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精神障害と法的責任

平成18年8月26日
矢野 啓司

矢野真木人を殺害した野津純一の裁判は2006年6月23日に懲役25年の判決が下され、被告側が控訴しなかったために確定した。これは日本ではたった一人を殺害した精神障害者に対する判決としては初めてのことだ。これは刑法第39条で「心神喪失者は罰しない」また「心神耗弱者の罪は軽減する」と規定されている中では画期的な判決である。


1、矢野真木人の最期

矢野真木人が殺害された時に着用していた衣類などは高松地方検察庁に証拠品として保管されていたが、7月18日に矢野真木人の両親に返却された。衣類が返却されるまで、当日真木人が何を着用していたか、どのような品物が証拠品として採取されたのかも知らなかった。遺族は裁判の期間中は証拠品も見せてもらえない。証拠品を遺族が見れば、それなりに当局とは違った視点と見方もある。本来は犯罪の初期の段階から、遺族には遺品である証拠物品を提示する必要がある。更に願わくば、当時犯人の野津純一が着ていた衣類も、証拠品として見たい。

矢野真木人当日着ていた衣類は肌着と、長袖のシャツと、外套のジャケットだった。どれも救急治療の際にはさみでずたずたに切られて、最初はどの衣類も上下を判別するのも困難だった。しかし、丹念に探すと犯人がつけた刺し傷の跡は、明瞭に残されていた。ただ、衣類が原形を留めていないために、衣類を見ただけでは傷の位置や、凶器の包丁が刺し込まれた方向などは推定できない。それで、衣料品売り場などにあるマネキンを買って、その上に、ジグソウ・パズルのように真木人の肌着を着用させた。

マネキンに着用させた肌着のナイフが突き刺された位置は右胸の乳頭の少し内側下部である。凶器の包丁は最大幅が46ミリだけれど、肌着と長袖シャツの切り口は60ミリあった。野津純一が矢野真木人を襲った瞬間には、衣類は直立した身体を覆っていたはずだ。60ミリの切り口が発生するには、刃物を斜め上から刃の切削面と身体の角度が53度で振り下したことになる。

衣類に残された切り口の断面は、長袖シャツと肌着共に上部の切り口が鈍く、また肌着には上部に包丁の背面の鉄の肉厚に等しい二カ所の鋭角で切られたような跡が見られた。下部はシャツと肌着共に鋭く切られていた。包丁は刃を下向きにして背を上にして、上から53度の角度で打ち下ろされた。一番外のジャケットには切り口は無いので真木人の前面はジャケットが開いているところに包丁が振り下ろされた。

裁判で犯人の野津純一は「1メートルの距離から突然矢野真木人を刺した」と証言した。野津は包丁の柄の尻を親指でしっかり押さえて握りジャケットに隠していた。至近距離でいきなり包丁を振り上げて、ダッシュの勢いで急接近しつつ振り下ろして刺したものである。この時の包丁を持つ手は、親指を包丁の柄の尻に当てた、下向きの握り方となる。この握り方だと、凶器と同一形の包丁で確かめてみると、筆者の手で刃先から手まで丁度18センチとなる。真木人が、刺された傷の深さも18センチであり数字が一致する。また肋骨を1本半は切断したはずである。

肌着と長袖のシャツに付いた血は、相当な勢いで吹き出ていたことを示す。野津は体当たりの勢いで包丁を矢野真木人の身体の奥深くに差し込んだ。右手は包丁を持ったままで真木人を殴る形になり、野津の身体も真木人に体当たりしたはずである。また包丁は柄まで差し込まれて傷口を押し広げた(肉厚は刃2ミリ、柄15ミリ)。包丁を持った野津の手にはべっとりと血が付いた筈である。また野津のジャケットとジーンズにはかなりの返り血を浴びたはずである。ただ、野津のジャケットはあずき色、ジーンズは紺なので、一見しても血が付着していることを視認するのは困難であった可能性がある。野津純一は血が付いた手のままで病院に帰り個室で手を洗ったが、完全に血糊を洗い落とすには、かなりの作業だっただろうと思われる。そのため、手洗いの回りには血痕が飛び散っていた可能性がある。ジャケットとジーンズのままで病院に帰ってベッドでふて寝をしていた。病院に帰るまでに真木人の血はかなり乾燥したとしても、ベッドのシーツには血痕が付着していた筈である。病院の室内清掃と翌朝のベッドの確認作業の内容が疑われる。

