いわき病院の過失責任
1、いわき病院の医療過失
1) 総合失調症を的確に診断できず抗精神病薬を中断後に経過観察を怠り診察拒否をして事件を発生させた過失
野津純一の統合失調症への罹患は20年以上の長期に及び、症状は再燃を繰り返していた。ところが、渡邊医師は、主治医として野津純一の統合失調症を適正に診断せず、具体的症状への対処が不完全であったという過失がある。
渡邊医師は、ICD-10(国際疾患基準)のF20.0妄想型統合失調症と、F20.2緊張型統合失調症だけを統合失調症としており、野津純一の主症状であるF20.1破瓜型統合失調症を見逃し、結果として野津純一の統合失調症を的確に診断できなかったという重大な診断上の過失があった。
野津純一はF20.0妄想型統合失調症、F20.1破瓜型統合失調症、F20.2緊張型統合失調症の全ての要素を内包したF20.3鑑別不能型統合失調症で、その症状は、破瓜型主流の慢性統合失調症であり、極めて寛解が難しいタイプである。しかるに、渡邊医師は、事件直後に警察と検察で行った供述で、当初は野津純一の症状を「統合失調症」と供述したのに、その後、「統合失調症と強迫神経症」、「統合失調症と強迫神経症で、あくまでもメインは強迫神経症」、「統合失調症を示す数値は低い」「統合失調症があったとしても、抗精神病薬定期処方中止は問題ない、頓服と不穏時トロペロン筋注で十分」と供述内容を変遷させた。
抗精神病薬の定期処方を期限を定めずに中断し、「精神症状の悪化は考えられない」として診察要請を却下し抗精神病薬再開を検討しなかったことは統合失調症の診断と治療が適切に行われなかった証拠である。平成19年8月20日に渡邊医師は「プロピタンは事件当日まで継続投与していた」とする診療録の記載とは異なる処方を提出したが、事件発生により「野津純一は統合失調症」と考え直すに至った為の行為である。渡邊医師は、F20統合失調症に重症のF42強迫神経症(強迫性障害)を併発していると診断するのであれば、「予後が特に悪い」ので、なおさら野津純一の統合失調症が慢性期破瓜型である可能性を見極める必要があった。刑事裁判のS鑑定では「慢性期破瓜型統合失調症は、どんどん人格荒廃が進み、廃人に近い状態になる型であるが、理屈はかなり遅くまで残存し、行為面が先に駄目になる状況」と説明されている。
ICD-10によるF20.1破瓜型統合失調症の説明と野津純一の症状が合致していると思われる点は、「野津純一は、感情の変化が顕著、妄想や幻覚は一時的、心気的な訴え、行動は気まぐれで予想し難い、同じ言葉の繰り返し、孤立傾向、行動は目的と感情を伴わないように見える、15歳から25歳までの間に発病した「陰性」症状、とりわけ感情の平板化と意欲低下の急速な進行のため予後不良となりがち」という点である。渡邊医師が、野津純一の主症状であるF20.1破瓜型統合失調症を野津純一の病前の性格・元来の気質と判断間違いをして、結果として野津純一のF20統合失調症を的確に診断できなかったことは、重大な診断上の過失である。
渡邊医師が野津純一の統合失調症を適切に診断していなかったことは、本件裁判の初期段階では「精神障害ではない者の犯行」という「統合失調症ではない者の犯行」と同義の主張を行ったこと、「反社会性人格障害と統合失調症は二重診断できない」と主張していたこと、本裁判提訴から2年が経過した後に原告野津が「純一は一級の障害者手帳を持ち一級の障害年金を受給している、少なくとも法的には精神障害者」と主張してから「野津純一は統合失調症」であると主張を変更したが、その後も頻繁に、あたかも野津純一が寛解状態にあったかのごとく主張を展開してきたことからも明らかである。
このように、渡邊医師が野津純一の統合失調症の診断を適切に行えなかったことは、渡邊医師が野津純一の具体的症状への対処ができていない治療を行い、統合失調症薬の中断に至る原因となった過失であって、全ての過失を誘因した基本的な原因である。
2) 反社会的人格障害を診断しなかった過失
(1) |
、A鑑定(I)に記述された野津純一の反社会行為は全て「人格の問題というよりは、統合失調症の幻聴、妄想被害、関係妄想、恋愛妄想などの病的体験に影響された他害行為と考えることが精神医学的に適切」に同意する。但し、17歳時の火事に関しては、自宅を含む両隣3軒の完全焼失という大火であり、「未成年」及び「精神障害」で逮捕・補導されなかっただけである。「たいしたことはなかった」というA鑑定評価は誤りである。本人は「放火」と供述している。
