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いわき病院事件原告弁論書


平成24年3月13日
矢野啓司・矢野千恵


III、いわき病院の過失

いわき病院と渡邊朋之医師の精神科医療の本質は、「最善の努力もしくは社会通念上許される範囲の精神科医療を行っていたにも関わらず、野津純一をうまく治療することができなくて病気が悪化して不幸にも殺人事件が起きた」という問題ではない。いわき病院は野津純一を正確に診断できず、急激な薬事処方変更を行い、無責任な診察と看護を行い、野津純一の症状の日変動(力動)に関心を持たず、漫然と単独外出許可を与えた。精神科開放医療を推進しているにもかかわらずリスクアセスメント(危険評価)とリスクマネジメント(危険管理)を行わない無責任な精神科臨床医療を行った。治療行為に錯誤と怠慢と不作為があり、積極的に野津純一の異常行動を誘発した。平成17年11月23日に野津純一に対して抗精神病薬とパキシルの急激な同時中断をして以後に、看護を適切に行わず、経過観察義務を果たさず病状悪化に対して治療的介入を行わなかった。


1、医師の裁量権を頼りにした無謀な処方

人間は誰も同一の身体的特徴を有しているのではなく薬に対する感受性や反応は個人によって異なり、医師は患者の特性を把握して薬処方を調整して、最適な有効領域を見出して治療に専念する義務がある。医師の治療では診断間違いや結果として不適切な処方を実行する状況は発生し得る事であり、医師が真面目で誠実な医療を行う限り、最大限容認されなければならない。

渡邊朋之医師は裁量権を盾にすれば、何を行っても許されるというものでは無い。医師の治療は過去の経験で蓄積された医療的エビデンスと治療ガイドラインに沿った処方方針が決定されるべきである。渡邊朋之医師が行った問題がある複数の重大な処方変更で抗精神病薬とパキシルの急激な中断を行った事により発生した事故に対しては責任が発生する。医師は薬の処方変更をした後で、患者の状況の変化を診察して、より適切な治療効果が発現されるように調整し続ける義務があるが、その義務である経過観察を行わなかった。渡邊朋之医師は誰も使わなくなった古くさい薬ばかり処方する傾向がある。古い処方でも間違っていなければ問題ではない。また、どんなに酷い処方でも医師には裁量権がある。しかし、他の全員の医師が間違いと指摘する処方を行えば責任がある。更に、渡邊医師は処方変更後の診察に怠慢があった。

渡邊朋之医師は「パーキンソン症候群の治療にドプス」を処方したが、いわき病院推薦のA鑑定人は「定型とは言い難い」と指摘した。このように不適切な処方を行い、複数の向精神薬を突然中断して経過観察とリスクアセスメント(危険評価)を怠ったことが本件事件を発生させた基本的な要素である。渡邊朋之医師には医師として裁量権があるとしても、一連の処方変更を一括して行い、重要な向精神薬の突然の中断を一斉に行い経過観察を怠ったことは、医師の裁量権を逸脱した無謀な医療行為である。


2、抗精神病薬とパキシル中断後に病状観察が不足した

統合失調症と診断した患者は基本的に抗精神病薬を継続投与しなければならない。パキシルは突然の中断による深刻な離脱症状があり中断は慎重であるべきである。抗精神病薬とパキシルを同時に中断したことも、慎重な姿勢を欠いていた。渡邊朋之医師が重大な処方変更を行った後で治療評価(アセスメント)を行わないことは過失である。

(1)、抗精神病薬の中断と精神症状の悪化及び離脱症状発現の可能性
  野津純一はアカシジア症状に苦しんでいたが、渡邊朋之医師はその症状を前にして抗精神病薬の選択に迷い、抗精神病薬の薬用量を調整するのではなく、突然の中断を実行した。渡邊朋之医師の処方変更は慎重さに欠けるものであった。抗精神病薬の中断は、いわき病院が本法廷に根拠文献として提出した統合失調症治療ガイドライン(P.104)で「自殺企画や危険な暴力行為、攻撃行動の既往がある患者の場合は基本的に禁忌」である。また、「精神症状の悪化やアカシジアが悪化する可能性がある抗精神病薬の急激な中断」(A鑑定意見書、P.17)である。

(2)、重大な断薬症状発現があるパキシルを突然中断した
  パキシルは突然中止すると「目眩、耳鳴、不安、焦燥、興奮、嘔気、振戦、錯乱、発汗、頭痛、下痢」等の離脱症状が現れる危険性が極めて高い。症状の多くは投与中止後数日から現れ、患者によっては重症となり回復までに2〜3ヶ月以上かかることがある。投与を中止する際は突然の断薬を避け、患者の状態を見ながら数週間又は数ヶ月かけて徐々に減量する必要がある。パキシルの突然の断薬が野津純一の不安、焦燥、興奮と攻撃性を高め、事件に繋げた過失を指摘できる。

◎、C意見書


{パキシルの攻撃的行動誘発は事件当時でも基本的知識}(P.3)
パロキセチン(パキシル)はその薬理効果において攻撃性の増強、脱抑制、衝動行為の出現などが生じることは当時でもよく知られた事実である。臨床現場において、この負の作用はしばしば遭遇するものであり、いかなる病名の患者であってもパロキセチンの投与においては、突発的な衝動行為や攻撃性の出現を考慮し、行動の些細な変化においても注意を払う慎重さが求められている。過去に突発的な暴力行為や衝動行為が確認されたケースに対しては、攻撃的行動の誘発を考慮して用いるべき薬剤でないと考えている。パロキセチンによる攻撃性の出現については、事件当時においても精神科医の基本的知識の範疇であった。

(3)、抗精神病薬の間欠投与で問題ないとした抗弁の間違い
  渡邊朋之医師が人証で証言した「定期処方を中止しても、頓服とトロペロン注射で対応すれば問題ない」は「症状悪化時のみ投薬を行う、間欠投与もしくは狙い撃ち療法は、再発防止の点では成功していない、予後はよけい悪い(統合失調症治療ガイドライン、P.107)」であり不適切である。

(4)、脱抑制や陽性症状悪化が発現する危険性を無視した抗不安薬の連続大量投与
  渡邊朋之医師は、ベンゾジアゼピン系抗不安薬を脱抑制や、陽性症状悪化の危険性に注意を払わず大量投与し続けた。大量投与の効果判定に要する日数は数日から一週間で十分で、漫然と長期投与すべきでない。(統合失調症ガイドライン、P.174〜175)。

◎、A鑑定人


ア、{積極的に減量を試みるべきだった}(P.18)
A鑑定人は、『厚生労働省のマニュアル(重篤副作用疾患別対応マニュアル指針)においても、アカシジアの「判断が難しい場合は積極的に疑わしい薬剤の減量や中止を試みることも大切である」記載されており、その点からも過失とは言えない』と指摘した。しかし、A教授が言うとおり、積極的に疑わしい薬剤を中止するとしても、複数の薬剤を一挙に中断すれば原因薬剤の推察ができない。渡邊朋之医師は抗精神病薬の「積極的な減量」の検討すらせず「突然中断」して経過観察せず、慎重さに欠ける医療行為を行った。A教授の鑑定意見は拡大解釈である。

