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デイビース医師団鑑定意見書
いわき病院と渡邊朋之医師が野津純一に行った医療


平成24年3月22日
矢野啓司・矢野千恵


本報告書では、平成24年3月に高松地方裁判所に提出したデイビース医師団鑑定意見書から、裁判の直接関係者以外はデイビース医師団を除いて氏名をマスキングしてあります。


【鑑定者】

●サイモン J.C. デイビース医師
(ブリストル大学精神科名誉講師)

  日本でも翻訳出版された「Crash Course 速習 精神医学、金芳堂」は医学図書英国メダル賞(英国医師会)を受賞した。デイビース医師は2012年3月にカナダ・トロント大学に移籍した。
  DR SIMON J.C. DAVIES D.M. (Oxford University, UK), M.R.C.Psych (UK), M.B.B.S. (University of London, UK), M.Sc. (London School of Hygiene and Tropical Medicine, UK), M.Sc. (Universities of Maastricht, Netherlands and Florence, Italy), Clinical Lecturer in Psychiatry (Honorary), University of Bristol, United Kingdom.

●シーアン マクアイバー医師(西ロンドン精神健康基金司法精神医学上級指導官)
  DR SIAN MCIVER M.R.C.Psych (UK), M.B.Ch.B. (University of Leeds, UK). M.A. (University of East London, UK)、Consultant Forensic Psychiatrist, West London Mental Health Trust, London, United Kingdom.

●デイビッド クリスマス医師(ブリストル大学精神科講師)
  DR DAVID CHRISTMAS M.R.C.Psych (UK), M.B.Ch.B. (University of Edinburgh), M.Sc. (Universities of Maastricht, Netherlands and Florence, Italy), Clinical Lecturer in Psychiatry, University of Bristol, United Kingdom.

サイモン・デイビース医師(オックスフォード大学医学博士)は原告矢野(矢野真木人の両親、矢野啓司及び矢野千恵)から高松地方裁判所平成18年(ワ)第293号及び平成20年(ワ)第619号損害賠償請求事件に関連して鑑定意見書の執筆を求められた。本鑑定報告書は西ロンドン精神健康基金司法精神医学上級指導官シーアン・マクアイバー医師及びブリストル大学講師デイビッド・クリスマス医師と共同で作成した。


本件にかかるサイモン J.C. デイビース医師の来歴

鑑定者医師サイモンJ.C.デイビースは故矢野真木人を1977年8月20日の出生時から知っており、矢野真木人が平成17年12月6日に野津純一に通り魔殺人されて、本件訴訟が平成18年6月に高松地方裁判所に提訴された後に原告矢野から訴訟に関連して精神薬理学及び司法精神医学の指導と助言を行うように求められた。これを受けてサイモン・デイビース医師は2006年10月に日本を訪問して、殺害事件現場、犯人野津純一がいわき病院からショッピングセンターまで歩いた道筋、警察が野津純一を拘束した場所、外観からいわき病院アネックス棟の野津純一病室の位置及びエレベータの位置と外出経路である病院玄関周り、及び野津純一が付け火をして実家及び両隣二件を全焼した跡地を視察した。その後、サイモン・デイビース医師は原告矢野とインターネット通信を継続して、本件訴訟の法廷論議を継続的に見守ってきた。更に、2009年にもサイモン・デイビース医師は日本を訪問して、原告矢野と訴訟の動向に関して意見交換を行った。

サイモン・デイビース医師は原告矢野に協力者と作成した鑑定意見書を法廷に提出することを約束した。

更に、両者は本件裁判に結末が付いた段階で、事件の発生と刑事裁判から民事裁判の終結に至る民事、精神医療及び司法に関係する全ての課題を取りまとめた報告書を英語国際文献に発表して、本件が社会的、精神医学的かつ司法的な側面から国際的に検証できるようにすることを約束した。


英訳した本件関連資料

インターネットで伝えられた情報の他に、原告矢野は下記の資料を英訳して提供した。

1、刑事裁判関係文書
 1)、野津純一にかかる警察・検察調書
 2)、野津純一の両親にかかる警察・検察調書
 3)、渡邊朋之医師一にかかる警察・検察調書
 4)、いわき病院職員にかかる警察・検察調書
 5)、C医師の野津純一精神鑑定書
 6)、検察官起訴状
 7)、刑事裁判判決文

