精神科医療の破壊それとも再生?
(精神科リスクマネジメントと医療の責任と尊厳)
いわき病院事件裁判は、専門家による鑑定意見論争で、精神科医療におけるリスク・セスメントとリスク・マネジメントに関連した過失責任、及び日本の精神医療を再生する裁判であるのかそれとも破壊する裁判であるのかが問われています。また、日本の精神科医療の名誉と尊厳を守るのは誰かという課題が問われる裁判でもあります。
1、「日本の精神医療を破壊する裁判」という主張の背景にある論理
A鑑定人は鑑定意見書を以下の通り結びました。
平成17年12月時点の一般精神科医療の水準を考えれば、いわき病院での純一に関する処遇には、特に問題はないと考えられる。
最後にあらためて述べるが、野津純一による本件事件を、平成17年12月当時の一般精神科医療の水準にある精神科医が事前に予測することは不可能であると言わざるを得ない。被害に遭われたご家族の心痛を察するに余りあるが、その責任をいわき病院における純一に対する医療に求めることは間違いである。本件原告が指摘する投薬の方法(薬剤選択、投薬量、投与時期等)如何により本件事故を事前に回避できたと判断し得る医学的エビデンスはない。純一を完全な閉鎖処遇下に置いておけば確実に事件を防止することができたと結果的に言えても、それは延いては精神科医療そのものを破壊することになる。この点を銘記していただきたい。
以上鑑定する。平成23年7月29日 鑑定人 A(署名押印)
これに関連して、私どもは友人から以下のコメントをいただきました。
一般論で反論するのと事実に基づいて反論するのとでは全く違いますね。逆の結果になることだってありえます。私は、事実又は証拠に基づく説明では、矢野さんは負けるはずがないと思っていますが、矢野さんの意見が、一般論にすり替えられ、ねじ曲げられて裁判官に伝わると不利な面が出てくると思っています。精神科医全体を敵にまわすように思われてしまうかもしれません。矢野さんのお考えのように、A鑑定人の主張・論理を矢野さんが証拠に基づいて利用されれば、うまくいくと期待しています。A鑑定人には、ご自分の振り上げた拳でご自分といわき病院をなぐって欲しいところです。
A鑑定人は、事件当時のいわき病院と病院長渡邊朋之医師の医療水準を「平成17年12月当時の一般精神科医療の水準にある」と評価しました。即ち、いわき病院で精神保健指定医の渡邊朋之医師が野津純一に対して行った精神科医療は「一般精神科医療の水準」にあり、日本では何処にでもある普通の精神科医療水準が実現していたと認識しました。そして、一般的な水準の医療機関には責任は問えないと主張しました。
私たち原告矢野は、本件裁判及び他のいかなる場所においても、「純一を完全な閉鎖処遇下に置いておけば確実に事件を防止することができた」と主張した事実はありません。精神科開放医療の積極的な意味を評価した上で、野津夫妻に協力を求めて、本件裁判を提訴し、患者に対する適切な精神科医療の実現を念頭に置いて、法廷の論戦に臨んでいます。私たちは、野津純一が完全な閉鎖処遇下になかったから事件が発生したと主張しておりません。「野津純一に対するいわき病院の精神科臨床医療に過失があったために、患者の治療と保護に不備と怠慢があり、いわき病院は危険性の亢進を認識せず、事件の発生の危険度(リスク)を未然に低下させることがなかった」と主張しています。
「精神科医療を破壊する」という主張はA鑑定人が主張する論理です。その背景には「一般医療の水準」にある精神科専門病院で日本病院評価機構に優良病院として認定されているいわき病院と精神保健指定医渡邊朋之医師の精神科医療に過失責任が認定されるようであれば、日本国内のほとんどの一般的な水準にある精神科病院と精神科専門医師は今後過失責任を問われる可能性が高まる可能性があり、社会的影響が大きすぎる。いわき病院が野津純一に行った精神科医療に責任を問う判決を裁判所はしてはならない。このような論理が推理できます。この鑑定意見は、いわき病院が野津純一に対して行った無責任で怠慢な医療という事実を見ておりません。その上で、精神科病院が基本として励行しなければならない患者と社会に対する義務と責任を無視した鑑定意見です。
2、いわき病院が野津純一に行った医療事実
いわき病院が野津純一の入院から事件発生までに至る間に行った医療の本質的な問題点はD鑑定意見書で論じられており、過失は決して一時的かつ偶然ではありません。事件の発生には必然となる背景がありました。しかし、ここでは、主治医の渡邊朋之医師が大規模な処方変更を実行した平成17年11月23日から12月7日の野津純一の身柄拘束に至るまでの特に重大な問題を指摘します。