矢野真木人の死体の横約1メートルの場所に包丁が落ちていた。この包丁は、事件後から「真木人本人が抜き取ったのではないか?」と疑われていた。ところで、野津純一が真木人に包丁を突き刺したまま手を放したとすると、包丁は柄の部分まで突き刺さっていたので、柄の厚さは15ミリなので長さ60センチの傷口は肋骨を押し広げて幅15ミリ開口していたことになる。そこに大量の血が体外に吹き出る隙間が生じ、包丁の柄は一瞬にして血糊がべっとりと付いた筈である。真木人が独力で包丁を抜くにはべっとりと血が付いている包丁の柄を握ることになり滑って困難だったと思われる。また真木人は両手で上向きに包丁を抜かないと包丁は抜けないので、相当に困難な作業である。

包丁を矢野真木人の身体から抜き取ったのは、野津純一である。包丁は真木人の死体の1メートル横にあった。野津純一は、真木人に体当たりして刺した後すぐに包丁を抜き取り、逃げる真木人を追って迫り、仰向けに転倒した真木人の横に包丁を投げ捨てた。なお、真木人のジャンパーの背には切り傷はなかった。野津純一は矢野真木人が死ぬ過程を観察していたことになる。転倒した真木人からは体中の血が吐き出されたので、真木人のシャツの背面にはおびただしい血がこびりついていた。


2、体格弱者を突然襲うという性向

野津純一と接したことがある複数の看護師は「普段から野津純一は無表情で一人でいることが多い。野津純一の攻撃範囲内に不用意に入ると、突然また瞬発的に襲われるので、常に用心していた」と証言した。野津純一は医師のような自分に対しては圧倒的な権威を持った人間は攻撃せず、自分より身体が小さい男性を攻撃する傾向がある。野津純一の体格は身長184センチ体重100キロなので、普通の日本人よりはよほど体格が大きい。

矢野真木人を殺害した当時の経緯は次の通りである。

野津純一はいわき病院の喫煙室が汚れており、だれかが喫煙の邪魔をしようとしていると疑ってイライラしていた。また、自室の隣の非常階段を病院職員が上り下りする際に発生するドアを閉める音が大きくて煩わしく、幻聴を聞き誰かが父親の悪口を言っていると誤解していた。そして矢野真木人を殺害する一週間前には、タバコの火を自分の顔の左の頬に押し当てて「根性焼」をした。この根性焼きはいわき病院では発見されることはなかった。前日には37.4℃で風邪気味であり、当日は食欲もなかったが、一日2時間以内の病院外への外出許可は見直されなかった。

野津純一は自分のイライラ感を解消するために「誰かを殺そう」と思いついたが「病院内で事件を起こすと世話になった院長や看護師に迷惑をかける」と思いとどまり、病院から外出の際に誰かを殺すことにした。純一は12月6日には12時過ぎに病院を出て、約1キロ余りの距離にあるショッピングセンターに向かい、100円ショップで万能包丁を購入して、店外で包装を破り、上着ジャケットの下に包丁を隠し持って、ショッピングセンターの駐車場内を病院の方向に向かって歩いた。純一は約100メーター駐車場の中を歩き、丁度昼食を終えてレストランから出てきた矢野真木人と、矢野真木人の車の後ろで交差した際に、約1メートルの距離から突然攻撃姿勢になり、包丁を振りかざして突き刺した。

