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いわき病院の精神医療と通り魔殺人の因果関係


平成23年7月21日
矢野啓司・矢野千恵


前置き

本報告は、平成23年7月13日における高松地方裁判所の法廷審議を基にした、いわき病院が法廷に提出した第11準備書面及び第12準備書面に対する反論書です。本報告では裁判所提出文書から「被告」の記述と文書番号を消し、渡邊朋之医師および野津純一の両名を除いて、関係者の個人名はイニシャル化してあります。


はじめに

原告矢野は本訴訟(「いわき病院事件」)を通していわき病院で野津純一に対して行われた精神科臨床医療の事実を明らかにして、もって日本の精神医療及び人権問題の改善に資することを課題とします。この目的意識に基づいて、いわき病院の第12準備書面(第11準備書面を含む)に次の通り反論します。

なお、いわき病院の準備書面は記述内容と論旨が前後で矛盾する粗雑な内容であるため徒に論理を混乱させ、更に、肝心の問題である精神医学的な証拠や主張の提出が度々遅滞して審議の遅延を引き起こし続けたことは極めて遺憾です。

「いわき病院事件」の訴訟関係者が共通認識として持つべき事項として以下を整理します。


(1)、野津純一は統合失調症でした

野津純一は犯行当時統合失調症歴20年以上で、以下の認定を受けていた正真正銘の精神障害者でした。

    1)、 一級 精神障害者手帳所持者
    2)、 一級 障害者年金受給者

上記に関して、渡邊朋之医師は平成22年8月の人証で「野津純一は『衝動的に暴力をふるう』等と記述したのは、年金取得手続きで患者に有利になるので書いただけ」で「嘘を書いた」と証言しましたが、平成17年7月の時点では、既に上記の1)及び2)を野津純一は所有しておりました。上記の認定を単純に「更新」しただけであり、渡邊朋之医師が「患者に有利になる」と主張した「証言価値はありません」でした。


(2)、統合失調症は
   「思考・感情の障害、時に行動の障害」を伴う疾患

統合失調症は脳の病気であり、幻覚妄想、幻聴の他に、「思考・感情の障害」と「人により時に行動の障害」を伴う疾患で、次のような傾向があります。

    1)、 思考・感情・対人相互作用の障害を慢性・進行性に来たす
    2)、 一部の患者には、衝動性のコントロール不全がみられる

実績を元にすれば、統合失調症患者には自殺が多く、また、刑法犯に関しては統計的に「放火と殺人」では精神障害者は健常者の10倍です(参考:『精神障害者の犯罪を考える』P.4,山口幸博、鳥影社:「精神分裂病と犯罪」P.136、山上皓、金剛出版)。この背景には、統合失調症患者に特有の衝動コントロール不全があり、疫学調査で証明されている統合失調症患者における重大犯罪(殺人)発生率の異常な高さをもたらしていると考えられます。しかし、統合失調症患者の全てが犯罪者になるわけではありません。いわき病院のような精神科専門医療機関は入院患者が犯罪を起こすことを未然に防ぐ注意深い精神医療を行い、患者に適正適切な抗精神病薬の継続投与と寛解状態の維持を促進して、患者の社会参加機会を拡大してゆくことが責務です。

野津純一は17才時点で、自宅を含む両隣3軒全焼させた火事(放火)の原因者でした。原告矢野が面会したいわき病院の看護師等の職員は、全員が「野津純一の放火」と承知していました。野津純一はいわき病院に入院する前もまた入院後も「気に入らないと物を壊す(器物破損)」のみならず、若い男性(通行人、病院看護師)に衝動的に飛びかかる事件を起こしておりました。被害者の通行人男性は、野津純一の攻撃を受けて、助けられた時には、服はぼろぼろになり、恐怖で顔が真っ青であったそうです。渡邊朋之医師はハイリスクで暴力発現の可能性がある慢性鑑別不能型統合失調症患者である野津純一の主治医であり、野津純一の反社会的傾向を十分に考慮に入れて、野津純一の治療を促進する義務がありました。


(3)、渡邊朋之医師の病状確認放棄

いわき病院では、野津純一の主治医が、勤務医から理事長で病院長である渡邊朋之医師に交代した時の問診で、野津純一は「25才の時に一大事が起こった」と自己申告しました。(この香川医大への包丁持ち込み事件について)主治医の渡邊朋之医師は野津純一に対して何一つ精神医学的に必要とされるべき事実確認をしておらず、人証時の証言でも「質問しなかった」と確認しました。

渡邊朋之医師は、野津純一がいわき病院に入院する前の平成17年9月21日に行われたA医師による「入院前問診記録」も見ず(本法廷への資料提出では、A医師の診療録記述頁を削除してありました)、またいわき病院の記録である平成13年の野津純一の入院時の記録を見ず、更には父母への問い合わせもせずに「野津純一の暴力行為については、本人か父母の申し出がなければ知りようがない」と嘯きました。渡邊朋之医師は人証で「患者が『ストレス解消は散歩だ』と言っているので、日中の野津純一外出は止められない」と主張しましたが、これは主治医として「病状管理の放棄」です。


(4)、渡邊朋之医師の自傷行為に関する見解

渡邊朋之医師は、野津純一の「左頬の自傷行為」について「他疾患でも、自傷行為はあり、問題ない」と、平成22年8月の人証で証言しました。しかし、野津純一は「他疾患」ではなく「精神障害者(統合失調症)」です。

精神障害者の自傷行為は精神保健福祉法で外出規制を受ける要件であり「(外出を継続しても)問題ない」は誤りです。渡邊朋之医師は野津純一の統合失調症を適確に診断できないでおりましたが、「犯行当時、野津純一は妄想に支配されていなかった(=妄想はなかった)」と主張すると同時に、「野津純一の根性焼きは野津純一の妄想による可能性が大きく、根性焼きは無かった(=妄想があった)」と、矛盾した主張をしました。渡邊朋之医師が野津純一の過去歴を考慮に入れず、自傷他害の可能性を考えない臨床精神医療を行ったことが矢野真木人殺人事件を防ぐことができなかった理由です。


