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デイビース医師団鑑定意見書(II)
いわき病院と渡邊医師が野津純一に行った精神科医療
(日本の精神医学の国際的な名誉を守る課題)


平成24年10月20日
翻訳:矢野啓司


1、英国の精神医療水準といわき病院の医療レベルの違い

(質問)
デイビース医師は富士山の5合目(標高2250m)と高知城(天守閣最高部標高62.5m)ぐらいの違いがあるとの意見ですが、具体的な違いは何ですか?


(回答)
  この例で現在の英国で許容されている精神科医療水準といわき病院が主張した2005年(平成17年)の日本の標準的な精神科医療水準との間の大きな格差を象徴的に示した。例では英国の精神科医療水準が「最高峰の頂上の位置にある」と示したものではなく、富士山の五合目である事に留意していただきたい、それでも十分な高さであり、これに比していわき病院が野津純一氏に対して行った医療水準は驚くべき程低い水準だったと我々医師団は確信する。

英国における基本的な精神科医療は

1) 過去のリスクに関連して、他害行為や危険行為などの行為履歴を正確に記録し、その上で家族や過去の病院やヘルスケア・サービスの記録等で履歴を補強する。この作業は治療成果が思わしくない場合や、(自己または他者に対する)暴力リスクがある場合には極めて重要であり、これらの要素はいわき病院事件裁判でも問われている問題である。
2) 直近に行った処方変更や精神状態の変化など、リスクを高める可能性がある現在の状況を考慮する。
3) 患者のリスクを亢進する可能性がある、精神病の再発症状を確認するため、精神状態を定期的に診断する。これは英国では極めて日常的な作業であり「再発兆候」という用語がある。
4) 上記の1)で確認された過去履歴を元にして、2)で現在のリスク水準を評価して、基本的なリスクマネージメント計画を作成する。リスクが亢進して基礎をなす精神病の病状が再発や悪化する場合には3)の心理状態確認検査を定期的に行う必要がある−リスク水準を更に亢進する可能性がある再発兆候(症状の増悪や、新しい兆候の発現)を発見する。

いわき病院事件では、

1) 過去の暴力行為や危険行動に関連して正確な記録を取っていたならば、当該患者は精神状況と精神病の悪化に伴い暴力傾向が高まることを理解できていた それ故、
2) 複数の処方薬を同時に変更して一時的に精神状態が不安定になる時期には
3) 訓練度が高い看護スタッフや医師により診断頻度を上げて精神状態を再評価する必要があった。過去の暴力履歴及び直近の不安定な要因を総合して
3) 再発兆候の出現(何らかの精神状態の悪化)があれば
4) リスクマネージメントの導入を検討する基本的な方針の見直しが必要となる

さらに病院が外出許可を行う前に精神状態を確認する事が必要である。安全に懸念があると考える理由がある場合には、外出許可は(病院内だけに限るとか、職員か家族の付き添い付きに限定する等)リスクマネージメント計画を変更する必要がある。

英国の標準的な運営状況と比較すれば、いわき病院は上記の4項目の全てで公衆安全確保の観点で落第である。我々医師団は第一次鑑定報告書でいわき病院のリスクアセスメントと治療上の欠陥を多数指摘した。上述の4項目に関連して指摘すれば、

(第1) 野津氏の過去のひどい他害暴行履歴を取得しなかったこと
(第2) 抗精神病薬とパキシルを同時に中断してリスクの増大を認識しなかったこと
(第3) スタッフが野津氏の精神状態を診断せず状況変化を記録しなかったこと
(第4) この(野津純一のリスクが亢進する)状況は履歴と薬事処方の変更で予見されたことであり、リスク増大要因に総合的に対応して公衆安全リスクを低減する、より一層予防的なリスクマネージメント計画に転換する義務を怠った

