いわき病院事件:地裁敗訴で控訴しました
7、いわき病院が行った法廷主張の問題
【1】、12月3日とその後の渡邊医師の診察
いわき病院にとって平成22年8月9日の人証で抗精神病薬(プロピタン)と抗うつ薬(パキシル)の2剤同時中断とアカシジア治療薬アキネトンを生理食塩水に代えた大規模な処方変更後の診察日を変更したことは重大な法廷戦略ミスであったと推察される。このため、いわき病院は12月3日にも診察した事実を作り上げることに腐心した。その努力の成果の一端がA鑑定意見書で「12月3日(土)の11時10分より早い時間における渡邊朋之医師の患者野津純一氏診察があった」という記載である。A鑑定人は、いわき病院から「12月3日付けの診療録記載の医療事実については期日の変更はない」と伝えられ、時間的な配置をA鑑定人が土曜日であることから誤解して11時10分より前に記述したものと推察される。その上で、いわき病院は第13準備書面で、冒頭で診察日の変更を宣言したが、本文中ではあたかも旧12月3日の診療録記録の医療が野津純一氏に行われたかのごとく記述して裁判官を錯誤に導いたものである。地裁は、記録が存在しないにもかかわらず根拠なくいわき病院に過失なしとしたが、裁判所の判断としては大きな問題である。
更に判決は、矢野とD鑑定人が「12月4日のプラセボテスト筋注を渡邊医師が自ら行ったと指摘した」と、矢野とD鑑定人が飛び上がって驚くほどの事実改変を行った。判決は12月3日と続く4日の両日に渡邊朋之医師が野津純一に対して診察を行ったと事実認定したが、重大な誤りである。
【2】、精神科医による精神障害者の危険予測
(1)、いわき病の主張
いわき病院第13準備書面に、以下の文章がある。
本件で問われていることの一つに、精神科医が精神障害者の危険性を予測することが可能か否かという命題がある。我が国では、1960年代〜1970年代に、刑法を改正し、犯罪に当たる行為を行った心神喪失者・心神耗弱者に対する保安処分を導入するか否かという論争が起こった。こうした論争は、短期間の予測は可能であるが、長期間の予測は不可能であるという国際的に見ると妥当とはいえない結論で終結し、それ以降、精神科医療の世界でも法律学の世界においても、精神障害者の危険性の予測について正面から議論すること自体が、事実上タブー視されるようになった。
いわき病院第13準備書面の意見は、「精神障害者の危険性予測」に関して「短期間の予測は可能であるが、長期間の予測は不可能であるという国際的に見ると妥当とはいえない結論で終結」と記述してある。いわき病院は「国際的に妥当な結論」に関して述べていないが、「可能」「不可能」で場合の条件は4種類であり、いわき病院が期待する「国際的に妥当な結論」は以下の、「 4)、」でなければならないことになる。「 2)、」であればいわき病院の主張と矛盾するし、「 3)、」はそもそもあり得ない設定である。即ち、いわき病院は精神障害者の危険性予測は「短期間」でも「長期間」でも「不可能」と主張した事になる。
国際的に妥当でない |
1)、短期間の予測 可能 |
長期間の予測 不可能 |
国際的に妥当 |
2)、短期間の予測 可能 |
長期間の予測 可能 |
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3)、短期間の予測 不可能 |
長期間の予測 可能 |
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4)、短期間の予測 不可能 |
長期間の予測 不可能 |
ところで、いわき病院は同第13準備書面で、「精神科医あるいは精神科医療に可能なことは、あくまでも患者の病状予測であり、病状予測に基づいて行われる治療的介入である」と述べた事実がある。被告弁護士の論理が「病状予測」は可能性があるが「危険性予測」は行えないと主張したのであれば、確かに国際的に見ると妥当ではない。しかし、統合失調症患者の場合、過去の行動履歴に基づいて病状予測を行う危険性の予測は可能である。
