WEB連載

出版物の案内

会社案内

精神医療と過失責任
いわき病院が提出した証拠に対する意見


平成23年4月2日
矢野啓司・矢野千恵



6、処方変更の効果判定に関する事実関係

渡邊医師は11月23日から行った抗精神病薬の中断、パキシルの中断、抗不安薬の過剰投与、及びアキネトン筋肉注射を生理食塩水に変えた処方変更の効果判定を合法的に行っておりません。


(1)、処方変更の効果判定を行うべき期間
  野津純一は処方変更前には定型抗精神病薬プロピタンを処方されており、手足の振戦やイライラ、ムズムズなどのアカシジア(パーキンソン症候群)で苦しんでおり、それは薬の副作用でした。抗精神病薬を必要量以上に飲み続けると余りが体脂肪に蓄積します。このような患者に抗精神病薬が中断された場合に、中断と同時に再燃の症状は現れません。体脂肪に蓄積された抗精神病薬が徐々に血中に溶出しますので抗精神病薬の濃度は徐々に低下し適正な血中濃度となります。そして一定期間は抗精神病薬の効果が持続して病状は安定して更に薬の副作用が消える状態が発生します。そしてその後も抗精神病薬の中断が継続すれば、体内の抗精神病薬は不足して、統合失調症の再燃が現れます。

いわき病院は「抗精神病薬の中断は11月23日から」としておりますので、11月30日は断薬開始後8日目であり、この時期に病状の改善が認められていたとしても、処方変更の効果判定を終了できません。抗精神病薬を中断すれば、徐々に離脱(不穏などの症状)と統合失調症の再燃などの病状悪化が現れるとされ、処方変更の効果判定は一ヶ月以上の期間に執り行う必然性があります。断薬の場合、危険な状態は一ヶ月後から激しくなるとされ、抗精神病薬の中断を10月下旬に行っていたとしても、またいわき病院が主張したとおり11月23日からであったとしても処方変更の効果判定を慎重に行うべき期間であり、11月30日を精神科医師による最後の診断とし、12月6日の診察要請を拒否したことは過失です。特に渡邊医師はパキシル(SSRI)の中断を行っており、2〜3ヶ月は経過観察をする必要性があり、診察拒否を行えない状況でした。


(2)、プラセボ効果

ア、プラセボ効果はなかった
  A看護師が看護サマリーに記述した「プラセボにて効果みられていた」は意図的な弁明です。12月2日の看護記録にはL看護師が11時にプラセボの生理食塩水を筋注して、12時に「プラセボ効果あり」と記述してあります。その後15時30分には「手と足が動く」としてイライラ・ムズムズ時の頓服を要求しました。また深夜の23時30分にもイライラ時を要求しました。野津純一は12月4日0時には「又、手足が動くんです。注射はいいです」と効かないとして筋肉注射を拒否し、同日12時には生理食塩水を筋肉注射される時に「(表情硬く)アキネトンやろー」と確かめる行動を取りました。これらの事実から、野津純一に生理食塩水筋肉注射のプラセボ効果はありませんでした。A看護師は極めて短時間に限り見られた状況をあたかも「プラセボ効果が持続的に見られたかのように記述」しており、患者の状況を把握して客観的に記述しておらず、極めて意図的です。「プラセボにて効果みられていた」とする根拠はありません。更にいわき病院の看護師の観察を以てプラセボ効果の診断をしたと主張することは医師法違反です。

イ、主治医の診察義務
  渡邊医師は11月22日のカルテに「生食を3日間試す、無効ならアキネトンを」と記述しました。野津純一に12月1日から生食を筋注して、2日(金)12時は一時的にプラセボ効果があったかも知れない状況がありました。しかし12月4日(日)12時にはアキネトンであることを疑う仕草をしており、明らかにプラセボ効果はありませんでした。4日が日曜日であるとしても、統合失調症の野津純一に対して抗精神病薬を中断しておりましたのでいわき病院は渡邊医師本人もしくは精神科医師による診察をする義務がありました。また、遅くとも月曜日の5日には内科医師による診察ではなくて、主治医の渡邊医師本人が「生理食塩水を3日間試した後のプラセボ効果の有無を判断する診察」をする必然性がありました。いわき病院が「プラセボ効果があった」とする診断は医師により行われておらず医師法違反です。