1、第12準備書面におけるいわき病院の主張の間違い

いわき病院は第12準備書面の冒頭1で、以下の通り主張しましたが、原告矢野はこれに反論します。

    ア)、原告らのいわき病院に対する損害賠償請求権が発生しない
       (既に、いわき病院の第11準備書面で詳細に主張した)
    イ)、「いわき病院事件」訴訟は「因果関係が否定される場合の
        医療行為上の過失判断」である

(1)、いわき病院と渡邊朋之医師の精神医療の錯誤と過失

いわき病院理事長である主治医渡邊朋之医師は、野津純一は既に20年以上継続していた慢性統合失調症患者でしたが、統合失調症と診断することをためらいました。本裁判では最後に渋々と「統合失調症と診断していた」と認めたにもかかわらず、事件直前の平成17年11月23日(内部情報では事件の一ヶ月以上前)から抗精神病薬の投与を野津純一に中断した重大な処方変更を実行しました。

平成17年2月14日に、精神保健指定医である渡邊朋之医師が野津純一の主治医に就任してから平成17年12月6日に野津純一が矢野真木人を通り魔殺人するまでの間、渡邊朋之医師は野津純一を統合失調症と診断することをためらい、抗精神病薬の急激な処方変更を繰り返し、副作用のアカシジア症状が亢進した状況に対応できず、以下の精神医学上の過失を行いました。これらは、医師の裁量権として免責を主張するには、余りにも基本的かつ明白な精神医学上の錯誤です。

  1. 勤務医(2名)の診断を否定して、アカシジアをCPK値で診断した
  2. アカシジア(パーキンソン症候群)をパーキンソン病と誤診した
  3. 野津純一にドプスを処方し、薬剤師の進言を否定して、継続投与した
  4. 薬効がない生理食塩水をプラセボとして注射し続け、QOLを著しく損ねた
  5. 顔面左頬の根性焼き(自傷行為)を見逃し、外出許可を変更しなかった
  6. 重大な副作用の可能性が指摘されているパキシルを突然中断した
  7. ベンゾジアゼピン系抗不安薬を脱抑制発現に注意を払わず大量投与し続けた
  8. 統合失調症と診断した患者に抗精神病薬を中断後の経過観察を行わなかった
  9. 11月23日の処方変更後から12月7日の間に主治医の診察は一回だった

(2)、渡邊朋之医師の精神医療の過失と
   矢野真木人殺害の因果関係

野津純一の矢野真木人殺害と、いわき病院及び渡邊朋之医師の精神医療の直接因果関係の概要は次の通りです。

いわき病院長で主治医の渡邊朋之医師は、20年以上継続した慢性鑑定不能型統合失調症患者である野津純一の統合失調症診断を疑い、野津純一が苦しんでいた抗精神病薬の副作用であるアカシジア(パーキンソン症候群)を、心気的もしくはパーキンソン病と誤診して、抗精神病薬の中断等の重大な処方変更を行いました。主治医の渡邊朋之医師は処方変更後の経過観察を行わず、いわき病院はアカシジアに苦しむあまり野津純一が顔面に自傷したタバコの火傷傷である「根性焼き」を見逃し、病状が悪化している野津純一に外出許可を与え続けました。いわき病院が野津純一の病状の悪化を察知して外出許可を一時的に与えなければ、一人で外出して犯行を行うことはあり得ませんでした。もしくは「付き添い付きの外出」に変更していたとしたら、野津純一は凶器として万能包丁を購入することもありませんでした。野津純一は「激情していた」ので、「イライラを何とかして欲しいと思い」そして、許可外出中に「誰でも良いから人を殺せば、アカシジアの苦しみ(激しいイライラ)から逃れられる」として、たまたま出会った矢野真木人を通り魔殺人しました。渡邊朋之医師の医療過失と野津純一による矢野真木人殺人には直接的な因果関係が存在します。

渡邊朋之医師は「12月6日に矢野真木人を殺害することまで予見できない」と主張しましたが、このような病院外における人物を特定してまで第三者の殺害を予見することは万人に不可能です。公共性がある精神科臨床医療では可能な対応をする責務があり、精神保健指定医としてまた精神科専門病院長として、当然行うべき、過去に他害歴がある統合失調症患者に「再度の(もしかしたら、重大な)他害行為を行う可能性」を予見した精神医療を行わなかったことは過失です。高度の予見可能性があった、野津純一の他害行為の結果として、矢野真木人は数ある偶然の中から特定されて殺害されました。渡邊朋之医師の医療過失と野津純一による矢野真木人刺殺の関係に因果関係の存在が明白であり、いわき病院の論理に妥当性がありません。

渡邊朋之医師は精神保健指定医に認定された精神医学の高度な専門家であり、アカシジアの副作用で苦しみ続けている患者の治療を放置すれば自傷行為(いわき病院は発見しませんでした)を行う怖れがあり、自傷行為を放置すれば他害行為に転換して、重大な事態を発生する可能性があることを、予見可能で、そして回避可能でした。また、予見して対処する事は、精神保健指定医としては、基本的な義務でした。

いわき病院は「外出許可を受けた精神障害者が十中八九の高い蓋然性で殺人という他害行為を行う確率があることを、被害者が証明できなければ、許可を出した精神科病院が責任を問われることがあってはならない」という論理を持っていました。これにより、いわき病院と渡邊朋之医師が野津純一に外出許可を与えるに当たって、「外出中に殺人行動をする可能性を容認していた」ことが明らかです。いわき病院の入院患者である精神障害者野津純一による、病院とは無関係な一市民である矢野真木人殺害は、いわき病院精神科医療の必然の結果です。

