いわき病院事件:地裁敗訴で控訴しました
1、精神科開放医療に関する基本的な考え方
本裁判は、「精神科開放医療を否定する訴訟」ではない。本裁判の目的は、いわき病院が精神科開放医療を担うに値する医療を行っていたかを問い、精神障害者の社会参加を促進する、真っ当な精神医療が日本で行われることを求めたものである。
原告は、日本で精神障害者の多くが長く隔離され、人権が無視されてきた歴史を残念に思うものである。今日では精神症状の改善を促進し副作用も少ない薬剤が開発されるなど、精神科医療は飛躍的に発展してきており、医師による診察と適切な投薬並びに精神科リハビリテーションが行われるならば、精神障害者の多くが社会生活を行うことが可能になりつつある。我が国は、精神医療の発展の恩典を精神障害者に均霑する精神科開放医療を積極的に推進し、精神障害者の自立を促進して、全ての国民が社会生活を享受する社会を築いてゆくことが求められている。
精神科開放医療の促進と精神科病院の責任に関して、矢野は次の通り考えている。
精神科病院が適切な医療サービスを提供し、患者の病状を精神科医が診察して、患者の精神症状が良好な状態を維持する向精神薬の処方を見つける治療を行い、毎日看護師等の複数のスタッフがその日の患者の状態を確認したうえで、患者は外出許可に基づいて自由に外出をすることができる。また患者の精神の状態が治療効果と毎日の観察で長期的に安定してきたと認められる場合には、患者は退院して社会生活を復活することができる。どのように十全の精神科医療が行われる場合でも、患者が病院外で事件や事故の原因者となる事はあり得ることである。その場合、外出許可を与えた病院が、患者の精神障害の治療を適切に行っていたことを示す医療的記録と証拠を提示し、外出許可を適切に運営し患者の外出が可能な毎日の病状を病院スタッフが確認していたことを示す記録と証拠を提示することができれば、外出許可を出した病院に過失責任を問うことができない。善良で誠実な精神科医療を行い、それを証明する記録を持つ病院は基本的に過失責任を問われない。
精神科開放医療を地域に根付かせるには、精神医療の開放化が持つ不可避のリスクをできる限り軽減しようとする意識を持ち、努力することが条件である。
いわき病院は形だけの開放医療を行い、開放医療によって生じる社会的影響や結果に対する取り組みへの軽視や不作為があった。矢野と野津夫妻はいわき病院の無責任な医療に責任を求め、真に精神障害者の自立に貢献する医療に転換することを期待して、本件裁判を提訴した。「精神科開放医療」は「ほったらかし医療」と異なるものである。
2、事件の結果予見可能性と結果回避可能性
平成17年12月6日におけるいわき病院入院患者野津純一氏による矢野真木人殺人事件の発生は、いわき病院と主治医の渡邊朋之医師には結果予見可能性と結果回避可能性があったにもかかわらず、事件の発生を未然に防止することができなかったものであり、過失責任を回避することができない。そもそもいわき病院が精神科病院としての機能を十全に発揮しておれば、病院に備わっている安全弁の機能が働き、結果回避可能性があった筈で、殺人事件の発生を未然に防止できていた。
【1】、野津純一氏が病状悪化する可能性は予測できた
いわき病院が主張した、「野津純一氏が包丁を購入して矢野真木人を刺殺すること」や「不特定者に対する殺人事件の予見」は誰にもできない。未来の被害者の特定と事件の結果が殺人であることまで予見できる可能性を証明することを要求して過失責任を否定した論理は、反社会的であり、病院の責任感がない。
野津純一氏が病状悪化する可能性は抗精神病薬の中断とパキシルの突然中断で予測できたことである。これらの薬剤の中断により攻撃性が亢進する可能性を知る事は平成17年11月の精神科医療専門家には常識である。
【2】、野津純一氏の放火他害既往歴から他害行為を行う可能性を予測できた
野津純一氏と両親の野津夫妻はいわき病院に入院した時点で放火暴行履歴をいわき病院の医師と職員にいわき病院の求めに応じて説明していた。野津純一氏も、主治医が渡邊朋之医師に交代した際に暴行履歴があることを正直に申告していた。生育歴や病歴、それに関するエピソードは精神科臨床における必須の情報であり、いわき病院は、野津純一氏の放火他害既往歴から病状悪化時に他害行為に及ぶことは予測できた。