ウ、抗精神病薬処方変更の副作用と考えない原因究明
  渡邊医師は2月16日のリスパダールからトロペロンへの処方変更後には野津純一の突然の病状の悪化を「感染性胃腸炎」と考えて抗精神病薬を変更したことを関連づけて原因追及を行いませんでしたが、リスパダールをトロペロンに変更したことが不調の原因であったことは明らかです。これと類似した状況は10月26日の「イレウスの疑い」というレセプト記録にもあります。イレウスは抗精神病薬の副作用として起こる腸管麻痺ですが、当日のカルテ及び看護記録では症状悪化と治療した記録はありません。11月23日からのプロピタン中断は矢野真木人殺人を誘発した直接的な原因でした。12月5日の風邪症状をいわき病院は36.7度の発熱を風邪症状としておりますが、抗精神病薬中断と関連づけた原因追及をしておりません。いわき病院はいとも簡単に抗精神病薬の処方変更や中断を行いますが、事後の患者の病状の急激な悪化を抗精神病薬の処方変更と関連づけて原因究明する姿勢がありません。

エ、インフォームドコンセント無視の精神医療
  そもそも、いわき病院が野津純一に「プラセボ効果」を試したことは、野津純一に説明と理解および承認と同意のない精神科臨床医療を行っていたという証明です。被告いわき病院では主治医及び担当看護師は、患者に対して義務であるべき説明責任(インフォームドコンセント)を果たさない精神科臨床医療を行っておりました。


(3)、非資格者の記録
  渡邊医師は薬事処方変更の効果判定では「金銭管理トレーニングの報告などを参考にした」と証言しましたが、平成17年11月23日から実行された処方変更を実行した期間に該当する記述は以下の通りです。

[記録−10]処方変更の効果判定の参考となった記録
ア、 作業療法記録 11月24日、25日
12月1日(看護記録では同時刻に病棟に居た)
イ、 金銭管理トレーニング実施記録 1月28日

野津純一が矢野真木人を殺害したのは平成17年12月6日で、渡邊医師が行ったカルテに残る最後の野津純一診察は11月30日でした。従って、11月の3件の報告は、渡邊医師の30日の診察の参考となり、12月1日の報告はそれ以後に渡邊医師が行った処方変更に関連した精神医療判断の参考資料となったことになります。看護記録によれば、処方変更後の野津純一の症状は12月2日まで一時的に改善した状況でした。現実に、12月2日の12時の記録には「プラセボ効果確認」の記述があり、いわき病院も処方変更に効果があった証拠と主張しております。このようなことを参考にすれば、非資格者の記録は、看護記録の範囲内のものでした。渡邊医師の弁明としては蛇足です。

なお12月1日の作業療法(スポーツ:フリースロー)記録は同時刻に野津純一が病棟に居たことが看護記録にあり、報告された内容の信憑性に重大な疑念があります。その上で、重大で本質的な問題は、渡邊医師が処方変更の効果判定を、処方変更した事実を知らされていない非資格者に頼るという違法な医療を行った医師法違反にあります。


(4)、薬剤管理指導
  薬剤師は薬事処方変更の効果判定を行う上では、精神科医師に次ぐ有資格者です。しかしながら、いわき病院は11月23日から実行した処方変更後の期間に係る薬剤師の報告書を提出しておりません。

ア、渡邊医師の間違った指導
  いわき病院のI薬剤師は野津純一に対して薬剤管理指導を平成17年6月に4回、7月に4回、8月に4回、9月に4回行いました。異様であるのは、10月には26日に1回だけ、そして11月には2日が最後で、野津純一に対する薬剤管理指導を行った記録が残されなくなっていたことです。

特に重要な薬剤管理指導報告は10月26日付けであり、そこには医師コメントが記述され、渡邊医師はI薬剤師に対して「野津純一の統合失調症という認識には問題があり強迫観念が強い患者である」として指導しました。その上で、渡邊医師は翌日27日のカルテに「ドプスを増やしてプロピタンを変更する」と記述して、「アカシジア症状にドプスを増薬して統合失調症に対する抗精神病薬の処方を見直す方針」を示しました。