以下に、野津純一が矢野真木人を殺害する直前の状況を段階的に詳解します。

  1. 主治医の渡邊朋之医師は受け持ちの患者である野津純一に重大な処方変更(抗精神病薬の中断、パキシルの中断、アキネトンを中断して薬効がない生理食塩水に変更、ベンゾジアゼピン系抗不安薬の連続大量投与、パーキンソン症候群をパーキンソン病と誤診したドプス投与)をしていたにもかかわらず、いわき病院が公式に認めたところでは、処方変更日から事件までの13日間に一回しか診察をしておりません。渡邊朋之医師が事件直前の6日間に野津純一を診察した記録は存在せず、主治医は重大な処方変更後に行う義務がある経過観察をしておりません。

  2. いわき病院は野津純一に対して、第2病棟(アネックス棟)入院を許可した時に「院内フリー(病院内では自由行動で、ナース・ステーションでわざわざ許可を得なくても、病棟外の何処に行っても良い)」及び「外出許可」を与えており、精神保健福祉法で容認されている毎日の患者の病状の変化(症状の力動)に対応したきめ細かに行う短期的かつ臨時的な外出制限を行うことを考慮することもなく、患者である野津純一にエレベータの暗証番号を教えるなど、日中の患者の行動を自由放任としていました。いわき病院の第2病棟は患者野津純一の所在を確認する事ができない状態でした。

  3. 筋肉注射を受けた野津純一は酷く苦しんでいたイライラ、ムズムズ、手足の振戦に注射の効果がないことを知覚して、渡邊朋之医師がアキネトンの代わりにプラセボとして筋肉注射を指示していた生理食塩水を「本当にアキネトンか?」と疑う行動を見せました。しかし主治医の渡邊朋之医師は看護師が記録した一回限りの「プラセボ効果あり」の報告をどこまでも信じて、プラセボ試験中の野津純一を自ら診察することもなく、生理食塩水の筋肉注射を継続しました。
    渡邊朋之医師がアキネトン注射中断を指示した理由は、「退院すれば野津純一は自ら筋肉注射できない」と診療録に記述してありますが、そもそもパーキンソン病と診断していた渡邊朋之医師はドプスが有効でなかったため、「野津純一のイライラとムズムズは心気的」と解釈してアカシジア(パーキンソン症候群)と診断することを疑っていたことによります。渡邊朋之医師は事件後の平成18年1月に提出した12月のレセプトで遅ればせながら野津純一のアカシジア症状をパーキンソン病ではなくてパーキンソン症候群と訂正して、自らの診断間違いを認めておりました。

  4. アキネトンを中断された野津純一は、アカシジア症状が亢進して激しいイライラ、ムズムズ及び手足の振戦で苦しみましたが、渡邊朋之医師は患者を診察することもなく放置して、野津純一のQOL(生活の質)を著しく悪化させました。野津純一は事件の2〜3日前に顔面左頬と指の付け根にタバコの火を当てて皮膚を焼く行為(本人の弁では「根性焼き」)を行ったと述べました。事件前の2〜3日間、野津純一の顔面には火傷の瘢痕が生じておりましたが、いわき病院の医師、看護師及び作業療法士等のスタッフは誰も観察記録を残しておりません。ここに、激しく苦しみもだえていた野津純一が、いわき病院の医療、看護及びリハビリテーションから見放されていた状況が明らかになります。この状況を野津純一の診療録と看護記録を検討した複数の精神科医師は「その時の野津純一は、気味悪くて、近寄りがたい状態」と表現しました。

  5. 事件前日の12月5日に野津純一は37.4度の発熱をして感冒様症状を示しました。いわき病院は内科医師が風邪薬を処方した記録を残してありますが、当該内科医師は顔面を正視した記録を残しておらず(例えば、顔面を観察した記録が無く、根性焼きを発見しておりません)、診察が事実である信憑性に関して重大な疑義があります。
    「事件前、野津純一は『幻聴がある』と精神科スタッフに訴えて危険サインを出していた。院長に野津純一の異常サインを伝えたが聞き届けなかった」という内部情報(なお、当該異常を発見した精神科スタッフは第6病棟所属で、内科スタッフが中心の第2病棟職員でなく、本エピソードは看護記録に記載されてない)がありました。
    主治医渡邊朋之医師は慢性統合失調症の患者である野津純一に、いわき病院が本法廷に根拠文献として提出した統合失調症治療ガイドラインのP.104で、自殺企画や危険な暴力行為、攻撃行動の既往がある患者の場合は基本的に禁忌としている抗精神病薬の中断等の重大な処方変更を実行した後(いわき病院の公式回答では2週間前ですが、「1ヶ月余前から中断していた」という内部情報があります)、抗精神病薬は体内の脂肪組織に蓄積するとされており患者の個体差があるため、主治医は経過観察のために慎重に診察を継続する義務がありました。抗精神病薬を中断した後で、主治医が患者の診察を患者の病状の変化に対応して行わなかったことは過失です。渡邊朋之医師が人証で証言した「定期処方を中止し、頓服とトロペロン注射で対応すれば問題ない」は「症状悪化時のみ投薬を行う、間欠投与もしくは狙い撃ち療法は、再発防止の点では成功していない(同、P.107)」であり不適切でした。
    翌日の12月6日の朝10時に第2病棟の担当看護師は、野津純一の症状が悪化していることを認めて、外来診察室にいた主治医の渡邊朋之医師に、日常の場合に主治医に診察要請を伝える定型の事務的連絡方法を取らず、「わざわざ外来診察室に取り次いで緊急に診察することを要請」しました。
    渡邊医師はこの時、外来診察を一旦中断して、野津純一を診察するかしないかを考えた後に、診察をしない決定をしました。その際に「午後に診察するので病室で待機するように」という連絡を行わず、また「いわき病院長として他の精神科医師に診察を代行してもらう指示」も出しておりません。
    野津純一は主治医の渡邊朋之医師に「診察を拒否された」と理解して「先生にあえんのやけど、もう前から言ってるんやけど、のどの痛みと頭痛が続いとんや」という恨みの言葉を発し、その異例の言葉を看護師はわざわざ記録しました。看護師は「先生は午後には診察してくれますよ」と野津純一を慰める行動をしておりません。

