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精神医療と過失責任
いわき病院が提出した証拠に対する意見


平成23年4月2日
矢野啓司・矢野千恵



はじめに

私たちがいわき病院に対して野津純一に係るいわき病院が所持する医療記録等に全ての証拠提出を求めたそもそもの理由は、以下の通りでした。

(1)、未提出の医療記録や看護記録がないことの確認
  私たちがいわき病院の提出した証拠資料を基にして意見を提出しても、いわき病院が隠されていた証拠を小出しに提出する場合には、終わりのない堂々巡りの議論が繰り返される可能性があります。特に、以下は処方変更の効果判定に係わり重要です。

ア、 処方変更の効果判定の根拠となった金銭管理トレーニング等の報告
既に提出されていた報告書には該当するものが4件しか無いため、他に未提出の証拠記録が存在しないことを確認する必要がありました。
イ、 薬剤師の薬剤管理指導報告書
提出されていた薬剤管理指導報告書の最終は11月2日でした。薬剤師は、事件前一ヶ月以上にわたり本当に報告書を提出してないのか、確認する必要がありました。


(2)、カルテ記述の訂正を行わせない
  いわき病院は裁判が開始されて4年以上が経過した後になって、カルテの日付を11月30日から11月23日に、また12月3日から11月30日に訂正した上に、薬事処方内容を3回訂正しており、そのような訂正が今後ない事を確認する必要がありました。いわき病院がカルテの記載内容を訂正し続ければ、事実関係を法廷で確認できなくなります。

(3)、歯科カルテとレセプトの記載内容の確認
  いわき病院は歯科レセプトに記載された野津純一の統合失調症と反社会的暴力行為の記載を法廷で否定しており、歯科カルテと照合して確認する必要性がありました。

今回いわき病院から提出された証拠では、A看護師記述の「看護サマリー」といわき病院「歯科診療録」は全く新しい証拠でした。他方、警察押収証拠にある「平成13年当時のB医師記載の医療記録」、「入院前母親問診(平成16年9月17日)」、「C医師の入院前父親問診(平成16年9月21日)」、及び警察押収資料外の「以和貴会レセプト平成17年11月の第二枚目」は依然未提出です。私たちは未提出の警察押収証拠も含めて、いわき病院に対して過失責任を追及します。

私たちはいわき病院は今回の証拠提出で、いわき病院自らの医療行為を弁明する全ての証拠資料を提出し終えたという理解で以下を指摘します。なお、「以和貴会レセプト平成17年11月の第二枚目」をいわき病院が証拠提出することを求めます。



1、精神科病院の過失責任と不可侵性

(1)、精神医療の発展を約束する裁判
  私たちは本裁判を提訴したことにより「精神科病院に法的過失責任を負わせてはならない」と批判されてきました。いわき病院は精神科病院に過失責任を問う判決があれば「日本で精神医療を目指す医師が減少して、精神医療を維持することが困難になる」、また「精神障害者に精神科臨床医療を提供している病院経営が成り立たなくなり、入院治療が必要な精神障害者が入院できなくなる」と主張しました。これは「過失の有無に関係なく、精神科病院は全ての医療事故に対して不可侵である」という主張ですが、法治社会日本の公序良俗の維持発展の観点から正しいと言えません。

「精神医学界全体が精神医療の過失責任論をタブー視した結果、精神医療のレベルアップを阻害しているが、このような現状を打破するためにも、本件裁判でいわき病院の過失が確定されることが、精神医療の改善を促すことになる」と言う意見が精神科医からも出ています。


(2)、入院医療契約と社会的責務
  長年いわき病院の精神科臨床医療の実態をいわき病院外から観察して、渡邊医師の元患者(複数)を治療した経験がある精神科医師は「野津純一に対する以和貴会の精神医療は、医学的過失を問うまでもなく、入院医療契約の債務不履行として、民法からも、過失責任を問わなければならない」と指摘しました。