上記は「国際的に見ると妥当とは言えない」という言葉を用いたいわき病院の悪質な目眩まし戦術である。また、仮にいわき病院の論理が「1960年〜1970年代」に正しかったとしても、現時点(2005年)でも通用した論理として用いることは悪意である。更にいわき病院が『精神障害者の危険性予測は「短期間」でも「長期間」でも「不可能」』という認識で精神科開放医療を行っていたとしたら、「不可能」を根拠にしたことそのことが過失責任を証明する。そもそも統合失調症患者に対する向精神薬(抗精神病薬を含む)による薬物療法が発達した成果として精神障害者の病状を改善して開放医療を行うことが可能になったのである。その開放医療は短期間及び長期間の予測を元にしている。そして向精神薬の定期処方で長期間安定した精神の状態を維持する患者が退院して社会参加を行うことができるのである。
デイビース鑑定団の見解に基づけば「精神障害者の危険性予測」は国際的には「短期間の予測は可能」であり、「長期間の予測に関してもほとんどの場合可能になりつつある」現在(2005年時点)の精神医学の実態である。いわき病院は本法廷の議論を「1960年代〜1970年代」と事件発生時点(2005年12月)から45年から35年先祖がえりを行い精神衛生法の時代」の議論を持ちだしたのである。日本の精神障害者に関する法律は1987年7月から「精神保健法」に代わり、更に1995年7月から「精神保健及び精神障害者福祉に関する法律(精神保健福祉法)」に改められた。
いわき病院の論理の「十八番(おはこ)」は「事件発生時点の一般病院の一般的な医師の水準」であるが、その本質は「精神衛生法の時代の水準で判決せよ」と、時代に逆行(アナクロニズム)した特別の便宜を精神科医療の過失免責理由とすることを法廷に請求したものである。いわき病院の主張の本質は1960年代に我が国で急速に拡大した社会保安措置としての精神障害者の収容であり、その後、我が国が国際公約として法改正を繰り返して対応してきた精神科開放医療の政策に本質的に逆行する主張である。危険性の予測可能性に関しては程度問題がつきまとうが、精神科医療で診察してその後の治療法を考えること自体が、患者の精神状態の変化に伴う行動予測できることを前提としたものであるはずである。いわき病院が、患者の予測ができないと考えていること自体、「1960年代の患者閉じ込め型」の精神科医療の考えに染まっていることを証明する。
(2)、A鑑定人の見解
いわき病院の、時代背景と精神医療の発展を阻害する意見に関連して、いわき病院提出のA氏論文(2002年8月掲載)「触法精神障害者の処遇と我が国における司法精神医学の課題」には以下の通りの記述がある。
もちろん未来の予測には常に限界があり、特に種々の要因が複雑に影響する人間の行動については、リスク・アセスメントの手法がいかに進歩しようとも100%正解な予測を行うことは不可能である。予測すべき期間が長期間にわたればわたるほど予測の的中率が下がることも自明の理である。しかし、今現在であるとか、1日、あるいは次の外来日までといった比較的短期間の病状予測は日常臨床でも行われており、多くの場合、それは成功している。そして、刑事責任能力の減免を要するような精神状態で行われる触法行為の多くが精神症状と密接に関連していることを考えれば、比較的短期間のリスク・アセスメントを綿密に行っていくこと、そして適時適切な治療的介入を行っていくことによって、リスク・マネジメントを行うことは可能なのである。
A鑑定人は「100%正確な予測を行うことは不可能」と述べているが、精神科医療のみならず全て医療は医学的知見(エビデンス)に基づいた統計的な蓋然性に基づいて行われるものであり「100%正確な予測」は本来あり得ない。社会が容認する「合理的な蓋然性」があれば、予測可能という結論になる。社会は医療に「100%の正確性」を求めないからこそ、医師の裁量権が幅広く認められるのである。A鑑定人の「100%予測できない」を、いわき病院はわざわざそのことを言い立てて、「100%予測できるかのように矢野は無理を主張している」と裁判官に誤解を与える意図を持った証拠資料の提出である。
