療録は少なくとも11月以降は改竄された」と指摘した内部情報の蓋然性を裏付ける渡邊朋之医師の人証証言である。

1)、11月23日(11月30日)の記載手違い
P.11 KM 右側の「指示及び処置」のところですね。「薬を整理する 次回処方」って書いてますけど、そこに直筆で処方を書いてあります。
この次回からというのは、いつからということなんですか。
渡邊 11月23日からだと思います。これは私の11月30日というのは記載手違いだと思います。
P.12 KM それから、先ほど、このページの「11/30」という手書きは11月23日の間違いであるというはなしでしたけれども、そういうことですね。
渡邊 はい、そうです。

2)、11月30日(12月3日)の書き間違い
P.13 KM ところで、この124ページですけれども、左上の日付を見ると、12月3日、あるいは、見ようによっては12月30日みたいに書かれているような手書きで記載されているようなものがあるんですけれども、これは正しいのですか。
渡邊 いいえ、これは私の書き間違いです。11月30です。
KM 11月30日が正しい。
渡邊 はい。

(4)、いわき病院は日付訂正を再確認した(人証、第10準備書面、第13準備書面)

いわき病院は、診療録記載の12月3日の日付は11月30日、11月30日は11月23日の誤りなので訂正願いたいと平成22年8月9日の渡邉医師人証に加えて、いわき病院第10準備書面(平成22年8月7日)(P.1)及びいわき病院第13準備書面(平成24年12月18日)(P.3−4)で述べ、繰り返し診察日の日付変更を再確認した。

1)、いわき病院第10準備書面(平成22年8月7日)における訂正確認
P.1 同(争点整理案)72頁の12月3日欄に「ムズムズ訴え強い、クーラー等の音への本人なりの異常体験(人の声、歌)等の症状はいつもと同じ」とあるが、この経過は11月30日の診察時の症状であるので、前頁の11月30日欄に転記願いたい。
この点に関して付言すると、カルテ(乙A1号証)124頁左上の「12/3」という日付記載は「11/30」の誤記である。本来「指示及び処置」欄の「11/30」と整合するべきものである。なお、さらにカルテ123頁左上の「11/30」という日付記載も「11/23」の誤記である。

2)、いわき病院第13準備書面(平成24年12月18日)における訂正確認
P.3−P.4 12月3日欄に「ムズムズ訴え強い、クーラー等の音への本人なりの異常体験(人の声、歌)等の症状はいつもと同じ」とある(同72頁)が、この経過は11月30日の診察時の症状であるため、前頁の11月30日欄に移記されるのが正しい。この点については、渡邊朋之医師の法定供述のとおり、カルテ乙(乙A1号証)124頁左上の「12/3」という日付記載は「11/30」の誤記である。本来「指示及び処置」欄の「11/30」と整合するべきものである。なお、さらにカルテ123頁左上の「11/30」という日付記載も「11/23」の誤記である。

(5)、高松地裁判決は日付を誤認した

高松地裁判決(P.73)の記述は以下の通りである。

k 同月3日
  渡邊朋之医師と面接(本件犯行前の最後の面接となった。)。ムズムズ訴えが強く、退院し、1人で生活する際には注射ができないと困難である。心気的訴えも考えられるため、ムズムズ時は、生食1mlを筋注とする。クーラー等の音への本人なりの異常体験(人の声、歌)等の症状は、いつもと同じである。

高松地裁は、いわき病院が繰り返して日付記載間違いを自己申告していたにも拘わらず、カルテ(乙A1号証)124頁に「12/3」日付で記載されていた「ムズムズ訴え強い、クーラー等の音への本人なりの異常体験(人の声、歌)等の症状はいつもと同じ」という野津純一氏の症状を11月30日ではなく12月3日に発生した事実と認定したが、これはいわき病院が再三にわたり訂正申告をしていた事項であり、原告にも異論はなく、高松地方裁判所の完全な事実誤認である。

なお、判決(P.122−128)の別紙2の記載(P.128)に、11月30日の記録として「ムズムズ訴え強いクーラー等の音への本人なりの異常体験(人の声、歌)等の症状はいつもと同じ」と記載がある。判決も資料編ではいわき病院の申し立てにより診察日を訂正したが、肝腎の判決文(P.73)は事実誤認の元に判断したことは明白である。特にこの部分は渡邊朋之医師が経過観察を行った事実の判定にかかわる重要な事実誤認である。