原告矢野は反社会的人格障害の診断理論はA鑑定人に従う。しかし、いわき病院は、統合失調症と反社会的人格障害は二重診断できないと主張し、野津純一には統合失調症が継続していたから、反社会的人格障害と診断することには無理があるという診断技術論を持ち出すが、一方で「反社会的人格障害は平成17年12月6日まで診断できるものではなかった」という反社会的人格障害の診断が可能であることを前提とする主張をしており、そもそも渡邊医師の主張には矛盾がある。 |
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(2) |
、野津純一の刑事裁判における精神鑑定の結果によれば、鑑定時及び本件犯行時の野津純一の精神状態は、意識は清明で、時間、場所などに対する見当識は良、知能もIQ76で正常成人並であるが、慢性鑑別不能型統合失調症及び反社会人格障害のために、幻聴、思考の平坦化及び貧困化、連合弛緩、感情鈍麻などの症状があり、人格崩壊に傾いている、小児的、自己中心的で人間らしい情緒や周囲への気配りなどは全くない、とされている。
したがって、いわき病院は、野津純一の入院処遇において、野津純一の過去の放火暴力歴を前提とした綿密な評価と対応を考慮し、野津純一の行動異変に最大の注意を払う義務があったが、これを怠った診断(治療)上の過失がある。 |
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(3) |
、いわき病院は、野津純一には放火暴力歴があり、野津純一の精神症状を診察すれば他害リスクの可能性を把握できたのであるから、プロスペクティブ、前方視的に判断すべきであった。
香川大学医学部附属病院のH医師からいわき病院に宛てられた平成13年6月21日付けの診療情報提供書(紹介状)には、「主訴または病名」として「精神分裂病」、「現病歴」として「昭和61年当科初診、人格障害、強迫障害で経過していたが、平成11年6月頃より隣人に対する被害妄想、幻聴が出現した様子」などと記載されていた。
いわき病院のF医師が野津純一の入院前の問診を平成16年9月21日に行った際、野津純一の父親は、野津純一が近隣の民家にニワトリの声がうるさいと言って怒鳴り込んだ行為や、過去の暴力行為をF医師に話していた。また、いわき病院は「野津純一が16歳時に母親と口論し自宅で火事となったことは、両親から聞いている」と回答しており、少なくとも、野津純一が原因者となって自宅火災が発生したことを承知していたはずである。野津純一の香川大学医学部附属病院受診中の平成6年ころ、野津純一が包丁を鞄に入れてN医師に面会しようとしたが、両親が事件になるのを未然に防いだことや、平成16年2月ころ、Y医院受診途中に、野津純一と通行人がトラブルになったことがあった事実は、父親が平成16年9月21日F医師入院前問診で申告し、母親も平成16年10月1日PSWのインテークノートで言及している。平成17年2月14日の主治医交代時に野津純一は「25歳時の一大事」と申告したが渡邊医師は「一大事とは何か」と質問せず、平成17年4月27日にも野津純一は退院教室で「再発時に突然一大事が起こった」と発言したが、いわき病院はその具体的な内容の確認をしなかった。
野津純一は、平成16年10月から平成17年11月までいわき病院内で歯科治療を受けているがいわき病院歯科カルテには野津純一が暴力行動を行った記録がある。さらに平成16年10月21日の午前7時ころ、男性看護師に殴りかかったことがあり、いわき病院は野津純一の攻撃性(他害リスク)を承知していた。 |
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(4) |
、いわき病院が野津純一の統合失調症増悪時の攻撃性発露を考慮しなかったのは、いわき病院の聴取と把握、治療が不十分、不適切であったことが原因である。野津純一の主治医であった渡邊医師の野津純一に対する診察は1週間に1回程度しか行われていない。渡邊医師の院内回診は午後9時ころに始まるのが通例であった。このような患者が眠剤を飲まされた後の診察で、患者野津純一の病状や昼間の外出時間帯の状況が適切に把握されたとは考えられない。
いわき病院においては、平成16年10月から1年以上野津純一の治療をしてきているが、特に主治医が渡邊医師に代わってからは前主治医の時には一度も使用されなかった副作用止めのアキネトンが欠かせなくなっており野津純一の病状は改善しておらず、この事実も、いわき病院と渡邊医師の治療の不適切さを推認させる。 |
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(5) |