英国ではリスクアセスメントを行うことは絶対義務であり、それを行うことが英国精神医学の基本である。誰もが行うべき標準の手順を踏まないか無視する医療は、我々医師団の見解では、基本的で標準的な医療手続を行わない常識外れである。A教授の鑑定意見に基づいて、日本の精神科医療の一般的な水準は我々医師団が仕事をした経験がある英国や他の英語圏諸国の精神科医療水準よりも劣っている可能性があると理解した。その上で野津純一に対する事例では、いわき病院の精神科医療水準が極めて低い水準にあることを確認して驚愕したーいわき病院はリスクアセスメントの全ての側面で落第であり、それ故、いわき病院が野津純一に行った医療が日本の精神医療の典型的な主流であると(A鑑定意見書で)主張したことを信じることができない程である。特に重大な問題は、(履歴から予想される病状悪化時に繰り返される他害行動、中断により多くの問題を引き起こすことが自明である抗精神病薬と抗うつ薬の中断を行う大規模な処方変更)による危険水準(リスクレベル)と、野津氏の精神状態を頻繁にアセスメントしてリスクマネージメント計画に活かし変更することが無いいわき病院の対応の悪さは、極めて極端で甚だしく不整合である。このような精神科医療が先進国の中で通用していることを確認させられたことに驚愕する。


2、イギリスのNHSと患者の病院選択

(質問)
A教授の主張で英国の現実と異なっているところを具体的に指摘してください。また病院を自由選択できることは、精神科患者の過去履歴を必要十分な水準まで調査しないで良いとする理由になるのでしょうか。


(回答)
  英国(UK)ナショナル・ヘルス・サービス(国家健康事業、NHS)は連合王国(英国:UK)内の全居住者に連合王国内で無料医療を提供している。精神医療でもほとんどの人々に業務提供しているが、全員ではない。またNHSは単一組織ではなく、実態は責任も役割も異なる複雑な階層性を持つ組織である。例えば、イングランドでは概要3地域管区、10戦略保健局、243NHS基金、146初等ケア基金(「NHS健康への結びつき」ネット情報より)があり、スコットランド、ウエールズと北アイルランドには構造が少し異なるNHS組織が設立されている。一般的にNHS基金と初等ケア基金は管轄地域住民の健康ケアに直接的に関与しており患者はGP(総合診療医師)単位で地理的に構成されている。各基金は別個の組織であり、健康記録を独自に保管し、例えば精神健康ケアの分野で同様のサービスであってもケア政策は各基金が独自に行いサービス内容も異なっている。

ある個人が転居をしたり、GPを代えるようなことは珍しいことではないが、そのような場合には異なるNHS基金の管轄になる。精神医療患者の場合、その状況は頻繁に発生するが、患者の記録は新規の精神科医師が単独で即座に情報入手できるものではない。患者が異なる専門家チームで治療を受ける場合には、精神医療チームとして患者の過去記録を請求することが標準的な手順である。英国内には私立医療機関が多数存在し、この手順は患者がNHS権限外の医療機関で治療を受ける場合にも適用され、患者の治療が困難である場合に極めて重要で、過去の治療履歴から現在の治療で効果がない理由が解る可能性や、薬剤が多数ある中でどの薬剤が既に使用されてその効果の程などの情報を得られることがある。特に暴力や自殺のリスクが高い場合には、過去の履歴を入手することは極めて重要で、過去のエピソードを理解することで未来のエピソードを予想して防止することが促進される。

英国(UK)は移民を多く受け入れており、英国外で誕生した人間は一般の人間よりも精神病受診率が高い傾向がある。更に、英国市民は休暇だけでなく仕事や教育や家族行事等で日本人よりも頻繁に海外旅行をしている。近隣のヨーロッパだけでなく家族が居住している米国や英国共同体諸国にも出かけている。それ故、精神科病院に入院した患者が人生の期間を他国で過ごす状況は頻発し、そのため英国の精神科医師は全く制度が異なる世界中の諸国から医療記録の取り寄せたり、口頭での情報交換は普通の事である。

