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精神医療と過失責任
いわき病院が提出した証拠に対する意見


平成23年4月2日
矢野啓司・矢野千恵



5、渡邊医師の精神科臨床医療

渡邊医師はいわき病院理事長兼いわき病院長で精神保健指定医に認定された高度な専門医です。その渡邊医師は精神医療の専門知識が不足し錯誤が多いもので野津純一は被告渡邊の処方が原因で苦しめられておりました。渡邊医師は受け持つ患者の声を聞かず、真面目に誠意を尽くす医療を行っておりません。患者が主治医の処方が原因の副作用で苦しんでいるのを放置して診察しない医療は赦されてはなりません。

[記録−5]渡邊医師の治療と病状悪化
2月14日 F医師の最後の診察    Stable (順調)
渡邊医師は「主治医交代時に病状は一時的に改善していた」ため、統合失調症の診断を疑った。(統合失調症を疑うほど改善していた)
2月15日 渡邊医師は野津純一に「幻聴、思考奪取、強迫、不可思議」を診断した
2月16日 リスパダールをトロペロンに変更
2月17日 意識消失発作
2月20日 外泊帰宅中に病状が悪化して帰院して渡邊医師の診察を受けて、(ブドウ糖液、嘔気止め、抗菌剤)の点滴を受けるが病状は改善しない。渡邊医師は胃腸の感染症と考えて、トロペロン副作用を疑わなかった
2月21日 渡邊医師は野津純一から眼症状(光が反射して変)の説明を聞いたが、野津純一の妄想的解釈として、トロペロン副作用の可能性を考えない。
看護記録に「(当直)GDrより、不眠時頓服で効果なければアカシジアを抑えるアキネトン1A筋注の指示有り」との記述
2月22日 野津純一は足のムズムズの原因としてトロペロンを疑う。渡邊医師はリハビリテーション連絡カードで「膝関節炎」病名でリハビリ指示
2月23日 H医師「アカシジア(+)」トロペロンを停止「リスパダール」に変更
2月24日 野津純一の症状は劇的に改善した
2月25日 渡邊医師、リスパダールを追認「薬はトロペロンよりリスパダールの方が安心するらしい」、しかし「アカシジアにしてはCPKの値低い」と誤診
2月28日 渡邊医師「トロペロンで光を反射してセレネースと同じになる」としてトロペロンの選択間違いを認めた

(1)、主治医を交代した直後の野津純一の病状悪化(悪夢の2週間)

ア、主治医交代時の病状は良好
  野津純一の主治医はいわき病院に入院した平成16年10月1日から平成17年2月14日までF医師が務め、最後の診察を14日朝10時に行い「Stable(順調)」と結びました。渡邊医師は同日17時に主治医を交代し、「主治医を交代した時には、一時的に改善していた」と一時的という限定語を差し挟みましたが「良好」と認めました。

イ、急速に病状悪化
  「良好」であった野津純一の病状が急速に悪化したきっかけは、主治医交代2日後の2月16日朝10時のF医師のリスパダール定期処方に対して、渡邊医師が18時に診察して抗精神病薬をトロペロンにした処方変更でした。野津純一は翌日の17日(木)には早くも意識消失発作(レセプト及びカルテの傷病名記載)を起こし、また2日後の18日(金)は主治医交代後初めての「イライラ時」を早朝の4時30分に硬い表情で要求しました。この病状悪化に対して、処方変更をした直後で金曜日であるにもかかわらず、主治医の渡邊医師は対応しませんでした。同日野津純一は予定通り外泊許可を得て、父親と共に15時に帰宅します。そして、19日(土)は調子が悪く、20日(日)の朝8時50分に「調子が悪いんで帰ってきました」と帰院しました。渡邊医師は日曜日の夜21時に診察し緊急の対応で「KN-3B 200ml(ブドウ糖液)、プリンペラン1A(嘔気止め)、エルパシン2A(抗菌剤)」を点滴して胃腸感染症として治療しました。渡邊医師は病状悪化の原因を抗精神病薬をリスパダールからトロペロンに代えたことと連動しておりません。

ウ、渡邊医師は病状悪化に対応できなかった
  2月21日(月)(主治医交代7日目)の野津純一は深夜の1時30分に頭痛を訴え、朝7時と10時にも調子悪いと訴え、朝食を取りませんでした。主治医の渡邊医師が診察したのは15時で、野津純一が「光が反射して変です」と状況を訴えたことに対して「妄想的解釈多い」と診断しました。同日渡邊医師はCPK検査を指示し、臨時処方として引き続きトロペロンを処方しており、野津純一の急速な病状悪化の原因として、抗精神病薬を非定型のリスパダールから定型のトロペロンに変更したことと関連づけておりません。渡邊医師は再び「KN-3B 200ml、プリンペラン1A、エルパシン2A」の点滴を指示し内科的処置をしましたが、野津純一の嘔気は改善せず、夕食を取らず、イライラ・ムズムズ及び頭痛に苦しみ続けました。渡邊医師は前日に引き続き野津純一の病状悪化に対応できませんでした。

エ、G医師のアカシジア診断
  同日(21日)夜間対応のG医師はイライラとムズムズで苦しみ続ける野津純一を診察して「アカシジアである」として「アキネトンの筋注を指示した」と看護記録にあります。

