精神科医療裁判における被害者側と加害者側の協力関係 精神障害者野津純一氏の人権と社会貢献
「いわき病院事件」裁判の原告に関連して「どうして、被害者側と加害者側の協力関係なのか」という質問を受けます。また野津夫妻の場合、精神科病院で治療を受けていた加害者側が病院を訴えたことに関して医療者からの批判もあるようです。しかし、私たちは野津純一氏を人権が尊重されず適切な精神医療を受けることができない精神障害者の象徴として、いわき病院を相手取った裁判の原告に参加したことに心から感謝します。野津夫妻が「いわき病院事件」裁判の原告になったことで、「いわき病院事件」裁判の社会的意義が高まりました。
1、殺人事件と民事訴訟提訴の経緯
矢野真木人(享年28歳)は平成17年12月6日の12時25分頃に初対面の野津純一に通り魔殺人されました。葬儀を12月9日に行いましたが、加害者父親の野津氏が参列者の中から最初に名乗り出て焼香しようとして、私たち遺族を驚愕させました。野津氏は犯人ではなく、父親であり、哀悼の念があることは理解できましたが、それにしても、並み居る会葬者の中で、あたかも参列者の代表であるがごとく、加害者の父親が最初に焼香を希望するのは余りにも死者の鎮魂と遺族の心をないがしろにする行為です。
出棺に際した喪主の挨拶で、「矢野真木人の死には、精神障害者と精神医療に関連して日本社会が見逃してきた人権問題が関係している可能性がある。矢野真木人は社会的貢献をしないまま、また人生の課題を果たさないままで不意に命を奪われた。親に残された義務として、矢野真木人の死の背景にある社会的な課題を明確にして、社会に改善を求める所存で、矢野真木人の死を無駄にしない。」と述べました。葬儀の後で、参列者の中にいわき病院長渡辺朋之医師の姿があり、会葬者名簿からもいわき病院から病院長の渡辺医師、看護師長及び事務長が葬儀に参列していたことを確認しました。葬儀に参列したのであれば、いわき病院から改めて状況説明がある筈と思いましたが、その後伝え聞こえた言葉は「院長がわざわざ高知まで出向いて会葬したのに、矢野は謝礼にも来ない」というものでした。更に事件のTV放送録画で、渡辺医師は「(野津純一氏は)40回以上の外出で対人的トラブルが1回も無かった人」また「(事件の発生を)全く予想できなかった」と述べて病院に責任が無いかのような発言をしていましたが、私たちは「不誠実な、事件後の弁明」と感じました。
野津夫妻は平成18年1月8日に私たちを再訪しました。私たちは「葬儀の場で全ての会葬者の最初に焼香しようとした行為は、自らの意思であったのか、それとも渡辺医師に助言されたのか」と質問し、「渡辺医師の指示だった」事を確認しました。渡辺朋之医師は精神科医であり、心の治療の専門家であり、事件直後の葬儀の場で息子を失った親の心の動きを読み、高度な水準で次なる行動の予想を立てることができる資質があることを意味します。私たちは「葬儀の日に、突然の犯人の親の出現に驚愕して、大勢の参列者の前で、怒りに感情を高ぶらせて、大声で怒鳴りつける姿を露わにすることを、渡辺医師に仕向けられた」と感じました。息子を失い悲嘆の底にあった私たちには、更なる残酷な仕打ちを受けたような、イヤな思いが残りました。
更に、渡辺医師は事件から4年9ヶ月後の平成22年8月5日の人証時に、法廷の休み時間に原告矢野啓司に声をかけてきて、再び「野津純一が犯行に及ぶことは、全く予想できなかった」と言い訳しました。その場は、法廷の外の廊下で、原告側と被告側の関係者及び一般の傍聴人、更には取材中の記者が混み合った状況でした。私(矢野啓司)は、「そんな事を、この場で渡辺医師が主張しても、法廷の議論としては何の意味も無い。また、矢野が反論しても、水掛け論になるだけで、うっかり声高な議論になると、法廷の再開に影響し、その場合に面目を失うのは矢野」と判断して渡辺医師から離れました。この時も、精神医療の専門家の渡辺医師に「感情を爆発して激怒する様に仕向けられた」と理解しました。渡辺医師が私たち夫婦を見る眼は、「情緒の安定性に欠け、感情表現が脆弱な、簡単に陽動作戦に乗せられる人物」というものであると推察し、渡辺医師の医師としての資質が垣間見えたように思いました。