結論として、NHS組織の複雑性と英国民の地域的移動性が大きいことを理由としてA教授が主張した「(英国では)レベルの異なる治療を行き来する場合でも、それぞれのレベルの治療を担当するチーム間での情報交換や意思の疎通もスムーズとなり、患者の過去の治療情報を入手することにも大きな困難は生じない。」とする見解に同意できない。しかしながら、上記の困難性や、精神科患者の記録にアクセスする際の英国的な多くの困難性があるにもかかわらず、患者の過去履歴を完全に再構築しない場合には不満足な精神科医療を行ったと見なされることになる。


3、社会が受認するべき「殺人の確率」

(質問)
英国であった、自殺・他殺危険率に関して、検察主張70%、弁護側主張5%で「5%でも有罪」とされた判例を提供してください。


(回答)
  事件は英国(UK)最高裁ラボーン事件判決であり、以下を参考にしていただきたい。なお、インターネットを検索すれば、下記以外にも沢山の情報が公開されている。

■Rabone & Anor v Pennine Care NHS Foundation Trust [2012] UKSC 2” (8 February 2012)
http://www.hrlc.org.au/court-tribunal/uk-court-or-tribunal/rabone-anor-v-pennine-care-nhs-foundation-trust-2012-uksc-2-8-february-2012/
http://www.bailii.org/uk/cases/UKSC/2012/2.html
    
■参考:英国のラボーン事件裁判判決
英国にあったいわき病院事件と類似した事件と裁判

http://www.rosetta.jp/kyojin/report69.html

英国チェシャー州ストックポート市のNHS病院に任意入院した患者に関連した事件である。野津のケースと同じくM・ラボーンは任意入院患者であった(野津氏の場合と異なり、病院から外泊許可を受けた時には両親の保護下にあった)。同女は外泊翌日に自殺をした。自殺危険率は5〜10%と認定されたが、それでも英国最高裁判所裁判官は病院の怠慢による過失と認定した。


4、2005年から2011年の間に発生した精神医療の改革と発展

(質問)
A教授が主張した、2005年(事件発生時)から2011年(最初のA意見書)までの精神医療の劇的な違いは何に由来すると推察できますか。この間に、精神医療を劇的に発展させた要素・要因には何がありますか。


(回答)
  2005年(平成17年)以降いわき病院事件に関連する分野(即ち、統合失調症の治療、リスクアセスメント、リスクマネジメント、及びパキシルの中断症状に関する知見)ではほとんど大きな革新はない。我々の見解ではこれら全ての分野は2005年までに十分に発展していた。2005年(平成17年:事件発生時)から2011年(平成23年:A鑑定意見書提出)までに至る期間にあった精神科医療に関する発展や革新はうつや不安障害に関連した薬理学的な治療方法の拡大と、うつに対する身体的な治療、及びある種の向精神薬に関係した特徴的なリスクに関する理解が向上したことなどである。しかしながら、これら全ての項目はいわき病院事件と直接の関係がない。

我々医師団はA鑑定意見書(II)で、パキシルに関連した以下の記述に注目した。『「若年成人(特に大うつ病性障害患者)において、本剤投与中に自殺行動(自殺既遂、自殺企画)のリスクが高くなる可能性が報告されているため、これらの患者に投与する場合には注意深く観察すること。」という記載が追加されたのは、平成18年6月であり、厚生労働省が抗うつ薬剤服用に伴う他害行為に関する調査を行ったのは、平成21年2月であり、その結果が添付文書に反映されたのは平成21年5月のことである。』

我々医師団は、上記で記述された2006年(平成17年)から2009年(平成21年)までの期間に発生した発展は、いわき病院事件にほとんど関連しないと確信する。なぜなら、それらの問題はパキシルを常時服用するリスクであり、パキシルの中断リスク(この問題は2003年(平成15年)までには周知されていた)に関係しない。

