いわき病院事件原告弁論書
Ⅰ、いわき病院と渡邊朋之医師の医療実態
医療法人社団以和貴会は高松市の精神科病院(病床数248)であり、精神保健指定医渡邊朋之医師は上記法人理事長かつ病院長である。野津純一は平成16年10月1日からいわき病院の入院患者であった。渡邊朋之医師は平成17年2月14日から野津純一の主治医を務めていた。
1、野津純一の入院と殺人の経緯
野津純一は平成13年にいわき病院に入院した事実があり、この時に主治医を務めたいわき病院E医師は野津純一の暴力傾向の記録を残した。また野津純一の両親は入院前問診で野津純一の過去の暴行歴を申告した。野津純一はいわき病院に入院直後に看護師を襲った事実があるが、いわき病院は野津純一の暴力・反社会性に関する行動履歴を体系立って調査せず、野津純一に予想される危険行動(リスク)に関連した調査(リスクアセスメント)を行った記録がない。野津純一は主治医交代直後の診察時に「25歳の時の一大事」と表現して、当時通院治療を受けていた香川医大における女医襲撃未遂事件を渡邊朋之医師に申告した。渡邊朋之医師は診察時の患者の説明から、患者の行動履歴にある暴行歴に関連して自院の記録すら調査することが無く、野津純一に関連したリスクアセスメントをした記録を残していない。
渡邊朋之医師は主治医交代直後から既に慢性統合失調症と確定診断されていた野津純一の統合失調症の診断を疑い、治療薬である抗精神病薬の変更を繰り返した。野津純一は渡邊朋之医師が処方変更をした後で、しばしば病状の悪化を訴えたが、渡邊朋之医師は病状が悪化している時に直ちに対応することは無く、数日おいてしかも夜間に診察していた。野津純一は第2病棟アネックス棟に入院しており、入院当初に昼間2時間の外出許可が与えられ、その後は自由に外出を繰り返していた。野津純一は眠剤を処方されており、主治医が眠い患者を診察しても、患者野津純一は適当にしか応えられず、主治医との対話が成立しないことがあった。
前主治医F医師の処方では、野津純一はイライラ・ムズムズや手足の振戦に対する治療薬であるアキネトンを使用していなかった。渡邊朋之医師が主治医になって、抗精神病薬を新しいタイプから古いタイプに変更したことで、野津純一はアカシジア症状が深刻となりアキネトンに頼るようになっていた。渡邊朋之医師は野津純一のイライラ・ムズムズや手足の振戦をCPK値でアカシジア診断を否定する間違いを行い、パーキンソン病と誤診した。そして、パーキンソン病治療薬のドプスが有効でないために、野津純一のアカシジア症状を心気的と疑うに至った。アカシジア症状の改善を行えなかった渡邊朋之医師は、平成17年11月23日から抗精神病薬の中断とパキシルの中断及び副作用止めに頼みの綱のアキネトンを薬効がない生理食塩水に変更する大規模な処方変更を実行した。
抗精神病薬の減薬と中断、またパキシルの減薬などの処方は主治医の裁量権の範囲で行い得る事である。しかしながら複数の向精神薬の急激な同時中断という大規模な処方変更は臨床医療では不適切である。突然の抗精神病薬の断薬とパキシルの断薬は共に暴力履歴のある患者に暴力行為の衝動を引き起こす可能性が極めて高いことはよく知られた臨床的事実(エビデンス)である。更に、複数の薬剤を同時に中断すれば医療効果の側面でも、原因薬剤と結果の診断を確定する事が不可能となる。仮に慎重に抗精神病薬の減薬もしくはパキシルの減薬と、どちらか一種類変更していたとしても、主治医は患者の状況に関する問題意識を指示した看護師に常時観察させて、その上で毎日状況の変化を自ら診察するという慎重な対応が求められた。また患者を不安定化させる処方変更後に、野津純一に単独外出をさせることは適当でなく、外出を許可する場合には付き添い付きの外出に変更する必要があった。また渡邊朋之医師が患者野津純一を診察したのは11月30日一回でしかも夜7時以降であり、外出許可を与えた野津純一が外出する時間帯ではなかった。
仮に渡邊朋之医師がカルテに記載した診察日の記録を変更する前の12月3日に野津純一を診察していたとしても、主治医の患者観察は十分でなかった。野津純一は12月4日頃から顔面左頬にタバコの火で自傷した根性焼き瘢痕を生じていたが、いわき病院看護師は誰も発見することがなかった。野津純一は「調子が悪い」と12月6日の朝10時に主治医の診察を求めたが、主治医渡邊朋之医師は診察を拒否した。この時、代診もしくは後から診察する等のメッセージを患者に伝えず、外出許可の変更も指示していない。主治医に診察を拒否されたと理解した野津純一は落胆して「先生にあえんのやけど、もう前から言ってるんやけど…」と強い口調で不満を発した。12時頃にいわき病院病院から外出許可で外出した野津純一はショッピングセンターに出向き100円ショップで万能包丁を購入した。この時レジ係は野津純一の顔面に生々しい瘢痕を見た事を、警察に目撃証言している。その直後に野津純一は外の駐車場で矢野真木人を刺殺した。
矢野真木人を刺殺した野津純一は直ちにいわき病院病院に帰り、13時以降は自室で「ああ、やってしもた、俺の人生終わってしもた」とふて寝していた。いわき病院は野津純一が血だらけの手と服で帰院した状況を把握していない。野津純一は夕食を摂らなかったが、夕食を勧めに来た職員に「警察が来たんか」と質問した事実がある。野津純一は翌7日には朝食を取らず13時頃に再び外出許可で外出し、犯行現場を再訪している間に取材中のTV記者が発見し、警察に通報されて13時25分頃に身柄拘束された。その時着用していた衣服は前日と同一で、血痕が付着していた。身柄拘束された時に、渡邊朋之医師は病院内で警察から朝に続き二度目の事情聴取を受けており、警察の身柄拘束の連絡情報で始めて野津純一が殺人犯であることを知った。渡邊朋之医師は8日朝にTV局の取材を受けて、「野津純一は6日には2時間遅れ(16時)で帰院した」と発言した。ところが、答弁書では「午前の診察後の午後3時30分頃に部屋を尋ねたが、母親との面会と重なったので診察を中止した」と答えたりして、説明に一貫性がない。
2、事件の結果予見性(リスクアセスメント)
本件で問われる課題は、いわき病院で治療中の放火他害歴のある慢性統合失調症入院患者が、大規模な処方変更後に主治医である渡邊朋之医師から外出許可を受けて外出中に、不特定の市民に対して他害行為をする可能性をいわき病院と渡邊朋之医師が予見(リスクアセスメント)していたか、又予見していたならば回避する努力(リスクマネジメント)を行っていたか否かである。
矢野真木人の死は不特定の市民という被害者がたまたま不幸にして矢野真木人であったという結果に過ぎない。いわき病院と渡邊朋之医師が市民に危害が及ぶ可能性を全く考慮せず、そして野津純一の病状の変化を観察せずに外出させていたのであり、そこに過失責任が発生する。