(3)、いわき病院の実態と責任
  私たちの観察では、いわき病院の精神科臨床医療と渡邊医師の実態を知っている精神科医師は過失責任を認める立場の人が多く、遠隔地から問題を眺めている医師は概していわき病院に責任を問うことに反対する傾向があります。精神科医師の多くは渡邊医師の処方内容を詳細に検討して、その実態を知ると渡邊医師の精神保険医としての基本的な知識の欠如と錯誤に驚きます。そして、慢性統合失調症に対する抗精神病薬の断薬と、副作用である薬原性アカシジアをパーキンソン病とした診断間違いと、パキシルの中断及びプラセボとして症状が悪化した後も生理食塩水を筋肉注射し続けたこと、及び抗不安薬の乱用という処方の間違いに驚きます。

渡邊医師が最も責任が問われることは、重大な処方変更をした後で、主治医として患者の経過観察をせずに放置したことです。どの精神科医師も「抗精神病薬を中断した後は、心配で、心配で、患者を診察せずに放置することはできない」と言います。更に「開放病棟に入院した野津純一にエレベーターの暗証番号を教えて、実質的に病棟から外出が自由放任であった」ことに驚きます。渡邊医師は、患者に外出許可を一度与えると患者の病状が変化しても見直しませんでした。特に処方変更後に、患者の病状の変化に関心を持って観察しなかった精神科臨床医療には、過失責任があります。


(4)、国際標準という判断基準
  いわき病院が「本裁判の判断の参考とするべき指針」として本法廷に提出した国際法律家委員会レポート「精神障害者の人権」は日本政府に「精神科開放医療を促進すること」及び「人口あたりの日本の精神科病床数(1万人当たり約28床)は多すぎるので、ヨーロッパ並みの15床程度の水準にすること)」等を勧告と助言しています。これに従って日本は国策として精神科開放医療を促進しており、その政策が展望するところは精神科病床数の削減です。日本の精神科病院の現状維持が正しい政策課題の実現ではありません。いわき病院のような今日の精神医療の水準にもとり、錯誤と怠慢がある精神科医療機関に過失責任を問うことで、精神科臨床医療の改善を促進することが正しい社会的方向性です。

(5)、優良病院の看板という免責理由は不合理
  いわき病院は(財)日本病院評価機構に香川県内で最初に認定された精神科病院であることを誇りにします。この認定は本裁判中にもいわき病院に対して更新されており「いわき病院では高度で優良な精神科医療が実現され、香川県を代表する精神科開放医療が行われているはず」です。しかしいわき病院には錯誤が多く無責任で精神障害者の人権に配慮しない実態があり、病院評価制度そのものに内在する欠陥がある可能性を示唆します。いわき病院は優良認定病院として過失責任を免責する理由にしてはなりません。精神障害者の社会復帰が促進される精神医療の基本は責任ある医療の実現です。



2、レセプト不正請求

いわき病院には「自らの利益のためには社会を食い物にしても良い」とする行動様式が見られます。以下に指摘する諸点は、「いわき病院事件裁判」の本筋ではありません。しかし、いわき病院と渡邊医師の以下のような社会正義を守らない姿勢が、事件の背景にあり、不作為と過失を誘導した要因であると指摘します。


(1)、作業療法とSSTの重複請求
  いわき病院は同日同一時刻に作業療法とSSTを5回に渡り重複して請求しておりレセプト不正請求がありました。

[記録−1]同一時刻に行われた作業療法とSST
       作業療法    SST(ア棟OT室)
  1) 6/2 9:30〜11:30 卓球   6/2 10:00〜11:00
  2) 6/30 9:30〜11:30 ビーチバレー   6/30 10:00〜11:00
  3) 7/28 9:30〜11:30 ビーチバレー   7/28 9:30〜10:30
  4) 8/4 9:30〜11:30 風船バレー   8/4 9:30〜10:30
  5) 8/11 9:30〜11:30 卓球   8/11 9:30〜10:30