しかしながら、A教授が引用した以下の情報は本事件に該当する。『わが国の医学論文においてパキシルの副作用に関する報告が行われるようになったのは、平成13年以降のことである。しかし、パロキセチンの添付文書に「投薬中止(特に突然の中止)により、めまい、知覚障害(錯感覚、電気ショック様感覚等)、睡眠障害、激越、不安、嘔気、発汗などがあらわれることがあるので、突然の投薬中止は避けること。投薬を中止する際は、徐々に減量すること」という記載がなされたのこそ、平成15年8月である』。

要約すれば、A教授のパキシルに関連した議論は二つの全く異なる現象を混同している。2003年(平成15年)8月に日本の添付文書に記述されたと報告されたパキシルの突然中断が原因の問題はいわき病院事件に該当するので、それ故、渡邊医師は他のSSRI抗うつ薬ではなくパキシルに特有の重要な事項を認識するまでに28ヶ月の期間(平成15年8月—平成17年12月)があったことになる。

しかしながら2006年(平成18年)6月から2009年(平成21年)5月までの情報はパキシル服用(中断の問題では無い)に係る自殺行動に関連しており、パキシルだけの問題では無く全てのSSRI抗うつ薬に関係する全く異なった別個の問題である。パキシル服用による自殺の問題はいわき病院事件には関係しない。パキシル服用による自殺の問題に言及する事は2005年(平成17年)12月までの日本国内における問題の事実関係を不明瞭にするだけであり、他の国と同様に、(日本でも)精神医学本流でパキシルの中断に関係する重大な問題は十分に確立されていた。


5、パロキセチンに関する記述

(質問)
A鑑定人が記述した、渡邊医師がパロキセチン(パキシル)の離脱症状を考慮しない医療を行ったことを過失で無いとすることは許されますか。


(回答)
  許されない。上記の4、で回答したとおり、A教授はパキシルの突然中断に関する(本来の)問題を、パキシル中断の問題(この問題は2005年(平成17年)12月の遙か以前に出現していた)と、2005年(平成17年)以降に問題が発生したパキシル服用による自殺の問題を混同したと考える。いわき病院事件では、2005年(平成17年)までに確立されていたパキシル中断の問題が該当する。


6、野津純一の放火暴行履歴の把握

(質問)
1)、いわき病院には以下の記録がありますが、これだけの自己病院内で保存されている記録があれば、主治医の渡邊医師と第2病棟看護師は野津純一の他害危険リスクを十分に承知して、行動予測の参考とすることができたのではないでしょうか。


(回答)
  我々医師団は、いわき病院は野津に関して定常の精神状態の観察など基本的な仕事をするべきであり、処方薬の変更や中断した後の日々で病状が不安定化するような状況では観察を頻繁にするなどの対応を取るべきであったという意見である。


(質問)
2)、他の病院からの過去履歴の取得は必須ではなかったのでしょうか。


(回答)
  本設問に野津氏を診察しないで回答することは困難である。野津氏は精神の病でいわき病院に入院していたのである。「いわき病院は野津氏がいわき病院に入院中は野津氏の過去の記録を入手し、聴取することで付随的な情報を得るなど合理的な手段を講じるべきであり野津氏の精神状態を知ることに責任があった」とするのが私たちの意見である。我々医師団が入手した記録を読む限りいわき病院はどの仕事も満足に行っていない。仮にいわき病院が仕事を行っていた場合には、