  6. この時、野津純一の顔面左頬には根性焼きの瘢痕がありましたが、看護師は観察しておりません。このことは、12月6日朝10時の野津純一の状況は、看護師が「遠くから一目見て異常であると認識できる状態」であり、しかも「近寄ることをためらう様子」であったことを示します。この状況であれば、いわき病院は精神保健福祉法に基づいて、野津純一の短期的な外出禁止措置を行うことが可能でした。それにもかかわらず、いわき病院は野津純一が外出簿に記載するだけで外出許可を与えました。
    野津純一は検察で「病院の喫煙所が、私が外出したり寝ているところを見計らって誰かに汚されていた。私に喫煙をやめさせようとしている集団が悪質ないたずらをしている。今月に入って病室の隣のドアの開閉音が日中大きな音を立てて、更に怒りがかき立てられた。殺人の理由は、イライラ解消と、私が裁判にかけられれば、私の事件に関係あるものとして私の喫煙を邪魔していた集団が警察に捕まり、罰を受けることになる。12月5日と6日はいつにも増して喫煙所が汚れ、ドアの開閉がうるさく、私への嫌がらせと思いイライラしていた。事件の日の外出前は、自室と詰め所の中間(210号室前)で、はっきりと右方向から父親の悪口を言う声(幻聴)が聞こえた、前からイライラしているところに重なり、カチンと頭に来た。このため完全に逆上してしまい、イライラを解消するためには人を殺すしかないと思った」と供述しています。12月6日外出前の野津純一は、不快な幻聴の異常サインを発し、被害妄想の著しい亢進があり、イライラが頂点に達して逆上し、精神症状が最悪だったことは明らかです。しかし、第2病棟のナース・ステーションにいた担当者は野津純一の外出簿記録時の異常を察知しておりません。いわき病院が外出管理をしていなかったことは明白です。
    いわき病院から外出した野津純一は、近隣のショッピングセンターの100円ショップで万能包丁を購入しました。野津純一が包丁を購入した際に担当したレジ係は「左頬の生々しい瘢痕」を目撃しました。野津純一は店を出て、ショッピングセンターの駐車場を100メーターほど歩き、「イライラ解消のため、誰でも良いから人を殺す」として、最初に発見した矢野真木人の胸下を一撃して、出血多量で即死させました。

  7. 12月6日13時頃に野津純一はいわき病院内の自室に帰り、返り血がたっぷり付いた手を洗い、「ああやってしもた、俺の人生終わってしもた」とベッドの上で布団をかぶっておりました。渡邊医師は「その日は14時頃まで外来診察をしてその後、野津純一を病室に尋ねたが、本人は16時頃まで外出しており、いなかった」と事実に反する発言をした記録があります。いわき病院は野津純一の帰院時刻の認識を3時間も誤り、手と服に付いた返り血を発見しておりませんので、外出許可を受けた患者の帰院時の状況確認管理をしていないことは明白です。B第2病棟看護師長の「外出管理をしている」は虚偽証言です。
    渡邊朋之医師の「16時に帰院」という発言は、「診察拒否はまずい」と認識した「事後の事実訂正企画」です。野津純一はその日の午後は母親との面会も拒否しました。渡邊医師は「母親と面会していたので、診察を遠慮した」とも証言しましたが、自らの行動の説明に一貫性がありません。渡邊朋之医師が12月6日の午前中も午後にも野津純一を診察する意思を持たなかったことは明白です。

  8. 12月6日の午後から夕方には、いわき病院の近隣で殺人事件が発生したことがテレビニュースで大きく報道されました。野津純一は夕食を摂らず、夕食を勧めに来た職員に「警察が来たんか」と質問した事実があることをいわき病院は準備書面で認めました。いわき病院の第6病棟職員は「殺人犯人は、アネックスの野津やわ」と噂しておりましたが、その情報が渡邊朋之医師に伝えられることはありませんでした。
    12月6日夕食と7日の朝食を野津純一は摂りませんでしたが、いわき病院は野津純一の状況を観察せずに放置し、13時頃に外出するに任せました。野津純一は前日の犯行現場を事件当日と同じ服装で見に行き、その行動を取材中のテレビ局記者に発見され、警察に通報されて13時25分頃に身柄を拘束されました。この身柄拘束時の状況を撮影したテレビ報道映像によれば、野津純一の左頬には新旧の複数の瘢痕がありました。警察は、野津純一の身柄を拘束した直後に野津純一の左頬にある赤と黒(カサブタ)の瘢痕を撮影しました。
    いわき病院は「身柄を拘束された時に瘢痕があったのであれば、12月7日に病院を許可外出してから身柄拘束されるまでの間に、自傷したもの」と証言しましたが、赤色と既にカサブタになっていた黒色の瘢痕はわずか20分程度の短時間で形成されるものではありません。いわき病院の偽証は明らかです。

2、「治療期待権」訴訟ではありません


(1)過失賠償責任を求める訴訟

「いわき病院事件」訴訟は、いわき病院が「第11準備書面で行った」と主張した「治療期待権」訴訟ではなく、いわき病院と渡邊朋之医師の過失賠償責任を確定する訴訟です。いわき病院は「因果関係が否定される場合の医療行為の過失判断である」と主張しましたが、「いわき病院及び渡邊朋之医師の精神科医療と野津純一による矢野真木人刺殺には因果関係が存在します。


(2)、第11準備書面におけるいわき病院の錯誤

いわき病院が提出した第11準備書面には以下の通りの錯誤があります。いわき病院の主張には、一貫性が無くまた矛盾しております。そもそも、いわき病院が「治療期待権」と主張する論理が成立しておらず、否定されることが当然です。