(2)、病棟にいる時刻に作業療法に参加
  私たちはアカシジアの診断と抗精神病薬の中断等に関係する渡邊医師の診察の経過を診療録(カルテ)と他の記録を「主治医交代直後の抗精神病薬変更(平成17年2月13日〜2月28日)」及び「殺人事件直前の薬処方変更(平成17年10月26日〜平成18年12月7日)」を整理してみました。被告いわき病院ではこの期間に限定しても、野津純一が病室・病棟に居る時刻に重複して作業療法を行った報告が6件ありました。これ以外にも多数の重複記録がある可能性を指摘します。なお、この不正に関しては「いわき病院事件」裁判の本質論ではなく、これ以上の調査はしておりません。

[記録−2]看護記録では病棟に居た時刻に作業療法に参加した日
(1)平成17年2月17日 (2)平成17年11月8日 (3)11月9日(退院に向けての教室参加)
(4)11月10日 (5)11月15日 (6)平成17年12月1日

(3)、公文書虚偽記載の証言
  渡邊医師は「野津純一の一級障害者年金更新書で、野津純一に暴力傾向を診断してなかったが暴力傾向があると記述したのは、野津純一が障害者年金を容易に取得するための方便である」と人証で証言しました。この発言は「嘘も方便」という姿勢でいわき病院及び渡邊医師が「公文書の作成で虚偽記載を日常的に行っている」証明です。

(4)、いわき病院歯科レセプト不正請求の主張
  渡邊医師は平成22年8月の人証で「いわき病院歯科では、抑制器具は所持していない、従って抑制器具を使用した事実は無いが、抑制器具を使用したことにして高い保険点数を付けてレセプト請求をした」と主張しました。これは「いわき病院はレセプト請求で不正を行っている」という暴露です。いわき病院歯科は抑制器具の使用に関して点数をゼロとしたカルテを提出しました。しかしながら、いわき病院理事長渡邊医師は自ら法廷で行った主張に関しては未だに訂正がありません。



3、いわき病院証拠の信頼性

いわき病院が提出したカルテ等の証拠書類の記述の多くは悪筆かつ乱雑であり、判読が困難です。またいわき病院が平成17年11月23日の重大な処方変更をした後のカルテの日付を訂正したことは記録の正確性に疑惑を抱かせるものです。その上で、いわき病院はこれまで提出した証拠に責任を持たなければなりません。


(1)、カルテの日付訂正
  いわき病院は平成22年8月の渡邊医師人証で「カルテ日付の11月30日は11月23日で12月3日は11月30日であった」と日付訂正を行いました。私たちは平成23年3月2日の法廷における原本確認の際に平成17年11月23日(旧11月30日)と11月30日(旧12月3日)のカルテ日付を、原本の筆跡を正面、斜め、更には紙を透かして確認しました。私たちが見たところ、新11月23日の日付は11月30日としか読めません。また新11月30日の日付は月の記述が12としか読めず、また30日の記述は3.0のようにも見えますが、「0」はその後ろに記述した「patムズムズ訴えが強い」の頭に付けた「○」でした。事実、二行目は「○退院し、一人で生活には…」となっています。私たちには「12/3 ○patムズムズ訴えが強い」が現実に書かれた記述であると読めました。


(2)、カルテ改竄の可能性を指摘する意見
  いわき病院は「各々の診察日は11月23日と11月30日だった」と平成22年8月9日の渡邊医師の人証時に確定証言しました。従って、本法廷ではこの日付が公式の認識です。私たちはその上で、「いわき病院が提出したカルテは、11月以後の部分に改竄が疑われる要素がある」そして「日付の訂正は、大急ぎの改竄であったために露出した不手際である可能性が極めて高い」と指摘します。

