いわき病院事件原告弁論書
平成24年3月13日
矢野啓司・矢野千恵
II、事件を誘発した要因
被告の精神科臨床医療の過失は突然発生したのではなく、過失にいたるまで一連の錯誤と不作為があった。事件発生を導いた前提として平成17年2月14日の主治医交代から11月23日における抗精神病薬中断等の処方変更までの被告医療法人以和貴会(いわき病院)と主治医渡邊朋之医師の野津純一に対する精神科医療の問題点を指摘する。
1、渡邊朋之医師の患者の履歴を無視した精神科臨床医療
(1)、患者の生育歴と病歴を承知しない欠陥の精神科臨床医療
精神科医師になるために身につけなければならない基本的な資質は以下の通りである(専門医を目指す人の精神医学、第2版、医学書院、P.125「精神医学の基礎」)。
- 正常と異常な人の行動について基本的な知識
- 苦痛を和らげ、治療的介入ができる臨床能力
- 患者のもつ心の障害を理解し対処できる、適切な態度と共感的感性を身につける
精神科臨床場面では、「患者の生育歴」を把握した上で上記に基づいて治療することが基本中の基本である。主治医は患者が「誰と・どこで・どのような生活をした」のかという個人史を承知した上で治療することが不可欠である。野津純一の暴行歴に関しては平成16年9月の入院前問診で、父親が勤務医のG医師に対して、また母親がソーシャル・ワーカーに対して申告した入院時の記録と、平成13年にいわき病院入院した時の記録がある。渡邊朋之医師は答弁書で野津純一の生育歴を「不知」としたが、それは精神科医として責務を自ら否定する行為である。渡邊朋之医師は事実を否定して「家族からの申告が無かったので知る由もない」と主張したが、「申告が無いからではなく、精神科専門医として精神保健指定医の資格に見合う見識と責任を持って治療に必要な情報を知るための努力をする」ことが精神科臨床医療の基本である。主治医の渡邊朋之医師は自院の記録すら承知しないまま精神科臨床医療を行っていた。
◎、デイビース医師団鑑定意見書
{基礎的な精神病履歴の重要性}(P.8)
いわき病院の医療記録に野津純一の基礎的な精神病履歴を取得した記録が無く、入院後に必要な精神状態の検査をも行っていない。患者の精神状態を評価する基礎的で最も重要な情報を収集しないことは業務上重大な過失である。
(2)、自傷行為の有無は開放処遇の要件である
入院患者の保護は精神保健福祉法第36条第3項で規定されている。また、自傷行為は精神保健福祉法第37条第1項で開放処遇を見直すことができる要件であるが、渡邊朋之医師は数々の他害歴がある野津純一の行為歴を十分に調査せず、また自傷行為を行っていたいわき病院内の実態を把握していない。
2、渡邊朋之医師は野津純一が統合失調症であることに確信を持たなかった
(1)、答弁書の矛盾した主張
野津純一は統合失調症、強迫神経症の病名で被告病院に任意入院して治療を受けていた。いわき病院は答弁書でこれを認めたが、同時に同じ答弁書で「本件における被告野津の本件犯行前の状態は、統合失調症の精神症状が軽快しつつある時期にあり、本件犯行が被告野津の精神症状の発現によるものと捉えることは誤りである。精神障害でない人間が、計画的な殺意を抱き、他人を刺し殺したという事件が起きたのであって、かような犯罪行為の事前予測を精神科医がなすべき義務があるとすることは根本的に誤りなのである」と述べた。この、「精神障害でない人間」とは「統合失調症でない人間」と同義であり、矛盾した主張である。現在の精神医学では統合失調症に罹患した患者は精神科医療の治療効果で症状が軽減しても統合失調症でなくなることは無い。渡邊医師が野津純一を「精神障害でない人間」と診断したことは間違いである。また、主張通りであれば、野津純一に不要な入院をさせていたことになる。
(2)、いわき病院が否定したリスクアセスメント
上記で引用したいわき病院の答弁書には「精神障害でない人間が、計画的な殺意を抱き、他人を刺し殺したという事件が起きたのであって、かような犯罪行為の事前予測を精神科医がなすべき義務があるとすることは根本的に誤りなのである」と主張がある。いわき病院は「確定意思としてリスクアセスメントを行わなかった」ことを証言した。
(3)、渡邊朋之医師は主治医として統合失調症の診断を疑った