、原告が推薦したデイビース医師団鑑定人及びC鑑定人は、いわき病院及び主治医の渡邊医師が、過去に放火・他害履歴がある患者野津純一の行動に関連して、リスクアセスメントを行わず、野津純一に他害の危険性が増大する可能性を亢進する重大な処方変更を行い、抗精神病薬プロピタンの中断、パキシルの中断、アキネトンの中断を行った後で、リスクマネジメントを行わなかった事実を指摘した。いわき病院と渡邊医師は野津純一の反社会的人格障害を診断しない事で、野津純一の自傷他害の危険性に関連して攻撃性が発露する可能性を検討せず、野津純一の外出許可を漫然と出し続けていた。 |
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(6) |
、野津純一はIQ76であり、診断的には知的障害には入らないが軽度知的障害とほぼ同等のレベルである。渡邊医師は「本人より特に訴えはなく」と主張するが、患者に知的な問題がありさらに精神障害によって精神活動が低下または障害されているケースでは、本人は症状や自身の不調を上手く表現できず、問題行動化しやすいことは臨床上の常識である。野津純一は、一見会話し要求できているように見えても、意思の伝達や、自己の状態表現がかなり限定されていたと推測される。いわき病院はこの点を踏まえて、より注意深い観察(リスクアセスメント)と対処(リスクマネージメント)が必要だった。 |
3)、野津純一の放火暴力履歴を知りながら、暴力行為発現に留意せず大規模処方変更後の経過観察を怠り診察拒否をして事件を発生させた過失
野津純一はいわき病院入院後突然看護師を襲うことがあり、第6病棟(精神科閉鎖病棟で、野津純一も他害行為の後の一時期入院した)看護師は野津純一を時に他害行為に及ぶ患者として持続的にマークしていた。第2病棟看護師のうち精神科看護師はいきなり襲われて逃げ場がないと困るとしていつも野津純一の病室のドアを開けたままにして検温していた。これに関連して刑事裁判のS鑑定は「看護師にも突然に飛びかかったり、今にも殴りそうな様子を示したりしているので、従業員や他の患者は、自然に近づかなかったことは考えられる」と記述している。本件の数日前に閉鎖病棟の第6病棟看護師が渡邊医師に「野津に異常な幻聴が出ていて危険」と伝えたが無視された。本件発生のニュースを見た第6病棟看護師は「犯人はアネックスの野津やわ」と噂しあった。いわき病院は野津純一が他害行為を行う可能性に関連したリスクアセスメントをいわき病院の医療として行わず、病院職員の個人的な注意力の範囲内で対応していたが、これは精神科臨床医療としては重大な過失である。
4)、アカシジアの診断をCPK値で行った過失
渡邊医師は、平成17年2月21日に野津純一のCPK(クレアチン・ホスホ・キナーゼ。筋肉破壊の目安を示すもの)検査を実施した。渡邊医師は、同月25日、いわき病院の勤務医であるT医師が同月23日に野津純一の症状につき「足がムズムズしてじっとしていられないアカシジア(+)」と診断していたものを、「方針」と明記した上で、「アカシジアにしてはCPK値が低い」「薬を急に止めたことの影響もある」として「アカシジアは心気的なもの」と訂正診断した。
CPK値をアカシジア及び遅発性ジスキネジアの診断指標とすることは、医学的には基本的に間違いである。このことは渡邊医師推薦のA鑑定人も「間違いである」と認めた。それにも関わらず、渡邊医師は、同年11月30日まで野津純一のムズムズや手足の振戦を「心気的」なものと繰り返し記述し、また平成22年8月9日の人証でも「間違いではない」と固執しており、自らの医学知識の錯誤に基づく診断間違いを訂正することがなかった。このCPKを診断の根拠としたことは、野津純一に対する抗精神病薬投与の中断、パキシルの突然中断、レキソタンの大量連続投与及びアキネトンを生理食塩水に変更した筋肉注射等の、相互に関連する重大な薬事処方の過誤を引き起こした原因となる重大な過失である。
5)、統合失調症患者野津純一の同意なく抗精神病薬(プロピタン)を中止し経過観察を怠り診察拒否をして事件を未然に防止するリスクマネジメントをしない医療をおこなった過失
渡邊医師は、遅くとも本件犯行から2週間前の平成17年11月23日より、病歴20年余の慢性統合失調症患者である野津純一に対する処方から、抗精神病薬プロピタン(フロロピパミド)の投薬を中止した。統合失調症の薬物療法で中心的役割を果たすのは抗精神病薬であって、抗精神病薬抜きに統合失調症の薬物療法は考えられない。精神科医にとって、統合失調症の患者に対して抗精神病薬の投薬を急激に中止してはならないということは常識である。過去に放火暴力歴がある慢性統合失調症患者への抗精神病薬の投与は中止すべきではない。野津純一に同月22日まで処方されていたプロピタンにより生じていた副作用は「下肢のムズムズと軽度のイライラ」だけで、プロピタン投与を中止する必要はなかった。したがって、渡邊医師が野津純一に対する抗精神病薬の投与を中止し経過観察を怠ったことは、重大な過失である。