私たちが事情聴取したいわき病院の内部通報者はいわき病院が提出した診療録を見て「平成17年11月と12月の診療録は改竄されている可能性が高い」と指摘しました。その根拠は「11月15日の10時の看護記録に野津純一から『院長診察希望』が出されてその日のうちに渡邊院長が診察することは考えられない」。更に「その翌日の11月16日に父親面談し18日に母親面談しているが、そんなに頻繁に病院長が両親と個別に繰り返して面談することはない、また内容が重複で違いがない、おかしい」と言いました。また「野津純一逮捕直後にパソコン処方履歴を見た時には、抗精神病薬の中断は1ヶ月以上継続していた、11月23日からと言うのはおかしい、処方履歴が改竄された可能性がある」とも指摘しました。私たちはいわき病院が11月30日の記載を「11月23日だった」、また12月3日の記載を「11月30日だった」と主張したことは、カルテに改竄が行われたために、「記述日を間違えて事件後に書き込んだ可能性」の蓋然性が極めて高いと推察します。


(3)、違法な不穏時の指示と禁忌の処方
  渡邊医師の11月23日(旧11月30日)カルテ記載は自らの責任を回避する弁明を目的とした「不穏時が発生した際の看護師に対する対処方針の指示」です。渡邊医師は大急ぎで記述したために、不穏時の指示を書いてから2週間も後になって看護師が医師の診察無しに実行すれば医師法違反となる事に気づいておりませんでした。又、渡邊医師はムズムズをパーキンソン病と診断しましたが、トロペロン添付文書には「パーキンソン病にトロペロンは禁忌」と記されています。理由は錐体外路症状の悪化です。

  11月23日(旧11月30日)  
  なかなかとれない(です)、(薬の整理を)
(レキソタンだけを増やしましよう)
はい
  (P)方針 不穏時には右記注射を行う 振るえた時 ……… アキネトン1A
不安焦燥時 ………セルシン(5)1A
幻覚強いとき………トロペロン1A
   〃    ………アキネトン1A
  (A)アセスメント 本人のムズムズの訴えに対して行う
薬の副作用の可能性高い

渡邊医師は22日のカルテには「一度、生食でプラセボ効果試す」と書き、翌23日には「薬の整理を」と言って「レキソタンだけ増やしましょう」と野津純一に言いましたが、実際には抗精神病薬とパキシル中断等の重大な処方変更を実行しました。渡邊医師は前日のプラセボと処方変更を一方的に押しつけて、患者野津純一に対する説明責任を果たしておりません。


(4)、渡邊医師の弁明
  渡邊医師の11月30日(旧12月3日)記載も、事件後の弁明が目的と考えれば容易に理解できます。野津純一は抗精神病薬の中断等の処置で一時的にアカシジア症状が軽減しており、11月23日から30日まではアキネトンの筋肉注射を野津純一は要求しておらず、生理食塩水の筋肉注射を実施したのは12月1日でした。渡邊医師は11月22日に「生食でプラセボ効果試す」としたことを受けて、11月30日に再び「生食1ml 1×筋注」指示を記入しました。その際に、アキネトンに散剤があるにもかかわらず、「退院後の一人生活では注射できない」と退院を前提としていたことを明記しました。更にはムズムズ(アカシジア)は「心気的である」と記述して弁明を繰り返しました。


11月30日(旧12月3日)  
患者 ムズムズ訴えが強い、退院し、
1人で生活には注射ができないと困難である
心気的訴えも考えられるため
ムズムズ時 生食1ml 1×筋注とする
クーラー等への本人なりの異常体験
(人の声、歌)等の症状はいつもと同じである

11月30日付けの渡邊医師の診察記録を元々いわき病院は「12月3日の夕方19時に外来診察室で30分以上かけて行った」と主張しておりましたが、「3日土曜日の19時に看護師などの職員を働かせて外来診察室で診察するのは不自然だ」と私たちに指摘されて、いわき病院は「11月30日だった」と日付訂正をしたものです。この診察記録には野津純一の発言や行動の観察が記述されておらず、本来、書かずもがなの記述です。


(5)、A看護師提出の「最後の看護サマリー」
  今回新たに提出されたA看護師の看護サマリーで、11月23日の処方変更に該当する記述は下記の通りです。A看護師の「看護サマリー」は平成23年2月になって始めて証拠提出されました。裁判が終局になって提出されたところに証拠性を疑う理由があります。