オ、野津純一はトロペロンを疑った
  2月22日(火)(主治医交代8日目)の野津純一は摂食できる程度に改善しましたが、朝からムズムズ時の頓服を三回も要求しました。野津純一は引き続いてムズムズに苦しみますが、主治医の渡邊医師は25日(金)(主治医交代11日目)の18時30分まで、苦しみ続ける野津純一に対して丸4日間も主治医の責任を果たす対応をしませんでした。渡邊医師は主治医であるにもかかわらずまるで治療を放棄したかのような状況でした。

野津純一は22日に薬剤管理指導を受けた際に「薬が変わって処方されたトロペロンはどのような薬か」と質問しており、病状悪化の原因を「トロペロンの可能性が高い」と理性的に推理していた証拠です。主治医の渡邊医師は前日の21日に野津純一の「妄想的解釈」と否定的な診断をしておりました。主治医の渡邊医師は間違いの診断と処方をしていた上に「野津純一の妄想」として自らの思い込みを押しつけました。主治医に真実を客観的に理解してもらえず、誤診して、更に病状の悪化と診断される精神障害者こそ救われません。この主治医交代直後の顛末は、矢野真木人殺人事件の直前に、アカシジアを心気的と考えて無効な生理食塩水を筋肉注射し続けた状況、と一致します。渡邊医師は野津純一が苦しんでいる病気の状態の本質を取り違えた治療を行い、その上で経過観察を行わない医療を繰り返しました。

カ、H医師がリスパダールに戻して改善した
  2月23日(水)(主治医交代9日目)の16時50分にH医師が診察して、野津純一のムズムズを「アカシジア(+)」と診断し、アキネトン筋注を指示すると共に、抗精神病薬を「トロペロン合わない?」として、「以前よく効いた」と野津純一が述べる「リスパダールに変更」しました。野津純一はこの処置により改善し、翌24日(木)(主治医交代10日目)にH医師が診察して「昨日アキネトン筋注後落ち着き、夜間良眠」と観察すると共に、野津純一の「精神的にも大分楽になりました」という発言を記録しました。

キ、渡邊医師はリスパダールを追認した
  2月25日(金)(主治医交代11日目)の18時30分に渡邊医師は野津純一を診察して、抗精神病薬は「本人が安心するらしい」として自ら処方していたトロペロンからリスパダールに戻した処方を追認しました。そして28日(月)(主治医交代14日目)に診察した際に「トロペロンで光を反射してセレネースと同じになる」としてトロペロンの選択が間違っていたことを認めました。野津純一は16日に抗精神病薬の処方をトロペロンに変更して5日後の21日(月)に「光が反射する」と述べております。主治医の渡邊医師は、自らでは病状悪化の原因を解明できず、他の医師に指摘されて自らの処方間違いを認識するまでに一週間(異常が発生してからは9日間)を要したことになります。重大な要素は渡邊医師が「野津純一の妄想的解釈」とした「光の反射」は渡邊医師の予断による錯誤であった事実です。更に、H医師が簡単に対応できた病状であったにもかかわらず、主治医でいわき病院長の渡邊医師は徒に病状を悪化させるだけであったという、信じがたい事実がありました。

ク、主治医交代直後に渡邊医師が診断間違いをした教訓
  渡邊医師は野津純一の主治医を交代した直後に、抗精神病薬の処方で副作用が少ないリスパダールを副作用が多いトロペロンに代えました。野津純一はトロペロンの副作用で急激に病状が悪化したのに渡邊医師は診断間違いをして胃腸感染症の治療を行ったので回復しませんでした。野津純一の病状はH医師が再びリスパダールに戻して改善しました。渡邊医師は統合失調症患者に処方する抗精神病薬を簡単に変更するが、重大な注意を払うべき副作用や病状の変化を観察しない医師です。渡邊医師は患者を診察する前に強い予断を持ち、患者が「薬がおかしい」と症状が悪化した状況を説明すると、それを「妄想」と捉えて自らの錯誤を押しつけ抗精神病薬選択の問題と考えませんでした。渡邊医師は患者の症状が悪化しても主治医として患者の状態をきめ細かく診察せず、診察する場合も患者が朝から苦しんでいても夕方にしか診察をしておりません。

この状況は野津純一が矢野真木人を殺害した12月6日の直前の状況と近似します。野津純一の抗精神病薬中断後に、主治医渡邊医師は患者の状態の変化をきめ細かく観察と診察せず放置しました。その上で野津純一は許可による外出をして通行人矢野真木人を刺殺しました。これは渡邊医師の治療では、必然の結末でした。


(2)、渡邊医師の強迫神経症診断がそもそもの間違い
  渡邊医師は平成17年2月14日に野津純一の主治医を交代した際に、野津純一が順調である状態を「幻聴はあるが妄想はない」しかし「思考には不可思議で理解困難な部分がある」と観察しました。そして「妄想がない」として前主治医F医師の統合失調症診断を疑い、強迫神経症と診断しました。

「野津純一に妄想はない」と診断したはずの渡邊医師は、野津純一の抗精神病薬を非定型リスパダールから定型トロペロンやプロピタンに変更しましたが、抗精神病薬の副作用に関連した野津純一の訴えを「妄想」として正面から取り上げませんでした。野津純一の訴えは、薬添付文書に記載された典型的な副作用でした。しかし渡邊医師は自らの錯誤を認識せず、処方変更による薬副作用の訴えを「野津純一の妄想」と捉えました。野津純一は副作用のアカシジア症状(イライラ、ムズムズや手足の振戦)の苦しみを伝えましたが、それをパーキンソン病でなければ妄想(心気的)と診断した渡邊医師は、野津純一を放置して治療をしないことが多くなりました。