渡邊医師は、抗精神病薬を中断しても良い理由として、アカシジアやジスキネジアの改善目的を主張するが、抗精神病薬を中断する必要がある重篤な副作用はなかったし、そもそも渡邊医師は平成17年12月3日付け(記載日を11月30日に変更)の診療録に「ムズムズは心気的とも考えられる」と記載しており、中止の根拠が混乱している。野津純一の統合失調症を的確に診断せず、アカシジアとジスキネジアも正確に診断せずに抗精神病薬の投与を期限も定めず中断し再開時期を検討せず、診察要請も拒否したことは、重大な過失である。
ところで野津純一に対する抗精神病薬プロピタン投与を中止した時期につき、いわき病院は同年11月23日からと主張するが、本件犯行の1か月以上前から抗精神病薬投与を中止していたといういわき病院の内部情報がある。これに関しては、同年10月27日の野津純一の診療録に、渡邊医師の記載で「方針、(抗パーキンソン薬である)ドプスを増やしてプロピタンを変更する」とあり、また薬剤師は11月2日付けで「ドプスも初めの2、3日しか効きませんでした」と記述して野津純一に対する薬剤管理指導報告をその後記載していないが、上記内部情報と時期的にも内容的にも一致する。
6)、レキソタン(ベンゾジアゼピン系抗不安薬)を大量連続投与し経過観察を怠り診察要請を拒否し事件を発生させた過失
渡邊医師は、平成17年11月23日より、野津純一の重度強迫性障害の治療のためとして、レキソタン(ベンゾジアゼピン系抗不安薬で、ブロマゼパムを有効成分とする。常用量1日5〜15ミリグラム)を。最大常用量の2倍に当たる1日当たり6錠(30ミリグラム)に増量して連日大量投与した。同時にイライラ時頓服としてジアゼパム、眠剤としてレンデム、インスミン(いずれもベンゾジアゼピン系抗不安薬)を連日投与していた。
ベンゾジアゼピンは脱抑制(攻撃性、興奮)を引き起こすだけでなく統合失調症の陽性症状を悪化させる可能性がある(統合失調症ガイドラインP.174)。野津純一の過去の他害行為は、統合失調症の幻聴、被害妄想、関係妄想、恋愛妄想などの病的体験に影響されたものばかり(A鑑定(Ⅰ))であり、診察要請を「風邪症状のみ」と断定して却下したのは過失である。
7)、パキシルを突然中断し経過観察をせず診察拒否をして事件の発生を未然に防がなかった過失
パキシル中断による副作用は平成17年当時の精神科医師なら当然知っているべき知識であった。当時渡邊医師は予約患者を長時間待たせてもMR(製薬会社情報担当者)と長時間話し込むことが常態化しており、パキシル中断による危険情報は平成15・16年頃には当然入手できていた重大な薬事情報である。渡邊医師は平成19年8月20日(及び21日に行った処方内容の再訂正と確認)で「パキシルは突然中断せず継続処方していた処方」を証拠提出したが、パキシルの突然中断を明らかにしたのは、事件から4年8ヶ月も経過した平成22年8月であった。このような状況から、渡邊医師はパキシル中断に由来して発生する離脱症状の重大な危険性に関する認識があり、渡邊医師の過失の弁明を構築するために迷いがあったものと推察される状況がある。
パキシルは強烈な断薬症状が出やすい薬剤であり、突然の中断により、不安、イライラ、激越などの副作用が出るため、中断する場合は症状をよく観察しながら、徐々に減量した後、中止する必要がある。突然の中断が野津純一の攻撃性を亢進させた。看護師に注意喚起せず、自ら経過観察せず、診察要請に応じなかったことは過失である。
8)、アキネトンに代えて生理食塩水を病状悪化後も筋肉注射し続けた過失
渡邊医師は、平成17年11月22日の診断で野津純一から「ムズムズの訴えがあり、一度生食(生理食塩水)でプラシーボ効果試す」と診療録に記載した。これは、患者に対して、同じに見えるが薬効がない試薬を薬効があると偽装して与えることであり、渡邊医師が、アキネトン(抗パーキンソン薬)に代えて生理食塩水の筋肉注射をするという、患者の同意なしの処方変更を行ったことを意味している。実際に野津純一に対して生理食塩水の筋肉注射が行われたのは同年12月1日からであるが、生理食塩水の筋肉注射には薬効がなく、それ以降、野津純一のアカシジアは亢進し患者のQOLを著しく下げた。