H17年10月1日〜12月6日
イライラ感訴える事多く、イライラ時の内服服用し、効かなければ筋肉注射にて対応していた。表情硬く訴える事あるが、落ち着きあり、問題行動などでなかった。外泊外出でも、特に問題なく行っていた。12月に入り、イライラ時の注射もプラセボにて効果見られていたが12/6外出時に他害行為あり、退院となる。

ア、看護サマリーは月次報告であるはず
  提出された看護サマリーは4月1日から9月30日までは各月毎に記述されています。ところが「最後の看護サマリー」は10月1日から12月6日まで2ヶ月と6日間を一括して記述してあり不自然です。また野津純一が許可外出中に引き起こした矢野真木人殺人事件後の記述です。野津純一が逮捕されて退院したのは12月7日であり、最終日が入院期間と一致しておらず、殺人事件の発生を前提にしたくない心がにじみ出ています。

イ、A看護師の看護記録と報告
  事件当時にA看護師は野津純一の担当看護師でした。しかしA看護師は渡邊医師が処方変更して抗精神病薬を断薬した初日の11月23日に直接野津純一の看護を行った後は、本人自ら野津純一を看護して観察した記録を残しておりません。特に、12月には一回も野津純一の看護を行っておらず、その上に12月6日の事件発生時は非番でした。A証言の肝腎な部分は「処方変更後の野津純一の状況変化の観察と記録」です。しかし野津純一の担当看護師であったA看護師はこの期間の直接観察記録を残しておりません。

[記録−3]「最後の看護サマリー」に該当するA看護師の看護記録記載日
10月 6日、16日、17日、27日
11月 3日、10日、15日、16日、21日、22日、23日
12月 なし

ウ、A報告の目的は釈明
  A看護師の看護サマリー報告は、事件後における野津純一看護担当者の報告であり、看護責任の回避を目的にした弁明です。矢野真木人殺人事件発生は12月6日であり、A看護師は事件後に12月6日までを記載しているため、6日の事件が発生した事実があるにもかかわらず「外泊、外出も特に問題ない」は虚偽記載です。12月6日に野津純一が引き起こした外出中の殺人事件は特筆されるべき重大事件でした。A看護師の目的は、事件発生後の看護部門の弁明が目的でした。

看護サマリーの10月1日から12月6日までの記述には、「イライラ感訴えること多く」また「表情硬く訴える事ある」と「野津純一の病状が悪化していた状態」を認識していた事実が記載されています。この記述は渡邊医師がアカシジアを「心気的」と診断した事実に反し、また「イライラはなかった」と主張するいわき病院に取って不利な証言です。このような記述をA看護師が事件後に行ったことは極めて重大な事実です。特にA看護師は「いわき病院に有利な看護サマリーを残すように強要されていた」という内部情報もあり、それだけに、現実性が高い記述です。

私たちが調査したところ、A看護師は矢野真木人殺人事件直後には「涙を流さんばかりに苦しんでいた」姿が見られたそうです。しかし大男であるA看護師は上司に従順であることに務めており、そのための激しい心の葛藤も観察されたそうです。この二面性はA看護師の「最後の看護サマリー」にも良く現れており、野津純一の「イライラ感を訴えることが多い」としてアカシジアの治療で問題があった事実を述べつつ、「行動の問題はなかった」と弁解をしております。A看護師は事件後に記載した看護サマリーで「病院に責任は無い」ことを記述しなければならないという絶対命令の下で苦しんでいた様子が推察されます。なお、A看護師は事件後にいわき病院を退職したと聞きます。



4、野津純一の反社会的行為に関する事実関係

渡邊医師は「野津純一の反社会的な他害行為の可能性は知りようがなかった」と弁明しますが、いわき病院には以下の記録があり、精神保健指定医である病院長の渡邊医師が「知らなかった」と主張することは過失です。渡邊医師が「不知」と主張するところに、いわき病院スタッフの調査記録及び意見や助言を無視する渡邊医師の傲慢な姿勢が現れています。なお、下記の(1)、(2)、及び(3)、をいわき病院は未提出です。これらは警察押収資料にあります。