本件の場合は、主治医のいわき病院の渡邊朋之医師は治療で野津純一の病状を積極的に増悪していた。その上で、リスクアセスメントを一度もせず、治療的介入も行わず放置した渡邊朋之医師には重過失責任が存在する。いわき病院と渡邊医師にはそもそも結果予見可能性は無かった。しかしそれは、被告が免責される理由とはならない。被告はそもそもリスクアセスメント(危険評価)もリスクマネジメント(危険管理)も行っておらず病状予測する義務を果たしていない。不作為と怠慢の実態に過失責任を問わない弁解と赦免の理由としてはならない。
◎、A鑑定意見書
ア、{病状予測には「他害のおそれ」が含まれる}(P.4)
「自傷他害のおそれ」という要件が規定されているように、病状予測の中には、当然「他害のおそれ」も含まれている。
イ、{患者の病状予測と治療的介入の適切性}(P.5)
精神科医療を受けている患者が起こした他害行為の予見可能性に関する医師の過失の有無も、他害行為が起こったか否かではなく、患者の病状予測やそれに基づいて行われる治療的介入が適切に行われたかどうかによって判断されるべき。
ウ、{殺人事件の出発点はイライラ}(P.7)
慢性期の統合失調患者では、不可解な行動や衝動行為がみられることがあるが、純一の自らのイライラ感を解消するために通り魔殺人を起こしたという行動もそうした行動の一種と考えられよう。
上記に関連して野津純一は「再発のサインはイライラがひどくなること」と退院教室(平成17年8月31日)で述べた。野津純一の場合、抗精神病薬中断による統合失調症再発再燃でも、アカシジア悪化でも、パキシル断薬症状でも、イライラ亢進が予想された。
◎、デイビース医師団鑑定意見書
ア、{医師に科された二つの義務}(P.3)
凡そ医師は患者が受容可能な基準医療を行う義務と責任があり、それにより、患者が行う可能性がある脅威から市民を守る事が可能となる。この観点で、渡邊朋之医師が「患者の治療」と「患者の殺人衝動から市民を守る」という医師に科された二つの義務を果たさず、悲惨な結末に至らしめたことは明らかである。
イ、{国際診断基準とリスクアセスメント}(P.3)
渡邊朋之医師と以和貴会はいかなる形のリスクアセスメント(危険評価)も、基礎的なリスクアセスメントすらした証拠がなく、野津純一の暴力衝動から他者を守るリスクマネジメント(危険管理)計画を作成していない。野津純一の医療記録には、基礎的な精神病履歴を取得した証拠がなく、これに基づいて精神状態評価試験を行った証拠もない。この基礎評価を行う事は、国際診断基準(ICD-10、DSM-IV)で精神障害診断を行う基本である。
3、殺人事件の結果回避可能性
(1)、「一般の人でも気付く異常」は結果回避可能と判断する指標
A鑑定人(P.7)は、「一般に、統合失調症に罹患している患者の他害行為は、急性期の幻覚・妄想状態や精神運動興奮状態で行われることが多いことはよく知られている事実である。そしてそれらの事例の多くでは、他害行為に先立って、幻覚・妄想などの病的体験に影響された行動の異常が出現している。こうした病的体験に影響された行動の異常の多くは、精神科急患を受診する患者や措置入院に関する診察を受ける患者などを考えればわかるように、患者の家族やあるいは警察官といった精神医学に関する知識をあまりもたない一般の人であっても気がつくような異常であることが多い。そして、こうした状態で行われる他害行為は病状に基づく予想が可能であり治療的介入による予防を行う事が可能である。イギリスの査問委員会の報告でも、回避可能性があったと判断された事例は、こうした事例である。」と述べた。
被告いわき会推薦A鑑定人は「一般の人であっても気がつくような異常」を結果回避可能性の判断指標とした。そして「こうした状態で行われる他害行為は病状に基づく予想が可能であり治療的介入による予防を行う事が可能である」として、矢野真木人殺人事件の場合も「一般の人が気付く異常」があれば「治療的介入で防止できた可能性がある」と鑑定意見書で指摘した。
(2)、一般の人でも気がついていた
野津純一には犯行の直前に被害妄想亢進と父親の悪口が聞こえる幻聴があり、根性焼きを行い、その上で主治医の診察を希望していた。犯行直前の野津純一の異常(根性焼き)にショッピングセンターのレジ係は気付いていた。更に、野津純一の母親はその日の午後に面会を求めて野津純一に拒否されたが、その時極めて短時間であったが息子の左頬に異常があることを察知していた。
いわき病院職員は精神医療の専門家であるにもかかわらず「一般の人でも気がつくような異常」を発見できなかった。いわき病院の医療と看護に怠慢がなければ野津純一の異常を発見することは可能で、当然、本件は結果回避可能であった。
(3)、通常の看護をしておれば十分気がつくことができる外見
B鑑定人(鑑定意見2)は『もし、それまでになかった「根性焼き」が数日前から行われており、それが患者の顔面に明らかな傷痕として認められているとしたとき、主治医及び病棟スタッフがそれを看過したのであれば、そのことはやはり「病状把握が不十分であった」と言わざるを得ない。もちろん、傷痕の大きさや態様によって、周囲がそれに注目しえたかどうかは変わってくるのだが、提供された資料にある逮捕後の患者の顔面に認められる「根性焼き」による傷痕を見る範囲では、通常の看護をしておれば十分気付くことのできる外見に見て取れる。』と述べて、野津純一が事件当時顔面に付けていた「根性焼きは、通常の看護をしておれば発見できる」と鑑定した。
(4)、診察をしておれば法に基づく結果回避可能性があった
野津純一が顔面の左頬に自傷した根性焼き(タバコの火傷)は精神保健福祉法第37条第1項で規定してある、開放処遇を見直すことができる条件である。渡邊朋之医師は大規模な処方変更とプラセボ試験を行っていたので、経過観察の診察を継続的に行うことが主治医に科された二重の義務であった。渡邊朋之医師がこの義務を履行しておれば、野津純一の顔面に生じた自傷行為の瘢痕等の病状悪化の兆候に当然気付いていた。主治医は法に基づく適切な対応(その日の外出制限又は付き添い付きの外出等)をしなければならず、法の強制力に基づいて、自動的に事件は回避可能となっていた。また、主治医の治療的介入で野津純一の病状に改善が見られておれば、野津純一はこれまで通りの状態で推移して殺人衝動が発生せずに事件は未然に防止されるという結果回避可能性があった。
◎、デイビース医師団鑑定意見書
{いわき病院運営のシステム欠陥}(P.8)
基本的な問題は、(A教授が指摘した)殺人事件は予見できたかではなく、いわき病院の精神医療の水準があまりにも低劣であったために、野津純一の他害危険性という暴力リスクを削減する行動をとる可能性を不可能にした点にある。いわき病院の運営にはシステム欠陥があり、その欠陥が野津純一に殺人させたのである。