- 野津純一の放火暴行履歴と統合失調症の関連無視
- 慢性で長期罹患した重度の統合失調症患者に対する抗精神病薬の断薬
- 離脱の危険性が特に指摘されていたパキシルの突然断薬
- インフォームドコンセント無しのプラセボ治療とアキネトン断薬
- 処方変更後の2週間で、夜間に1回しか行わなかった主治医の診察
- 処方変更に関連した看護指示が無く漫然と行われた看護
- 開放医療とは名ばかりで、患者の状況に応じたリハビリを行わない医療
- 野津純一がいわき病院内で行った自傷行為(根性焼き)を発見しない怠慢
- 看護師を通じて正式に行われた野津純一からの診察要請拒否
- 野津純一の「いつもと違う幻聴」発現に気付かず続行された外出許可
- 事件発生にも、血だらけの手で帰院にも気付かず翌日続行された外出許可
- 患者のリスクアセスメントとリスク・マネジメントを行わない精神科開放医療
いわき病院では、重大な処方変更(抗精神病薬中断、パキシル中断、アキネトン中断)を行ったにもかかわらず、その後、主治医は二週間に一回しかも夜間にしか診察しておりません。また重大な処方変更に関連した看護上の注意観察事項などが看護師に指示されず、治療計画が徹底されておりませんでした。これが「一般精神科医療の水準」であると、A鑑定人は認定して、いわき病院の医療は「一般精神科医療の水準」なので責任は問えないと結論づけました。問題の本質を問わずに、事実関係に目をつむり、事件が発生しても一般的な水準にあるからと免責理由にすれば、社会課題に改善を期待することはできません。仕事に怠慢と過失があり、事件が発生すればその責任を問うことが、法治社会の常識です。医療といえども例外ではありません。
A鑑定意見の通り、いわき病院の精神科医療の現実を放置することが「精神医療そのものを守る」ことでしょうか。いわき病院で野津純一に発生した事実を元にして問題点を解析して改善を促進することが健全な精神科医療です。攻撃性(自傷他害)リスクを上昇させる複数の処方変更後の主治医の患者に対する無責任と怠慢、病院と看護の不作為や過誤などに過失責任を問えないとすれば、日本では精神科医療に無責任が許され、まかり通り、医療倫理が荒廃することは自明です。A鑑定意見に対してこそ「それでは精神科医療そのものを破壊することになる。この点を銘記していただきたい」と指摘します。
3、A鑑定人の業績と本分
A鑑定人は英国における精神障害者犯罪に対する精神科医療及び社会制度の見直しの経過を研究して、日本に「精神科開放医療におけるリスクアセスメントとリスク・マネジメントの重要性」を紹介して、その発展と定着を業績とする優れた精神医学者です。その学識の一旦はA鑑定意見書にも現れています。
【A鑑定書P3】
近年の欧米諸国における再犯予測研究の動向は、従来の危険性(dangerousness)概念からリスク(risk)概念へと変化している。(中略)精神科臨床における意思決定者(医師など治療に関する決定を行う者)や研究者は、予測の問題を、「あり」か「なし」かという単純な二分法ではなく、連続体として捉えることが可能となり、精神科臨床における意思決定や研究の焦点も、危険性についてのある一時点における予測ではなく、触法精神障害者のマネジメントと治療に関して日々繰り返される意思決定へと変更されることになるとした。(中略)医師にとっては、リスクを評価するだけでは、不十分であり、同定されたリスクを可能な限り減少させる努力が必要であるとしている。
【A鑑定書P4】
Dangerousnessとは個人の性向、資質、経歴などを考慮して判断される危険性であり、「あり」か「なし」かの二分法によって判定される範疇的現象であり、あくまでも法的概念である。これに対して、riskとは、あくまでも一定の状況を仮定して、その状況に関連した種々の要因を考慮して行われる危険性の判定であり、連続量として測定される次元的現象であり、あくまでも医学的・臨床精神医学的概念である。
精神科医あるいは精神科医療に可能なことは、あくまでも患者の病状予測であり、病状予測に基づいて行われる治療的介入である。措置入院に関連して「自傷他害のおそれ」という要件が規定されているように、病状予測の中には、当然「他害のおそれ」も含まれている。しかし、この場合の予測はあくまでも医学的概念としてのリスクであり実際に他害行為を行うか否かという危険性の予測では決してない。そして、自傷・他害行為を防ぐための治療的介入は治療に伴う危険性を最小限にするためのリスク・マネジメントにほかならないのである。