私たちは、野津夫妻に「殺人事件の犯人は野津純一であるが、事件の本質を考えれば、いわき病院の医療に過失があり、野津純一氏はむざむざ殺人犯人に仕立てられた可能性がある。その場合、野津純一氏には加害者の立場と被害者の立場が共存する。野津純一氏の被害者の立場に視点を当てれば、矢野と野津が協力する共通の目的が成立します。今後、このことを考えていただきたい。」と述べました。ここから、私たち夫婦の、加害者側と協力関係の形成に向けた、説得とお願いが始まりました。
刑事裁判では、被害者両親の意見陳述で私たちは被告野津純一に対して次の通り語りかけました。「あなたに殺された矢野真木人は社会人として活動を始めたばかりで、何の社会貢献もせずに人生を終えた。親として残念でならない。しかし犯人のあなたは、生きて社会貢献をすることが可能です。私たちは矢野真木人の親として、今後は刑事裁判に引き続いて民事裁判を提訴して、あなたがいわき病院で経験した精神医療の課題を社会に問い、それを通して矢野真木人が命を代償として社会貢献をした事実をつくる所存です。矢野真木人の命を奪った犯人であるあなたには、矢野真木人の社会貢献造りに協力してもらう。そのことは、殺人をしたあなたに残された、また唯一可能な社会貢献です。あなたの社会貢献の第一歩は、殺人の罪を認めて、精神障害者として刑に服することです。」この私たちの発言を、野津純一は法廷内で聞きましたが、本人の同意も否定もありません。しかし、矢野真木人は野津純一の強制により命を奪われました。矢野真木人の両親として、野津純一氏が私たちの要請に従う運命にあることを期待します。それが野津純一氏の矢野真木人に対する償いです。
意見陳述を終えて、判決までの期間に、私たちは野津夫妻に手紙を書きました。「私たちは、民事裁判を刑事裁判の判決と同日に提訴する準備をしており、被告は医療法人社団以和貴会(いわき病院)と野津純一です。民事裁判の目的は、いわき病院の精神科医療に過失があったことを確認し、日本の精神医療の改善することです。野津純一氏はいわき病院の医療過誤の被害者であり、私たちは民事裁判の被告とするつもりはなかった。しかし、(元)矢野代理人弁護士から『野津純一氏に過失賠償責任が確定すれば、野津純一氏には支払い能力が無いため、野津純一氏の生涯にわたって矢野に所在を明らかにする請求を行うことが可能となる、これにより野津純一氏に残された遺族が不意に襲われる将来の危険性を回避する事が可能となる』と説明されて、被告とすることに同意しました。しかし、矢野は原告として民事裁判判決の如何に関わらず野津夫妻にいかなる金品の請求を行う意思はないと、予め確認します。また、野津純一氏が有罪である場合には、言い渡された罪を受け入れていただきたい。その上で、民事裁判の目的の一つは野津純一氏の名誉回復があることも、ご理解をいただきたい。」これに対して、野津夫妻から「基本的に同意する」旨の返事がありました。
刑事裁判ではこの種の事件としては異例の懲役25年が確定しました。そして開始された民事裁判は、論点整理のため長期間にわたり公開の法廷はなく、被告いわき病院代理人は東京から、原告矢野(元)代理人は広島から電話で参加する電話会議でした。このため裁判法廷前後の待合室で、原告矢野は野津(元)代理人と開廷までの時間を一緒に待つ状況にありました。裁判初期は、私たちはお互いに挨拶をする程度でした。ところが、半年ほど経過した頃に、野津(元)代理人から「野津夫妻は、矢野さんご夫婦は信頼できる方と言っています。私もこれまであなた方を観察して野津夫妻に同意します。ところで、野津夫妻は、いわき病院を被告として裁判を提訴する考えですが、野津夫妻に対しては、大きな批判も予想されるため、今暫く状況を見定めさせていただきたい。」との申し出がありました。それ以後、私どもは、いわき病院代理人と矢野(元)代理人をさておいて、法廷の前後で野津(元)代理人との協議を繰り返し、野津夫妻が提訴する時期を見定め、野津夫妻は平成20年11月に提訴しました。