10月に一回しか報告を書かず「不承不承しぶしぶの状態にあった」と推察されるI薬剤師は大きく突き動かされるものがあったのでしょう。I薬剤師の最後の11月2日の薬剤管理指導記録には以下の、渡邊医師の方針に反対する記述があり、その後I薬剤師は野津純一に関係する記録を残しておりません。渡邊医師は11月23日から抗精神病薬の中断等の重大な処方変更を行っており、担当薬剤師が重大な処方変更をされた患者に薬剤管理指導を行わず、記録を残さないことは本来職務上あり得ないことです。

[記録−11]薬剤師の渡邊医師に対する指摘
1)、 野津純一は副作用で抗精神病薬を飲まないことはないので、断薬しない方が良い
2)、 アカシジア症状にドプスを使っても効果がない
3)、 アカシジア症状に対しては抗ムスカリン剤(アキネトン、ストブラン等)を使う方が良い

イ、事件一ヶ月以上前からの報告停止
  渡邊医師はその後の処方で、ドプスを一旦増薬した後に、抗精神病薬(プロピタン)とアキネトンを中止しており、I薬剤師の助言を真っ向から無視した処方を実行しました。渡邊医師は11月23日から(内部情報では、事件の一ヶ月以上前から)薬事処方を大幅に変更しましたので、I薬剤師はこの時に薬剤管理指導を必ず行う義務がありました。I薬剤師が矢野真木人殺人事件の後で、11月3日(内部情報が言う『事件の1ヶ月以上前』と一致します)以後の薬剤管理指導記録を廃棄したのか、それとも全く行っていなかったのかは不明です。いわき病院薬剤師は渡邊医師が行った過失性が極めて高い薬事処方変更に連座することを拒否した可能性があります。しかしながら、薬剤師が「知らなかったことにしよう」もしくは「見ていない」と主張することは許されません。



7、被告いわき病院長の責任

渡邊医師は医師の裁量権を盾にしておりますが、精神医学的な錯誤および不作為の怠慢による不誠実で不適切な精神医療を免責にしてはなりません。


(1)、渡邊医師の無責任医療

ア、患者を診察しない病院長
  いわき病院の複数の看護師は「院長は主治医として受け持つ患者さんでもめったに診察しない」、「患者さんの家族が事前に相談を予約していても、長時間待たせることが普通で、その間製薬メーカーの営業マンと雑談をしており、不真面目でした」、また「院長に患者の状況悪化を報告すると院長のプライドを傷つけしかられる」と発言しました。渡邊医師は処方変更を11月22日に決断して23日から実行したと主張しますが、その後事件発生までの2週間で診療録(カルテ)に残る診察は11月30日(旧12月3日)一回だけでした。また12月には7日まで一回も野津純一を診察しておらず、12月6日には前回の診察から6日目の火曜日朝10時に患者からの診察要請が看護師を通して取りつがれましたが診察拒否をしました。渡邊医師は本人の同意と理解無しに抗精神病薬やパキシルやアキネトン等の中断をしておきながら、患者の状況の変化を観察しませんでした。

イ、病院長の医師法違反
  主治医の渡邊医師は野津純一の病態を錯誤して、統合失調症を的確に診断せず、反社会的人格障害を診断しませんでした。また抗精神病薬の副作用であるパーキンソン症候群(アカシジア)をCPK値が低いことを理由にして「アカシジア」ではなく、「パーキンソン病」もしくは「心気的」と決めつけましたが、事件後に最終的にレセプトの傷病名で「パーキンソン症候群」と変更しました。また本裁判で渡邊医師は渋々ですが統合失調症を認めました。渡邊医師は精神保健指定医という高度な精神医療の専門家です。そのいわき病院理事長は主治医として患者を適確に診断できず、また治療薬の選択で不適切で無謀な錯誤ある処方を行いました。