矢野真木人は身長170センチで体重55キロ程度で、野津純一よりはかなり小柄でまたやさ男である。それが野津純一から見れば、運良く攻撃範囲内に無防備で進入した。相手が無防備な瞬間を狙うという、野津純一の攻撃的性向を誘発するには最適の条件が生じた。もし矢野真木人との距離が数メートルあれば本件殺人事件は発生しなかった。純一は病院に向けて歩いていたので、国道194号線川東下交差点が次に危ない場所で、信号待ちの人に突然襲いかかった可能性がある。また交差点から病院までは県道の脇の幅1.5メートルの歩道を歩くことになるが、前方から来る通行人と交差した時点で襲いかかった可能性もあった。野津純一が包丁を手にした後で、矢野真木人が最初に野津純一の攻撃範囲内に入ったことが、最大の不幸である。


3、野津純一の統合失調症から

野津のとった行動は全体として見れば支離滅裂である。「病院内で事件を起こせば、周囲に迷惑がかかる」としてわざと病院の外で事件を起こしておきながら、被害者や親にかかる迷惑は全く考えない。「包丁を購入して犯行に及ぶ」という合目的的行動を行い、犯行後「ああやってもた、俺の人生終わってもた」と言うほどの理性や「警察が来たんか?」と問う判断力を示しながら逃亡しようとしてない。翌日には事件の時の服装で現場に出て報道陣の目についた。前後に脈絡がなく統一的な判断力が無いかのように見受けられる。

12月6日の野津純一は個々の局面では合目的的な行動を行い、理性的な判断を行っていたが、全体を見ると統一的な判断力が保たれなかった。これは統合失調症の特徴的な症状であると言える。また野津純一は中学校の時から統合失調症が始まり、その後適切な治療が行われなかった。あたかも青年期(?)痴呆のような状態で、健全な知能の発達が遅れているようにも見受けられる。全体として見た総合的な判断能力が劣る。このような野津純一の状態を持って「心神耗弱」の状態と言うのであろうか。

普通の人でも殺人事件を起こすと精神は動揺する。統一的な合目的性を維持できず、他人から見れば矛盾した判断や行動を往々にしてとる。では普通の人でもそのことを持って「心神耗弱か心神喪失の状態にあった」と主張できるだろうか。また正常で冷静な頭で判断しても、教育水準や知識の違いによっても判断の統一性や合目的性の内容は異なることがある。そうすると知識の不足は「心神耗弱」と言えるのであろうか。

法律の普遍的な適用性を考えると、刑法第39条による刑罰の軽減や刑罰の不適用は、精神障害者に対してだけでなく、全ての人間に対して適用されてしかるべき規定であるとも言える。もともと誰も完全な知識は持ちようがない。また犯罪が統合された状況判断でおこることも稀であろう。更に刑法第39条が適用される精神の状態は、犯罪を犯したその時とされる。誰の場合でも、落ち着いた平常の精神状態では無いのである。

過去の事件の記録(「精神分裂病と犯罪」山上晧、金剛出版、P80)を参考にすると、本で事例にされた精神障害者は「8年間に4回も殺人行為をして実際に二人を殺人した。それでも警察は逮捕を渋り、検察官は不起訴処分として病院に強制的に入院させた。しかし、そのたびに比較的短期間で何回も退院して次の事件を起こした。本人が法務局の人権相談等を希望して相談を受けたりもした。これは本人が法律の何たるかを理解している証拠でもある。更に本人も『裁判にかけて欲しい、病院に入院しても再び人を殺す』と主張した。それでも不起訴で病院送りとなっている。入院しても、普段の状態では好人物に見えるので、再び退院して、犯行に及んだ」このような事例がある。

本人が法律相談を受け「自分は再び犯罪を犯すことになる」という予想もしくは発言までしたのに、関係機関は何も根本的な対策を取らない。それで犯罪を犯せば「統合失調症で不起訴処分」となり、入院すれば「根は好人物である」として早期退院させる。これは、「統合失調症は心神喪失」であるという単純な論理構成の図式が後生大切に信じられて。また奉られて、不可侵なものとして信じられて、処分が行われているからである。これは法律家や医師などの専門家や、関係各機関の不作為による公の犯罪である。