2、加害者側の協力が必要な理由
事件の基本的な事実関係は次の通りです。
- 野津純一は矢野真木人を刺殺した。
- 野津純一氏はいわき病院に統合失調症で入院していた。
- 矢野真木人はいわき病院から外出許可を受けて外出中の野津純一に刺殺された。
いわき病院は矢野真木人の死に責任を有しているか否かを問えば、この状況は間接的であり、いわき病院に過失責任を問い切れない可能性があることを否定しきれません。しかし、基本的な状況は次の通りであり、いわき病院に過失責任を確定する必要があります。
- 野津純一には矢野真木人を刺殺した刑事責任がある。
- いわき病院は野津純一氏の外出許可に関連して責任がある。
- 事件の根源にはいわき病院の野津純一氏に対する精神科医療の過失が存在する。
- いわき病院は矢野真木人の死に関して業務上過失致死の責任が問われ得る。
- 法的責任を決定するには刑法第39条の心神喪失者の法的無責任能力が関係する。
私たち夫婦から見れば、矢野真木人殺人事件の原因者で最大の責任者は、いわき病院及び同病院長で主治医の渡辺朋之医師です。ところが、事件を担当した検事の説明は、「主治医に刑事責任を問うまでには至らないと判断した」でした。この状況で、被害者遺族である私たちは、直接犯人に最大の刑事罰が科せられ、かついわき病院と渡辺医師に最大の過失責任を問うことができる、私たちに許される合法的な社会的手段を模索しました。そして、「刑事裁判は一審で犯人野津純一に可能な限り厳罰の判決をいただき、そして一審で判決を確定して、決着を付ける。民事裁判で、『矢野真木人は殺人被害者だ』という殺された側だけの論理を持ちだしても、いわき病院の責任を有効に追及して過失責任を確定するまでには至らない可能性がある。いわき病院の責任を明確にするには『いわき病院で治療を受けた野津純一氏が医療過誤の被害者である』という事実を確定する必要があり、そのためには、民事裁判では野津純一氏及びその両親と協力関係を構築することが前提となる。」また「野津側と協力関係を構築すれば、矢野は医療を受ける精神障害者の立場から、いわき病院の精神医療の問題点を指摘できることになり、いわき病院の過失をより明確に指摘できることになる。」と考えました。
刑事裁判の相手は精神障害者であり、民事裁判の相手は精神科医療機関です。私たちが争いを法廷に持ち込む理由は「矢野真木人が精神障害者に殺害された」という事実からの出発です。しかし、そのことだけを根拠にして犯人野津純一に罪を、そしていわき病院に過失責任を追及しても、裁判の判決には社会的また行政的判断の要素が持ち込まれる可能性があり勝訴することは困難である可能性が高いと見込まれました。また犯人野津純一に可能な限り重い罪を確定するには、刑法第39条を正面だって議論するのは得策ではなく、「誰でも良いので人を殺す」という確定意思を持って犯行に及んだという事実に基づくことが望まれました。更に、引き続いて民事裁判でいわき病院の責任を明確にするには、「精神障害者に対する適切な医療が行われていたか」また「精神障害者の人権が守られていたか」などの社会的要素が重要であり、社会に改善するべき課題があることを裁判官に認識してもらうことが重要であると判断しました。
