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いわき病院の責任

平成18年8月27日
矢野 啓司


1、矢野真木人殺人犯人を発見できなかったいわき病院

矢野真木人は平成17年12月6日の昼間、12時30分頃に、高松市香川町のショッピングセンターキョーエイの駐車場で、野津純一が差し出した万能包丁で右胸下部を刺され、心臓大動脈を切断されて、数秒以内に死亡した。

犯人の野津純一は、殺害後速やかに現場を離れ、徒歩で近隣のいわき病院に帰り、自室で返り血を浴びた手を洗った後に「ああ、やってもた、俺の人生終わってもた(検察官記録)」等と言いながら引きこもっていた。なお、純一がいわき病院に速やかに帰った事実は、いわき病院の防犯カメラの映像の録画を検査した警察が最初に確認した。(驚くべきは、いわき病院ではない。)

野津純一は、翌日(12月7日)もほぼ同時刻にいわき病院を出て、ショッピングセンターにいるところを、丁度取材中のテレビスタッフに顔の左の頬にあるあばたを目印にして発見されて、警察に通報され、いわき病院に帰る途中で、いわき病院に到着する直前に警察に逮捕された。

  1. いわき病院長の時間認識の錯誤
      いわき病院長は12月8日朝8時頃からの記者会見で、「犯人は2時間の外出を認められていたものであるが、その日は2時間遅れで帰ってきた」と発言した。ところが警察の調査では殺害後速やかに野津純一は病室まで帰っていたので、外出は1時間程度であったことが判明した。事件から二日後にいわき病院長は3時間の時間後差をもって発言した。

  2. 病院は19時までには野津純一を犯人と特定できたはず
      野津純一はその日夕食を取らなかったためその日の担当者が、野津の病室を訪ねて夕食を取るように促した。すると純一は「警察がきたんか?」と応じた。その者は「何をいいよるんか」といぶかったが、その場では特段に問題にしなかった。12月6日の夕方6時からのテレビは各局が殺人事件を大きく報道した。いわき病院内の各所に置いてあるテレビを見て、いわき病院内では、事件現場が近いこともあり大きな話題になった。いわき病院の精神科の職員の中には「野津とちがうんか?」とひそひそ話をするものもいた。野津純一から「警察がきたんか?」という言葉を聞いた職員もテレビニュースには接したはずであり、一部の職員が野津を疑ったという事を元にすれば、いわき病院が病院として正常な機能を果たしておれば、12月6日の19時までには、野津純一が殺人事件の犯人であることを内部調査で突き止められたはずである。いわき病院が病院組織として機能していない実態が垣間見られる。

  3. 警察の写真捜査
      警察は、12月6日の昼頃にキョウエイショッピングセンターの中の100円ショップで撮影された万能包丁を買った男の防犯ビデオから入手した写真を、有力な犯人候補として捜査を開始した。この写真は男を斜め上から撮影したもので、かなり不鮮明であったが、男のあずき色のジャンパーと紺のジーンズは明確に写っており、男の左の頬にはあばた状の瘢痕が認められた。警察は12月6日の夕方には、矢野真木人が勤めていた香南パーキングに写真を持ち込んで、全職員に見せて探したが心当たりがなかった。警察は、12月7日の午前中には捜索範囲を拡大して、写真をいわき病院に持ち込んで、職員に見せて該当者の在否を捜索して、昼頃には該当者が第2病棟にいるらしいと見当をつけて、病院長に身柄引き渡しの交渉をしていたようである。

      いわき病院内では既に殺人犯人がほぼ野津であると判明していた。それでも犯人の野津純一はその日も昼からいわき病院から外出して、前日のショッピングセンターに出向いて、取材中のテレビ局員に発見された。テレビ局員は野津とは初対面であったが、一目見て「あずき色のジャンパーで、紺のジーンズそして顔にあばたがある捜査写真の男」と判断して警察に通報した。この「あずき色のジャンパーで、紺のジーンズ」という服装は、前日と同じで血痕も付いていた。また野津純一はこの色合いと服装を好んでおり、毎日ほとんど着替えもせず、野津純一の特長とも言っても良い服装であった。いわき病院の精神病院としての機能が十全になされていたかを疑わせるに足りる、事実である。