統合失調症患者は薬の飲み忘れや薬を飲むことを拒否したりすることで、容易に興奮状態となり凶行に及ぶことがある。他方では警察や検察には「心神喪失の状態であるから、責任は問えない」とする単純な論理がまかり通っている。拘束後に精神障害者と見れば、精神鑑定が行われずに簡単に開放したり、逮捕しても短時間の簡便な精神鑑定で「統合失調症であることが確認されると即時に心神喪失」として安易に不起訴とする。ところがその本人を措置入院させても、病院はすぐに「善良な人間で病気は回復した」として退院させる。「心神喪失の判定があまりにも簡便で安易である」という事実と、「犯罪を繰り返している精神障害者で前回も同じような経緯で退院させて事件を引き起こしているにもかかわらず、再び何の新しい措置も取らずに安易な起訴猶予と退院が繰り返されている」事実が日本社会の問題である。

刑法第39条があるために、法律の運用の慣行が余りにも安易に流れていると考えるべきである。警察署、保健所、検察庁、裁判所の各部署で、法執行の慣例として刑法第39条の「心神喪失規定」の前には誰もが治安を維持して国民の生命を守るという意識を喪失している実態ができている。精神科の病院も、目の前の状態が良好であればそれでヨシとして安易な入退院を繰り返している。この不作為と無力感がこれまでの実態である。

野津純一は統合失調症(司法鑑定では慢性鑑定不能型統合失調症)であることは間違いない。その彼は論理的思考をする合目的的な行動も行う。だた、全ての行動を総合的に評価すれば、全体としての統一性に疑問が残るのである。おそらくこれは全ての統合失調症の患者に当てはまる症状である。それを拡大的に解釈してゆけば、全ての統合失調症の患者は「心神喪失」の要素を持つ。完全な合目的で統一された視点という判断基準を刑法第39条が持つとすれば、今度は普通の健全な精神を持つとされる者も何らかの要素で「心神耗弱」の要素や「心神喪失」の状態を心理状態の起伏の中で普通に経験しているのである。

精神障害者も健常者も同じように、時として心神耗弱の状態も心神喪失の状態を持つ。しかし精神障害者であれば、裁判では安易に心神喪失が適用され、はなはだしきは、正式の法手続も経ない、現場担当者レベルの判断で心神喪失が適応される。これは、法律運用実務の問題である。また法の下の平等が確保されず、法律運営の基本的な側面で法律違反が見過ごされている。それが日本の司法界の慣例となっている。


4、瞬発的な攻撃性

野津純一には瞬発的な攻撃性がある。それはいわき病院職員の「彼の攻撃半径内に不用意に入ると、突然攻撃されるのであぶなくて仕方がない」という言葉に裏打ちされている。人は「野津は、事前に何も考えない、突然に攻撃本能が出るのだ」と言うかも知れない。「野津本人も、攻撃してから、自分も驚いている、全くの無意識の行動だ」と言うかも知れない。もしかしたら猫の攻撃のように「周到に準備して獲物が攻撃範囲内まで入ってくるのを辛抱強く待って、相手の弱点を見逃さずに攻撃する」のかも知れない。

それでは野津純一は瞬発的な攻撃性故に「心神喪失」もしくは「心神耗弱」なのだろうか。野津純一の瞬発的な攻撃性は、病的な特質なのだろうか。それとも、それは野津純一の本来の気質もしくは反社会性人格障害という人格の障害なのだろうか。

野津の瞬発的な攻撃性が統合失調症に基づく「心神耗弱」もしくは「心神喪失」の状態である場合には、その瞬発的な攻撃性がある間は、自由外出許可は与えられるべきではない。そもそも外出が許されるのは正常な人間であるべきだ。いわき病院では看護師が野津の瞬発的な攻撃性を恐れていた。そうであれば、そのことはカルテに記載されるべきであるし、野津の課題としてきちんとして矯正がなされているか否かが検討されるべきだ。片方では、野津の突発的な攻撃を恐れている職員がいる、同時に野津はおとなしくて危険が無いと判断する事に、そもそもの間違いがある。

野津の瞬発的な攻撃性が野津の本来の気質である場合は、それが矯正できる性質のものか、そうでないのかが明確に判断されねばならない。野津が矯正できない性質として攻撃性を持つ場合には、懲役25年の満期の後には、精神病院で拘束する必要がある。野津純一は社会に出してはならない。自由を得た野津純一は、再び誰かを突然攻撃して、場合によっては再び命を奪うだろう。