イ、{抗精神病薬の副作用に対する定型的ではない処方}(P.18)
A鑑定人は、抗精神病薬の副作用という観点で「ダントリウムやドプス処方のように、定型的とはいいがたい処方がなされている」と渡邊朋之医師の間違いを間接的に指摘した。

3、アキネトンに代えて生理食塩水をプラセボとして注射し続けてQOLを損ねた

医師が裁量権の範囲内で病名や症状の確認などでプラセボを用いることはあるが、プラセボ試験を行う医師は必ず効果の有無を診断しなければならない。漫然とプラセボを投与し続けるならば患者に対する説明と同意と協力を得ずに医師が処方変更を実行した事と変わりがない。渡邊朋之医師は、野津純一のアカシジア症状を心気的と誤診して、11月22日付けの診療録に3日間だけ生理食塩水の筋注を行うとして、12月1日からプラセボ試験を開始したが、プラセボ効果判定を行わず漫然と生理食塩水の筋注を継続した。

(1)、効果判定を行っていない
  主治医の渡邊朋之医師は、自ら定めた3日後(12月4日)に効果判定を行なっていない。野津純一が「本当にアキネトンを筋注しているか?」疑い、アカシジアに苦しんでも生理食塩水の筋注を継続した。これはアキネトンの断薬である。

(2)、看護師の一回限りの「プラセボ効果あり」の報告に頼った
  渡邊朋之医師は12月2日に看護師が記録した一回限りの「プラセボ効果あり」の報告に頼り、生理食塩水の筋肉注射を継続したが、問診をせず、プラセボ試験の効果判定をしていない。いわき病院は「医師の診察が無くても、看護師等の報告でプラセボ効果判定を行った」として、判定結果を診療録に記載してないのに効果判定を行ったと主張した。看護師は12月2日12時に生理食塩水に効果があったと記述したが、野津純一は直後の同日15時30分に手足の振戦を訴え始めて、12月3日には生理食塩水の筋注を受けてもアカシジアが改善せず苦しみ続け、そして12月4日には筋肉注射を「本当にアキネトンか?」と疑った。A鑑定人もプラセボ効果を認めていない。

(3)、苦しむ野津純一を放置した
  薬効がない生理食塩水の筋肉注射を受けた野津純一は、12月2日の15時30分以後、イライラ、ムズムズ、手足の振戦で、酷く苦しんだ。以後12月6日までアカシジアで苦しみ続けたが渡邊朋之医師は診察も治療的介入も行っておらず、野津純一が苦しむままに放置した。渡邊朋之医師は12月6日の朝には「単なる風邪症状」と診察もせずに決めつけて、「アカシジアの苦しみ」を認識せずに放置した。

(4)、主治医が診察する必然性
  A鑑定人は、下記のウ)、の鑑定意見に付記して「アキネトン筋注をしなければ過誤になるというものでない」と意見を述べた。しかしながら、野津純一は放火・暴力の既往歴がある慢性統合失調症患者であり、抗精神病薬中断がアカシジア改善に効果がないと分かれば、アキネトン再開に限らず、「抗精神病薬再開の検討をするべき時」であり、いずれにしても主治医の診察は必須だった。

◎、A鑑定人の意見


ア、{効果判定をしないプラセボ試験}(P.20)
A鑑定人はプラセボ試験を行うこと自体は「医師の裁量権の範囲内のもの」と鑑定意見を述べているが、主治医がプラセボ効果判定を行わなかったことに関連付けた意見ではない。主治医が生理食塩水を漫然と継続投与した事は、プラセボ試験の範囲を逸脱しており、実態はインフォームドコンセント無しの薬剤変更である。

イ、{プラセボ効果の否定}(P.20)
A鑑定人は「12月1日以後再びアカシジアが増加」そして「その後の経過はこのプラセボ効果ありという評価が必ずしも適切ではなかった可能性を示している」また「アキネトンに代えて行われていた生理食塩水の筋注に対して純一が不信感を抱いていた可能性を示唆する」と述べており、プラセボ効果がなかったことを確認した。

ウ)、{生理食塩水をアキネトンに戻すことが適当}(P.23)
A鑑定人は「12月4日の純一の様子からは、生理食塩水の筋注に代えてアキネトン筋注を考慮しても良いのではないかと考える」と述べ、12月4日にはアキネトンの筋注を再開する等の治療的介入が行われることが適切であったと指摘した。

4、インフォームドコンセント無視


(1)、インフォームドコンセントの原則
  医療法第1条の4第2項(平成13年法第153号)は「医師、歯科医師、薬剤師、看護師その他の医療の担い手は、医療を提供するに当たり、適切な説明を行い、医療を受ける者の理解を得るように努めなければならない」と規定している。渡邊朋之医師は法に違反した医療を平成17年11月から12月にかけて野津純一に対して行った。

(2)、インフォームドコンセント無視の医療
  野津純一は任意入院患者であり、患者のインフォームドコンセントに基づいた治療が原則である。平成17年12月2日に野津純一は「院長先生が『薬を整理しましょう』と言って一方的に決めたんや」と看護師に述べて、抗精神病薬などの中断は野津純一の同意無しに行われたことに不満を示した。渡邊朋之医師は、プラセボ試験(試験の目的から、そもそも同意と説明はない)開始3日後(72時間後)に行うとした効果確認の診断を行わず、5日後(12月6日)に野津純一の診察要請を拒否した。

◎、A鑑定意見


ア、{医療行為にいたるプロセスの適切性}(P.5)
医師の過失の有無が、医療行為の結果ではなく、医療行為が行われるまでのインフォームドコンセントの有無など医療行為に至るプロセスが適切に行われたか否かによって判断される。

イ、{プラセボ試験とインフォームドコンセント}(P.20)
  A鑑定人は、平成17年12月の時点で「一般の精神科臨床医である渡邊医師が、プラセボ効果を利用した治療を行ったことを、非難するのは明らかに不適切である」と記述した。渡邊朋之医師はプラセボ効果を確認していない。インフォームドコンセントに関する医療法第1条の4第2項は平成13年法第153号であり、法律制定後4年を経過していた。

5、処方変更後の診察と治療義務違反


(1)、処方変更後のアセスメント(医師自らが行う効果判定と病状観察)が行われてない

1)、渡邊朋之医師の効果判定
  渡邊朋之医師は薬事処方変更の効果判定は「金銭管理トレーニングの報告などを参考にした」と証言した。平成17年11月23日から実行された処方変更を実行した期間に該当する報告は以下が全てである

【処方変更の効果判定の参考となった報告】
ア、作業療法記録         11月24日、25日
                 12月1日(看護記録では同時刻に病棟に居た)
イ、金銭管理トレーニング実施記録 11月28日