2、民事裁判関連文書
 1)、凶刃(要約)
 2)、いわき病院(渡邊朋之医師)の答弁書
 3)、平成22年8月の渡邊朋之医師及びいわき病院側の証言要旨
 4)、野津純一の根性焼き写真
 5)、上記に追加して、裁判情報は定期的に伝えられてきた

3、野津純一に関連した医療情報
 1)、野津純一診療録
 2)、野津純一看護記録
 3)、いわき病院提出の医療資料
 4)、いわき病院が野津純一に処方した処方薬一覧表

4、鑑定意見書
 1)、A鑑定意見書(いわき病院推薦)
 2)、B鑑定意見書(野津・矢野推薦)

質問事項

【質問1】
渡邊朋之医師が従わないか違反していた、医師であれば従うべき臨床精神医療基準。

【質問2】
渡邊朋之医師はどのように基本的な基準から逸脱したか?(そして、殺人事件を誘引したか)

【質問3】
いわき病院と渡邊朋之医師はどのように国際基準と臨床精神医学の標準的な治療から逸脱したか?

【質問4】
ノーマライゼーション事業と社会
a) 精神障害患者を社会復帰させる精神科病院の責任
b) 精神障害者を社会で単独行動させる場合の精神医学的な判断基準
c) ノーマライゼーションと人権:
  • いわき病院は人権基準及び国際臨床精神医学基準に逸脱したと言えるか?
  • 心神喪失に関連して人命にかかわる事件を引き起こした事実がある精神障害者の病状が改善して寛解に近い状態となったと判断された場合に、全ての者に社会復帰を許可するべきか?
  • 独立生活と保護下における自由を区別する境界は何か?

  • 【質問5】
    渡邊朋之医師の不作為に関連して言及できることは何か無いか?

    鑑定意見書

    【質問1・2・3に一括回答】

    渡邊朋之医師が従わないか違反していた、医師であれば従うべき臨床精神医療基準。渡邊医師はどのように基本的な基準から逸脱したか?(そして、殺人事件を誘引したか)。いわき病院と渡邊朋之医師はどのように国際基準と臨床精神医学の標準的な治療から逸脱したか?

    凡そ医師は患者が受容可能な基準医療を行う義務と責任があり、それにより、患者が行う可能性がある脅威から市民を守る事が可能となる。この観点で、渡邊朋之医師が「患者の治療」と「患者の殺人衝動から市民を守る」という医師に科された二つの義務を果たさず、悲惨な結末に至らしめたことは明らかである。野津純一は平成16年10月のいわき病院入院当時から精神障害の明瞭な証拠がある情動障害の統合失調症確定患者であり、強度の強迫神経症(OCD)で人格障害があった(いわき病院入院医療記録参照)。野津純一の入院にあたって平成16年9月21日に父親からD医師に過去の履歴が伝えられた。野津純一には妄想で近所に怒鳴り込んだ暴力行動で家族が転居を余儀なくされた経歴がある。E医師は野津純一の暴力傾向に関する記録(平成13年いわき病院入院時カルテ)を残している、またE医院と香川県庁前の繁華街で若者に襲いかかった事実がある。

    過去に深刻な暴行歴があるにもかかわらず、渡邊朋之医師といわき病院はいかなる形のリスクアセスメント(危険評価)も、基礎的なリスクアセスメントすらした証拠がなく、野津純一の暴力衝動から他者を守るリスクマネジメント(危険管理)計画を作成していない。野津純一の医療記録には、基礎的な精神病履歴を取得した証拠がなく、これに基づいて精神状態評価試験を行った証拠もない。この基礎評価を行う事は、国際診断基準(ICD-10、DSM-IV)で精神障害診断を行う基本である。精神科の基本職務を行わない渡邊朋之医師の診断は満足できるもので無く、その診断に基づいて有効な治療を行うことも不可能である。いわき病院の医療記録には、野津純一の精神状態と他人に与える脅威の可能性を持続的に評価した証拠が無い。リスクアセスメント(危険評価)を持続的に行うことは患者が受けて当然の基本的な医療である。