  4. 顔のあばた
      野津純一の顔のあばたは、純一を取り調べた検察官の言葉によれば、殺人事件の一週間ほど前に顔を焼いた「根性焼き」である。この根性焼きとは、10代の反社会的性向を持った若者が時として行う、互いの根性の強さ比べをしてタバコの火を頬に押し当てて我慢比べの競争である。野津純一はこの根性焼きを1週間ほど前に病院内で行っていた。顔の頬に付いた根性焼きのやけどの跡は目立つものである。ところがいわき病院はこの根性焼きの事実を把握してなかった。私どもが得たいわき病院の内部情報によれば、事件後に野津純一が入院していた第2病棟の看護師が、第6病棟の精神科専門の看護師に「根性焼き」なるものについて問い合わせをしたと言うことである。また、いわき病院長も事件後に根性焼きを否定した。

この根性焼きは事件から4ヶ月を経て4月18日の第一次公判の際に、野津純一の近くまで接近して見ると跡が残っていた。しかし5月24日の第二回公判では、ほとんど消えていた。野津の顔には逮捕直後には、赤黒い斑点が明瞭にあったと聞いている。ところがいわき病院は「野津の顔の痘痕は入院前からあり病院内で新しくついたものではない」としている。すると、1年2ヶ月の入院中に野津は密かに根性焼きの傷を作り続けていた可能性が出てくる。野津の根性焼きは病院に入院中常に生々しかったとしたら、また病院が見逃していたとしたら病院としてあるまじきものが感じられる。医師の「正常な形の」診察が行われていたとしたら、根性焼きの傷跡が発見されないことがあるだろうか。いわき病院によれば野津の診察は11月30日と12月3日に行われた。野図純一は12月5日には37.4℃の熱で、風邪気味であったが診察したと言ってない。またその日に野津の顔を見たという証言もない。いったい、いわき病院の診察とは何か、どの程度の医療を野津純一に施していたかを判断する上で、重要な視点である。診察をして、顔の傷に配慮しないとはいかなることであろうか。

複数の看護師の証言によれば、いわき病院長の病棟回診は夜9時の消灯時間後になることが頻繁で、時には午前2時に行われることもある。そのような診察時間では、患者の多くは睡眠薬で寝ており、看護師も夜間の少数の当直で、院長の指示に対応する余力が乏しい状態にある。いわき病院が野津純一の根性焼きを見落とした背景には、渡邊朋之院長のこのような診察の実態も背景にあると思われる。


2、複数の医師による外出許可の判断

いわき病院長は矢野真木人が殺害された2日後の12月8日の朝、8時からと10時からの二回記者経験をした。この記者会見の模様は、テレビでも報道されたし、新聞でも詳しく報道された。なお、いわき病院長は記者会見では、テレビには顔の映像を撮影することを拒否し、新聞には写真掲載を拒否している。その上で、本人の名前も報道されていない。この記者会見で、いわき病院長は、「今後は一人の医師が外出許可を判断するのでなく、複数の医師で判断する」と病院の改善課題をあげた。これは、非常に重要な発言である。

  1. いわき病院長は自分自身の能力不足を告白した
      いわき病院長は「一人の医師すなわちいわき病院長だけの判断で決定したために、今回の判断の誤りが生じた」と認めたことになる。医師として自信を持っておれば、「複数の医師の判断」という発言はないはずである。「複数の医師」と言うところに、「自分だけの判断では不安がある」と自白したに等しい。また、今後同じような事件が発生したときには、責任をもう一人の医師になすりつけることができるので、自分は安泰でいられる、という希望を表明したとも理解できる。渡邊医師の病院運営には、各所に「自らの責任を回避して、他人に責任を押しつける」という要素がある。

  2. 複数の医師が判断するには、複数の医師が集まらなければならない
      いわき病院の入院患者の外出許可を複数の医師で行うと言うことは、複数の医師が集まったときで無ければ、個々の患者に「外出許可は与えられない」もしくは、「一旦与えられた許可を変更できない」ことになる。いわき病院はベッド数248床の病院であるが、その患者の外出許可を判断するのは複数一緒に患者を診断した時に限られることになる。野津純一の外出許可がいつ出されたかについては明確な情報はない。しかし、野津純一は根性焼きをして一週間の間、外出許可に関する何の判断もなされてない。その間に殺人事件の前日の12月5日には野津純一は37.4℃の熱を出して風邪気味であるとして(医師の判断もなく)薬が処方されていた。一人の医師の判断であったとしても、患者の異常を見つけて外出許可の変更が行われるまでに、患者の風邪気味程度では対応しないのである。それが複数の医師となると、滅多にない機会に患者の外出許可が判断されることになる。

