いわき病院事件:地裁敗訴で控訴しました
4、被害者と加害者が訴えた理由と病院の過失
【1】、被害者側と加害者側の協力関係
(1)、野津夫妻に対する協力提案
矢野は平成18年6月23日に高松地方裁判所に提訴する前から、野津夫妻に「いわき病院に対する民事裁判では、共同原告として協力関係を築きたい」と申し入れていた。矢野の訴状では被告の中に野津純一氏を指定していたため、本来的に協力関係を持つことには矛盾があった。しかしこれは矢野元代理人が矢野の要請に基づかず、手続論を主張して野津純一氏を被告に加えたものである。矢野はその後の経過を踏まえて代理人を変更し、更に高松高等裁判所控訴では野津純一氏を被告から外した。矢野と野津夫妻の法廷協力関係は、地裁判決まで、矢野が地裁に提訴してから6年9ヶ月、また野津夫妻が地裁に提訴してから4年4ヶ月維持されてきた。更に、高裁控訴でも維持されている。
矢野が野津夫妻に法廷における協力関係の構築と維持を提案することを考えた理由の背景の状況は以下の通りである。
- いわき病院に統合失調症で入院していた野津純一氏は渡邊朋之医師の一方的指示で事件当時統合失調症の治療中断中だった。
- 野津純一氏はいわき病院に任意入院で開放処遇を受けており、その環境下で、適切な治療を受けて、病状が改善することを期待していた。
- 野津夫妻はいわき病院と渡邊朋之医師を信頼して、息子野津純一氏の入院治療を委託しており、息子純一が異常行動を行うような医療が行われる事は望まなかった。
- 野津夫妻は両親として、また野津純一氏は本人として、いわき病院の精神科治療が適切に行われるよう協力する姿勢であり、野津純一氏の生育歴や放火暴行履歴などの情報を、本人の不利な情報を含めて、自主的に提供してきた。
- 野津純一氏は事件の1週間前から主治医渡邊朋之医師の診察を希望していたが、その希望がかなえられず、事件当日にも診察拒否されていた。
- 野津純一氏は平成17年12月6日の12時25分頃その直前にショッピングセンターで購入した文化包丁を使って刺殺した。
- 野津純一氏は事件翌日の14時頃に再び外出して、外出中に警察に身柄拘束されたが、着用していた衣服は前日に殺人事件を起こした時と同一で返り血が付着していた。
- 野津純一氏は12月7日に警察に身柄拘束された時に顔面左頬に複数の火傷キズ(根性焼き)が確認されたが、これらの瘢痕は前日6日の犯行前にレジ係が目視しており、犯行後にいわき病院内で母親も気付いていた。しかし、いわき病院は根性焼きを野津純一氏がいわき病院内で自傷した事実を執拗に否定した。
- 上述の状況から、いわき病院は顔面の傷を発見しないほど医療が杜撰で、野津純一氏がいわき病院と渡邊朋之医師から適切な治療を受けていなかった可能性が強く疑われた。
- 更に、いわき病院と渡邊朋之医師は正直に事実関係を語っていないと推察された。
(2)、矢野と野津が協力できる理由
矢野は矢野真木人が死亡するに至った直接的な原因者は野津純一氏であるものの、本当の原因と理由はいわき病院と主治医渡邊朋之医師の精神科医療の過失にあると確信した。そして、野津夫妻に対して民事訴訟で協力関係を構築する提案を行った。その際に説明した、本件で事件の加害者側と被害者側が協力関係を構築できる理由は以下の通りである。
- 野津純一氏が矢野真木人を通り魔殺人した事実は間違いない。
しかし
- 野津純一氏はいわき病院から適切な精神科医療を受ける権利を有していた。
- 野津純一氏はいわき病院の医療不始末により殺人事件の加害者となった。
- いわき病院と渡邊朋之医師は、野津純一氏の観察を適切に行わず、野津純一氏の他害行動を未然に防止することができず、過失があると推定された。
その上で
- 矢野真木人は殺人事件の被害者となった不特定多数の市民の一人であり、市民生活の安全と言う視点から、いわき病院と渡邊朋之医師の責任を追及する権利がある。
また、事件の本質は、精神障害者野津純一氏の責任と言うよりは、精神科医療機関いわき病院と精神科医師渡邊朋之医師の問題として追及して、原因を解明することが、社会の発展に貢献することになる。
- 精神障害者野津純一氏は精神科開放医療により社会生活を享受する権利があり、裁判を通して、精神障害者が社会復帰することを促進する精神科医療が日本に定着することが期待できる。
- いわき病院と渡邊朋之医師が行った医療は、決して精神障害者野津純一氏の回復を促進する精神科医療ではなかった。むしろ怠慢や錯誤があり、安易で、精神障害者の人権を尊重したものではなかった。
(3)、協力関係を維持して期待する成果