しかし本件では、いわき病院は、平成17年12月の犯行当時には全く野津純一氏の診断をしなかったことが問題である。他害行為の危険性が50%でも、5%でもわかれば、通常の医師ならば、何らかの手を打った筈である。また、野津純一氏を適宜適切に診療したならばそのことが野津純一氏に安心感を与えて自傷他害に及ばなかった可能性は大きいと考えられる。入院が必要な状態の患者の内服を中断して、外出指示変更や診察回数の増加が無いのは論外である(C鑑定人)。
A鑑定人は論文(2002年8月掲載)で「今現在であるとか、1日、あるいは次の外来日までといった比較的短期間の病状予測は日常臨床でも行われており、多くの場合、それは成功している」と述べた。矢野がいわき病院に期待している精神科開放医療はこれをいわき病院の現実とし、日本の精神科開放医療の今日(2005年当時と2013年の現在で質的な変化はない)の一般病院の一般的な医師の精神科医療の現実とすることである。
(3)、いわき病院の「今現在、1日」の予測は成功する
いわき病院推薦のA鑑定人が事件の3年4ヶ月前に「今現在であるとか、1日、あるいは次の外来日」と記述したことは重要である。いわき病院は「短期間の予測すら不可能」と古い論争を持ちだして主張したが、事件発生当時を含む今日では「今現在」または「1日」の「病状予測は日常臨床でも行われており、多くの場合、それは成功している」とA鑑定人(2002年8月掲載)は結論づけた。野津純一氏は入院患者である。矢野は平成17年(2005年)11月23日から12月6日までの二週間以内の期間の、いわき病院と渡邊朋之医師の、野津純一氏に対する経過観察と病状変化の実態把握を問題にしている。野津純一氏のように「入院中で統合失調症治療中断等の重大な処方変更があった場合」には、主治医の渡邊朋之医師は「今現在であるとか1日」の慎重かつ頻繁な病状変化と精神状態の変化を観察する義務がある。またそれを行っておれば「野津純一氏による矢野真木人殺人事件」の発生を未然に防ぐことができる高度の蓋然性があった。
事件発生は平成17年12月6日であるが、渡邊朋之医師は11月30日の夜間一回しか診察していない。しかも眠剤を服用した入院患者野津純一氏を診察して、野津純一氏と会話が成立していなかったのであり、観察が不十分である。渡邊朋之医師は、抗精神病薬(プロピタン)を中断して統合失調症の治療を行っていない状態の野津純一氏に、抗うつ薬(パキシル)の危険情報を無視して突然中断し、12月1日からはプラセボテストを実行した。プラセボテストは「3日間試す」としていたものであり12月4日には主治医が自ら診察して「効果判断」をするべきであった。そもそも、抗精神病薬を中断した患者に対して主治医は適宜適切(=重大な処方中止後は頻繁な)経過観察を行う義務があったにもかかわらず、2週間で一回しか診察を行っていない、また、慢性統合失調症の患者から抗精神病薬の投薬を停止したにもかかわらず病状の変化を観察した医療記録を一回しか残していない。
渡邊朋之医師が事件当日の朝に野津純一氏の診察要請に応えていたならば、野津純一氏の病状は「今現在」の状態であり、また12月4日から5日の間に診察しておれば「1日」の範囲内の予測となり、A鑑定人に基づけば「病状予測は多くの場合成功している」のである。ましてや、渡邊朋之医師は、プロピタンとパキシルを中断して、その上で、プラセボテストを行っていたのであり、「危険予測」を心に置いて慎重な患者観察を行うべき状況であった。