4、野津純一の統合失調症とリスク
(1)、野津純一の暴力行動履歴をいわき病院は知っていた
野津純一は平成16年10月1日にいわき病院に任意入院する前に数々の暴行歴と放火(付け火・弄火)歴があり、父親はその概要を入院直前の9月21日に入院前問診でG医師に説明していた。野津純一は平成13年にいわき病院に入院した事実があるが、その時に主治医を務めたE医師は医療記録に「暴力の発散」を特記した。更に、野津純一は今回の任意入院で10月21日の早朝に看護師に襲いかかり、閉鎖病棟で治療を受けた事実がある。野津純一の暴力行動の履歴は、いわき病院が承知していた事実である。
(2)、野津純一の暴力行動履歴に渡邊朋之医師は関心が無かった
野津純一は判明しているだけでも、放火、隣家への怒鳴り込み、家庭内暴力、女医襲撃未遂、通行人襲撃、看護師襲撃等の他害行為を繰り返していた。この行動履歴を基にすれば、野津純一に他害攻撃行動が再び発現する可能性は十分に予見できた。いわき病院は野津純一に対して一般的な心理検査等は行ったが、攻撃的な過去歴に基づいた心理分析や要因解析を行っていない。退院教室でも「再発時突然に一大事が起こった」と野津純一が述べた記録がカルテに貼り付けられてある。野津純一は「一大事」について診察と合わせて二度も申告したが主治医は調査せず「申告がないので知らなかった」と主張した。主治医の渡邊朋之医師は野津純一の暴力歴に対して「不知・否認」と答弁書に記述した。渡邊朋之医師は野津純一の過去の暴行歴を無視したため、野津純一が将来再び暴行行動を行うリスクアセスメント(危険評価)を行わず、渡邊朋之医師は結果の予見性を持たなかった。また予見性を持たない渡邊朋之医師にはリスクマネジメント(危険管理)を通した結果回避可能性はない。これは、精神保健指定医として義務違反である。
◎、鑑定意見書
(1)、A鑑定意見書
{患者の過去の他害行動に関する情報は最も重要}(P.5〜6)
ア、患者の過去の他害行為に関する情報は、その患者の将来の他害行為のリスクを評価するための最も重要な情報
イ、一般に、受診してきた患者本人やその家族から生活歴や病歴を聴取し、診断・治療を行っていくのが精神科臨床の通常
(2)、デイビース医師団鑑定意見書
ア、{情報収集は当然の義務}(P.4)
A教授の「渡邊朋之医師が野津純一のリスク(危険性)に関連した十分な情報収集をすべきだったと期待するのは不当」という鑑定意見に同意できない。はっきり言って、過去の行動エピソードもしくは暴行や付け火の記録収集は英国の精神科医師には義務を科された当然の行動である。
イ、{以和貴会は既に承知していた情報}(P.3)
野津純一は平成16年10月のいわき病院入院当時から精神障害の明瞭な証拠がある情動障害の統合失調症確定患者であり、強度の強迫神経症(OCD)で人格障害があった。野津純一の入院にあたって平成16年9月21日に父親からG医師に過去の履歴が伝えられた。野津純一には妄想で近所に怒鳴り込んだ暴力行動で家族が転居を余儀なくされた経歴がある。E医師は野津純一の暴力傾向に関する記録(平成13年いわき病院入院時カルテ)を残している、またE医院と香川県庁前の繁華街で若者に襲いかかった事実がある。
ウ、{国際標準の他院からの情報収集}(P.3)
患者野津純一の精神医学的履歴(特に過去の自傷他害行為の個別記録)をアクセス可能な機関から協力を得て情報取得することは、国際的に認定された正常な医療行為である。野津純一の入院から事件までの14ヶ月の入院期間に、患者家族に質問や、過去の医療記録(野津純一は同一地域で入院治療を受けており、他医療機関の記録を入手することは十分に可能である)から、患者の過去の行動歴を現行の精神科医療者が収集することは可能である。
エ、{渡邊朋之医師が容易に知り得た情報}(P.4)
渡邊朋之医師が野津純一の精神病履歴を、野津純一本人、父親、香川医科大学及びE医院から聴取していたならば、野津純一の過去歴の証拠として、両親の家を焼失した付け火、頻発した家庭内暴力、包丁を持った女医襲撃未遂事件、街路における無関係な他者を襲った暴行等の記録を知り得たことは明白である。これらの情報は、野津純一に更なる暴力行為や付け火を行うリスクが高いことを示している。
5、暴力既往歴のある統合失調症患者のリスクマネジメント
野津純一が確定統合失調失調症患者であることはいわき病院の診療録、過去のE医院及び香川大学医学部の診療録等及び刑事事件鑑定人のP医師が確認している。更に、今回鑑定意見書を提出した、A鑑定人、B鑑定人、デイビース医師団、C医師及びZ鑑定者の全てが統合失調症の診断を支持した。このため、野津純一は確定慢性統合失調症であることに疑問の余地はない。
野津純一が強迫神経症(OCD)の症状を持つ患者であることは、多くの主治医や鑑定人が共に認めるところである。渡邊朋之医師は野津純一を「強迫神経症(OCD)」と診断したが、その診断をすることでも統合失調症の診断名が消えないことは、国際診断基準(ICD-10、DSM-IV)に基づく精神科診断の常識であり、強迫神経症(OCD)単独の診断を行う事に同意した鑑定人は存在しない。渡邊朋之医師は答弁書で「精神障害でないもの」と記述するなど「野津純一が事件当時に統合失調症でなかった」という主張を行った事実がある。この統合失調症の診断に渡邊朋之医師が確信を持っていなかった事実は、いわき病院の歯科診察依頼書で「統合失調症の疑い」また「(単独で記載した) 強迫神経症(OCD)」の病名記載で確認される。
◎、鑑定意見書
(1)、A鑑定意見書
{野津純一の病的体験に影響された他害行為}(P.13)
(野津純一の過去の暴力行動は)情報は乏しいものの、人格の問題と言うよりは、統合失調症の幻聴、被害妄想、関係妄想、恋愛妄想などの病的体験に影響された他害行為と考える方が、精神医学的には適切なように思われる。
(2)、デイビース医師団鑑定意見書
ア、{統合失調症確定患者}(P.3)
野津純一は平成16年10月のいわき病院入院当時から精神障害の明瞭な証拠がある情動障害の統合失調症確定患者であり、強度の強迫神経症(OCD)で人格障害があった
イ、{有効な治療を行えない渡邊朋之医師}(P.3)
精神科の基本職務(精神病理歴の取得、精神状態試験)を行わない渡邊朋之医師の診断は満足できるものでなく、その診断に基づいて有効な治療を行うことも不可能である。