野津純一が、一時的に生理食塩水の効果があったかのような発言を同月2日午後0時にした事実はあるが、その直後の同日午後3時30分にはイライラ感に耐えられなくなり、イライラ解消のための与薬を求めていた。野津純一は頻繁にアキネトンの筋肉注射とイライラ治療薬の与薬を求め、同月4日には、本当にアキネトンを筋肉注射されているかまで疑っていた。渡邊医師は診療録に「3日間試す」と11月22日付けの診療録に記載していた。プラセボ開始が12月1日(木)であり、遅くとも12月5日(月)には医師自ら診察してプラセボの効果アセスメントをしなければならなかったが行っていない。野津純一は不調を訴え続けたが取り合ってもらえず渡邊医師と看護師からネグレクト(無視)され続けた、渡邊医師は野津純一の求めを無視して薬効がない生理食塩水を注射し続けることにより、アカシジアを亢進させ、更には野津純一の不安焦燥、挫折感、イライラ、医療者への不信感等を増大させた過失がある。
9)、病棟の機能を無視した入院患者処遇の過失
本件犯行当時のいわき病院のホームページによれば、いわき病院のアネックス棟3階は「児童思春期心のケア病棟」であるとされていたが、現実には、認知症治療を実質的な目的とする中央棟3階の第2病棟に付属していた。いわき病院のアネックス棟は、第2病棟の一部として機能・運営され、アネックス棟に特化した看護は行われていなかったのであり、本件ではアネックス棟に限定して議論できない。それを踏まえて本件犯行当時のいわき病院中央棟に注目すると、いわき病院のホームページによれば、3階(第2病棟)が「ストレスケア病棟」で2階が「老人性痴呆疾患治療棟」とされていたが、3階の実態は痴呆老人病棟として運営されていた。このように、いわき病院のいわき病院は、公称の病院組織と日常の運営の現実が埀離していた。
本件犯行当時36歳の野津純一は、思春期の児童ではなく、また、認知症の介護とストレスケアの看護は目的も手段も異なっているにも関わらず、第2病棟が一元的に管理していたアネックス棟3階に入院していたのである。このような病院機能の無視が、野津純一の根性焼きを見逃すほどの看護上の怠慢という過失を引き起こしたのである。
10)、処方変更後の医師のアセスメントをせず診察要請を却下して事件を発生させた過失
医師は、処方変更した後には、その効果を医師自らが判定して病状のアセスメントを行い、その結果を診療録に記載しなければならない。ところが、いわき病院は、本件犯行の2週間前の平成17年11月23日から、野津純一の抗精神病薬中止等の大幅な処方変更を行ったにもかかわらず、診療録には同年11月30日に1回だけ「クーラー音などの異常体験はいつもと同じ」としか記載しなかった。渡邊医師は、野津純一を観察したはずであるが、野津純一に対して、アカシジアや精神症状の変化に関する質問をしておらず、看護師や作業療法士等の非資格者の報告をもって「薬事処方の効果判定をした」と主張するが、実際には医師として自ら行うべき処方変更の効果判定を含む病状のアセスメントを実施していない。渡邊医師は、慎重に処方変更の効果判定と副作用チェックを行い必要に応じて処方を見直すべきところ、これを行わなかった過失がある。
11)、患者管理上の過失
野津純一は、アネックス棟という開放病棟にいた。このアネックス病棟は個室(10床)になっている。エレベーターは、暗証番号式で、暗証番号を教えられていた患者は自由に出入りできるようになっており、野津純一は、暗証番号を教えられていたから自由にいわき病院内を出入りしていた。
アネックス棟には、ナースステーションはあるが、常駐のスタッフは誰もおらず、同じフロアの介護(痴呆)老人病棟のナースステーションにおいてアネックス棟も遠隔管理・監視するシステムになっているが、モニターシステムもなく、内科・介護病棟の看護師は痴呆老人(46床)の介護でとても忙しく、アネックス棟にまで手が回らない。
アネックス棟にいた野津純一はいつでも自由に外出することができ、いわき病院において外出中か院内にいるか確認もできなかった。いわき病院は事件直後の記者会見では野津純一の事件直後の帰院時間を「2時間遅れで帰院した」と3時間も間違えて発表した事実がある。このような病棟に野津純一を入れて自由に行動させておいたことは、いわき病院の過失である。また、このようなアネックス棟における患者管理上の不備を放置したことは、渡邊医師の過失である。
12)、本件犯行日当日に数日前から主治医診察を求めていた野津純一の診察希望を却下し人格障害がある野津純一の自尊心を傷つけ他害リスクを徒に亢進させた過失
野津純一は、平成17年12月6日午前10時ころに咽頭痛や身体的不調を訴えて、渡邊医師の診察を願い出ていた。渡邊医師は看護師から野津純一が面会を求めていることを聞いて知っていた。渡邊医師は、野津純一の主治医として、看護師に指示して外来診療室に待機させて診察、治療することは十分に可能であった。