    患者野津純一の精神医学的履歴(特に過去の自傷他害行為の個別記録)をアクセス可能な機関から協力を得て情報取得することは、国際的に認定された正常な医療行為である。野津純一の入院から事件までの14ヶ月の入院期間に、患者家族に質問や、過去の医療記録(野津純一は同一地域で入院治療を受けており、他医療機関の記録を入手することは十分に可能である)から、患者の過去の行動歴を現行の精神科医療者が収集することは可能である。

    A教授(A鑑定書(P.5-6))は『諸外国「欧米諸国の司法精神医療」では治療者は、患者本人・家族への問診だけでなく、警察の捜査記録や被害者・目撃者の調書、裁判記録、患者の学業や職業歴、非行・犯罪の記録、精神科治療歴などありとあらゆる資料を駆使している』と記述している。しかしながら、我々(英国)鑑定人はこれ程の量の第三者情報は諸外国(英国、アメリカ、アイルランド、カナダ、オーストラリア)でも進行中の司法手続きに基づかない限り取得できるものでは無いため、同意できない。これらの諸国では過去の医療履歴は過去の入院記録から取得するのが普通である。渡邊朋之医師が野津純一の精神病履歴を、野津純一本人、父親、香川医科大学及びE医院から聴取していたならば、野津純一の過去歴の証拠として、両親の家を焼失した付け火、頻発した家庭内暴力、包丁を持った女医襲撃未遂事件、街路における無関係な他者を襲った暴行等の記録を知り得たことは明白である。これらの情報は、野津純一に更なる暴力行為や付け火を行うリスクが高いことを示している。それ故、A教授の「渡邊朋之医師が野津純一のリスク(危険性)に関連した十分な情報収集をすべきだったと期待するのは不当」という鑑定意見に同意できない。はっきり言って、過去の行動エピソードもしくは暴行や付け火の記録収集は英国の精神科医師には義務を科された当然の行動である。

    統合失調症と確定診断されている患者に抗精神病薬を突然中断すれば精神症状が悪化する。(Ref 1: Viguera AC, Baldessarini RJ, Hegarty JD, et al.継続使用中の精神病用鎮静治療薬を突然又は斬減した後の臨床上のリスク:Clinical risk following abrupt and gradual withdrawal of maintenance neuroleptic treatment. 一般精神医学文献集(アーカイブス オブ ジェネラル サカイトリ:Archives of General Psychiatry. 1997;54:49-55, Ref 2: Moncrieff J, Does 抗精神病薬中断は精神疾患を引き起こすか?:Does antipsychotic withdrawal provoke psychosis? 過敏性精神疾患及び中断に関連した再発に関する論文評論Review of the literature on rapid onset psychosis (supersensitivity psychosis) and withdrawal-related relapse. スカンジナビア精神医学論文集Acta Psychiatr Scand. 2006;114:3-13). 野津純一の不法行為や暴力行動が統合失調症と関連している可能性が極めて高いことを考慮すれば、彼の精神状態が悪化すれば暴力と付け火を行うリスクの可能性が高まる。いわき病院の医療記録では、野津純一の危険性がどのような条件で増大するかというアセスメントが一切行われていない(リスクアセスメント不在)。これは治療義務違反であり、このような精神医療は英国の現在の治療実態と明確に異なる。

    英国では全ての患者(入院患者、通院患者を問わず)が自傷他害をする可能性のリスクアセスメント(危険評価)を行い、それを継続して更新しなければならない。この作業は、統合失調症患者クリストファー・クルニスがジョナサン・ジトを殺害した事件を契機として、1990年代中期から義務化された。事件後に行われた査問で、適切なリスクアセスメント(危険評価)が行われてリスク情報が伝えられておれば殺人事件は回避されていた事に焦点が当てられた。(参照:Ref: Ritchie JH, Dick D, Lingham R. クリストファー・クルニスの看護と治療調査報告、Report of the enquiry into the care and treatment of Christopher Clunis. London: 英国国立出版局HMSO, 1994)。この記念碑的事件から波及した英国の精神科医療業務の変更点を、20年程前に英国で司法精神医学を学ばれたA教授はご承知無いかも知れないが、英国の精神医学分野でずっと働いてきた本鑑定報告書の執筆者である私達には自明である。