A鑑定意見を素直に読めば次の通りとなり、A鑑定人に基づけば、いわき病院は攻撃性に関するリスク評価を行い、病状予測をして、必要な治療的介入を行わなければならなかった筈です。また、A鑑定人の論理に基づけば、病状予測には「自傷他害のおそれ」が含まれ、根性焼きを発見しないいわき病院の臨床精神医療には、リスクアセスメントもリスク・マネジメントも行わない不備がありました。
- riskは連続量として測定される次元的現象で医学的・臨床精神医学的概念である
- 精神科医あるいは精神科医療に可能なことは、患者の病状予測であり、病状予測に基づいて行われる治療的介入である
- 病状予測の中には、当然「他害のおそれ」も含まれる
- 医師は、リスクを評価するだけでは不十分であり、同定されたリスクを可能な限り減少させる努力が必要である
- 自傷・他害行為を防ぐための治療的介入は、治療に伴う危険性を最小限にするためのリスク・マネジメントにほかならない
A鑑定人の司法精神医学者としての本分は自ら提唱するリスクアセスメントとリスク・マネジメント(危険度を最小限にする治療的介入)を日本の精神科医療に普及と定着を促進することではないでしょうか?
4、精神科医療の再生を期待する裁判
A鑑定人が学者生命をかけている筈の「リスクアセスメントとリスク・マネジメントの誠実な実行と治療的介入」は私たちの望みです。デイビース医師団もその方向性を示す鑑定意見を提出しました。本件裁判に関係する専門家は一致して、リスク・マネジメントの必要性を指摘しています。
A鑑定人は「それは延いては精神科医療そのものを破壊することになる」と鑑定意見を結びましたが、「治療の全体状況を正確に把握せず、結論を間違えた」と指摘せざるを得ません。精神科医療の改善と促進という一般論でも、いわき病院の過失責任を容認する事で、A鑑定人の研究成果の普及促進が行われることになると確信します。
私どもはいわき病院の「大規模な処方変更(=治療方針の変更)を実行した後で、患者の診察と治療的介入を行わない医療」は適切な治療を受ける患者の権利を否定したと確信します。その無責任な医療行為に責任を問わず放置するようでは「延いては、精神科医療を破壊する」とA鑑定人にお言葉を返します。このため、野津夫妻に民事裁判で共同原告になる事を提案しました。それは、いわき病院が野津純一に行った精神科医療には「野津純一の人間としての権利の保全に問題があった」と確信するからです。裁判を通して、患者の為の精神医療を実現することが課題です。
私たちは、この裁判では、いわき病院で発生した事実に基づいて、患者野津純一の失われた機会に、問われるべき精神科病院の責任が無かったか、を追究します。また、A鑑定人が社会に果たすべき普遍的な役割も見据えた上で、望ましい結果に至るような展望に期待して、これからも対応することにしたいと考えます。仮にいわき病院が一般的な水準にある精神科病院であるとしても、全ての病院の危機(精神科医療の破壊)と短絡する必然性はありません。その一般的な水準を、A鑑定人の学識で向上させることが、本来期待される結果ではないでしょうか?それは私たちの目的意識にも適います。
5、いわき病院事件裁判の本質
いわき病院事件裁判の本質は「入院患者に対する、入院医療契約にもとる不誠実な医療に、過失と責任を解明する」という問題です。決して「一般的な水準の医療だから、責任を問うことは間違っている」という論理を持ちだして、いわき病院を精神科医療の一般論に拡大して、弁護すべきではありません。仮に一般的な水準にあっても、そのことは個別の責任を弁明する理由にはなりません。また不誠実な医療が原因で発生した事件に一般論を持ちだして責任回避をすれば、精神科医療に悪貨が良貨を駆逐する状況が発生することになります。短期的には精神医療関係者に「責任回避を達成した」という安堵感が醸し出されるとしても、究極的には日本の精神医療は名誉も医療水準もそして社会の信頼も、また国際評価も、自ら破壊することになるでしょう。
A鑑定人及びA鑑定人を支持する精神医療関係者には自らの職務の尊厳を守っていただきたい。行ってしまった無責任な行動と過失には、それが誰であれ責任を取らせるけじめは、社会生活の基本です。
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