5、インドの肉屋

ある時インドのアッサム州の片田舎で、首都デリーまで帰りの旅客機が故障で飛ばず、その修理待ちで丸一日宿泊待機した。早朝の田舎町の市場で肉屋さんが羊の解体処理をするのを見物した。肉屋さんは、道路脇の露天の横に羊を5-6頭繋いでいた。売り物台の肉が少なくなると、繋いである羊をその場で屠殺して解体する。その作業は驚嘆するほど手慣れたもので、さっきまで生きて草を食べていた羊はものの20分ばかりで、売り物台の上の肉片の商品となる。

最初に、羊を引き寄せる。羊はじたばたして少し抵抗する。あっという間に羊が立ったままのどを切り裂き、頸動脈を切断する、血はほとばしり出て、肉屋は置いてあるバケツに血を注ぎ込ませる。羊はその時少しもがくが、数秒で動かなくなる。それでも血はどんどん身体から排出される。1-2分ぐらいで、血の排出は止まる。肉屋は頭を切り離し、後足に縄を掛けて、上下逆さまに羊をぶら下げる。後は、器用に皮を剥ぎ取り、羊は丸裸の肉のかたまりとなる。内臓を取り出して、後は、肉の部位毎に切り分けて、どんどん売り物台に乗せてゆく。その間にも客が新鮮な肉を買っていく。あっという間に、羊の後ろ足の爪だけがぶら下がった状態になる。

肉屋が解体処理する、すぐそばにいる生きた羊は何事もないように草をハミながら、自分が殺される順番を待っている。肉屋は毎日5-6頭を殺しているとすれば年間で2000頭を殺し、彼の一生では5万頭ぐらいを殺す計算になる。この男は、羊の立場から見ると、手慣れた殺羊鬼だ。彼は、羊の一頭を殺すのに、何の感情も抱かず、羊の血がほとばしり出るのも、断末魔の抵抗にも、何も感じないだろう。もくもくと毎日の手順を踏んでいるだけだろう。ひょっとしたら彼は「羊をさばいている間何も考えない」と言うかも知れない。身体にしみこんだ一連の行動なのだろう。手が勝手に動くのだろう。それはまるで「野津が攻撃半径の中に入ってきた人間を突然攻撃するようなものである」とも言えるのではないだろうか。また、手が勝手に包丁を突き刺したと主張するのとどこが違うだろう。

仮に羊が人間であれば、この肉屋は冷酷無比の殺人鬼として非難される。あまりの冷酷な手さばきに、精神状態が正常でないと言われるだろう。肉をさばいている間は無心であるとしたら、心神喪失状態と言われるかも知れない。人間と羊と立場が違うだけで、同じ行為でも受け取り方に違いが出る。インドの肉屋の見事な羊の屠殺と解体処理を見ていて「この男は敬虔なイスラム教徒」なのだろうと考えていた。彼は毎日モスクでメッカの方向に向かって、敬虔な祈りを捧げているに違いない。その神を信じると言う一点を持って「心神喪失」でも「心神耗弱」でもあり得ない。彼の心の中には人間の心と神との契約が厳然として成立している。

この「インドの肉屋さん」現象は、私どもが気にはしないが、普段毎日のように経験している。最近は魚を丸ごと買って調理することは稀であるが、それでも、魚を買ってくると、ゴキブリや人間の血を見たら大騒ぎする同じ主婦が、簡単に頭を切り落とす。これは相当にすさまじい光景である。また料亭では活魚を生きたまま水槽から取り出して、顧客の前で頭を切り落として刺身にして客の皿にのせる。それを見て卒倒する顧客はほとんどいない。むしろ新鮮な刺身を賞味して、満足感に満ちた幸せな表情をする。これもかなり大きな個体の命を奪うという意味では本当にすさまじい。私たちは人間であるので、他の種の、また他の動物の断末魔を目の前で見ても、さほどの感傷を持たなくて正常なのだ。