病院長で主治医の渡邊医師は慢性統合失調症の野津純一に対して抗精神病薬の中断という重大な処方変更を行いましたが、いわき病院では主治医に対して他の医師の協力がなく、薬剤師は職務放棄を疑われる状況でした。野津純一の担当A看護師も患者の毎日の状況変化をきめ細かく観察した記録を残しておりません。渡邊医師は主治医として「金銭管理指導などの(無資格者の)報告を参考にして処方変更の効果判定をしたと証言しますがその報告は処方変更後の一週間に限られ、また処方変更を行ったことを教えられてない者の目的外の報告です。更には事件から最新の12月1日の作業療法報告に関しては作業療法を行っている時間帯に野津純一は病棟にいたことが看護記録に残されておりますので、提出された証拠は事実であると認定することもできません。重大で、本質的な問題は、いわき病院は資格外の者が記録した不確実な証拠を持ち出して医師法違反の自己弁明をしたところにあります。


(2)、勤務医の助言を聞かない病院長
  渡邊医師はスタッフの助言に耳を傾けない医師です。主治医を平成17年2月14日に交代した直後に渡邊医師は、野津純一が苦しんでいた「イライラ、ムズムズ」および「手足の振戦」をアカシジアと診断することを疑いました。21日には「CPK検査を指示」しましたが、その日の夜間勤務のG医師は「アカシジアを抑えるアキネトンの筋注」を指示しました。更に23日にはH医師は「足がムズムズしてじっとしていられない」と観察して「アカシジア(+)」と診断しました。しかし渡邊医師は24日に「アカシジアにしてはCPK値が低い」とカルテに記述し、二名の医師がアカシジアと指摘した症状を「アカシジアではない」と結論しました。しかし渡邊医師が根拠としたCPK値はアカシジアの診断とは無関係な医学的検査データです。渡邊医師は8月15日に「パーキンソン病」と診断して、11月30日(旧12月30日)には「心気的」としましたが、野津純一が身柄を拘束された直後の12月7日に「ドプスの投与」を再開しましたので、パーキンソン症候群(アカシジア)と診断せずに「心気的でなければ、パーキンソン病」と確信していたことになります。ところが最後にどんでん返しがあり、いわき病院が毎翌月10日期限で提出するレセプトの記述では、11月分までは「パーキンソン病」の傷病名が12月分では「パーキンソン症候群」に変更されておりました。渡邊医師の過失はいわき病院に勤務する他の精神科医師の助言や診断無視に発します。

(3)、薬剤師の離反
  I薬剤師はドプスを野津純一に処方することを疑い、10月26日の薬剤管理指導報告書に、野津純一は「コンプライアンスがよい患者」と記述しましたが、渡邊医師は「統合失調症の診断には疑いがある、強迫観念が強い患者」として「薬の作用副作用の認識には、本人の思い込みがある」ので「I薬剤師は認識を改めるように」と指導しました。渡邊医師は翌27日には「ドプスを増やしてプロピタンを変更する」と、「統合失調症ではなく強迫神経症でパーキンソン病の症状である」という診断を記述します。11月2日にI薬剤師は「アカシジアの症状」と明記し、「ドプスも最初は効いたように見えたが、2〜3日で効かなくなった」と指摘しました。I薬剤師は11月3日以後野津純一に関する薬剤師の記録を残しておりません。一連の経過から明らかなことは、渡邊医師はI薬剤師の意見を頭から否定して、誰の目にも明らかに誤診としか判断できない、自らの診断と方針を押しつけておりました。その結果、I薬剤師は渡邊医師の余りにも非常識な処方変更に接して、報告を書き残さない対応をしたと推察されます。

(4)、病院スタッフの離反

ア、スタッフをしかる病院長
  私たちが事情聴取した被告いわき病院の複数の看護師は「院長先生は患者の状況を診察しない」、「院長先生は昼間の患者を診察しないで、夜間に寝ている姿を見ながら処方をするので、処方間違いが多い、その場で訂正してもらわなければ、間違いが一週間以上継続する」、そして「院長先生は、スタッフの助言を聞かない。看護師が『野津さんの様子がおかしい』と伝えても、『医師なのに気がつかない』と注意されたように思ってプライドが傷つきスタッフをしかりつけて、聞いてくれない、それで『アネックスのことは、院長の趣味の世界なので』と誰もかまわないようになった、野津さんは放置されていた」と説明しました。渡邊医師は処方変更の効果判定は「金銭管理トレーニングなどのスタッフの報告を基にして行った」と主張しましたが、スタッフは「報告しても聞いてくれない、直接報告したらしかられる」と観察しておりました。