1)、いわき病院の過失認定論の矛盾
  いわき病院は、自らの論理として「過失の認定には、一点の疑義も許されない自然科学的証明ではなく、経験則に照らして全証拠を総合的に検討は間違い」で、「本来的に自然科学的な証明が必要」と主張しました。しかし同じ第11準備書面で、最高裁の判断論理である「経験則に照らして全証拠を総合的に検討し、特定の事実が特定の結果発生を招来した関係を是認し得る高度の蓋然性を証明することであり、その判定は、通常人が疑いを差し挟まない程度に真実性の確信を持ち得るものであることを必要とする」を引用しました。

いわき病院は自らが否定した筈の「科学的確実性に裏付けられない経験則の論理」を最高裁の判断基準を持ち出して主張しており、論理矛盾です。このため、いわき病院は、「過失の要件のほか法的因果関係の要件も欠き」と主張することはできません。いわき病院は自らの錯誤と思い込みでしかない主張をひたすら強引に展開しているだけです。

いわき病院と渡邊朋之医師は、精神医学的知識に錯誤がある上に、現代の精神科医療で当然行われるべき最低限の医療水準を臨床医療で実現しておらず、また医師法及び精神保健福祉法で定められた医師及び医療機関の責務に違反しています。その上で、野津純一の病状の変化に対応した外出許可の管理を行っておらず、自傷行為を行っている精神病患者が他害行為を行う可能性について予見可能性があることを予見せず、外出制限をするなど回避可能性がある対応を取らなかった事により、殺人の因果関係が成立します。


2)、「いわき病院事件」の参考事例とはならない判例
  いわき病院が第11準備書面で引用した判例は、いずれも「いわき病院事件」の参考事例に該当せず、第12準備書面で引用した二事例も同様です。いわき病院は関係性が無い事例を持ち出して、あたかも「いわき病院事件」では原告側には提訴理由が存在しないかのような主張をしています。

いわき病院が第11準備書面で例示した判例は、「最判平成11年10月12日第三小法廷判決」と「最一判平成17年12月8日(第12準備書面の第2事例)」以外は、論理的に「医療過失や義務違反が存在する」ことを前提としております。これは「確かに医療過誤を行ったが、法的過失責任を問われるほど悪質ではない」といういわき病院の論理ですが、「医療過失の存在を前提としている」ことが極めて重要です。その上で、いわき病院が「いわき病院事件」で行った医療過誤の内容は極めて深刻であり、過失責任から逃れることはできません。


3)、非人道的かつ公序良俗に反する主張
  いわき病院は第11準備書面で、「統合失調症患者に抗精神病薬(プロピタン)を中止した過失」について、「抗精神病薬中止によって80〜90%の確率で(つまり10人中8ないし9人の患者が)本件(いわき病院事件)のような殺人行為に至るという客観的かつ科学的根拠が存在しない以上、これを本件(いわき病院事件)犯行と『高度の蓋然性』をもって結びつけることは到底不可能である」と主張しました。いわき病院が主張した高度の蓋然性とは、外出許可により外出する入院患者の十中八九が殺人する確率です。これには「殺人未遂や傷害などの他害行為は外数」です。そもそもいわき病院の主張は根幹から反社会的で許されない非常識な論理です。

いわき病院と渡邊朋之医師は、「そもそも外出許可中の精神障害者の80〜90%が殺人する高度な蓋然性を被害者が証明できなければ責任を問われることがない」と言う論理でいわき病院に入院中の患者に外出許可を与えていたものであり「外出中に何れかの患者が何れかの人間を傷害または殺害すること」は必然的に予見可能な事でした。いわき病院の精神医療で外出許可を受けた精神障害者による病院外の市民殺人事件の発生には、高度な蓋然性が成立します。


3、最高裁の判例について

いわき病院が今回提出した第12準備書面の二事例は「医療上の過失により生存期待権の侵害等を理由とする損害請求権が発生する事例」ではありません。


(1)、第11準備書面の問題

原告矢野はいわき病院の第11準備書面における主張に対しては平成23年2月3日付「意見書(矢野)−8」で詳細に反論してあり、以下にその概要を記述します。いわき病院は再度第11準備書面を持ち出しましたが、これにより、「十中八九の殺人の高度な蓋然性の論理は人倫の道に外れた主張である」と原告矢野から指摘されたにもかかわらず、反省せず、この非人道的な論理を「いわき病院事件」の判決で認定させることにこだわりを見せたことになります。


1)、いわき病院の精神医療の錯誤と過失に関する原告の指摘を歪曲した
  いわき病院は「いわき病院事件」に関していわき病院は過失に関する原告の主張として、以下の「各項目を個別に議論」して、「殺人事件が発生する高度の蓋然性は無い」と反論しました。

    (1) 統合失調症を的確に診断できなかった過失
    (2) 反社会的人格障害を診断できなかった過失
    (3) 統合失調症に抗精神病薬(プロピタン)を中止した過失
    (4) レキソタン(ベンゾジアゼピン系抗不安薬)を大量連続投与した過失
    (5) 処方変更の効果判定をしなかった過失
    (6) 効果がない社会復帰訓練を行った過失
    (7) 犯行当日に主治医が看護師から伝えられた野津純一の診察要請を
      拒否した過失
    (8) 患者管理上の過失
    (9) 「いわき病院事件」犯行日野津純一に単独外出を許可した過失

上述のいわき病院が行った過失は相互に連関しており、野津純一の病状が悪化している状況を見逃して、過失に過失を重ねたことで、飛躍的に他害(=殺人)の危険度を高めました。また、以下の重要な過失を削除してあり、原告の主張を歪曲しました。

    (10) アカシジア(イライラ・ムズムズ・手足の振戦等)の診断と治療を間違えた過失
    (11) 根性焼き(顔面左頬にタバコの火で自傷した瘢痕)を発見できなかった過失