矢野と野津夫妻は殺人事件の被害者側と加害者側であり、本来壊れやすい事実を前提としており、長期間に渡り協力関係を維持することは至難であった。矢野元代理人は矢野が野津夫妻に直接呼びかけたことに不快感を持っていたと観察された。また野津代理人が交代するに至ったことも、協力関係を維持する上で不安材料であった。しかし、この協力関係の困難を乗り越えて維持できたことに、矢野は野津夫妻に感謝している。そして、私ども双方の原告は裁判を行った結果として以下を期待している。
- 良質な精神科医療を全ての精神障害者に実現する。
- 精神科開放医療を促進して可能な限り多数の精神障害者の社会復帰を促進する。
- 精神科医療に対する市民の信頼を向上し、合わせて、市民生活の安全を確保する。
- 日本の精神医療の発展を期待し、裁判がそれを実現するきっかけとなる事を望む。
矢野はいわき病院と渡邊朋之医師に精神障害者の社会参加に資する良質な精神科開放医療を求めている。統合失調症患者野津純一氏にとって、渡邊朋之医師から「薬を整理しましょう」と言われただけで説明と同意もなく治療薬の向精神薬(プロピタン)を中断された上に、抗うつ薬(パキシル)を突然中断された後で、体調の変化を主治医に訴えようとして診察を求めても診察してもらえなかった状況は悲劇である。そのような無責任な精神科医療は是正されなければならない。野津純一氏は矢野真木人と共にいわき病院と渡邊朋之医師の無責任な医療の被害者である。
【2】、いわき病院の過失責任
(1)、不満足な医療に晒された精神障害者の象徴としての野津純一氏
本件裁判で、野津純一氏及び代理人としての両親は、任意入院して精神科開放医療を受けていた精神科病院から適切な医療を受ける事ができず、病状悪化の原因が病院と医師の不適切な医療と看護にあった上に、病状悪化後も十分な経過観察と治療的介入が行われず、患者の権利である医療的保護を受けることができなかった精神医療患者の象徴として、いわき病院の不適切な医療に過失責任を問うものである。
(2)、理不尽に命を奪われた市民の象徴としての矢野真木人
矢野真木人及び代理人としての両親は、精神科開放医療の発達を願い、可能な限り多数の精神障害者の社会参加の促進を願いかつ、一般市民として、社会生活の安全を願う者の象徴である。死亡させられた直接の原因がいわき病院と渡邊朋之医師の平成17年11月23日から実行された大規模な処方変更とその後の継続的な経過観察の不在と、医療と看護の怠慢と不作為が野津純一氏を適切に精神医療的に保護せず、事件の発生を未然に防止できなかった原因であり、その責任を問う権利を有する。
(3)、直接因果関係
いわき病院は第11準備書面で「いわき病院の医療と矢野真木人殺人事件の発生には直接因果関係は存在しない」と主張した。そして「統合失調症の診断から始まる診断に関連した過失は無い」、また「薬の処方に関した過失は無い」とした。判決も「過失責任を認定するほど重大な間違いではない」、「抗精神病薬(プロピタン)と抗うつ薬(パキシル)を同時突然中断した問題に過失責任を問うのは理想であり、理想は法的責任の根拠にならない」との立場である。
いわき病院の弁明の中心は、野津純一氏が平成16年10月にいわき病院に入院してから平成18年11月22日までの大規模な処方変更を行う前の状況を根拠にしており、殺人事件の発生に至らない時期の医療に多少の問題があったとしても、過失責任を問えないとしたものである。矢野は「11月23日が事件発生に至った重大な転換点」であり、それ以前のいわき病院の医療と看護に決定的な過失責任を追及する理由を見つけることは困難であると考えている。しかし、11月22日以前のいわき病院の医療と看護には、過失を問えるまでには至らないが、重大な過失に至る伏線はあったのである。判決が11月22日以前の状況を根拠にして過失責任を否定することは不適当である。
いわき病院の平成17年11月23日以降の医療で過失を導いた重大な問題は放火暴行履歴がある慢性統合失調症患者である野津純一氏に「抗精神病薬(プロピタン)を中断して統合失調症の治療を行わない状況にした事に加えて、危険情報が周知されていた抗うつ薬(パキシル)を突然中断した問題」である。その上で、いわき病院は主治医の渡邊朋之医師が大規模な処方変更後に11月30日夜の1回しか診察をしておらず、主治医自らが重大な時期にあった患者の状態を診察して観察した記録が存在せず、経過観察を行った事実が存在しない。そもそも、医師が診察をせず経過観察を行わなければ、患者の正確な病状を把握することができず、仮に重大な状況に陥っていたとしても治療的介入を行えない。2剤同時の処方中止とその後の経過観察の不在が、直接因果関係を構成する重大な過失である。主治医は入院が必要な状態の患者の内服を中断して、外出指示変更や診察回数の増加を行っておらず、正当性を欠いた論外の精神科医療である。