渡邊医師のアカシジアの診察、統合失調症の診察および抗精神病薬の選択は錯誤と不作為が多いものでした。野津純一に強迫神経症を疑った渡邊医師は抗精神病薬を中断し、ベンゾジアゼピン系抗不安薬を大量投与し、パキシルやアキネトンを中断するという処方変更を行いました。渡邊医師は野津純一を苦しむままに放置し矢野真木人刺殺事件は発生しました。本裁判では渡邊医師は統合失調症の診断を認めました。また事件後のレセプト請求でパーキンソン症候群(アカシジア)と記述しました。渡邊医師が野津純一を統合失調症ではなく強迫神経症と診断したことがそもそもの間違いの最初であり、錯誤の連鎖反応が起動しました。

[記録−6]強迫神経症の診断に係る事実関係
1)、 平成17年2月15日 渡邊医師は野津純一に「幻聴」があり、思考に基づく強迫があるが、「妄想はない」、しかし「不可思議な空想や想像がある」と診断した。
2)、 2月16日 渡邊医師は歯科診察依頼書に強迫神経症と記載し、父母面接で「強迫観念は妄想的思考に対する打ち消し確認」と説明した。
3)、 2月21日 野津純一はリスパダールをトロペロンに変更されて病状が悪化したが、渡邊医師は野津純一の食欲不振、イライラ、ムズムズ、「光が反射して変」などの主訴を聞いて「妄想的解釈多い」と判断した。
4)、 2月21日 G医師「アカシジア」と診断(看護記録)。
5)、 2月23日 H医師「アカシジア(+)」と診断。
6)、 2月25日 渡邊医師は「光が気になる」「音が人の名前になる」野津純一発言を「不気味な現象」として診断しており、予断がある。実際はこれらは「トロペロン副作用」と「幻聴」であるのに、渡邊医師は野津純一の「認識の問題」とした。
7)、 10月26日 渡邊医師は薬剤師に対して「統合失調症よりは、強迫観念に支配された患者であり、薬の副作用に対する野津純一の意見は通常ではなく、本人の気になった部分のみが強調される」と指導した。
8)、 11月30日 渡邊医師は野津純一のイライラ、ムズムズ及び手足の振戦を「心気的」として実態がない強迫観念による症状とした。

(3)、アカシジアの診断とドプスの投薬

ア、アカシジア診断の混迷
  野津純一は渡邊医師が主治医となってから、アカシジア(手足の振戦とイライラ・ムズムズ)に酷く苦しめられました。渡邊医師は抗精神病薬の副作用で発現したアカシジアの症状を「膝関節炎」や「リウマチ」、「筋力低下」、「パーキンソン病」、更には「心気的」と疑いましたが、その記録上の経過は下記の通りでした。渡邊医師がアカシジアを適切に診断できなかったことは明白です。

[記録−7]アカシジアの診察に関する事実関係
1)、 平成17年2月21日カルテ  G医師
「イライラするので、手足がむずむずするよ」
(その下の記述は清書されておらず、判読不能)
2)、 2月21日看護記録  看護師アカシジアを疑い、G医師アカシジアと診断
「(当直)GDrより、不眠時頓服で効果なければアカシジアを抑えるアキネトン1A筋注の指示有り」との記述
3)、 2月22日リハビリテーション連絡カード
渡邊医師  「膝関節炎」病名にてリハビリ指示
4)、 2月23日カルテ  H医師   「アカシジア(+)」診断
5)、 2月25日カルテ  渡邊医師 「アカシジアにしてはCPKの値低い」
6)、 4月20日     傷病名記載  「心機能障害の疑い」
7)、 8月11日カルテ  渡邊医師ドプスを処方
8)、 8月15日     診断病名   パーキンソン病、膝関節炎
9)、 8月16日看護記録
野津純一は「あの白いカプセルの薬(ドプス)効きませんね。最初いいかと思ったのに、やっぱり手足が動くんです。昨日院長Drにも話しました。もうこの薬飲まなくていいんですか」と「ドプスは効かない、服薬を止めたい」と発言
10)、 8月29日カルテ  渡邊医師  ドプス有効と効果判定
11)、 10月26日薬剤管理指導報告
渡邊医師  「Scですか、本人の気になった所見作用のみ強調され認識されます、一考下さい」と薬剤師を指導した
(「統合失調症でなく強迫性障害」で薬剤師の認識違いと指導)
12)、 11月2日薬剤管理指導報告
I薬剤師   ドプスがアカシジアに効果がなかったことを指摘
「抗ムスカリン剤(抗コリン薬:アキネトン、ストブラン)を使えないのか」と記述
(「パーキンソン病ではない、パーキンソン症候群」と指摘。以後、I薬剤師は報告していない)
13)、 11月7日診察 「リウマチみたい?」の質問を野津純一は否定したが、渡邊医師は「なかなか説明しても」と野津純一の言葉を否定
14)、 11月23日処方変更 定期処方からタスモリン、ドプス、屯用アキネトン注射中断、プラセボとして生理食塩水を試す<3日間試す>
(パーキンソン病・パーキンソン症候群でなく心気的と診断)
15)、 11月30日(旧12月3日)カルテ  渡邊医師は「心気的とも考えられる」と記載
16)、 12月1日〜5日 生理食塩水(プラセボ)筋注を実施(渡邊医師診察せず)
17)、 12月7日(事件後処方)  タスモリンとドプス復活
18)、 12月10日(事件後提出)  レセプト傷病名「パーキンソン病」
19)、 平成18年1月10日提出12月分レセプト請求
傷病名を「パーキンソン病」から「パーキンソン症候群」に変更して「アカシジア」であったことを認めた