判決はプラセボ筋注の時間には医師が患者観察を行ったとの判断であるが、看護師が行ったプラセボ筋注は生食1mlである。しかるに医師がサイン(押印)した生食アンプルは20mlであり、1ml筋注ではない。事後のレセプト処理であり、患者観察ではない。また患者観察の記録が存在しない。いわき病院は処方変更後でプラセボテスト中の患者野津純一氏の医師による経過観察を行っていない。行っておれば、A鑑定人が述べたとおり、野津純一氏に亢進しつつあった他害行為の危険性を診断することが可能であった。特に、野津純一氏は事件の数日前から根性焼きを自傷していたのであり、「顔面の観察」という医療行為の基本が行われてさえいれば、野津純一に発生しつつあった「根性焼きでも治まらないイライラを転化した危険行為」の兆候を確認できていた。
(4)、一般的な精神科病院における医学的診察や看護の水準
A鑑定意見Iは「純一の起こした他害行為は、一般的な精神科病院における医学的診察や看護の水準で、察知することは不可能な種類の精神症状の変化に基づくものであると考えられる」と結論を記載した。
ところで、A鑑定意見Iの時点では、A鑑定人は「パキシル突然中断」の問題を承知せず、更に、2剤同時中断の問題は、A鑑定意見書I、II、IIIは検討していない。また、野津純一氏が根性焼き顔面に自傷した根性焼きは鑑定事項の対象外として精神医学的評価を行っていない。従って、向精神薬処方の側面から見ても、A鑑定意見Iの見解は錯誤である。その上で、A鑑定人は一般的な精神科病院における医学的診察や看護の水準でと述べているが、いわき病院では「チーム医療が機能しておらず」また「記録が無いのでわからない」と書いてあるが、まさか「主治医が患者を適宜診察する経過観察を行わない」状態とは執筆前には考えもしなかった筈である。
いわき病院は「一般的な精神科病院における医学的診察や看護の水準」に適合する精神科医療を野津純一氏に対して行っていない。主治医の渡邊朋之医師は、医師と患者の人間関係を損なうとして患者の過去履歴特に暴行履歴を調査確認しない医師であり、更には、薬剤添付文書に記載された処方薬の【重要な基本的注意】を読まない医師であり、統合失調症の患者に抗精神病薬を中断しても経過観察を行わない医師であり、自ら記載したプラセボテストの期限が来ても診察と評価を行わない医師であり、更に、看護師等の医療スタッフに重大な処方変更を周知せずチーム医療を機能させない医師である。「一般的な精神科病院における医学的診察や看護の水準に適合」する筈がないのである。即ち、A鑑定意見Iは失当である。
(5)、精神科開放医療と日本の精神医療を破壊
A意見書Iは「イギリスにみられる、精神障害者による不幸な事件についてその発生原因を究明し、また法制度や精神医療体制の見直しを行っていこうとする姿勢は、我が国においても大いに見習うべきであろう」と述べている。矢野は矢野真木人殺人事件の後で、日本の精神医学会がその原因究明に無関心である事実を知った上でこの裁判を提訴した。この裁判は、示談に持ち込まれてもみ消されてはならず、法廷で必ず原因究明を行う為にはそれ相応の賠償請求金額を請求することは必要と考えた。(4億3000万円の請求は、矢野真木人が失った人生の価値の一部で、法廷論争に持ち込むための最低の水準と考えた。)更に、加害者側の野津純一氏と両親の野津夫妻の裁判参加も必要であると考えた。なお、私たち矢野は仮に勝訴して賠償金を取得する場合には精神科医療の改善の促進を目的として有意義に活用する所存である。
A鑑定人は、更に「イギリスでは、この事件(クルニスによるジト殺人事件)に限らず精神科医療に関して世間の耳目を集めるような事件が起こるたびに同様の査問委員会が設置され、その報告書が公刊される。患者や関係者のプライバシー保護の問題はあるにせよ、こうした情報の公開は、良識ある市民がそれぞれの立場で事件について考え、議論するための資料を提供しているといえよう。世論の広範な関心と開かれた議論はよりよい精神科医療体制を築いていくためには必要不可欠である。そしてこうした議論を行うことこそ、精神科医療への不信感や精神障害者への偏見を解消していくために必要とされていることではなかろうか」と述べた。
