「いわき病院事件」裁判の意義について(プレスリリース)
◎、精神科開放医療と通り魔殺人事件の課題
事件は精神障害者による白昼の通り魔殺人事件です。矢野真木人(享年28才)は平成17年12月6日に高松市香川町のショッピングセンター駐車場で野津純一(当時36才)に直前に購入した万能包丁で右胸下部から胸部大動脈を切断され出血多量で死亡しました。野津純一は近隣のいわき病院の入院患者で外出許可を受けて昼食後に単独で外出中に引き起こした殺人事件で、矢野真木人とは事前の面識はありませんでした。平成18年6月23日に刑事事件の判決が言い渡され、慢性統合失調症の野津純一に心神耗弱による限定責任能力が認定されて、刑期が軽減された上で懲役25年が確定し、本人は現在医療刑務所に収監され、刑期を務めると共に統合失調症の治療を受けています。
民事裁判は故矢野真木人両親の矢野啓司及び矢野千恵を原告としいわき病院と野津純一を被告として刑事裁判判決と同日に高松地方裁判所に提訴されました。原告矢野は民事裁判の審議が継続している間に、野津純一両親の元代理人と協議を重ね、平成20年11月17日に野津夫妻はいわき病院と渡辺朋之医師を被告として提訴して原告に加わり、両事件は高松地方裁判所で審議が合一されました。
民事裁判は平成22年1月31日に医療刑務所で野津純一の人証を行い、本人は、左頬の根性焼き瘢痕が消失した傷跡がない顔で現れ、事件前に主治医の渡辺医師から診察を受けなかった事を強く主張しました。更に、平成22年8月5日に主治医の渡辺医師は人証で、平成17年11月23日から抗精神病薬(プロピタン)、抗うつ薬(パキシル)及びアカシジア治療薬(アキネトン)の中断を行ったこと、及び診療録に記載された11月30日と12月3日の日付は各々11月23日と11月30日であったと訂正しました。これは裁判所が作成していた争点整理案(平成22年7月9日付)で認定されていたはずの事実関係に関連した、事後の重大な変更です。
その後法廷審議は鑑定論争になり、いわき病院が推薦した国立大学医学部A教授(精神科医師)の鑑定意見書(平成23年7月29日付)が提出されました。これに対して原告側からは、精神保健センター長B医師、精神科クリニック院長C医師、英国ブリストル大学医学部デイビース鑑定医師団(精神科医師3名)、NPO法人鑑定団(精神科医師、臨床心理士、看護師、教師及び精神科患者)、及び元国立大学医学部看護学科E教授(法学修士、看護学)の鑑定意見書が提出されました。
A鑑定意見は、根性焼きの事実認定に関する判断を避けましたが、実質的に「根性焼きは存在しなかった」という立場の鑑定意見であり、また「平成17年12月当時の日本の地方の一般病院の一般の医師の精神科医療水準では、今日では必ずしも適切ではない医療を行っていたとしても過失責任を問えば、日本の精神科医療は破壊される」という主張です。これに対して、原告側の鑑定者からは「通常複数の重要な処方薬を一度に変更はしない」、「放火暴行履歴がある野津純一の過去履歴は重要」、「精神科開放医療を実行するに当たってリスクアセスメントとリスクマネジメントが励行されていない」、「大規模な処方変更を行った事実を看護師に適切に指示せず、看護師も根性焼きを発見しないなど精神科臨床医療として必要最低の水準に達していなかった」、「処方変更後の診察回数が夜一回だけで病状把握が適切に行われていなかった」、「患者からの診察要請に応えるべきだった」また「パキシル中断に伴う危険情報は平成17年12月当時では精神科専門医師であれば当然知るべき情報であった」ことなどを指摘しました。
高松地裁裁判長は、法廷審議の過程で、再三にわたり「本件は、地裁レベルでは結審しない案件であり、地裁の役割は上級審で事実関係の再確認をする必要が無いように、審議を尽くすことである」と発言しました。この意味で、いわき病院が執拗に否定している「根性焼」が「事件当日の野津純一の顔面左頬に存在していたか、存在していなかったか」の事実認定は、裁判の判定を左右する重要な事実関係です。いわき病院は「野津純一が12月7日に身柄拘束された時に確認された根性焼は、その日病院から外出した後のわずか20分の間に自傷した行為である」、また、「抗うつ薬パキシルの薬剤添付文書の記述を知る責任は精神科専門医にはない。12月3日には診察をしなかったが、観察をした。(医療記録には存在しない医療行為の主張で医師法違反)」などと、精神科医療専門家以外の世界の常識では通用するはずがない、無理筋の主張を繰り返しております。そもそも「誰でも入手可能な禁忌情報を専門家が無視しても責任を問われてはならない」という主張で、素人はいざ知らず精神保健指定医という専門家としては責任を全うすることを期待できない主張であり「精神科医療の世界は別格」という不誠実な論理が見えています。
平成25年3月27日の判決は、平成18年6月23日の提訴から6年9ヶ月後となります。
◎、民事裁判の概要
1、日本の精神医療を破壊する?