  3. 毎日の患者の状態は患者の外出許可に反映されない
      私どもが調査した高知市のT病院では、病棟のナースステーションの前に患者全員の名札があり、その名札に「緑、桃、赤」の三色で患者の色分けがされていた。
    緑 精神状態が安定しており、一人で外出が許される
    桃 精神状態が少し不安定であるので、付き添い付なら、外出が許される
    赤 精神状態が不安定であり、その日は外出は許されない。

    T病院では、この三色の色分けを医師に限らず、その日勤務の医療スタッフが複数で判断して、毎日色分けの区分を判断しており、それが毎日の精神状態の変動の記録としてカルテにも記載されていた。医師が複数集まるというめずらしい機会に判断するのではなくて、責任者の医師が指導した基準に基づいて、精神科の医療スタッフの全員が、毎日の患者の状況を把握する、臨機応変でフットワークが良い日常の観察体制になっていた。

    この、「緑、桃、赤」の三色判断を、いわき病院の現職および元職員に事情聴取したところ、全員が「その様な毎日の判断は行われていない」と証言した。いわき病院では、患者の外出許可は医師だけが判断できるのであり、ひとたび医師が外出許可を出すと、その後患者の状態がどのように変化しても、看護師などの医療スタッフが外出許可を変更することができない体制になっている。いわき病院長が「複数の医師で判断するように改善する」と言ったことで、いわき病院長は「患者の精神状態を毎日把握する必要はない」と言ったに等しいのである。矢野真木人殺人事件の直後には、多くの専門家が「患者は異常信号を発していたはずだ」と疑問を呈していた。それにも関わらず、適時に患者の異常を発見する手段に考えが及ばなかったことを、いわき病院長は露呈した。


3、外出は病院の訓練だった

いわき病院長は12月8日の記者会見で次のように発言した。「患者さんに社会復帰の訓練というか、実地訓練をしてもらうための、(外出は)コンビニとか行くくらいの時間内で許可をしていたものですが、40回以上の外出の時も、いずれもこういう対人的なトラブルは一切なかった人なので、予測がほんとついてなかったと…」(12月8日 テレビ朝日報道ステーション、聞き取り) 野津純一には平成18年6月23日に懲役25年の判決が高松地方裁判所で言い渡された。この「一人しか殺してない精神障害者に対する懲役25年の判決」は日本では最初に適用された厳罰だ。この判決が出たことで、いわき病院長は「いわき病院での作業療法や社会生活訓練・面接、などの治療効果を有していた」と自慢した。この治療効果の認識をいわき病院長が誇ることこそ、被告病院に「訓練」の認識があったことを示している。それにもかかわらず、いわき病院長は「野津純一は社会復帰の訓練で外出していたのではない」と執拗に発言している。「患者さんに社会復帰の訓練」と言いつつ「病院に責任は無いと言い」矛盾している。


4、一回も問題を起こしたことがない患者さん?

いわき病院長は記者会見で「入院中、暴力的な行動は一切なかった。命令的な妄想も認められず、犯行はまったく予見できなかった」と言い「(約2時間遅れで病院に帰ったのは)入院以来初めてのことである」と証言した。

  1. 複数の病院内の障害沙汰
      野津純一は、平成16年10月に病院に入院した直後に、第6病棟にいたころに他の患者や勤務中の看護師に衝動的な体当たりを行っており、この暴力事件は病院もその後認めた。病院長は記者会見で嘘を言った。野津純一の主治医だったいわき病院長が、野津純一の暴力行動に関連して嘘を言ったことは、見識と誠実さを疑うに足りる事実である。

  2. 危険な男
      いわき病院の複数の看護師は「普段の野津純一は、一人で黙っていることが多く、何を考えているか解らず、近寄ると突然攻撃しかけて来ることがあるので、看護師は恐れて、近寄らないようにしていた」と証言した。特に野津純一より体格が小さい男性看護師は、野津純一の攻撃半径に入らないように、常に気を付けていた。また女性看護師は、野津純一の個室に入る時には、純一と二人で室内に閉じこめられる状況にならないように、いつでも逃げられるように後ろのドアを開け放して、万全の準備と心構えを持って入室していた。このような、看護師の防衛行動が、主治医であるいわき病院長に報告されず、カルテにも記載されていないとしたら、いわき病院の患者観察とは、いかなるものか、その妥当性を疑う。「何も問題がなかった」のではなくて、「何も問題が報告されなかった」か、「主治医であるいわき病院長が問題を発見できなかった」かである。