(6)、渡邊朋之医師の本件犯行前の最後の面接は11月30日


(1)、判決(P.73)における「本件犯行前の最後の面接」
  判決(P.73)は、12月3日を「本件犯行前の最後の面接」と認定したが、最後の面接時の野津純一氏の病状として認定した事項は11月30日の診察時の記載事項である(判決、別紙2、P.128)。その上で、いわき病院が提出したカルテ(乙A1号証)には11月30日以降の渡邊朋之医師が診察した記録は存在しない。従って、判決が、11月30日を「渡邊朋之医師と面接(本件犯行前の最後の面接となった。)。」と認定する事が論理的な結論である。また、最後の診察を行った診察時間は夜7時ころであった(第7準備書面、P.2、平成20年11月14日付)。また、答弁書では夜8時から9時となっている。

「高松地方裁判所速記録(平成22年8月9日 第6回 口頭弁論)」
P.14 KM 11月30日にあなたは野津を診察したと、こういうことですか。
渡邊 はい、してます。
KM この日はたしか、外泊から野津が帰ってきた日ですよね。
渡邊 はい。
KM 何時ころ診察したか記憶がありますか。
渡邊 帰ってきた後ですから、これは夕方になると思います。
KM それから、12月3日にも野津を診察しているんでしょうか。
渡邊 はい、してます。
KM この日はたしか土曜日ですよね。
渡邊 はい。
KM 外来があった日ですか。
渡邊 はいそうです。

2)、渡邊医師の証言:「12月3日にも診た」

【ア、渡邊医師証言の信憑性】
  人証で渡邊朋之医師は「12月3日にも診た」と証言したが、診療録に記載のない診察は法的に無効で、そもそも医療行為の内容が不明である。(医師法24条(診療録)違反、医師法第20条(無診察治療等の禁止)違反の疑い)

渡邊朋之医師は平成22年8月の人証でKM代理人の質問に答えて「12月3日にも野津を診た」と答えた事実がある。医師法第24条(診療録)が医師に要求する義務は「医療行為を行った後における、医師の事実記載義務」であり、「記録のない診療事実の主張」を行うことを戒めていると考えるべきである。

渡邉医師は人証(P.42)の「12月3日も診てはおると思います」の根拠を「12月3日に臨時処方(頓服処方)を打ったから」と主張したが、11月20日までと同じ頓服処方を打つのに診察は必要なく、診察した根拠にはならない。

平成17年12月3日付けの診療録記載を11月30日に変更したことを、渡邊医師の人証での証言と共に、2度に渡る準備書面「10準備書面(平成22年8月7日)(P.1)、第13準備書面(平成24年12月18日)(P.3−4)」で述べた事実は重い。12月3日に診察をしたというのは、そもそも信頼できない渡邊朋之医師のその場限りで、根拠を提示できない弁明でしかない。「診た」のでなく「見ただけ」の可能性も高い。

そもそもいわき病院は事件から4年8ヶ月後にカルテの記載日を変更するという常識ではあり得ない訂正を行った。そこからいわき病院診療録の信憑性の問題が派生する。12月3日の診察日の記録を11月30日に変更したことに関しては、渡邊朋之医師の人証発言と準備書面2件があり、診療録に記録もある。このため、11月30日に渡邊朋之医師が最後の診察をしたことを前提にして法廷審議は行われるべきである。しかし、12月3日にも面接を行ったと言ういわき病院の主張は、その事実に関連した記録が一切存在しないため、法廷審議の前提にはならない。そもそも判決(P72)の記述は判決(P.128)の記述と矛盾する。いわき病院最終文書に記載された都合が良い箇所をつまみ食いした判決であり事実確認を疎かにした錯誤である。


【イ、第13準備書面の詐欺的証言】
  いわき病院は第13準備書面の(P.3−4)で『12月3日欄に「むずむず訴え強い、クーラー音への本院なりの異常体験(人の声、歌)などの症状はいつもと同じ」とあるが、この症状は11月30日の症状であるため、前頁の11月30日欄に移記されるのが正しい』と記載した。それにもかかわらず第13準備書面の(P.32)では「12月3日、渡邊朋之医師の面接。Pat(注:患者)ムズムズ訴え強い…」として同一の記述を12月3日の診察時の記述としてある。これはいわき病院の詐欺的証言である。同一の第13準備書面内における、互いに矛盾した記述である。問題は、判決がいわき病院の主張を受け入れて、存在しないはずの12月3日の診療事実と認定した錯誤、及び事実誤認判決である。