    「本件殺人事件は、何がどのように基本的な精神医学的治療から逸脱したか?(そして、殺人事件を誘引したか)」に関連してA教授は鑑定報告書で「平成17年12月の当時においては、一般的な水準の一般的な精神科医師が野津純一による本件事件の発生を予見することは不可能であった」と結論づけた。我々は、A教授はこの結論を導いたことで自らの主張に矛盾した論理を展開したと確信する。A教授は、これは私達の意見と全く同じなのだが、『過失判断はdangerousnessに関し「あり」か「なし」かの二分法によって判断される範疇的現象であり、あくまでも法的概念である。これに対して、riskとは、あくまでも一定の状況を仮定してその状況に関連した種々の要因を考慮して行われる危険性の判定であり、連続量として測定される次元的現象であり、あくまでも医学的・臨床精神医学的概念である』(A鑑定書P.4、第3〜7行目)と主張したが、このようなカテゴリーに分類した予見を行うことは極めて困難である。しかしA教授がいみじくも『患者の病状予測やそれに基づいて行われる医療的介入が適切に行われていたかどうかによって判断されるべきである』(A鑑定書P.5、第7〜8行目)と述べたとおり、問題は渡邊朋之医師といわき病院が定期的に他害行為のリスク評価を行っていたか否か、またリスクを軽減するための「標準的な精神科医療」を行うという合理的な手段を講じていたか否かである。リスク評価とリスクマネジメントを実行していたか否かの重要な領域で、渡邊朋之医師といわき病院は精神科医療の基礎的な治療義務から逸脱していたと確信する。

    英国では1996年に王立大学・他害行為のリスク評価とマネジメントに関する精神科医師特別作業部会が「危険な行動リスクを発見した医療者は、リスクを低減し効果的に管理していると確認できる行動を取る責任がある」と報告した。渡邊朋之医師が、野津純一が示したリスクを正しく認識しリスクを管理するための行動を取った証拠はない。

    我々は、渡邊朋之医師がリスクアセスメント(危険評価)とリスクマネジメント(危険管理)を行わなかったことで野津純一が殺人事件を引き起こすに至った可能性があると確信する。我々が通常用いる標準リスクアセスメント試験指針を使ったリスクアセスメント(危険評価)が行われておれば、野津純一は他害リスクが高い状態にあると判明していたはずである。

    我々は「事件直前の処方薬の変更で、暴力行為履歴がある野津純一の精神状態を不安定化してリスクを一層亢進した」という見解を持つ。野津純一が繰り返した多数の暴行歴は、両親の家と二軒の両隣を全焼した付け火、頻発した家庭内暴力、女性医師に対する包丁を持った攻撃未遂事件、往来で若者を襲撃した事件及びいわき病院内での看護師襲撃事件がある。そのリスクは抗精神病薬と抗うつ薬の双方を突然かつ同時に中断したことで、精神状態を不安定化して更に高められた。

    治療者が、統合失調症の症状制御や診断に結びつける目的で処方薬の大規模な変更を行う場合は、暴力リスク(危険性)がある患者であれば、処方薬の変更で精神に有害な衝撃を受けて、一時的にリスクが亢進するため、患者の精神状態と進行中の他害リスクを継続評価することが絶対必要である。しかし、医療記録を精査したところ、大規模な処方薬の変更の後で、組織的かつ持続的に野津純一の精神症状展開のアセスメントをしていないし、リスクアセスメントのやり直しをする再評価も行っていない。

    野津純一に対して抗精神病薬(プロピタン:floropipramide)、抗パーキンソン薬(アキネトン:biperiden)と抗うつ薬(パキシル:paroxetine)が同日(平成17年11月23日)に中断された。野津純一はアカシジアの症状と思われるイライラ・ムズムズの症状で苦しんだが、この症状は古いタイプの定型抗精神病薬に特徴的な副作用である。我々は抗精神病薬単独の断薬を議論しない、抗パーキンソン薬の中断と同時に行ったことと合わせればいわき病院の渡邊朋之医師の処方としては理由があると考えられるからである。しかしながら、我々は、以下諸点に関する医療には問題があったと指摘する。