    また、このような事実があるにもかかわらず「野津純一に自由外出を許可していた」いわき病院長の判断そのものの妥当性が疑われる。


5、アネックス病棟の現実

  1. 2時間遅れは初めて
      いわき病院長は記者会見で「野津純一が2時間遅れで病院に帰ってきたのは初めてである」と発言した。ところが、実際には野津純一は殺人事件の直後に病院に帰っており、いわき病院は野津純一の動向を3時間も見失っていたことになる。したがって「2時間遅れは初めて」の「初めて」の言葉にも疑いが残る。

  2. 徹底できない外出管理方法だった
      野津純一がいたのは、いわき病院の第2病棟のアネックス棟の個室である。2病棟は中央棟とアネックス棟の双方の三階で構成されており、ナースステーションは別棟の中央棟にある。アネックス棟にもナースステーションの施設はあるが、看護師は常駐していない。 野津純一が普通に外出するための手順は、以下の通りである。
    1)アネックス棟の自室から中央棟のナースステーションに行き
    2)そこに置かれている外出簿に記述して
    > 3)ナースステーション前のエレベータから外に出る
    4)外出ノートに記載すれば看護師に外出の許可と確認を得る必要はない
    ところでエレベータはアネックス棟にも設置されており、野津純一の部屋から中央棟のナースステーションに行く途中にある。野津純一にはエレベータを操作する暗証番号が教えられていた。野津の立場からすれば、外出のために毎度毎度中央棟のナースステーションまで遠回りするのは面倒くさかったのである。人間がやることなので、面倒くさいことはすっ飛ばすのが、普通である。外出簿に後書きしても、誰にもわからないのである。

  3. 守衛がいないいわき病院
      いわき病院には病院の外と内の間を仕切る守衛がいない。門には監視用のビデオカメラがあるが患者の不用意な外出までも規制できる施設ではない。またいわき病院のフェンスは完全閉鎖型ではないために、複数の開放場所から患者は病院外に出ることが可能で、その場合には監視カメラに映像が残されることもない。野津純一が犯行の直後に、監視カメラを設置してない出入り口から病院に帰っていたら、実は警察がいわき病院長の三時間の錯誤を証明することも不可能だった。

  4. 院内フリーの特権
      いわき病院では外出許可に二種類がある「院内フリー」と「院外外出許可」である。野津純一には「2時間だけ、病院外に出ても良い」という「院外外出許可」が与えられていた。しかし同時に「起床中であれば、いわき病院内であればどこにいても良い」と言う「院内フリー」の許可も与えられていた。

    「院内フリー」を裏返せば、野津は所在が明確でなくても誰からもとがめられない、という特権である。院内フリーの特権があり、しかもアネックス病棟のエレベータの暗証番号が教えられていた。病院の管理の視点から見れば、野津純一が個室やアネックス棟や第二病棟にいなくても、野津純一が規律違反をしていると、結論づけられない。野津は病院内のどこかにいれば良いのだが、守衛がいないので、勝手に病院外に出てもそれを確認する手だてがない。野津純一に「院内フリー」の特権があるために、病院外への外出も実質的に規制が無いのだ。病院のスタッフが異常行動にいち早く気付いて、暴走にストップをかけられるというフェールセーフがない。あるとすれば、野津純一本人の心のブレーキだ。野津純一のような精神障害者に対して「心のブレーキ」を期待するという病院の管理の本質が問われる。

  5. 痴呆介護で忙しすぎる
      第二病棟の患者の多数は痴呆老人だ。痴呆老人の介護が主目的の病棟に精神障害者も収容するアネックス棟が設置されている。アネックス棟の精神障害者は院内フリーと院外外出許可を院長からもらっている。アネックス棟の同じフロアに院長室と総看護師長室という病院幹部の執務室はあるが、アネックス棟の8人という収容人数では、せっかくあるナースステーションに精神科の看護師を常に配属するまでには至らないのだ。それで、アネックス病棟は便宜的に第2病棟の併設棟とされた。この運用が病棟の設置基準に当てはまるか否かは、疑問がある。痴呆老人と精神障害者を混在させる背景には、いわき病院長の「痴呆も統合失調症に類した精神障害である」という考え方があるとされる。