矢野は日本の精神科医療が自らの努力により理性により自発的に改革して発展することを心から望んでいる。しかしながら、矢野真木人が殺人された後で聞こえてきた言葉は「精神障害者は心神喪失で無罪が当然なので、原因究明をしてはならない」、「外出許可者が行う殺人の問題は、素人が議論するのではなく、精神医学会に任せなさい」、「しかし、その問題は、未だ専門家が議論する段階ではない」、更に「そもそも、一般市民の殺人事例は少ないので、問題にならない」などと言われてきた。このため、重大な決意を持ってこの裁判に臨んでいる。現実問題として、精神科医療に素人であった人間が勉強して真実に迫るには膨大な時間と労力及び経費が必要である。また多数の専門家から助言を得ることも必要になる。矢野が経験した裁判に費やした努力と経費は「一般的な家族」が行い得るものではない。このような事を民事法廷の場で悲嘆に暮れる被害者遺族が個人の努力で行わなければならない日本の制度には問題がある。A鑑定人が報告した英国の査問委員会のような機関が中立的な立場で調査を行うシステムが我が国にも必要である。
いわき病院の精神科医療水準が、2005年当時であれ現在であれ、「一般的な精神科病院における医学的診察や看護の水準に適合」していたと仮定する。それは「本件裁判が日本の精神医療を破壊する」と一般化していわき病院を弁護したA教授が述べた事から推測される一般化された現実でもある。しかし、日本の「一般的な精神科病院」の実態が、いわき病院と同一であるならば、日本の精神医療は再構築される必然性がある。いわき病院の精神科開放医療は「任意入院の開放処遇」を理由とした「患者ほったらかし」の実態であった。それでは入院治療を受ける意味がない。刑事裁判のT鑑定医も「いわき病院に入院結果、病状増悪?」と3回も記載したほどである。その状態が日本の「一般的な精神科病院における医学的診察や看護の水準に適合」しているのであれば、日本の精神科医療は再構築される必然性があり、それが日本の精神科医療が発展する鍵となると確信する。
いわき病院が、著しく不適切で不十分な(治療?=ほったらかし)であったことは、刑事裁判鑑定人のT医師が認めていることである。「開放医療=ほったらかしではいけない」が、本件を控訴する理由でもある。「ほったらかし」医療に過失責任を問わなければ日本の精神科医療は「ほったらかし」に低位平準化する。それこそ日本の精神医療の破壊である。日本の精神医療を破壊させてはならない。
【3】、いわき病院のお手つき主張の隠蔽
いわき病院は法廷審議で数々のお手つき主張を行った事実があるが、いわき病院の最終意見書である第13準備書面(平成24年12月21日付)で、敢えて触れない(書かない)という手段で、その隠蔽を謀った。
(1)、高度の蓋然性
いわき病院は第11準備書面で高度の蓋然性の主張を行ったが、野津純一氏に対する外出許可と矢野真木人殺人の直接因果関係を証明するには、外出許可者の80%から90%が殺人するという「高度の蓋然性」を矢野に証明する事を求めた。この「80〜90%が殺人するという数値」が現実のものであれば、精神科開放医療で外出する患者のほとんどが殺人事件を引き起こす数値である。仮に10%の外出許可者が殺人を実行しても社会は震撼する、非現実的な数字である。問題はこのような要求を堂々と裁判文書に記載した事実である。いわき病院は弁論文書を作成中に、その異常で、人命無視の論理に気付かず、矢野から指摘されて始めて、人権無視の請求をした事実を認識させられたことになる。これは日本国憲法の原則である「基本的人権」を踏みにじる請求である。
(2)、一般の精神病院という論理(大学病院の医師を無視)
いわき病院には「一般病院」と「一般の医師」の弁明は病院側を勝訴に導く鍵の論理であると思われる。このため、弁論の根拠に窮すれば「いわき病院は一般の病院」また「渡邊朋之医師は一般の医師」と弁明し、更に「現時点と2005年12月の医療水準は異なる」という、何が「過失責任を問うことができない一般」で、また「何が過失責任を免除する精神科医療の進歩」かまで述べない目眩ましの弁明を行った。