イ、報告書を書かないスタッフ
  渡邊医師の基本的な問題は、職員の助言を聞かないことです。このため、いわき病院職員は野津純一に関する報告作成を渋った様子があります。野津純一担当のA看護師は、野津純一に処方変更した後では直接の看護を行っておらず、看護サマリーも事件後に2ヶ月以上を一括して書きました。金銭管理トレーニング報告も月次報告で、処方変更後に限定した報告書ではありません。そもそも処方変更後にいわき病院の医師や薬剤師の有資格者は野津純一に近寄らず、担当看護師は直接の接触を避けました。そして正確な状況を知らされない作業療法士等の報告を効果判定の参考にしたと主張しました。


(5)、思い込みが激しい渡邊医師
  渡邊医師は野津純一を診察しても野津純一の状況を正確に観察しておりません。渡邊医師は野津純一を「統合失調症ではなくて強迫神経症」と診断し、アカシジア(パーキンソン症候群)をパーキンソン病と誤診しました。渡邊医師に「誤った思い込み」があったために、自分自身が間違いをしているにもかかわらず「なかなか説明しても」などと記述して、野津純一の認知機能が低い証拠にしました。渡邊医師は「プラセボを試す」と記述しましたが、これは「患者に対する説明責任を果たしてない」という証明です。事実野津純一は12月2日の看護記録で「薬が変わってから、調子が悪い」また「先生が、薬を整理しましょうと言って一方的に決めた」と主張しました。このような記録を看護師が書き残したことは、異常の発生と危機の予兆を看護師が感じていた証拠です。野津純一は精神障害者ですが、自ら飲む薬には高い関心があり。薬剤師によれば「コンプライアンスが良い患者」です。その野津純一が薬剤の効果に問題があることを説明しても、それを野津純一の妄言として主治医が断定するのであれば、患者と医師の信頼関係は向上するはずがありません。渡邊医師が抗精神病薬を中断した後で、野津純一が殺人事件を思い立つには、渡邊医師の野津純一無視と診察希望拒否、そして野津純一が絶望し見捨てられた思い等が、最後の抑止力が崩壊した原因となったと思われます。

渡邊医師は不勉強な医師であり、精神医学的な知識には沢山の間違いがあります。その上で、渡邊医師は主治医であるにもかかわらず、受け持ちの患者の病状の変化に対応した必要とされる時に診察しません。渡邊医師は野津純一の薬に対する反応を持続的に観察せず、渡邊医師の間違った期待に沿うスタッフの迎合的な意見を採用して、診断を下しました。特に問題であるのは、野津純一本人が「薬は効かない」とか「副作用が強い」等の意見や感想を述べた場合に「妄想」等と断定して野津純一が伝える症状を無視したところです。渡邊医師は結果的に処方間違いを認めた場合でも、診断が遅れたために野津純一の苦しみを徒に増幅させ、患者の生活の質(QOL)を悪化させました。



8、いわき病院の社会的責任

私たちは日本で精神障害者の社会復帰を促進する健全な精神医療が発達することを願い、そしていわき病院が真に人権を尊重して精神障害者の自立を促進する医療機関になる事を願い、裁判に臨んでおります。


(1)、入院医療契約の債務不履行
  精神症状は力動して状況が常に変化と変遷するものです。いわき病院は処方変更後の野津純一の一時的に好転した状況を観察した無資格者の報告に依存して主張しましたが、自ら診察しておらず違法な根拠で、あたかも処方変更に効果があったかのように主張しています。そして、状況が悪化した報告があっても、無視しました。主治医は患者の症状の変化を観察せず診察をしませんでした。それは入院医療契約の債務不履行です。また患者が悪化した状況を診察せず治療をしないのでは医療倫理にもとります。いわき病院いわき病院は精神科専門医療機関です。そして主治医渡邊医師は精神保健指定医です。その精神医療で重大な処方変更を行ったにもかかわらず、医師による経過観察と診断を行っておらず、重大な義務違反です。