    第二病棟の看護師は、痴呆老人のオムツ換えや入浴介助などの介護作業で忙しすぎる。その上で痴呆老人とは明らかに性質が異なる精神障害者の看護をするので、目的と手法が散漫となってしまう傾向がある。むしろ積極的に精神科の患者を世話をする代償として、痴呆老人の世話で明け暮れてしまうのだ。野津純一のような外出許可が与えられ、自己管理能力が高いとされる精神障害者には看護師の手を煩わせないことが望まれる。野津には入浴などは第二病棟の浴室を汚さないで、本館一階の共同大浴場を使うことが望まれた。これはアネックスの精神障害患者は積極的に第二病棟から外に出なさいという事だ。野津純一がアネックス棟のエレベータを使って第二病棟の外に出ることは、むしろ望ましいことだった。アネックス棟ではあたかも精神障害者に対して看護放棄が行われていたと言っても言い過ぎではない状況があったのだ。

  6. プライバシーの壁
      第2病棟のアネックス棟はいわき病院内ではアパートと呼ばれている。外部からの見学者に進んだ精神医学の状況を積極的に見せるための、優良病棟として運営されていた。同じアネックス棟の3階には院長室や総看護師長室という病院幹部職員の部屋もあり、一見手厚い医療と看護が行われているようにも見える。そのアネックス棟の患者は退院を控えているため、可能な限り病院外の生活との共通性も持たせようとする配慮もあった。このため、アネックス棟では患者のプライバシーの尊重が名目となり、患者管理を徹底して行わないという現実が発生していた。アネックス棟の個室には、第2病棟のナースステーションから監視するためのテレビ装置はない。また個室内にある患者の私物はプライバシーが優先である。病院内に持ち込む物の検査はプライバシー優先で行われない。それで、精神科の病院としての機能が保たれるとするには疑問がある。

    特に精神科の患者は自己の病識が乏しく、薬を飲めば正常であるにもかかわらず、薬を飲んだ後の気分などの好き嫌いが高じて、薬を飲まない場合が多いと危惧される。アネックス棟では、薬は毎日ではなくて、一週間毎のように定期的に与えられるために、薬を毎日飲んだか飲まなかったかも確認されない。プライバシーの壁に妨げられているのだ。

  7. 院長の趣味の病棟
      アネックス棟の患者の様子と管理の方法に危機感を持つ看護師もいた。それは結局アネックス棟への人員増員につながることになり、経費削減を求める病院当局の受け入れるところではない。特別な施設としてアネックス病棟をつくってみたけれど、理想通りの運営ができないので、取りあえず第2病棟の一部として運営しているのだ。いわき病院内では 「アネックス棟は、院長が趣味でやっているところなので、他の職員が口出しをしてはいけない」と言われている。院長の趣味であるので、看護師は患者の状況を見ない。異常があっても院長まで報告しない。「院長に報告すると、しかられる」という証言まである。

    「全ては院長の趣味の範囲内のことなのだから・・」この言葉はいわき病院に対する疑問への解答でもある。なぜ、12月6日に病院は犯人を発見できなかったか、なぜ院長は野津純一が病院に帰った時間を間違えたか、なぜ、院長は「今後は複数の医師で判断する」と言ったのか。これらの疑問が、氷解する。


6、野津純一のイライラ

犯行前に野津純一はイライラとムズムスを募らせていた。第2病棟アネックス棟の喫煙所にタバコの灰がたまり、何者かが喫煙の邪魔をしようとしていると考えてイライラしていた。また、階段のドアの開け閉めの騒音がうるさくて幻聴を聞いていた。野津は薬を過剰に投与されて足が常にムズムズしていた。

  1. 喫煙所
      アネックス棟の喫煙所は野津純一の部屋の真ん前で、分煙されず、タバコの煙の吸引機が設置されて、煙が濾過されるタイプだそうです。この喫煙所は、アネックス棟のエレベータや階段の前でもあり、いわき病院長と看護師長は自室から外部に出るたびにこの喫煙所の前を通っていた。その喫煙所が汚れていたのであるから、病院の大幹部がそろいもそろって「汚い」と言う事実を気にしなかったのだ。病院は「一定の汚れはある」と認めている。病院は汚くて良いわけがない。喫煙所の汚れの清掃は、野津などのタバコを吸う患者に対する生活技能訓練である。野津純一は社会復帰に向けた訓練を受けていたが、自ら吸ったタバコの灰の汚れを清掃する意志に乏しかった。病院は社会復帰訓練の大義名分を上げているが、その現実はおざなりである、という証ではないだろうか。