イ、パーキンソン病と診断してドプスを投薬した
  野津純一のイライラ・ムズムズおよび手足の振戦はパーキンソン症候群であり、これは長年抗精神病薬を服用してきたことにより生じた副作用の薬原性錐体外路症状です。G医師とH医師はアカシジア(パーキンソン症候群)であると診断しておりましたが、渡邊医師は頑固にも「CPK値が低いのでアカシジアではない」と誤って確信し、野津純一をパーキンソン病と誤診して、ドプスの投薬を開始しました。

私たちが助言を求めた全ての精神科医師は、野津純一のアカシジア(パーキンソン症候群)にドプス(パーキンソン病薬)を処方したと知って、渡邊医師の精神保健指定医としての知識不足と診断間違いを悟ります。それまで「医師には裁量権がある。それなりの理由があるはずで、責任を問うことはできない」と主張していた医師も「とんでもない間違い」を認識し、渡邊医師擁護を止めます。渡邊医師が野津純一にドプスを処方したことは決定的な誤処方でした。

ウ、渡邊医師の錯誤
  渡邊医師は平成17年8月11日にドプスを処方しました。野津純一はドプスの服薬を始めた翌日には「手足の振戦が止まった」と言いましたが、4日後の16日の朝10時の看護記録には早くも「効かない、手足が動く」と記述されております。しかし渡邊医師は8月15日付けでカルテの傷病名にパーキンソン病と記述し、8月29日には「ドプス有効」と効果判定をしました。10月26日にI薬剤師は「野津純一はコンプライアンスが良い患者」と記述しましたが渡邊医師は「野津純一は統合失調症ではなく強迫観念が強い患者なので気になるところを強調しているだけ」と、「認識の訂正を指導」しました。I薬剤師は8月26日にはドプスの効果を認めておりましたが、11月2日には態度を転換して「抗精神病薬の継続投与の必要性」と、「抗精神病薬による副作用のアカシジアにはドプスは有効でないこと」、及び「野津純一もドプスが効かないと言っている」と指摘しました。その後、渡邊医師は11月7日に野津純一が「ドプスは良くない、アキネトンがよい」と主張したにもかかわらず、リウマチの診断を押しつけた上で、野津純一の病状を「思考途絶、話に一貫性の不足」と診断しました。渡邊医師は自らの思い間違いによる誤診を認識できず、野津純一の病状を誤った方向性で診断しました。

エ、心気的という思い込み
  渡邊医師は11月22日に野津純一に対する薬事処方を大幅に見直して、抗精神病薬(プロピタン)、パキシル、ドプス及びアキネトンの中断、レキソタンを最大承認用量の2倍等を処方しました。ドプスを中断したことは「パーキンソン病には効く筈なのに、『効かない』という野津純一がおかしい」また「アキネトンを生理食塩水に代え抗不安薬を倍量にした」ことは「イライラ、ムズムズを心気的な症状と結論づけた」ことになります。このことは11月30日(旧12月3日)のカルテに「心気的訴えも考えられる」と記述があり明らかです。渡邊医師は病院スタッフの進言を聞かない上に、患者が事実を述べているにもかかわらず患者の言葉を却下し「心気的」と診断を押しつけました。

オ、殺人事件発生後の混乱
  渡邊医師にとって野津純一による通り魔殺人事件は予期せぬ驚きであったようです。野津純一が警察に拘束された後で12月7日に拘置所に処方薬を届けた際にタスモリンとドプス処方を復活しました。その後毎翌月10日までに提出するレセプトでは、11月分(H17.12月提出)まで傷病名の記載が「パーキンソン病」で、事件後の12月分(H18.1月提出)では「パーキンソン症候群」に変更されました。


(4)、統合失調症の診断

ア、前主治F医師・前々主治医B医師の診断病名
  野津純一が平成13年にいわき病院に入院していた当時の主治医で、平成16年にいわき病院に転院する前の主治医でもあったB医師は「野津は間違いなく統合失調症」と診断しておりました。前主治医のF医師は一貫して「Sc」(統合失調症)と診断病名を記述し、初診時の暫定診断の「○」を付けるところで「強迫神経症」を並記しておりますが、強迫神経症単独の病名表記はしておりません。

イ、渡邊医師の診断病名
  野津純一の主治医を平成17年2月14日に引き継いだ渡邊医師は、野津純一の病状が順調であったために、主治医交代当日のOT処方箋に「Sc疑い」(統合失調症疑い)と記述して、野津純一の診断病名を統合失調症と断定しておりません。その上で2月16日の歯科診察依頼書には「強迫神経症」と記述してあり、統合失調症を否定しました。歯科診察依頼書は診断病名を4種類まで記載する書式になっておりますが、統合失調症の記載はありませんでした。統合失調症は他の病気とは異なり、一旦統合失調症と確定診断された後では、症状に改善があり落ち着いた場合でも、「統合失調症でない」と診断して「統合失調症の病名が消える」ことはありません。渡邊医師の「幻聴や妄想がほとんどないので統合失調症以外の病気を再考するのは臨床医として当然」という主張は医師として誤りです。その上、渡邊医師は結果的に統合失調症であることを認めており、矛盾しておりました。

ウ、歯科診察依頼書他の診断病名
  野津純一は平成16年10月1日にいわき病院いわき病院に入院し、主治医は平成17年2月14日までF医師が勤め、同日に病院長の渡邊医師に交代しました。野津純一は入院期間中にいわき病院併設の歯科医院で治療を受けましたが、歯科診察依頼書他には以下の通りの記述がありました。