1)野津純一に暴力の危険性の亢進を予想することが可能であり
2)その暴力のリスクを削減する基本的な管理手段(マネージメント)を講じることが可能であった。


(質問)
3)、主治医(病院長)がいわき病院に保存されていた野津純一の過去履歴を承知していなかった事実をどのように考えますか。

(1) いわき病院インテークカード、平成13年4月20日、Y医師
身体の障害  1、軽度    精神・行動上の障害  3、高度
(2) OT処方箋、平成13年6月21日、Y医師
治療の目的  (7) 攻撃性の発散
(3) 入院前問診、平成16年9月21日、H医師
父親説明
1) 衝動的に暴力を振るう
2) Y医院前で若者に暴力
3)両親が攻撃すると発言
4)近隣の烏骨鶏が本人に向かって鳴く、誰かがニワトリを使って悪口を言う
5)両親に向かってたばこを買ってこいと言う
(4) 入院時聴取、平成16年10月1日、V・SW
母親説明
1) 16歳時に火災の原因者
2) 中学当時に両親に暴力を振るう
3) 出会い頭に若者を襲った
4) 情緒不安定時に家具や品物を壊す
(5) 香川医大、P医師の紹介状、平成13年4月19日
1) 関係妄想の出現が見られる
2) 人格障害、平成12年3月から行動への被影響も出現
3)幻覚妄想状態、困惑感、混乱、そわそわ感
(6) S看護師からR看護師宛、野津純一の問題行動リスト、平成17年1月10日
○ 幻聴により衝動的に自傷他害の恐れがある

 野津純一の診療録記載事項
(7) 平成16年10月21日 看護師を襲った
A鑑定人は唯一本件だけを認めた
(8) 平成17年2月14日、渡邊医師による診察(主治医交代時)
野津純一は「25歳時に一大事が起こった」と発言し「一大事の相手の名前を言いかけた」が、渡邊医師は内容の確認をしていない
(9) 平成17年4月27日、退院教室
野津純一は「再発時に突然一大事が起こった」と発言したが、いわき病院はその内容確認の作業をしていない

(回答)
  我々医師団は渡邊医師の記憶や一貫性に関して意見を言う立場にはない。しかしながら、本意見書および最初の鑑定書で既に回答したとおり、いわき病院は過去の危険行為に関する十分な情報を入手可能であった。従っていわき病院はもともとリスクが高い状態に加えて大規模な同時薬事処方変更で一時的にリスクを上昇させたのであり、頻回に精神状態を観察し、管理計画(マネージメントプラン)を変更して、リスクを緩和することは可能であった。

7、「一般の精神科病院」のリスク管理の必要性

(質問)
1)、大規模な処方変更を患者の治療に関係しているスタッフに周知するのは当然の事ではないでしょうか。病棟看護師長が「カルテを見て、処方変更に後から気が付いた」と証言したことをどのように考えますか。


(回答)
  英国では病棟チームのスタッフに(医療情報を)周知し治療方法の変更決定に関与させることは、特に長期入院患者の場合には当然で基本的な業務規範である。私たち医師団が本報告書と前回報告書で明確に記述したとおり薬事処方の変更が一時的にせよ精神状態を悪化させると考えられる合理性と可能性があれば、処方変更を行う医師はその(リスク亢進の)可能性をスタッフに周知することが基本である。


(質問)
2)、医療観察法の病院でない、「一般の精神科病院」ではA教授が主張したとおり、リスク管理は必要ないでしょうか。


(回答)
  既に述べたとおり、英国では業務規範となっている定型リスクアセスメントの場合も、定型ではないが患者に対する常識的な医事業務である場合にしても、患者のリスクを低減するリスクマネージメント計画を導入して患者のリスクの実態を把握する十分な情報収集を行うリスクアセスメントを行うことは、全ての精神科医師が行うべき基本的な業務要件である。それ故、日本の精神科医師に定型リスクアセスメントが適用されないという条件を踏まえるとしても、全ての患者に対して常識的な安全確保は行わなければならない。いわき病院の野津氏に対するリスクマネージメントは同人の他害履歴を十分に踏まえておらず安全を確保したものではない。いわき病院は抗精神病薬と抗うつ薬の中断によるリスクの亢進を考慮せず、11月23日から12月6日までアセスメント(病状評価)が不足していたという証拠があり、リスクが一時的に亢進することを診断するリスクマネージメントを行わず、病状の変化に対応せず、介入していない点を指摘する。


(質問)
3)、野津純一は任意入院の開放処遇なので、一般の精神科病院であるいわき病院は自傷他害行為リスクを考慮したり軽減したりする必要はないのでしょうか。


(回答)
  本質問に対する回答は上記の6の2)の回答と重複する。本質的にそうする必要がある(開放処遇でも、自傷他害はありえる)。加えて、英国では任意入院患者が任意入院のままでは自傷他害のリスクが高すぎると見なされる場合には、患者を任意入院の立場から変更して、非任意入院患者に該当する公的基準に合致するか否か見直しを検討する。


(質問)
4)、処方変更後から事件発生までの間に野津純一に対して自傷他害行為のリスクを考慮した診察や医療的介入を行うことは人権侵害に当たりますか。むしろ治療的介入を行わないことで患者が治療を受ける権利を侵害したことになりませんか?