  2. 非常階段の位置
      野津はそもそも、職員がしょっちゅう利用する非常階段のドアの開け閉めの騒音に悩まされていた。実は、このドアは野津の個室の隣にあり、閉めるときの騒音が相当に大きいと数々の証言がある。いわき病院長はそもそも野津純一を強迫神経症と診断していた。強迫神経症と診断しておいて、騒音源の横に野津純一を置いて、それに気が付いてないのだ。医師としての資質に疑いを持たれてもしようがない状況だった。

7、他の事件・事故

いわき病院では、平成15年12月6日、矢野真木人殺人事件の丁度2年前の同日に、第6病棟の患者の窓からの転落死亡事故が発生している。その原因は、院長が病院の外部からの見栄えを良くするために、鉄格子を取り外したことだ。ところがいわき病院長は、患者が転落死したその日は千葉で学会があり出張していた。その日に窓を閉め忘れた職員は責任を追及されたそうであるが、院長としての施設設置及び管理責任のほうがより重いはずである。この他、多数の病院内外における患者の自殺事故が発生している。また平成18年3月には閉鎖病棟にいるはずの患者が大阪まで行っていたという情報もある。


8、刑法第39条は100年前の医療水準に基づいている

精神障害者の犯罪で必ず問題になるのが刑法第39条だ。この法律は約100年前に日本で刑法が整備された時に欧米の法律規定を参考にして制定された。法律成立の根拠を突き詰めてゆけば、100年前の先進国の水準に追いつくことを目指して制定された、国内法だ。成立の起源からして、日本国内の現実が背景にあり、それを元にした日本人の思考と議論の結果からできあがったものとは言えないのである。

法律が制定されて困るのは、法律家の仕事は法律の条文を暗記して、条文通りに解釈することだからである。法律がある限り、法律家にとっては法律の条文が正しいのであり、どのようにその条文通りに現実を判断するかが課題となる。

100年前の現実を考えてみよう。100年前の医療水準では精神病は治せない治らない病気だった。100年前には精神障害で「心神喪失」と判断されるような状況になれば、その人は治癒の見込みは全くなくて、完全な精神障害者として一生を閉鎖病棟の中で過ごすか、座敷牢のような幽閉施設に閉じこめられる状況だった。このような医療水準では「心神喪失無罪」が適用されたとしても、それはまた社会的な現実を踏まえたものだった。

法律の条文解釈は判決の前例主義に基づく。そうすると、100年もの長期間に各種の判例が積み重ねられて行くと、どうしても解釈がより甘い方向に、経験の積み重ねの結果としてぶれてゆく傾向が生じる。それは「心神耗弱」と「心神喪失」の適用基準が徐々に拡大される方向に判決が移動する可能性が高いことを示す。特に裁判は過去の犯行時の心理状態を鑑定して争われるので、不確定要素が大きく、「疑わしきは罰せず」で甘くなる方向性は否めない。

ところで、過去100年の間に精神医学は飛躍的に進歩した。現在では重い精神障害者でも薬をきちんと飲めば、かなりの程度精神の安定が保たれるようになっている。将来、医療技術の進歩で、完治することも不可能ではないかも知れない。

医学の進歩と刑法第39条の法律解釈がミスマッチしているのが現在の状況である。法律家にとっては制定された法律は絶対の要件。その条文の背景にある現実が変わっていても、現行法の規定は絶対なのだ。しかも刑法第39条はあたかも人権を最大限守る規定のように見える。すなわち、絶対の大義名分に基づいた規定のように理解される。それは法律の趣旨に反して現実をねじ曲げる結果になったと考えられる要素である。

現在では「心神喪失」や「心神耗弱」の状態を治療することがほとんどの場合可能だ。ほとんどの場合「心神喪失」や「心神耗弱」は永遠に続く心の状態では無いのである。ところが刑法第39条に基づく判決や、はなはだしきは「心神喪失」を予断した不逮捕や不起訴は、あたかも「心神喪失」や「心神耗弱」の状態が恒常的であるような誤解に基づいていると言っても過言ではない。医療水準の現実に合致していない、条文規定とその解釈の慣行はおかしいのだ。