事件は平成17年12月6日で、渡邊朋之医師が行ったカルテに残る最後の野津純一診察は11月30日である。11月の3件の報告は30日の診察の参考となり、12月1日の報告はそれ以後に行う精神医療判断の参考資料となる。しかし渡邊朋之医師は診察した記録を残しておらず12月1日以後には効果判定を行っていない。

2)、薬剤管理指導報告を提出してない
  K薬剤師は薬事処方変更の効果判定を行う上では、医師に次ぐ有資格者であるが、いわき病院は11月23日から実行した処方変更後の期間に係る薬剤管理指導報告を提出していない。薬剤師の最後の11月2日の薬剤管理指導記録には、渡邊朋之医師の方針に反対する記述がある。

(1)、患者は副作用で抗精神病薬を飲まないことはないので、断薬しない方が良い
(2)、アカシジア症状にドプスを使っても効果がない
(3)、アカシジア症状に対しては抗ムスカリン剤(アキネトン、ストブラン等)を使う方が良い

(2)、重大な処方変更をした後に2週間で一回しか診察しない義務違反
  診療録の記録では、渡邊朋之医師は抗精神病薬とパキシルの中断後に一回しか診察しておらず、野津純一に大規模な処方変更をした症状の変化を診察しておらず、統合失調症の患者に抗精神病薬とパキシルを急激に中断した後に経過観察を行わない怠慢がある。12月2日以降の野津純一は病状の悪化で治療的介入が必要な状態にあり、特に4日には自ら治療的介入する必要性を判断すべき状況が発生していたが診察義務を果たしていない。

◎、鑑定意見書

(1)、A鑑定書


ア、{患者の病状予測と治療的介入の適切性}(P.5)
医師の過失の有無も、他害行為が起こったか否かではなく、患者の病状予測やそれに基づいて行われる治療的介入が適切に行われていたかどうかによって判断されるべき

イ、{アカシジアが悪化する可能性}(P.17)
イライラに頼み綱のアキネトンを中断された野津純一は、アカシジア症状が亢進して激しいイライラ、ムズムズ及び手足の振戦で苦しんだ。A鑑定人は「抗精神病薬中断でアカシジアが改善しない、悪化することもある」と述べている。

ウ、{12月4日は治療的介入が必要な状態}(P.23)
   A鑑定人は、野津純一は12月4日に治療的介入が必要な状態にあった(生理食塩水に代えアキネトンの筋注を考慮してもよい)と認めた。


(2)、B鑑定人(鑑定意見2)


ア、{主治医及び病棟スタッフの病状把握は適切であったとは言い難い}
刑事裁判におけるP鑑定人作成による精神鑑定書の記載を見れば、患者自身の表現を使えば「12月5日、6日の患者の精神状態は「激情」していたという。「根性焼き」をしても治まらなかったという。もし患者にとってそのような状態があったのであれば、その変化を把握できなかった主治医及び病棟スタッフの病状把握は適切であったとは言い難いであろう。

イ、{職務怠慢により資料を残さなかった場合}
B鑑定人は『ただし、この精神鑑定書の記載がどの程度信頼できるものであるか、実際に12月5日、6日の患者の状態が「激情していた」と呼べるほどのものであったかどうかは、明らかではない』と追加意見を記載しているが、そもそもいわき病院は医師も看護師も経過観察が必須のこの期間に信頼に足りる診察と看護を行わず野津純一の正確な状況に関する記録を残していないことが問題の本質である。職務怠慢により資料を残さなかった為に責任が問われない状況が赦されてはならない。


(3)、デイビース医師団鑑報告書


ア、{リスクアセスメントを行った証拠が無い}(P.8)
重大な処方変更を行った後の13日間(11月24日から12月6日)で、11月30日に渡邊朋之医師は診察を行ったが、リスクアセスメント(危険評価)を行った証拠がなく、精神状態の変化を評価した証拠もない。11月24日から30日まで医療記録がなく、11月の30日の診察は簡単に過ぎるもので、リスクアセスメントと精神状態評価を行なっていない。その後12月3日まで記録は無く、それ以降の3日間(12月3日から6日)の殺人事件に至るまでの医療記録も非常に限定的で、またしてもリスクアセスメントと精神状態評価が行われていない。

イ、{危険性を緩和せずに単独外出させた}(P.8)
渡邊朋之医師といわき病院が行った医療の質の評価であるが、元々高い危険性があった野津純一に更に危険性を増大する処方を行った上に、野津純一の精神状態を評価しするリスクアセスメント(危険評価)を行っておらず、特筆すべき不作為である。野津純一がその時の精神状態を評価されることなく、直近のリスク評価も行われず、危険性を緩和する手段(リスクマネジメント)も講じられずに病院から単独外出を許された。


(4)、C医師意見書

 
ア、{向精神薬の中止後は長期的な症状の変動に注意を払うべき}(P.2)
向精神薬の減量や中止後は、本来の治療効果の減弱が生じ、症状の悪化・再燃が生じやすくなることは当然の結果である。症状の悪化は1週間から数カ月で生じることが多い。副作用の軽減や鎮静効果の消失により、減量や中止後に数カ月間に渡り接触性が改善し活動性も向上するが、徐々に症状が悪化・再燃する場合もあり、長期的な症状の変動に注意を払う必要がある。

イ、{処方変更後の診療回数が少ない}(P.5)
処方変更後の診療回数の少なさ、犯行当日に診療を行わなかったことなどの点については、学術的理論に基づく評価のみでなく、治療計画上のリスク想定下において医療行為を行うことまたは行わないことが患者のリスク変動にどのような影響を与えることになるのかについての配慮が主治医に存在したのか否かの点からも評価が行われるべきである。実際の診療では患者の些細とも思える要求に一つ一つ対応することは難しい現状はあるものの、処方変更後の状態悪化や変動のリスクが想定される状況においては、患者の些細な訴えであっても精神状態悪化の兆候である可能性を排除せず、確認を行う必要があったと思われる。

6、事件直前の看護義務違反

いわき病院における野津純一の処遇は、「開放病棟なので、外出制限は少なくとも精神運動興奮による他害の可能性が認められなければ、日中の外出は自由」(第2準備書面 P.5)という、リスクアセスメント(危険評価)もリスクマネジメント(危険管理)も行わない自由放任であった。いわき病院は精神保健福祉法第37条第1項に基づいて、野津純一に短期的な外出禁止措置を行うことが可能であったが、野津純一が外出簿に記載するだけで外出許可を与え続けた。野津純一は根性焼きの自傷行為を行っていたので開放処遇を制限する要件に該当していた。いわき病院は外出時に「精神運動興奮の有無」を観察していない。外出許可を出す患者観察を毎日の義務として行わないシステムエラーがある。

(1)、根性焼きを発見していない
  顔面に発生した火傷の瘢痕は容易に発見できるはずであるが、いわき病院看護師は誰も発見しない怠慢があった。野津純一の根性焼きは事実であり、看護師が顔面の異常に気付かなかったことは重大な看護怠慢である。

(2)、野津純一の喫煙所の汚れに関する怒りと妄想に看護師は気付いてない
  野津純一の妄想と幻聴に関しては、看護師が患者に近寄ることをためらっていたら発見できない可能性が高い、患者観察が疎かな現場の怠慢である。野津純一の顔面の根性焼きを記録しない看護では、そもそも妄想に気付くこともない。