平成17年当時に渡邊朋之医師は主治医として統合失調症の診断を疑った治療を行っていた。主治医交代直後の歯科治療指示書では統合失調症と書かず、「強迫神経症」単独の記載とした。またOT処方箋には「Sc suspected:統合失調症の疑い」と記述した記録がある。渡邊朋之医師は野津純一が統合失調症であることに疑いを持っていた。
【歯科診察依頼書他に記載した病名】
1)、平成16年10月4日 F医師歯科依頼書 Sc(統合失調症)
2)、平成17年2月14日 渡邊医師OT処方箋 Sc(統合失調症)疑い
3)、平成17年2月16日 渡邊医師歯科依頼書 強迫神経症
4)、平成17年5月16日 渡邊医師歯科依頼書 Sc(統合失調症)
(4)、抗精神病薬の変更と中断そして精神症状の増悪
平成17年2月14日に主治医を交代した時、野津純一は病状が安定(Stable)していた。渡邊朋之医師は抗精神病薬を非定型リスパダールから定型トロペロンに2月16日に変更し、これを境にして、野津純一の精神症状は急激に増悪した。その後、渡邊朋之医師は抗精神病薬の変更を繰り返し、最後には11月23日に中断した。野津純一の統合失調症を確信せず状況判断を誤った事が、本件事件が発生した背景にある。
◎、鑑定意見書
(1)、A鑑定意見書
{適切な診断と適切な治療} (P.11)
統合失調症という診断が適切になされ、その診断に基づいて統合失調症に対する適切な治療が行われていれば、過誤は無いと考えられる。
(2)、B鑑定人
{統合失調症である}(鑑定意見1)
診断については、診療録その他の資料にある情報を総合すると患者は慢性の統合失調症と考えられる
3、渡邊朋之医師の診断と治療方針の誤り
渡邊朋之医師は統合失調症ガイドラインを参考文献として提出したが、自ら提出した文献が禁忌としている事を実際の臨床医療で実行していたなど精神科医療知識に錯誤がある。渡邊朋之医師は徒に野津純一の病状を悪化させていた。
(1)、主治医交代直後の病状増悪に渡邊朋之医師が対応不能となった
渡邊朋之医師は野津純一の主治医を交代した直後に、抗精神病薬の処方で非定型抗精神病薬のリスパダールを副作用が多い古いタイプの定型抗精神病薬のトロペロンに代えた。野津純一はトロペロンの副作用で急激に病状が悪化したのに渡邊朋之医師は胃腸感染症の治療を行ったので回復しなかったが、H医師が再びリスパダールに戻して改善した。渡邊朋之医師は統合失調症患者に処方する抗精神病薬を簡単に変更するが、注意を払うべき重大な副作用や病状の変化を観察しない。渡邊朋之医師は患者を診察する前に強い予断を持ち、患者が「薬がおかしい」と症状が悪化した状況を説明すると、それを「妄想」と捉えて自らの錯誤を押しつけ抗精神病薬選択の問題と考えない。渡邊朋之医師は患者の症状が悪化しても主治医として患者の状態をきめ細かく診察せず、診察する場合も患者が朝から苦しんでいても放置して夕方にしか診察をしない。
野津純一は平成17年2月22日に薬剤管理指導を受けた際に「薬が変わって処方されたトロペロンはどのような薬か」と質問して、病状悪化の原因を「トロペロンの可能性が高い」と理性的に推理したが、渡邊朋之医師は前日の診察で野津純一の「妄想的解釈」と、自らの思い込みを押しつけた。この主治医交代直後の患者の意見を聞かず主治医の薬選択を押しつける行動は、矢野真木人殺人事件の直前に、アカシジアを心気的と考えて無効な生理食塩水を筋肉注射し続けた状況と一致する。渡邊朋之医師は野津純一が苦しむ病気の本質を取り違えた治療を行い、その上で経過観察を行わない医療を繰り返した。
(2)、渡邊朋之医師の医療知識の錯誤と不誠実な医療
1)、アカシジアをCPK値で診断した錯誤
渡邊朋之医師がCPK値でアカシジアを診断したことは間違いである。渡邊医師は平成22年8月の人証で「CPKで悪性症候群に由来するアカシジアを診断したことは正しい」と誤った主張をした事実があり、自らの誤りを認めることがない。
◎、A鑑定意見書
{医学的には間違った記載}(P.14)
診療録の記載ではそのように(アカシジアの診断をCPK値で行ったと)誤解されるような、精神医学的には誤った記載がある。
2)、アカシジア(パーキンソン症候群)をパーキンソン病と誤診