今回、矢野真木人が殺害された後で、私どもは

1)精神障害者だからと言って、逮捕しないのはおかしい
2)精神障害者だからと言って、起訴しないのはおかしい
3)精神障害者だからと言って、刑が軽減されるのはおかしい
4)精神障害者だからと言って、重罪とならないのはおかしい

と、発言し続けてきた。100年前の法律の規定のままでは、現在では悪影響が大きすぎる。刑法第39条は、犯罪を裁く規定としても、撤廃されるのが望ましいと私たちは考える。

現実の問題として、刑法第39条は現行法として生き続ける可能性がある。その間、私たちは刑法第39条の可否を問い続けなければならない。その場合大切なのは、刑法第39条が罪を裁く法律であるばかりでなく、精神障害者の人権回復にも障害になっているという事実を認めることだと考える。刑法第39条が安易に適用されることで「心神喪失」や「心神耗弱」が多用されるからこそ、精神障害者が社会の中で危険な存在であると懸念されるのだ。

精神障害者が医療水準の発展の恩恵を十二分に受けて社会で普通の人間として、人権を行使するには、罪を犯した時に罰を受けることと表裏一体なのだ。そうであるからこそ、精神科医に最高水準の医療を実施することを求めることができる。そうであるからこそ人間としての権利を、主張することができる。精神障害者を抱える家族が、障害者の家族であることで悲嘆にくれ続けるという悲劇も無くさなければならない。それには最高水準の精神障害医療が日本全国で普通に施されるように現実を変えてゆかなければならない。そのためには刑法第39条が方便となって、医療過誤や不作為や怠慢が見過ごされてはならない。精神障害者の人権と刑法第39条の問題は、日本だけの問題ではなくて、普遍的な人類の問題だ。それは精神障害者が人間としての権利を回復する方途の一里塚である。


9、統合失調症と強迫神経症の二重診断は可能か?

私どもはいわき病院を相手として民事裁判を行っている。医療法人を相手とする民事裁判は全くつまらないものだ。第一回の公判が8月2日に行われたが、相手側は誰も出席しない。弁護士すら出席しないで、答弁書だけを寄こした。第二回公判は9月25日だが、既に、相手側の弁護士は、出席しないで文書だけを出す、と言っている。それでも、争いの焦点は幾つか見えてきた。特に大きな問題は、野津純一の刑事裁判で認められた起訴事実、判決の前提となった野津純一に関する精神鑑定の結果などを否定していることだ。その上で、懲役25年の判決が確定したことは、野津純一はいわき病院の治療で精神障害が快復したことが証明されると、判決だけを都合良く曲解している。判決では、野津純一は「寛解困難な慢性鑑別不能型統合失調症」である事を認めている。その上で、犯行時には「事理弁識能力や行為制御能力を欠く状態にまでは至っておらず」としている。すなわち「重篤な統合失調症=心神喪失」ではないと、断定したに過ぎないのだ。

ところで、いわき病院は民事裁判の答弁書で「刑事裁判の精神鑑定で『慢性鑑別不能型統合失調症』と『反社会性人格障害』を二重診断したのは間違いである」と主張した。これに関しては、刑事裁判で精神鑑定した精神科医師は「いわき病院が『統合失調症』と『強迫神経症』を二重診断したのは間違い」と言っていたと、私どもは検察官から聞いた。更に、私どもが問い合わせた他の精神科医師も「『統合失調症』と『強迫神経症』は重複して診断できない」という手紙を私どもに下さっている。また何人かの精神科医師が「いわき病院は間違えている」とコメントしているという情報も伝わっている。私どもは最近精神診断基準書を読んでいるが、それによっても「いわき病院の診断は間違いである」と考えている。

上記は、民事裁判の場で、決着をつけなければならない。このことはいわき病院長は自らの医師としての能力と資質を、裁判の場にさらけ出したことになる。私どもは不思議に思っている。何故、そんな危険までして、いわき病院長は争うのか。いわき病院の答弁書は矛盾だらけである。上で言ったことと、下で言うことが、同じ問題で矛盾する記述が沢山ある。それぐらいのこと、答弁書を作成する段階で、何故、調整しなかったのだろうかと、疑う。ま、このような統合性が失調した答弁書を書く病院であるので、矢野真木人殺人事件は発生したのだが。



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