(3)、12月6日の「観察をしない外出管理」
  12月6日外出前の野津純一は、不快な幻聴の異常サインを発し、被害妄想の著しい亢進があり、イライラが頂点に達して逆上し病状が増悪していた。しかし、第2病棟の担当者は野津純一の外出簿記録時の異常を察知しておらず、外出許可を与える際に必要とされる外出管理の観察をしていない。また、野津純一の帰院時刻の認識を3時間も誤り、手と服に付いた返り血を発見しておらず、帰院時刻の記載を確認もしていない。いわき病院は外出許可を受けた患者が帰院した時の状況確認管理をしていない。

(4)、異常を発見しない看護
  12月6日の午後から夕方には、いわき病院の近隣で殺人事件が発生したことがテレビニュースで大きく報道された。野津純一は夕食を摂らず、夕食を勧めに来た職員に「警察が来たんか」と質問した。12月7日に朝から警察がいわき病院に来て殺人事件の捜査を行った。野津純一は前日の夕食も7日の朝食も摂らなかったが、異常を察知せずに放置し、13時頃に外出するに任せた。野津純一は前日の犯行現場を事件当日と同じ血のついた服装で見に行き13時25分頃に身柄を拘束された。

◎、鑑定意見書

(1)、A鑑定意見書


{適切なケアと事件の未然防止}(P.4)
  A鑑定人は事件の回避可能性に関して「(英国の)査問委員会は事件は予測不能であったが、回避することは可能であったと結論付けていたが、その理由は、暴力の予測自体は不可能であるが、適切なケアがなされていれば、再発は予測可能であり、入院等の適切な介入が行われ、事件は起こらなかっただろう(と結論づけた)」と述べた。

A鑑定人は、いわき病院に問われる「入院患者野津純一の病状を慎重に把握する適正な看護と医療を行っていたか否か」の重要性を指摘した。いわき病院の看護が根性焼きを発見できないほど杜撰であったことが、野津純一の精神症状悪化と、それに伴う付き添い付きの外出等のケアを行う適切な看護を行わないことに繋がった。いわき病院の看護には事件を未然に防げなかった過失がある。


(2)、B鑑定意見書


ア、{根性焼きは発見できたはず}(鑑定意見2)
提供された資料にある逮捕後の患者の顔面に認められる「根性焼き」による傷痕を見る範囲では、通常の看護をしておれば十分気付くことのできる外見に見て取れる。

イ、{大幅な処方変更の後の不十分な病状把握}(鑑定意見2)
12月3日はアカシジア様の訴えは前日よりも強く、プラセボ筋肉内投与では改善していない。この日の状態を看護スタッフが「病状悪化」と把握した可能性は高いが、その後の経過を見れば少なくともそのことが渡邉医師に報告され、渡邉医師がそれに応じて診察をした様子はない。看護スタッフが主治医に報告を怠ったか、もしくは主治医が報告に対して適切に対応しなかったかのいずれかであると思われる。


(3)、デイビース医師団鑑定意見書


ア、{患者を社会復帰させる前提}(P.8〜9)
患者を社会復帰させるに当たっては、患者が急性の病気エピソードから回復していなければならない。主治医は患者の良好な状況や入院時の状態をよく知っている看護護スタッフや家族と共に患者の精神状況検査を試験して確認する。患者が退院できる状態にあると判断する場合には、患者が退院後に居住する場所を計画する必要がある。その上で、病棟から毎日少しずつ外に出して、適応状態を確認しながら外出機会を拡大する必要がある。また患者が自宅に帰る度に医療チームからアセスメントを受けなければならない。

イ、{市民に危害を与える可能性を管理する必要性}(P.9)
過去に患者が暴力的であるか危険な傾向を示していた場合には、将来同様の危険行動を再び行う可能性があるため、市民に危害を与える可能性を管理する必要がある。このため、該当する個人情報は関連する全ての専門家に周知されなければならない。患者を退院させる前に危険評価(リスクアセスメント)を行い、個別の危険要素を検討し、管理し、周知する。患者が市民生活をしている間も、危険評価(リスクアセスメント)は継続して行い更新する必要がある。患者の退院に先立って、社会生活を始めるフォローアップ計画を作成する。患者が自宅復帰して十分に社会生活に慣れたと判断される場合には、全面開放を検討することとなる。

ウ、{市民生活と患者自身に対する脅威を最小限にする管理}(P.9)
英国の精神障害者の社会復帰に関する基準は、「精神障害者は退院の準備が整った場合に退院することが期待され」、「市民生活と患者自身に対する脅威を最小限にして管理され」そのために「患者が退院するときには、関連各機関からの支援を受ける必要がある」。通常のケア計画では自傷他害のリスクが高過ぎる患者が存在する場合には、「監視下の退院:supervised discharge」が強制され、強権で患者に退院条件に従わせ、従わない場合には病院に呼び戻すことになる。

エ、{開放治療から措置入院に移行させる条件を検討する必要性}(P.11)
ブリストル大学医学部学生の卒業資格は英国精神保健法に基づく実行可能な知識を持つことが要件である。野津純一のケースの場合、学生は患者の状態から措置入院に移行させる条件を認定する事が求められる。学生は精神病状が進行している患者の状況を判断して、患者本人が病院内に留まることを望まない場合にも、精神保健法に基づいて拘留を検討できる暴力リスクの程度を判断しなければならない。


(4)、C医師意見書


{一時的な投与中止の場合精神症状悪化のリスクは高まる}(P.2)
副作用(有害事象)などのためにやむを得ず向精神薬の投与を中止せざるを得ないことはあり、本件におけるアカシジアなどの副作用のために向精神薬の一時的な投与中止もこれにあたると考えられる。この場合、当然精神症状の悪化のリスクは高まるため、精神状態の悪化に対して、感情調整薬の投与や程度によっては電気痙攣法などによる対応も考慮し、慎重に観察を継続する必要がある。

7、事件直前に治療的介入をしなかった不作為と診察拒否

抗精神病薬は体内の脂肪組織に蓄積し患者には個体差があり、抗精神病薬を中断後、主治医は経過観察で慎重に診察を継続する義務がある。抗精神病薬を中断した後で渡邊朋之医師は患者の診察と治療を患者の病状の変化(増悪)に対応して行なわず怠慢だった。患者の病状悪化に適切な看護と治療的介入を行わなかったことが、本件殺人事件が発生した直接的な要因である。その上で、事件当日に主治医は診察拒否をして、患者の苦痛を緩和する何の対応も取らなかったことで、事件を未然に防止する機会を失った。