渡邊朋之医師は野津純一が統合失調症であることに確信を持たなかったため、統合失調症の患者治療で留意すべき重要な諸点を無視する結果に至った。暴力行為歴のある統合失調症と確定診断した患者に対しては、抗精神病薬を中断しないのが常識である。また統合失調症患者の断薬による離脱症状で、暴力既往歴のある患者に暴力行動が発現する危険性は極めて重要な留意事項である。野津純一は統合失調症の治療を何もしてもらえない状況に陥っていた。いわき病院推薦A鑑定人すら、野津純一の幻聴、妄想と暴力行為が連動することを指摘している。
◎、デイビース医師団鑑定意見書
{何の統合失調症治療もされない状態}(P.6)
定期処方の抗精神病薬(商品名プロピタン、一般名塩酸ピパンペロン(pipamperone hydrochloride)を中断したことで、野津純一は何の統合失調症治療もされていない状態になった。
渡邊朋之医師が暴力既往歴のある慢性統合失調症患者の抗精神病薬の断薬とその離脱に関して、精神保健指定医であれば常識として予見するべき、暴力行動の発現と他害の危険性に思いが至らなかったことは、精神科専門医としては過失である。主治医の渡邊朋之医師が、患者病状の展開で増悪する場合の危険認識を持たなければ、結果予見性(リスクアセスメント)があり得ず、従って結果回避可能性(リスクマネジメント)もない。渡邊医師の錯誤と不作為である。
◎、デイビース医師団鑑定意見書
ア、{抗精神病薬を突然中断すれば悪化する}(P.4)
統合失調症と確定診断されている患者に抗精神病薬を突然中断すれば精神症状が悪化する。
イ、{フェイルセーフメカニズムの欠如}(P.4)
いわき病院は定常業務としてリスクアセスメントとリスクマネジメントをしていなかった。もし、精神科医療に関連したリスクを日常的に取り扱うシステムが具有されていたならば、仮にいわき病院病院長が怠慢であったとしても、フェイルセーフのメカニズムが自動的に機能したはずである。野津純一の精神症状が悪化すると危険行動が発現する可能性を予測した精神科臨床医療が行われておれば、矢野真木人殺人事件は未然に予防されていた。
ウ、{いわき病院運営のシステム欠陥}(P.4)
我々が指摘する基本的な問題は、(A教授が指摘した)殺人事件は予見できたかではなく、いわき病院の精神医療の水準があまりにも低劣であったために、野津純一の他害危険性という暴力リスクを削減する行動をとる可能性を不可能にした点にある。いわき病院の運営にはシステム欠陥があり、その欠陥が野津純一に殺人させたのである。
6、渡邊朋之医師のリスクアセスメント不在
(1)、急激に行われた大規模な処方変更
渡邊朋之医師は平成17年11月23日から野津純一に対して抗精神病薬プロピタンの中断と抗うつ薬パキシルの中断を同時に実行すると共に、副作用症状対策のアキネトンを生理食塩水に代える指示を出し12月1日から実行された。これは急激に実行した大規模で重大な処方変更である。渡邊朋之医師は野津純一の主治医であり、一連の処方変更は主治医の裁量の範囲と主張する。しかし通常の医療的処置では原因と結果を判別し確認する必要から、治療上必要性がある処置も、また主要な処方薬剤の変更が最終的に断薬に至る場合でも、単一薬剤の処方量を徐々に削減して患者の症状の変化を見極める手続きを踏むものである。それが、複数の薬剤を突然断薬すれば、原因と結果を判別不能となる。医師の裁量権と主張するには、あまりにも無謀で無責任な治療である。
◎、鑑定意見書
(1)、B鑑定意見書
{どうして一度に急に中止?}(鑑定意見1)
B鑑定人は「11月23日〜30日の間のどこかの時点でプロピタン150mg、パキシル20mg、ドプス1,000mgなどを急に中止したのであれば、その中止および中止後管理の仕方には問題はあるだろう」と述べて「中止の仕方」及び「中止後の管理の仕方」に問題があると指摘した。
(1)、B鑑定人が指摘する中止の仕方の重要な問題点は「数種類の薬剤を急激にしかも同時に中止している点」にある。
ア、11月23日に行われた薬剤調整によりプロピタン150㎎、パキシル20㎎、ドプス1,000㎎が急に全て投与中止になったとすれば、それは一般的な精神科臨床の感覚からすれば「どうしてそんなに一度に急に中止したのだろうか?」という疑問が生じる
イ、原因薬剤がはっきりしている場合と、数種類の薬剤のうちどれが原因薬剤かがはっきりしない場合、および薬剤による副作用かどうかがそもそも不明確な場合とでは、やはり中止のやり方が変わってくることになる
ウ、薬剤を急激に中止することにより起きる可能性がある不利益は、このケースの場合を具体的に考えれば、「プロピタンを中止することによって起きる『精神症状の再燃』」及び「パキシルを中止することによって起きる『離脱症状』および『うつ症状の再燃』」が最も可能性の高いものである
エ、予測されるこれらの事態は、場合によってはかなり重篤なものとなる可能性があるため、これらの薬剤を中止するのであれば経過を慎重に観察する必要があるし、減薬/中止の手順は慎重に進められるべきである
オ、11月23日の時点で、全ての向精神薬を一度に中止したやり方は、やや性急に過ぎるきらいがあり、配慮不足とみなされても仕方ない
(2)、中止後の管理の問題
カルテ及び看護記録から判断すると、急激な薬剤中止を行ったにもかかわらず主治医渡邉医師は中止後の患者の病状変化を十分に把握するだけの診察ができていなかった可能性がある。
(2)、デイビース医師団鑑定意見書
ア、{統合失調症確定患者に対する抗精神病薬中断}(P.4)
統合失調症と確定診断されている患者に抗精神病薬を突然中断すれば精神症状が悪化する。
イ、{殺人事件を引き起こした可能性}(P.5)
渡邊朋之医師がリスクアセスメント(危険評価)とリスクマネジメント(危険管理)を行わなかったことで野津純一が殺人事件を引き起こすに至った可能性があると確信する。
ウ、{リスクを亢進した主治医の治療}(P.5)
「事件直前の処方薬の変更で、暴力行為履歴がある野津純一の精神状態を不安定化してリスクを一層亢進した」という見解を持つ。(中略)リスクは抗精神病薬と抗うつ薬の双方を突然かつ同時に中断したことで、精神状態を不安定化して更に高められた。
エ、{リスクマネジメントを行わず殺人事件を引き起こした}(P.5)
渡邊朋之医師が、野津純一が示したリスクを正しく認識しリスクを管理するための行動を取った証拠はない。渡邊朋之医師がリスクアセスメント(危険評価)とリスクマネジメント(危険管理)を行わなかったことで野津純一が殺人事件を引き起こすに至った可能性があると確信する。
(2)、大規模処方変更による病状悪化は予想できた
野津純一は11月23日から実行された重大な処方変更の後で数日間は野津純一の病状が安定していたと思われるが、12月1日頃から病状が急激に増悪した。この日から野津純一は渡邊朋之医師の事前の指示により薬効がない生理食塩水を筋肉注射された。そもそも11月23日から実行した重大な処方変更は患者である野津純一に説明と同意を得て行った治療内容の変更ではない。処方変更の後で患者の病状が改善しなければ速やかに治療的介入を行わなければならない。渡邊医師は医師の裁量権と主張するが、患者の病状悪化を放置したことは医師の裁量権の逸脱である。