ところで、いわき病院は「渡邊朋之医師は大学病院の医師でもない一般の医師」として渡邊朋之医師に過失責任を問うことができない根拠としていたがこの点に関しては第13準備書面とA意見書IIIは黙ってしまい、ただ「一般の医師」には過失責任を問えないと主張した。渡邊朋之医師は国立香川大学医学部付属病院精神科外来担当医師を兼任していた事実がある。その事実を指摘されると、弁明もせずに黙ってしまい、それで、判決の論理には何も影響させないのは判決の間違いである。「大学病院の医師なのだから当時でも知っていて当然」と判決するべきである。いわき病院の「ほったらかし医療」が渡邊朋之医師に限定されたものであれば、問題は「日本の精神医療を破壊する」ところまで発展しない。単独の医師と一病院の不始末で終わったはずである。また、A意見の論理は、「大学病院=最先端知識に接する=過失あり、一般病院=レベル低い=過失なしであり、研究熱心な医師=過失あり、怠慢な医師=過失なしという論理」となり、医療の健全な発展を阻害する。医師には、常に新しい情報や技術を取り入れる義務=民法の善良な管理者の注意義務がある。
いわき病院の主張は医療の怠慢を黙認することである。また「裁判期間のわずか6年の間に精神科医療が飛躍的に進歩した」従って「現在では不適切な医療であったとしても当時の一般医療の「水準では過失責任を問うべきでない」という現実が伴わない非論理の目眩ましである。それに眼を眩まされた裁判官も情けない。
いわき病院と渡邊朋之医師が野津純一氏に行った医療は、驚くほどの患者無視の医療を、任意入院と精神科開放医療を大義名分にした「ほったらかし」であった。このような医療を放置することは公序良俗に著しく反している。またそれが日本の「一般的な精神科病院」と「一般的な精神科医師」の実態であるとするならば、問題は重大である。地裁判決が「事情判断」という行政判断を行ったことは、我が国の精神科医療及び精神科開放医療の展望を考える上で、極めて見識を欠いた判決である。
【4】、いわき病院の目眩まし戦術
「日本の精神医療を破壊する」という主張は恫喝である。矢野と野津夫妻の主張が通れば「日本の精神医療は破壊される」と主張されれば、裁判官は行政的配慮として「精神科病院の存続」を基軸においた判断をせざるを得なくなる。そして裁判官は「日本の精神医療の存続=原告敗訴」を命題として、判決を行ったものと推察される。
いわき病院と渡邊朋之医師が野津純一氏に行った精神科医療は、慢性統合失調症の患者野津純一氏に対して治療薬の抗精神病薬(プロピタン)を平成17年11月23日から中断して統合失調症の治療を行わない状況で、野津純一氏の精神の状態が不安定化するに任せた。また同日から、突然の中断による危険性が薬剤添付文書記載されかつ厚生労働省医薬食品局監修・医薬品安全対策情報(平成15年8月12日指示分)にも記載されているにもかかわらず、その危険情報を無視して抗うつ薬(パキシル)を突然中断した。これは「著しく不適切不十分な医療」である。その上で、抗精神病薬(プロピタン)の副作用であるアカシジア治療薬のアキネトンを生理食塩水に代えるプラセボテストを12月1日から開始したが、プラセボテスト期間中に主治医は一度も医療記録や医療判断を記録した患者野津純一の診察を行っていない。そもそも、11月23日以後に主治医は医療記録を残した診察を11月30日の夜間に一回睡眠薬を服用した野津純一氏に対して行ったのみである。これは「医師の検査、治療等が医療行為の名に値しないような例外的な場合」に相当する。患者野津純一氏はいわき病院で渡邊朋之医師の下で、統合失調症を治療されない状態で「ほったらかし」にされていた。このような医療に過失責任を免責した地裁判決は不当である。
いわき病院は12月3日の診察を、診療録の記録を12月3日から11月30日に変更したにもかかわらず、しつこく、(旧)12月3日付けの医療記録があたかも診察日を変更した後でも、12月3日の記録として有効であるかのごとくいわき病院第13準備書面に記載したが、これは詐欺的行為である。12月3日には渡邊朋之医師が記載した医療記録は存在しない。判決(別紙2,P.128)の通りである。
