「いわき病院事件」報告
いわき病院側鑑定意見書に対する原告矢野の反論
I、精神科医師の協力者を募集します
「いわき病院事件」の本質は、精神医学と精神薬理学の知識に不足がある医師の錯誤と怠慢と不作為に対する過失責任の確定です。ところがB教授は「いわき病院の渡邊医師」を「一般病院の一般医師」と拡大しました。本来、いわき病院の特殊事例に責任追及する事件を、一般の病院の一般的な精神科医療の問題に発展させました。
私たちはいわき病院と渡邊医師の問題に限定すれば戦う力があると確信します。しかし、より大きな問題となる展望では、力の不足があり、新たな協力者を募集します。これまでの匿名協力者は、精神医療の課題に立ち向かう積極的な姿勢を持っておりますが、年齢もあり体力の衰えを訴えます。いわき病院事件裁判に、日本の精神科医療が抱える問題の存在を認めて、改善と改革に貢献する意欲のある精神科医師の協力を求めます。
「協力しても良い」と思われる方は、ロゼッタストーン社編集部(staff@rosetta.jp)を通して、矢野に連絡をいただきたく存じます。ご連絡があれば、矢野から直接返事いたします。協力者として、お名前を公表する、しないは、相談に乗ります。またカルテやB鑑定意見書など、必要な資料や証拠は、個別に提供いたします。以下に、質問事項を列記します。以下の【問1】から【問7】を選択して下さい、組み合わせていただいてもかまいません。なお、【問8】はご興味があれば、コメントいただきたく存じます。
【問1】アカシジア治療とプラセボ試験
渡邊医師は純一のアカシジアに対して「退院すれば筋肉注射できないからとして」、アキネトンに代えて生理食塩水をプラセボ試験と称して筋肉注射し続けました。純一に説明をせずに、プラセボ試験を行う意味があったのでしょうか。それは許される精神科臨床医療行為でしょうか。
- プラセボ試験を行っている間に、いわき病院が行うべき事は何か。
- アキネトン再開(プラセボ試験中止)時期は何時であったと考えられるか。
- プラセボ試験は純一の自傷行為(根性焼き等)を誘発したか。
- プラセボ試験は純一の渡邊医師に対する信頼を損なったか。
【問2】処方変更に関する論理的な問題
渡邊医師は抗精神病薬を中断しただけでなく、重要な処方変更を同時に複数行いました。このことに合理的な理由はあるでしょうか。また、処方変更後の治療的介入は妥当だったでしょうか。渡邊医師に精神医学的に不作為や怠慢はなかったでしょうか。
- 抗精神病薬の中断でアカシジアは改善すると予測できたか。悪化する予測はしなくて良いか。
- 渡邊医師の病状予測に問題はないか。渡邊医師は純一の病状が悪化する筈はないとして、病状予測を思考停止していたのではないか。
- 少量の抗精神病薬を頓服処方すれば抗精神病薬の中断ではない、の主張は正しいか。
- 複数の処方変更を同時に行った結果を、主治医は解析する事は可能か。
- 渡邊医師が行った複数の処方変更で何が危険だったか。
- 複数の処方変更を行った後の主治医の治療は適切であったと言えるか。何が行われ、何が行われてないか。適切ではなくても過失とまでは言えないと結論づけられるか。
- 処方変更後の効果判定は行われたか。行われていたのであれば、判定後の治療介入は適切であったと言えるか。
- 抗精神病薬を再開する必要性の判断、又は断薬後の治療方針の策定で過失性は無かったといえるか。
【問3】抗精神病薬の中断期間と殺人事件の犯行動機
いわき病院は抗精神病薬の中断は平成17年11月23日からだったとしております。他方抗精神病薬の中断は一ヶ月以上継続していたという内部情報があります。事実、10月27日の診療録には「ドプスを増やしてプロピタンを変更する」という方針の記載があります。この中断を開始した時期の違いは、殺人事件犯行動機に重大な違いを発生するでしょうか。
- プロピタンの中断が平成17年11月23日からであれば、12月6日の事件発生はあり得ないと主張できるか。アカシジア悪化で犯行動機は亢進したか。
- プロピタンを一ヶ月以上前から中断したのであれば、11月23日から中断の場合と比較して、他害の危険度はどれだけ高くなるか。
- 抗精神病薬中断による他害の危険性は、他の処方変更が同時に行われたことにより、亢進したと言えるか。その場合、どの処方変更が危険度の亢進に寄与が高いか。
- 一ヶ月前からの中断であったとすれば、11月の間、純一は比較的落ち着いていたように見えるが、その理由は何か。またどうして12月になって病状が急激に悪化したのか。