(1)、野津純一の不満と妄想と幻聴を把握しなかった怠慢
  野津純一には、喫煙所の汚れ、非常階段のドアの開け閉めの音を煩わしく思い、それ以前と異なる幻聴等があった。渡邊朋之医師が野津純一の抗精神病薬とパキシルの中断等の処方変更後に経過観察を十分に行っておれば、事件の発生に結果回避可能性があった。看護師から野津純一の病状悪化に関する報告があったにもかかわらず、渡邊朋之医師が事件前に野津純一のイライラ悪化とそれ以前と異なる妄想・幻聴の出現に関心を払わずに、有効な対策を講じなかったことが、本件事件の発生を防げなかった要因である。

(2)、顔面左頬の根性焼き(自傷行為)を見逃し、外出許可を変更しなかった
  野津純一は12月6日に殺人行動をする2〜3日前に自傷した顔面の瘢痕(根性焼き)はショッピングセンターのレジ係が目撃し、逮捕後にも確認された。確定した事実に基づけば、いわき病院は6日13時頃から7日13時頃まで丸一日の間、素人でも気がつく野津純一顔面の異常を発見していない。いわき病院は入院患者が行う自傷行為に関心を持たず、異常を発見できず、入院患者に外出許可を与えていた。

(3)、12月6日朝10時の診察拒否
  渡邊朋之医師は12月6日の朝野津純一から診察要請を受けて、外来診察中にわざわざ診察の手を一旦止めて「診察しない判断」をした。重要な問題は、その時に診察できなくても、野津純一を外来に呼び寄せる、又は後で診察する、もしくは他の精神科医師に診察を依頼するなどの対応を行ったか否かである。野津純一は診察拒否に落胆して強い不満を口にしており、渡邊朋之医師は主治医として適切な対応をしていない。

(4)、12月6日の午後に診察をしようとしたとする詭弁
  渡邊朋之医師は12月6日朝10時から7日の13時に野津純一が外出許可で外出するまで診察しようとした事実がない。特に、6日の午後の状況に関しては、渡邊朋之医師の主張に一貫性が無い。渡邊朋之医師に野津純一を診察する気持ちがあれば、12月6日の夜もしくは7日午前中に診察をする事が可能であったが診察していない。

(5)、処方変更後に患者の病状変化を確認せずアセスメントしない精神科臨床医療
  「統合失調症の患者に抗精神病薬の定期処方を中止したら、1日1日精神症状悪化の危険性が高まる」のは常識である。渡邊朋之医師は「看護師から伝えられた、咽の痛みと微熱という風邪症状だけでは、診察することはできない」と証言した。現実問題として「統合失調症における妄想気分を教科書的に説明できる患者はほとんどいない」(専門医をめざす人の精神医学、第2版、医学書院、P.158)。渡邊朋之医師は自ら患者を観察することを放棄して、看護師が報告する「言葉で表せる症状だけ」で「実態を見ず」、また「薬事処方の変更後に野津純一に発生していた一連の体調と精神状態の連続的な変化を考慮に入れることなく」診察拒否した。B医師は必要な診察をしていないと指摘した。デイビース医師団は必要な患者の状況をアセスメントする診察を行っていないと結論づけた。C医師は処方変更後の診療回数が少ないと指摘した。自ら患者を診ずに看護師の報告だけで病状を判断するのは医師として責任放棄である。

(6)、入院患者が看護師を通じて正式に診察要請すれば診察拒否できない
  野津純一は入院患者であり、大規模な処方変更後に主治医は毎日の変化を観察して診察する義務がある。入院患者の診察は通院患者と同じレベルではない。「入院患者の診察要請拒否は診察義務違反で違法」である。入院患者が異常を伝え、病棟スタッフがそれを認めている状況では、主治医は病状の悪化を疑い、優先的な対処を行うことは、当然の入院医療の責務である。精神科入院患者は任意入院であっても(措置入院であれば、尚更のこと)病状や身体症状(イライラ、ムズムズ、強烈な苦しみ等)があっても、その時直ちにまた簡単に、転院や他の診療所への通院は行えない。入院患者に病状悪化や苦痛などの症状があれば、それを放置せず、入院を受け入れた医療機関が責任を持って治療に当たることが当然の義務である。渡邊朋之医師が12月6日に入院患者から正式に手続きを踏んだ診察要請があったにもかかわらず診察拒否(アセスメントの否定)をした。

(7)、診察を受けるという希望を叶えておれば事件は回避できた
  渡邊朋之医師は抗精神病薬を中断した上に、イライラ時の頼みの綱であったアキネトンを生理食塩水に置き換えた。その後でアセスメントをしていない。主治医が看護師から伝えられた診察要請に応じるのは当然のことであり診察義務違反が野津純一の犯行を招いた。野津純一は事件直前にイライラとムズムズの苦しみで根性焼きをしても治まらないほどの極限にまで達していた。診察拒否は衝動的な行為に転換する危険性を高めた。野津純一の「自傷行為を発見して適切な医療介入すること」は入院患者の回復を促進し、社会復帰と自立を促進するためにも重要で、本件事件を防げた結果回避可能性があった。


(8)、処方変更後の診察拒否は診療義務等違反
  渡邊朋之医師は、平成17年11月23日から野津純一の薬処方を大幅に変更した。主治医には治療内容の継続的評価を行う注意義務があり、そもそも大きな処方変更をした後で毎日でも診察することは医師の常識である。薬処方変更をした理由はアカシジア(イライラとムズムズ)であり、特にこの点に注目した観察と診断を行う義務があった。渡邊朋之医師は11月23日のカルテにも「振るえた時」「不安焦燥時」「幻覚強い時」をあげて野津純一の兆候の変化で注目するべき不穏時の症状を指定していた。また11月30日の診察記録でも渡邊医師は野津純一に「振るえた時」と「幻覚と妄想」の症状に気付いており、不穏時の兆候を認識していた。また看護記録で野津純一は12月1日以降アカシジアの症状が頻発していた。野津純一は根性焼きの自傷行為を繰り返しており、診察する必然性がある状態であった。渡邊朋之医師は「スタッフからの報告がないので異常や不穏時の発生はなかった」と主張したが、主治医として無責任かつ不作為である。

◎、鑑定意見書

(1)、B鑑定人鑑定意見書


ア、{治療方針の見直しを適切に行った形跡がない}(鑑定意見4)
行動制限が必要かどうか、治療方針を見直す必要があるかどうかを判断するために、病棟スタッフが主治医に対して適切な報告を行うことであり、それに応じて主治医が患者を診察して病状の把握とそれに基づいた治療方針の見直しを、患者との話し合いのもとに行うことであっただろう。カルテ、看護記録からはこのような診察が適切に行われた形跡が読み取れない。

イ、{事件直前に主治医が診察する必要性}(鑑定意見5)
11月23日にプロピタン、パキシル、ドプスなどの薬剤を一度に中止したのであれば、それによって起きてくる精神症状や副作用の変化を把握しその変化に対応するために、主治医は薬剤中止後にそれ以前より注意深く患者を診察し、必要に応じた適切な対応(処方変更、精神療法、入院療養上の指導、処遇変更、など)を行うべきであったろう。また、これもすでに述べたように、看護記録によれば12月2日、3日の患者の状態は病状悪化を示していた可能性があり、もし看護スタッフから病状変化についての報告があったのであれば主治医の診察は必要だったということになる。