[記録−8]歯科診察依頼書他に記載された病名
1)、 平成16年10月4日 F医師 Sc(統合失調症)
2)、 平成16年12月1日 F医師 Sc(統合失調症)
3)、 平成17年2月14日 渡邊医師 Sc(統合失調症)疑い (OT処方箋)
4)、 平成17年2月16日 渡邊医師 強迫神経症
5)、 平成17年5月16日 渡邊医師 Sc(統合失調症)
6)、 平成17年6月6日 渡邊医師 Sc(統合失調症)

エ、強迫神経症診断中の歯科記録
  渡邊医師が2月16日に「強迫神経症」と歯科に診断病名を伝え、5月16日に統合失調症に診断病名を戻すまでの間に、いわき病院歯科では2月18日と4月1日の2回「統合失調症、日によって暴力行動をするため抑制器具を使用して看護師介助のもとに治療」とした記述がありました。このことから、いわき病院では渡邊医師が発行した「歯科診察依頼書」に記述があるものの、病院長の渡邊医師が行った診断病名の変更を、確実に確認する情報伝達は行われておりません。また渡邊医師は病名を変更した旨の明確な意思表示を行わなかった可能性があります。


(5)、抗精神病薬の選択

ア、スタッフの助言を否定した渡邊医師
  渡邊医師の抗精神病薬に対する嗜好は古いタイプの定型抗精神病薬がお好みであり、なおかついわき病院勤務医が処方し、野津純一が「今の自分に合っている」と認めた抗精神病薬リスパダールの処方を変更することに執心しました。いわき病院勤務医の処方を執拗に否定して薬剤師の助言も頭ごなしで無視しました。このため、渡邊医師は処方間違いをしてもそれがいわき病院の病院意思として訂正されることがありませんでした。いわき病院では病院長渡邊医師の暴走にストップをかけるフェイルセーフの機能が働かなくなっておりました。

[記録−9]野津純一に処方された抗精神病薬
平成16年
10月1日 いわき病院いわき病院入院(主治医F医師)開放病棟
「ルーラン+コントミン」
10月21日 病棟看護師に襲いかかり閉鎖病棟に転棟
10月26日 閉鎖処遇解除、開放病棟に転棟
11月3日 F医師「リスパダール+コントミン」に変更(2/15日まで継続)
平成17年  
2月14日 F医師の最後の診察     Stable (順調)
2月16日 F医師の定期処方「リスパダール+コントミン」を渡邊医師は停止して、「トロペロン+コントミン」に変更した
2月17日 意識消失発作
2月20日 外泊帰宅中に病状が悪化して帰院して渡邊医師の診察を受けて、(ブドウ糖液、嘔気止め、抗菌剤)の点滴を受けるが病状は改善しない
2月22日 野津純一体調悪化の原因としてトロペロンを疑う
2月23日 H医師トロペロンを停止「リスパダール」に変更(3/29日まで継続)
「リスパダール+レボトミン」
2月25日 渡邊医師リスパダールの処方を追認
渡邊医師「薬はトロペロンよりリスパダールの方が安心するらしい」
2月28日 渡邊医師「トロペロンで光を反射してセレネースと同じになる」としてトロペロンの選択間違いを認めた
3月4日 渡邊医師頓服だったコントミンを処方に追加、「リスパダール+コントミン」
3月21日 渡邊医師「リスパダール液(を使用したい)今までの薬も注射しか効かないので」と記述。野津純一「今の薬は(自分に)あっている」と発言
3月29日 渡邊医師臨時処方でリスパダールをプロピタンに変更
(なお、変更の理由等の記載はない)「コントミン+プロピタン」
以後リスパダールを7月25日まで処方せず
抗うつ剤パキシルを処方開始した(11月22日まで継続)
(パキシル併用で抗精神病薬の血中濃度が上がり、副作用が強く出る)
5月30日 渡邊医師プロピタンを主とした処方「プロピタン+コントミン」に変更
7月20日 渡邊医師は野津純一が言う「足のガクガク」を「筋力低下」と診断
7月25日 渡邊医師リスパダールを追加して処方
「プロピタン+コントミン+リスパダール」
7月29日 渡邊医師「イライラする、リスパダール中止する」と記載
看護記録「リスパダールは本人希望にて再開したものであった」と記述
8月2日 渡邊医師「リスパダールはやっぱりダメ」とカルテに記載
8月4日 渡邊医師処方変更 「プロピタン+セロクエル」
8月7日 渡邊医師診察「セロクエルは足が勝手に動く」
8月9日 渡邊医師処方変更「プロピタン」
11月23日 渡邊医師「プロピタン」を中断
12月7日 渡邊医師事件後に「プロピタン」を再開

イ、野津純一が望んだリスパダール
  渡邊医師が平成17年2月14日に野津純一の主治医をF医師から引き継いだとき、野津純一の病状は「リスパダール+コントミン」で「順調」でした。渡邊医師が16日に処方したトロペロンで急激に病状が悪化した後、勤務医のH医師が「以前よかったという、リスパダール中心の処方」(リスパダール+レボトミン)に戻し、症状が改善しました。渡邊医師は3月4日に「リスパダール+コントミン」の処方にし、野津純一は3月21日に「今の薬は自分にあっている」と満足を表明しました。以上により、リスパダールは野津純一の病状にあっていたことは明白でした。野津純一が「リスパダール+コントミン」処方が今の自分にあっていると言及したとたん、渡邊医師は3月29日に「今までの薬も注射しか効かない」と理由にならない理由を記載して「プロピタン+コントミン」処方に変更しました。抗精神病薬がプロピタンに変更された後も野津純一はリスパダール処方を望んでおりました(7月29日付看護記録)。