渡邊朋之医師はCPK値でアカシジアを診断したために、手足の振戦やイライラ・ムズムズの症状に対する治療指針を「心気的」と間違えた。事件後の平成18年1月にいわき病院が提出した12月のレセプト請求でパーキンソン病の診断名をパーキンソン症候群と訂正してあり、いわき病院が誤診した事実を認めた記録である。
◎、A鑑定意見書
{CPK値でアカシジア診断}(P.16)
アカシジアをCPK値で診断していたと誤解されても致し方ない。
3)、非定型抗精神病薬を信頼せず定型抗精神病薬の投与を行った治療の混迷
渡邊朋之医師は、野津純一が望んだ非定型抗精神病薬を好まず定型抗精神病薬の過剰投与をして、野津純一がアカシジア症状で苦しむ原因を強化し、渡邊朋之医師自身がアカシジアと野津純一の統合失調症の治療で混迷する原因となった。
4)、患者の病状を悪化させる治療
英国BBC1998年12月8日付放送(http://news.bbc.co.uk/2/hi/health/230179.stm)「保健コミュニティーケアの失敗事例」で、英国統合失調症協会ガリー・ホグマンは、「患者は薬の摂取を止めると自傷他害行為を行いやすくなる。また、旧式治療(定型抗精神病薬の投与)を受けると薬を中断する傾向がある。旧式治療には副作用があり患者は他の療法にも参加しなくなり、そのことでもうつ状態になり絶望感を持ち、患者は薬の服用を止める。それで最悪の場合は自傷他害行為を行うようになる。多くの殺人事件には抗精神病薬を中断した患者が関係し、薬を中断して他人に危害を与えた患者が一人おれば、その背後には50人から100人の自傷行為をしている患者がおり、更にその背後にも、病状が改善しないために何千人もの患者がやるせなく足蹴りをしている」と指摘した。
5)、抗精神病薬の薬量や薬種の変更を繰り返した後で症状の変化を診断していない
渡邊朋之医師は野津純一に対して抗精神病薬の変更など重要な処方変更をした後や、野津純一が苦しみを訴えている時でも、午前中に診察せず、一週間に一回以上の診察を行わないでいた。渡邊朋之医師は症状の変化を観察しない主治医である。
4、第2病棟とアネックス棟の看護体制に不備があった
(1)、ストレスケア病棟と老人性痴呆疾患病棟の混同
いわき病院が公称した病院機構図で、中央棟3階の第2病棟は本来「ストレスケア病棟」であるが事件当時は「老人性痴呆疾患治療病棟」として機能していた。現実の第2病棟の運営では中央棟3階の第2病棟の46床が痴呆老人で占められ、アネックス棟3階の10床が精神科入院患者であった。アネックス棟はいわき病院の組織上は第2病棟(56床)の一部であり、36才の野津純一はアネックス棟3階の「児童思春期心のケア病棟」で入院治療を受けていた。
(2)、アネックス病棟のナースコーナーという基準外の看護体制
アネックス病棟(いわき病院は単独の病棟と言いつつ、第2病棟の一部とも証言した)にはナースコーナーが設置されていたが、担当者の名前を張り出していただけで常駐の精神科看護師は配置されておらず、老人看護を中心作業とする看護師は痴呆老人のおむつ替えや入浴介助など身体的な介護で手一杯の状態で、別棟に入院している身体的介護の必要性がない統合失調症の野津純一の看護にまで手が回らない状態であった。
(3)、院内フリーの患者放任
いわき病院は野津純一に対して、第2病棟(アネックス棟)に入院を許可した時に「院内フリー(病院内では自由行動で、ナース・ステーションでわざわざ許可を得なくても、いわき病院内であれば病棟外の何処に行っても良い)」及び「外出許可」を与えていた。また患者である野津純一にエレベータの暗証番号を教えるなど、日中の患者の行動を自由放任としており、いわき病院の第2病棟は患者野津純一の所在を確認する事ができない状態であった。いわき病院は「毎日の患者の病状の変化」の観察を行わず「短期的かつ臨時的な外出制限」を行うことを考慮することがなかった。
A鑑定人はいわき病院が本法廷に提出した証拠(乙B第16号証、P.59)で「今現在とか1日と言った比較的短時間の病状予測は日常臨床でも行われており、多くの場合成功している」と記述した。いわき病院は、当日の患者観察をしておれば、不測の事態を予測できた筈である。
◎、C意見書
{必要なのは医師の指示に基づいた状態評価の記録}(P.4)