(2)、精神保健福祉法の「開放治療の制限」違反
  野津純一が行っていた根性焼きの自傷行為をいわき病院が発見せずに、外出許可を見直さず、野津純一に自由な外出を行わせていたことは、精神保健福祉法が規定する「開放治療の制限」に違反します。

(3)、不真面目な精神医療は許されない

ア、誠実で正直な精神医療
  私たちは「精神科医師に過失責任を問うことは許されない」、また「精神科医師に過失責任を問えば、精神医療の発展を阻害して、日本の精神医療は荒廃する」と批判されてきました。その批判には建前として医師は誰も「誠実である」また「正直である」という暗黙の前提があるのではないでしょうか。

私たちは精神科医師の多数は真面目でまた正直に可能な限り多数の精神障害者の寛解と社会復帰を願い誠実に医療に励んでいると信じます。しかし、いわき病院の精神科臨床医療で明らかになったことは「錯誤があり不誠実な医者」が精神科医療の不可侵性という大義名分の下で人間の生命と尊厳を守らない医療を行っている現実でした。このような精神科医療機関及び精神科医師には責任を問わなければなりません。精神医療に客観的なデータが殆ど無いことに安住した精神科臨床医療の怠慢と荒廃は許されません。それでは精神科開放医療が社会の支持と賛同を得て発展することを阻害します。

イ、渡邊医師に問う専門医の良心
  私たちは渡邊医師に、精神保健指定医としての良心を問います。渡邊医師には「的確な医療判断」を果たしておらず極めて遺憾です。人間の判断には誰しも間違いがあります。しかしその場合「過誤を直ちに認め、改める姿勢」があれば、過失の連鎖反応は発生しません。また、過去を教訓にして改善をすることが期待できます。非常に残念なことに、渡邊医師は誤診をしたことを認識せず、過失を拡大しました。そして、主治医として患者の治療責任を果たしておりません。渡邊医師に過失責任が問われなければ、何をしても精神科では許されるとして精神医療の荒廃が拡大することを懸念します。

ウ、以和貴会に問う社会責任
  私たちはいわき病院に病院経営の姿勢を糺します。いわき病院には「院内の医療、看護関係者の連携の場つくり」及び「病院をとりまく地域住民の、信頼と貢献で成り立つ医療の場つくり」を行う再建を期待します。「全生活を病院に託している入院患者が地域住民を殺傷する事件・事例で病院の責任が問われないことはおかしい」ことです。いわき病院には地域社会に責任を果たす病院経営を期待します。地域社会の信頼と安全を保証できない病院は、心ある経営者・院長に人員を刷新して出直さなくてはなりません。いわき病院の再建は現在の経営者を温存して現在の病院体制を維持することではありません。いわき病院に責任を問い、病院経営の改革を迫ることが、日本の精神医療を改善する展望に繋がります。



9、法治社会と精神医療

全ての国民は、精神障害のあるなしにかかわらず、平等であり、自由が約束されて自然の生命を全うする権利があります。国民は全員、善良な市民として、公序良俗に従って人権を尊重されることが原則です。


(1)、十中八九の殺人率の論理の非人道性
  いわき病院は「外出許可を受けた精神障害者が10人中8人以上の高い蓋然性で殺人することを原告が証明できなければ、外出許可を出した病院に責任が問われてはならない」と主張しました。これは「精神障害者が十中八九の確率で殺人することを証明しろ」、また「10人中7人までの殺人頻度であれば、理由の如何を問わず、外出許可を与えた精神科病院には一切の責任は無い」という極めて非人道的な主張です。

私たちはこの主張に大変驚きました。通常このような人命に関わる人道的また倫理的な問題に関連した弁明が行われる場合には、価値観や論点のすれ違いから、明確な形ではどちらの主張が正しいのか、一見しただけもしくは単純な論理では、分からない主張が行われるのが普通です。ところが、いわき病院は不可抗力など、情状酌量を求める主張ではありません。いわき病院の主張は大前提として「外出許可者による殺人事件の発生を容認」しており、いわき病院は正面から殺人事件の発生を大前提として外出許可を与えていた事になります。そもそも殺人は許されない行為です。精神障害があるなしにかかわらず、何人であれ、社会生活を行う以上は、他人の生命を尊重することが基本原則です。