ウ、渡邊医師が誘導したリスパダールの副作用
  渡邊医師はリスパダール停止後4ヶ月して、7月20日に「足のガクガクは筋力低下」と診断して、7月25日に「リスパダール」を再開しました。しかし、これは「プロピタン+コントミン+リスパダール」処方で、抗精神病薬の大量投与で野津純一はイライラ、ムズムズで激しく苦しみました。7月29日10時の看護記録には野津純一の言葉で「リスパダール飲み出してから調子悪い」と記述されています。そして同日の診察で渡邊医師は「イライラする、リスパダールを中止する」と記述しました。渡邊医師は抗精神病薬に3月29日から11月22日までパキシルを併用しましたので(CYP2D6代謝阻害作用があるため)抗精神病薬の血中濃度が上がり(2〜6倍)、錐体外路症状がより強く出ました。野津純一の一連の症状悪化は抗精神病薬の大量投与が原因であって、リスパダールが主要因であるとは結論づけられないはずですが、渡邊医師は野津純一が「良かった」という「リスパダール+コントミン」のF医師、H医師と同一の処方に戻すつもりは無かったようです。

渡邊医師は、勤務医であるF医師とH医師が処方したリスパダールを追認することが、病院長として嫌だったのでしょう。それでも野津純一はプロピタンではイライラとムズムズが酷くなるために好まず、リスパダールに処方を戻すように強く望みました。渡邊医師は「プロピタン+コントミン」に追加してリスパダールを処方しましたので、野津純一は過剰投与による副作用で更に酷く苦しみました。渡邊医師の本音は「勤務医が進んで処方するリスパダールを真似して使いたくない」と推察されます。

渡邊医師からリスパダール中止指示を受けた後の7月29日の看護記録には「リスパダールは本人希望で再開したもの」と事後説明されています。渡邊医師は8月2日には「リスパダールはやっぱりダメ」と記述しました。抗精神病薬の選定は本来3月末に、野津純一が「今の自分にあっている」と満足を表明していた処方からプロピタンに変更する理由を、患者に説明して同意を得て行わなければなりませんでした。しかし渡邊医師は新しいタイプの非定型リスパダールを嫌い、患者に説明責任を果たさずにプロピタンを押しつけたために、野津純一の主治医の抗精神病薬選定に対する不満(副作用の問題)が継続しました。この一連の経過から、渡邊医師は精神障害者である野津純一の尊厳及び精神の回復よりは自らの面子を優先して患者の病状悪化を省みない精神保健指定医であることは明白です。

エ、渡邊医師の暴走
  渡邊医師は8月2日にコントミンをセロクエルに変更して「プロピタン+セロクエル」としましたが、これも高用量の過剰投与で野津純一が足の振戦を訴えたために、8月9日からプロピタン単独として、この処方は11月22日まで継続しました。渡邊医師は野津純一が心から望んでいた「リスパダールを中心として、抗精神病薬の適正領域を探り当てて、副作用のイライラとムズムズを軽減する」という医療を拒んだ経緯がありました。

抗精神病薬の副作用に循環器の「動悸」があり、特に野津純一が動悸を訴えたのは定型高力価のセレネースとトロペロンでしたが、渡邊医師は抗精神病薬の副作用と考えるよりは、野津純一に心機能障害を疑いました。いわき病院のI薬剤師は渡邊医師がドプスを野津純一に処方した際に、心機能障害のためにアキネトンなどの抗パーキンソン症候群薬が使えないのかと誤解したほどです。渡邊医師は自らの処方混乱により、野津純一の統合失調症の治療で混乱して、抗精神病薬を中断するまでに至りました。

そもそもプロピタンはそれ程悪い薬では無く、患者の状態を慎重に診察して使い方を工夫すれば渡邊医師は自らの好みで押しつけたプロピタンを野津純一の処方から外して抗精神病薬の中断をするまでもなかったでしょう。しかし渡邊医師が抗精神病薬の中断をした時点では、他医師はその事実を知らず、薬剤師の協力を被告病院長自ら拒否したような状態で、チーム医療という病院機能が破綻した渡邊医師の暴走状態でした。


(6)、抗精神病薬の断薬

ア、減薬ではなく断薬
  渡邊医師は「平成17年11月23日から実施した抗精神病薬の処方変更は断薬ではない、頓服としてコントミンを処方してあるので問題はない」と主張しました。しかし、統合失調症患者に対して抗精神病薬は有効量の継続投与を維持することが原則であり、渡邊医師が行った処方変更は断薬です。

野津純一は障害者年金1級、精神障害者手帳1級を持つ精神障害者です。野津純一を渡邊医師以外の医師は全て統合失調症と診断しておりました。また渡邊医師本人も本裁判で「野津純一は統合失調症患者である」と認めました。従って、本来は「野津純一に対する抗精神病薬の断薬はあり得ない処方」です。渡邊医師が実行したことは「慢性統合失調症患者に対する抗精神病薬の断薬」であり統合失調症が再燃することは必然です。「悪性症候群発症でもない限り絶対に行ってはならない抗精神病薬の中断」です。「抗精神病薬は継続投与することが原則」です。抗精神病薬はいかなる場合でも突然の中断をして良いものではありません。