    1)、パキシル(paroxetine)を他の2薬と同時に中断したが、2点の理由で不適当であった。
      第一に、2005年12月に入手可能な多くのガイドラインは、パキシル(paroxetine)は突然中断するべきではないと忠告している。(参照:Ref: Anderson IM, Nutt DJ, Deakin JFW (2000) 抗うつ剤使用中のうつ障害のためのエビデンスに基づいたガイドラインEvidence-based guidelines for treating depressive disorders with antidepressants: 英国精神薬理学協会ガイドライン改訂版1993年、a revision of the 1993 British Association for Psychopharmacology guidelines. J Psychopharmacol 14:3-20.)

    パキシルは上述のガイドラインで同類(例;fluoxetine, fluvoxamine)の抗うつ病薬の中では突然中断すれば最も危険であると特筆されている。パキシルは半減期が最短であり、半減期が長い活性代謝物質を持たないため、突然のパキシル中断は強烈な中断症状 (Ref: van Geffen EC, Hugtenburg JG, Heerdink ER et al. 臨床現場における選択的セロトニン再取込阻害薬使用者の断薬症状:漸減と中断の比較Discontinuation symptoms in users of selective serotonin reuptake inhibitors in clinical practice: tapering versus abrupt discontinuation、ヨーロッパ臨床薬理学誌 European Journal of Clinical Pharmacology; 61; 4, 303-307) を引き起こすことに繋がり、その症状は中断後3ヶ月以内のどの時点でも発現する可能性がある。通常発現する断薬症状は不安、不眠、イライラ、興奮、気分・知覚障害、胃腸症状及び精神症状である。(Ref: Rosenbaum JF, Fava M, Hoog SL et al.選択的セロトニン再取込阻害薬の断薬症状:臨床ランダム試験 Selective serotonin reuptake inhibitor discontinuation syndrome: a randomized clinical trial. 精神生物学誌1998年、Biological Psychiatry 1998; 44:77-87)

    パキシル中断後に三環系抗うつ薬のノーマルン(アミトリプチリン:amitriptyline)が投薬されたがパキシル断薬症状の危険性を低減することはできなかった、その理由は薬理作用機作が異なるからである(アミトリプチリンは、セロトニン再取込阻害よりむしろノルアドレナリン再取込阻害が本来の作用であって、セロトニン再取込阻害作用はパキシルより遙かに低い)。更に、二種類の相互に関係ない向精神薬を同時に断薬する事は下手な処方である。通常の場合我慢できないほどの副作用は一種類の医薬品で発現するものであるが、二種類を同時に停止した場合には、どちらの薬剤が原因で害作用が発生したか判別不能となる。

    2)、定期処方の抗精神病薬(商品名プロピタン、一般名塩酸ピパンペロン(pipamperone hydrochloride)を中断したことで、野津純一は何の統合失調症治療もされていない状態になった(野津純一には構造的には抗精神病薬に似ているヒベルナ(フェノチアジン系のプロメタジン)が処方されたが、抗ヒスタミン鎮静剤であり、英国では処方箋なしで購入可能な、臨床的抗精神病作用が無い薬剤である)。

    抗精神病薬の定期処方を停止して、統合失調症が再発する危険性が亢進した。いくつかの報告で突然の中断は精神病症状の危険性が更に増加すると指摘がある。(Ref 1: Viguera AC, Baldessarini RJ, Hegarty JD, et al. 維持的な遮断性治療薬の突然又は漸進的削減による臨床的危険性Clinical risk following abrupt and gradual withdrawal of maintenance neuroleptic treatment. 一般精神医学文献集1997年、Archives of General Psychiatry. 1997;54:49-55, Ref 2: Moncrieff J, 抗精神病薬の中断は精神疾患を誘発するか?急激な精神疾患再発(超過敏性精神疾患)に関する文献評価と中断による再発Does antipsychotic withdrawal provoke psychosis? Review of the literature on rapid onset psychosis (supersensitivity psychosis) and withdrawal-related relapse.スカンジナビア精神医学誌2006年、 Acta Psychiatr Scand. 2006;114:3-13). 抗精神病薬治療の中断は治療中の有害作用除去効果を測るには根拠があるとはいえ、精神病症状の悪化と連動した暴力のリスク(危険性)が上昇する可能性があり、それはリスクマネジメント(治療管理)計画として考慮される必要がある。