主治医は慢性統合失調症の精神症状が悪化する抗精神病薬定期処方の突然の中断を行い、しかも攻撃性発露の原因となり得るパキシルの突然中断も行っており、患者純一の精神症状の悪化は十分に予測できたし、例え本人からの申し出が無くても念入りに病状の観察と行動に関するアセスメントを行うべき時期であった。
渡邊医師が野津純一を診察していれば、野津純一のイライラ感は消失し、落ち着きを取り戻したであろうことは容易に推認することができ、本件犯行も未然に防ぐことが可能であった。したがって、渡邊医師が本件犯行日当日に野津純一を診察しなかったことは過失である。
13)、効果がない社会復帰訓練と病状悪化時にも単独外出許可を行い事件の発生に未然に対応しない過失
(1)、効果がない社会復帰訓練
いわき病院が野津純一に単独外出を許可していた目的は、野津純一の社会復帰訓練の一環であったところ、渡邊医師は、そもそもいわき病院における作業療法(OT)、社会生活技能訓練(SST)などが効果のないことを認めており、外出についても効果が期待できないと知りつつ、漫然と外出等を許可していた。
(2)、単独外出許可の過失
野津純一は、慢性統合失調症の陽性症状(幻覚等)と陰性症状(人格崩壊、人格障害等)が混在して存在し、常に適切な看護、介護が必要で、独立して社会生活を営みうる状態ではなかった(S鑑定)。このような野津純一の単独外出による精神症状の不安定さ等を考慮すると、自傷他害の危険性を排除し得ず、抗精神病薬を中止する前でも単独外出は不可能で誰かが付き添うべきであるところ、抗精神病薬とパキシルを突然中止した後は、特に、野津純一の症状に対する綿密な評価を行い、外出許可を与える場合は誰かが付きそう必要があった。
(3)、患者外出状況に関する管理不備
アネックス棟の規則では、外出・外泊についてはあらかじめ主治医あるいは看護師に申し出て、許可が得られれば、ナースステーションにある外出簿に記入した上で外出・外泊できるものとされていた。しかし、実際は、2時間以内の外出の場合には患者はいつでも自由に外出することが可能で、外出簿への記載は徹底されていなかった。その上、野津純一には、消灯時間外の「院内フリー(自由に病棟の外に出る許可)」が与えられていた。また、いわき病院の患者外出状況の管理については、病棟看護師が事後に外出管理記録のノートを見て、外出の記録を確認する程度であり、逐一の外出状況は把握しておらず、危機管理に乏しい運用であった。事件当日の12月6日にはいつもは書く帰院時刻を野津純一は記載してなかったが、いわき病院は翌日も問診することなく外出許可を行っていた。
(4)、異常行動の予兆を見逃した過失
本件犯行に及ぶ直前に抗精神病薬中断による精神症状の悪化、パキシルの突然中断による攻撃性が発露する可能性、生理食塩水筋注が効かないストレスと不快の他、野津純一には以下のような異常があり、いわき病院ではこれらの異常に気づいて外出を許可すべきではなかったのに、これらの異常を見逃した。
ア、 |
退院が1か月後に迫っているというストレス |
イ、 |
いわき病院職員にかまってもらいたいという貧乏ゆすり |
ウ、 |
本件の数日前の根性焼き |
エ、 |
いわき病院内の喫煙所の汚れがひどくなっていることにイライラしていたこと |
オ、 |
平成17年11月30日の、足のムズムズ感とイライラ感と手洗い強迫 |
カ、 |
同日の、エアコン音が人の歌声に聞こえる幻聴 |
キ、 |
12月5日(本件犯行前夜)の、風邪症状の37.4度の発熱 |
ク、 |
同日の食欲不振 |
ケ、 |
同日の不眠、睡眠剤追加要求(23時30分) |
コ、 |
自室の隣の非常階段のドアの開け閉め音を煩わしく思っていた。 |
サ、 |
いわき病院内の他の患者の話し声を聞いて、自分の父親の悪口を言っていると思い込み、憤懣を募らせていた(幻聴・被害妄想)。 |
これらの異常行動の予兆のうち、特に、根性焼きを見逃したことは重大な過失である。精神障害者の診察では診断の根拠となる医学データは限られており、患者の表情を観察して行動や発言内容等の情報に基づいた診断が行われることが基本で、主治医が、患者の顔面変化の詳細な観察をすることは診察時の必須である。しかるに、いわき病院及び渡邊医師は、野津純一が左頬にたばこの火で自傷した瘢痕(根性焼き)の存在を執拗に否定して、30代男性の左頬だけに発生したニキビとまで主張した。野津純一の左頬に12月6日以前に根性焼き跡が存在していたことは、野津純一の左頬の写真に新旧の根性焼き瘢痕が存在することから明らかである。