民事裁判の準備段階で、矢野(元)代理人は「一審途中に民事裁判を提訴する」と急ぎましたが、私たちは説得して「一審判決日の提訴」としました。このため、刑事裁判が一審で結審せず上級審に持ち上がる場合、刑事裁判と民事裁判が同時並行する可能性がありました。この場合、刑事裁判にも、民事裁判にも、複数の外野が出現して騒がれる可能性が予想できました。また、いわき病院側の弁護論理も複雑化して、反論や対応に困難が生じる可能性も予想できました。特に、刑事裁判では「刑法第39条と心神喪失者等医療観察法がある中で、野津純一氏は無罪相当とすべき」という主張が声高になる可能性がありました。また、その動きは、「いわき病院に過失責任を問うのは間違い」と主張する外野の勢力にも利用される可能性がある、と判断しました。更に、民事裁判を行っている過程で明らかになったことですが、いわき病院が民事法廷に任意提出した医療記録は、野津夫妻が息子純一の過去の暴行履歴をいわき病院に説明していた事実が欠落していた等、刑事裁判で警察が押収していた証拠から重要な事実に脱落があるものでした。野津純一氏に刑罰が確定していない状況では刑事裁判資料を被害者であるといえども、原告矢野は入手することはできず、民事裁判がいわき病院の一方的有利に展開した可能性がありました。
刑事裁判は平成18年4月に開廷し、最初の法廷で野津純一代理人は「12月6日の犯行日の朝10時にいわき病院の診察拒否があった」事実を指摘して「いわき病院の精神科医療が適切であれば本件犯行は発生しなかった」と主張しました。更に、「野津純一氏に有期刑が確定した場合には、一般の刑務所ではなく医療刑務所で治療を行ってもらいたい」との希望が表明されました。これを聞き、私たち夫婦は「民事裁判では野津側と法廷内で協力関係を結べる可能性がある」と判断しました。そして刑事裁判の第2回目の審議では、矢野夫妻の意見陳述で、「野津夫妻に対して、協力関係を形成する呼びかけ」及び「野津純一氏に対して、社会的貢献を行うことを期待する呼びかけ」を行いました。これは「あくまでも法廷の場で全ての闘いを行う」と言う私たちの宣言です。また、民事裁判における被害者側と加害者側の協力関係を構築するに至った、衆人の前の第一歩でした。
3、「私は被害者」では民事裁判を戦えない
殺人は重大犯罪であり、個人によるいかなる殺人行為も社会は許容していない筈です。ところが、青少年犯罪では、どのように凄惨な事件であったとしても、未成年を理由にした不起訴が中心であり、刑の減免もあります。また、精神障害者の殺人事件では、多くの場合精神障害(統合失調症)と鑑定されるだけで、心神喪失者等として起訴に至らない場合が往々にしてあります。また起訴されたとしても、心神耗弱を理由にして刑期は短縮されます。野津純一氏の場合も検察は「無期懲役のところを、心神耗弱で減刑して懲役30年の求刑」を行い、裁判長は「懲役30年の求刑を、心神耗弱により減刑して懲役25年の判決」を言い渡しましたので、心神耗弱を理由にした刑罰の減免が2回行われたことになります。犯罪者の中には「殺人しても、刑罰は軽い」と免責の既得権があるかのように誤解している人間もおります。現実に野津純一氏は「刑期は長くてもせいぜい数年」と考えて「誰かを殺人すれば、激しいイライラとムズムズの不快は軽減するかも」と期待して安易な気持ちで、たまたま出会った矢野真木人を刺殺しました。
殺人事件被害者遺族の中には「私は被害者だ、私の子供は殺された!」と頑張る方がおられます。しかしその主張は必ずしも「未成年者犯罪」や「精神障害者犯罪」では有効であるとは限りません。私たちは、「犯人は生存しており人権がある、しかし、被害者であるあなたの息子は既に死亡しており人権は消滅した。被害者遺族は生きている殺人者の人権を尊重する義務がある。精神障害者は精神障害であるだけで罪をあがなっており、罪に問うことはできない。」と精神障害者の社会参加活動に貢献していると自称した方に主張されたことがあります。殺人は生存権を奪い取る行為であり、最大の人権侵害です。しかし、現実の人権論争では、「生存者の人権」の主張の前では、殺人された者は泣き寝入りを強いられ、事件の真の原因を解明することも困難になる可能性が高くなります。このため、私たちは殺人者と殺人被害者という「個人の問題」という視点だけでなく、殺人事件を通して見えた「社会の課題」という視点から、民事裁判の課題を模索することにしました。