(2)、デイビース医師団鑑定意見書


ア、{リスクアセスメントの役割}(P.10)
英国の治療推進計画では、リスクアセスメント(危険評価)の役割は次の通りである。
  1. 適切な危険評価(リスクアセスメント)を行うには、患者の背景、現在の精神状態と社会的な立場の現状及び過去の行動歴等の情報が不可欠である。
  2. 危険評価(リスクアセスメント)は徹底して行わなければならない
  3. 危険(リスク)を増加させる状態や環境は取り除かなければならない
野津純一の場合に該当する問題であるが、薬剤の投与を中断する環境条件はリスク(危険性)を増加させる第一の要因として指摘される。

イ、{英国の医学生なら落第}(P.11)
医学生が長期的兆候(付け火、暴力及び重大精神障害の履歴)と緊急の短期的兆候(患者の精神状態を不安定化させる可能性が高い、直前に行われた突然の薬剤処方の変更等)に気付かなかった場合は、これらは暴力発動に危険性を増すことに繋がるため、落第となる。

8、事件後に処方変更をした過失の追認


(1)、野津純一拘束後に処方を元に戻して処方変更の間違いを認めた
  渡邊朋之医師は野津純一が警察に拘束された後で、拘束中の野津純一を診察することなく、警察の求めに応じて抗精神病薬とパキシルを再開する処方を実行したが、11月23日から実行した処方変更に問題があった事を認識していた事になる。

(2)、不穏時の指示と診察義務
  渡邊朋之医師は11月23日に処方変更をした際に「振るえたる時」「不安焦燥時」「幻覚強い時」の医療的介入を行う指示をした。この日付は事件から4年9ヶ月後の人証で11月30日から23日に変更されたこと、11月23日は祝日であること、及び弁明的である事などから事件後の改竄(加筆)である可能性が高い。野津純一の症状が悪化した12月2日以後に主治医の診察が必須であったが、12月3日を11月30日に変更したことで12月に診察した記録が失われた。渡邊朋之医師は「大規模な処方変更後に主治医は頻繁に診察すべき」という認識、及び「12月に野津純一を診察するべき状況であった」という認識を持たなかったことを証明する。

(3)、パーキンソン症候群の診断をパーキンソン病と診断した間違いを事件後に訂正
  渡邊朋之医師が野津純一のイライラ・ムズムズ及び手足の振戦を心気的症状としてアキネトンに代えて生理食塩水を筋肉注射したが、事件後に提出した平成17年12月のレセプトでパーキンソン病をパーキンソン症候群として病名を訂正した。これは自らの診断間違いを認めた証拠である。

◎、B鑑定意見書


ア、{陽性症状が高まっていた可能性}(鑑定意見3)
「出かける時に父親の悪口が聞こえてきた」とすれば、このような幻聴の存在を窺わせる訴えはそれまでにはあまり認められないため、この時期にそれまであまり前景に立っていなかった陽性症状が強まっていた可能性はある。

イ、 {主治医として診察するべきだった}(鑑定意見5)
本件の場合、患者が11月23日に主剤であったプロピタンを含め、数種類の薬剤を一度に中止したすぐ後の時期でもあり、また12月2日、3日には病棟看護スタッフは患者の病状変化に気付いていた可能性がある。もし設問のようにこの時期に「数日前から野津が渡邉医師の診察を希望していた」のであれば、やはり主治医としてはその数日の間に診察する時間を作るべきであったろう。

9、80%の殺人危険率と過失責任


(1)、いわき病院の80%の殺人危険率という主張
  いわき病院は「統合失調症患者に抗精神病薬(プロピタン)を中止した過失」について、「抗精神病薬中止によって80〜90%の確率で本件のような殺人行為に至るという客観的かつ科学的根拠が存在しない以上、これを本件犯行と『高度の蓋然性』をもって結びつけることは到底不可能である」と主張した。

(2)、反社会的ないわき病院の論理
  いわき病院が主張した殺人の高度の蓋然性とは、外出許可により外出する入院患者の80%以上が殺人する確率である。「殺人未遂や傷害などの他害行為は外数」であり、現実的にはいわき病院から外出許可を受けた全ての患者が傷害以上の他害行為を行う事を容認する事になる。いわき病院の主張は反社会的で許されない非常識な論理である。また、外出中に何れかの患者が何れかの人間を傷害または殺害すること、は被告の論理から必然的に予見可能な事である。

(3)、統合失調症の治療と危険行為の関係に関する意見
  インターネットで公開されている英国BBC1998年12月8日付放送「保健コミュニティーケアの失敗事例」(http://news.bbc.co.uk/2/hi/health/230179.stm)で英国の精神障害者に対するコミュニティーケアが取り上げられた。放送内で、英国統合失調症協会ガリー・ホグマン氏は「他害行為をする患者一人に対して50人から100人の自傷行為をしている患者がいる」と述べた。渡邊医師の治療の危険性が指摘されている。いわき病院が10人中7人までの外出許可者が殺人するまでは責任が無いとする論理の背景には、患者の生活の質(QOL)を無視したいわき病院の精神科臨床医療の実態がある。

(4)、殺人危険率と社会的容認限度
  心神喪失者等医療観察法が制定された時の殺人危険率の論理は、平野龍一東京大学名誉教授がJuristに報告している。平野東大名誉教授は「殺人危険率が50%の人が自由に動き回れば一般の人は外出できなくなるので、そのような危険率は容認できない」と指摘した。同名誉教授は殺人危険率10%を目標値としているが、殺人の背景には殺人未遂や傷害などの重大な他害行為が一桁多い暗数として存在し、殺人危険率10%でも他害危険率は飛躍的に高くなる。殺人危険率が80%以上でなければ責任を問われないとするいわき病院の主張は、病院の社会的責任から大きく逸脱している。

◎、デイビース医師団鑑定意見書


{市民と精神障害者の人権の均衡}(P.10)
英国では精神科医師及び他科の医師は、重大な違法行為を行った精神科患者を退院させた場合には、暴力行為やその他の破壊行為で市民の人権が侵害される可能性があるため、精神障害者の人権との均衡を取らなければならない。英国はEU27カ国で構成するヨーロッパ人権宣言(European Human Rights Convention)に参加しており、患者と市民の人権が競合関係にある場合には合理的な均衡を確保する事が求められる。

しかしながら、英国内では精神保健法(現行制度、1983年精神保健法、2007年改正、1991犯罪手続心神喪失者令:currently the Mental Health Act, 1983, as amended 2007 and the Criminal Procedures Insanity Act, 1991)がヨーロッパ人権宣言に優先する。英国政府は重大な違法行為を行った精神障害者が社会にもたらす潜在的な脅威に鑑みて、精神保健法に医師が行うべき具体的な規定を設けている。精神病の状態にある患者が殺人などの重大犯罪を行った場合に、1983年精神保健法の司法条項で指定する精神病院に通常拘留され、法37/41条で指定病院での治療が規定される。指定病院における拘留条件に関する変更は英国政府大臣の承認の下に行われる。法第37/41条の規定に基づいて拘留される患者の大多数は精神病院で長期間拘留される。