(2)、確信犯のいわき病院
  いわき病院が「十中八九の殺人率でなければ責任は無い」という論理を主張したことは、いわき病院及び渡邊医師は「外出許可者が市中で殺人することはあるが、それは10人中7人以下の割合だから、病院の責任が問われてはならない」と確信して外出許可を出していたことを証明します。そして、渡邊医師は無謀な慢性統合失調症患者に対する抗精神病薬の中断を行っていても、処方変更後の経過観察を自らきめ細かく行わず、無資格者の観察に頼り、その上で患者から診察要請があっても診察拒否をしました。それは「殺人事件が発生しても、十中八九の殺人危険率を証明できない」と高をくくり、確信していたからです。これは社会が受容してはならない基本的人権を冒涜する論理です。

(3)、人命の犠牲を前提とする社会論理はない
  いわき病院は原告に対して「外出許可者10人中8〜9人以上が殺人する蓋然性の証明」を要求しました。このことは、本裁判を通して「外出許可と殺人頻度に関した社会が容認する明確な基準を造りなさい」と主張しているに等しいことです。このような人命の犠牲を前提とした主張は、いわき病院の人道無視の医療倫理を証明します。

いわき病院の元看護師はいわき病院における人命損耗の実態を表現して「いわき病院内で働いていると、人命軽視におそれを抱きます。看護師である自分にも、いつ何時殺される順番が回ってくるか分からない状態でした。それは『必ず誰かが犠牲になる、ロシアンルーレットゲームをしているようなもの』で、いわき病院では患者さんでも、職員でも、人命の危険が高い実態でした。野津さんが外出中に矢野真木人さんを殺したのは、必然の巡り合わせでした」と述べました。「10人中7人までの殺人であれば、いかなる場合でも法的な責任を問われることはない」という論理がもたらした現実は、患者である精神障害者、治療に当たる医師や看護師などの病院スタッフ、更には外出許可中の患者と知らず街頭で出会う一般市民の生命を犠牲にすることを容認する精神科臨床医療です。


(4)、この場に及んで逃げられない
  いわき病院は、「とんでもない主張の勇み足」に気づいて、今後「十中八九の殺人率」に関する主張を取り下げる可能性はあります。しかし、その場合でもいわき病院が過去の最高裁以下の判例を持ち出して「十中八九の殺人率でなければ病院に責任は無い」と主張した事実は残ります。いわき病院は論理の取り下げを行う場合には、新たな論理と証拠を提示しなければなりません。主張してみたけれど都合が悪くなったので、取り下げれば終わりとはなりません。発言した責任は消滅しません。

他方、いわき病院が「十中八九の殺人率でなければ法的無責任」の論理を貫く場合はその論理が「精神医学界の指針」、もしくは「厚生労働省の行政指導指針」さらには「国際的な論理・倫理基準」等に合致していることを自ら証明する責任があります。


(5)、精神医療の責任意識
  いわき病院は患者である野津純一の診断を適切に行えず、間違った診断をして、更には慢性統合失調症の患者に対しては行ってはならない抗精神病薬等の中断という重大な処方変更を行いました。主治医は経過観察を自ら行わず、無資格者の報告を元にして薬事効果判定を行ったと主張しましたが、医師法違反です。野津純一が病状の悪化に耐えかねて主治医の診察を求めても拒否しました。いわき病院は「十中八九の殺人頻度でなければ過失責任は無い」と主張しましたが、精神医療の怠慢が原因で殺人事件が発生しても責任を取る必要は無いという論理です。いわき病院に過失責任を負わせることが、精神医療発展の基礎となります。