    3)、上述に基づけば、パキシルと抗精神病薬のプロピタンの両方を断薬した、通常でない処方を行われた野津純一には二種の危険が迫っていた。

    • 抗精神病薬中断による精神病症状の再発と病状悪化に伴う潜在的な暴行のリスク増大
    • パキシル突然中断の断薬症状と興奮及びイライラ症状による暴力発現リスク増大

    このような状況下では、日常持続的に行うリスクアセスメント(危険性評価)の一環として、患者の病状経過を集中的にチェックして精神状況の変化を記録することが医療チームの義務である。この作業は英国では義務であるが、いわき病院の医療記録には継続したリスクアセスメントがない。野津純一のような数多くの基本的暴力危険要因を持つ患者の場合には特に重要な評価作業である。それ故、処方薬の変更で追加される因子は、全てリスクレベルを限界領域まで高めることに繋がり、野津純一が外出する場合は、病院から単独外出させるべきではなかった。


    要約及び国際標準との比較

      野津純一には、
    上記1) の通り、付け火や暴力の履歴があり、基礎的な他害暴力のリスクがあった。
     その上で、
    上記2) の通り、薬理学的には疑問符が付く大規模な処方変更を行い、統合失調症の治療を行わずに放置し、同時にパキシル断薬症状にさせた。

    野津純一に元々あった高いリスクはパキシル断薬症状で更に急激に高まった。しかし、渡邊朋之医師といわき病院により野津純一に対して行われた治療は国際的に諸外国で採用されている基準には遠く及ばないものであった。いわき病院の医療記録に被告純一の基礎的な精神病履歴を取得した記録が無く、入院後に必要な精神状態の検査をも行っていない。患者の精神状態を評価する基礎的で最も重要な情報を収集しないことは業務上重大な過失である。

    更に、重大な処方変更を行った後の13日間(11月24日から12月6日)で、11月30日に渡邊朋之医師は診察を行ったが、リスクアセスメント(危険評価)を行った証拠がなく、精神状態の変化を評価した証拠もない。11月24日から30日まで医療記録がなく、11月の30日の診察は簡単に過ぎるもので、リスクアセスメントと精神状態評価を行なっていない。その後12月3日まで記録は無く、それ以降の3日間(12月3日から6日)の殺人事件に至るまでの医療記録も非常に限定的で、またしてもリスクアセスメントと精神状態評価が行われていない。

    渡邊朋之医師といわき病院が行った医療の質の評価であるが、元々高い危険性があった野津純一に更に危険性を増大する処方を行った上に、野津純一の精神状態を評価するリスクアセスメントを行っておらず、特筆すべき不作為である。野津純一がその時の精神状態を評価されることなく、直近のリスク評価も行われず、危険性を緩和する手段(リスクマネジメント)も講じられずに病院から単独外出を許された事実に基づけば、いわき病院の医療は国際的に期待される水準にはるか至らない。

    我々が指摘する基本的な問題は、(A教授が指摘した)殺人事件は予見できたかではなく、いわき病院の精神医療の水準があまりにも低劣であったために、野津純一の他害危険性という暴力リスクを削減する行動をとる可能性を不可能にした点にある。いわき病院の運営にはシステム欠陥があり、その欠陥が野津純一に殺人させたのである。このシステム欠陥とは、いわき病院の医療標準が低すぎて、他の諸国(英国、アメリカ、アイルランド、カナダ、オーストラリア)の医療水準から劣るものである。

    その上で、英国他の諸国では普通のことになっている基本的な精神医学的情報の収集やリスクアセスメント(危険評価)も行われていない。英国の基準書「精神障害者の退院と社会生活における持続的医療、1994年、英国国家保健サービス執行部(“Guidance on the discharge of mentally disordered people and their continuing care in the community” issued in 1994 by the National Health Service Executive in the United Kingdom)は、「患者の背景情報、現在の患者の精神状態と社会的状況、及び患者の過去の行動履歴を取得せずに適切なリスクアセスメント(危険評価)は行えない」と記述している。これは国際的に受け入れられた作業標準であるが、渡邊朋之医師は野津純一に対して繰り返して逸脱した医療を行った。