該当者は、長期間に渡り持続的に行われる危険評価(リスクアセスメント)と安定時の精神状態の観察及び薬剤治療計画に対するコンプライアンスを評価した後にのみ社会復帰が可能となる。それ故、重大な犯罪を起こした精神障害者を社会復帰させる判断をする上で、リスクアセスメント(危険評価)は基幹的に重要な手続きである。

10、精神科病院に求められるリスクを可能な限り減少させる努力


(1)、精神障害者のリスクマネジメント
  いわき病院と渡邊医師のリスクマネジメントの問題は、自らの治療活動でリスクを拡大する原因を患者に作っていたところにある。その上で、病院外で野津純一が行う可能性がある他害行為を予見する行動(リスクアセスメント)を取っていない。精神障害者野津純一に関連した入院中のリスクで、渡邊朋之医師が当然知るべきであり、野津純一の治療方針に反映するべき事実であるが、対応していないことが判明した事項は以下の通りである。



  1. 職員に襲いかかった
  2. 帰宅中の暴力
    家庭内暴力の記述がある
  3. 自傷行為
    タバコの火で火傷を自傷する根性焼きを行っていた
  4. 外出中の他害行為
    矢野真木人を殺害した

◎、デイビース医師団鑑定意見書


{リスクアセスメント不在は治療義務違反}(P.4)
野津純一の不法行為や暴力行動が統合失調症と関連している可能性が極めて高いことを考慮すれば、彼の精神状態が悪化すれば暴力と付け火を行うリスクの可能性が高まる。いわき病院の医療記録では、野津純一の危険性がどのような条件で増大するかというアセスメントが一切行われていない(リスクアセスメント不在)。これは治療義務違反。

(2)、いわき病院が行うべき危機管理
  本件で発生した結果は「矢野真木人刺殺」であるが、渡邊朋之医師は「包丁を購入して矢野真木人を刺殺するという結果までは予見できない」と荒唐無稽で、精神科病院としては実務的でない主張をした。精神科専門病院には、精神病患者の自傷と他害行為に関連して予見(リスクアセスメント)するべき責任がある。精神科病院が普通に発生し得る危険に対して「常識的で回避可能なことを予見する義務(リスクアセスメント)」を怠らなければ、「結果である矢野真木人殺人事件の発生を未然に回避できる(リスクマネジメント)」ことは必然であった。いわき病院と渡邊朋之医師には精神科病院に求められる基本的な危機管理に怠りがあった。死亡などの医療事故を起こさないことは、全ての精神科病院に期待するべき社会目標である。

◎、鑑定意見書

(1)、A鑑定意見書


ア {治療に伴う危険を最小限にするリスクマネジメント}(P.4)
病状予測の中には当然「他害のおそれ」も含まれている。しかし、この場合の予測はあくまでも医療的概念としてのリスクであり、実際に他害行為を行うか否かという危険性の予測では決してない。自傷他害行為を防ぐための治療的介入は治療に伴う危険を最小限にするためのリスクマネジメントに他ならない。

イ、{人を殺したくなる主旨の発言}(P.7)
純一は、これまでの治療経過のなかで、人を殺したくなるという趣旨の発言を主治医等に語ったこともあったようだ

ウ、{妄想とイライラ解消の他害行為}(P.7)
純一には犯行1〜2ヶ月前から妄想があり、イライラ感を解消するために人を殺そうと思うようになった

エ、{過去の他害行為の原因}(P.13)
今までの他害行為は全て「統合失調症の幻聴、被害妄想、関係妄想、恋愛妄想などの病的体験に影響された他害行為

オ、{事件当日の純一の状況}(P.7)
ドアの開け閉めの音や他の患者の話し声に対しても妄想的な解釈が強まり、イライラが募り、そのイライラ感を解消するためには、誰でもいいから人を殺すしかないと思った


(2)、デイビース鑑定医師団


ア、{精神科医療の基礎的な治療義務の逸脱}(P.5)
問題は渡邊朋之医師といわき病院が定期的に他害行為のリスク評価を行っていたか否か、またリスクを軽減するための「標準的な精神科医療」を行うという合理的な手段を講じていたか否かである。リスク評価とリスクマネジメントを実行していたか否かの重要な領域で、渡邊朋之医師といわき病院は精神科医療の基礎的な治療義務から逸脱していたと確信する。

イ、{リスクアセスメントを行わず殺人事件を発生させた}(P.5)
我々は、渡邊朋之医師がリスクアセスメント(危険評価)とリスクマネジメント(危険管理)を行わなかったことで野津純一が殺人事件を引き起こすに至った可能性があると確信する。我々が通常用いる標準リスクアセスメント検査指針を使ったリスクアセスメント(危険評価)が行われておれば野津純一は他害リスクが高い状態にあると判明していたはずである。

ウ、{医師として当然の基礎教養}(P.11)
(ブリストル大学医学生が)緊急性が迫った高度な危険性に対処できる治療計画(患者の日常的な精神状態と危険性の変動と評価、それに基づく治療計画の作成、危機が軽減したと判明するまでの経過時間を病棟内におらせる又は付き添い付きの外出を許可する等)を提示できない場合にも落第である。この程度の水準は英国の一般医学教育の要件であり精神科専門医の水準ではない。なお、英国医学部卒業生のほとんどは精神科医にはならない。

11、医療過誤と矢野真木人に対する過失責任


(1)、医療過誤の立証要素
  医療過誤の過失責任の立証要素に関する論理をカプラン司法公衆衛生から引用する。

医療過誤は『医師の過失に起因する権利侵害であり、患者を治療する義務を負った医師がなすべきでなかったことをしたり、現在の医療行為から見てなすべきであったことを行わなかったこと』を意味し、立証要素は4つのD(義務{duty}、逸脱{deviation}、損害{damage}、直接因果関係{direct causation}の全てが存在すれば責任が認定される論理となる。(カプラン臨床精神医学テキスト、第57章、司法精神医学、P.1448、メディカル・サイエンス・インターナショナル)。

(2)、義務の逸脱
  通常の場合医療過誤は医師と患者の関係に限定されるが、本件は放火暴力既往歴がある統合失調症患者に重大な他害行為の発現を助長する可能性が高い大規模な処方変更をしたにもかかわらず、被告社団以和貴会及び渡邊朋之医師は、経過観察を行わず、根性焼きを見逃し、リスクアセスメント(危険評価)をせず、診察要請を却下していた。いわき病院は回避可能な他害(殺人)行為を回避しない精神科医療を行って重大な結果を招いたのであり、被害者矢野真木人に対する過失責任がある。

(3)、いわき病院と渡邊朋之医師の医療過誤による矢野真木人の損害

  (1) いわき病院から外出許可を受けた入院患者の野津純一に、何の落ち度も無いのに殺人された。
  (2) 人生を全うして実現する夢を奪われた。
  (3) 家庭を築き世代継承を行えなくなった。
  (4) 生きて働いて社会貢献して、社会の健全な発展に寄与できなくなった。