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【写真1】左頬の「根性焼」瘢痕群 |
【写真2】額・右頬・左頬のちがい |
(▲テレビ朝日「テレメンタリー」放映画像より) |
【いわき病院答弁書 答弁(1)】
被告野津の左頬の瘢痕は入院前から付いていたものであり、平成17年12月3日(人証で11月30日に変更)の面接時に直前で見たいわき病院長は、その瘢痕が古いものであることを確認している。決して、新しいタバコによる火傷の跡ではなかった。また翌4日10時頃に、被告野津を直前正面から見た外来看護師も、古い左頬の瘢痕は見ているが新しくついたタバコの火傷は見ていない。
【いわき病院答弁書 答弁(2)】
主治医が11月30目と12月3日(人証で11月23日と30日に変更)に診察室において距離約1メートルで被告野津と面接をした際、左頬には古い瘢痕を認めている(これはいわき病院入院時から存在したものである)が、新たに付いたタバコでの根性焼き様瘢痕は認めていない。また、犯行翌日の午前10時頃、被告野津がたまたま外来に降りてきて診察担当医の掲示板を眺めているということがあったが、この際、外来看護師が間近で正面から被告野津の顔面を見ているが、やはり左頬にタバコで焼いたような根性焼き様瘢痕は認めていない。客観的事実として、被告野津が本件犯行の1週間前頃に左頬にタバコの火による根性焼きを行った事実はなかった蓋然性が高いのである。
【原告矢野の観察】
事件後4年2ヶ月の平成22年1月末に、北九州医療刑務所で野津純一に対する人証が行われたが、野津純一の顔面左頬には、いわき病院が主張する「入院前から付いていた左頬の瘢痕」は見当たらず完全に治癒していた。野津純一の顔面の瘢痕は持続的なものではない。事件発生まで野津純一はいわき病院に1年2ヶ月入院していたのであり、渡邊医師の証言通りなら継続して自傷していたことになる。
また、いわき病院は、平成17年12月5日には、野津純一の発熱に関連してM医師が「昨日より風邪症状(本人訴えあり)薬処方耳鼻科通院中」と診療録に記載した際、診察にあたり喉の奥を見たはずであるにも関わらず、野津純一の顔面左頬の異常に気づいていなかった。いわき病院の看護師も、毎日、野津純一の状況の変化を観察していたはずであるのに、野津純一の左頬の根性焼きを見逃した。野津純一の根性焼きの事実は、野津純一が精神的に非常にイライラした状態にあり、自傷他害のおそれが強かったことを示す、有力な状況証拠である。それにも関わらず、いわき病院はこれを見逃し、本件犯行当日の外出許可に至ったのであるから、野津純一の左頬の根性焼きを見逃したことは重大な過失である。
(5)本件犯行日に野津純一を単独外出させた過失
いわき病院が、野津純一の具体的精神症状の変動について評価することなく、本件犯行日当日に安易に単独外出許可を与えたことは精神病院としての患者に対する管理義務違反であり、重大な過失である。
渡邊医師は、抗精神病薬プロピタンとパキシル投与を突然中止し、効果がない生理食塩水の注射を行い続けるなど野津純一のQOLを著しく下げたにもかかわらず、病状変化のアセスメントを自ら行わず、診察要請も拒否した。20年の長い病歴を有する統合失調症の患者である野津純一に効果のない社会生活技能訓練や作業療法を実施し、野津純一がストレス亢進する最大要因である退院を迫っていた。それにもかかわらず、いわき病院は、野津純一の顔面の根性焼きを見逃すなど、野津純一の状況把握がおざなりであった。渡邊医師には、野津純一がパキシルの突然中止で攻撃性の発露を伴う統合失調症の症状がいつ再燃するかわからない危険な状況にあったことに慎重に対処すべき状況にあったにもかかわらず、自傷行為の徴候と攻撃性が亢進する状況を見逃し、本件犯行当日に単独外出を許可した過失がある。
(6)、外出・外泊許可にあたり負うべき注意義務
いわき病院は、「患者が、単独外出中に包丁を購入し、通行人を刺殺するであろうという具体的な予見可能性と結果回避可能性がなければ、外出許可を与えたことに法的責任は認められない」と主張したが、これは明らかに過剰で不当な要件である。患者がイライラした感情を募らせ、統合失調症悪化あるいはパキシルの突然中断による病状が不安定な状態にあり、過去の放火・暴力歴より単独外出すると何らかの危険性や脅威を社会あるいは他人に与える危険性があるという危惧感が認められれば、患者とよく話しあった上で、その間、単独外出は禁止する、どうしても外出したければ、看護師あるいは家族の同伴のもとに外出を許可するといった注意義務は当然負担すべきである。いわき病院は、精神科医師としての怠慢と不注意及びリスクマネジメントの不在をノーマライゼイションあるいは開放医療の名の下に正当化し責任逃れを行っているにすぎない。