イ、断薬と離脱の危険性
  渡邊医師は過去の主治医が行っていた野津純一の統合失調症の診断を疑っておりましたので、医師の治療の論理として抗精神病薬の減薬と断薬を治療指針として実行する事は全くあり得ない話ではありません。しかしながら野津純一はそれまで慢性統合失調症患者として抗精神病薬を長年にわたり継続投与された患者です。その上で、抗精神病薬を長期間服用した事による副作用の「イライラ、ムズムズ、手足の振戦」が症状として認められておりました。また野津純一には突然の暴力履歴があり、断薬後の離脱症状の不穏出現には特に留意が必要でした。

渡邊医師は主治医交代時の2月16日にトロペロンに処方変更して野津純一に数々の病状悪化が見られたため、2月25日に「薬を急に止めたことの影響もある」とカルテに記載しました。11月23日に実行したプロピタン中断パキシル中断アキネトン中断の処方変更時にこそ自ら書いた2月25日の記載を思い出すべきでしたが、一考だにしておりません。

ウ、断薬とスタッフの協力
  医師の裁量権で抗精神病薬の中断を実行する際には、処方変更の内容を患者に説明して患者の理解を得ると共に、病院スタッフ全員(他の医師、薬剤師、看護師、作業療法士、臨床心理士等)に周知して、全員の協力を結集して、着実にまた安全を確保して実行する必要があります。野津純一は抗精神病薬を長年服用した患者であり、突然の断薬は最も慎重であるべきでした。渡邊医師は精神保健指定医の精神科病院長であるにもかかわらず、病院スタッフの力を結集して精神科臨床医療を行うチーム医療に失敗しました。

エ、抗精神病薬を断薬した後の主治医の診察怠慢
  抗精神病薬を中断すれば統合失調症患者は離脱症状が現れて不穏状態に陥る危険性が高まります。渡邊医師は野津純一の「統合失調症は重くなかった、強迫性障害がより重大だ」と主張しますが、それは「断薬による離脱症状の発生の危険性を無視する理由」とはなりません。むしろ、渡邊医師が主張する状態があれば、野津純一の離脱による不穏の発生と自傷他害行為の危険度はより高くなります。渡邊医師が、抗精神病薬断薬を開始してから2週間で、カルテに記載した診察は11月30日一回しかありません。仮に「病院内で野津純一を頻繁に見かけた」と主張しても、医療行為としての診察ではありません。主治医が患者に説明責任を果たさず、病院スタッフに処方変更した事実と治療指針を説明せず、自分自身も野津純一の経過観察と診察を行わなかったことは過失です。


(7)、パキシル(SSRI)の断薬
  パキシルは突然の中止をすると「目眩、耳鳴、不安、焦燥、興奮、嘔気、振戦、錯乱、発汁、頭痛、下痢」等の症状が現れることがあります。症状の多くは投与中止後数日から現れ、患者によっては重症となり回復までに2〜3ヶ月以上かかることがあります。投与を中止する際は突然の断薬を避け、患者の状態を見ながら数週間又は数ヶ月かけて徐々に減量する必要があります。パキシルの突然の断薬が野津純一の不安、焦燥、興奮と攻撃性を高め、事件に繋がったとする複数の精神科医師からの指摘があります。パキシル断薬の点からも12月6日の診察拒否は不当でした。

(8)、根性焼き
  根性焼きは野津純一が顔面左頬に行った自傷行為です。いわき病院が発見できなかったことは重大な過失です。そもそも入院患者の顔面に出現した瘢痕を発見できなかったことは信じられないことですが、根性焼きがあったことは事実です。

ア、根性焼きはあった
  野津純一は12月7日(火)の14時30分頃に身柄を拘束された時に顔面の左頬に複数の瘢痕が発見されました。この瘢痕は前日殺人犯人容疑者がショッピングセンターで包丁を購入した際に100円ショップのレジ係が顔面に認めていたもので、警察が犯人確認の決め手としていた犯人の特徴でした。身柄を拘束された直後に野津純一は「事件の2〜3日前にタバコの火を顔面に当てて自傷した『根性焼』」であることを述べました。この言葉に従えば根性焼き自傷を開始したのは12月3日(土)もしくは4日(日)となります。看護記録には12月2日の15時30分以降から野津純一がイライラとムズムズに苦しんでいた記述があります。そして12月3日は野津純一の症状が決定的に悪化した日です。いわき病院は土日には医師に.よる入院患者の診察を行わないようです。また土日の看護体制は手薄であるのか、野津純一に関する看護記録の書き込みも余りありません。野津純一は「病室内でイライラとムズムズに苦しめられながら放置されていた」と推察されます。4日(日)の12時にアキネトン筋注を要求して生理食塩水を注射されたときに「アキネトンやろー」と確かめる所作をしており、この時には渡邊医師に対する信頼が失われておりました。いわき病院はこの時に野津純一の根性焼きを発見するべきでした。野津純一はアキネトンの効果を信頼しておりましたが、以前はよく効いた「頼りの薬」が効かなくなるのは患者にとっては大変な苦痛です。苦痛解消のために根性焼きをこの4日のプラセボ筋注の後に開始した可能性もあります。