(4)、逸脱が直接に矢野真木人の損害を引き起こしたこと

  (1) いわき病院の許可外出(社会復帰訓練中)で病院を出た直後の野津純一に通り魔殺人された。
  (2) いわき病院と渡邊朋之医師は野津純一に他害の危険性が亢進する精神科医療を行った上に、危険性の予見(リスクアセスメント)及び回避義務(リスクマネジメント)を果たしておらず、殺人事件の発生に対して未必の故意が成立する。A鑑定意見書及びデイビース鑑定医師団が指摘するリスクマネジメント遂行義務に逸脱した。
  (3) いわき病院と渡邊朋之医師は精神科臨床医療の基本である患者野津純一の生育歴を承知せず、統合失調症で他害行動歴のある野津純一が他害行動を行う可能性を否定して、リスクアセスメントを行わず、根性焼きの自傷行為を見逃し病状が悪化しても、調子が悪いという野津純一の診察希望を却下して治療的介入を行わず外出制限も行わない時の殺人行為である。
  (4) 野津純一は12月6日に「イライラを解消するため、(いわき病院の外で)誰でも良いから人を殺す」という確定意思を持って、いわき病院から許可外出して殺人を行った。
  (5) いわき病院は、自らの精神医療活動の一環とした社会復帰訓練中の事件でありながら、市民矢野真木人を殺害したことまでは責任が無いと、反社会的主張を行った。

◎、D鑑定意見書


D鑑定専門家集団は精神医療専門家集団である。本原告弁論書の作成までに意見作成が間に合わなかったため、鑑定意見の中から主要な論点を抜き書きして記述する。

(1)、病院内のコミュニケーション不足
事例検討会、スタッフ会議、院長回診等が定期的に持たれていたかが疑わしい。患者が感じている苦痛の原因とその対処方法について、スタッフ間で情報が共有されておらず、コミュニケーション不足が目立つ。

(2)、精神科特例
「精神科特例」は、精神科入院医療が一般医療と比べて質的に劣ることを法的制度的に容認したものではなく、医療従事者の病棟機能別傾斜配置やトリアージュなど柔軟な判断と対応が求められる。緻密な観察と適切な対応を行わず、面接の回数を増やさず、タイムリーな危機介入を行わず、患者の要望に適切に対応しない等を精神科特例という制度のせいにできない。

(3)、処方変更と患者説明
受任者として処方変更等の理由を患者に説明した形跡がない。プラセボ使用が医学心理学的評価も行われず場当たり的に行われた。診療治療の求めに正当な理由なく応じず、代替的な方策を講じず、患者純一の苦痛をいたずらに長引かせ苛立ちを募らせた。

(4)、一般的な精神科病院の水準
A鑑定人の「一般的な精神科病院における医学的診察や看護水準で察知することは不可能な種類の精神症状の変化に基づく」という論拠には無理がある。イライラ感は医療関係者にも察知可能で、野津純一自身の訴えによって十分把握しえた事実である。

(5)、野津純一の精神的情緒的危機
平成17年12月6日の事件直前、野津純一は精神的情緒的危機にありタイムリーで適切な対応が必要であった。日常的な精神医療現場で十分把握可能なサインは出していた。平成17年12月に入りイライラ感が強くプラセボ処置も増えた。「根性焼き」という自傷行為を見逃した。主治医との面談がないことに不満を募らせていた純一の心の内に無関心であった。

(6)、医師の応招義務
医師には応召義務があり入院患者純一の診察の求めを拒否する正当な理由はない。「院長先生が(薬を)整理しましょうと言って一方的に決めたんや」(12月2日)、「先生にあえんのやけど、もう前から言っているんやけど」(12月6日)と語る野津純一の言葉からも、無視と無関心が野津純一の苦痛をいたずらに長引かせ、不信感を強めていることは明らかである。

(7)、「心の危機」のSOSのサイン
「心の危機」のSOSのサインを見逃し適切な対応を怠った、主治医である渡邊医師といわき病院の責任は大きい。職員は、純一に対する精神医療従事者の態度や反応が、二次的な心理社会的問題の発生や当人の自尊感情を毀損するおそれがあることに留意すべきであった。

■後記

矢野真木人の両親である原告矢野はこの裁判で矢野真木人殺人犯人野津純一を治療していた医療法人社団以和貴会と同病院長で主治医の渡邊朋之医師の過失責任を明確にすることを目的とした。渡邊朋之医師の精神科臨床医療と病院運営には個人の問題として責任が問われるべき錯誤と怠慢があると確信して提訴した。当初の目的意識では問題をいわき病院という一法人と渡邊朋之医師という一医師に限定していた。

驚いたことに、いわき病院は日本の精神医療を破壊する訴訟という反応を見せて、国際法律家委員会報告を裁判の初期に持ちだした。その上で、いわき病院が推薦したA鑑定人は鑑定書の結びで「延いては精神医療そのものを破壊することになる。この点を銘記して頂きたい。」と結論した。原告矢野はいわき病院の問題の筈が「日本の精神医療会と精神科医師に共通する問題として対応されている」という感想と驚きを持つ。そこに、渡邊朋之医師のような精神科医師が精神科病院長として存在し、日本病院評価機構で高い評価を受けて、精神障害者の開放医療に関係する全国医療団体の幹部を努めている実態には、それを許した制度や体制及び社会運営に改善するべきところがあることを示すと確信する。事件はあくまでも一事例の問題で、以和貴会と渡邊朋之医師は業界や学会の代表や典型ではないはずである。そもそも個別の不祥事に責任を問うことで、社会の自浄作用が機能する。

原告矢野の主張が認められると「日本の精神医療全体を破壊する」というA鑑定人のご意見には驚いた。以和貴会と渡邊朋之医師に過失がなく、その精神科臨床医療が正しいとされる場合、日本の精神科開放医療は市民の信頼を得られない。また、日本は人権を尊重しない国である証拠として、国際社会で認識されることになる。いわき病院の市民に犠牲者が出ても、殺人確立が80%以上でなければ責任を問えないとする論理は、人命を尊重する医療ではない。そのような論理を法廷で堂々と主張し、その医療が擁護される現実に大きな驚きを持つ。

社会生活の基本は生命の尊重であり必ず義務と責任が伴う。精神障害者の社会復帰とは可能な限り多数の精神障害の既往歴がある人が普通の市民としての生活を享受する社会を実現することである筈である。そこでは万人に法的権利が尊重される。精神科医療には市民に犠牲者を出さない不断の努力が求められる。

原告矢野は、矢野真木人殺人という現実を突きつけられて始めて精神医学を猛烈に勉強し、精神科開放医療を推進している現実の表裏を知った。原告矢野にとって、矢野真木人の死は残念きわまりなく、できるならば、我が身の命と交換したい。しかし、それができない現実の前では、精神障害者の開放医療と精神障害者の社会参加を確実なものとするべく貢献することが、矢野真木人が残した人生の課題であると確信する。

この裁判が、それに向かう、第一歩となる事を期待する。



   
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