◎、鑑定意見書
(1)、B鑑定人
{中止の仕方と中止後の管理の仕方}(鑑定意見1)
被告病院の主治医は11月23日にプロピタン、パキシル、ドプスなどの薬剤を全て投与中止としていることになる。カルテの記載からは、投与中止の目的はさまざまな薬剤調整によっても改善しない「アカシジア」の改善であったと思われる。この場合に問題となるのは、(1)中止の仕方、および(2)中止後の管理であろう。
(2)、デイビース医師団鑑定意見
ア、{パキシルは突然中断すれば最も危険}(P.6)
パキシル(paroxetine)を他の2薬と同時に中断したが、2点の理由で不適当であった。第1に、2005年12月に入手可能な多くのガイドラインは、「パキシル(paroxetine)は突然中断するべきではない」と忠告している、また「パキシルは上述のガイドラインで同類(例;fluoxetine, fluvoxamine)の抗うつ病薬の中では突然中断すれば最も危険である」と特筆されている。
イ、{パキシル中断は強烈な中断症状を引き起こす}(P.6)
パキシルは半減期が最短であり、半減期が長い活性代謝物質を持たないため、突然のパキシル中断は強烈な中断症状を引き起こすことに繋がり、その症状は中断後3ヶ月以内のどの時点でも発現する可能性がある。通常発現する断薬症状は不安、不眠、イライラ、興奮、気分・知覚障害、胃腸症状及び精神症状である。パキシル中断後に三環系抗うつ薬のノーマルン(アミトリプチリン:amitriptyline)が投薬されたがパキシル断薬症状の危険性を低減することはできなかった。
ウ、{野津純一は何の統合失調症治療もされていない状態}(P.6)
定期処方の抗精神病薬(商品名プロピタン、一般名塩酸ピパンペロン(pipamperone hydrochloride)を中断したことで、野津純一は何の統合失調症治療もされていない状態になった(野津純一には構造的には抗精神病薬に似ているヒベルナ(フェノチアジン系のプロメタジン)が処方されたが、抗ヒスタミン鎮静剤であり、英国では処方箋なしで購入可能な、臨床的抗精神病作用が無い薬剤である)。抗精神病薬の定期処方を停止して、統合失調症が再発する危険性が亢進した。いくつかの報告で突然の中断は精神病症状の危険性が更に増加すると指摘がある。抗精神病薬治療の中断は治療中の有害作用除去効果を測るには根拠があるとはいえ、精神病症状の悪化と連動した暴力のリスク(危険性)が上昇する可能性があり、それはリスクマネジメント(治療管理)計画として考慮される必要がある。
エ、{パキシル断薬の危機と医師の義務}(P.6〜7)
パキシルと抗精神病薬のプロピタンの両方を断薬した、通常でない処方を行われた野津純一には二種の危険が迫っていた。
a)、抗精神病薬中断による精神病症状の再発と病状悪化に伴う潜在的暴行リスク増大
b)、パキシル突然中断の断薬症状と興奮及びイライラ症状による暴力発現リスク増大
このような状況下では、日常持続的に行うリスクアセスメント(危険性評価)の一環として、患者の病状経過を集中的にチェックして精神状況の変化を記録することが医療チームの義務である。この作業は英国では義務であるが、いわき病院の医療記録には継続したリスクアセスメントがない。野津純一のような数多くの基本的暴力危険要因を持つ患者の場合には特に重要な評価作業である。それ故、処方薬の変更で追加される因子は、全てリスクレベルを限界領域まで高めることに繋がり、野津純一が外出する場合は、病院から単独外出させるべきではなかった。
オ、{パキシル断薬症状で高まった他害暴力リスク}(P.7)
野津純一には、付け火や暴力の履歴があり、基礎的な他害暴力のリスクがあった。その上で、薬理学的に疑問符が付く大規模な処方変更を行い、統合失調症の治療を行わずに放置し、同時にパキシル断薬症状にさせた。野津純一に元々あった高いリスクはパキシル断薬症状で更に急激に高まった。渡邊朋之医師といわき病院により野津純一に対して行われた治療は国際的に諸外国で採用されている基準には遠く及ばないものであった。
(4)、C医師意見書
ア、{パキシルの危険性は当時でもよく知られた事実}(P.3)
パロキセチン(パキシル)はその薬理効果において攻撃性の増強、脱抑制、衝動行為の出現などが生じることは当時でもよく知られた事実である。臨床現場において、この負の作用はしばしば遭遇するものであり、いかなる病名の患者であってもパロキセチンの投与においては、突発的な衝動行為や攻撃性の出現を考慮し、行動の些細な変化においても注意を払う慎重さが求められている。
イ、{減量に当たっては看護スタッフに予め説明する}(P.3)
減薬および中断時に出現する離脱(退薬)症状は、減薬後3日目を頂点とする早期の離脱症状と、その後に約1カ月程度持続する身体違和感、皮膚感覚の過敏症状が認められる。この間、いらいら感や情動の不安定さが増強しやすく、減薬に当たってはこれらの症状の出現を患者・家族、入院中であれば看護スタッフにあらかじめ十分に説明しておくことが望ましい。
ウ、{離脱リスクマネジメントが必須}(P.3)
(パキシル)離脱のリスク管理は医師としては必須である。離脱期の精神状態の悪化や動揺は想定されうるものであり、これに対する慎重な観察や看護への離脱管理に関する観察指示が必要である。
(3)、渡邊朋之医師はリスクアセスメントを行わなかった
渡邊朋之医師は平成17年11月23日から実行した複数の処方薬の急激な処方変更と中断した後で、事件が発生した12月6日まで11月30日の一回しか患者野津純一を診察した記録を残していない。いわき病院の診療録では元々11月30日と12月3日の診察と記録があったが、渡邊朋之医師がそれぞれ11月23日と30日と裁判提訴後丸4年を経過した後に訂正したものである。いわき病院A鑑定人は渡邊朋之医師が診療録に記載した12月3日の診察日を11月30日に変更していたにもかかわらず、12月3日に診察したので処方変更後の診察回数は十分とした鑑定意見書を提出した。しかしながら、デイビース医師団の鑑定意見書によれば、仮に12月3日の診察が行われていたとしても、12月4日から6日までのいわき病院の診察は不十分であった。
◎、デイビース鑑定医師団
ア、{リスクアセスメント不在は治療義務違反}(P.4)
いわき病院の医療記録では、野津純一の危険性がどのような条件で増大するかというアセスメントが一切行われていない(リスクアセスメント不在)。これは治療義務違反
イ{処方変更後のリスクアセスメントの必要性}(P.5)