(回答)
  我々医師団は、十分なリスクアセスメントとリスクマネージメントを行っておれば殺人を防止できた、と指摘する。野津は犯行を行ったことにより有罪が確定したが、いわき病院が適切な治療を行っていたならば野津は犯行を行わなかったと考える。野津はいわき病院で治療を受けていたが、いわき病院が義務を適切に果たさなかったが故に現在服役中である。これに対する反論として——A教授は最初の鑑定書で概ね以下の通り主張した「暴力行動リスクが亢進すると考えられる全ての患者の監視と制限を極端に強化することを余儀なくされ、日本の精神医学は適切に機能することは困難となる。」しかしながらいわき病院事件は、実際に発生していたリスクと、(実際に)行ったマネージメントの間には大きな格差があり以下の3要因が同時に発生したと我々医師団は確信する——これは結果として発生した殺人とは関係がない。

リスクの観点から3要因は、

(1)重大な他害行為に関する多数の報告が存在したこと、
及び
(2)既存のリスクに加えて断薬すれば問題が発生する可能性がある抗精神病薬と抗うつ薬を中断して極端にリスクを亢進させたと思われること、

その上で、
【訳者挿入:(3)】リスクマネージメントの観点で精神状態の変化を観察する定常の医療的介入(診察)が行われず、上述の(1)と(2)の要因が複合していたにもかかわらずリスクマネージメントの変更が検討されなかった。


(質問)
5)、いわき病院は任意入院を免責理由としている。「任意入院」ではそもそもリスク管理は必要ないのでしょうか。野津純一の場合は、放火他害履歴がありましたが、その場合でもリスク管理を行わないことは重過失に当たりませんでしょうか。


(回答)
  既に述べたとおり、全てのケースで基本的なリスクアセスメントとリスクマネージメントを行うことは必須である。我々医師団はリスクアセスメントとリスクマネージメントを全く行わないことは(第1次鑑定意見書及び本鑑定書第1問のとおり)英国では容認されないという見解である。


8、処方変更後の診察とリスクアセスメント

(質問)
1)、11月23日に処方変更を実行した後でいわき病院は一度もリスクアセスメントをしていないが、主治医の渡邊医師はどのようなスケジュールと手順でリスクアセスメントをすることが求められていたでしょうか。


(回答)
  英国では入院患者は毎日病棟スタッフと接触し病棟から外出するときには病状評価(アセスメント)を行う決まりになっている。入院患者に対する典型的なコンサルタント医師の診断は週に1〜2回行われるが、(不快症状や精神症状が変化するなど)問題が生じた場合には診察回数が増やされる。リスク要因がない場合でも上述の規定は標準として守られる。野津氏の2005年(平成17年)11月23日から12月6日までの状況では、精神症状の変化が予見されていたのであり、更に攻撃性の亢進も同時に予想されるため、回数を増やして定期診察を行う必要があった。


(質問)
2)、事件当日の12月6日午前10時に野津純一は看護師を通して主治医の診察願いを出したが、渡邊医師は「通常の風邪である」と診断せずに断定して、診察を拒否しました。これは主治医の裁量の範囲といえるでしょうか。臨床医療上問題となるところはどこにあるでしょうか。主治医は患者の病状把握を自ら行わなくても良いのでしょうか。


(回答)
  この特定のケースに医師と看護師の間で交わされた言葉の内容を正確に承知していない我々が回答することは困難である。質問を転換して「主治医には診察依頼を受けて断るだけの正当な理由があったか」とすれば、我々の回答は「否」である。