    【質問4】ノーマライゼーション事業と社会復帰

    a) 精神障害患者を社会復帰させる精神科病院の責任

    患者を社会復帰させるに当たっては、患者が急性の病気エピソードから回復していなければならない。主治医は患者の良好な状況や入院時の状態をよく知っている看護護スタッフや家族と共に患者の精神状況検査を試験して確認する。

    患者が退院できる状態にあると判断する場合には、患者が退院後に居住する場所を計画する必要がある。その上で、病棟から毎日少しずつ外に出して、適応状態を確認しながら外出機会を拡大する必要がある。また患者が自宅に帰る度に医療チームからアセスメントを受けなければならない。

    過去に患者が暴力的であるか危険な傾向を示していた場合には、将来同様の危険行動を再び行う可能性があるため、市民に危害を与える可能性を管理する必要がある。このため、該当する個人情報は関連する全ての専門家に周知されなければならない。患者を退院させる前に危険評価(リスクアセスメント)を行い、個別の危険要素を検討し、管理し、周知する。患者が市民生活をしている間も、危険評価(リスクアセスメント)は継続して行い更新する必要がある。

    患者の退院に先立って、社会生活を始めるフォローアップ計画を作成する。患者が自宅復帰して十分に社会生活に慣れたと判断される場合には、全面開放を検討することとなる。


    b) 精神障害者を社会で単独行動させる場合の精神医学的な判断基準

    野津純一が殺人事件を引き起こした時点の英国の精神障害者の社会復帰に関する基準は以下の文書に記載されている。(精神障害者の退院と市民生活における継続的治療ガイドライン、1994年、英国国家保健サービス執行部、“Guidance on the discharge of mentally disordered people and their continuing care in the community” which were issued in 1994 by the NHS Executive. )

    上記では「精神障害者は退院の準備が整った場合に退院することが期待され」、「市民生活と患者自身に対する脅威を最小限にして管理され」そのために「患者が退院するときには、関連各機関からの支援を受ける必要がある」とされる。

    英国では、精神障害者の退院と継続入院に関する原則は「治療推進計画:Care Programme Approach」として1990年代初期に公式に定められた。これにおける基本的な要素は次の通りである。

    1. 保健ケアと社会生活ケアの必要性に関して体系的な評価を行う
    2. 専門家、患者及び保護者が同意したケアプランを導入する
    3. 患者と接触してケア計画が功を奏しているかをモニターする管理者(key worker) を置く。

    4. もし状況が良くない場合には
    5. 継続的に、患者の状況変化、健康状態や、生活ケアの必要性を見直す

    通常のケア計画では自傷他害のリスクが高過ぎる患者が存在する場合には、「監視下の退院:supervised discharge」が強制され、強権で患者に退院条件に従わせ、従わない場合には病院に呼び戻すことになる。

    上記の公文書記載されたリスクアセスメント(危険評価)の役割は次の通りである。

    1. 適切な危険評価(リスクアセスメント)を行うには、患者の背景、現在の精神状態と社会的な立場の現状及び過去の行動歴等の情報が不可欠である。
    2. 危険評価(リスクアセスメント)は徹底して行わなければならない
    3. 危険(リスク)を増加させる状態や環境は取り除かなければならない

    野津純一の場合に該当する問題であるが、薬剤の投与を中断する環境条件はリスク(危険性)を増加させる第一の要因として指摘される。


    c) ノーマライゼーションと人権:
    いわき病院は人権基準及び国際臨床精神医学基準に逸脱したと言えるか? 心神喪失に関連して人命にかかわる事件を引き起こした事実がある精神障害者の病状が改善して寛解に近い状態となったと判断された場合に、全ての者に社会復帰を許可するべきか?
    独立生活と保護下における自由を区別する境界は何か?