いわき病院は、多種の職種の職員を雇用するが、第2病棟では患者野津純一氏に行われた複数の向精神薬中断に関連して医療関係者が情報を共有するケース・カンファレンスが行われた事実が無い。病棟看護長すら、複数の向精神薬中断が行われた事実を「渡邊朋之医師から直接伝えられず、カルテを見て知った」と証言した。野津純一氏の症状の変化で特に重大な兆候の発見などを予め指示されない看護師等の医療スタッフが野津純一氏の状況を適切に観察できなかったことは明白であり、重大な時期の看護記録には「様子見」の記述が多数あるが、積極的な対応を行っていない。また薬剤師はこの重要な時期に「薬剤管理指導」を行っていない。この状況では、主治医に対して重大な兆候の変化を報告する条件が整えられておらず、主治医の経過観察の不在を補足する体制になっておらず、チーム医療は機能していなかった。この時期、野津純一氏は顔面に複数の根性焼き瘢痕を自傷していたが、いわき病院の医師も看護師も誰も観察していない。この事実も、いわき病院の看護は医師の経過観察の不在を補完できる資質と体制を持たなかったことを証明する。野津純一氏は処方変更後に治療的介入と必要かつ適切な看護も受けられず、保護されない状況で発生した殺人衝動を抑制することができずに通り魔殺人事件を引き起こしたものである。いわき病院は精神科医療機関であり、渡邊朋之医師は精神保健指定医であるため、当然放火暴行履歴がある慢性統合失調症患者の治療を中断した場合に発生する可能性がある事件・事故に関して予想することができたのである。また適切な治療的介入と看護を行っておれば、事件の発生を未然に防止することが可能であった。
(4)、数々の注意義務違反が重なり事故発生の原因となった
精神障害者の中にはその精神症状のため自傷他害行動を取る者がいることは確かである。精神障害者野津純一氏による本件事件発生前にいわき病院には治療上や医師の指示・監督上の注意義務違反が数々あった。そのことで一級の精神障害者手帳を持ち一級の障害者年金を受給する慢性統合失調症の入院患者野津純一氏の病状を悪化させ攻撃性を亢進させ、最悪の結果として殺人事件を生じさせた。
1)、過去履歴を十分認識しない渡邊医師には病状予測をしない過失があった
野津純一氏は16歳時の放火歴にはじまり他害行為既往歴を有するが、渡邊朋之医師は過去履歴を十分認識せずに治療を行った。「過去の暴力履歴は未来の暴力予測をする最重要情報である」にも拘らず、渡邊朋之医師は「関心がないことはない」程度にしか関心が無く、病状予測に用いなかった注意義務違反の過失がある。
2)、統合失調症の治療を行わない状態で診療をろくにしなかった不作為
渡邊朋之医師は放火他害歴がある慢性統合失調症患者野津純一氏に抗精神病薬(プロピタン)を急激に中断して統合失調症の治療をしない状態に陥らせた。この状況では精神症状の悪化が予想されたにもかかわらず、入院患者野津純一氏の診察回数を増やさないどころかろくに診察もせず、再投与の治療的介入もせず、入院医療契約不履行があった。善管注意義務違反。
3)、予定した抗精神病薬中断の効果が無いと分かったら抗精神病薬再開の義務がある
アカシジア軽減のために行った抗精神病薬中止だったが、中止に効果がないと分かれば野津純一氏は慢性統合失調症患者であり、主治医には抗精神病薬再開の義務がある。再発の兆候がなくても再開の義務があるのに無視した。病状悪化時に他害行為歴がある野津純一氏の妄想が激しくなってからトロペロン注射しても“時すでに遅し”であり、治療上の不作為であり、再開のためには診察が必須だった。注意義務違反の過失。
4)、パキシル中断危険情報は平成17年11月には当然知っている知識だった
パキシル中断危険情報は平成15年8月に厚生労働省通達で確立されており、平成17年11月には精神科領域ではすでに常識であったがこれを無視してパキシルの突然の中断を行った。処方上の注意義務から大きく逸脱した過失があった。
5)、2剤の同時中断では患者保護を考えるべきなのに考慮しなかった不作為
プロピタンとパキシルの突然中断は同時に行われたが、複数の薬剤を同時に変更した場合や、向精神薬を中止した場合は外出・外泊のリスク再評価、外出時の監護者の付添、行動制限などが検討されておくべきであるが、全く検討されなかった。患者保護を考えなかった不作為の注意義務違反。
