WEB連載

出版物の案内

会社案内

いわき病院事件:地裁敗訴で控訴しました


平成25年5月14日
矢野啓司・矢野千恵


8、矢野真木人の立場から事件を展望する

矢野真木人は28才で死亡しました。誰にとっても死は避けられないことですが、長い教育期間を終了し、人生の門出に当たって、自らの責任によらない突然の死に至らしめられたことは、極めて残念です。

矢野真木人の死を「社会的現象」として見ると、日本の殺人事件で死者の1割を占める「精神障害者による殺人事件被害」です。日本では精神障害者による殺人事件は統計的に全国では3日に一人被害者が発生し、人口百万人当たり1年間に1人の殺人被害者が発生します。また人口あたりの殺人事件発生率は精神障害者が原因者の殺人事件発生率は健常者のほぼ10倍となります。そもそも、「殺人事件の発生は少ないので、社会としては重大な問題ではない」として無視して良いのでしょうか。

殺人被害者の立場から精神障害者による殺人事件の発生を見ると、悲しい現実が見えてきます。矢野真木人のような第三者の健常者が殺人事件の被害者になる場合、「世間を驚愕させる異常な事件」となる場合が多いようです。矢野真木人の場合は「白昼のショッピングセンター駐車場で突然発生した殺人事件」で、地域社会では市民生活の安全性に関して激震が走りました。ただこの種の事件の多くは、事件後の続報がありませんので、事件の真実や事後処理がどうなったか等を社会が知り、その問題点の改善に世論として参加する道は閉ざされます。

精神障害者による殺人事件被害者は「精神科医療関係者」、「入院中の他の精神障害者」および「精神障害者の家族」である場合がほとんどであるようで、これらの場合、事件の発生が世に伝わることはほとんどありません。野津純一氏の場合入院中に他の患者との交流が少なかったせいか、他患に対する暴行の報告はありませんが、精神医療関係者に対する暴行・暴行未遂は2件報告され、家族関係では詳細は不明ですが家庭内暴力の記録があり、更に通行人に襲いかかった事件がありました。精神障害者の周りには、直近の人間関係に中に「暴力と死の怖れ」という悲しい現実がつきまとっていた事になります。このような悲しい現実は避けられないものでしょうか。

矢野真木人は精神科開放医療による外出許可者による殺人事件被害でした。いわき病院に対する民事賠償責任裁判を提訴したことで、「精神障害者を犬のように鎖につなぐことになる」とか「閉鎖病棟に閉じ込める」要求であるかのようにいわき病院は反論しました。また、その反論が「当を得ている」として、矢野の主張は「日本の精神医療を破壊する」として「いわき病院だけの問題では無く一般的な精神科病院の問題」として反論を受けました。その反論に裁判官も同調したようです。

いわき病院と裁判を通して、いわき病院と渡邊朋之医師の主張の無理難題及び証言がころころ変わる信頼の無さに驚きました。精神科医療側から聞こえる「外出許可で外出させるから責任問題となる」それなら「(訓練のための)外出許可を止めて、即時退院させる」の意見を聞きましたが、自らの職責に誇りを持たない反応で落胆します。矢野真木人がそんな事で命を失い、このような事例が日本全国では時々報道される事件の背景にあるとしたら、極めて残念であると共に、社会的な課題があると指摘します。

いわき病院と渡邊朋之医師との法廷論争で判明したことは、いわき病院では「向精神薬の選定に問題があり、過剰投与の傾向がある」、「過剰投与がいけないとなると今度は突然あれもこれも中止する」、「患者の意思を尊重しない押しつけの医療を行う」「看護師が必ずしも患者の状況を適切に観察した看護を行っていない」「薬剤師が職務放棄していた」更には「患者の病状が悪化しても医師が迅速な診察と治療を行わない」などの事実があったことです。そして残念な事に、その野津純一氏に行われていたいわき病院の医療は、日本では珍しい事例では無さそうだ、という厳しい現実です。

矢野真木人が命を失った事実は回復不可能な損失です。しかし私たちは裁判を通して得られた経験を元にして、日本の精神科医療に改善の糸口を見出すことは可能であると考えています。いわき病院と渡邊朋之医師が特に劣悪な一事例であることを希望します。日本の精神医療にとって普遍性があり大切なことは精神科入院患者に対して、良質な医療を誠実に提供することです。そして、良質な医療の恩恵を受けて、社会参加を実現する精神障害者の数を増やしてゆくことであると考えます。

矢野は「日本の精神医療を破壊する」と批判を受けましたが、このA鑑定人の主張には、精神科医療関係者の立場から見れば「精神病院周辺の不慮の人命損耗(殺人と自殺)は珍しくない」という現実が背景にあると思われます。「珍しくもない事件で責任を追及されたり、場合によっては責任を取らされるようでは、日本の精神医療は成り立たない」という主張であるようです。また「精神科医療周辺の人命損耗は珍しくないので、精神科医は犯罪者として糾弾される可能性から身を守れない」という本音と怖れであるのかもしれません。判決はこの無為無策を代弁しております。

悲劇が発生した事実に有効な対策をとらず放置することは適切ではありません。今回の事件の裁判ではいわき病院側も矢野側も「英国の経験」を参考として持ちだした経緯があります。英国では精神障害者クルニスによるジト殺人事件をきっかけとして法制度の再整備と精神科医療倫理の確立が促進されました。日本でもそれは不可能では無いはずです。社会的な課題として精神障害者による殺人や、精神障害者自身の自殺などの問題に、有効な対策をとるべき時です。それは精神科医療関係者の責任を明確にする作業でもあり、被害者と精神科医療関係者の双方を守る事でもあります。

矢野真木人が人生を中断されて、社会で思う存分活動することを阻まれ、子孫を残す機会を奪われたことは、本人にとっても親にとっても、極めて残念です。精神科開放医療は不用意に市民の人生を損なうものであってはなりません。それを乗り越えてこそ社会の信頼があります。



   
上に戻る