- 11月23日からの処方変更であれば、渡邊医師は、どうしてこの日に処方変更を行う理由があったと考えられるか。
- 渡邊医師は12月に入ってから、処方変更の効果判定を行い、適切に治療的介入を行っていたと言えるか。
【問4】犯行時に純一は統合失調症を再発していたのではないか
渡邊医師は12月6日の純一は「風邪気味であったけれど、風邪薬を処方していたし、心身共に問題はなかった」と主張しておりますが、純一は統合失調症を再発していたのではないでしょうか。
- 統合失調症患者である純一の「頭痛、喉の痛み、37度の発熱」訴えは「ただの風邪」と、精神科医師として断定して良い状況だったか。
- 統合失調症患者は自分から「再発しています」と言葉で明確に訴えることができるものなのか。
- 12月に入ってからの純一の状況は統合失調症の再発と言えないか。
- 統合失調症が再発していたとしたら、それは何時からか。
- 純一の統合失調症再発でいわき病院が取るべき処置は何だったか。
【問5】根性焼き
B教授は根性焼きに触れずに鑑定意見書を報告しました。根性焼きは、純一の他害予見性を評価する上で検討しなくても良い項目だったでしょうか。また、いわき病院は根性焼きをスタッフが誰も見てないので根性焼きは無かったという立場です。これは、いわき病院の免罪根拠となるでしょうか。なお、純一の顔面左頬の根性焼き瘢痕は犯行直前に100円ショップのレジ係が目撃し、純一を警察が拘束した時に取材中のテレビが映像を撮影して放送し、純一が拘束された直後に警察が写真撮影しました。
- 被告が根性焼きを発見しなかったことは過失と言えるか。
- 根性焼きは精神症状の変化を知る指標となり得るか。
- いわき病院内で、誰も純一の根性焼き瘢痕を目撃していなかったとすれば、それは、いわき病院の医療と看護で、どのような状況が発生していたことを意味すると言えるか。
- 根性焼きの瘢痕が入院期間中に継続して日常的に純一の顔面にあったために、いわき病院スタッフも医師も誰もが、特筆する必然性を感じず、記録が残されてなかったとしたら、それは許されることか。
【問6】診察拒否
渡邊医師は犯行当日の12月6日朝10時に純一の診察要請が病棟看護師から、通常の診察要請手続きではなく、院内電話で「今すぐに診察をしてほしい」という主旨で直接伝えられたにもかかわらず、診察拒否をしました。純一はその日の12時過ぎに許可外出して通り魔殺人を行いました。渡邊医師の診察拒否には過失責任は問えないのでしょうか。
- 渡邊医師が12月6日の10時に純一の診察を行えない合理的な理由があったか。
- 診察拒否は過失とまでは言えないとするならば、朝10時に診察拒否をした後で、主治医はどのような対応をする義務があったと言えるか。
- 渡邊医師は「純一の訴えは一般の風邪症状で、風邪薬は処方してある」ので「心身両面から緊急性・必要性が極めて乏しい」として診察要請を拒否したが、この判断に過失責任を問えないか。
- 渡邊医師の診察拒否の後で、いわき病院が病院組織として責任を問われる過失はなかったと言えるか。
【問7】外出許可
純一は、渡邊医師から診察拒否を受けた2時間後に、いわき病院の許可による単独外出を行い、誰でも良いから人を殺すとして、ショッピングセンターで万能包丁を購入して、矢野真木人を通り魔殺人しました。この日いわき病院が純一に外出許可を与えたことに問題はないのでしょうか。
- 開放病棟であれば、入院患者の日毎の病状の変化を観察せずに、患者が希望すれば自動的に単独外出許可を与え続けることは許されるか。
- 開放病棟の入院患者にエレベータの暗証番号を教えて、日中自由に病棟外で行動させることは許されるか。
- 渡邊医師は純一を診察できないのであれば、主治医として、単独外出禁止を病棟看護しに伝える義務があったのではないか。
- 12月6日朝10時の時点で、病棟看護師は純一に異常を観察していたので、主治医から診察拒否をされた時点で、自主的に判断して、単独外出許可を停止するべきだったのではなかったか。
- 医師は患者の毎日の病状の変化を観察して、一時的な外出制限を運用する権限を、条件を定めて病棟看護師に委嘱することができるのではないか。いわき病院には病院規則と運用上の問題があるのではないか。
【問8】日本の精神科医療を破壊する訴訟でしょうか
B教授は「いわき病院に責任は無い、いわき病院に過失責任が問われるようでは、延いては精神科医療そのものを破壊することになる。この点を銘記していただきたい」と述べました。本当にそうでしょうか。
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