(1)、平成13年当時のB医師記載の医療記録
  野津純一は平成13年に6月と11月の2回被告いわき病院に入院しており、主治医はB医師でした。この時の医大D医師からの診療情報提供書によれば、病名は「統合失調症」、履歴は「人格障害、強迫神経症的な時期もあった」、症状は「幻覚妄想状態、困惑感、混乱、そわそわ感」でした。

B医師が作成した作業療法OT処方箋(平成13年6月21日入院時)の処方目的の項目では「(7)攻撃性の発散」にチェックが入り、診断書(平成13年10月24日付)には「不穏、不安感が強く、全くまとまらない、いつも落ち着きがない、集中して物事を処理することができない」と特記され、日常生活能力の判定では「家族以外の者との話は通じない」「刃物・火などの危険は(わかる、少しはわかる、わからない)のわからない」、「戸外での危険(交通事故から身を守る)は守れない」となっていました。日常生活の程度は「精神状態を認め、身の回りのことはかろうじてできるが、適当な援助や保護が必要である」、「バス・電車に乗れない(恐怖を感じる)」でした。更に平成13年11月2日にいわき病院いわき病院に野津純一が再入院した際のインテークカードには「F.20精神分裂病、身体の障害 軽度// 精神・行動上の障害 高度// 社会環境的問題 中等度」と記述されています。

この状況は、平成17年12月の矢野真木人殺人時点では悪化することはあっても、改善しておりませんでした。ちなみに、渡邊医師自身も平成17年2月28日のSST指示書で「幻覚及び妄想に基づく行動が目立つ」と記述してありますので、「野津純一の行動上の問題を全く知らなかった」と事件後にうそぶくことはできないはずです。


(2)、入院前母親問診(平成16年9月17日)
  母親は「攻撃性、対人恐怖、強迫性障害がある」と述べています。

(3)、C医師の入院前の父親問診(平成16年9月21日)
  父親は「妄想は最近はみられないが、強迫、不安恐怖および焦燥が目立ち、母親に強要する」、反社会行為に関しては「父母が攻めてくると言ったり、平成10〜11年に妄想(+++)で暴力行動があり、近隣に怒鳴り込んだりしたために転居をしたこと、及びB医院に通院中に歩行者に殴りかかった事件等」を伝えました。

(4)、SW(ソーシャルワーカー)による平成16年10月1日インテークカード
  SWによる母親面談の報告書には「症状不安定で、不安発作、関係妄想あり、放火、通行人殴りかかり、家の中のもの全て壊す、イライラ感強く気に入らないことがあると自宅の物を壊す」という記述があります。

(5)、歯科カルテと歯科医師の証言
  E歯科医は「37回の診察で、10回は手をタオルで固定して治療し、3回は看護師介助治療だった」と、都合13回も問題行動が発現する可能性を懸念する状況があったと記述しました。

ア、歯科医師の陳述書
  歯科医師は「(実際の暴力はなくとも)本人に刺激を与えないよう、スタッフに事故が起こらないよう十分配慮して治療を行った」と証言しました。これは「本人が動いてケガをするにとどまらず、他人に対する暴力発現の可能性を十分に認識していた」証言です。

イ、歯科カルテ
  歯科医師が記録した野津純一の歯科治療中の暴力行動や不協力な態度に関する表現には三通りがあり、歯科医師は治療の度に野津純一の状況の変化を観察しておりました。

[記録−4]歯科カルテに記載された治療中の暴力行動
行動1 統合失調症、日によって暴力行動をするため抑制器具を使用して看護師介助のもとに治療
行動2 統合失調症、精神不安定、ヒステリーを伴い暴力行動有り、看護師介助のもとに治療
行動3 統合失調症、治療に対して不協力、看護師介助のもとに治療

   

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