2)、因果関係に関する法的主張の矛盾
  いわき病院が主張した「科学的に裏付けられた因果関係」と「訴訟上の因果関係の立証について最高裁判決のいう原則論」が矛盾しており、いわき病院が何を主張したいのか不明であり、そもそも主張の体を成しておりません。


3)、第11準備書面で例示した判例は不適当
  いわき病院が例示した9件の判例はいずれも「いわき病院事件」訴訟の参考とはならないものです。その中で7件では、論理的に「医療過失や義務違反が存在する」ことを前提として「相当因果関係は低く、民事裁判で過失責任を被告側に負わせる程度の高度の蓋然性は存在しない」、そして「過失があっても蓋然性が低いので、いわき病院は法的過失責任を負わない」と主張しました。「確かに医療過誤を行ったが、法的過失責任を問われるほど悪質ではない」といういわき病院の論理であり、「医療過失の存在を前提としている」ことが極めて重要です。いわき病院が証拠提出した論理はそもそも「野津純一に対する精神医療で過失があったこと」が前提でした。

残る2件の、「最判平成11年10月12日第三小法廷判決」は自己の喫煙と労働災害の問題であり、参考判例になりません。また「最一判平成17年12月8日」は第12準備書面でも取り上げられた事例ですが、患者を拘置所内診療所から専門病院に転送する判断の問題であり、精神科専門病院であるいわき病院には当てはまらない事例です。


4)、殺人を容認する「高度の蓋然性」という非人道的な屁理屈
  いわき病院は「80%以上の外出許可者が殺人する高度の蓋然性を証明しろ」と原告に要求しましたが、この要求は非人道的であり、かつ、公序良俗に反します。


(2)、第12準備書面の二事例

いわき病院が掲げた二事例は、いずれもいわき病院が野津純一に行った精神医療の錯誤と過誤を弁明する参考事例とはならないものです。


1)、最小判平成23年2月25日の事例
  当該事例では、被上告人は裁判で問題となった医療行為により死亡しておらず、生存期待権が侵害された事実はありません。また手術から発症まで9年が経過しており、「深部静脈血栓症(エコノミークラス症候群)の発症」と上告人Y2病院の治療を関連づけることに妥当性が疑われる要素があり、そもそも裁判を提訴することに疑問がありました。

「いわき病院事件」では、平成17年12月上旬に野津純一を診察する課題は、直前の11月に行われた主治医の処方変更に関連しており、いわき病院が責任回避できる客観的な状況はありません。


2)、最一小判平17年12月8日の事例
  当該事例は、後遺症の問題で生存期待権の侵害ではありません。また、当日が日曜日の早朝という特殊性を考慮すれば、拘置所医師の治療に過失責任を問うことはそもそも困難な事例でした。

いわき病院の問題は主治医が義務である処方変更の効果判定を行う診察を行っていないところにあります。拘置所医師は職務に忠実に診察と治療を行っており治療内容も妥当でした。病気を適切に診断できず、薬処方で錯誤を行った上で診察拒否をした渡邊朋之医師と同列の問題とはなりません。


3)、矢野真木人は生存期待権を抹消された
  「生存期待権の侵害等」の意味するところを「健康で健全な身体を維持する権利」と拡大して解釈する事も可能であると思量します。しかしこの場合でも、「死」と「生存」では波及的に意味するところが異なります。「いわき病院事件」は「健全な市民生活を行っていた当時28才で前途洋々の矢野真木人殺害」という重大な事実に基づく事案です。


(3)、医療水準が劣る医療機関からの
   転送判断の問題ではありません

1)、野津純一はいわき病院が退院をさせることを目指していた患者
  いわき病院が引用した二事例は、共に「患者をより医療水準が高い専門医療機関への転送が適切に行われなかったために医療過誤が発生した」という、より適正な医療を受ける「治療期待権」の請求です。平成23年の事例では「上告人Y2の病院から大学病院などへ」、平成17年の事例では「拘置所内診療所から外部の専門医療機関へ」でした。

野津純一が入院治療を受けていたいわき病院は、精神科専門病院であり、主治医の渡邊朋之医師は精神保健指定医であり、いわき病院が例示した二事例とは異なり「外部の専門医療機関に患者を転送する必然性がない医療機関と専門医」でした。

野津純一はK大学医学部付属病院からいわき病院に転送された経緯があり、更に、渡邊朋之医師はK大学でも長期的に継続して臨床精神医療に従事しており、精神科専門病院のいわき病院からK大学に再転送する必然性がありません。

いわき病院は香川県で最初に日本病院評価機構に認定された、香川県内では最優良という看板を掲げた民間精神科病院であり、野津純一により優れた精神医療を与えるために、他の医療機関に転送するという理由が成り立ちません。

そもそもいわき病院は野津純一に退院指導を行っており、事件直前の11月30日(旧12月3日)の診療録に「退院して一人で生活するには」と記述し、更に11月レセプトには「退院処方」の文言もあり、「転院ではなく退院させること」が前提でした。いわき病院は本件(いわき病院事件)は過失責任が問われる案件ではない、せいぜいで治療期待権が問われる程度の軽い案件」と主張したい一心から、根拠がない主張を展開しました。


2)、いわき病院の精神医療の問題を自白
  野津純一をいわき病院から高度な医療機関に転送する必然性があったのであれば、いわき病院の精神医療に問題があったことを、自ら証言したことになります。野津純一は事件当時にはいわき病院から他の病院への転送を要請しておりませんでした。また「いわき病院事件」裁判で、原告野津夫妻及び原告矢野夫妻は「野津純一を他の医療機関に転送しなかったことが問題」と主張した事実はありません。