【3】、野津純一氏が病状悪化で他害行為を行う可能性は予見できた
いわき病院と渡邊朋之医師は、野津純一氏に抗精神病薬中断とパキシルの突然中断を行って病状悪化する場合に、包丁などの器具を用いて他人に暴力を振るう他害行為に及ぶ可能性は【1】【2】より十分予見できた。この場合、被害者の氏名を特定して予想できないことを免責理由にすることはできない。
【4】、プラセボを疑った時に治療的介入をすれば結果回避可能性があった
野津純一氏は12月3日からアカシジアの悪化が顕著であり、12月4日の12時(看護記録)で『「アキネトン打って下さい、調子が悪いんです」表情硬く「アキネトンやろー」と確かめる』行動をして、アキネトンを疑い不信感を表した時に渡邊朋之医師が治療的介入しておれば結果回避可能性があった。主治医は「生食でプラセボを、3日間試す(11月22日診療録)」として12月1日からプラセボ試験を開始したのであり、12月4日に効果判定を行わなければならなかった。渡邊朋之医師は治療的介入(薬事処方を11月22日に戻す等)さえ行っておれば、結果回避できた。
【5】、根性焼きを発見しておれば結果回避可能性があった
野津純一氏は12月1日から6日までの間に、アカシジアの苦しみに耐えかねていわき病院内で根性焼きを顔面左頬に自傷し、更に「根性焼きをしても治まらないイライラをどうにかしたい(殺人でイライラを鎮めよう)」と考えていた。いわき病院が根性焼きに気が付けば治療的介入のきっかけとなったが医師・看護師の誰も患者の顔面に出現した異常に気付かない不作為があり、治療的介入のチャンス、つまり結果回避可能性のチャンスを逃した。
【6】、向精神薬中断後の効果判定行っておれば結果回避可能性があった
薬物療法の中断により生じる精神医学的問題については、医師として結果を予見し、負の結果を回避する義務が存在していた。殺人という行為を予見できないとしても、症状の悪化、不安定化の発生は、薬物療法を行うに当たって想定すべき基礎的事項であり、この水準の予見と回避努力がなされないことは一般的な医療行為としても考えられない。当然行うべき薬剤中断の結果予見と回避努力を行っていれば、その後に生じる精神医学的諸問題に対し高度の予見性有しなくても、回避できた可能性は極めて高い。計画性のない薬物治療では、その後のリスクの想定も対策も無計画で無責任となるのは当然で、思いつき医療ほど危険なものはない。(C鑑定人)
【7】、アカシジア亢進に対応しておれば結果回避可能性があった
12月に入ってから看護記録に記述された、アカシジア亢進特に3日以降に野津純一氏が頻繁にイライラ時の頓服やアキネトン筋注を要求したことを渡邊医師は知っていた。この状況は、抗精神病薬中断によるアカシジア軽減が失敗だったことを示しており、慢性統合失調症の野津純一氏に抗精神病薬を再開する義務が主治医にあった。渡邊朋之医師が治療的介入を行っておれば、結果回避可能性があった。
【8】、12月6日の診察要請に応えておれば結果回避可能性があった
野津純一氏は12月6日の10時に渡邊医師に診察要請を行い拒否されて「先生にあえんのやけど、もう前から言ってるんやけど、咽の痛みと頭痛が続いとんや」という、落胆の声をあげたことが看護記録にある。渡邊朋之医師が12月6日の診察要請に応えて診察し、治療的介入(薬事処方を元に戻す等)していれば結果回避可能性があった。この時、渡邊朋之医師は外来診察中であったが、野津純一氏に「病室で待つように伝える」もしくは「外来診察の列の最後に並ばせる」、また外出許可の運営に当たっては、「その日だけ外出させない」もしくは「付き添い付きの外出に切り替える」等の対応を精神保健福祉法で合法的に対応可能であった。
野津純一氏から診察要請を受けた主治医の渡邊朋之医師が、あろうことか「診察拒否」をするのでなく、主治医の義務として柔軟に対応しておれば、野津純一氏の気持ちが落ち着くなど、直ちに診察できない場合でも結果回避可能性があった。
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