いわき病院は裁判当初から国際法律家委員会報告や、国連決議を持ちだして、いわき病院の精神科開放医療は日本の国際公約に則したものであると主張したが、その実態は、国際社会が求める精神障害者の人権尊重と、インフォームドコンセントの励行からかけ離れた野津純一氏の意思を無視した医療であった。さらに、パレンスパトリエとポリスパワーという用語を持ちだして、「パレンスパトリエに従うべき」という空虚な論理を振り回したが「パレンスパトリエが本来求める医師の責任感」を無視して「無責任な医師の裁量権」を振り回した。更にいわき病院は「統合失調症患治療ハンドブック」などの医学的資料を持ちだしたが、いわき病院の医療はいわき病院が提出した資料からも逸脱していた。しかしながらこれらの「目眩まし的」で膨大な資料を裁判官が冷厳な眼で読みこなしていたとは言えない。むしろ、資料が提出されたから、いわき病院と渡邊朋之医師の精神科医療は正しいとする証拠が与えられたとして内容確認を疎かにしたまま事実を確認しない判決を行うところに追い込まれたと推察される。裁判官は、いわき病院が行った情報の物量作戦の前に判断能力の過剰に追い込まれた可能性が極めて高い。しかしそれは判決の間違い以外の何物でもない。
いわき病院の戦術の基本は「一般病院の一般の医師」及び「2005年12月の事件当時と、判決時(2012年)の精神医療の水準は大きく異なる」である。これらの主張には何も定義はない。また精神医療の何が進歩したか、説明を行っていない。それでも、この論理を提示されると裁判官は判断不能に陥った。本件で最も大切な判断基準は、精神科開放医療で必要とされる精神科医療が適切に野津純一氏に対して行われたか否かである。裁判官は野津純一氏がほったらかしの状態であった事実にさえ気付かなかったと推察される。もしくは、事実に気付いても、「日本の精神医療を破壊する」という主張の前に、事実を黙殺する判決を行ったと推察される。しかし、事実から乖離した判断からは、「健全な日本の精神医療の発展を促進」して精神障害者の社会参加を促進する未来は育たない。この種の単視眼的な行政的配慮に基づく事情判決は健全な社会を守る本来の義務から逸脱している。
【5】、著しく不適切ないわき病院の精神医療行為
平成17年12月8日最高裁判決(いわき病院は11準備書面及び第12準備書面に引用)の補足意見で島田裁判官と才口裁判官は、過失が認定される要件として次の指摘を行った。
(1)、「(医師の医療行為が)著しく不適切不十分な場合」
(平成17年最一判平成17年12月8日判決の島田裁判官の補足意見)
(2)、「医師の検査、治療等が医療行為の名に値しないような例外的な場合」
(同判決の才口裁判官の補足意見)
いわき病院と被告渡邊朋之医師が被告純一に対して行った医療は、医療知識の錯誤、重大な医療情報を収集し医療体制を整える上の怠慢、治療と看護における不作為、患者を診察し診断する上の無視(ネグレクト)などを繰り返し行っており、「著しく不適切不十分な精神医療」及び「医師の検査、治療等が医療行為の名に値しないような例外的な場合」に該当する。
- 任意入院を理由として患者の治療に責任感を持たない精神科医療
- 患者の放火暴行履歴に関心を持たず患者に過去歴を質問しない精神科医療
- 統合失調症の患者に自傷他害の可能性を全否定する精神科臨床医療
- リスクアセスメントもリスクマネジメントも行わない精神科開放医療
- 処方薬の添付文書に記載された「危険情報」を読まずに薬事処方を行う医療
- 統合失調症の患者に「抗精神病薬を中断して治療を中断」し、経過観察を行わない精神科医療
- プラセボ投与を行って、予め自ら設定した期日に状況確認診断を行わない医療
- 重大な危険情報が知られているパキシルを突然中断後に経過観察を行わない医療
- 危険を伴う重大な処方変更を行った事実と注意事項を看護スタッフに周知しない医療
- 患者が顔面に自傷した火傷傷(根性焼き)を発見しない看護と医療の怠慢