治療者が、統合失調症の症状制御や診断に結びつける目的で処方薬の大規模な変更を行う場合は、暴力リスク(危険性)がある患者であれば、処方薬の変更で精神に有害な衝撃を受けて、一時的にリスクが亢進するため、患者の精神状態と進行中の他害リスクを継続評価することが絶対必要である。しかし、医療記録を精査したところ、大規模な処方薬の変更の後で、組織的かつ持続的に野津純一の精神症状展開のアセスメントをしていないし、リスクアセスメントのやり直しをする再評価も行っていない。
ウ、{精神科医療の基礎的な治療義務から逸脱}(P.5)
リスク評価とリスクマネジメントを実行していたか否かの重要な領域で、渡邊朋之医師といわき病院は精神科医療の基礎的な治療義務から逸脱していた
エ、{国際的基準に及ばない}(P.7)
渡邊朋之医師といわき病院により野津純一に対して行われた治療は国際的に諸外国で採用されている基準には遠く及ばないものであった。いわき病院の医療記録に野津純一の基礎的な精神病履歴を取得した記録が無く、入院後に必要な精神状態の検査をも行っていない。患者の精神状態を評価する基礎的で最も重要な情報を収集しないことは業務上重大な過失である。
そもそも渡邊朋之医師は11月23日から抗精神病薬とパキシルを同時に中断した重大な処方変更を実行していたのであり、処方変更後は毎日定期的にしかも昼間の野津純一に外出許可を与えている時間帯の患者本人の病状の変化を観察する義務があった。12月3日から11月30日に変更した診察も、いわき病院は夜の19時以降(正確な診察時間は不明)の診察と自ら主張した。この時間帯では、野津純一は夕食後で、睡眠剤を含む処方薬を飲用した後の診察と推定される。渡邊朋之医師は昼間の時間帯の野津純一の状態を処方変更後に一回も診察していない。そもそも外出する時間帯の野津純一の状態を主治医は確認していない。
◎、鑑定意見書
(1)、B鑑定人
ア、{患者の病状変化を把握する診察ができていなかった}(鑑定意見1)
カルテ及び看護記録から判断すると、急激な薬剤中止を行ったにもかかわらず主治医渡邉医師は中止後の患者の病状変化を十分に把握するだけの診察ができていなかった可能性がある。
イ、{主治医が報告に対して適切に対応しなかった}(鑑定意見2)
翌日12月3日はアカシジア様の訴えは前日よりも強く、プラセボ筋肉内投与では改善していない。この日の状態を看護スタッフが「病状悪化」と把握した可能性は高いが、その後の経過を見れば少なくともそのことが渡邉医師に報告され、渡邉医師がそれに応じて診察をした様子はない。看護スタッフが主治医に報告を怠ったか、もしくは主治医が報告に対して適切に対応しなかったかのいずれかであると思われる
(2)、デイビース鑑定医師団
ア、{継続的なリスクアセスメントは患者が受けて当然の基本的医療}(P.3)
過去に深刻な暴行歴があるにもかかわらず、渡邊朋之医師と以和貴会はいかなる形のリスクアセスメント(危険評価)もした証拠がなく、野津純一の暴力衝動から他者を守るリスクマネジメント(危険管理)計画を作成していない。野津純一の医療記録には、基礎的な精神病履歴を取得した証拠がなく、これに基づいて精神状態評価試験を行った証拠もない。この基礎評価を行う事は、国際診断基準(ICD-10、DSM-IV)で精神障害診断を行う基本である。精神科の基本職務を行わない渡邊朋之医師の診断は満足できるもので無く、その診断に基づいて有効な治療を行うことも不可能である。いわき病院の医療記録には、野津純一の精神状態と他人に与える脅威の可能性を持続的に評価した証拠が無い。リスクアセスメント(危険評価)を持続的に行うことは患者が受けて当然の基本的な医療である。
イ、{処方変更後のリスクアセスメントは絶対必要}(P.5)
統合失調症の症状制御や診断に結びつける目的で処方薬の大規模な変更を行う場合は、暴力リスク(危険性)がある患者であれば、処方薬の変更で精神に有害な衝撃を受けて、一時的にリスクが亢進するため、患者の精神状態と進行中の他害リスクを継続評価することが絶対必要である。しかし、医療記録を精査したところ、大規模な処方薬の変更の後で、組織的かつ持続的に野津純一の精神症状展開のアセスメントをしていないし、リスクアセスメントのやり直しをする再評価も行っていない。
ウ、{リスクアセスメントを行った証拠が無い}(P.8)
重大な処方変更を行った後の13日間(11月24日から12月6日)で、11月30日に渡邊朋之医師は診察を行ったが、リスクアセスメント(危険評価)を行った証拠がなく、精神状態の変化を評価した証拠もない。11月24日から30日まで医療記録がなく、11月の30日の診察は簡単に過ぎるもので、リスクアセスメントと精神状態評価を行なっていない。その後12月3日まで記録は無く、それ以降の3日間(12月3日から6日)の殺人事件に至るまでの医療記録も非常に限定的で、またしてもリスクアセスメントと精神状態評価が行われていない。
エ、{リスクアセスメントの役割}(P.10)
英国治療推進計画のリスクアセスメント(危険評価)の役割は次の通りである。
a)、適切な危険評価(リスクアセスメント)を行うには、患者の背景、現在の精神状態と社会的な立場の現状及び過去の行動歴等の情報が不可欠である。
b)、危険評価(リスクアセスメント)は徹底して行わなければならない
c)、危険(リスク)を増加させる状態や環境は取り除かなければならない
(3)、C意見書
{リスクマネジメント対策と看護師へ観察指示と病院取り組み}(P.5)
医師の治療行為は、治療行為毎の妥当性を持つと同時に、治療計画・方針に基づいた連続した行為群としての妥当性を有しておかなければならない。本件においては、治療計画変更におけるリスクマネジメント対策の策定と実施、看護スタッフへの観察指示が的確に行われていたことの証明およびこれらのリスクマネジメントを医療サービスの標準的なシステムとして病院が認知し取り組んでいたことの証明を持って、医療行為の妥当性が肯定され得るものである
(4)、12月6日の診察拒否とリスクアセスメントの破綻
主治医の渡邊医師が患者を診察せず、12月1日頃から患者の病状が悪化して、患者の苦しみが拡大していたにもかかわらず、治療的介入を行わなかった。これでは、主治医は結果予見性を持てるはずが無く、更には、結果回避可能性もあり得ない。
渡邊医師は野津純一が看護師を通して12月6日の朝10時に診察希望を伝えたにもかかわらず、診察拒否をした。診察拒否の内容は、依頼された時に診察をしなかったこと、その時に診察できないのであれば他の精神科医師に代理で診察させる指示をしなかったこと、または事後に診察するなど代案を示さず診察する意思を患者に伝えなかったことである。渡邊医師はその日の午後に診察するつもりだったと主張したが、弁明のための虚偽の繰り返しである。渡邊医師は翌7日にも野津純一を診察するそぶりもなく、主治医として患者を診察する意思はなかった。