矢野真木人が殺人されたけれど「目には目を、歯には歯を」の報復の論理では、矢野真木人の魂は浮かばれない。また、報復の論理を振りかざす限り、精神障害者の犯人に適正な処罰を求める論理は成り立たないと悟りました。むしろ、「精神障害者である野津純一氏が経験した不幸な立場に共感して、その立場を改善することに協力することで、矢野真木人のような不幸な死を社会活動として削減することが可能となる。矢野真木人の生命は還らないが、矢野真木人は命を代償として、人生でやり残した社会貢献の場を確認する事ができる。」と考えました。矢野真木人の死には、日本における心神喪失者の法的無責任能力の社会的適用と運用の課題があり、その改善に向けた社会的対応を行うことで、矢野真木人が失った人生で最後の社会貢献となります。また、野津純一氏も精神障害者として置かれた立場を、精神障害者の人権を守る側面から協力することが可能となると考えました。
4、精神科開放医療は精神障害者の人権を尊重する医療
いわき病院は、「精神科開放医療は日本が国連などで約束した国際公約であり、精神科開放医療を推進しているという大義名がある精神科医療に過失責任を問うことは間違い」という主張です。いわき病院は、自ら主張をする時には国際基準や英国の精神医療理論を持ち出しますが、原告側からその論理の矛盾や、いわき病院の主張とは異なる英国の精神科臨床医療の事実などを提出されると、「ここは日本である」とか「英国においてのみ理解なもの」などと逃げ口上を発してきました。いわき病院の弁明は不誠実な自己都合の論理で普遍性がありません。いわき病院の弁論戦略からは「嘘も繰り返し堂々と言えば正しく聞こえる」という格言が思い出されます。いわき病院は、事実と論証では否定される、実態がない誤りの主張を執拗に繰り返すことで、あたかも正しい医療を行っていたかのような虚像を振りかざしています。
いわき病院の法廷における不誠実な態度はいわき病院の精神医療に現れております。いわき病院で野津純一氏が受けていた精神医療の実態は、容易に法的無責任能力が適用されることによる、入院患者の人権を尊重しない精神科臨床医療に晒された状態でした。野津純一氏の主治医の渡辺医師は、主治医を交代した後で、それまで順調だった統合失調症治療薬である抗精神病薬の安易な変更を繰り返し、患者野津純一氏の病状を悪化させました。複数の重要な薬剤を同時に中断することは、原因と結果の判別がつかなくなる可能性があり、更に治療目的と効果の判別も困難となるため不適切です。更に加えて、重大な危険が指摘される抗うつ薬(パキシル)の薬剤添付文書を読んでおりません。渡辺医師は主治医を交代した直後に抗精神病薬をリスパダールからトロペロンに変更しましたが、この時もトロペロンの薬剤添付文書に記載されたトロペロンの副作用を読まなかったと見えて承知せず、野津純一氏の症状悪化に対応できなかった事実があります。渡辺医師の大規模な処方薬の突然の中断で、野津純一氏に重大な危機が発生しておりましたが、いわき病院長で精神保健指定医の渡辺医師は、自らを「一般病院の一般の医師であるため、薬剤添付文書に書かれている注意事項を読む責任は無い」と主張して、精神科専門医として責任感の自覚がありません。渡辺医師は重大な処方変更を行った後で、患者が睡眠薬を飲まされた夜一回の診察しか行っておらず、事件当日の診察希望を拒否し、適切な医療を誠実に行っていたとは言えません。そもそも、薬の性能を正確に承知せず無謀な医療を行い、主治医が病状把握もしないところに、患者の人権を尊重しない安易な態度が現れています。渡辺医師が野津純一氏に行った精神科開放医療には、医療の名に値しないような、極端で不誠実な事実がありました。