薬剤の変更や中止などがあった場合、必要なのは通常の看護記録ではなく、医師の指示に基づいた状態評価の記録である。つまり、医師が特別の状況において、慎重な観察と評価を必要と認識し、その指示の元で記録された情報でなければ、記録の医学的価値は極めて限定的なものとしか評価できない。
5、渡邊朋之医師の組織管理の問題
(1)、病院長の渡邊朋之医師は他の精神科医師の診断や助言を無視した
渡邊朋之医師は、他の二人のいわき病院勤務医(J医師、H医師)がアカシジアと診断していたにもかかわらず渡邊朋之医師はCPK値でアカシジアではないと診断していた。渡邊朋之医師は勤務医が処方して良好な状態にあっても、抗精神病薬を変更して野津純一の病状を徒に悪化させた。渡邊朋之医師が勤務医の意見を無視したことが、いわき病院が組織的な対応を取ることができない要因となった。
(2)、薬剤師の進言を否定してドプスを増量して抗精神病薬を中断した
薬剤師はパーキンソン病薬のドプスは野津純一に効能がないことを渡邊朋之医師に進言したが、主治医は聞き入れなかった。渡邊朋之医師は統合失調症の野津純一に抗精神病薬のプロピタンを停止してドプスを増やす方針を持っていた。薬剤師は平成17年11月2日の薬剤管理報告を最後にして記録を残していない。渡邊朋之医師は11月23日から抗精神病薬他の中断を行ったが、薬剤師は重大な処方変更をフォローしていない。
(3)、看護師の通常報告で行った処方変更の判定
いわき病院は処方変更後に野津純一に異常が認められなかったとする証拠としてL看護師の報告や金銭管理トレーニング報告を提出した。野津純一担当のL看護師は、11月23日の処方変更後に、自ら直接看護した記録を残さず、事件後に看護サマリーを10月から12月までを一括して報告した。金銭管理トレーニング報告も月次報告で、処方変更後に限定した報告ではない。正確な状況を知らされない作業療法士等の報告を効果判定の参考にしたと主張した渡邊朋之医師自身は患者野津純一を直接診察していない。
◎、C意見書
{看護師の報告の医学的価値は限定的}(P.3〜4)
看護記録の内容レベルは、病院によって大きく異なり、慢性期で対人交流の乏しいケースでは、記録はステレオタイプ化していることが少なくない。薬剤の変更や中止などがあった場合、必要なのは通常の看護記録ではなく、医師の指示に基づいた状態評価の記録である。つまり、医師が特別の状況において、慎重な観察と評価を必要と認識し、その指示の元で記録された情報でなければ、記録の医学的価値は極めて限定的なものとしか評価できない。治療方針変更後のリスクに沿った評価や観察記録がなされていないために生じた情報量の不足と、一般的な医学的診療と看護観察の水準による情報収集の限界は混同されるべきではない。行うべき評価を行っていないという診療上の問題を、医療水準の問題に拡大して論じることは妥当ではない。
6、野津純一の苦しみを放置し生活の質(QOL)を低下させた無関心な医療
(1)、患者の苦しみを放置した医療
患者である野津純一は通院では病状が思わしくないという自覚があるからこそいわき病院に任意入院した。、主治医の渡邊朋之医師は勤務医が処方して野津純一が好んだ抗精神病薬を使わず、CPK値でアカシジアの診断を誤り、手足の振戦やイライラやムズムズなどで苦しむ姿を放置して有効な治療を行わなかった。渡邊朋之医師が患者の生活の質(QOL)に関心を持たなかったことが、本件殺人事件を発生させた背景にある。主治医には受け持ち患者の苦痛を軽減する義務がある。
(2)、事件後に野津純一の状況把握をしなかった無関心
いわき病院は12月6日の事件直後に野津純一が返り血を浴び血だらけの手で、速やかに病院に帰り、自室に引きこもっていたことに気付かなかった。事件後の野津純一がいつもは会う母親と面会せず入室を拒否したが、渡邊医師は異常とは思わなかった。事件当日の夕方に、野津純一はいつも食欲旺盛なのに夕食を拒否し、「警察が来たんか?」と発言して警察捜査におびえていたが、いわき病院はその異常に気付かなかった。事件の翌日もいわき病院は野津純一の異常に気付くことなく外出許可を与えた。返り血が付いた服を着用していたが、いわき病院は異常を発見していない。いわき病院は、朝一度警察が来た時に野津純一が犯人である可能性に気付かず、昼過ぎに二度目の訪問をした警察官に「犯人の身柄拘束」の連絡が入りやっと気付いた。
|