いわき病院は、野津純一に前述した異常があり、単独外出を禁止するか最低でも誰かの同伴のもとに外出を許可すべき注意義務を負っていたにもかかわらず、いわき病院は単独外出を許してきたという過失がある。
(7)、「措置入院それとも開放病棟での自由放任」という極論で病院運営をした過失
いわき病院は「原告矢野が野津純一を開放病棟に入院させず措置入院とするべきであったと主張した」としているが、原告矢野がそのような主張をした事実はない。原告矢野は精神科開放医療の促進及び精神障害者の脱施設化に賛同しており、その着実な実現を図る目的もあり、本件訴訟を提訴した。
原告矢野は患者野津純一の病状の変化をいわき病院と渡邊医師はきめ細かく観察して、毎日の外出許可の運営を行うべきであったと主張している。そして毎日の外出許可の内容は「単独外出可」「付き添い付きの外出可」「その日の外出は不許可」などがあげられる。ところがいわき病院は「患者の状況の変化を観察しない、患者の自由に任せた外出許可」そうでなければ「複数の医師の診断による閉鎖病棟への転棟」と極論で精神科開放病棟を運営していた。患者の毎日の状況を観察してその日の外出許可の内容をきめ細かく運営するやり方は、他の病院でも事例があり、困難で不可能なことではない。
いわき病院では日常の外出許可でも、複数の医師の判断に基づく運営という前提があるためか、毎日の看護師による患者観察すら全く行われていなかった。ましてや、医師による観察と診察は一週間に一回以下の頻度でしか行われていない。野津純一に対しては11月23日の大規模な処方変更後に11月30日の一回しか診察をしていない。いわき病院は「任意入院患者には退院の自由権があるので、全てにおいて自由である」と主張するが、これは治療上の必要性を考慮しない、無責任な姿勢である。任意入院患者に対しても、患者の同意のもとに、その日の外出を思いとどまらせる説得は可能である。患者の自主性を尊重して、患者が治療に協力することで、良好な治療成果が期待できる。
いわき病院の主張に基づけば、「開放病棟の入院患者はすべて自由放任で、病状や症状や気分の変化などの毎日の変化や力動を観察する必要がない」ことになる。これでは、精神科病院に入院する意味がない。また、任意入院患者は全て自由放任で、さもなくば全て措置入院となる。これは精神保健福祉法の規定に基づかない極論であり、精神科病院がそのような極論を主張する病院運営を行ったことは過失である。
(8)、一般の精神科病院であることを理由にして他害行為のリスクアセスメントとリスクマネージメントをしない過失
A鑑定(II)は、「対象者の他害行為のリスク軽減に取り組むことを専門としている精神科病院ではない一般の精神科病院であるいわき病院」と主張したが同時にA鑑定(I)で『病状予測の中には、当然「他害のおそれ」も含まれている』と主張した。A鑑定人の論理に基づけば、放火暴行歴を持つ慢性統合失調症患者が対象者(重大触法行為を犯した精神障害者)にならないようにする努力は一般の精神科病院にも求められる。病状予測には当然他害リスクも含まれる。
野津純一は入院形態が任意入院であることも他害リスクアセスメントを行わなくて良いとする理由にいわき病院はしているが、野津純一は入医院直後に看護師を襲い閉鎖病棟処遇を受けており、この時に、リスクアセスメントを行うべきであった。野津純一による本件犯行は許可された外出中の犯行であり、外出許可後20分で、しかもいわき病院の近隣での犯行であり、いわき病院の外出許可と犯行の関連性は極めて高い。野津純一にリスクアセスメントが適切に行われていたならば、抗精神病薬とパキシル中断の危険性を特に認識して、野津純一の病状の変化を詳細に観察と診断する必要があり、野津純一が左頬に自傷した根性焼きを当然発見したはずである。リスクアセスメントとリスクマネージメントが行われていたならば、当然危険性の発見は可能であった。
A鑑定(II)は「精神障害者に関するリスクアセスメントやリスクマネージメントはわが国では正面切って議論されることは余り多いとは言えない現状」と主張したが、渡邊医師が義務として行うべき患者の診察(アセスメント)に含まれる「病状予測」こそリスクアセスメントである。リスクマネージメントは「病状予測に基づいて行われる治療的介入」であり、精神科医師であれば当然の義務である。本来の日本語をカタカナ語に置き換えただけのことであり、いわき病院と渡邊医師には当然の義務を果たさない過失がある。
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