いわき病院推薦の国立大学医学部A教授は鑑定意見書を「(病院敗訴では)日本の精神科医療が破壊される」と結びました。精神科任意入院患者の野津純一氏に不誠実な精神医療を行ったいわき病院に過失責任を問わないことが、精神医療を守り育て、精神科開放医療を実現することになるのでしょうか。専門職のご都合主義ではないのでしょうか。これは「いわき病院事件」裁判の核心的な問いかけです。
2、驚くほど杜撰ないわき病院の現実
野津純一氏はいわき病院の入院患者で昼間の時間帯に外出許可を与えられておりましたが、主治医の診察は一週間に一回以下で、しかも本人が自由に外出を行う昼間の時間帯ではなく、しばしば睡眠薬を飲まされた夜間のことで、外出時の精神状態を適切に診断できていたとは言えません。看護記録によれば、毎日定時に検温されておりますが、顔面の左頬にたばこの火を押しつけて自傷した「根性焼き」の瘢痕を医師も看護師も誰も発見しておりません。入院患者であれば、治療方針の変更(処方変更)後に体調に変化がある時はいつでも医師の診察を受けることができ、また看護師はいつも患者の体調の変化に関心を払うと考えるのが常識です。また入院患者として適切な治療を保証されることが患者としての正当な権利です。いわき病院は「病状悪化はあり得ない」と弁解をしましたが、野津純一氏が経験した医療と看護は常識外れでした。慢性統合失調症の患者に抗精神病薬等の複数の治療薬中断を行った大規模な処方変更後の二週間で一回しか主治医は患者を診察しておりません。いわき病院では「患者の顔を観察しない」という、あり得ないはずの非常識の実態で、いわき病院の精神科医療と看護は驚くほど杜撰で、基本がすっぽりと抜け落ちたお粗末な事例です。しかし、いわき病院の主張に基づけば、もしかしたらこの日本では精神科医療を行う一地方の一民間病院であるならば普通のことである可能性があります。
3、高度の蓋然性
いわき病院に過失責任を確定するには、いわき病院の精神科医療の過誤と野津純一氏による矢野真木人殺人に直接因果関係(高度の蓋然性)が存在しなければなりません。いわき病院は「野津純一が矢野真木人を殺人することを事前に知ることができなかった」また「外出許可を出した患者が殺人する確率が80〜90%以上であることを原告は証明しなければならない」と主張しました。野津純一氏は「誰でも良いから人を殺す」としていわき病院から外出直後に、100円ショップで先が尖った万能包丁を購入して店外で最初に出会った男性を刺殺し、矢野真木人が被害者になったことは全くの偶然でした。車輌を暴走させて歩行者を死亡させた運転手は、事前に被害者の氏名を知らなかった事で免責理由を主張できるでしょうか。いわき病院は放火暴行履歴がある統合失調症患者に抗精神病薬(プロピタン)を中断して統合失調症を治療していない状況にして、患者が他害行為をする危険性を亢進させました。これは精神科医師であれば常識です。その上で、突然の中断をすれば攻撃性が高まることが指摘されている抗うつ薬(パキシル)を突然中断しました。薬剤の添付文書に記載された危険情報を知るのは主治医の義務です。渡辺医師の治療は、車を暴走させる操縦に等しい行為です。更に、副作用のアカシジア治療薬のアキネトンを中断しましたが、その行為は暴走車のアクセルを踏み更に加速するに等しいことです。野津純一氏には限定責任能力がありましたが、本人はいわき病院が行った薬事処方変更の過誤に強く支配されて殺人を実行しました。
いわき病院は「80〜90%以上の殺人危険率」を過失成立の要件としましたが、これは外出許可者のほぼ全員が殺人を行うと言う実態であり、その論理の背景には「外出許可者には殺人行為を行う高度の危険性があることを知っていた」という前提が存在し、いわき病院が市民生活の安全に無関心であった事実が証明されます。即ち、いわき病院は外出許可者が高度な確率で殺人行為を行う可能性を承知して、他害の危険性が亢進する精神科医療を野津純一氏に行っていたのであり、殺人事件の発生といわき病院が行った精神科医療の間には、原因から結果に至る高度の蓋然性が存在する論理となります。