イ、患者の苦しみを顧みない渡邊医師
  渡邊医師は平成17年3月にも野津純一が「今の自分にあっている」と発言したリスパダールの処方を停止してプロピタンに変えました。野津純一はリスパダール再開を望みましたが、渡邊医師は7月に抗精神病薬を大量投与することで、野津純一に苦しみを体験させることでリスパダールを無理矢理諦めさせました。更に、渡邊医師は野津純一が苦しめられていたイライラ、ムズムズや手足の振戦に「よく効く」として野津純一が頼りにしていたアキネトンを薬効がない生理食塩水に変更しました。渡邊医師は「プラセボを3日間試す」としておきながら野津純一がプラセボを開始して3〜4日後に苦しんでいても診察をせず、「振るえた時のアキネトン再開」指示をするべき診察そのものをしておりません。渡邊医師は患者の病状が悪化する処方をして、患者を放置しました。精神障害の治療をしておりながら、患者の精神が荒廃することを誘導した過失があります。渡邊医師による不誠実な入院医療契約の債務不履行です。

ウ、根性焼きを見逃したいわき病院
  いわき病院は野津純一の顔面に生じた火傷の瘢痕を野津純一の入院期間中には発見しておりませんが、野津純一がいわき病院に入院中に根性焼きの火傷の瘢痕を自傷していたことに疑念はありません。いわき病院の患者観察態勢に問題があったということです。

いわき病院は12月5日(月)に野津純一の病状の悪化に対応をするべき必然性がありました。野津純一は朝から微熱があり、風邪症状でしたが、対応したのは内科のJ医師とされます。カルテから見るJ医師の診察は素っ気ないもので、薬を処方しただけで、患者の病状を観察した記載がありません。「実際にはJ医師は診察しておらず、看護師が風邪薬を処方したのを後から医師の指示として追認しただけ」と推察する内部情報があります。主治医の渡邊医師は過去に野津純一を診察するときは、野津純一の状況が悪化していても18時以降でした。もし渡邊医師が5日(月)の夕方に診察していたら、抗精神病薬及びアキネトンの中断による不穏状態の発生に気づいた可能性が高いでしょう。

エ、根性焼きの警察写真
  警察は12月7日(水)の野津純一身柄拘束の直後の15時40分に野津純一の左頬にある根性焼きの写真を撮影し、複数の新しい赤い瘢痕と、黒い瘡蓋を撮影しました。この黒い瘡蓋は9日(金)16時には剥げ落ちていて下の治癒が進んだ赤い皮膚が現れておりました。野津純一が自傷した根性焼きは身柄を拘束された7日の昼食時間後に野津純一がいわき病院から許可による外出をした後のわずかな時間で自傷したものではあり得ません。


(9)、診察拒否

ア、入院患者を希にしか診察しない主治医
  渡邊医師は入院患者を希にしか診察しない主治医です。野津純一は「院長とはめったに会えない」と言いました。平成17年8月から10月にかけて何回か院長診察を希望しましたが、渡邊医師は診察せずに何日も放置することが常態でした。診察する場合でも、朝から病状悪化で苦しんでいる野津純一を放置して、夕刻になって始めて診察しておりました。渡邊医師は野津純一に対する抗精神病薬の処方を何回か変更しましたが、症状の変化を観察するという意識が希薄で、変更後何日も診察せずに放置することが普通でした。渡邊医師は11月23日から行った抗精神病薬の中断、パキシルの中断、アキネトンを生理食塩水に代えた等の重大な処方変更の後でも、処方変更後の症状変化を観察する意図はありませんでした。このため2週間に一回しか診察しておりません。12月6日の朝も診察要請に直ちに対応して診察をするという認識を持たなかったことは明白です。これは、渡邊医師にすれば「患者の病状の悪化と苦しみは、沢山いるいわき病院の入院患者に普通に見られる単なる日常」であったと思われます。

イ、K看護師の勇気
  12月6日(火)の朝10時にK看護師は野津純一の緊急の状態を察知して、主治医の渡邊医師に野津純一の診察要請を取り次ぎましたが、渡邊医師は却下しました。渡邊医師が過去に野津純一を午前中に診察してないことを考えれば、当然と言えば当然と言える対応でした。K看護師の過去の野津純一の看護に関する記述は丁寧なものです。この日のK看護師は重大な決意で看護記録を記述したものと推察されます。K看護師が「渡邊医師は入院患者を午前中には診察しない」と知っていて、しかもしかられる可能性を承知の上で、朝10時に取り次いだことに、野津純一の病状に関連した深刻な理由があったはずです。

ウ、事件当日午後の観察がない
  野津純一は矢野真木人刺殺後の13時までには被告いわき病院に帰院して以後自室で過ごしましたが、いわき病院は野津純一を観察しておりません。渡邊医師は「午後に野津純一を診察しようとして病室前まで行った」と主張しました。母親が面会に来たが野津純一は母親面会を拒否し、夕食を勧めに来た者に「警察が来たんか?」と質問しておりますが、そのような記録は書き残されておりません。当日、TVが近隣で発生した殺人事件を大きく報道し、被告いわき病院内では「アネックスの野津やわ」とひそひそ噂されていたにもかかわらず、第2病棟では6日の午後に野津純一を観察した記録はありません。

エ、外出許可の見直しを絶対しないいわき病院の開放病棟
  渡邊医師は開放病棟の入院患者である野津純一対する外出許可を包括的に与えてあり、日常の病状の変化に対応してきめ細かく見直すことはありませんでした。このため12月6日朝に野津純一の状態が著しく悪化しており、近寄りがたい状況であっても、担当の看護師が判断しいわき病院に対する報告で外出許可を一時的に制限することはありませんでした。12月7日には職員間で「通り魔殺人犯人は野津」というひそひそ話はありましたが、これがいわき病院に報告されて、渡邊医師が外出許可を緊急に見直すこともありませんでした。


   

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