1)、満足できる理由はおろか、いかなる理由も記録されていない
2)、もし必要なリスクアセスメントが既に行われていたならば、(次なる)患者からの医師の診察要請はリスクマネージメントと良好な医療を行う端緒となっていた


(質問)
3)、イライラは専門家でなくても容易に他人に分かるものですが、大規模な処方変更後に患者が酷くイライラしていても、「イライラは病状悪化とは限らない」と診察拒否をすることは許されますか。


(回答)
  「イライラは病状悪化とは限らない」に関して言及すれば、医師であれば、このように決めてかかることはできず、患者に異変がある可能性を診察しなければならない。


9、慢性期の統合失調症患者に見られる不可解な行動

(質問)
A鑑定人は「純一の起こした殺人事件は慢性期の統合失調症患者に見られる不可解な行動や衝動行為として理解するほかない行動であり、一般的な精神科病院における医学的診察や観察の水準で、察知することは不可能な種類の精神症状の変化に基づくものであり、仮にリスクアセスメントやリスクマネージメントが的確に行われていたとしても防ぐことが困難な事件」と鑑定しましたが、この記述をどのように考えますか。


(回答)
  殺人は正確に予見する事はできない:それ程珍しい事象である。しかしながら我々医師団は、基本的なリスクアセスメントとリスクマネージメントを行っていたならば、野津氏は殺人を行った時には、暴力行為を実行する危険性(リスク)が極めて高い状態になると予見できたという見解を持つ。予見性を持てば、野津が望めばいつでも行えた自由外出許可のリスクマネージメント(管理計画)の見直しが必要となっていた。もしいわき病院が野津に合理的なリスクマネージメントをしていたならば野津氏の殺人行動を防止できていた。


10、いわき病院の患者観察と看護

(質問)
1)、「左頬の根性焼き」にいわき病院内では誰も気が付かなかったことをどう思いますか。


(回答)
  野津が病院内で観察と治療を受けず、看護師の基本的な接触もなかった証拠である。


(質問)
2)、血だらけで帰院しても誰も気付かず、夕食を取らず、翌日同じ服装で外出を許可したことをどのように考えますか。


(回答)
  いわき病院の観察とアセスメントと治療がなってなかった証拠である。これらの事実から、(大規模な薬事処方変更が行われた)その時にアセスメントを強化しなければならなかったにもかかわらず、野津氏の精神状態の現状に関連したいかなる要因の評価(アセスメント)も行われなかったという全体的な印象を持つ。いわき病院は野津に睡眠と生活の場所を提供していたが、病院スタッフは野津の様相と行動に気付いておらず、処方薬を中断していたにもかかわらず定期的な医療診断も行われなかったのである。


(質問)
3)、事件がTV新聞で大きく報道される中で「いわき病院の患者が犯人」という事実にいわき病院第2病棟スタッフは誰も気付かなかった(実際には、矢野と面会した他の病棟の精神科専門看護師は、事件報道を受けて事件当日には、最も可能性が高い容疑者として野津純一をあげていた、と説明した)ことをどのように考えますか。


(回答)
  上記の1)と2)の回答と同じである。


11、外出許可中の犯行

(質問)
1)、A鑑定人は病院は外出許可中の行動に責任を取れないとしているが、どう思うか。


(回答)
  いわき病院は野津純一に適切な医療を与えられなかったのであり過失責任がある。英国法では医療関係者には受け持ちの患者に対して「治療義務」を課している。いわき病院には野津純一が病院内にいても外出中であっても治療義務があった。しかしながらいわき病院は治療義務を果たさず、その結果として無関係な人間に対する殺人が発生した。


(質問)
2)、「外出許可後30分以内の犯行」をどうとらえますか。


(回答)
  これは我々の意見を変更する要素にはならない。重要なポイントは野津純一がいわき病院から治療を受ける入院患者であるという事実である。いわき病院には義務を果たす機会が十分にあったにもかかわらず、いくつもの段階で義務を果たすに至らなかったのである。いわき病院の治療義務は野津純一がいわき病院の入院患者である限り病院外にあっても継続する。