いわき病医院が二事例をあげて、転送判断の問題に固執することは「自らの精神科医療が適切でなかったために過失責任を問われるべき事実があった」という自白です。


(4)、健全な「医療を維持増進する」という社会的な課題

いわき病院第11準備書面と第12準備書面でいわき病院が判例として提示した全ての案件に関して、提訴された医師及び医療機関を敗訴させることは適当ではありません。原告矢野は不幸な医療事例が発生した場合に、「患者側の請求が常に正しく、病院側が過失責任を問われるべき」というような、単純な理解をしておりません。

そもそも医療機関から治療を受ける前提として、患者側に軽重にかかわらず身体に機能不全や障害が発生していることが前提です。人体を巡る状況は全てが同一であることはあり得ず、人体の障害の診断と治療は統計的有意性の判断と経験則に基づく診断基準と治療技術で行われるものです。そこには、適切かつ最善の治療を行っても、不幸にして生命の救済を行えない場合があり得ます。全ての人間は最後には死で生命を閉じるという必然性が存在する以上、医療は常に死と隣り合わせです。

人間の死や回復不可能な人体の障害などの医療に過剰な責任論を求めることは、最大多数の人間に最低限の健康維持を普く保証するという医療行為を医師が安心して行えなくなる社会をもたらすことになり、公序良俗に反します。原告矢野は、いわき病院の例示した判例で「医療側勝訴を支持」します。しかしそれは、いわき病院と渡邊朋之医師が野津純一に対して行った精神科臨床医療が免責であると認めるものではありません。

いわき病院と渡邊朋之医師は基本的かつ基礎的な精神医療知識に錯誤と知識不足があり、野津純一に対して行った精神医療は統合失調症治療ガイドライン等が勧める医療から著しく逸脱し、禁忌事項を無視した医療で、その上で、数々の処方間違いを行っておりました。更に、患者の状況を診察する義務を果たしておらず医師法違反でした。そして精神保健福祉法に逸脱して異常を発症している患者の外出禁止をせず、適切に患者保護を行いませんでした。これらは、いわき病院と渡邊朋之医師の過失を証明します。


4、著しく不適切な以和貴会の精神医療行為

いわき病院及び主治医渡邊朋之医師が野津純一に行った精神医療は「当該医療行為が著しく不適切なものである事案」に該当します。いわき病院もこの考え方に同意して「過失責任が問われるべき場合」としております。その内容は最高裁判例と補足意見によれば以下を収斂したものであり、重過失が認められる場合、です。

  1. 「(医師の医療行為が)著しく不適切不十分な場合」
     (平成17年判決の島田裁判官の補足意見)
  2. 「医師の検査、治療等が医療行為の名に値しないような例外的な場合」
      (同判決の才口裁判官の補足意見)

いわき病院と渡邊朋之医師が野津純一に対して行った医療は「著しく不適切不十分な精神医療」及び「医師の検査、治療等が医療行為の名に値しないような例外的な場合」に以下の通り該当します。

  1. 医療知識の欠如と錯誤(精神保健指定医として許されないレベル)
  2. 患者無視(患者に説明責任を果たさず、患者の診察要請に応えない)
  3. 怠慢な診療姿勢(患者の意見を無視した、決めつけの、患者診察)
  4. 傲慢な態度(病院スタッフの意見を聞かず、過去の資料を参考としない)
  5. 無責任(問題が発生すれば、病院スタッフや患者の説明不足と責任転嫁)
  6. 診察拒否(重大な処方変更後に、患者の申告とスタッフの報告を無視)
  7. 人命軽視(患者が殺人することを容認した、不条理な論理)
  8. 法律無視(医師法と精神保健福祉法を無視・逸脱した精神医療を行った)
  9. 不正請求(レセプト不正請求を行った)

いわき病院は入院患者である野津純一に対して行われた精神科臨床医療は「著しく不適切不十分な医療」及び「医師の検査(CPK検査でアカシジアを診断した等)と治療等が医療行為の名に値しない場合」に該当します。いわき病院は入院患者である野津純一に対して入院医療契約で債務不履行を行ったものであり、過失賠償責任が厳しく問われなければなりません。


5、日本の精神医療の改善


(1)、外見的には「優良病院の優良医師」が引き起こした事件

いわき病院いわき病院は香川県で最初に日本病院評価機構に認定された精神科病院であり、矢野真木人殺人事件が発生した当時には香川県内で「最優秀の折り紙」が付いた民間精神科病院でした。いわき病院は国立K大学医学部付属病院から積極的に患者の転院を受け入れて、精神科開放医療を実践する、精神障害者の社会復帰と社会参加を促進する指導的な役割が期待された病院でした。

いわき病院理事長の渡邊朋之医師は、事件当時いわき病院長であると同時に、国立K大学付属病院精神科で外来を担当する医師です。渡邊朋之医師はK大学医学部で研修を受けていたのではありません。医学部付属病院で長期間に渡り継続的に外来診察業務に従事して、最先端医療機関である国立大学医学部付属病院で指導的役割を担い続けております。また、渡邊朋之医師は精神障害者の社会参画を推進する「SST普及協会」の主要役員である運営委員として指導的立場にあります(SST:Social Skills Training、社会生活技能訓練)。このように、渡邊朋之医師は日本国内で精神障害者の社会参加を促進する指導者たる「優良医師」の肩書きを持つ医師です。

矢野真木人殺人事件(平成17年12月6日)はいわき病院長渡邊朋之医師が主治医を務めていた野津純一がいわき病院から外出許可を受けて社会復帰の促進を目的とした許可外出中に引き起こした通り魔殺人事件です。事件は日本で精神障害者の社会参加を促進している団体の指導者が運営する優良病院が引き起こしたものでした。この精神科病院の活動は香川県も推進し、日本の精神保健福祉行政でも裏付けられた事業活動でした。