【ウ、判決が記載した「本件犯行前の診療経過」】
  判決(P.70−P.75)は「(ク)本件犯行前の主な診療経過」で診療事実を時系列的に記載した。その上で「k 同月3日」の記載では、「午前11時10分にナースコールがあり」の記載の前に「渡邊医師と面接」と記載して、渡邊医師の面接が「土曜日の外来診察の日の11時10分の前」に行われたことを示唆した。

判決(P.70−P.75)が認定した「12月3日渡邊医師の面接」はA意見書I(P.21−P.22)(平成22年7月29日)の記載に従ったものである。A鑑定人は11時10分の前に渡邊朋之医師が野津純一氏を診察したと鑑定報告したが、その事実の記載はいわき病院の医療証拠には存在せず、またいわき病院の主張とも矛盾しており、A鑑定人の根拠のない想像に基づく創作である。

A鑑定人は「退院し、1人で生活には注射ができないと困難である」を鑑定意見の事実認定に関する根拠の一つとして採用したが、野津純一氏は精神障害者であり「糖尿病患者であればともかく、実際このようなことはありえない」(E鑑定人)。このことも、根拠に厳密ではないA鑑定人の鑑定態度を証明する。

また、これは当時の野津純一氏の病状が、「いかに退院が難しいか」また「いかに入院期間が長引いているか」野津純一氏に退院をさせることができない主治医の自己弁護の呟きの本音である可能性がある。

12月3日 渡邊医師の面接「A意見書I(P.21−P.22)(平成22年7月29日)」
Pat(注:患者)ムズムズ訴えが強い 退院し、1人で生活には注射ができないと困難である。心気的訴えも考えられるため、ムズムズ時 生食1ml 1×筋注とする クーラー等の音への本人なりの異常体験(人の声、歌)等の症状はいつもと同じである。
11:10 イライラ時頓服薬服用

更に、A鑑定人はA意見書I(P.22)で以下の意見を付記している。

12月3日に渡邊医師の問診が行われており、「ムズムズ時 生食1ml 1×筋注とする」という記載がみられるが、渡邊医師はこうした指示を行うにあたっては、当然、前日に生理食塩水の筋注が奏功し、看護師によってプラセボ効果ありという評価されたことが念頭にあったものと思われる。しかし、その後の経過は、このプラセボ効果ありという評価が必ずしも適切でなかった可能性を示している。

A意見書は「すなわち、12月3日は16:45、21:30と生理食塩水の筋注が行われ、12月4日0時には…」として12月3日午後からの病状悪化、プラセボ効果消失を認めた。A鑑定人は12月3日には問診したと断定し、判決(P.70−75)はこのA鑑定人の鑑定意見に基づいている。しかしながら、A鑑定人が確認した診療録の記録は、12月3日の日付で記載され11月30日に変更したムズムズなどに対する渡邊医師の記載記録である。すなわち、A鑑定人は同じ記載をいわき病院が繰り返して「11月30日の記載」と事実記載の変更をした事実を認識したものではない。

判決は、12月3日の面接にこだわっているが、これはいわき病院第7準備書面(P.2)(平成20年11月14日付)の説明内容に基づいている。この時点ではいわき病院は診療録(乙A1)に記載した11月30日と12月3日の記載に基づいて診療経過を説明していた。しかし渡邊朋之医師は平成22年8月9日の人証で、診療日の日付変更を行っており、そもそも、それ以前の診療経過に関するいわき病院の説明には矛盾が生じた。また争点整理案(平成22年7月9日付)は第7準備書面等の日付変更前の事実認識で取りまとめられたものである。A鑑定人と判決は、大規模な処方変更後の渡邊朋之医師の診療日の変更に関する証言に関連して錯誤したのである。


【エ、A鑑定人の錯誤に基づいた判決】
  いわき病院と渡邊医師が主張し、A鑑定人が裏付けて、地裁判決が認定した「12月3日の11時10分前の面接(問診)」は外来診察日である土曜の午前中に行われたものという設定である。しかし、そのような状況で診療録の記載が存在しないことが異常な事態である。12月3日に渡邊朋之医師は野津純一氏を診察した事実を証明できない。(医師法第20条(無診察治療等の禁止)違反疑い)

◎、 渡邊朋之医師は、12月3日(土)の11時10分より前に「外来診察中に野津純一氏の診察をした」が、事件当日の12月6日(火)には「外来診察を理由にして診察拒否」をした。入院患者の診察に関して渡邊朋之医師の証言は一貫性を欠き信用できない。