野津純一の治療では本人の病状と体質に最も適合した抗精神病薬を見出してその至適用量を決定して、副作用が最も少ない薬事処方を見出すことが渡邊医師に期待された職責です。渡邊医師は他の医師が処方したリスパダールを病院長の面子から否定して、最終的に抗精神病薬を中断したうえで、その後の経過観察をおざなりにしました。渡邊医師は野津純一本人の希望と証言も渡邊医師の考えと沿わない場合には「妄想」や「不気味な現象」として退けました。これでは野津純一の精神の自立を約束して、本人の個性と病状に最も適合した療養生活を提供することは不可能です。このような無責任な精神科臨床医療は放置されてはなりません。野津純一は1級の障害者手帳を交付されかつ国民障害年金1級の認定を受けた精神障害者です。いわき病院には野津純一の病気の軽減を促進して、社会の中で安寧の人生を全うすることを約束する精神科臨床医療を実現するべき責任がありました。


(6)、IF(もし・ならば?)
  過去の事件に「もし」はありません。過去を悔やんでも仕方が無いことです。しかし、過去を教訓として問題点と課題をあぶり出して、未来の教訓とすることは大切です。

もし、いわき病院が野津純一の外出許可を12月7日に見直して、外出させず、野津純一が外出中に身柄を警察に確保されなかったとしたら、野津純一は重度の精神障害者であるとして精神障害の治療を優先して身柄をいわき病院に止めおかれたまま、矢野真木人刺殺事件の捜査は行われた筈です。そして、その後の刑事裁判の判決と民事裁判の展開が異なった可能性が高いでしょう。いわき病院に取って「12月7日に野津純一を外に出さなければ」は悔やんでも悔やみきれない「IF」であると推察します。

しかしいわき病院がスタッフの観察と意見を汲み上げて、患者の病状の変化に時を失わずきめ細かく対応する、精神科医師と病院スタッフが有機的な協力関係を維持する精神科病院であるならば、そもそも矢野真木人殺人事件は発生しなかったでしょう。渡邊医師が主治医として責任ある精神科医療を行っておれば、外出許可者による市民に対する通り魔殺人事件は発生しません。精神科開放医療を促進して精神障害者の社会復帰を促進することは可能です。しかしそれは、精神科医療に責任を問わないことではありません。責任ある精神医療を促進すれば実現可能な目標です。

刑事裁判で野津純一に懲役25年が確定した頃に「渡邊院長が『民事訴訟問題は解決した』と院内で吹聴している」と内部通報者から聞きました。もしかしたらいわき病院の「IF」の可能性として「原告が矢野で無ければ」があるかも知れません。私たちには様々な意見が寄せられます。いわき病院の患者さんや家族から、精神医療に対する不安や不満の声がありました。一般の精神障害者からも連絡があり、精神医療の中で体験した苦しみと自らの人権を否定された思いなどの訴えがありました。また精神障害者の家族からは、自宅に帰された精神障害者に命を奪われそうになった窮状や、その哀れな家族が精神科病院内で受けている処遇が人間として惨めであり、進むもならず下がるもならずのやるせなさが生きている限り続く諦めの現状が伝えられます。更には、精神障害者に家族を殺されて、犯人が心神喪失者等医療観察法で罪に問われなかった遺族からも悲痛の声が届きました。この場合、社会から何の救済もありません。理不尽に命を奪われた不幸を嘆くだけで、不幸はそれに終わらず、深すぎる悲しみが次なる不幸を誘引した事例があります。

「精神医療の不始末に基づく被害に対しては誰でも責任を問うことができて、受けた被害から救済される社会であることが人道的な社会である」と確信します。精神障害者を取り巻くどの立場に立っても、現状が改善されることを願う切実な声が沢山あります。


(7)、法治社会と精神医療
  いわき病院は「この裁判で被告に不利な判決がでれば精神科医になる人がいなくなる」と主張しました。特にその裏付けとなる論拠が示されているわけではなく、法治原理からは理屈にならない主張であると退けるしかありません。いわき病院がこのような主張をした背景には、「この1点の情状酌量に賭けるしかない」との判断があるのかも知れません。日本は今日の国際社会の中で信頼されるべき責任ある法治国であるはずです。本裁判では、被告側のこのような主張に惑わされることなく、明確にされた事実関係に基づいた適正な判断が示されるものと期待しています。そのことが、日本の精神医療のレベルアップに貢献し、精神治療を受ける患者とその家族の救済につながると同時に、現在の日本社会を悩ませている精神異常者による凶悪犯罪の多発から社会を守る一助となることを確信します。



   

上に戻る