野津純一はこの時までに顔面左頬にタバコの火で自傷した根性焼きをしていたが、診察拒否をした渡邊医師が発見することは無かった。そもそも、大規模な処方変更をして、精神保健指定医であれば当然予見するべき暴力傾向の発現を予見(リスクアセスメント不在)せずに漫然とした対応を繰り返した渡邊医師は、野津純一に外出許可を与え続けていた。野津純一が外出中に重大な他害行為をする可能性を渡邊医師は全く想定しておらず、当然予見せず、結果回避可能性もあり得ない(リスクマネジメント不在)。
◎、鑑定意見書
(1)、B鑑定人
ア、{治療方針の見直しを行う必要性}(鑑定意見4)
この場合必要だったのはすぐに行動制限を掛けることではなく、行動制限が必要かどうか、治療方針を見直す必要があるかどうかを判断するために、病棟スタッフが主治医に対して適切な報告を行うことであり、それに応じて主治医が患者を診察して病状の把握とそれに基づいた治療方針の見直しを、患者との話し合いのもとに行うことであっただろう。カルテ、看護記録からはこのような診察が適切に行われた形跡が読み取れない。
イ、{薬剤中断後の注意深い診察の必要性}(鑑定意見5)
11月23日にプロピタン、パキシル、ドプスなどの薬剤を一度に中止したのであれば、それによって起きてくる精神症状や副作用の変化を把握しその変化に対応するために、主治医としては薬剤中止後はそれ以前より注意深く患者を診察し、必要に応じた適切な対応(処方変更、精神療法、入院療養上の指導、処遇変更、など)を行うべきであったろう。また、これもすでに述べたように、看護記録によれば12月2日、3日の患者の状態は病状悪化を示していた可能性があり、もし看護スタッフから病状変化についての報告があったのであれば主治医の診察は必要だったということになる
ウ、{主治医は診察すべきだった}(鑑定意見5)
本件の場合、患者が11月23日に主剤であったプロピタンを含め、数種類の薬剤を一度に中止したすぐ後の時期でもあり、また12月2日、3日には病棟看護スタッフは患者の病状変化に気付いていた可能性がある。もし設問のようにこの時期に「数日前から野津が渡邉医師の診察を希望していた」のであれば、やはり主治医としてはその数日の間に診察する時間を作るべきであったろう。
(2)、デイビース鑑定医師団
ア、{特筆すべき不作為}(P.8)
元々高い危険性があった野津純一に更に危険性を増大する処方を行った上に、野津純一の精神状態を評価するリスクアセスメントを行っておらず、特筆すべき不作為である。野津純一がその時の精神状態を評価されることなく、直近のリスク評価も行われず、危険性を緩和する手段(リスクマネジメント)も講じられずに病院から単独外出を許された事実に基づけは、いわき病院の医療は国際的に期待される水準にはるか至らない。
(3)、C意見書
{診療回数の少なさと主治医のリスク配慮}(P.5)
処方変更後の診療回数の少なさ、犯行当日に診療を行わなかったことなどの点については、学術的理論に基づく評価のみでなく、治療計画上のリスク想定下において医療行為を行うことまたは行わないことが患者のリスク変動にどのような影響を与えることになるのかについての配慮が主治医に存在したのか否かの点からも評価が行われるべきである。
7、精神科医療の社会的信頼
本件裁判は、入院加療中の精神病患者が、病院側が外出許可した自由行動中に起こした殺人事件について被害者家族及び犯人となった精神障害者の家族が、病院側の過失を指摘して、損害賠償を求めているものである。裁判の過程を通じて明確になったことは、本件の惨事を未然に防ぐ多くの機会が存在したにも関わらず、日本病院評価機構に認定された信頼すべき精神科病院のいわき病院がその機会を感知できないか、又は意識的に無視した結果として不幸な事件が起きたという事実である。
いわき病院は、過失の存在自体は必ずしも否定せず、ただ原告側が指摘する事実に対し、それらひとつひとつの事実と殺人事件との因果関係を直接に結びつけることの困難さを盾に、被告の責任はないと主張している。あたかも「鉄道の踏切番が列車の通過時に踏切を下すことを怠ったために起きた事故に対して、踏切を下し忘れる度に死亡事故が発生する確率が80%以上でなければ、踏切のおろし忘れによる死亡事故に対して踏切番が責任を問われることがない」というのが被告側の主張である。
野津純一を治療していたいわき病院の事故発生の予測可能性(リスクアセスメント)と回避可能性(リスクマネジメント)について「事件当時の日本の一般的な精神病院では、その可能性はなかった」というのが、被告側が推薦したA鑑定人の意見である。この表現は、「事件当時には、すぐれた病院であれば予見して回避可能だった」あるいは「一般的な精神病院でも現在の時点では回避可能である」という精神科病院の責任を暗に認めている。(若し、日本の精神病院では、どこでも、現在でも予見と回避が不可能であればこの表現とならない。)
渡邊朋之医師は精神科専門医として「現在の自分は、事件が発生する可能性を予測できて回避可能である」と言わなければならないが、渡邊朋之医師にそのような見識と社会的責任感は認められない。日本精神医学会の開放医療の方向性は正しい。それだけに、精神科開放医療の名目の下に、精神障害の治療の必要性がある患者を自由放任にして保護しない渡邊朋之医師のような精神病院経営者の存在が許されてはならない。渡邊朋之医師には、入院患者の外出時の行動を確認することによって、病状改善の効果を知ろうとした形跡(リスクアセスメント)は全く認められない。また、いわき病院の看護は、外出許可を与えたとなると患者の所在に一切無関心で、犯行から、返り血をあびて戻った犯人の異常にも全く気づいていない。
これが日本の精神医学会が目標とする「開放医療」の実態だとするとソラ恐ろしいことである。いわき病院はリスクアセスメント(危険評価)もリスクマネジメント(危険管理)も行わずに、精神科開放医療を実行していた。いわき病院の主張をそのまま受け取れば、殺人危険率70%までの患者を自由に外出させていることになる。その上で、社会に人身事故が発生しても精神科開放医療を行っている病院が責任を問われないと確信している。市民に犠牲が発生する可能性に対して責任認識を持たない姿勢である。
いわき病院と渡邊朋之医師の過失は、個別事例の問題である。発生した不幸な事件が「一病院の一医師の特殊な事例」であれば、いわき病院と渡邊朋之医師の問題である。ところが、A鑑定人は「それは延いては精神科医療そのものを破壊することになる。この点を銘記していただきたい」と鑑定意見書を結んで精神医学界の危機感を露わにした。殺人危険率が80%以上でなければ発生した殺人事件に責任は無いとするいわき病院の主張こそ、日本の精神科医療を破壊するものである。