【オ、「本件犯行前の最後の面接」は11月30日の夜】
  渡邊朋之医師が野津純一氏に対して「本件犯行前の最後の面接」を行ったのは11月30日(水)の夜7時以降である。(答弁書(P.11−12)では夜8時〜9時となっている)当日の野津純一氏に行った薬剤処方に基づけば、野津純一氏は夕食後に与薬された眠剤2種(レンデム0.25mg、インスミン10 10mg)を服用した後である。そもそもOK第2病棟看護長は証人調書(第6回 口頭言論調書、平成22年8月9日)(P.7)で「野津純一氏は眠剤をよく服用する患者」また「眠剤を服用しないで眠れないで困った状態という状況がない患者であった。」と証言したほどである。渡邊医師は、野津純一氏の受け答えが曖昧で質問に答えないなどとして、野津純一氏の主治医への説明に問題があったと主張した。しかし誰であれ、睡眠薬を服薬した後では、明瞭な受け答えをすることは困難である。

重大な問題は、患者の受け答えが不明瞭であったとしても、主治医としては抗精神病薬(プロピタン)の中断及び抗うつ薬(パキシル)の突然の中断という大規模な処方変更を行った後では、慎重かつ持続的に経過観察を行う義務を有していたところにある。渡邊朋之医師が忙しくて夜間にしか診察できない状況にあったとしても、野津純一氏の詳細な経過観察を行う必要があったが、11月30日を最後にして医師が行った医療的事実が存在しないことが重大な事実である。(デイビース医師団)


【カ、日常の診察で「診療録に記載しない慣行」】
  精神科医師に事情聴衆をして「診療録に記載が無くても患者を見ることはよくあることだ(人証発言の12月3日は認められる)」という意見が原告側専門家の中にもある。

判決(P.121)の(別紙1 図面)では、アネックス棟の同じ3階に野津純一病室(222号室)と渡邊朋之医師の理事長室が配置され、野津純一氏は日常的にデイルームか喫煙室で長時間過ごし、渡邊医師が他病棟への移動やエレベータを使用する度に、野津純一氏の姿が眼に入っていた可能性が高い。このような遭遇も患者を見たとする事実になる。従って、12月3日及びその前後の数日の間にも渡邊朋之医師が野津純一氏を「見かけた事実」がある可能性までは否定できない。これは「診た」ではなく「見た」であり、統合失調症の治療を中断中だった野津純一氏に行うべき真っ当な医療ではない。


【キ、野津純一氏は人証で10日ぐらい面談はなかったと主張した】
  野津純一氏は、12月6日10時の看護記録で「先生にあえんのやけど、もう前から言ってるんやけど、咽の痛みと頭痛が続いとんや」と述べたと記録されており、この時の野津純一氏は「もう前から言ってる」と発言して、長期にわたり主治医の診察を受けられない不満を強く発した事実がある。更に、野津純一氏は平成22年1月25日(証拠調べ調書、P.4)に「10日ぐらい面談もなかった」と証言して、長期間の間「面談してない」と述べたが、精神障害者の発言とは言え、信憑性は高いと考えられる。渡邊朋之医師は野津純一氏の姿を散発的に見ていた可能性はあるが、それは野津純一の認識では「面談や診察では無かった」のである。そして、渡邊朋之医師が「医療判断をした記録」が11月30日を最後に一切存在しない事実は「経過観察が行われなかった事実」を確認する。

(7)、最後の面接日が12月3日から11月30日に変更される意味

1)、12月1日以降に定期的な診察を行った事実が無い
  判決(P.111)は「処方変更後の患者の状況につき情報収集、報告が継続されており渡邊朋之医師による診察も定期的になされていて」と事実認定した。しかし、主治医の渡邊朋之医師は12月1日以降に診察(面接や問診の表現を問わない)を行っていない。更には12月6日には診察を拒否した。渡邊医師は「6日の午後に診察を行うつもりだった」と主張したが、野津純一氏が在室中であったにもかかわらず「不在だった」と証言したなど、証言に信頼性がない。また、7日の午前中に診察する行動を起こしておらず、診察する気持ちがあったとは証明できない。渡邊医師は「野津純一氏を定期的に診察した」と主張できず、判決の事実誤認である。入院が必要な状態の患者の内服を中断して、外出指示変更や診察回数の増加が無いのは論外である。(C鑑定人)

判決(P.111)は「定期的」という言葉を使っているが、その「定期的」が一週間に一回(処方変更から事件まで13日であり、一回の診察に終わった)と言う意味であれば、定期的の意味を成さない。野津純一氏は11月23日に抗精神病薬(プロピタン)と抗うつ薬(パキシル)の突然中断の処方変更を受けており、主治医が行うべき「定期的」な診察は、適切な診療頻度を保った「定期的」でなければならない。本来、この時期には主治医は毎日でも診察して慎重に病状の変化を見守るべき状況であった。主治医は医師の裁量権を持ち出すが、医師の医学的総合判断は観察を前提として行われる行為である。(E鑑定人)