野津純一は矢野真木人を刺し殺した時には「インドの肉屋さん」もしくは「活魚を絞め殺す姿を楽しんでいる顧客」と同じ心理状態にあったとも言える。目の前で死に行く者に対してはあくまでも冷酷で冷静。しかし野津の場合は、それが社会的影響として自分の立場を変えるという知識があるために「ああ、やってもた。俺の人生終わってもた」の言葉にもなるし、「警察がきたんか」と言って逮捕されるのを恐れた。しかし彼の心は死に行く矢野真木人に対してはあくまでも「インドの肉屋さん」の冷静で冷酷な状態だった。

インドの肉屋さんも活魚を殺す人間も罰せられはしない。人間の世界の法律では法律違反ではない。また、インドで肉屋さんが公衆の面前で羊を屠殺して解体する作業は日本であれば残酷という非難を浴びるだろう。がインドでは「健康な羊から取り出したばかりの安全で新鮮な肉」という品質証明で、文化的には健全な活動だ。また日本で活魚を食することにもお刺身文化があり、少しの異常性もない。何が健全で、何が異常であるのかの判断も、国やその地域の文化に影響される。

人間の法律が人間の文化の中で適用される以上は、人間中心主義が原理だ。その中で人間が殺されるというのは許されざるべき行動である。野津純一は論理的思考の結果として、また彼自身の合目的行動の結果として人間を殺した。そのことが罰せられるべき行動であり、彼は「無期懲役が相当」とされた。ところが彼は統合失調症であるために、また全体としては統一性にかける行動様式もあり、検察官は減刑して「懲役30年を求刑」した。更に裁判長はもう一回減刑して「懲役25年の判決」を言い渡した。野津純一は統合失調症のおかげで、二回も減刑が適用されたのだ。一人を殺しただけで、懲役25年は日本では最初の厳罰である。それでも、彼は統合失調症患者として二回も刑罰が軽減される恩恵に浴したのだ。

上に「神を信じることができる人間は心神喪失ではありえないだろう」と書いた。では日本人で判断する「心神喪失では無い」とする基準は何だろうか。そもそも心神喪失は刑法第39条の概念だ。それは「法律というものを理解できる、社会の規律を理解できる、起承転結を理解できる、例え狭い範囲でも合理的な判断ができる」という事である。「心神喪失」の基準とは「病名としての統合失調症」ではない筈だ。


6、現実的な視点

矢野真木人の死の現場は、相当に凄惨な状況であったはずだ。肉親である私たちは、死が凄惨であったからこそ訴えられる立場がある。しかしそれで怨念返しを望み、感情に走った議論をしても仕方がない。 日本では明治期に刑法を制定して、江戸時代にあった殺人事件における「仇討ち権」という被害者の報復権を国が取り上げて、犯人を国が罰する法律制度に変革した。そのためか、実際の裁判では被害者の怨念の程度が犯人に言い渡される量刑を左右する。裁判官が法律に基づいて普遍的で妥当性がある刑罰の判断を行うのではなく、その時々の社会の情勢や被害者の心情に流されて判決を行う場合もある。

例えば死刑の判決がでる経緯では「被害者が犯人は死刑でないと、怨念が修まらない」と言い、そしてその怨念が強ければ強いほど、死刑が判決される可能性が高いようだ。あたかも検察官は「被害者が死刑を望むので死刑を求刑した」と言い。裁判官は「検察官が強く求刑したので死刑の裁決をした」と言い。法務大臣は「最高裁判所で出た死刑の判決だから、いやだけど、執行命令書に署名した」と言い。死刑執行官は「いやだけど、大臣の命令だし、ボタンを押さないと失職するので止む終えず」と言っているようである。公式機関の側では上から下まで一貫して責任逃れが行われて、その上で死刑が執行されている。結局、死刑執行の最初のボタンを押したのは、死刑を望んだ被害者で、何のことはない、自ら仇討ちしていた、江戸時代と本質は変わらないのである。