◎、C鑑定人意見書
{精神障害者の社会復帰には地域社会の理解が不可欠}(P.5)
精神障害者の社会復帰の促進には、個々のケースの治療の質的向上とともに、地域社会の理解が不可欠であり、地域の不安を軽減する対策もまた重要な要素であり、医療サービス提供者の責務である。A鑑定書は、この視点においての理論的説明が乏しく、本件が精神障害者の予防拘禁を推奨すると受け止められかねない表現を用い、「精神医療の破壊」の責を原告側に負わす表現をとっており、この論理は不適切であると考える。この責に対する答えは、医療サービスの提供者が、地域や精神医療のユーザーと真摯に向き合い見出すものと考えるからである。
◎、東京大学平野龍一名誉教授Jurist論文「殺人危険率と社会的容認限度」
法(心神喪失者等医療観察法)案が提出された段階では、再犯のおそれがあることを入院の要件にしていた。これに対して、例えば再び殺人をするであろうかは、科学的には判断できないことであり、このようなことを要件とすることは不当だという批判があった。たしかに、精神障害者の再犯の原因は複雑で個性的であるから、いくつかの要素で統計的に確率を示すことはむずかしい。仮に確率を示すことができたとしても、この人はその例外に属しているかもしれないのである。しかしこの場合の危険率とはこのような事実の予測をいうのではない。人を殺す確率が50%程度である人が自由に歩き回ったのでは、一般の人は外出できなくなる。その危険性が問題なのである。五十嵐禎人氏は前者をdangerousness、後者をriskとことばを使い分けておられるが、適切であろう。この50%を10%に減少させるために強制入院という強制が認められるのである。その確率の減少は病気の治療、社会復帰の促進などの方法で行われる。その際には患者の意志は最大限尊重しなければならない。(触法精神障害者の処遇、平野龍一、Jurist増刊2004.3、精神医療と心神喪失者等医療観察法、P.7)
いわき病院は殺人危険率80%までの過失無責任論を主張したが、平野東大名誉教授が指摘したとおり、仮に10人中5人の殺人危険率の人間が市民生活に紛れ込めば、社会は驚愕して機能停止する事は必然である。いわき病院は「個別の病院側の落ち度の指摘は幾らあってもこわくない。個々の落ち度と殺人事件の因果関係の立証は不可能」と多寡をくくっている。どんなに非常識な治療であっても、それと殺人事件の直接因果関係などは証明できるはずがないと確信しているように思われる。しかし、渡邊朋之医師が行った不作為と怠慢と錯誤などの数々の事実のどこか一つでも、いわき病院が社会の信頼に足りる精神科専門病院として、自らの落ち度に気づいて誠実に対処していれば、この事件は確実に予防できていた。そこに、いわき病院が主張した「80%以上の殺人危険率を原告が証明できなければいわき病院には責任は無い」とする主張の非人間性がある。
精神医学界が開放医療を推進して、それを社会が真に認知するには、いわき病院と渡邊朋之医師が行った、患者のQOL(生活の質)を尊重せず、市民に犠牲が生じても意に介しない、非人道的な精神科臨床医療に過失責任を認定することが条件となる。不作為と偽善に満ちたいわき病院の責任が問われないとなれば、悪貨が良貨を駆逐する状況が日本の精神医学界にはびこることになる。これでは、健全な精神科開放医療が日本で定着することが困難になる。いわき病院と渡邊医師の不真面目な精神科医療の責任を明確にすることが、市民社会における市民と精神障害者の双方の人権を尊重した精神科開放医療を実現する第一歩となる。
8、精神科医師の市民に対する責任
野津純一による矢野真木人殺人事件は、適切なリスクアセスメント(危険評価)が行われて危険情報に対応(リスクマネジメント)しておれば結果回避可能性があった。
いわき病院は精神科開放医療を率先して導入して、日本病院評価機構に香川県内で最初に認定された優良精神科病院のはずである。更に、いわき病院理事長で病院長の渡邊朋之医師はSST(社会生活技能訓練)推進協会という精神科開放医療を推進する全国組織の役員を務める有力者である。そのいわき病院と渡邊医師が野津純一に対して行った精神科医療は、患者を適切に診断できず、患者に対する処方薬の選定と変更で治療責任を果たさず、患者に十分な看護を行わず、外出許可は患者の状況を全く観察せずに実施されており、責任感を持たずに実行されていた。いわき病院は「過失責任が認定されるようでは、日本で国際公約となっている政策の精神科開放医療を行えなくなる」と主張した。いわき病院は国際公約に基づく国の政策を自らの都合で恣意的に解釈して、「他害行為のリスク(危険性)がある患者に適切な精神科医療を行わず」また「市民の生命の保全」という責任を全うしない自らの不作為と不正を隠蔽する口実としていた。このような不正を正さなければ、わが国で真に精神科開放医療が定着して、地域社会の信頼を得て発展することを期待できない。
いわき病院と渡邊医師が野津純一に対して実行した「精神科開放医療なるもの」は、精神科開放医療とは名ばかりの、患者の病状を主治医の治療で増悪させて、その上で、患者が苦しんでいる姿を承知しても治療して改善する努力を行わない実態があった。いわき病院と渡邊医師の精神科医療はそもそも結果予見性(リスクアセスメント)を持つことを放棄していた。当然の結果として結果回避可能性(リスクマネジメント)はあり得ず、矢野真木人殺人事件の発生を回避することはできなかった。いわき病院と渡邊医師が最低限の義務を果たしておれば、矢野真木人は殺人されることが無く、現在でも健全な社会生活を送っていたであろう。また、野津純一は少しでも快適な精神科治療と社会生活を享受していたはずである。
◎、C意見書
{医療行為提供者に不作為があった}(P.5)
医師の治療行為は、治療行為毎の妥当性を持つと同時に、治療計画・方針に基づいた連続した行為群としての妥当性を有しておかなければならない。本件においては、治療計画変更におけるリスクマネジメント対策の策定と実施、看護スタッフへの観察指示が的確に行われていたことの証明およびこれらのリスクマネジメントを医療サービスの標準的なシステムとして病院が認知し取り組んでいたことの証明を持って、医療行為の妥当性が肯定され得るものであると考える。これらの行為や取り組みが明らかでない状況下で生じた事態について、医療行為提供者は不作為の責を問われることを免れないのではないかと考える。
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