いわき病院事件原告弁論書
■前書き
いわき病院は「常識的で誠実な精神科臨床医療を行っていた」と善良者の弁明を繰り返す。しかし、渡邊朋之医師は、答弁書で患者の生育歴や個人史を「不知」とし、標準的医療からかけ離れた「抗精神病薬のプロピタンと抗うつ薬SSRIパキシル及びアキネトンを患者に対してインフォームドコンセント無しに突然中断」したが、慎重に行うべき経過観察を行わず、患者の切なる願いを無視して診察拒否した。主治医が患者の過去歴を承知せず、通常行わない極端な治療を行い、患者に異常が発現する可能性が高い状況でも経過観察と診察をしない精神科臨床医療を行ったこと自体が既に精神科臨床医療の常識から離れている。「正常な治療」が行われていたという前提で本件を考察すれば、事実認定を誤ることになる。
いわき病院は、渡邊朋之医師に過失責任が認定されるようではわが国の国際公約である精神科開放医療の普及と促進が阻害されると、以下の通り主張した。
(1)、精神科医師になり手が無くなる
(2)、精神科の病院や医院が地域で精神科臨床医療を行うことが困難になる
(3)、精神科開放医療という世界の方向性に逆行することになる
本件訴訟は、真面目で誠実な精神科臨床医療を実行している精神科病院と精神科医師の些細な失敗に過失責任を追及するものでは無い。渡邊朋之医師という精神科専門病院長を務める精神科医師の社会常識から逸脱した「不誠実な診療姿勢」と「技量が著しく劣る」そして「リスクアセスメントとリスクマネジメントを行わない医療」による過誤と不作為が殺人事件を引き起こすに至った過失責任を追及する訴訟である。手前勝手に大義名分を掲げて不作為や不法行為を弁明する欺瞞を赦してはならない。精神科医療に課された使命は、精神障害者の病状の改善と社会復帰の促進、及び地域住民の生命の安全を両立して実現することである。自らの使命を果たしてこその大義である。
日本国憲法で国民に基本的人権が保証される。今日の日本では、精神障害者というだけで心神喪失又は心神耗弱の状態にあると幅広く認定されるが、安易な「精神障害者に対する法的権利侵害を許し、ある日突然不幸にして、精神障害者に関連する事件で被害者となる市民の人権を無視する現実」となっている。いわき病院で野津純一に発生した現実は、医療提供者が本人の理解と同意を得るインフォームドコンセントを行わず入院医療契約の義務を果たさない精神障害者の法的権利を無視した精神科臨床医療である。同時に市民に発生する生存権の侵害という重大な人権侵害に無作為な実態ができあがっている。
◎、デイビース医師団鑑定意見書
{医師に科された二つの義務}(P.3)
凡そ医師は患者が受容可能な基準医療を行う義務と責任があり、それにより、患者が行う可能性がある脅威から市民を守る事が可能となる。この観点で、渡邊朋之医師が「患者の治療」と「患者の殺人衝動から市民を守る」という医師に科された二つの義務を果たさず、悲惨な結末に至らしめたことは明らかである
原告矢野は、精神科開放医療が地域社会の信頼と支持を得て発展して、可能な限り多数の精神障害者に人間らしい人生を約束する前提として、「無責任で不作為な精神科臨床医療に過失責任が認定される必要がある」と指摘する。その目的を明確にするため、野津夫妻が原告として提訴するように依頼した。
「精神障害者の人権と法的権利を尊重する精神科臨床医療の実現」と「類似の事件の再発の抑制」及び「市民の生存権の尊重という法的実態の確立」を本件訴訟に期待する。
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