6)、医師の指示・監督上の注意義務違反があり、チーム医療が機能しなかった不作為
薬剤師、看護師、作業療法士、PSWなど複数の者が関与する診療においては責任ある医師が治療目的に向けて全体を統括しなければならない。医師と補助者が一体とならないで、チーム医療が機能しなければ、(薬物療法などの)侵襲に伴う「危害」を防止し、適切な治療を患者に供給することはできない。(大谷實、医療行為と法、弘文堂法学選書11,P.186)渡邉医師が看護に抗精神病薬等の中断を周知しなかった指示・監督上の注意義務違反。
7)、専断的治療行為は違法(ジュリスト増刊2004.3、P.96)
野津純一氏はいわき病院と入院医療契約を結んでおり(準委任契約)患者には治療説明義務があり、患者には自己決定の保護の必要があったが、渡邊朋之医師は「プロピタン中断、パキシル突然中断、アキネトンの中断等」の処方変更を一方的に決めて実行し、野津純一氏は同意してなかった。両親にも説明責任を果たしていない。
8)、病状悪化後も治療的介入を行わず、結果回避可能性のチャンスを逃した過失
プラセボ効果があったとする報告は12月2日一回だけで、その後急速に病状悪化した。12月4日には「本当にアキネトンか」と疑い、不信不満を野津純一氏は表明したが、渡邊朋之医師は治療的介入を行わなかった。ここで治療的介入が行われてさえいれば結果回避可能性があった。この場合、アキネトン注射というよりは、治療的介入として「抗精神病薬再投与、パキシル再投与」が期待された。治療的介入さえ行われておれば野津純一氏の攻撃性は下がり、野津純一氏が殺人犯になることも、矢野真木人が殺人被害者になる事もなかった。
9)、顔面根性焼きに誰も気付かないのは医療と看護の基本ができていない証拠
左頬に自傷行為の根性焼きをしても治まらないほどのイライラ精神状態を医師も看護師も全く気付いておらず、治療と看護の基本がなっていなかったことを証明する。
10)、診療拒否は診療応需義務違反(同時に刑事罰相当)
ア、不真正不作為犯における結果防止義務違反
入院医療契約をして入院している精神障害者に攻撃性を高めるプロピタンとパキシルの同時突然中断を行った渡邊朋之医師には病状の悪化を防止する義務があったのに、治療的介入(作為義務)をなさず、法益侵害の結果を発生させた不作為犯が相当する。作為者(主治医)にとって結果の防止の治療的介入は極めて簡単(処方を11月15日以前に戻すだけ)で容易であった。
イ、保護責任者遺棄罪相当
一級の精神障害者手帳と一級の障害者年金を受給する野津純一氏は他人の助け(親の扶助または入院)がなければ自ら日常生活を営むべき動作をなすことができず、入院中の野津純一氏にとって主治医は保護責任者であって、主治医には法令上の(作為)義務があった。野津純一氏は他の医療機関に救助を求めることは現実に不可能であり、かつ攻撃性は最高潮に達しており、主治医は自ら診察する立場にあることを知りつつ診療を拒否した。保護責任者遺棄相当。
ウ、業務上過失致死罪相当
野津純一氏の病状悪化と攻撃性亢進は予見できたのに、不注意により予見せず、治療的介入すれば結果回避可能だったのに行わず、最悪の結果を発生させた過失がある。注意義務違反があった。予見可能性があったし、不注意がなければ、結果を回避できた。
(5)、高度の蓋然性と直接因果関係の自白
いわき病院(第11準備書面、第12準備書面)はいわき病院の治療と野津純一氏の殺人行動に関連して「高度の蓋然性=外出許可者が80%から90%の確率で殺人する必然性」を証明することを原告に求めた。そもそも、外出許可者の80%以上が殺人を行う状況では、社会が異常事態の発生に震撼する。50%どころか10%の外出許可者が殺人する比率があれば、異常事態である。この数値が仮に殺人ではなく、「重大な傷害」であったとしても同じである。10%の他害確率でも、病院の周辺で重大傷害事件が頻発する事になる。いわき病院が主張した高度の蓋然性は極めて深刻な安全と生命軽視の論理であり、病院として許されない主張である。外出許可の運営に当たっては市民社会に対する責任として、社会の高度の安全性を確保することが義務となる。またそれに基づく精神科開放医療の実現は可能であることが、諸外国の実例で示されている(デイビース意見書Ⅰ・II)。
いわき病院が高度の蓋然性の主張を行った事実は、いわき病院は外出許可者が殺人する可能性があると認識して外出許可を運営していたことになり、殺人事件の発生といわき病院の精神科医療に直接因果関係があることを自白したことになる。
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