4、いわき病院の論理
いわき病院長の渡辺朋之医師は、放火暴行等の前歴がある野津純一氏の過去履歴を調査質問することは患者と医師の信頼関係を損なうので行わない、また抗うつ薬(パキシル)を突然中断すれば患者の行動に重大な危険が発生する可能性があるという薬剤添付文書や市販本にも記載された誰でも知り得る情報を精神科専門医である主治医は知る義務はない、従って過失責任はないと主張しました。その根拠は「いわき病院は一般の精神科病院であり、また渡辺医師は一般の普通の精神科医師であり、責任を問われない」という理由です。(なお、渡辺医師は香川大学付属病院の精神科外来担当医師であり、SST(社会生活技能訓練)普及協会の役員という精神科開放医療の指導者です)普通の精神科医師であれば患者の危険情報を知る必要は無く、伝えられた情報を無視しても責任を問われてはならないという論理は、専門職としてはいかなる専門分野でも倫理逸脱です。また外出許可者が殺人や人身傷害を行うことに関心を払わない精神科開放医療を行うことは、公的役割を有している医療機関として社会的責任からの逸脱です。
5、いわき病院の過失
事件の本質は、慢性統合失調症で任意入院患者の野津純一氏に主治医渡辺朋之医師が平成17年11月23日から抗精神病薬(プロピタン)抗うつ薬(パキシル)と副作用のアカシジア治療薬(アキネトン)を突然同時に中断した無謀な薬事処方変更と、その後の重大期間の2週間で夜間に一回しか診察せず、顔面の根性焼きを発見せず、診察拒否までした、著しい怠慢と治療的介入義務放棄の医療過誤です。原告矢野は刑事裁判で野津純一氏に有罪が確定して入手した刑事証拠で事実解明が可能となりました。いわき病院が入院患者である野津純一氏に行った精神科臨床医療の実態は医療の本質を外れ、市民生活の安全を犠牲にした人命軽視です。判決が契機となり、日本で人権を尊重する精神科開放医療が定着し精神障害者の自立を促進する今後の発展を期待します。
6、社会的な課題
1. |
日本では、いわき病院を事例とする、一部の医療機関で行われている医師の怠慢や不勉強及び不誠実により、患者が適切な医療を受ける権利が損なわれ、一般市民の生存権が脅かされていた事実がありました。本件裁判では、その現実を多くの市民が知りかつ確認し、精神科開放医療が促進される一歩になることが期待されます。 |
2. |
原告が求める精神科臨床医療の改善は病院の実現困難で過剰な負担ではありません。イギリスなど欧米諸国では既に実現され、普通に行われている精神科開放医療です。
日本の精神医療に普遍的な生命と人権を尊重する誠実な医療と看護を期待します。 |
3. |
原告が敗訴する場合には、いわき病院が野津純一氏に行った「精神科開放医療の推進という、国際公約に基づく国内政策の実行という大義名分を免罪符として、患者の切実な願いを無視した怠慢や不勉強の医療や看護を行う不適切な治療」が「裁判で容認された」として精神医療者の中で拡大する恐れがあり、精神医療に更なる荒廃と破壊をもたらす結果となり、国際社会における日本の名誉と尊厳が損なわれるでしょう。 |
7、被害者と加害者が協力する意味
犯罪被害者が殺人事件から得られた教訓を元に社会に課題を指摘できる手段の一つが民事裁判であり、「精神障害者による殺人などの重大犯罪をどのようにすれば合理的に抑制できるか?」また「精神障害者の人権の確立と社会参加はどのようにして行い得るか?」という視点に基づいて、提訴しました。そこには、刑法第39条が提示する「心神喪失者の法的無責任能力」を社会で実行する問題と、精神科開放医療を日本で促進して、病院の利己的な都合に左右されず、「精神障害があるなしに関わりない健全な市民生活を享受できる社会」を普及し定着させる課題が介在します。本件裁判で加害者と被害者が協力関係を維持した理由は、精神障害者の人権確立と、安全な社会市民生活の両立の実現です。
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