2)、12月1日以降の精神科医療行為の記録が無い
  判決(P.111)は、「12月3日以降も体が動くなどの症状を訴えたことが、被告病院の診療録や看護記録に記載されている」として、いわき病院の野津純一氏に対する医療事実として記載されているが、診療録の記載は存在しない。看護記録を以て「診療録」が意味する「医療行為があった事実」と認定したのであれば、医師法17条(非医師の医業禁止)違反である。渡邊朋之医師は12月1日以降には野津純一氏に対して精神科医療行為を行った証拠は無い。「12月3日以降も…診療録に記載されている」は誤り。

3)、プラセボテスト結果を渡邊医師は.確認していない
  プラセボテストを行うことに関して渡邊朋之医師は11月22日付け診療録に

 ムズムズ訴えがあり、一度、生食でプラセボ効果試す
    (3日間試す)   本人希望時 生食 無効なら アキネトン1Aを

と、記載した。これに基づいたプラセボテストの生理食塩水筋注の開始は12月1日(21:20)であり、2日の午後0時(半日後)の看護師の観察で「プラセボ効果あり」の看護記録の記載がある。しかし看護師は薬剤効果判定の法的有資格者ではない、本来プラセボテストは(3日間試す)筈であったが、渡邊医師は看護師の報告に基づいていかなる医療的判断も行った証明が無い。判決(P.110)は看護師の報告を渡邊朋之医師のプラセボ効果判断と認めた。(医師法第17条(非医師の医業禁止)、医師法第20条(無診察治療等の禁止)及び医師法第24条(診療録)違反の疑い)

4)、いわき病院が同一記録を11月30日と12月3日の2回使用した   いわき病院は第13準備書面(P.44)で、「12月3日に渡邊朋之医師の問診が行われており、「ムズムズ時 生食1ml 1x筋注とする」という記載があるが、渡邊朋之医師がこうした指示を行うに当たっては、前日に生理食塩水の筋注が奏功し、看護師によってプラセボ効果ありと評価されたことが念頭にあったものである」と主張したが、この問診記録は、同準備書面(P.3)で11月30日に変更した記録である。いわき病院は、あたかも12月3日に渡邊朋之医師が診察した記録であるかのように繰り返し主張しているが、同一の記録を11月30日と12月3日の2回に渡り使用することは「後出しじゃんけん」の 偽証である。

また、プラセボ(生理食塩水)の筋注を12月4日12時には野津純一氏が疑っており、A意見書I(P.22)が「その後の経過(12月3日は16:45と21:30)は、このプラセボ効果ありという評価が必ずしも適切でなかった可能性を示している」と認めた通り12月3日午後にはプラセボ効果が失われていたにもかかわらず、12月5日の21時まで漫然と看護師により生食筋注が継続投与されたことも、渡邊医師が野津純一氏の病状の変化(経過観察)に関心を持たなかった事実を確認するものである。

12月2日正午の「プラセボ効果あり」を記録したMS看護師は(見目麗しい)魅力的な女性であり、野津純一氏が11時に筋注を受けた後で引き続いて優しく語りかけてもらい「心躍った可能性」がある。野津純一氏は平成16年10月21日に男性看護師に襲いかかった後で医大のKN医師に対する恋心を語った事実がある。独身男性として自立が困難な野津純一氏は生活力があり魅力的な女性に構ってもらえると嬉しくて心を奪われる傾向が認められる。しかしながら、「(魅力的な)プラセボ効果」は長続きせず、看護師が代わり、同日の15時30分には早くもアカシジアで苦しめられて「プラセボ効果」は消滅した。いわき病院は「プラセボ効果あり」の一回限りの報告に過剰に頼るが、そもそも「プラセボ効果」の本質が生食であったか否か疑わしい。この時のMS看護師は「野津さんにドアの前で立たれて、二人で室内に閉じ込められる事を怖れていた」のであり、我が身を守るために切実な思いで愛嬌を振りまいた可能性がある。なお、MS看護師が11月23日以降の看護記録に登場したのは12月2日の11時と正午限りである。『「ああ、めちゃくちゃ良く効きました」筋注の効果あったと表情よく話す。』という記載は、MS看護師の注目を引きたい野津純一氏の慕情の現れである可能性もある。




   
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