精神科開放医療は精神障害者の社会的自立の促進が目的です。これは精神障害者であるとしても、向精神薬を適切に服用することで、日常の生活で寛解に近い精神状態を維持して、社会人としての生活を維持することが可能になりつつある現在の精神医療の進歩がもたらした福音です。社会生活を行うには、全ての人間は個人として法的責任能力を維持することが前提になります。精神科開放医療の論理は、精神障害の兆候があれば積極的に心神喪失を認定して、法的無責任能力を拡大適用する事ではありません。精神障害の既往歴があるとしても法的責任能力が伴う最大限の人権を尊重することです。それは向精神薬の開発やリハビリテーションの導入など精神医療の進歩により始めて可能となった、人間開放(解放)の一端です。また日本国憲法に定められた基本的人権の実現が精神障害者にも可能となることを意味します。
いわき病院が「精神科開放医療の推進という国策」に従っていたとしても、錯誤と不作為や怠慢には過失責任を問わなければなりません。精神科開放医療の推進という国策の前では、市民生活の安全を無視しても責任を問うべきではないという道理はありません。それは市民の生存権を侵害する論理であり、基本的人権の否定です。更に、いわき病院には精神障害者であれば心神喪失者等であるとして精神障害者の法的権利を尊重しない行動原理があり、ここでも基本的人権を侵害しております。精神障害者の人権を尊重した医療を行うことで、精神科開放(解放)医療は促進され、より多くの精神障害者の自立が可能になると考えることが世界の精神医療の趨勢であり、精神科開放医療の目的です。日本で精神科開放(解放)医療の促進と精神障害者の人権回復が達成されるならば、野津純一氏が精神障害者としてこの裁判を通して行い得る、最大の社会貢献でしょう。野津夫妻も民事裁判の原告として闘い続けることは試練であると考えます。長い年月を共に歩んでいただき、心から感謝します。
後記
殺人と自殺は健常者も精神障害者も共に行い得る犯罪で、生命に危害を及ぼす犯罪の抑制は市民社会の重要な課題です。殺人と自殺は全ての人間が必ず行う行動ではありませんが、人間行動の負の側面として人間集団にはそれぞれ共通性を持ったパターンが存在し、精神障害者にも特有の自傷他害行動の課題が存在します。精神障害者の殺人と自殺に対しては、精神医療に関係する各種専門家が人権を尊重して客観性を持つ有効な対策を講じて行くことで、不幸な事件の発生を効果的に抑制する努力を発揮することが期待されます。いわき病院と主治医渡辺朋之医師の、患者の放火暴行履歴を把握せず、大規模な処方変更を行っても患者の経過観察と治療的介入を行わず、殺人や自殺事件の発生を未然に防止することがない、精神医療機関および精神医療専門家として当然果たすべき努力義務を行わない不作為が容認されることがあってはなりません。
私たちは、重度の精神障害者が殺人や自殺を行うのを防ぐための英国の先進的な努力事例を紹介してきました。英国ではクリストファー・クルニスがロンドン地下鉄駅構内でジョナサン・ジトを殺害した事件を契機にして、精神障害者の保護と人権と市民生活の安全の共存に向けた精神医療制度の改革が行われました。またラボーン事件に関する英国最高裁判決では、自殺危険率が5〜10%の場合でも、精神医療者が危険を確認してそれに対する患者保護の具体的で適切な手段を講じない場合の過失責任を認定し、精神科医師の裁量権は無制限ではなく患者の自傷他害行為を抑制する責任が伴うことが認定されました。
日本では、精神障害者の自傷他害の問題に対する精神医療関係者の認識が遅れており、精神障害者と市民の人権と生命の安全を尊重する世界の大勢から取り残されております。この裁判が、日本の精神医療関係者、法曹界、地域社会が、精神障害者の重大な自傷や他害行為を防止する対策に真剣に取り組むきっかけになってほしいと願います。
|