実はそれだからこそ、私どもは「野津純一に死刑」と言いませんでした。まかり間違って死刑の判決が出て執行された場合、その時には「私たちが最初のボタンを押した」と悔やむ事になると考えた。日本の国では、他の人間の命を自らの意思で強制的に奪った人間の処罰に対する判断基準が明確ではない。

刑法第39条の議論に接すると「国家の刑罰の乱用から弱い立場にある精神障害者を守る」との建前が一人歩きしている。刑罰を科さないのが人権擁護であるかのような論理の飛躍がある。精神障害の要素が少しでもあれば、社会的弱者であるとして、刑罰の軽減を一足飛びして、刑罰そのものに問われないとする慣行があった。条文の解釈論はあるが、人間の命を奪ったことに対する刑罰を課す刑法という法律を制定したそもそもの意味に対する視点が希薄であるように思われる。

精神障害の病気の本質が何であるかは医学的な問題だ。しかしながら医学はあくまでも病気の治療に活動の本質がある。また医学は日進月歩進歩している。したがって、昨年判断された当時の医学的見解に基づく精神状態の治癒の可能性も、今日では現実が異なっている。精神障害者は病気が治癒される方向に医学は進歩している。

法律的な問題としても「統合失調症すなわち心神喪失」という理解が続くのは、おかしいことである。医学が進歩すればするほど、心神喪失や心神耗弱の適用範囲は狭くなるはずだ。また「普段は精神状態は正常であるが犯行時にはその時だけ精神が異常であった」とするのもおかしな事である。見ることがない、確認できないことを無理に証明している。法律の判断は基本的には、現在の医学で保ち得る水準の平常の精神状態が基本になるべきだ。薬を飲めば正常な水準を保つことができるのに、自分自身の怠慢で薬を飲まずに異常な心理状態になり、犯罪を犯した場合には、薬を飲まなかった本人の責任が問われるべきである。そこには精神障害の患者であるとしても、本人には過失の要素が存在し、過失があれば責任が伴う。

刑法第39条は、どうやら時代の役割を終えた可能性がある。心神喪失で無罪を適用して、救わなければならない現象はあり得る。例えば、直前まで健康であった人が高速道路で突然脳梗塞を発症して交通事故を起こした場合だ。完全に意識を失った運転手に賠償責任を問えるか、という問題がある。またごく稀な事例として、ある日突然まるで意識を失うという精神障害が発生して不可抗力の犯罪が発生する場合があるかも知れない。しかしその様な事例は「突発的で稀な事例となっている」と考える。刑罰規定ではなくて、基本的人権の問題としての救済の道もあり得るだろう。 法律は普遍的なまた平常の現象を規定すべきである。本来稀な事例を規定していたのに、それがあたかも日常的でまた一般的な現象として過大に運用されて、現実の正義が失われる判決や、法律の運用や慣行ができあがるとしたら、それは法律の規定がおかしいのである。ごく少数、稀な現象としてあり得るとして、あたかも人権を守るような主張で残された条文が、多くの場合、被害者と加害者の人権を阻害しているとしたら、それを書き換えるのが、賢い国家の法制度だ。

精神障害者による犯罪は二重の悲劇である。ある日突然、何の前触れもなく、何の関係もなく被害者となって命を失う者とその家族にとって、これ以上の悲劇はない。他方では、他人に傷害や生命の危険を及ぼすかもしれないと知りつつ、それを止めることができない、またその予防措置を社会に取ってもらえない、また放任される本人と家族にとっても悲劇だ。このような悲劇は終わらせなければならない。それができるはずである。

危険な精神障害者が、殺人を犯しても、社会が無為無策で、本人は無罪で無垢な人間とされるために、社会の保護が受けられない。本人とその家族も、さらなる悲劇に苦しむ。また圧倒的多数の何の危険も社会に及ぼさない、善良な市民である精神障害者も結果的に社会から阻害され、また人間としての権利の行使に障害が発生する。精神障害者にも二重の悲劇が生じる。もしかして刑法第39条があるために、精神障害者の治療を安易に考えている医師がいるとしたら、またもしかして安易に考える医師の発生を促しているとしたら、それは精神障害者にとって三重の悲劇である。



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