(質問)
3)、「病院から1Km以内の犯行」をどうとらえますか。


(回答)
  上記の2)の回答と同じ。


12、開放医療と精神科医師の民事責任

(質問)
1)、A鑑定人は「それでは精神医療を破壊することになる」と指摘し、その根拠を「一律に開放医療を制限することになる」としていますが、これをどう考えますか。


(回答)
  我々医師団がこれまで実際に精神科医療を行いかつ医療現場を観察した全ての国々(英国、カナダ、オーストラリア、ニュージーランド、米国)ではいわき病院の実態と比較して、遙かに厳しいリスクアセスメント(危機評価)とリスクマネージメント(危機管理)義務が課されている。それでも、これら全ての国々では精神科医療が適切に機能しているという事実があるーリスクアセスメントを実行する事で病院資源を最もリスクが高い患者に集中することが可能になったため、これらの国々における精神科医療システムはリスクマネージメントにより増加した仕事量で混乱していない。

本件裁判の原告の請求はいわき病院の野津純一氏に対する入院管理責任に限定されたものである。我々医師団はいわき病院事件を検証していわき病院の入院管理は極めて不十分であるという確信を得た。我々医師団の誰も日本で精神科医療の体験を持たないため、日本の精神医療水準を承知しないが、それでもいわき病院の野津純一に対する入院管理の事例が日本の精神科医療の一般的な水準であると信じることは極めて困難である。仮に日本で定型的なリスクアセスメントが義務化されていないとしても、また、いかなる法体系下にあるとしても精神科医師は受け持った患者の精神医療履歴の全てを掌握することが当然であり、特に過去に暴行履歴がある場合には必須である。精神科医師であるならば、抗精神病薬と抗うつ薬のパキシルの両方を同時に中断してはならず、そして危険性(リスク)が亢進する可能性がある時期に精神状態を頻回に診断しないことは当然あってはならない。その上で、精神科医師であるならば、このような条件の全てに当てはまる患者を医療診断(アセスメント)も無しに本人が希望するからとして病棟の外に出してはならない。このような医療過誤と貧困な医療管理が連続した実態はいかなる先進国でも普通でなく異常である。このような重大な過失を正すために費やされる作業量の増加もしくは資源量は限られており、「日本の精神科医療を破壊する事になる可能性はほとんど無い」と考える。

最後に、A教授が言及した日本の精神科医療の水準が英国、カナダ、オーストラリア、ニュージーランド及び米国の水準と比較して大きくかけ離れていると我々医師団が確信する事に極めて大きな困難を覚えた。A教授は最初の鑑定意見書で英国の精神医療の実態に関して数多く引用しており、同教授の論理は英国におけるリスクとデインジャラスネス(危機と危険性)に準拠していた。我々医師団は英国やカナダ(デイビース医師が現在精神科医療に従事中)、オーストラリアとニュージーランド(クリスマス医師が両国で医療経験を持つ)、及び米国(マクアイバー医師が精神医療観察者を務めた)の標準は、日本には該当しないとA教授が主張することは不正直であると考える。A教授は英国の文献を多数引用することで、ある先進国において優良で有益な医療手法は、特段のその国の特殊事情がない限り、他の先進国でも優良な手法となると認識している筈である。現実的にも精神医療の進歩と発展は先進諸国間では密な相互関係がある。我々医師団が最初の鑑定意見書で解明した数々の拙劣な精神医療が行われた証拠が「日本の標準と合わない」として否定され、いわき病院が野津純一に対して行った精神医療が日本で適合する水準であるとされるならば、日本は国全体として精神医療水準が驚く程に低劣で、西側世界で精神医療に期待される質の点で完全に問題外であると指摘されることになる。


(質問)
2)、訴訟で病院と医師の責任が追及されたことで精神科医療を行えなくなった事例はあるでしょうか。


(回答)
  上記の1)の回答と同じ。


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