- 重大な処方変更後に主治医が経過観察と診察を行わず診察要請を拒否した医療
- 自由放任かさもなければ措置入院という論理で、患者の毎日の状況変化を観察せずに外出許可を与える精神科医療
- 「外出許可を出した患者の10人中8人から9人が殺人するので無ければ外出許可を出した病院に責任は問われない」という生命無視の論理で行われた精神科開放医療
いわき病院は医師免許を持つ精神保健指定医が治療を行い、有資格者の医療・看護スタッフが病院設置基準を満たして、精神科医療を行っているのであれば過失責任を問うことはできないという論理である。「精神科開放医療」が成立する前提は「適切な医療」である。適切な医療とは、「必要に応じて提供される医療サービスが構造化されること」であり、そこでは機能的に作動するチーム医療が存在しなければならない。いわき病院の精神科医療は各専門職の「分立分業」であることは明白で、チーム医療として専門職種間で情報を共有する(した)という痕跡が存在しない。いわき病院では医療者としてのモラルを疑うほどの、無責任な精神医療が実行されていた。いわき病院と被告渡邊は真面目で誠実な医療活動を行っていない。過失責任は、形式を満たしたかではなく、医療現場の事実に基づいて確定されなければならない。
抗精神病薬の中断、抗うつ薬パキシルの突然の中断、及びアキネトンを中断したプラセボ試験を、危険情報を十分に検討することなく同時に行ったことは、医学的論理性を無視した極めて危険な医療行為であり、著しく不十分な医療行為に該当する。
精神障害者に対する薬物療法の重要なスタッフである薬剤師の協力がない状況で抗精神病薬と抗うつ薬に関連して大規模な処方変更を行った事実を、医療・看護スタッフに周知せず、また看護・観察の要点を指示せず、主治医が看護師の一般的な情報に頼り医師が診察せず、必要な治療的介入を行わなかったことは、医療の名に値しない例外的な医療行為に該当する。このような無責任な精神科開放医療は過失責任が問われる必然性がある。
【6】、いわき病院は建前だけでほったらかし
いわき病院は「精神科開放医療は日本の国際公約である」と主張し続けた。しかし、開放医療の趣旨は良いが、いわき病院の現実はあまりにお粗末である。患者野津純一氏に行われた重大な治療変更を行った事実を主治医の渡邊朋之医師は第2病棟の医療スタッフに周知するチーム医療を行わず、診療記録も適確に残していない。
いわき病院には「医師法などで、規定されていることは全てやっている、記録もある、処方の違いは、医師の裁量になる」という理屈で反論できるに値する証拠や記録が無い。ところが、近年の社会の傾向は、透明性と公明性が重視されるように転換している。このため、記録保持に関して、内部監査や外部からの監査でも「正確に記録されているかどうか」が重視されている。記録の改ざんや、記録がないことは、犯罪行為にもなることである。いわき病院は人証という場を使って記録が無い12月3日の診療を作り上げた。これは認証制度を巧みに使った「後出しじゃんけん」行為である。渡邊朋之医師の論理は、医師の善良な管理者の態度から外れるものであり、厳しく糾弾されるべきである。
いわき病院と渡邊朋之医師が推進した「精神科開放医療」は建前と実態が乖離しており、言うことは立派だが、内容がついて行かない現実で、「精神科開放医療」という「ほったらかし医療」であった。野津純一氏は任意入院で開放医療を受けていることを理由にして、精神疾患の治療を受けていない状況に置かれていた。そして、いわき病院の保護を受けないままで殺人犯罪を行う結末に至ったのである。
本裁判は、「精神科開放医療を否定する訴訟」ではない。いわき病院が精神科開放医療を担うに値する医療を行っていたかを問題にしている。いわき病院は精神科開放医療を地域に根付かせるために、精神医療の開放化が持つ不可避のリスクをできる限り軽減しようとする意識を持ち、努力していたのかが問題である。
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