私たち原告矢野は「いわき病院事件」訴訟を提訴したことにより、日本の精神障害者の社会参加の施策を妨害するものとして、各方面から強い非難をあびてきました。そして「いわき病院と渡邊朋之医師の活動を妨害するのではなくて、矢野真木人が殺害された事件を速やかに記憶の外に出して、精神障害者の社会復帰に協力することが善良なる市民の勤めである」とも説得されてきました。私たちの訴訟に協力や助言をすることは、「人道主義者として活動している学者生命に傷を付けることになるので、協力することはできない」、また「そもそも原告矢野の行動は間違いである」とまで言われてきました。

「いわき病院事件」裁判の審議は丸5年を経過しました。その審議の過程で私たち原告矢野はいわき病院と渡邊朋之医師の精神科臨床医療は、入院患者野津純一の人権を無視して入院中のQOL(生活の質)の悪化をもたらしていた事実、国際診断基準(ICD-10、DSM-IV)と精神医学的な基礎知識に理解不足や錯誤があること、抗精神病薬やパーキンソン症候群治療の処方等で、精神薬理学的に非常識な処方間違いを行った事実、及び、主治医の渡邊朋之医師は重大な処方変更を行った後で患者の経過観察を行わず処方変更の効果判定を行わない医師法違反の精神科臨床医療を行っていた事実を解明しました。

いわき病院と渡邊朋之医師は、優良医療機関また優良医師という看板の下で、錯誤と過失ある精神科臨床医療を実践し、野津純一と保護者である原告野津夫妻に対して入院医療契約の債務不履行を行っておりました。原告矢野は「いわき病院と渡邊朋之医師に過失責任を確定して賠償責任義務を負わせることがなければ、日本の精神科臨床医療は改善しない」と確信します。

そもそも、いわき病院が優良病院と認定され、渡邊朋之医師が優良医師として日本の精神医学界で指導的役割を担うことに問題がありました。これらの問題を是正して、日本で精神障害者の自立と社会参加を真に促進する精神医療を確立するためにも、「いわき病院事件」訴訟には重大な社会的な役割があると確信します。


(2)、パレンスパトリエと医師の責任

いわき病院は「いわき病院事件」訴訟の初期の段階で、「精神医療ではパレンスパトリエの原則に基づくべきであり、患者に対するポリスパワーという強制は望ましくない」と主張しました。いわき病院はパレンスパトリエという言葉を用いることで、「医師による患者保護と治療の促進という原則の承認」を原告矢野に求めておりました。

原告矢野は「医師が誠実に適正な医療を患者に行うのであれば、パレンスパトリエの理念には賛同できる所が多い」と考えます。しかし、医師は万能かつ不可侵の創造主ではありません。医師の医療行為は、入院医療契約に基づく、患者と平等かつ対等な立場の業務請負契約です。医師は患者に対して説明責任があり、患者の人権を尊重しなければなりません。医師はパレンスパトリエを理由として「自らの怠慢を許す、詭弁の論理」としてはならないのです。渡邊朋之医師は不誠実で野津純一の人権を侵害しておりました。

私たち原告矢野の所に、複数の精神科医師から「いわき病院の事例は、珍しい事例ではない」という言葉が集まりました。また原告野津夫妻と協力して裁判を展開していることで、他害の可能性が極めて高い精神障害者を家族として世話している方々からも、「精神科病院が人権を尊重しない実態や精神医療に問題を感じていること」が情報として提供されます。精神障害者の人権を尊重する精神医療を実現することは日本社会の課題です。「いわき病院事件」裁判には、このための第一歩となることを期待します。


(3)、十中八九の殺人という基準

私たち原告矢野は、いわき病院が主張した「外出許可を受けた患者が、十中八九の高度な蓋然性で殺人することを原告が証明できなければ、許可を出した精神科病院に責任を問うことができない」という論理に驚愕しました。

いわき病院は第12準備書面で「第11準備書面において自ら行った主張の正しさ」を主張しましたので、「十中八九の殺人の論理の間違い」を認めておらず、むしろ「正しい論理」として再主張したことになります。

いわき病院は、自らが行ったこの非人道的な論理が持つ、重大な意味を認識しなければなりません。


(4)、日本の精神医療と精神科病院の健全な発展を願う訴訟

「いわき病院事件」裁判は、日本の精神医療に改善を迫り、誠実で適切な医療を精神障害の疾病を持つ全ての患者に実現することを目的にします。それは人間性を尊重する常識的レベルの医療で精神障害者の回復を促進して可能な限り多数に社会復帰を実現することです。それは決して不可能なことではありません。

「いわき病院事件」裁判を通して、いわき病院で野津純一に対して行われていた精神医療の現実を解明することで、日本で精神障害者の人権が損なわれることがない社会を実現する要石になる事を願います。精神障害と診断されても、心神を失うことではありません。精神障害であることは、自動的に他者の介入を受けることになり、人権が損なわれることではありません。精神障害者の自立と社会参加という方向性には、精神障害者に人権の保護と尊重を行う社会があります。

私たち原告矢野が「いわき病院事件」裁判を提訴したそもそものきっかけは、精神障害者である野津純一による市民矢野真木人の通り魔殺人です。矢野真木人は相手が誰であるかを承知せず、また自らの命が奪われている事実すら承知せずに他界したと思われます。これまで日本では精神障害者による殺人事件や放火事件が発生してもその原因が解明されることなく、犯罪を引き起こした精神障害者の治療実態が解明されることもありませんでした。「いわき病院事件」裁判を通して、「精神科病院に責任感がある精神科開放医療を促進することが、精神障害者と犯罪被害者の双方に利する」と確信するに至りました。

私たちには同じように「理不尽な家族の終末」を体験した沢山の遺族からも連絡が入ります。そして、犯人が罪に問われず、殺人事件の詳細な記録すら開示されない家族の深い悩みと失望が伝えられます。精神障害者による犯罪被害者は回復されることがない人権侵害を受けています。日本でこのような現実が放置されることは、非人道的であり、法治社会として不作為です。「いわき病院事件訴訟」を通して、原告矢野は日本が今日の国際社会で信頼を受けるに足りる法治社会として成長することを願います。



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