    英国では精神科医師及び他科の医師は、重大な違法行為を行った精神科患者を退院させた場合には、暴力行為やその他の破壊行為で市民の人権が侵害される可能性があるため、精神障害者の人権との均衡を取らなければならない。英国はEU27カ国で構成するヨーロッパ人権宣言(European Human Rights Convention)に参加しており、患者と市民の人権が競合関係にある場合には合理的な均衡を確保する事が求められる。

    しかしながら、英国内では精神保健法(現行制度、1983年精神保健法、2007年改正、1991犯罪手続心神喪失者令:currently the Mental Health Act, 1983, as amended 2007 and the Criminal Procedures Insanity Act, 1991) がヨーロッパ人権宣言に優先する。英国政府は重大な違法行為を行った精神障害者が社会にもたらす潜在的な脅威に鑑みて、精神保健法に医師が行うべき具体的な規定を設けている。精神病の状態にある患者が殺人などの重大犯罪を行った場合に、1983年精神保健法の司法条項で指定する精神病院に通常拘留され、法37/41条で指定病院での治療が規定される。指定病院における拘留条件に関する変更は英国政府大臣の承認の下に行われる。法第37/41条の規定に基づいて拘留される患者の大多数は精神病院で長期間拘留される。

    該当者は、長期間に渡り持続的に行われる危険評価(リスクアセスメント)と安定時の精神状態の観察及び薬剤治療計画に対するコンプライアンスを評価した後にのみ社会復帰が可能となる。それ故、重大な犯罪を起こした精神障害者を社会復帰させる判断をする上で、リスクアセスメント(危険評価)は基幹的に重要な手続きである。



    【質問5】
    渡邊朋之医師の不作為に関連して言及できることは何か無いか?

    渡邊朋之医師が行った医療は国際的に受け入れられる水準に達していないと考えられる。

    医師デイビッド・クリスマスはブリストル大学の経験豊富な精神医学者で、サイモン・デイビース医師と共に大学精神医学試験委員会責任者を長年に渡り勤め、現在はブリストル大学医学部最終試験委員会精神医学部門の責任者である。

    医師クリスマスは野津純一のケースでいわき病院が大規模な処方変更を行った後(11月24日から12月6日の殺人当日)までの期間に渡る病状管理に関するブリストル大学の精神医学口頭試験問題を作成して、特に野津純一の12月3日から6日にかけての時期に関して学生に回答を求めた。この試験は2011年(昨年)のブリストル大学医学生が医師として卒業するための大学必修試験として行われ、各学生は実例に基づく口頭試験として、二人の試験官から25分間質問を受けた。

    【医師クリスマスの模範解答は次の通りである】

    医学生が長期的兆候(付け火、暴力及び重大精神障害の履歴)と緊急の短期的兆候(患者の精神状態を不安定化させる可能性が高い、直前に行われた突然の薬剤処方の変更等)に気付かなかった場合は、これらは暴力発動に危険性を増すことに繋がるため、落第となる。

    学生がこれらの問題に気付いたとしても、緊急性が迫った高度な危険性に対処できる治療計画(患者の日常的な精神状態と危険性の変動と評価、それに基づく治療計画の作成、危機が軽減したと判明するまでの経過時間を病棟内におらせる又は付き添い付きの外出を許可する等)を提示できない場合にも落第である。

    ブリストル大学医学部学生の卒業資格は英国精神保健法に基づく実行可能な知識を持つことが要件である。野津純一のケースの場合、学生は患者の状態から措置入院に移行させる条件を認定する事が求められる。学生は精神病状が進行している患者の状況を判断して、患者本人が病院内に留まることを望まない場合にも、精神保健法に基づいて拘留を検討できる暴力リスクの程度を判断しなければならない。

    この程度の水準は英国の一般医学教育の要件であり精神科専門医の水準ではない。
      なお、英国医学部卒業生のほとんどは精神科医にはならない。

    * * * * *

    本鑑定意見書は、サイモン J.C. デイビース医博の同意の下に矢野啓司が、翻訳、編集と製本をした。なお、デイビース医博は十代の頃に1年間日本で滞在した経験があり、多少の日本語は理解し、翻訳原稿にも了承を得た。
      This Expert Report is book bound by Keiji Yano under the authorization by Dr Simon J.C. Davies, who understands Japanese slightly for he stayed in Japan at his teen age and agreed to the translation.



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